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2006年2月の29件の記事

2006年2月27日 (月)

【雑】spam

さんざん言い古されたことだが・・・。
迷惑メールが毎日山ほどくる。

spamメールともいう。
このspamの語源が缶詰の商品名「SPAM」であることは有名。
ネット検索で「SPAM 缶詰」をキーワードに検索すれば、山ほどひっかかる。
その一例。

はてなダイアリーから無断転載(笑)
http://d.hatena.ne.jp/keyword/spam

語源となった缶詰のSPAM(ミンチされた豚肉の油漬け)を製造しているHormel Foods Corporation社からの抗議を受け、この意味で使うときは、小文字で書くことになった。
戦地で兵士の食事に毎回この缶詰がだされ、悪評多発だったことから、この語源となったという説が広くひろまっているが、缶詰のSPAMの名誉のために弁明すると、意外においしく、ファンもいる。米国にはSPAM料理法なるレシピを公開しているサイトもある。日本でもゴーヤチャンプルーやスパムおにぎり等、古くから普及していた沖縄を始め、愛好者は多い。

写真が見られるサイト
http://www.hart.co.jp/spam/spamcan.html

http://citrohan.sub.jp/be-eater/archives/000157.html

この缶詰メーカーのサイト(英語)。
http://www.spam.com/

この缶詰の空き缶の実物を、先だって、職場の近くの昼めしを食べる店で見た。
(写真は撮れなかったけど・・・)
ウェスタン風の店で、カントリー音楽なんかを流している。
そういう雰囲気にぴったりの缶詰のようだ。

それはそれとして、この迷惑メール、なんとかならないものかと考えているが、メールアドレスを公開している者の宿命かもしれない、と、なかばあきらめてもいる。
今夜届いていたspamは、12個。
これでもまだ少ない方だ。 ・・・トホホ。

腹立ちまぎれに、それぞれのアホメールの冒頭を紹介しておこう。
世の中に、いかにバカが多いかよくわかる。

1)突然のメール、失礼いたします。
2)もう早くしてください。
3)突然のメールにも関わらずメールを開封して頂き誠にありがとうございました
4)今、新宿駅のトイレを盗●中です。
5)学生さんも&ベテランさんも&会社員さんも&お父さんも・・・
6)最近このような招待メールが頻繁に届いていると思いますが、余りにも悪戯(架空請求など)のメールが多い為、当サイトは・・・
7)当サイトは女性だけ有料の出会い系サイトです。
8)突然のメール配信をお詫びします。
9)もしかして…他の女の人に連絡しちゃいました?

いつもはまっすぐにゴミ箱行きだが、今夜は引用するために開封してみた。
みなさん、くれぐれも引っかからないように・・・

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2006年2月26日 (日)

【読】マージナル

『マージナル』という、とても面白い雑誌がてもとにある。
というか、長いあいだ本棚に眠っていた。

現代書館
http://www.gendaishokan.co.jp/index.htm
という出版社から出ている。
編集者は朝倉喬司ら。

→マージナル一覧 (創刊号~10号)
http://www.gendaishokan.co.jp/C1303101.htm
http://www.gendaishokan.co.jp/tC1303101.htm

この創刊号(1988年4月)と、第2号(1988年11月)の2冊を、なぜか持っていた。
たぶん、五木寛之の名があったので買ったのだろう。
ちょうど、『戒厳令の夜』『風の王国』にはまっていた時期だったから、「五木寛之インタビュー」(漂泊の幻野をめざして/時代の境界に位置する)にひかれたのだと思う。

marginalmarginal2『マージナル』 vol.01 1988.4.30
 五木寛之インタビュー
 ― 漂泊の幻野をめざして
『マージナル』 vol.2 1988.11.20
 五木寛之インタビュー
 ― 時代の境界に位置する
インタビューというよりも、五木寛之、朝倉喬司、紀和鏡(小説家、この雑誌の編集者のひとり)の三者の対談という感じ。

マージナル(marginal)とは、「辺境の」という意味である。
「周縁」といってもいいか。
どうやら、この本をぼくはきちんと読んでいなかったらしい。
いまあらためて読んでみると、とても刺激的な内容で新鮮な印象を受ける。

五木さんの仏教への関心の深さ、というか、最近の仕事にみられる仏教への入れ込みようの秘密がわかったように思う。
隠れ念仏とはちがう「隠し念仏」というものがある、だとか、柳田国男と三角寛のサンカへの取り組み方のちがい、だとか、とても興味ぶかい。
五木さんは、柳田国男に対してそうとう批判的で、三角寛をある意味では評価しているあたり、あらためて面白いと思った。 

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2006年2月25日 (土)

【遊】奥多摩へ

0602250002肌寒い一日だったが、春の気配が感じられた。
この団地のユキヤナギの若葉。
昼から、奥多摩の小菅の湯へでかけた。
まだ梅の時期には早いが、早咲きの梅をみかけた。



06022500070602250003青梅市の吉野街道ぞいにある蕎麦屋「寿」。
しだれ梅が咲いていた。
ここの蕎麦は、うまい。
何人かのおばちゃんだけでやっている、気取らない店。値段も手ごろ。
きょうは、大ざる三人前というのを二人で食べた。
大ざる五人前というのもあり、これを二人で食べるとかなり満腹になる。

