2019年12月31日 (火)

【雑】今年も総集編(2019年・イベント編)

2019年の大晦日。

今年、私が参加した印象的なイベントのことを書き残しておきたい。

◆公民館の連続講座◆
 いま、ここで ともに暮らす
 ― アイヌ、在日コリアンから考える ―

連続7回(うち1回は見学会)の講座。
市民企画。
地元の東大和市上北台公民館で。

●第1回 2019.1.24(木)
 講師:一盛 眞 さん(大東文化大学文学部)
 「日本のなかの民族問題」
  ― マジョリティとしての「大和民族」の視点から ―

20190124-093757

●第2回 2019.2.1(金)
 見学会と食事会
アイヌ文化交流センター 東京駅八重洲口
 https://www.ff-ainu.or.jp/web/overview/cultural_exchange/
アイヌ料理店「ハルコロ」 新大久保(昼食)
 https://harukoro.owst.jp/
高麗博物館 新大久保
 https://kouraihakubutsukan.org/

20190201-1013011 20190201-1245331 20190201-135004

●第3回 2019.2.7(木)
 講師:宇井 真紀子 さん(写真家)
 スライドトーク「アイヌの傍らで撮りつづけて」

20190207-095456

●第4回 2019.2.14(木)
 講師:宇佐 照代 さん(アイヌ料理店ハルコロ店主)
 「イランカラプテ! きっと身近にアイヌ民族」

20190214-111143

●第5回 2019.2.21(木)
 講師:李 尚珍(イ・サンジ)さん (山梨英和大学准教授)
 「日本で暮らすコリアンをめぐって」

20190221-094451

●第6回 2019.2.28(木)
 講師:鄭 晋和さん(東大和ドットネットの会、元朝鮮大学教授)
 「アンニョンハセヨ! いま、ここに暮らす」

20190228-094342

●第7回 2019.3.8(木)
 まとめ、グループトーク、発表

◆沖縄映画祭◆
 第5回 喜多見と狛江の小さな沖縄映画祭

会場:M.A.P.(狛江市岩戸北4-10-7)
     小田急線喜多見駅南口 徒歩5分
   狛江市中央公民館(狛江市和泉本庁1-1-5)
    小田急線狛江駅 徒歩4分

https://kitamitokomae-artfes.com/okinawa_5th/index.html

Kitaakoma2019

20190627-114610 20190627-114718

20190630-093537

期間:2019.6.27~30
 7.4~8 7.10 7.14 7.15

6日間通って15回の映画上映を観た。

2019.6.27(木)
 琉球舞踊ショー + 「うんじゅぬ花道」
 「琉球カウボーイ、よろしくゴザイマス。」
2019.6.30(日)
 「生命のシンフォニー第1回」 やんばる奇跡の森の物語
 「生命のシンフォニー第2回」 奄美大島 水めぐる島の物語
 「まちかんてぃ」「菜の花の沖縄日記」
 「沖縄エロス外伝 モトシンカカランヌー」
 「白百合クラブ東京へ行く」
2019.7.6(土)
 「生命のシンフォニー第3回」 西表島 海と生きる森の物語
 「稲作りの島」
 「浦添ようどれ」
2019.7.7(日)
 「辺野古抄」
2019.7.14(日)
 「米軍が最も恐れた男・カメジロー」

 

 「海辺の生と死」

 「南島残照 女たちの針突(ハジチ)」
2019.7.15(月・祝)
 「聾唖者達の沖縄戦」
 「沖縄スパイ戦史」
 「ナビィの恋」

 

他に見られなかった映画もあったが、よく通いつめたと思う。
来年2020年も、映画祭をやってくれるかなあ…。

| | コメント (0)

2019年12月28日 (土)

【読】今年も総集編(2019年・読書編 -3-)

2019年総集編の読書編の最後は、コミック。

ふだん、コミックを読むことは、ほとんどない。
だが、このコミックだけは、読みたいと思った。

漫画週刊誌に今でも連載しているはず。
私は、単行本の19巻目まで入手。
この後も買い続けることだろう。

野田サトル 『ゴールデンカムイ 1~19』 ヤングジャンプコミックス(YJC)

18巻目まで読了。

ウィキペディアより。
<『ゴールデンカムイ』は、野田サトルによる日本の漫画。明治末期の北海道・樺太を舞台にした、金塊をめぐるサバイバルバトル漫画。『週刊ヤングジャンプ』(集英社)にて、2014年38号(2014年8月21日発売)から連載中[3]。累計発行部数はコミックス第18巻の発売時点で1000万部を突破している。>

 

コミックなので、誇張した表現なのだが、内容はアイヌの民俗・風習をしっかり押さえている。

監修しているのが、アイヌ学者の中川裕さん。
この人が、このコミックを引きながらアイヌ文化について、詳しく解説している本がある。
この本も読みごたえのある良書。

中川裕 『アイヌ文化で読み解く「ゴールデンカムイ」』 集英社新書

 

以下、アマゾンより転載。

【本書の主な内容】
・「カムイ」とはそもそも何なのか?
・世にも恐ろしい魔物たちの伝説
・アイヌは子どもの名前をどのように決めるのか
・超特急! アイヌ語入門
・『ドラゴンボール』そっくり!? アイヌの英雄物語「ユカ(ラ)」徹底解説
・家庭で作れるアイヌ料理
・大人気! 「オソマ」と「チタタ(プ)」にまつわる裏話
・「ゴールデンカムイ」 あの名シーンの背景
・アイヌ語監修の仕事と創作秘話 ほか

【目次】
序章 アイヌ文化に人々を惹きつける「ゴールデンカムイ」の魅力
第一章 カムイとアイヌ
第二章 アイヌの先祖はどこから来たか?
第三章 言葉は力
第四章 物語は知恵と歴史の宝箱
第五章 信仰と伝説の世界
野田サトル先生描き下ろし オリジナル漫画
第六章 「ゴールデンカムイ」のグルメワールド
第七章 「ゴールデンカムイ」名シーンの背景
第八章 アシリパたちの言葉 アイヌ語とは
終章 アイヌ語監修というのは何をやっているのか?
付録 「ゴールデンカムイ」をより楽しむためのブックガイド

【著者略歴】
中川 裕(なかがわ ひろし)
1955年神奈川県生まれ。
千葉大学文学部教授。東京大学大学院人文科学研究科言語学博士課程中退。
1995年、『アイヌ語千歳方言辞典』(草風館)を中心としたアイヌ語・アイヌ文化の研究により、金田一京助博士記念賞を受賞。
野田サトル氏による漫画「ゴールデンカムイ」では、連載開始時から一貫してアイヌ語監修を務める。

| | コメント (0)

【読】今年も総集編(2019年・読書編 -2-)

「読書編 -1-」に書ききれなかった、今年読んで印象に残った本の続き。

ノーマ・フィールド

たしか、『戦争をよむ 70冊の小説案内』(中川成美/岩波新書)で知った、ノーマ・フィールドという女性。
うまく紹介できないので、ウィキペディアから転載する。

<ノーマ・フィールド(Norma M. Field, 1947年 - )は、アメリカ合衆国の日本研究者、シカゴ大学名誉教授。
第二次世界大戦後の東京で、アメリカ人の父と日本人の母の子として生まれる。1974年、インディアナ大学で東アジア言語文学の修士号を取得。1980年に来日し研究。1983年、プリンストン大学で同博士号取得。シカゴ大学に奉職し、東アジア学科教授をへて名誉教授。
夏目漱石の『それから』の英訳(And Then)に続き、『源氏物語』論である『憧憬の輝き』(Splendour of Longing)で注目された。
1988年の再来日の折に昭和天皇の死去に至る日々を体験。ルポルタージュ『天皇の逝く国で』を著し、この著書の日本語訳によって日本でも一般に知られるようになった。>

学者ではあるが、その著作からは、誠実な人柄が伝わって来て、好感が持てる。

ノーマ・フィールド/大島かおり訳 『天皇の逝く国で [増補版]』 みすず書房
ノーマ・フィールド/岩崎稔/成田龍一 『ノーマ・フィールドは語る 戦後・文学・希望』 岩波ブックレット781
ノーマ・フィールド 『いま、<平和>を本気で語るとは 命・自由・歴史』 岩波ブックレット990
ノーマ・フィールド/大島かおり訳 『祖母のくに』 みすず書房
ノーマ・フィールド/大島かおり訳 『へんな子じゃないもん』 みすず書房

上にあげた岩波新書で紹介されていたのが『天皇の逝く国で』
天皇裕仁(昭和天皇)が死去(崩御)したときの日本の状況(自粛ムード)と、天皇制に静かに異議を唱えた三人への取材、それに自らの体験を織り交ぜて論述している。

アマゾンより。
<「自粛」「常識」という社会の抑圧に、抵抗できるか。/登場人物は体制順応という常識に抗った三人の日本人。/沖縄国体で日の丸を焼いた知花昌一、殉職自衛官の夫の靖国神社合祀に反対した中谷康子、天皇の戦争責任を明言して狙撃された長崎市長の本島等。/あれから20年余、増補版のために書かれた新たなあとがきを付す。>

『祖母のくに』『へんな子じゃないもん』の二作は、幼少期、日本で育った著者のおもいでが、温かく綴られていて、よかった。
この三冊は、すっかり気に入ったので、図書館に返却した後で、古本をネットで購入したほど。

 

なお、ノーマ・フィールドについては、このブログにも8月に書いている。
お読みいただけると、うれしい。

【読】ノーマ・フィールド - やまおじさんの流されゆく日々
http://yamaoji.cocolog-nifty.com/blog/2019/08/post-c2c768.html

| | コメント (0)

【読】今年も総集編(2019年・読書編 -1-)

今年の振り返りで、読書編。

毎年、年間100冊読破が目標なのだが、今年も完全に読んだのは70冊ばかり。
まあ、たくさん読めばいいというものでもないのだ、などと、これも毎年の言い訳。

これは面白かった、と、私が感じた本をあげておこうか。

◆小説・ノンフィクション◆
エンタメ系が多い。
面白い小説に出会えた年だった。

深緑野分 『ベルリンは晴れているか』 筑摩書房

第二次世界大戦末期のベルリン、ナチス・ドイツの崩壊直後が舞台の小説。
今年はじめに読んだので、内容はうろ覚え。
アマゾンの紹介文をあげておく。

<総統の自死、戦勝国による侵略、敗戦。何もかもが傷ついた街で少女と泥棒は何を見るのか。1945年7月。ナチス・ドイツが戦争に敗れ米ソ英仏の4カ国統治下におかれたベルリン。ソ連と西側諸国が対立しつつある状況下で、ドイツ人少女アウグステの恩人にあたる男が、ソ連領域で米国製の歯磨き粉に含まれた毒により不審な死を遂げる。米国の兵員食堂で働くアウグステは疑いの目を向けられつつ、彼の甥に訃報を伝えるべく旅出つ。しかしなぜか陽気な泥棒を道連れにする羽目になり―ふたりはそれぞれの思惑を胸に、荒廃した街を歩きはじめる。最注目作家が放つ圧倒的スケールの歴史ミステリ。>

池澤夏樹 『砂浜に坐り込んだ船』 新潮社

池澤夏樹さんは、大好きな作家。
図書館の単行本で読んだ。
池澤さんの著作をまめに追いかけているわけでもないので、たまたま図書館でみつけて借りてきた。

これも、アマゾンの紹介文を。
(以下、アマゾンからの転載部分は<>で括った)

