【読】静かな大地(1)
池澤夏樹『静かな大地』の〝読中感想記〟を始める。
この小説は15の章から成る。今日は、最初の章「煙の匂い」を読んだ。
のっけから複雑な語り口で、前回はじめて読んだときは正直なところイライラしたが、今回は池澤さんのよく考えられた文体に感心した。例をあげると
<その晩は父上は帰って来なかった(と父は由良に話した)。>
<東京は好きではなかった(と父は話した)。>
つまり、この章の語り手は「父」と、その幼い娘の「由良」なのだが、「父」が娘に話し聞かせているのは、自分の父親(父上)といっしょに北海道に渡ることになった、幼い頃のエピソード。時代は明治維新直後、淡路島から北海道に入植することになった、元武士の一団の苦労である。
屯田兵制度よりも前に、こんな形で故郷を追われるように北海道(まだ蝦夷地という言葉が残っていた当時)に渡った人々がいた、ということに驚く。
背景には、徳島の阿波藩と淡路島の家臣との葛藤があり、明治維新期の混乱がある。ほとんど体ひとつ、身のまわりのわずかな家財を船に積んで、日高の静内に渡った人々。それを、幼い少年(由良の父)の目で、じつに生き生きと描いている。
印象的なのは、次の一節(少し長い引用になる)。
三郎というのは「父」(志郎)の兄である。
<蝦夷地には誰がいますか、と三郎はたずねた。
蝦夷地には蝦夷の民がいる。昆布を採り、鮭や鰊を獲る者たちだ。田は作らず、町を営まず、山野と海で暮らしている。
蝦夷地は日本ですか、と重ねて三郎が聞いた(と父は由良に話した)。
さあ、そこだ、と父上は言われた。
もともとは日本ではなかった。大名もおらず、百姓が田を作ることもない。・・・別の国だったと言ってよい。いや、あそこには国というものがなかったのかな。>
そう、蝦夷地はアイヌの人たちの「静かな大地」だったのだ。
そこに入植した〝日本人〟と、アイヌの人たちの微妙な関係が、この小説の底を流れる通奏低音である。幼い三郎、志郎の兄弟が、チプ(丸木舟)で迎えに来たアイヌをはじめて見たときに感じた、彼らの印象は感動的だ。
<私と兄は最初にアイヌを見て、あの面構えと、分厚い毛深い強そうな身体、速やかに舟を漕ぐ腕力、堂々とした態度、・・・よく通る声、そういうことに夢中になった。兄と私の目にはすべてすばらしいものと映った。私たちは彼らに夢中になり、それは終生ずっと変わらなかった。>
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コメント
「静かな大地」に、深夜雨が降ってきました。明日は雨らしい。大人になって戻った北海道・・こうして6年目を迎えると、一年の季節の流れがよく分かってきました。一度故郷を出た人間だけが分かるものかも知れません。私は、この北海道を故郷として愛しているけれど、アイヌの人々にとっては、私はある意味では自分たちの土地の侵略者の子孫に過ぎない・・。歴史はもう取り戻せませんが、我々が出来ることはこの今の自然を出来るだけ壊さない努力をすることです。いま、「静かな大地」は秋の彩りに燃えています。
投稿: 玄柊 | 2005年10月21日 (金) 23時24分