06022500080602250012奥多摩湖畔(小河内ダム)で、いつものようにひと休み。さらに奥へはいって、小菅村(山梨県)の日帰り温泉「小菅の湯」へ。
きょうは、どういうわけかすいていた。




06022500140602250015ここにも雛人形が。
温泉の周囲には雪がのこっていた。
標高が高いので、東京の郊外でも雪は降る。
東京がつめたい雨のとき、奥多摩の山では雪のことが多い。
春は、もうすこし先のようだ。      

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2006年2月24日 (金)

【雑】オリンピック

時事ネタは、あまり取りあげないようにしているが、今日は書いておきたい気分。

毎朝、出勤前にTVでオリンピック中継をすこしだけ見ている。
今朝も、バスに乗るまぎわ、6時半前という早い時間だったが、女子フィギュアスケートを見た。

安藤、荒川、村主の3選手の演技を見ることができた。
安藤美姫は残念だったが、大舞台で4回転ジャンプにチャレンジしたのはえらいと思う。
荒川静香の演技は、ダイナミックですばらしいものだった。
村主章枝も、そつなくこなしたが、いまひとつ大胆さに欠けていたように思う。

荒川は、華のある選手である。
「荒川、金」のニュースがかけめぐった一日。
号外も出たという。

四年に一度のオリンピック。
一生のあいだに何度見ることができるかわからないが、楽しみなイベントだ。

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【読】勇気をくれた言葉

鶴見和子さんについて、もうすこし書く。
『コレクション 鶴見和子曼荼羅』シリーズ(藤原書店・1998年)のカバー見返しに、こんな言葉があった。

― 若き命に 鶴見和子 ―

 ひとりの人間の生命はちりひじのように、かすかでみじかい。ひとりの人間の生涯に、その志は実現し難い。自分より若い生命に、そしてこれから生まれてくる生命に、志を託すよりほかない。
 コレクション<鶴見和子曼荼羅>に、私の生きこし相(すがた)と志とを描いたつもりである。その萃点は、内発的発展論である。それは、人間がその生まれた地域に根ざして、国の中でそして国を越えて、他の人々と、そして人間がその一部である自然と、共にささえあって生きられるような社会を創っていくことを志す。その志を、これまで思い及ばなかったような独創的な形相(かたち)と方法(てだて)で展開してほしいと希求する。

 身のうちに死者と生者が共に棲みささやき交す魂ひそめきく

 生命細くほそくなりゆく境涯にいよよ燃え立つ炎ひとすじ


これを読んで、身がひきしまる思いがした。ちょっと大げさだけど。
これまでなんとなく悲観的な思いを抱いて生きてきたが、そうじゃないよ、と言われたような気がする。
「こころざし」・・・ながいこと忘れていたこのことばに、勇気づけられた。

《参考》
 「萃点」「内発的発展論」・・・鶴見さんの思想の核となるキーワード。
 「萃点」は、南方曼荼羅に出てくる考え方で、ひとことでは説明できない。
 (鶴見和子著『南方熊楠』講談社学術文庫などを参照願いたい)
 「内発的発展論」は、「土着的発展」つまり、西洋的な近代化をモデルとすることなく、自己の社会の中から自立的に近代化のモデルを作りだすことを指す。やはり、ひとことでは説明が難しいが、鶴見さんの考え方の核をなす。
 「ちりひじ」・・・広辞苑にしか載っていないような言葉だが、「塵泥」と書く。

tusurmi_mandara1tusurmi_mandara2tusurmi_mandara6tusurmi_mandara7tusurmi_mandara9    

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2006年2月23日 (木)

【読】鶴見和子と柳田国男

鶴見和子さんの 『漂泊と定住と』(筑摩書房・1977年)から、学ぶことが多い。
ぼくは、どうやら読まず嫌いで柳田国男のイメージをもっていたようだと、反省。

この鶴見さんの本は、すでに付箋だらけだ。
図書館に返すまえに、ノートにとらなくちゃ。
興味ぶかい記述、感心したこと、知らなかったこと、そういったことがいっぱい詰まった、宝の山のような一冊(ぼくにとっては)。

とりあえず、この本に触発されて読んでみようと思った本を二冊あげておこう。

kyoudougensou吉本隆明 『改訂新版 共同幻想論』 (角川文庫・1982年)

ずいぶん前に一度読んだが、再読してみようと思う。
難解といわれているが、ぼくには面白かった。
『遠野物語』と『古事記』の二冊だけを原典として、「個人幻想・対幻想・共同幻想」というユニークな思想を展開している。

鶴見和子によれば、「日本の知識人の柳田学への評価」には「四つの型」があるという。
(表現は、ぼく流にかえてある)
1)柳田には体系だった理論がないからダメだが、柳田の研究成果は利用価値がある、という評価・・・石田英一郎、家永三郎など。
2)柳田の理論にはふれず、その研究成果を利用して創造的な業績をあげた人々・・・神島二郎、吉本隆明など。
3)柳田の理論のある面は積極的に評価しながらも、決定的な面で欠陥があるとして批判する立場・・・安永寿延(柳田には天皇制批判がないという)、益田勝実(柳田の世相解説が政治的現実にあいわたらないという)など。
4)柳田民俗学に価値を認め、その理論の積極的意義を高く評価する態度・・・橋川文三、花田清輝など。