この短編集は、北海道が舞台なのが、うれしい。

<石狩湾で坐礁した、五千トンの貨物船。忽然と砂浜に現れた非日常的な巨体に魅せられ、夜、独り大型テレビでその姿を眺めていると、「彼」の声がした。友情と鎮魂を描く表題作と、県外の避難先から消えた被災者の静かな怒りを見つめる「苦麻の村」、津波がさらった形見の品を想像力のなかに探る「美しい祖母の聖書」ほか、悲しみを乗り越える人々を時に温かく時にマジカルに包み込む全9編。>

 

角幡唯介 『漂流』 新潮社
角幡唯介 『極夜行』 文藝春秋
角幡唯介 『極夜行前』 文藝春秋

これも私の好きな角幡唯介さんの本。
ひとつ目は小説風のノンフィクション。
宮古島の西隣、伊良部島の佐良浜の漁師が主人公。
ここには、昨年11月、小旅行してきたので、臨場感があった。

<奇跡の生還から8年。マグロ漁師を再び海に向かわせたものは何だったのか? 1994年冬、沖縄のマグロ漁師・本村実は、フィリピン人らと共に救命筏で37日間の漂流の後、「奇跡の生還」を遂げた。だが8年後、本村は再び出港し二度と戻らなかった。九死に一生を得たにもかかわらず、なぜ再び海に出たのか? 沖縄、グアム、フィリピンなどで関係者らの話を聞き、漁師の生き様を追った渾身の長編ノンフィクション。>

『極夜行』『極夜行前』の二作は、探検家 角幡さん自身の探検記。
何か月も太陽の光が射さない「極夜」を、犬ぞりで走破しようと悪戦苦闘する姿に感動。

<探検家の角幡唯介氏は、グリーンランド北西部にある地球最北のイヌイット村、シオラパルクに拠点を置き、極夜の中、グリーンランドとカナダの国境付近を四ヶ月かけて探検した。/角幡氏を極夜へと駆り立てたのは、イヌイットの言い伝えで「お前は太陽から来たのか。月から来たのか」と、今から二百年前、初めて部族以外の人間に出会ったイヌイットが発した言葉だという。この一言が角幡氏の心の琴線に触れた。「極夜の世界に行けば、真の闇を経験し、本物の太陽を見られるのではないか」 >

 

真藤順丈 『宝島』 講談社

第160回直木賞受賞作。
図書館では貸出待ち行列ができていたため、自腹で購入。
期待を裏切らず、血沸き肉躍る面白さ。
”本土復帰”を控えたアメリカ統治下の沖縄。
そこで「戦果アギャー」(戦果をあげる者)と呼ばれた、米軍基地からの略奪者たちが描かれ、沖縄の姿が真に迫ってくる。
上質のエンタメ小説。
沖縄の歴史を見直すとばぐちにもなる。

私にとっては、昨年読んだ馳星周『弥勒世』に匹敵する、今年読んだ最高傑作。

 

服部小雪 『はっとりさんちの狩猟な毎日』 河出書房新社
服部文祥 『百年前の山を旅する』 山と渓谷社

服部小雪さんは、服部文祥さん(冒険家というのか)の奥さま。
服部家の、世間とはちょっとズレている生活(狩猟とか、屠畜とか)がユーモラスに描かれている。
挿絵もいい。まるで絵本のような。
『百年前の山を旅する』は、だいぶん前に購入したまま読んでいなかった。
”サバイバル登山”を標榜している服部文祥さんの、ワイルドな登山記。
山好きな私には、たまらなかった。

 

葉真中顕(はまなか・あき) 『凍てつく太陽』 幻冬舎

図書館本。
この作家を読むのは初めて。
終戦間際の北海道(室蘭あたり)を舞台に、アイヌの青年(特高警察官)と同僚をめぐり、ミステリアスな展開。
結末のどんでん返しは、まさに、ネタバレ注意。
謎解きの面白さがあったが、タネを知ってしまったので、再読できない。
これも、私のおすすめ。

 

中島京子 『夢見る帝国図書館』 文藝春秋

今年の新刊。
たしか、新聞の書評で知って、読んでみようと思った。
図書館本。

「図書館が主人公の小説を書いてみるっていうのはどう?」
作家の〈わたし〉は年上の友人・喜和子さんにそう提案され、帝国図書館の歴史をひもとく小説を書き始める。もし、図書館に心があったなら――資金難に悩まされながら必至に蔵書を増やし守ろうとする司書たち(のちに永井荷風の父となる久一郎もその一人)の悪戦苦闘を、読書に通ってくる樋口一葉の可憐な佇まいを、友との決別の場に図書館を選んだ宮沢賢治の哀しみを、関東大震災を、避けがたく迫ってくる戦争の気配を、どう見守ってきたのか。/日本で最初の図書館をめぐるエピソードを綴るいっぽう、わたしは、敗戦直後に上野で子供時代を過ごし「図書館に住んでるみたいなもんだったんだから」と言う喜和子さんの人生に隠された秘密をたどってゆくことになる。・・・

しんみるする、意外な結末。

 

帚木蓬生(ははきぎ・ほうせい) 『三たびの海峡』 新潮文庫
帚木蓬生 『逃亡(上)(下)』 新潮文庫

この作家も、私は初めて。
(現代の人気作家に、あまり馴染みがなかったのだろう)

『三たびの海峡』は、三國連太郎主演の映画で有名らしい(私は観ていない)。
かなり前に出版された小説。
朝鮮半島からの徴用工(強制連行)が主人公。
九州の炭鉱で実際にあったことに、驚く。
知らなかったことが多すぎる。

 

Facebookにこの本のことを書いたところ、FB友達から教えてもらったのが『逃亡』という小説。
これも、戦後すぐ、中国からの引き揚げ、元憲兵の逃避行が描かれていて、重い内容だった。

1945年8月15日、日本敗戦。国内外の日本人全ての運命が大きく変わろうとしていた――。香港で諜報活動に従事していた憲兵隊の守田軍曹は、戦後次第に反日感情を増す香港に身の危険を感じ、離隊を決意する。本名も身分も隠し、憲兵狩りに怯えつつ、命からがらの帰国。しかし彼を待っていたのは「戦犯」の烙印だった……。「国家と個人」を問う日本人必読の2000枚。柴田錬三郎賞受賞。

 

馳星周 『蒼き山嶺』 光文社
馳星周 『美ら海、血の海』 集英社文庫
馳星周 『約束の地で』 集英社
馳星周 『神(カムイ)の涙』 実業之日本社

12月になって、馳星周さんの小説を立て続けに読んだ。
昨年読んだ『弥勒世(みるくゆー)』に圧倒されて、この作家に興味をもった。
ただ、作品のテーマ・味わいが多岐にわたっていて、食指が動かない作品も。

そのなかでも、扱っているテーマが、山岳、沖縄戦、アイヌといった作品を選んで読んだのだった。
(『約束の地』だけは、家族、家庭内暴力、痴呆などを扱った、現代的な重い内容だったが)

『蒼き山嶺』
北アルプスの白馬連山を舞台にした山岳小説。
それなりに面白かったが、主人公の超人的なパワー(雪山を人と荷物を背負って延々と歩く)は、ちょっと現実離れしていはしないか。
鼻白む感あり。

『美ら海、血の海』
沖縄戦で血のにじむ体験をした、鉄血勤王隊の少年が主人公。
沖縄戦の地獄の様相が鬼気迫る。
歴史を正しく認識するためにも、こういう小説が読まれるといいと思う。
沖縄戦についてはノンフィクションの記録も多いが、小説(フィクション)ならではの真実がある、というのが私の持論。

『約束の地で』
上に書いたとおり。
登場人物たちが連鎖する、5つの連作短編。
身に迫る。

『神(カムイ)の涙』
題名から連想されるように、北海道の道東地方が舞台。
アイヌの老人(木彫作家、元猟師)と孫娘、そこに、木彫りの弟子になりたいと訪ねてきた青年。
この三人の意外な関係、青年の過去が、だんだんと明かされてくる。
ストーリーにひねったところはない。
ストレートに胸に響く内容。

 

| | コメント (0)

【楽】今年も総集編(2019年・ライブ編 -その4-)

今年、2019年に通った音楽ライブイベント。
西川郷子さん、山崎ハコさん、MOTEL(須藤もん&対馬照)の三人(三組)については、すでに書いた。
これ以外のライブについても書いておこう。

中川フォークジャンボリー

国立に「ギャラリービブリオ」というギャラリー・イベントスペースがある。
さまざまな展示・イベントが行なわれているが、ここで、年に5回ほど開かれる「中川フォークジャンボリー」。
中川五郎さんの企画なので、「中津川フォークジャンボリー」をもじって、こんなタイトルが付けられている。
毎回、五郎さんの知り合いのミュージシャンを招いて、2時間ほど、トークと演奏をする。
司会は、書評家・ライターの岡崎武志さん。

今年は、このイベントに2度、参加した。

Nakagawafolk

2019.9.7(土) 国立「ギャラリービブリオ」 第27回
 ゲスト:スーマー

20190907-204508_s

スーマーさんのライブは、2月のMOTELライブのとき以来、今年2度目。
ここは畳の部屋、座椅子に座って聴くスタイル。
演奏者も聴衆もリラックスできる。
この夜は、はじめて打ち上げにも参加した。
前回のライブ会場では品切れだったアルバム「ミンストレル」を入手。

2019.11.11(月) 国立「ギャラリービブリオ」 第28回
 ゲスト:いとうたかお

20191111-210851_s

いとうたかおさんは、以前から名前を知っていたが、演奏を聴くのはこれが初めて。
すてきな音楽で、ファンになってしまった。
著書とCDを購入。
上の写真、左が中川五郎さん、右がいとうたかおさん。

閔栄治(ミン・ヨンチ)

韓国の国楽(伝統音楽)演奏者、閔栄治(ミン・ヨンチ)さん。
上々颱風とも縁があり、西川郷子さんとも親しいと聞く。
大久保の「文化センター・アリラン」でライブがあることを知り、行ってみた。

2019.3.2(土) 大久保「文化センター・アリラン」
 閔栄治(チャング、テグム、他)

Min_yonchi

20190302-150327_s

上の演奏写真の楽器は、韓国の両面太鼓「チャング(チャンゴとも言う)」。
西川郷子さんが上々颱風で、この楽器を演奏していた(「鳥の歌」が有名)。
閔さんは、この日、横笛(テグム、と言ったか)や、チャルメラに似た楽器(テビョンソ)など、さまざまな韓国の楽器を演奏。
これもやはり西川郷子さんがよく演奏で使う打楽器「ケンガリ」も演奏してくれた。
なかでも、二本の撥(ばち)で演奏するチャングの超絶技巧には、圧倒された。
得難いライブだった。

白崎映美

上々颱風のツインボーカルの一人。
(もう一人は西川郷子さん)
数年前からバンドとしての活動を休止しているが、6人いるメンバーは、それぞれ独自の活動を続けている。
(リーダーの紅龍、キーボードの猪野陽子、ベースの西村直樹、ドラムスの渡野辺マント、そしてボーカルの二人。敬称略)

その白崎映美さんが出演するイベントが、上野の水上音楽堂であった。

2019.5.31(金) 上野 水上音楽堂「風車(かじまやー)の便り 戦場ぬ止み音楽祭2019」
 白崎映美、他多数(͡古謝美佐子、佐原一哉、渋さ知らズオーケストラ、等々)

