【読】面白半分 1973年7月-12月号
かつて『面白半分』 という月刊誌があった。
半年分、6号ずつをさまざまな編集者が担当して、勝手きままに編集するスタイル。
野坂昭如が編集者だったとき、永井荷風作と伝えられる「四畳半襖の下張」を掲載して(1972年7月号)、裁判になったことで有名である。
― Wikipedia 野坂昭如 の項より ―
1973年2月21日、編集長を務めていた月刊誌「面白半分」に掲載した「四畳半襖の下張」につき、刑法175条「猥褻文書の販売」違反に問われ、起訴される。1976年4月27日、東京地裁にて有罪判決(罰金刑)。1980年11月に最高裁は上告を棄却し、有罪が確定している。
五木寛之も、1973年7月号から12月号にかけて、半年間、この雑誌の編集長をつとめた。
(面白半分 VOL.19-25)
表紙は、米倉斉加年である。
ずいぶん前に、古本屋でみつけてセットで買ったものだ。
とっくに処分していたと思いこんでいたが、たいせつにとってあったらしい。
貧乏性というか、コレクター根性というか・・・。
いまとなっては、貴重な五木さんの仕事の記録である。
最初の号の編集後記を紹介しよう。
― 面白半分 1973年7月号 編集後記 五木寛之 ―
(適度に改行をいれた)
ドストエフスキーが、風刺新聞 『嘲笑者』 とか、月刊 『時代』 とか 『世紀』、週刊 『市民』 などの編集長なんかをやってたのは面白いね。別にそれを真似たわけでもないけど、ぼくの場合も編集長と名のつく仕事を過去に何度もやってきた。 『福高新聞』 ・・・(中略)・・・大学をやめてからは、『運輸広報』、『創芸ジャーナル』、『洋酒タイムズ』、週刊 『交通ジャーナル』、そして今度の『面白半分』とくるわけで・・・(略)。
いずれにしても編集長というのは、一度やったらやめられないコジキ商売みたいなものらしい。
『面白半分』というタイトルには、あんまり深刻な意味をこめずに、楽に、快活にやりたいんです。
(中略)・・・これだけはぜひやりたいと思うのは、大衆文化(サブ・カルチュア)とか娯楽の問題、あるいはポピュラーであるということはどういうことかというような問題を、割と真正面から野暮にやりたいという気がする。・・・
7月号の執筆者。
李礼仙、カルメン・マキ、中村白葉、片岡義男・五木寛之(対談)、萩原朔美、ソンコ・マージュ、金子光晴、益田喜頓、堤玲子、内村剛介、藤田敏雄、ほか。
1970年代。
思えば、熱い時代だった。
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コメント
「おもえば熱い時代だった」・・ほんとうにそうですね。あの時代におもしろ半分を読んだりしながら東京で生活したことは今も忘れられません。それにしても、最近の懐古的な記事、私には懐かしいですがなにやら分からない人のほうが多いでしょうね。
投稿: 玄柊 | 2006年2月22日 (水) 12時22分
玄柊さん>
懐古的・・・そうかもしれません(笑)。
ぼくのまわりにも、1970年代生まれの友人がいたりして、こんな話はもう、昔話の領域でしょうねぇ。
投稿: やまおじさん | 2006年2月22日 (水) 21時03分