鶴見さんは、「きら星の如く並ぶ柳田学研究者ならびに批評家を網羅したわけではないが」とことわりながら、「第四の論者たちに最大の敬意を表する」という。

ところで、もう一冊、読んでみようとおもったのがこれ。

yanagita_sesou柳田國男 『明治大正史 世相篇 新装版』 (講談社学術文庫・1993年)

鶴見さんは、この本を高く評価し、柳田国男の思想を論じている。
(「常民と世相史 ―社会変動論としての『明治大正史世相篇』―)
その一節。

<柳田には理論がないといわれるが、決してそうではない。帰納的に引き出してきた、比較的、抽象段階の高い操作仮説を、柳田はいく組も持っていたと思う。>
<古いものが遅れたもので、新しいものが進歩したものでもない。新しいものと古いものとの上下の価値観をとっぱらったことが、柳田国男の一つの功績だと思う。>

鶴見さんの『漂泊と定住と』には、他にも書ききれないほどたくさんの興味深い記述がある。
何度も読みかえしては、気になるところに付箋を貼り続けている・・・。
図書館への返却期限は、一週間先。

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2006年2月22日 (水)

【読】鶴見和子の柳田論

鶴見和子という人がいる。

社会学者。元・上智大学教授。1918年生まれ。
父は政治家・小説家の鶴見祐輔(第一次鳩山内閣の厚生大臣をつとめた)、弟は社会学者の鶴見俊輔。
戦前、津田英学塾(現・津田塾大)を卒業後、アメリカへ留学。日米開戦後の昭和17年に帰国。
戦後、雑誌「思想の科学」創刊にかかわり、論客として活躍。
プリンストン大学院で博士号を得たあと、コロンビア大学の助教授となる。
・・・といった略歴を読むと、なんだかとっつきにくい学者さんのようだが、ぼくはこの人に厚い信頼をおいている。

柳田国男を研究しつくし、南方熊楠についても深い論考を重ねている。
ぼくの本編サイト「晴れときどき曇りのち温泉」にも紹介した。
→資料蔵 人名編 「南方熊楠」の項
http://yamaoji.hp.infoseek.co.jp/kura.html#minakata
→この一冊 『南方熊楠』 (講談社学術文庫)
http://yamaoji.hp.infoseek.co.jp/books.html

この鶴見和子さんの柳田国男論が気になっていたが、ようやく図書館から借りてきた。
書き下ろしではなく、あちこちに発表した論文をあつめたものだ。

tsurumi『漂泊と定住と 柳田国男の社会変動論』
 筑摩書房 1977年
(目次から)
われらのうちなる原始人
 ― 柳田国男を軸にして近代化論を考え直す ―
国際比較における個別性と普遍性
 ― 柳田国男とマリオン・リーヴィ ―
常民と世相史
 ― 社会変動論としての『明治大正史世相篇』 ―
社会変動のパラダイム
 ― 柳田国男の仕事を軸として ―
おくれてきたものの科学技術革命への寄与
 ― 日本と中国の場合 ―
柳田国男研究の国際化
差別と非暴力抵抗の原型
 ― 『遠野物語』、『毛坊主考』、『先祖の話』など ―
漂泊と定住と
 ― 柳田国男のみた自然と社会とのむすび目 ―

ちなみに、マリオン・リーヴィという人は、鶴見さんが学んだプリンストン大学大学院の教授で社会学者。柳田国男を博士論文のテーマにするようにすすめてくれた人だという。
<わたしの学問上の師は、ふたりである。柳田国男先生とマリオン・リーヴィ教授である。ただし、柳田先生については、わたしは自称の(そして不肖の)弟子である。>
(『漂泊と定住と』あとがき)

この本、読みはじめると止まらなくなった。
いい本にめぐり会ったと思う。
なお、鶴見和子さんの選集的なものとして、『コレクション 鶴見和子曼荼羅』(藤原書店、全9巻・別巻1)という好著がある。
ぼくは、土の巻(柳田国男論)と水の巻(南方熊楠のコスモロジー)の二冊を手に入れた。
ちょっと値がはるが、それだけの価値のある本だと思う。

tusurmi_mandara4tusurmi_mandara4tusurmi_mandara5tusurmi_mandara8   

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2006年2月21日 (火)

【読】面白半分 1973年7月-12月号

かつて『面白半分』 という月刊誌があった。
半年分、6号ずつをさまざまな編集者が担当して、勝手きままに編集するスタイル。
野坂昭如が編集者だったとき、永井荷風作と伝えられる「四畳半襖の下張」を掲載して(1972年7月号)、裁判になったことで有名である。

― Wikipedia 野坂昭如 の項より ―
1973年2月21日、編集長を務めていた月刊誌「面白半分」に掲載した「四畳半襖の下張」につき、刑法175条「猥褻文書の販売」違反に問われ、起訴される。1976年4月27日、東京地裁にて有罪判決(罰金刑)。1980年11月に最高裁は上告を棄却し、有罪が確定している。

五木寛之も、1973年7月号から12月号にかけて、半年間、この雑誌の編集長をつとめた。
(面白半分 VOL.19-25)
表紙は、米倉斉加年である。

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ずいぶん前に、古本屋でみつけてセットで買ったものだ。
とっくに処分していたと思いこんでいたが、たいせつにとってあったらしい。
貧乏性というか、コレクター根性というか・・・。