20190531-152447_s

沖縄在住の彫刻家 金城実さんも、飛び入りでステージにあがったりして、面白いイベントだった。

山下洋輔、ロバの音楽座

立川の市民会館「RISURUホール」で、山下洋輔さんとロバの音楽座のコンサートがあると知り、妻とふたりで行った。

2019.6.2(日) 立川「RISURUホール」
 山下洋輔、ロバの音楽座 「もけらもけら」

20190602-140125_s

ロバの音楽座は、古楽器演奏のユニークなグループ。
立川をベースに活動している。
以前住んでいた立川の団地の近くに、ロバの音楽座の本拠地(ライブスペース)があるのだが、一度も行ったことがない。
このグループ、ずっと気になっていた。
山下洋輔さんとの共演ということで、ぜひ行ってみたかったコンサート。
ステージ写真は撮れなかったが、楽しいライブだった。
「もけらもけら」とは、山下さんの絵本の題名。
この絵本にちなんだ共演もあった。

AYNU RUTOMTE

新大久保にあるアイヌ料理店「ハルコロ」の店主、宇佐照代さんが率いるグループ。
アイヌの伝統芸能(歌と踊り)を伝承している。
宇佐さんは、地元の公民館での講座に講師として招かれていた(2019.2.14)。
私も、この連続講座に参加して、この方を知った。
お店「ハルコロ」にも、講座参加者といっしょに行って、アイヌ料理をいただいた。

2019.5.26(日) 八王子庁舎前 浅川河川敷広場 「第12回 みんなちがってみんないい」

20190526-132123_s

多摩川の支流、浅川の河川敷で毎年開かれている野外イベント。
私は、今年で3回目の参加。
入場無料、たくさんのテントが並び、東西の両ステージ(といっても地べた)で、さまざまな演奏が繰り広げられる。
このグループでは、ちいさな、宇佐さんのお嬢さんが、かわいらしかった。
(公民館の講座にも、おかあさんといっしょに来て、歌と踊りを披露していた)

今年、他にもたくさんのイベント(映画祭など)に参加した。
全部掲載するのもホネなので、今年は、ここまで。

| | コメント (0)

2019年12月27日 (金)

【楽】今年も総集編(2019年・ライブ編 -その3-)

2019年に通ったライブ。
その第3弾。

MOTE(須藤もん&対馬照)

古くからの私の友人、須藤もんさんと、その夫君の対馬照さん。
この夫婦(めおと)ユニットがMOTEL。
「須藤もんの”も”と、対馬照の”てる”、ふたりあわせてモーテル」ということだ。

今年は、あまり行けなかったな。

2019.2.23(土) 国分寺「giee(ギー)」
 スーマー(vo,g,banjo)
 MOTEL

20190223-1920251_s

スーマーさんの演奏がよかった。
MOTELの二人の演奏写真、いいものがないので、須藤もんさんの写真とスーマーさんの写真。

20190223-203402_s 20190223-2119031_s

スーマーさんのアルバムを、何枚か購入。

2019.7.20(土) 国分寺「giee(ギー)」
 スワンピータケシ&杉本“Q”仁美
 MOTEL

MOTELの友人夫妻、大阪からいらした「スワンピータケシ&杉本“Q”仁美」とのジョイント。
須藤もんさんと、Qちゃん(フィドル、ブルースハープ)が、もんさんの「キャラバン」を歌った。
Qちゃんのバックがあると、この曲もずいぶん違って聞こえる。
すてきな演奏だった。

20190720-215142_s

写真は、出演者全員でのフィナーレ。

2019.9.16(月) 所沢「MOJO」
 野澤享司 with ながはら元
 MOTEL
 OA:竹川天志郎

所沢の、初めて行くライブハウスへ、夫婦で出かけた。
野澤享司さんは存じあげていたが、ながはら元さん(パーカッション)の演奏を聴くのは初めて。
圧倒された。
私はパーカッションが好きなんだな、と、あらためて思う。

20190916-195305_s 20190916-211301_s

2019.11.17(日) 福生「カフェ・ド・ノエル」
 sleepy and Yuzo
 MOTEL

共演のsleepyさんとYuzoさん(サックス)の演奏がよかった。
ひさしぶりに、サックスの演奏を聴いた。
テナー、アルト、ソプラノ、ソプラニーノ、それともうひとつの電子楽器を使い分けて、みごとな演奏。

20191117-185511_s

写真は、MOTELとslepyさん(ブルースハープ)で「めし」(だったと思う)。

2019.12.1(日) 国立「奏」
 MOTEL ソロライブ

10年ほど前まで、この「奏(そう)」で、よく演奏していた。
PAなしの生音。
木の内装で、音の響きのいい店だ。
ここも、夫婦で出かけた。
いい雰囲気のライブだった。

20191201-203105_s

今年は、これだけしか行けなかった。

MOTELの二人のウェブサイトに、ライブスケジュールが掲載されている。

MOTEL(須藤もん&対馬照) 公式ウェブサイト
http://motelrecords.jp/

須藤もんさんのアルバム 「隧道」

 

| | コメント (0)

【楽】今年も総集編(2019年・ライブ編 -その2-)

今年2019年に通った音楽ライブ。
第2弾は、山崎ハコさん。

ハコさんを聴き始めたのは、彼女のデビューアルバム「飛・び・ま・す」が発売された翌年だっただろうか。
はっきり憶えていないが、1976年頃だったと思う。
2枚目のアルバム「望郷」と「飛・び・ま・す」をレコードで購入。
すっかりファンになってしまった。

2001年1月1日、ハコさんはギタリストの安田裕美さんと結婚・入籍。
以来、安田さんを伴奏者として、ご夫婦でライブなどの音楽活動を続けている。

今年1月、珍しく2回、ハコさんのホールコンサートに行った。
その後、5月のバースデイライブ、6月の豊橋ライブ、7月には新宿花園神社での椿組の芝居(ハコさんが主題歌を生演奏)、12月の大塚でのクリスマスライブと、けっこう通った年だった。

山崎ハコさん

2019.1.7(月) 川越「やまぶき会館」
 山崎ハコ(vo,g)、安田裕美(g)

20190107-174132_s

川越音楽という団体主催のホールコンサート。
この会の例会のようなライブで、ハコさんのファン以外のお客さんも大勢詰めかけて、盛況だった。

2019.1.23(水) 東村山「東村山市立中央公民館」
 山崎ハコ(vo,g)、安田裕美(g)

20190123-174153_s

1月7日と同じようなライブで、所沢労音主催の「例会」。
デビュー後の数年、ハコさんがまだ事務所に所属していた頃は、こういうライブコンサートが多かったと記憶する。
ただ、当時と違うのは、安田裕美さんの伴奏を得て、あるいは、事務所のくびきから解放されて明るくなったハコさんのMC(トーク)が聴けるようになったこと。
昔は、ステージでほとんど喋ることなく、客席もシーンと静まって緊張していたっけ。
この日は、珍しく、私の妻も同行(自宅から近いこともあって)。
ふたりでいい音楽を聴くことができて、よかった。

2019.5.13(月) 渋谷「渋谷区文化総合センター大和田 伝承ホール」
 山崎ハコ(vo,g)、安田裕美(g)

5月18日の誕生日前後に、ハコさんは毎年、バースデイライブを開いている。
今年は、13日、渋谷の古典芸能も上演できるホールで、凝った構成のライブ。
たしか、一昨年もここだったと思う。
昨年のバースデイライブに、私は行っていない(はず)。

【雑】2017年の思い出 (2): やまおじさんの流されゆく日々
http://yamaoji.cocolog-nifty.com/blog/2017/12/2017-2-c328.html

今年のこの日の写真は見当たらない。

2019.6.15(土) 豊橋「穂の国豊橋芸術劇場 プラット」
 山崎ハコ(vo,g)、安田裕美(g)

20190615-172003_s

ここ数年、豊橋在住のハコさんファンが主催しているホールコンサート。
昨年は、妻と一緒に行ったが、今年は一人で。
打ち上げにも参加させてもらった。
残念なことに、豊橋でのライブは、今年が最後になったようだ。
ファン主催のライブなので、会場もいい雰囲気だった。

2019.7.22(月) 新宿花園神社「椿組公演 芙蓉咲く路地のサーガ」

中上健次原作の芝居で、ハコさんは主題歌(エンディングテーマ)「ふようのうた」を歌った。
濃厚な芝居、週末のカタルシスのシーンで、ハコさんの歌が流れ、舞台に登場。
かっこよかったなあ。

20190722-1743571_s 20190722-214359_s

右の写真は、終演後の舞台あいさつに並んだハコさん。
この日が、千穐楽だったし、撮影OKだったので撮らせてもらった。

2019.12.23(月) 大塚「Hearts Next」 クリスマスライブ
 山崎ハコ(vo,g)、安田裕美(g)

20191223-165235_s 20191223-184254_s

ここも、例年、クリスマス前後にライブをしている、ライブハウス。
私は、ひさしぶりのハコさんのライブハウスだった。
やはり、ホールよりも、こういうライブハウスの方が、客席との距離が近いせいか濃厚なライブになる。
ハコさんのMCに、客席の笑いが絶えない。
集まったファンの熱い思いが会場に充満する。
今年最後のハコさんのライブが、ここでよかった。

今年、それほどの回数を行かれなかったけれど、来年も追いかけよう。
ニューアルバム、出ないかなあ。

山崎ハコさんの公式サイト 「山崎ハコの世界」
http://www.hako.esy.es/

 

| | コメント (0)

【楽】今年も総集編(2019年・ライブ編 -その1-)

今年もあと数日。
毎年、年末の今頃、一年を振りかえってみる。
今年は、ずいぶんたくさん、ライブに通った気がする。

西川郷子さん
 星ノ飛ブ夜(小澤あきさん、関根真理さんとのバンド)
 歌弦萬西西屋(西村直樹さんとのユニット)
 ニシカワMeetsフォーク(フォーク者イサジ式さんとのユニット)

今年ほど、西川郷子さんが主催するライブに通いつめた年はなかった。
三種類のバンドで活動しているが、それぞれ個性豊かな音楽を聴かせてくれる。
どのバンドも、私は好きだ。
「星ノ飛ブ夜」(バンド名)では、年末に初のレコーディング、年明けにはアルバム発売。
いつもライブで聴いている曲が、どのように収録されているか、いまから楽しみだ。

2019.1.12(土) 自由が丘「マルディグラ」
 ニシカワ Meets フォーク
 フォーク者イサジ式(g,vo)、西川郷子(vo)

20190112-175626_s

今年最初の西川さんのライブ。
イサジさん(フォーク者イサジ式)とのかけあいが楽しい、このユニット。
このユニットでしか聴けない、イサジさんのオリジナルやカヴァー曲の数々。
ライブ回数こそ少ないが、年に何度か、このユニットの音楽が聴けるしあわせ。

2019.2.24(日) 千歳烏山「TUBO」

 紅龍(g,vo)、永田雅代(p)、西川郷子(vo)
 上々颱風(現在、活動休止中)の紅龍さんのライブに出演

20190224-164008_s

永田さんのピアノ伴奏で聴く西川さんの歌が新鮮だった。
紅龍さんのオリジナル曲の他にも、上々颱風の懐かしい歌が聴けた。
演奏中の写真は遠慮して撮らなかった。

2019.4.27(土) 仙川「niwa-coya」
 星ノ飛ブ夜
 西川郷子(vo)、小澤あき(g)、関根真理(perc)

