【読】静かな大地(8)
10章目 「砂金掘り」 は、日高の山奥に入って砂金を採っていた男の独白である。
この頃(明治期)、山奥の川でずいぶん砂金が採れて、一種のゴールドラッシュのようだった。 アイヌの木彫り職人に、砂金掘りに使う道具「揺り板」と、背負子(しょいこ)を作ってもらったり、熊に出会ったエピソードが興味深い。
彼は、砂金掘りに山に入る途中、宗形牧場に立ち寄り、十日ほど居候して牧場の仕事を手伝う。 その思い出をこう語る。
<あれはよい夏であった。 暑いさなか、汗を流して働いて、夕方みなで川へ行って身を洗う。 さっぱりして大きな家に向かうと、飯が出てくる。 ・・・食い物もうまかった。 牛肉と馬鈴薯の煮付などあそこで初めて食った。 牛乳というものもたっぷり飲まされた。
みなが話すのはアイヌ語で、わしにはわからんが、それでも和気藹々、みなが仲がよいことは伝わった。・・・まことよい夏であった。 ・・・アイヌはよい、とわしは思った。 アイヌのことを悪く言う者の気が知れない。>
続く章 「チセを焼く」
モロタンネという名のフチ(老婆)が亡くなる。 モロタンネはトゥキアンテ(勉蔵)の母、オシアンクル(五郎)の祖母にあたる。 炉辺でユカラやウウェペケレ(昔話)を語った偉大なフチ。
ここでは、アイヌの葬儀のやり方が詳しく述べられている。 死装束を着せ、墓標を作り、死者に言葉を付ける。
作者池澤夏樹の考え方がよく出ている部分。
<総じてアイヌは言葉の民である。
民族には得手不得手があるらしい。 人でも、ある者は音楽に秀で、ある者は細工物がうまい。・・・民族もまた同じ。 そしてアイヌの場合は言葉の力、物語る力が抜きんでていた。 そうでなくてどうしてあれほどのユカラ、無数のウウェペケレ、さまざまな神や英雄や動物や美女や悪党の物語が残せるだろう。>
ところで、この章では物語の行く末を暗示するような事件が起きる。
起承転結の〝転〟にあたる章である。
アイヌの古くからの習俗として、死者の身の回りの道具を傷つけ、焼いて、あの世に送らなければいけない。
また、古くはチセ(住まい)も焼いて、あの世に送ることが行なわれていたが、これは明治政府によって禁令が出されていた。 だから、この頃にはチセを焼くことはしなくなっていたのだ。 ところが、このフチのチセが焼けてしまったのである。
息子のトゥキアンテは、この件で警察に連れていかれ、札幌から赴任してきていた巡査から拷問に近い暴行を受けて、十日間も拘禁される。
さらに、宗形三郎も、この事件が元で新聞記事でいわれのない誹謗中傷を受ける。
<記事にあった牙城という言葉を三郎はアイヌの言葉でチャシと呼んでみなに伝えた。 この言葉を聞いてみなの頭には染退川(しべちゃりがわ)の南岸真歌(まうた)の丘にあったというシャクシャインのチャシのことが浮かんだ。>
オシアンクルは、宗形牧場をシャクシャインのチャシに重ねあわせてしまうことを、縁起が悪い、と考える。
その後、三郎の前には怪しい和人・松田某があらわれ、にわかに暗雲が漂う・・・。
今日は、これに続く章 「神威岳」 まで読んだのだが、続きは明日にでも。
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コメント
文字ではなく、語る言葉で伝統を伝える・・アイヌ民族は不思議ですね。これからも、自分なりに彼らにアプローチして行きたいと思います。
投稿: 玄柊 | 2005年11月 1日 (火) 07時29分
アイヌの老人は、たとえ文字が書けても、メモをとらずに頭で憶える、という話を聞いたことがあります。萱野茂さんなどが書いていることです。
文字に書いてしまうと安心、油断してしまい、かえって忘れてしまう、というのがその理由だそうです。 これを知って、なるほど、と思ったことでした。
文字や楽譜を考え出した文明はエライと思いますが、そんなものがなくても、豊かな物語や音楽を伝えることができる。そいういう人間の原点(大げさかな?)を忘れないようにしたいと思っていますが・・・。
投稿: やまおじさん | 2005年11月 1日 (火) 21時43分