いまとなっては、貴重な五木さんの仕事の記録である。
最初の号の編集後記を紹介しよう。

― 面白半分 1973年7月号 編集後記 五木寛之 ―
(適度に改行をいれた)
ドストエフスキーが、風刺新聞 『嘲笑者』 とか、月刊 『時代』 とか 『世紀』、週刊 『市民』 などの編集長なんかをやってたのは面白いね。別にそれを真似たわけでもないけど、ぼくの場合も編集長と名のつく仕事を過去に何度もやってきた。 『福高新聞』 ・・・(中略)・・・大学をやめてからは、『運輸広報』、『創芸ジャーナル』、『洋酒タイムズ』、週刊 『交通ジャーナル』、そして今度の『面白半分』とくるわけで・・・(略)。
いずれにしても編集長というのは、一度やったらやめられないコジキ商売みたいなものらしい。
『面白半分』というタイトルには、あんまり深刻な意味をこめずに、楽に、快活にやりたいんです。
(中略)・・・これだけはぜひやりたいと思うのは、大衆文化(サブ・カルチュア)とか娯楽の問題、あるいはポピュラーであるということはどういうことかというような問題を、割と真正面から野暮にやりたいという気がする。・・・

7月号の執筆者。
李礼仙、カルメン・マキ、中村白葉、片岡義男・五木寛之(対談)、萩原朔美、ソンコ・マージュ、金子光晴、益田喜頓、堤玲子、内村剛介、藤田敏雄、ほか。
1970年代。
思えば、熱い時代だった。

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2006年2月20日 (月)

【読】柳田国男と宮澤賢治

柳田国男全集を借りてきて読み始めている。
なかなか手ごわい。

yanagita_zensyuu『柳田國男全集 11』 ちくま文庫 1990年
(妹の力、巫女考、毛坊主考、ほか)

「巫女考」(大正2~3年「郷土研究」所収)という、文庫で100ページほどの論文から読み始めたのだが、これがまた、小さな文字が(文庫なので)ぎっしりと詰まっているのだ。
つまり、情報量が多い。
まあ、がんばろうと思う。

柳田国男のテクストに難航していたら、別の本でおもしろいものを読んだ。
yanagita
『新文芸読本 柳田國男』 河出書房新社 1992年
執筆陣が、なかなかのもの。
三島由紀夫、鶴見和子、谷川雁、宮本常一、小島美子、松谷みよ子、鶴見俊輔、吉本隆明、大江健三郎、等々。

谷川雁の 「柳田國男と宮澤賢治」 が面白かった。
(1990年8月、遠野常民大学発行 「『遠野物語』の世界―第七回・八常民大学合同研究会記録」所収)
宮澤賢治の作品にみられる、柳田国男的な世界についてふれている。

柳田国男、明治8年生まれ。宮澤賢治、明治29年生まれ。
柳田の『遠野物語』は、明治43年に出版されている。

賢治の童話のなかに、『座敷童子』という、あきらかに『遠野物語』の影響をうけたとみられるものがある。
『遠野物語』を柳田に聞かせた遠野の佐々木喜善(明治19年生まれ)は、しばしば花巻にあらわれて、エスペラント語を習いに来たり、民俗学の話を若者たちに聞かせたりしていたという。

その佐々木喜善が花巻から興奮して帰ってきて、「きょう、花巻ですばらしい青年と出会ったぞ、宮澤賢治というのだ」と、息子さんに語ったという逸話を谷川雁が紹介している。
賢治の『座敷童子』は、この佐々木喜善の影響ではないかという。

他にも、谷川雁は賢治の作品に『遠野物語』的な民潭世界の影をみている。

『水仙月の四日』 ・・・女神が子どもを取ろうとする話。これは、まさしく『遠野物語』の世界である。
『どんぐりと山猫』・・・裁判をする山猫の前にどんぐりたちが群がるのを見て、一郎が「奈良の大仏に参詣するみんなの絵のようだ」と思うところ。
説経節『山椒太夫』お「誓文」(厨子王をかくまった坊さんが、日本国中の大きな神さまを並べて、ここには子どもはいないと誓う)に通じる。誓文に奈良の大仏が出てくる。
また、山猫が陣羽織を着ているあたりも、説経節の影響がみられる、という。

ほかにも山男(赤い顔、金色の目をもつ異人)がでてくる話として
『山男の四月』 『狼森と笊森、盗森』 『紫根染めについて』 『風の又三郎』 『祭りの晩』
などがあるという。
谷川雁の講演の面白さをうまく紹介できないが、刺激的なはなしがたくさんある。

これまでずっと、ぼくには宮澤賢治の童話が不思議でならなかった。
西欧的な要素がありながら、どこか泥くさい感じがあり、そこが魅力なのだが、いったいどういうことなのかという疑問があった。
谷川雁の指摘を要約すると、「賢治は『遠野物語』的な民潭の世界を自ら作った」ということだろう。
なるほど、と思ったのである。