20190427-162642_s 20190427-163111_s

仙川駅から住宅地を歩いた先、桐朋学園の裏手にある雰囲気のある店でのライブ。
PAを使わない生音、こぢんまりした空間で聴く「星ノ飛ブ夜」バンドの音楽が心地よかった。

2019.5.11(土) 自由が丘「マルディグラ」
 ニシカワ Meets フォーク
 フォーク者イサジ式(g,vo)、西川郷子(vo)

20190511-180655_s

1月に続いて、イサジさん(フォーク者イサジ式)とのライブ。
演奏の曲間に、私のタブレットがピーピー鳴り出して、緊急地震速報に驚いたのは、この夜だっただろうか。
記憶があいまい。

2019.6.8(土) 国分寺「giee(ギー)」
 星ノ飛ブ夜
 西川郷子(vo)、小澤あき(g)、関根真理(perc)

20190608-201205_s

これが二度目のgieeでのライブ。
超満員、いいライブだった。
会場の熱気で酸欠気味になるほど。

2019.6.29(土) 豪徳寺「ストーブ」
 歌弦萬西西屋(うたげんよろずにしにしや)
 西川郷子(vo)、西村直樹(b)

20190629-184145_s

上々颱風のベーシスト 西村直樹さん(にしやん)とのユニット。
ウッドベース(ときにエレキベース)一本だけの伴奏と、西川さんの歌・鳴り物。
シンプルな構成で深い音楽を奏でる。
やはり、このユニットでしか聴けない曲も多く、私も含めてファンが多い。
豪徳寺「ストーブ」では、よくライブを開いている。

2019.7.21(日) 千歳烏山「TUBO」
 星ノ飛ブ夜
 西川郷子(vo)、小澤あき(g)、関根真理(perc)

20190721-192936_s

この店は、ビルの二階にありながら、エレベーター完備、完全バリアフリー。
ステージ、客席ともに広く、いい雰囲気のライブスペースだ。
カウンター席から写真を撮らせてもらった。
このバンド、西川さんがいちばん力を入れているのではないだろうか。
オリジナル曲、カヴァー曲、とりまぜて、このバンドならではの響きを聴かせてくれる。
小澤あきさんのギター、関根真理さんのパーカッションとの、あうんの呼吸。
このバンドでは初めてとなるアルバム発売に期待が高まる。

2019.8.30(金) 下北沢「ラカーニャ」
 星ノ飛ブ夜
 西川郷子(vo)、小澤あき(g)、関根真理(perc)

20190830-205552_s

老舗ライブハウス「ラカーニャ」でのライブ。
最前列に陣取って、写真を撮らせてもらった。
(西川さんには、写真撮影の許可をその都度とっていないが、なんというか暗黙の了解)

2019.9.15(日) 新宿「無荷有(むかう)」
 歌弦萬西西屋(うたげんよろずにしにしや)
 西川郷子(vo)、西村直樹(b)

20190915-162317_s

新宿駅南口・東口から歩いてすぐの場所、ビルの外階段を昇った三階にあるイベントスペースでのライブ。
飲食物は出ない、純粋なライブスペース。
気持ちのいい空間だ。
PAを使うが、聴きやすくて、うっとりする。

2019.9.23(月) 西荻窪「CLOP CLOP」
 星ノ飛ブ夜
 西川郷子(vo)、小澤あき(g)、関根真理(perc)

20190923-172714_s

上々颱風と縁の深かった、古澤良次郎さん(惜しくも亡くなられた)の馴染みの店。
平日とあって、お客はそれほど多くなかったが、濃密なライブだった。
西荻南口界隈、面白い場所だ。
店内には古澤良次郎さんに縁(ゆかり)のポスターやらグッズが。

2019.10.20(日) 横須賀三笠公園「ピースフェスティバル」
 ニシカワ Meets フォーク
 フォーク者イサジ式(g,vo)、西川郷子(vo)

20191020-123920_s

横須賀の三笠公園で開かれたイベントに出演。
他には、ジンタラムータ、中川五郎さんが出演。
青空の下の野外ステージに広がる音楽が心地よかった。
横須賀は西川さんの出身地。
横須賀のライスハウスで、私は二度、星ノ飛ブ夜のライブも聴いている。
地元ならではの話も聞けた。

2019.10.26(土) 千歳烏山「TUBO」
 歌弦萬西西屋(うたげんよろずにしにしや)
 西川郷子(vo)、西村直樹(b)

20191026-191232_s

西川さんのお知り合いが主催したライブ。
その方は、重度の障がいを持った方で、電動車いすで介助の方といっしょに来場していた。
主催者のリクエストで、懐かしいポピュラーソング(日本語歌詞は西川さん)を何曲か。
いつも思うのだが、西川さんが歌うカヴァー曲、どれも自家薬籠中の物になっていて、感心する。
和気あいあい、いいライブだった。

2019.11.9(土) 新宿「無荷有(むかう)」
 ニシカワ Meets フォーク
 フォーク者イサジ式(g,vo)、西川郷子(vo)

20191109-185358_s

9月に西村直樹さんとライブした場所で、今度は、イサジさんと。
(フォーク者イサジ式、というのが正式な芸名だが、イサジさんと呼ばせてもらう)
いつものように、前半はイサジさんのソロステージ、後半、西川さんとユニットで。
これも、忘れられないライブだ。

2019.11.18(月) 高円寺「抱瓶(だちびん)」
 星ノ飛ブ夜
 西川郷子(vo)、小澤あき(g)、関根真理(perc)

20191118-204508_s

高円寺北口、沖縄居酒屋で開かれた投げ銭ライブ。
西川さんのライブでは珍しい。
予約なしでも聴くことができたが、予約して行った。
私は酒を飲まないので、さんぴん茶と料理でしのぐ。
熱いライブだった。
琉球衣装の店員がノリノリ、お客さんのノリも、他でのライブとはちがって、楽しかった。
このお店ならではの、沖縄の歌も数曲あり。
また、ここでやってもらいたい。

2019.12.21(土) 豪徳寺「ストーブ」
 歌弦萬西西屋(うたげんよろずにしにしや)
 西川郷子(vo)、西村直樹(b)

20191221-183449_s

西川郷子さんの、今年最後のライブ。
1月から2月にかけて、このユニットで関西ツアーが予定されているそうだ。
名古屋、大阪、犬山(ふう)。
さすがに関西までは追いかけられない。
犬山「ふう」には、いつかお邪魔したいとは思っているが。

・・・とまあ、今年、足を運んだ西川郷子さんのライブだけで、これだけのボリュームになってしまった。
他にもライブに行ったのだけれど、それはまた、別の投稿で。

***

西川郷子
ボーカリスト。音楽集団 上々颱風(しゃんしゃんたいふーん)に長く参加。スタジオジブリ映画、平成たぬき合戦ぽんぽこ の音楽担当など。同バンドは現在休止中。現在は自身のオリジナルを演奏するバンド、星ノ飛ブ夜で主に活動。夕刻の海辺の国道、朝まだきの路地裏など、風景を思い起こさせる歌詞世界を、独特な旋律と声で紡ぐ。翻って、深いグルーブ、パーカッシブな激しさも合わせ持つ。
(遠藤雅美さんの2019.11.3ライブにゲスト出演したときのチラシより転載)

西川郷子さんのブログ 「hoshitobi3838のブログ」
https://ameblo.jp/hoshitobi3838/

西川郷子さんのソロ・アルバム 郷音 hibiki」

 

 

| | コメント (0)

2019年11月 8日 (金)

【遊】北海道旅行2019年11月 (4)

11月1日から5日までの、北海道旅行。

◆2019年11月5日(火)
 小樽~新千歳空港~羽田空港

ライブ最終日の小樽「なまらや」で、深夜まで打ち上げ。
そのままお店の2階に泊めていただき、翌朝、小樽駅へ。
先に新千歳空港へ向かう友人夫妻と共演のI氏を見送り、荷物をコインロッカーに預けて、小樽市街を散策した。

20191105-0939121_s 20191105-1000221_s

20191105-100310_s

数年前にも立ち寄った「金融資料館」を見学。

20191105-101044_s 20191105-104214_s

この建物の外壁に飾られているレリーフが、シマフクロウだったことを知る。

20191105-102815_s

新千歳空港では、温泉に入った。

20191105-135650_s

羽田へ向かう機内から。
窓際の席から、きれいな夕焼けを眺める。
羽田に近くなると、遠くに富士山のシルエットも見えた。

20191105-165400_s 20191105-171150_s

20191105-171622_s

 

 

| | コメント (0)

【遊】北海道旅行2019年11月 (3)

11月1日から5日まで、4泊5日の北海道旅行。

4日目は、このライブツアー最後の会場、小樽「なまらや」。
芦別「貘(ばく)」と共に、私が楽しみにしている店だ。

◆2019年11月4日(月・祝)
 芦別~小樽

毎回立ち寄るようになった、小樽築港駅のショッピングモールにある回転寿司。

20191104-125629_s 20191104-133400_s

小樽駅からバスですぐの場所にある「なまらや」。

20191104-161638_s 20191104-161547_s

「なまらや」の前から見えた、夕暮れの風景。

20191104-170437_s

 

| | コメント (0)

【遊】北海道旅行2019年11月 (2)

11月1日から5日にかけての北海道旅行。
その続き(滞在2日目と3日目)。

◆2019年11月2日(土)
 札幌~芦別

札幌駅前のバスターミナルから、高速バスで芦別へ。

いつも立ち寄る旭川ラーメンの店で昼食。
私は、味噌チャーシュ麺をいただく。

20191102-133528_s 20191102-134837_s

芦別のライブ会場「珈琲 貘(ばく)」
店名は、高田渡さんのアルバムタイトルから。
店のロゴも、渡さんの許諾を得て、アルバムジャケットと同じデザイン。

20191102-170412_s

店内壁面に飾られている、山崎ハコさんのファーストアルバムのジャケット。

20191102-223528_s

◆2019年11月3日(日)
 芦別~札幌

高速バスの車窓から。
写真は撮れなかったが、遠く、雪をかぶった暑寒別岳が見えた。

20191103-115158_s

この夜のライブは、札幌市内の「SALINAS」

20191103-173606_s

 

 

| | コメント (0)

【遊】北海道旅行2019年11月(1)

11月1日から5日まで、4泊5日で北海道に行ってきた。

長いつきあいの友人夫妻「MOTEL(須藤もん&対馬照)」のライブツアーに同行。
行き帰りの飛行機こそ別だったが、北海道では、ほぼいっしょに行動した。

ライブの様子は、Facebookにあげたので、ここでは、私の単独行動で撮った写真を掲載しておこう。

◆2019年11月1日(金)
 羽田空港~新千歳空港~札幌(北大構内散策)

20191101-105932_s

札幌駅に荷物を預けて、北口から少し歩き、北大構内を歩いてみた。

20191101-135126_s 20191101-1401021_s

北大博物館に入ってみた。

20191101-1406291_s 20191101-140726_s

20191101-142506_s 20191101-1428471_s

20191101-1426541_s 20191101-1429261_s

博物館の売店には、食指を動かされるグッズがいろいろ。
買いたいきもちをぐっとこらえて、知里真志保の新書版書籍だけ購入。

20191101-141534_s

この日のホテルに入り、夕方、ライブ会場「Jack in the box」へ向かう。
スープカレーの店。
いただいた野菜カレーがおいしかった。

20191101-175046_s

20191101-1809471_s

 

| | コメント (0)

2019年8月23日 (金)

【読】朝鮮戦争・朝鮮分断の起源

8月12日から、途中、中断もあったが、読み続けている本。
たしか、地元の図書館にリクエストして入れてもらった、新刊。

西村秀樹 『朝鮮戦争に「参戦」した日本』 三一書房 (2019/6/25) 319ページ

 

朝鮮戦争当時、大阪で発生した「吹田枚方事件」を詳細に追跡した内容だが、朝鮮戦争、それ以前の(日本敗戦後の)朝鮮半島の南北分断に至った歴史経緯が、綿密に検証されている。
第二部 朝鮮戦争と日本 第五章 なぜ朝鮮は分断されたのか、なぜ日本は分断されなかったのか P.84~P.105

その内容を忘れないように、テキストファイルに文字入力してみた。
ほぼ原文の書き写し(できるだけ箇条書きになるよう心掛けたが)。

歴史認識が喧伝される昨今、いわゆる慰安婦問題、徴用工問題の遠因を考えるために、公正な歴史認識が必要だと思う。
私も知らなかったことが多く、自身の歴史認識の整理が、少しはできたかな、と思う。

以下、長文。

西村秀樹 『朝鮮戦争に「参戦」した日本』 三一書房 (2019/6/25) 319ページ 【東大和市立図書館】
2019/8/12~

第二部 朝鮮戦争と日本
第五章 なぜ朝鮮は分断されたのか、なぜ日本は分断されなかったのか P.84~105

■朝鮮戦争の二つの要素
・国際的要素・・・第二次世界大戦末期からの朝鮮半島をめぐる米ソの勢力抗争
・国内的要素・・・統一朝鮮国家の指導権をめぐる半島内部の対立
二つの要素が交錯、融合した典型的な「国際内戦」
戦後日本の針路に決定的な影響を与えた (神谷不二『朝鮮戦争』中公文庫・1990)

■ドイツの東西分割・・・戦前の領土の四分の一の面積がポーランドに編入
「ある日、私のクラスの学生が手を上げて、どうして挑戦は45年に分割されたのか、なぜ日本はドイツのように分割されなかったのか」
「そのときは言葉を失ってしまった。その方が『正当な』解決策であったのだ。日本人はこんなことを聞きたくないと思うが、朝鮮よりも日本を分割する方が正当な処置であったはずだ。
(ブルース・カイングス『朝鮮戦争の起源』シアレヒム社・1989-91)

■なぜ朝鮮が分断されたのか
アメリカ政府の軍部は、日本を四分割する計画をもっていた。 (五百旗頭真『米国の日本占領政策』中央公論新社・1985)
このプランにアメリカ国務省が反対、日本の領土は三分割された。
・連合国軍最高司令官兼アメリカ太平洋陸軍総司令官マッカーサー元帥による北海道、本州、四国、九州の占領
・アメリカ太平洋方面(海)軍総司令官ニミッツ提督による琉球列島、小笠原諸島の占領
・ソ連極東軍総司令官ワシレフスキー元帥による「北方領土」(樺太、千島)の占領
(竹前栄治『占領戦後史』岩波書店・1980/1992)

■米国は日本の朝鮮支配を承認していた
黒船来航(1853)~日米和親条約締結(1854)
明治維新(1868)
日清戦争(1894-95) 朝鮮半島の支配権をめぐる清との戦争
日露戦争(1904-05) 中国・遼東半島、満州鉄道の利権をめぐるロシアとの戦争
アメリカが帝国主義路線に踏み出した時期
・キューバに対する覇権争いと独立をめぐるスペインとの戦争(1898)に勝利
・同時期、国王フェリペ二世ゆかりの島国スペイン領フィリピンでの米比戦争を鎮圧
 フィリピンを植民地として支配、宗主国となる
桂=タフト協定(秘密協定・1905/7)
セオドア・ルーズヴェルトの特使・陸軍長官タフトがフィリピンに向かう途中、日本を訪れ、当時の総理大臣兼外務大臣・桂太郎と面談、秘密協定を結ぶ
(1)日本はアメリカのフィリピン当地に同意し、同地に何らの野心もない
(2)極東平和のため日英米三国の好意ある理解が必要
(3)アメリカは、韓国(大韓帝国)に対する日本の保護監督権を承認する
「この協定は、この直後締結された日英同盟改訂、日露講和条約とともに日本の韓国保護国化を列強が保証したものであった」
(『岩波日本史辞典』)

■乙巳(いっし)条約と韓国
乙巳条約(第二次日韓協約)・・・韓国の外交権を奪って保護国とし、総督府を置く(1905)
アメリカはソウルの公使館を閉鎖(1905/11)
以後、36年間、アメリカは日本の朝鮮支配を承認、朝鮮独立運動へのサポートを抑制
韓国併合、植民地化(1910)
※「併合」=二つ以上のものをあわせて一つにすること。(類語として)統合・合併・合一・合体・合する
(三省堂『現代新国語辞典』)
外務省の政務局長倉知鉄吉が「其語調の余り過激ならざる文字」を目的に新たに作った言葉。
「この新語はオーストリア・ハンガリー帝国のように対等の連邦国家のように誤解する人もいたが、韓国が全然廃滅に帰して(大日本)帝国の領土の一部となる意を明かす」ためだと覚書に記載。(倉知鉄吉は、当時の対韓政策の原案を作成)

■韓国併合条約
カタチの上では、韓国の皇帝が日本の天皇に併合を申し出て、日本の天皇がこれを受け入れた「任意」を装っているが、実態は、日本が軍隊・警察をつかって徹底的に弾圧した結果だ
ソウルの西大門(ソデムン)刑務所跡地にある「歴史館」には、かつての政治犯が受けた扱いが展示されている
西大門刑務所歴史館 | 観光-ソウルナビ https://www.seoulnavi.com/miru/24/

■朝鮮は日本の鏡
黒船来航(砲艦外交)~鎖国から開国へ~明治維新
日本は中国(清国)の冊封国朝鮮の支配を意図
征韓論(1873)・・・ベクトルが逆の砲艦外交で開国させる(江華島事件・1875)
日清戦争、日露戦争も原因は朝鮮、満州=中国東北部
日清戦争、三国干渉
遼東半島を清国に返還、ロシアが大連・旅順の租借権などを獲得、満州に軍隊駐留
日露戦争
日本海戦でからくもロシア艦隊を破る
日ロ双方の事情(日本:財政上の問題、ロシア:革命運動の激化)から、セオドア・ルーズヴェルトの斡旋を受け入れ、ポーツマス講和条約締結
結果、朝鮮の植民地化、遼東半島の租借権、満州の鉄道利権を手に入れる
明成(ミョンソン)皇后(=閔妃)暗殺事件(1895)

■「満州国」
韓国併合をアメリカは承認
満州事変(1931)
満州国樹立(1932)
リットン調査団報告
国際連盟脱退
日中戦争始まる(1937)
「大東亜戦争」(1941)

■ソヴィエト連邦の対日政策
社会主義国ソヴィエト連邦を仮想敵国とし、ソ連との距離感に悩む
ナチスドイツのポーランド侵攻(1939/9)、オランダ、フランスへの侵攻
ナチスドイツ、ソ連との相互不可侵条約締結(1939/8)、英仏との戦闘に専念
ナチスドイツ、ソ連に侵攻、条約破棄(1941/6)
ソ連、「満州国」に滞在する「関東軍」(万里の長城の東に位置する山海関から東エリアを「関東」という)の兵力を警戒、日本と日ソ中立条約締結(1941/4)、ナチスドイツとの戦争に専念
ソ連、英米に対して、早く西ヨーロッパに兵力を上陸させてナチスドイツを東西から挟み撃ちすることを望む
英米軍の上陸は遅れる
ソ連、英米がナチスとソ連という全体主義国家の共倒れを狙っているのではないかと疑う
英米を主力とする連合国のシチリア島上陸(1943/7)、イタリア本土上陸(1943/9)
フランスのノルマンディー上陸(1944/6)
ヨーロッパ第二戦線ができるまで、ソ連はナチスとの単独戦争を余儀なくされ、レニングラード攻防戦などで膨大な死傷者を出す

■カイロ会議
ミッドウェー海戦(1942/6)
ガダルカナル戦(1942/11)
英米首脳、中華民国総統・蒋介石をカイロに招き、対日政策を話し合う首脳会談=カイロ会議(1943/11)
チャーチルは蒋介石招聘に疑義を抱くも、フランクリン・ルーズヴェルトは中華民国が日本と抜け駆けで講和条約を結ぶことを警戒
英米首脳、カイロからテヘランを往復、テヘランでスターリンと会談、第二次大戦後のヨーロッパについて議論、カイロに戻る
英米中三首脳のカイロ宣言(1943/12/1)
この中で朝鮮について言及「朝鮮人民の奴隷状態に留意し、朝鮮をやがて自由かつ独立のものとする」
「やがて」という制約条件の背景・・・英米が挑戦を信託統治にする考え(独立はその後)
イギリスは植民地インドの問題を抱え、独立に反対した

■ヤルタ会談
クリミア半島(ロシア・ロマノフ王朝のリゾート地、黒海北部)の保養地ヤルタに、ルーズヴェルト、チャーチル、スターリンが集まる(1945/2)
主たる議題:ヨーロッパの重要問題、とりわけポーランド問題
対日参戦については米ソだけで話し合う(チャーチルは外される)
「ナチスドイツ降伏後、ソ連は二、三か月のうちに対日戦争に参戦」が同意される
スターリンは、日露戦争で失った樺太南半分、満州での既得権益にとどまらす、外モンゴル(当時のモンゴル人民共和国)の現状維持、千島列島の獲得までルーズヴェルトに要求
ヤルタ会談の後、ルーズヴェルトが病死(1945/4/12)
副大統領のトルーマンが第33代大統領に就任(選挙を経ていない大統領という後ろめたさを本人は抱えていた)

■日本はソ連へ和平工作を依頼 (なんという間抜けさかげん)
日本の敗色濃厚
ソ連外相モロトフ、モスクワの中ソ日本大使・佐藤尚武を呼び出し、日ソ中立条約を延長しない旨通告(1945/4/4)
期限切れまでは現状維持と伝える
東京では総理大臣が変わり、鈴木貫太郎に(昭和天皇の信任が厚く、海軍大将、枢密院議長)(1945/4/5)
アメリカの知日派、鈴木内閣誕生を、日本が「無条件降伏」まではいかないまでも、戦争終結の準備を始めたと受け止める
(武田清子『天皇観の相克』岩波現代文庫)
ソ連、ヤルタ会談での米国の同意に基づき、対日参戦の準備に入る
「シベリアでソ連赤軍が軍備力を増強」との情報は、日本のスパイ網にかかり、東京に報告が上がっていた
(にもかかわらず、日本は間抜けなことに、当時の陸軍は連合国との和平仲介をソ連に求める)
ナチスドイツ降伏(1945/5/7)
ソ連、対日参戦準備を本格的に始める
昭和天皇、ソ連への特使派遣を決定(1945/7/9)―元総理大臣・近衛文麿
中ソ日本大使・佐藤尚武、外相モロトフに会えずじまい
(日本の外交ベタ、ソ連の外交巧者ぶりが際立つ)
ソ連、「日本が戦争を終結したがっている」という重大かつ貴重な情報を日本そのものから入手、英米に伝えた