柳田国男の世界も、ぼくにはいよいよ面白くなってきた。
まあ、人物としては南方熊楠の方がより魅力的なのだが・・・。


《参考》 ― Wikipediaから
谷川雁(たにがわがん) 本名 谷川巌(タニガワイワオ)
1923年12月16日 - 1995年2月2日
詩人、評論家、サークル活動家。 熊本県水俣市に六人兄妹の次男として生まれる。
兄は、民俗学者の谷川健一。
1945年、東京大学文学部社会学科卒。
戦後、西日本新聞社に勤務。「九州詩人」「母音」に詩を発表し、安西均、那珂太郎などと交遊。
1947年、日本共産党に入党すると大西巨人、井上光晴らと活動し、新聞社を解雇される。
1960年、安保闘争を機に共産党を離党し、吉本隆明らと「六月行動委員会」を組織して全学連主流派の行動を支援する一方、地元の大正炭鉱を巡る争議では「大正行動隊」を組織して活動した。「多数決を否定する」「連帯を求めて孤立を恐れず」といった、個人の自立性、主体性を重視し既成組織による統制を乗り越えようとした組織原理と行動原理は、その後の全共闘運動にも大きな影響を与えている。
1961年、吉本隆明、村上一郎と思想・文学・運動の雑誌「試行」を創刊したが、8号を最後に脱退(「試行」はその後、吉本の単独編集となる)。評論集「戦闘への招待」を発表。
1963年、評論集「影の越境をめぐって」を刊行。大正鉱業退職者同盟を組織して退職金闘争を展開。
1965年、闘争の終息とともに執筆を含めた一切の活動を停止、上京すると語学教育を展開する「ラボ教育センター」を設立した。組合との対立では、かつての左翼運動家谷川雁の「変節」が話題を呼んだ。
1978年、長野県黒姫山へ移住。
1981年から「十代の会」を主宰し、宮沢賢治を中心に児童文化活動に取り組むなどの活動を再開した。
1991年、作曲家新実徳英と共作で合唱曲「白いうた 青いうた」の制作を開始。全100曲を目指したが、雁の死により53曲で中断。
1995年2月2日、肺がんにより死去。

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2006年2月19日 (日)

【読】五木寛之と沖浦和光

沖浦和光 (おきうら・かずてる) という人がいる。
民俗学者、社会学者と呼べばいいのか。
なかなかユニークな学者さんで、ぼくは好きなのである。

okura_sankaokiura_setouchiokiura_take『幻の漂白民・サンカ』 文藝春秋 2001年
『瀬戸内の民俗誌』  岩波新書569 1998年
『竹の民俗誌』 岩波新書187 1991年

この沖浦さんと五木寛之の対談
 『辺界の輝き』 岩波書店 2002年
が面白い。

okiura_henkai『辺界の輝き 日本文化の深層をゆく』
― 目次 ―
 漂白民と日本史の地下伏流
 「化外の民」「夷人雑類」「屠沽の下類」
 遊芸民の世界――聖と賤の二十構造
 海民の文化と水軍の歴史
 日本文化の深層を掘り起こす

五木寛之の 『戒厳令の夜』 が「小説新潮」に連載されたとき(1975年)、ぼくは毎号たのしみにして購読していた。五木寛之をリアルタイムに読んだのは、これが最初だったかもしれない。
その後の『風の王国』は、「サンカ」をクローズアップした小説。

「サンカ」という言葉じたいに問題があるようだが、柳田国男、三角寛によって紹介された「幻の漂白民」である。明治以降、いわれない差別を受けたりもしている。
初期の柳田国男はまだしも、三角寛という人がクセ者で、センセーショナルなとりあげかた、紹介のしかたをしたものだから、好奇の目で見られることが多かった。

ここにあげた本は、いずれも、ぼくにとっては衝撃的で「目から鱗」の読書体験だった。

marginal 《参考》
「サンカ」 ― Wikipedeiaから ―
山窩(サンカまたはサンガ)は日本の山地を漂泊し、河川漁労、竹細工などを生業としていた非定住民の集団である。
山家とも呼ばれる。独特の隠語を喋り、サンカ文字を使用し、農耕せず、定住せず、政治権力に服従しないなど、大和民族とは明らかに文化が違っていた。
その実態は明らかでなはく、分類や起源には様々な説があり、謎に包まれているがゆえに一部には滑稽な珍説も見られる。
サンカが、日本の少数民族の範疇なのか、歴史的に様々な姿や呼称で日本の様々な時代に記録されてきた、非定住文化をもつ日本人なのかは現在不明である。
少なくとも、近世以降、政治権力に公認された共同体である、町や村に編成された人々ではなかった。
柳田国男は、「人類学雑誌」に彼等の記述を行っている。
サンカは、明治から徐々に被差別部落や都市労働者層に吸収され、また戸籍と定住を強要され徴兵されていった結果、戦後に日本文化と同化し、姿を消した。


ネット検索で興味深いサイトをみつけた。
「サンカ(山窩)を考える」
http://www.kumanolife.com/History/kenshi1.html
(メインサイトはこちら)
「自然の中へ そして心の中へ!」
http://www.kumanolife.com/index.html
制作者がどういう人かは知らないが、情報としての価値はあると思う。

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2006年2月18日 (土)

【遊】武蔵国分寺、府中郷土の森(続)