■ポツダム宣言
ソ連、日本からの和平交渉依頼に対し邪険にふるまう中、スターリンとモロトフがモスクワ出発(1945/7/14)
目的地はドイツのベルリン郊外、ポツダム、連合国首脳会議に出席するため
ルーズヴェルト病死を受けて急遽大統領に就任したトルーマン、弁護士出身で外交に疎かった
就任間もない時期(1945/4/25)、原子爆弾開発の秘話を聞き、驚く
「一発で一つの都市全体を破壊できる爆弾」と、陸軍長官から聞かされ
原爆実験がネバダ砂漠で成功したとの報告をトルーマンが受け取る(ポツダム会談開始の前日、1945/7/16)
第二次世界大戦の終結は秒読み段階
問題は、日本をいかに降伏させるか
アメリカ軍の沖縄上陸作戦
次なる本土決戦は南九州から上陸する作戦(1945/11目標)の準備にとりかかる
トルーマンの手元には「原爆カード」、ソ連の対日参戦カード
あとは「天皇」をどうするか

■トルーマンの代理署名
ポツダム宣言に署名したのはトルーマンだけ
イギリス、中華民国の代表はトルーマンが代理署名した
(スターリンは宣言に当初参加せず、署名もしていない)
(小此木征夫『朝鮮分断の起源』慶應義塾大学法学研究会)
チャーチル、ドイツ降伏後二か月経って行われたイギリス総選挙で保守党敗北、首相に資格を実質的に失う
労働党党首アトリーが次席代表として参加
中華民国の蒋介石は、ポツダムにも招かれず、トルーマンは中国と無線で了解を求め、同意を得た
トルーマンが蒋介石の代わりに署名
しかも、中華民国の正式名称を使わず、単にチャイナと表記

■天皇、原爆、朝鮮分断
米英中三か国、日本に「無条件降伏」を要求(1945/7/26)
ポツダム宣言にスターリンが署名していない理由:この日の段階でソ連はまだ対日戦争に公式に参加していないからとの公式声明
トルーマンは、スターリンに弦悪の存在を耳打ち
スターリンは、すでにアメリカ国内のソ連の協力者の情報から原爆開発の経過を知っていたという
ポツダムでのトルーマンとの会談後、スターリンは軍部に対し対日参戦をそれまでの8月下旬から早め、すぐに攻撃開始できるよう繰り上げを命令

■日本降伏「秒読み」
通例、外交文書は大使館を通して直接通告するもの
第二次大戦中といえども、日本はヨーロッパに永世中立国スイスとスウェーデン日本大使館を設置したままだから、通告すればよさそうなものだが
連合国はポツダム宣言を日本に直接通告しなかった
サンフランシスコからのラジオ短波で放送、日本が傍受
日本が軍事的に連合国に圧倒的に負けている段階で、いかに天皇制を守るか日本の指導者層は苦闘

■米国内部の相克
アメリカは、1940年代初頭から日本研究
日米戦争後の日本の政治体制をめぐって、アメリカ政府内部で「知日派」と「知中国派」との意見対立が続く
蒋介石、中国を侵略する大日本帝国の軍国主義と天皇制がわかちがたく軍国日本の両輪を形作っている、戦後の日本は天皇制をなくすべきだと強く主張
アメリカ国務省内部の「知中国派」は、天皇制廃止を望む
「知日派」の代表ジョセフ・グルーは天皇制存続を主張(「天皇利用」説)
天皇の威光を利用した方が、日本軍の武装解除、戦後の統治がしやすいと考えた
トルーマンに対し、天皇制存続をほのめかせば日本の降伏は早まると説得
(グルーは、日米開戦時の駐日アメリカ大使、武田清子と逆の日米捕虜交換船でアメリカに帰国、国務省次官として活躍)
(武田清子:日本の思想史家、戦前からアメリカに留学、日米開戦に伴い日米捕虜交換船で帰国、『天皇観の相剋』という研究所あり)
相剋:対立するものが互いに相手に勝とうと争うこと

■日本政府の逡巡
日本国内の論点:連合国側が「国体護持」=天皇制を残すのか、共和制移行を要求するのか、その見極めだった
ポツダム宣言には天皇制存続を保全する文言なし
日本の降伏、原爆、ソ連の参戦、天皇制存続が互いに絡み合う
1945/7/26、ポツダム宣言を日本の外務省、陸軍、海軍が別々に短波傍受、翻訳
同盟通信(のちの共同通信)が「リスボン発同盟通信電報」を配信、新聞にはベタ記事掲載
日本政府内部では、ポツダム宣言に天皇制存続保全の文言がないことから、政府内部で厳しい論議
結局「コメントしない」と「黙殺」することを決めた
その「黙殺」を新聞社、通信社は「拒絶」と報道、連合国は日本がポツダム宣言を「拒否」したと判断
日本政府指導部の逡巡が大きな悲劇と朝鮮半島分断をもたらした

■原爆投下
1945/8/6、マリアナ諸島テニアン島にある米軍の空軍基地から、新型爆弾を載せた爆撃機B29が飛び立ち、午前8時15分、広島の中心部上空で爆弾が炸裂
当時の広島の人口約35万人、うち14万人が一発の新型爆弾で死亡
犠牲者の中には在日朝鮮人やアメリカ軍捕虜数十人も含まれている
陸軍は調査団を派遣、広島赤十字病院のレントゲン写真がすべて感光していたことから、新型爆弾が原子爆弾だと判断
同じ日、スターリンは、赤軍に対し三日後(8/9)、対日戦の参戦を命令
ポツダム宣言の「黙殺」あるいは「拒否」がアメリカに原子爆弾投下、ソ連の対日参戦の大義名分を与えた

■分断は30分で決定
日本政府が天皇保障を連合国側から取り付けようと逡巡しているこの数日のタイブラグで、ソ連赤軍は怒涛の進軍
8/9午前零時(ロシア東部時間)、満州侵攻作戦を開始
満蒙国境の越境、朝鮮には日本海側の豆満江の渡河作戦と、日本海側の港・清津などへの上陸作戦(8/13)、南樺太への侵攻を実施、わずか数日のうちに赤軍は朝鮮半島を南下
はじめの作戦では京城(ソウル)をめざす予定だったが、原爆を二度までも落としたアメリカ軍の実力と真意を測りかね、京城へは先遣隊派遣にとどめた

■アメリカの戸惑い
ソ連軍の満州国と朝鮮への進軍開始(8/9)を受け、8/10深夜から翌日未明にかけ、アメリカ政府の国務・陸軍・海軍三省調整委員会は、二人の若い陸軍大佐に対し、朝鮮分割案を作るように指示
二人は、北緯38度線による分割プランを提出
理由は「アメリカ側に首都(ソウル)を含めるため」
作業時間はわずか30分だった
(ブルース・カミングス『現代朝鮮の歴史』明石書店)
「二人は朝鮮半島の中央部のくびれ付近を横切る線に目を止めた。北緯38度線だ。こうして地図にダーツを投げつけるより少々複雑といった程度の手順を経て、二人は分割案を持参した」
(デイビッド・ハルバースタム『ザ・フィフティーズ』新潮社)
立案者二人のうちの一人は、ケネディ政権で国務長官を務めたディーン・ラスク(当時、大佐)
ラスクは「地図は朝鮮の地形が明確に見て取れるナショナル・ジオグラフィック誌のものだった」と証言した
(饗庭孝典『朝鮮戦争』日本放送出版協会)
ハルバースタム:「アメリカには正しい判断のできる朝鮮半島の専門家がいなかった」(前掲書)
朝鮮民族の分断は、アメリカとソ連に大きな責任があり、日本がポツダム宣言受諾のタイミングを間違えたという意味で、日本の責任も小さくない
日本は受益者となり、朝鮮は新たな苦難を強いられた
ソ連は、この朝鮮分割案をすんなりと受け入れたが、立案者のラスクは「ちょっと驚いた」と証言した

■朝鮮分断は38度線か39度線か
境界線以北の日本軍はソ連に、南側は米軍に降伏し、武装解除することに
日本軍のうち対ソ戦を受け持つ関東軍と、朝鮮半島を受け持つ朝鮮軍の境界が北緯38度線だったという説があったが、そうではなかった
敗戦間際、日本軍はエリア再編を実施、関東軍と朝鮮軍の境界は北緯39度線だった
(宮田節子『朝鮮軍概略史』不二出版)

■国連信託統治案
アメリカは、フィリピンがそうであるように、ウィルソンの民族自決主義をそのまま適用するのではなく、国連の信託統治方式を採用する方針だった
その期間は40年~50年
その背景には、イギリスが植民地インドをかかえ独立に反対していたから
朝鮮半島でソ連赤軍が南下を開始した8/9の段階で、アメリカ軍は沖縄に軍隊を進めたばかり、南朝鮮は空白だった

■第一回目の御前会議
1945/8/8、モスクワでは外相モロトフが駐ソ日本大使館の大使佐藤尚武を呼び出し、宣戦布告、日ソ断絶
だが、日本大使館から東京の外務省への連絡は、ソ連当局の妨害でつながらなかった
東京での第一回御前会議(8/9)
三日前には広島原爆投下、8/9当日未明にはソ連の対日参戦、御前会議の最中、午前11時過ぎ、長崎に二つ目の新型爆弾(原子爆弾)投下
午前会議:昭和天皇、首相・鈴木貫太郎、外務大臣・東郷茂徳、陸軍大臣・阿南惟幾、海軍大臣・米内光政ら
8/10未明、ポツダム宣言を受諾することには全員同意したものの、受諾条件でもめる
・外務大臣の一条件案(天皇の地位存続のみを条件)
・陸軍大臣の四条件案(天皇の地位存続保障のほか、戦争責任者日本側処断など)
昭和天皇の聖断がないと結論を国民を含め軍部が受け入れないだろう―内大臣・木戸幸一らが事前に準備
キーパーソンは木戸、総理の鈴木貫太郎は「聖断」方式を採用
昭和天皇の「聖断」によって外務大臣案が採用された
この回答は、スウェーデンとスイスの日本大使館を経由して連合国に通知
連合国側は外務大臣案が求める天皇の地位保障に対して、「日本の政体は日本国民が自由に表明する意思のもとに決定される」(米国務長官バーンズ)と返答

■終戦の詔勅
二度目の御前会議(8/14、皇居御文庫)
その日の夜遅く「敗戦の詔書」を決定
「米英支蘇の共同宣言を受諾」(ソ連はポツダム宣言後に対日参戦したので、8/14の段階では日本と戦っている連合国の主要メンバーは四か国)
昭和天皇が直接日本国民、とりわけ日本軍兵士に降伏した事実を告げないと武装解除がスムーズに進まないとの理由で、昭和天皇が直接ラジオを通して呼びかけることが決まる
この日深夜遅く、NHK職員が皇居に出向き、昭和天皇が決まったばかりの「終戦の詔書」を朗読、その声をレコード盤に録音
(このレコード盤をめぐって近衛部隊が蜂起した「宮城事件」が発生)
日本政府は、14日夜、国民に対し「翌日正午に重大放送を放送すること」を臨時放送、新聞各社に対して翌日の朝刊を正午以降に配布することを命じた
(参謀本部や陸軍省の記者クラブを通して、全国新聞社はポツダム宣言受諾を一日早く知ったことになる)
当時、東京朝日新聞の記者だった武野武治(むの・たけじ)は、この夜を最後に出社しなくなった
(戦争責任をとった、ただ一人のジャーナリストと言われた)

■光復節
日本が負けた日はいつか?
・8/14説 昭和天皇が「終戦の詔書」に署名した日付、皇居で御前会議が開かれ「終戦の詔書」がまとまった日
・8/15説 玉音放送の日(ソウルとピョンヤンで日本が負け民族復権したことを祝う=光復節)
・9/2節 ミズーリ号上で連合国に対し降伏文書に署名調印した日

■玉音放送
8/15正午、玉音放送がはじまる
「忍び難きを忍ぶ」という文言は、明治天皇が日露戦争の後の三国干渉を受諾した際からの引用

■直接統治か間接統治か
日本の降伏にともない、連合国最高司令官一般命令第一号によって、朝鮮は北緯38度線以北ではソ連軍が、以南ではアメリカ軍が、それぞれ日本軍の武装解除にあたることに
アメリカ軍にとって、朝鮮人は「敵国人」なのか「解放された人民なのか、微妙な問題
アメリカ政府内部で議論していたものの、結論が出る前に日本が降伏
アメリカの朝鮮半島政策は後手後手にまわった
日本の植民地支配を36年間もの長きにわたって受け、朝鮮総督府や日本軍で朝鮮半島出身者が日本のお先棒として実直に働いている実情を見て、アメリカは判断に迷い、結論を出しかねた
(韓国国内でのちに「親日派」の扱いが問題になる根拠もこうした実情に起因)
フィリピンにいたアメリカ軍最高司令官マッカーサーが神奈川県厚木飛行場に到着(8/30)
マッカーサー日本来訪の数日前、日本を統治する方式が、アメリカ軍による直接統治から、従来の日本政府を仲介しての関節統治方式に変更
沖縄にいたアメリカ軍中将ホッジ率いる第24軍は、ソ連軍に遅れること一か月後の9/8、仁川に上陸
ホッジは、日本本土でマッカーサーがとった統治方式そのままに、従来の日本人の朝鮮総督府を利用しての間接統治を目指した
ホッジの記者会見には、朝鮮総督府の総督・阿部信行が同席、日本人官吏をそのまま留用すると言明したとたん、朝鮮人から猛反発を受け、三日後、しぶしぶ阿部を解任
アメリカは南朝鮮の民衆の心をつかむことに、スタート直後に失敗した

■軍政下
なぜトルーマンは、グルーの助言を受けて、天皇制存続をポツダム宣言に入れなかったのか
もしそうしていたら、日本政府はただちに宣言を受け入れ、原爆やソ連の対日参戦もなかったのでは?
トルーマンが天皇保障の文言を入れなかった理由は、トルーマンが見据えていたのはすでに確定的な対日勝利よりも、さらなる将来のソ連との対立(のちに「冷戦」と名付けられる)を重視し、有利に展開するため、原爆の威力をソ連に見せつけるためだったなど、いろいろな解釈を研究者はする
朝鮮分断とは「帝国主義」と「冷戦」が生み出した鬼っ子なのだ
本当の悲劇は5年後に訪れる―朝鮮戦争勃発

(了)

| | コメント (0)

2019年8月18日 (日)

【読】ノーマ・フィールド

3月の終わりに投稿してから、5か月近く、このブログから離れてしまっていた。
毎日、日記ブログは書いてきたのだけれど。

ノーマ・フィールド(Norma M. Field)という人を、最近知った。

― Wikipedia より ―
<ノーマ・フィールド(Norma M. Field, 1947年 - )は、アメリカ合衆国の日本研究者、シカゴ大学名誉教授。
第二次世界大戦後の東京で、アメリカ人の父と日本人の母の子として生まれる。1974年、インディアナ大学で東アジア言語文学の修士号を取得。1980年に来日し研究。1983年、プリンストン大学で同博士号取得。シカゴ大学に奉職し、東アジア学科教授をへて名誉教授。
夏目漱石の『それから』の英訳(And Then)に続き、『源氏物語』論である『憧憬の輝き』(Splendour of Longing)で注目された。
1988年の再来日の折に昭和天皇の死去に至る日々を体験。ルポルタージュ『天皇の逝く国で』を著し、この著書の日本語訳によって日本でも一般に知られるようになった。>

私は、ある新書で、この人の『天皇の逝く国で』という本を知り、図書館から借りて読んだのがきっかけ。

中川成美 『戦争をよむ―70冊の小説案内』 岩波新書 (2017/7/20)

<克明な心理描写をまじえて戦争と人間の真実に分け入る小説作品は、戦争のリアルを伝える大切な語り部だ。物語のなかに封じ込められた、戦時下を生きる人びとの細やかな感覚と日々の葛藤と苦しみ、そして悲しみ。記憶の風化とともに失われていく、かつての時代の手がかりを求めて、戦争の文学を再読する。>

 

ノーマ・フィールド/大島かおり訳 『天皇の逝く国で [増補版]』 みすず書房 (2011/10/28)

<「自粛」「常識」という社会の抑圧に、抵抗できるか。
登場人物は体制順応という常識に抗った三人の日本人。
沖縄国体で日の丸を焼いた知花昌一、殉職自衛官の夫の靖国神社合祀に反対した中谷康子、天皇の戦争責任を明言して狙撃された長崎市長の本島等。
あれから20年余、増補版のために書かれた新たなあとがきを付す。
ノーマ・フィールドは、アメリカ人を父に、日本人を母に、アメリカ軍占領下の東京に生まれた。
高校を出てアメリカヘ渡り、現在はシカゴ大学で日本文学・日本近代文 化を講じる気鋭の学者である。
彼女は、昭和天皇の病いと死という歴史的な瞬間に東京にいた。そして天皇の病状が刻々報道され、自粛騒ぎが起こるなかで、日本人の行動様式と心性、そしてそこにさ まざまな形で顕在化したあまたの問題に想いを巡らせた。
登場人物は、〈体制順応という常識〉に逆らったために、ある日突然〈ふつうの人〉でなくなってしまった三人――沖縄国体で「日の丸」を焼いた知花昌一、殉職自衛隊員の夫の護国神杜合祀に抗した中谷康子、天皇の戦争責任発言で狙撃された本島長崎市長――と、もう一組、著者自身とその家族である。
かれらの市民生活の日常にそって、問題は具体的に考えられる。
基地内のアメリカン・スクールに通い、大方の日本人の知らない〈戦後〉を生き、いまも〈太平洋の上空に宙づりの状態〉にある著者が、みずからの個人史に重ねて描いた現代日本の物語。
[初版1994年2月/増補版(始まりの本)2011年11月発行] >

 

この本に打ちのめされ、図書館にあった他の本、ブックレットも読んでみた。

ノーマ・フィールド/岩崎稔/成田龍一 『ノーマ・フィールドは語る 戦後・文学・希望』
 岩波ブックレット781 (2010/4/7)
ノーマ・フィールド 『いま、<平和>を本気で語るとは 命・自由・歴史』
 岩波ブックレット990 (2018/12/5)
ノーマ・フィールド/大島かおり訳 『祖母のくに』
 みすず書房 (2000/5/12) 204ページ
ノーマ・フィールド/大島かおり訳 『へんな子じゃないもん』
 みすず書房 (2006/3/10) 253ページ

なかでも、次の2冊は、彼女の思想がぎゅっと濃縮されている良書だったので、図書館の本を読んだ後で、『天皇の逝く国で』とあわせて3冊、Amazonで中古本(古本)を購入してしまった。

  

ノーマ・フィールド:みすず書房
https://www.msz.co.jp/book/author/13912.html

ノーマ・フィールドは、1947年、米軍の軍属だったアメリカ人の父と、日本人の母とのあいだに生まれた。
進駐軍が日本を占領していた時期。
祖母の家に、両親、叔母たちといっしょに暮らし、米軍基地内の学校までスクールバスで通学。のちにアメリカンスクールに進学。
父親は、妻(ノーマの母)と娘を置いて、アメリカに帰国してしまう(両親は離婚)。

国籍はアメリカ、住まいの周囲は日本人ばかり。
学校ではアメリカの子どもたちと過ごしながら、アメリカ人と見られない。
そんな環境で育ったために、日本人でもアメリカ人でもない(あるいは両方)という意識が身についてしまう。

若くからアメリカに移住し、アメリカ人と結婚。
アメリカと日本のあいだを往復する。

上にあげた3冊の単行本には、幼い頃、彼女と暮らした祖母、母、叔母たちの回想と、日本という祖国へ向ける厳しく、あたたかいまなざしが詰まっている。
なかでも、『祖母のくに』『へんな子じゃないもん』には、脳溢血で倒れた後の祖母を見舞う毎日が、あたたかい筆致で綴られていて、感動的。

こういう著者との出会いは、得難いものだ。

【追記】
彼女の最近の写真を貼り付けようと思ったが、著作権に触れそうなので、下記リンク先の記事を参照願いたい。

「国家主義は史実を曲げる」 日本研究者187人声明:朝日新聞デジタル
https://www.asahi.com/articles/ASH574JV5H57UHBI017.html

有料会員限定記事 ※
ニューヨーク=中井大助、真鍋弘樹 2015年5月8日08時41分

※途中まで読めるし、ノーマ・フィールドの写真も見られる。
 魅力的な女性だ。

| | コメント (2)

2019年3月28日 (木)

【雑】チャリティ古本市、終わる

楽しみにしていた、小平図書館友の会の「第21回チャリティ古本市」が、日曜日に終わった。

今回、本の量が多く、搬入、配列、後片付けがたいへんだったが、たくさんの売上もあった。

今年から導入した「幟旗」10本も、お客さま誘導に効果があったようだ。

Dscf0101_s Dscf0098

Dscf0075_s

Dscf0112_s_1

速報値(概算)は次のとおり。いずれも開催期間中の合計値。
・古本を寄付してくださった方 350人以上
・寄付本の数 24,400冊
・ご来場者数 1,440人
・売上冊数 9,600冊
・売上金 329,000円
・小平市立図書館への寄贈本 252冊

珍しい個人全集なども出品され、あっという間にお買い上げいただいた。
ありがたいことだ。

Dscf0070_s_1

Dscf0072_s_1

Dscf0071_s_1

Dscf0106_s

| | コメント (0)

2019年3月12日 (火)

【雑】チャリティ古本市、近づく

毎年3月、恒例の小平図書館友の会「チャリティ古本市」。
21回目の会期が近づいている。

詳しい案内は、友の会ブログに書いているので、そちらを。

小平図書館友の会ブログ
http://yamaoji.cocolog-nifty.com/kltomonokai/

2019_huruhonichi

今年は、幟(のぼり)旗を10枚用意した。
小平市中央図書館・公民館の前の広場に、この幟がはためくことだろう。
今から楽しみ。
会期中に、公民館前のソメイヨシノも開くかな?