このブログに写真がうまく貼れないので、別投稿とした。
「武蔵国分寺」と「府中郷土の森」を中心とした、きょうの散歩の続き。

062180036062180037062180082枯葉がついたままの樹木と、春をつげる花。
マンサクが咲いていた。





062180015062180023武蔵国分寺の山門。






062180079062180053062180091府中郷土の森博物館園内。
大道芸をやっていた。   

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【遊】武蔵国分寺、府中郷土の森

きょうは、地元のお寺と博物館をまわってきた。

060218sanpo

JRの駅に置いてあった「多摩・武蔵野ウォーク」というパンフレット。
これがきょうのコースのヒント。 ただし、ウォーキングではなく、車でまわった。

都立武蔵国分寺公園 ~ お鷹の道 ~ 武蔵国分寺 (散歩)
~ (車で移動) ~ 府中郷土の森博物館 (散歩)


身近にこんな面白いところがあったとは、うかつだった。

武蔵国分寺公園は、JR中央線国分寺駅と西国分寺駅の間、中央線の南にある。
広々とした芝生があり、樹木も多い。 人も少なくていいところだった。

062180035062180030公園から南へ、国分寺というお寺へ続く「お鷹の道」という遊歩道がある。 江戸時代、尾張徳川家の御鷹場だったことの由来する。
途中に「真姿の池湧水群」という湧き水があった。
環境庁の名水百選に選ばれているという。

すこし歩けば、武蔵国分寺である。
「国分寺」の地名になった武蔵国分寺という歴史のあるお寺の跡。
http://www.musashikokubunji.jp/

062180017062180025その昔、諸国に「国分寺」が建立され、この地にも広大な寺町がひろがっていたらしいが、元弘三年(1333) の新田義貞の元弘の変の戦乱で焼けてしまったという。
いま建っているのは、本堂(左)と薬師堂(右)などのわずかな建物。
日本史にくわしくないのだが、この近くを通る鎌倉街道を新田軍が鎌倉目指して進軍したのだという。
このお寺の境内には、万葉植物園というのもあった。
万葉集にうたわれた植物を可能な限り集めた庭園だが、季節がら葉が落ちているものがほとんどだった。
新緑の頃にまた訪ねてみたい。

府中郷土の森博物館
府中市の南端、東京競馬場(府中競馬場)の西にある。
すぐ南は多摩川だ。
博物館だけでなく、広い敷地に古い建物が復元展示されていて面白かった。
入園料200円というのもうれしい。

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062180046まいまいず井戸という古井戸の跡(復元)が面白かった。
「まいまい」とは、蝸牛(かたつむり)。
この井戸までぐるぐる渦を巻くような道を下りていく。井戸はちょうど蟻地獄の底のような場所にある。

古い雛人形が、一軒の建物に展示されていた。
雛まつりも近いなぁ。 

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2006年2月17日 (金)

【読】青空ふたり旅

五木寛之と井上陽水。

ituski_hutaritabi『青空ふたり旅』 五木寛之/井上陽水
 角川文庫 1985年

井上陽水 27歳、五木寛之 43歳、1976年夏の対談。
はじめは遠慮気味だった陽水が、五木寛之のペースにのせられていくのがおかしい。
井上陽水といえば、彼が「大麻」で逮捕され(1977年)、世間からひどく責められたことがあった。
ゴメンナサイをした陽水に対して、心ない人々は、やれ権力に屈したとかなんとか、ひどいことを言ったのだが、これについて五木さんがどこかで次のように書いていたと思う。

井上陽水が幸徳秋水の血筋だということにふれ、陽水が警察という国家権力をまのあたりにしたとき、その怖さを身をもって感じたはずだ。誰も彼を責めることはできない。 ・・・と。
(例によって、正確なところをおぼえていないので、ニュアンスのちがいはあるかも)

ぼくの記憶はあいまいだが、このような五木さんの考え方が好きだな、と思った記憶がある。
五木さんは、『歌いながら夜を往け』 の中のトークでも、マリファナについて語っていた。

― 『歌いながら夜を往け』 第二楽章 ―
論楽回の第二回は、"五木寛之アドリブ論楽会"とネーミングされ
1979年7月21日午後5時、サンミッシェルを思い起こさせる
東京・原宿のラフォーレで行なわれた。
"アドリブ論楽会"は、冒頭からショッキングな発言で始まった。
五木寛之が、あえて問い直すドラッグ論とは、いったい何か?


― はてなダイアリー 「大麻とは」 から ―
桑科刺草目麻属の一年草。学名Cannbis sativa。
茎などからは良質の繊維が取れ、丈夫で柔軟なロープとして、また軽く通気性の良い布として利用される。
種は食用として広く用いられ、七味唐辛子にも使われる。
芽・葉・花に(trans) tetra hydro cannabinolという幻覚性物質が多く含まれる。
別名:マリファナ、ハッシシ、グラス
日本における禁止薬物の一種であり、広義での麻薬に分類される。種や茎の状態以外での所持や栽培および使用は禁止されており、違反すると大麻取締法により処罰され、最長7年以下の懲役となる。
その一方で、大麻の中毒性・依存性・有害性は「ハード・ドラッグ」と呼ばれる他の麻薬や煙草よりも低いとして、少量の個人使用に限定した大麻の解禁を求める運動がある。
オランダのように少量(30g未満)の大麻の所持は摘発されない国もあり、日米を除く先進国(特にEU諸国)では規制緩和の方向に動いている。