1

| | コメント (0)

2019年2月10日 (日)

【雑】冬の風景

強い寒波が日本列島を覆っている。

きのう、この多摩北部でも粉雪が舞い、夜になって本降りになった。
朝起きると、芝生の上にうっすらと積もっていた。

ずいぶん前から咲いている紅梅が、白い雪に映えてきれいだった。

2019/2/10 朝

20190210_084744

20190210_094501

冬、このあたりでは晴天が続き、空気が澄んでいるせいで富士山がよく見える。
ベランダから、きれいな夕焼け、朝焼けの見られる日が多い。

Facebookには、その都度投稿している写真だが、ここにまとめて載せておこう。

2019/1/1 朝

20190101_085230

20190101_085356

2019/1/3 夕刻

20190103_170524

2019/1/7 朝

20190107_062220

2019/1/9 夕刻

20190109_170854

2019/1/19 夕刻

20190119_170701

2019/1/27 夕刻

20190127_173328

2019/1/30 夕刻

20190130_172914

2019/2/2 夕刻

20190202_173335

寒い冬は、まだ続く。
関東でも、あと何度か雪が降ることだろう。

| | コメント (2)

2019年1月19日 (土)

【遊】日帰りバスツアー

2019年1月13日(日)、旅行会社(クラブツーリズム)の日帰りバスツアーに夫婦で行ってきた。

日記にも書いたが写真を載せていないし、フェイスブックには写真しかあげていないので、ここにまとめておこう。

「クラブツーリズム 冬のびっくりミステリーツアー」

20190113_tourmap1_3

20190113_tourmap2

朝から晴天、風もなく、絶好の旅行日和。
朝8時半頃のバスで、地元の東大和市駅前(集合場所)へ。
早めに着いたので、駅前にできて間もないコンビニ(セブンイレブン)に入る。
なんと、二階に休憩コーナー(イートインスペース)があった。
ここで集合・出発時刻まで時間をつぶす。

9時半、武蔵村山からやってきたツアーバスに乗る。
立川駅近くの三番目の集合場所でもお客を乗せて、10時頃出発。

中央道~圏央道~小田原厚木道路経由で、まず小田原へ。
「鈴廣」で昼食となる。

20190113_122148

金目鯛炙り飯と小田原おでんの、なかなか豪華な昼食だった。

20190113_1137231

ここから箱根を越えて、熱海へ。
謎の行き先の二番目は、パワースポットという謳い文句の神社だった。
来宮(きのみや)神社。

來宮神社
http://www.kinomiya.or.jp/

人気の観光スポットとあって、バスも駐車場に入れないほどの賑わい。
あまり時間がなかったため、大急ぎで本殿へ。
参拝の行列ができていて、参拝できず。
甘酒を飲み(ここも行列)、神木の大楠を見たりしているうち、あっという間に集合時刻になってバスに戻る(来宮駅前でバスが待機しており、そこまで歩く)。

20190113_1330131

20190113_1352171

20190113_1347351

20190113_134748

次にまわったのは、めんたいこ「かねふく」の「めんたいパーク伊豆」という、工場兼ショッピングセンター。
私は、めんたいこには、ほとんど興味がないため写真は撮らず。
妻は、めんたいこの試食に並んでいたが、土産は買わず。

最後の立ち寄りスポットは、沼津港展望水門「びゅうお」という場所。
なかなかの見ものだった。
ちょうど海に夕陽が沈む時刻で、きれいだった。
富士山は、雲の上に少ししか見えなかった。

沼津港大型展望水門「びゅうお」|見る・遊ぶ|沼津市公式観光サイト【沼津観光ポータル】
https://numazukanko.jp/spot/10020

展望台まで30メートル、エレベーターで昇る。

20190113_164037

20190113_162240

20190113_162306

20190113_1624271

20190113_1627271

20190113_1627031

沼津港

20190113_1642031

この後は、土産物店に寄る。
鯖の味醂干し、押し鮨、昆布の佃煮などを買う。

お土産に、みかん1kgをひとりずついただき、軽夕食として小さな駅弁(蛸飯)も配られ、帰りの車中で食べた。

関越~圏央道~中央道を走り、高速道路がすいていたせいで、東大和市駅前には19時40分に到着。
路線バスで自宅に帰った。

(2019/1/19記)

| | コメント (0)

2019年1月 9日 (水)

【楽】川越へ(山崎ハコさんライブ)

2019年1月7日(月)。
川越市民会館(やまぶき会館)で開催された、山崎ハコさんのライブへ。
今年最初の、ハコさんのライブだった。

ひさしぶりに川越の街を歩いてみようと、昼過ぎ、川越に向かう。
自宅からバスで西武新宿線久米川駅へ、そこから西武新宿線で30分ほど、終点の本川越駅には午後1時頃到着。

蔵造りの町並みや「時の鐘」のある通りを歩き、まずは、この夜のライブ会場「やまぶき会館」まで場所の確認に向かう。
本川越駅から歩いて20分ほど。
「時の鐘」の信号から右に入ってしばらく歩き、川越小学校の向かい側、かなり年季のはいった建物だった。

途中、「時の鐘」などの写真を撮ってまわる。

20190107_13363420190107_133818_2

繁華街に戻って、あちこち歩きまわる。
メイン・ストリートは観光客が多い。

20190107_1342091

20190107_134230

20190107_134434

20190107_1344511_2

20190107_134606

20190107_134930

「レレレノレコード」という面白そうな店があったが、残念なことに休み。
駅から来るときにみつけた、喫茶店(「ここで一服」とあった)に入り、コーヒーを飲み、パイを追加で注文、文字通り一服する。

この後、菓子屋横町を見てまわり(休みの店が多かった)、「札の辻」交差点から市役所方向に向かい、川越城本丸まで足をのばす。

近くの市立博物館・美術館は、月曜日だったので休館日。
またあらためて車で来てみようと思う。

川越城本丸(ここも休館)と、川越城中ノ門堀跡を見る。

20190107_1526351

20190107_154414

20190107_15412820190107_1542091


20190107_1542271

市役所にはいって、観光地図をもらう。

20190107_1549551

市役所前にあった石碑。
川越城のお堀の跡は、みんな埋め立てられていることがよくわかった。

夕方になり、そろそろ夕食を、と思ったが、これといった店がなく、結局、本川越の駅ビルまで戻り、そこで軽く食べた。
駅に戻る道々、写真を撮って歩いた。
蔵造りの建物は絵になる。

20190107_1555151

蔵造りの町並みにある郵便局。
ご当地切手に惹かれるが、高いので買わなかった。

20190107_155804

20190107_160352

20190107_160554

20190107_161210

本川越駅まで戻り、軽く夕食をとって、会場の「やまぶき会館」へ。
途中、暗闇に浮かぶ「時の鐘」がきれいだったので、タブレットで写真を撮る。

20190107_173445

開場時刻の午後6時よりも20分ほど早く到着。
すでに入口前に、たくさんの開場待ちの人たちがいた。

ロビーにもすでに人がいたのは、主催の「川越音楽」(労音系列らしい)の人たちだろう。
物販コーナーには、ハコ・ファン仲間のいつもの顔ぶれも見えた。
ハコさんは所属事務所を持たないので、こうして、ファンの人たちが、ボランティアで物販を引き受けているのだ。

20190107_174132

午後6時、ホールに入り、ファン仲間に挨拶して席に着く。
ステージに向かって左側、前から3列目の左端の席だった。
緞帳がおりていて、ステージの様子は見えず。

ライブ開始は、午後6時半。
主催の労音の人の挨拶があって、緞帳があがる。

入口でもらったプログラム(会報)には、この日の演奏曲目が記載されていて、いかにも労音の「例会」らしい。
ふつうのライブだと、曲目は始まってみないとわからず、それがいいのだが……。残念な気もする。

プログラムに記載されていた曲目は、下のとおり。
ただし、実際の演奏曲順は、ハコさんの喉の調子がよくなかったせいもあって(年末に風邪をひかれたそうだ)、一部、前後した。
曲によって声が出やすいものと、難しいもの(喉が温まってからでないと出ない音域)があるようで、これには納得。
また、MCとのつながりで、曲順が変わってしまったものもあり、これも自然な流れだ。

私の隣りに座っていた方々(年配の女性陣)が、プログラムを見ては曲目を確認していたのが、微笑ましかった。

【配布されたプログラムに記載されていた曲順】

望郷 (これは後で歌った)
白い花 (これも後になった)
織江の唄 (これが最初に歌われた)
ヨコハマ
稲の花
未來の花

(15分間の休憩)

横浜ホンキートンク・ブルース
上級試験 (これも2曲目には歌われなかった)
ざんげの値打ちもない
ごめん
歌ひとつ
BEETLE
縁 ~えにし~

アンコール : 横浜から

私は、演奏中にメモをとらないため、演奏曲順には自信がない。
いつものように、MCで、九州(大分)のおばあちゃんの思い出(稲の花)や、阿久悠さんのことや、東日本大震災後に東北で録音したアルバム・作った曲の話など。

終盤、安田裕美さんのギターで一曲。
これが井上陽水の「帰れない二人」、ハコさんがワン・コーラス歌う。
安田さんのギターの音色には、いつもうっとりする。

私の席からは、前の人の頭に邪魔されることなく、ステージ上の安田裕美さん(左)とハコさん(右)が見通せて、演奏中は、ふたりの表情や演奏テクニックに見とれていた。
間近に見るお二人の演奏姿は、ホールならではの照明の効果もあって、神秘的な感じさえした。
ときどき、目を閉じて、ハコさんの歌の歌詞をかみしめる。

休憩時間に、物販コーナーでアルバム「未・発・表」を購入。
前半のMCで、このアルバムのことをハコさんが話していたので(なかなか入手できないそうだ)。もちろん、私はすでに持っているアルバムなのだが。

収録曲(全13曲) いいアルバムだ。

BEETLE
ヨコハマ
白い花
織江の唄
新宿子守唄
あなたの景色
リンゴ追分
横浜ホンキートンク・ブルース
気分を変えて
未来の花
会えない時でも
飛びます
BEETLE(Acoustic Ver.)

20190109_123127

ハコさんのCDが並ぶ隣りに、ファン仲間が作ったクリア・ファイルが売られていたので、これも購入。

終演後のサイン会で、CDの冊子にサインをいただいた。
市立公会堂なので、撤収時刻が指定されているようで、午後9時前に終演した後、慌ただしいサイン会だったが、気さくにサインしてくださった。

この日、ハコさんの体調が思わしくなく、演奏中に何度も声が出ない場面があったが(歌い直しもあって、ハラハラしたが)、しっかり歌い切る姿に胸が熱くなった。
「鬼気迫る」と言っていいような、この夜の演奏だった。

500席あるホールの9割方埋まっていた感じだった。
お客さんの反応もよく(ハコさんへの温かい声援)、それも嬉しかった。

| | コメント (0)

2018年12月29日 (土)

【遊】ぼちぼちいこうか総集編(2018年・イベント編)―補筆―

2018年も、ほとんど映画を観にいかなかったが、強く印象に残ったこの映画のことを書き忘れていた。

■2018/12/15(土) 東京都写真美術館(恵比寿)
 映画 「スケッチ・オブ・ミャーク」 大西功一監督 2011年
  http://sketchesofmyahk.com/ 
 映画 「津軽のカマリ」 大西功一監督 2018年
  http://www.tsugaru-kamari.com/

「津軽のカマリ」完成記念上映会。
同じ監督の旧作「スケッチ・オブ・ミャーク」も別の回で上映。

「スケッチ・オブ・ミャーク」のポスターを、数年前に見ていて、いつか観たいと思っていた。
「津軽のカマリ」は、初代高橋竹山を描いたドキュメンタリーだが(初代の演奏映像は既存のものを使っていた)、二代目高橋竹山も出演している。

上映後、監督のトークショーがあった。
「津軽のカマリ」では、二代目竹山もトークショーに加わり、なんと、ステージ上で二曲演奏してくれた。
マイクの事前調整が不十分だったため、マイクを使わない生の津軽三味線の音が場内に響いた。
得難い経験だった。

お二人の写真を撮ればよかった(遠慮して撮らなかった)。

20181215_095814

20181215_101948

20181215_1309191

| | コメント (0)

«【遊】ぼちぼちいこうか総集編(2018年・イベント編)