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2006年2月15日 (水)

【読】アンソロジスト五木寛之

アンソロジー(anthology)と呼ばれるスタイルの本がある。
いろいろな作家の作品を集めた「選集」である。

五木寛之にはまっていた時期、小説・エッセイのみならず、彼の手になるアンソロジーまで買って読んでいた。

matsuri1matsuri2『日本の名随筆 44 祭』 五木寛之 編 作品社 1986年

このシリーズは、いまでも本屋の書棚にならんでいる。
いろんなテーマがあり、編者がそれぞれユニークなのだ。
この「祭」は、五木さんのアンテナの幅広さがうかがえる内容だ。
野口雨情、柳田国男、折口信夫、三島由紀夫、梅原猛、堀田善衛、岡本かの子、といった有名どころに混じって、松永伍一、椎名誠あたりを選んでいるところが五木さんらしく興味深い。

ongaku『音楽小説名作選』 五木寛之・選 日本ペンクラブ編
 集英社文庫 日本名作シリーズ2 1979年

この文庫シリーズが好きで、ずいぶんたくさん買って読んでいた。
音楽小説がテーマのこのアンソロジーも、五木さんらしい編集だ。

「ピアノ」芥川龍之介/「ファンキー・ジャンプ」石原慎太郎/「GIブルース」五木寛之/「津軽じょんから節」長部日出雄/「生きながらブルースに葬られ」河野典生/「星のクヮルテット」今官一/「足踏みオルガン」阪田寛夫/「今も時だ」立松和平/「熊の木本線」筒井康隆/「月」三島由紀夫/「指」宮原昭夫/「ジングル・ベル」安岡章太郎

音楽好き、小説好きな人には、たまらなく面白い一冊だと思う。
巻末に巖谷大四との対談解説がある。
その中で、五木さんは「アンソロジーの批評性」について持論を展開している。
ちょっとだけ紹介してみよう。

<実は今回、こういう形で作品を編む仕事をしてみて、アンソロジーというものが、小説とか文芸の世界で、非常に大切なものである、ということを、あらためて再認識したような次第ですけれども・・・。(略)
これだけ出版物が氾濫して来て、さて何を読むべきか、というときに、人にはそれぞれ好みがあり見方の違いがありますから、「これを読め」というふうな押しつけはできないけれども、・・・(略)
そういう読者に対して、ぼくがこういう形で一つの提示をするというのは、アンソロジストとしての批評性が問われる恐ろしい仕事であるのと同時に、とてもやりがいのある嬉(たの)しい仕事だというふうにおもうんです。・・・>

いま、ひさしぶりに、この本を読みかえしている。

芥川龍之介の『ピアノ』という小品がいい。
五木さんは、この小説を庄司薫(ピアニストの中村紘子さんの夫君)から教えられたという。
石原慎太郎の「ファンキー・ジャンプ」というジャズを題材にした小説も、当時(1959年)は斬新な試みだったのだろうと思う。
五木さんの『GIブルース』も何十年ぶりかの再読だが、新鮮だった。
長部日出雄の『津軽じょんから節』を読んでいるところだ。

いまから27年前に編まれたこのアンソロジーに載っている作家の写真を見ると、五木寛之にしろ、長部日出雄にしろ、筒井康隆にしろ、みんな若々しくて、なにやらおかしい。

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2006年2月14日 (火)

【読】雑民の魂

駒尺喜美(こましゃく・きみ)という人がいる。
ネットのWikipediaによれば・・・
近代文学研究者、女性学者。
元法政大学教授。大阪市出身。
京都人文学園卒業後、法政大学大学院修了。
1990年まで法政大学教養学部教授。専門は日本近代文学。
夏目漱石作品や著書「紫式部のメッセージ」の中で、「源氏物語」などを女性学の視点で読み直し、新しい説を立てた。また、日本女性学会の創設にも力を注いだとされる。

とある。 学者さんであるが、堅物ではない。
というのも・・・

ituski_zatumin駒尺喜美 『雑民の魂 五木寛之をどう読むか』
 1977年 講談社文庫(1979年)

― 「まえがきとしてミーハーの声」から ―
ここ二、三年来、わたしは人の顔を見るごとに、五木寛之がああいっているこういっているとしゃべり散らしていたので、ある友人は、わたしのことを五木の顔にいかれているのだ、と気の利いた批評をしてくれた。
だが残念ながら、わたしが五木の顔写真をまじまじと見つめたのは、すかり彼にいかれてしまってからのことであった。とはいうものの、今はもちろん彼の顔も好きである。本当は彼の写真に(著書ではなく)サインをもらって、桐の箱にでも納めておきたい心境である。久しぶりにわたしは「ファン」の心境をとりもどして、水を得た魚のような心境である。・・・

いいなぁ。こういう学者さん。
駒尺さんは、「15歳から20歳までミーハーの生活を満喫していた」 と、みずから書いているほどの、ふつうの人である。 「毎夜のごとく大阪のミナミの繁華街をうろついて、劇場やダンス・ホールの中で生活の大半を過ごしていた」 という、根っからの不良少女であったという。

ぼくはまた、このような人の書いた本を信用する。
駒尺さんのいう「雑民」という言葉がいい。
駒尺さんは、この本のあとがきでこう書いている。

「五木寛之との出会いは、わたしにとってまことに衝撃的であった。それは、五木さんの<雑民の魂>にふれて、わたしの内部にねむりこんでいた、<雑民の魂>がゆり起こされたからである。雑民もまた、声なき声でなく声ある声をもちたいと思う」

『魔女の論理』 という興味深い本もある。
この本には、五木寛之の推薦文がある(右下)。

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2006年2月13日 (月)

【読】さらばモスクワ愚連隊

五木寛之のデビュー作 『さらばモスクワ愚連隊』 を読んだ。

itsuki_bookmagazine1この小説、はじめて読んだのはいつだったか。
おぼえていないが、読んでいるはずだ。
五木寛之のデビュー当時(1966年)、ぼくはまだ中学生で、北杜夫にはまっていた時期。
五木寛之には関心がなかった。

今回の再読は、『五木寛之ブックマガジン(夏号・2005年)』
驚くほど新鮮な小説だった。
40年たっても、色あせていない。
媒体が雑誌形式の書籍だったせいか、同時代の小説を読むような感じで胸がおどった。

「五木のエッセイは時がたてば色あせるだろう、だが、彼の小説は時代を超えて生き続けるだろう」・・・こんなことを何かで読んだ記憶がある。
五木寛之作品集(文藝春秋・1972)の巻末解説に内村剛介が書いていたと思うのだが、自信はない。
ぼくは反対に、五木の小説は時代とともに色あせるだろうと考えていたが、このたびの再読で、そうではなかったことを強く感じた。

短い小説だが、じつによくできている。
文体がまるでスイングするジャズのようだ、とは、 この小説についてよく言われることだ。
まさにそのとおり。
ぐいぐい引きこまれ、いっきに読みおえてしまった、と言いたいところだが、通勤電車の中で読んだので最後のところは時間切れ。昼食をとった喫茶店で読みおえた。
途中、感動で涙が出そうになったことも、ちょっと恥ずかしいが告白しておく。なんちゃって。

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2006年2月12日 (日)

【楽】津軽三味線

津軽三味線のコンサートに行ってきた。
これまで知らなかった「風」というグループ。
まったく期待していなかったのだが、これがなかなかのものだった。

060212kaze風 KAZE
http://www.nakatsubo.co.jp/homepage/kaze/p_kaze.html

昭和42年、高橋祐次郎を指導者として民謡の愛好家組織「民祐会」を結成。昭和62年、結成20周年を記念して、彼が手塩に育てた花の名取の弟子たちを中心にして津軽三味線の聚団を結成。
全てどこにでもあるごく普通の邦楽器を用い、時代の枠や既成概念に囚われない民謡や和楽器の創造団体を目指しています。
更に世界に活躍する笛・尺八の名手「佃流」を加えて一段とパワーアップ。より重厚な編成となりました。 (公演パンフレットから)

津軽三味線といえば、吉田兄弟、木下伸市、上妻宏光など、いろいろ聴いてきたが、この「風」というグループも味があって、いい。

津軽三味線、尺八、鳴物、唄というシンプルな構成。メンバーは総勢10人。
オープニングは古典的な津軽三味線で、衣装も羽織袴、着物。
ちょっと眠気を誘うような曲目だったので、これはハズレかな、などと思って聴いていたのだが・・・。

リーダー(高橋祐次郎)のしゃべりが始まると、印象ががらっとかわった。
秋田出身だという。お国なまりが愛嬌。
観客をひきつけるのが、じつにうまい。
三味線の歴史を、実演をまじえながらわかりやすく解説。
高橋竹山らが弾いていた津軽三味線の音色が、現代のものとはまったくちがうことなど、実物の楽器の音色を聴かせてもらって、勉強になったのである。
高橋竹山と吉田兄弟の演奏のちがいを、身ぶりをまじえながら実演。
客席は笑いの渦。 サービス精神旺盛なのである。
いやぁ、おもしろかったなぁ。

その後の演奏も、メンバーが入れ替わり立ち代り曲目によって奏者交替しながら、テンポよく、ぐいぐい引き込んでいくのに感心した。
尺八の二人(佃一生、佃康史、父子)の演奏が、なかなかのもの。

休憩をはさんで第二部では、全員が衣装をかえて(上のパンフレット写真にあるような、どこか沖縄風の衣装)、
アメリカ音楽を津軽三味線・尺八・笛・太鼓で演奏するという、ユニークな「KAZEのアメリカングラフティ」というコーナー。
ユーモラスな演奏に、客席にはリラックスムードがただよう。

「じょんから教室」と名づけたコーナーでは、メンバーの三人による競い合いを見せてくれて、これまたおもしろかった。
津軽三味線の奏法についても、勉強させてもらった。

さらに、民謡のコーナーでは、リーダー・高橋祐次郎が、自分の出身地秋田の西馬音内(にしもない)盆踊りの音頭も披露。
知る人ぞ知る、上々颱風と縁のふかい音頭だ。
http://www.bon-odori.jp/
これには思わず狂喜してしまった。

鬼太鼓座、鼓童、東京打撃団といった打楽器集団ほどの力強さはないものの、津軽三味線をベースにした音楽集団として、しっかりした活動をしているようだ。 これからも注目したいと思う。

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【遊】川越(続)

きのう出かけた川越という街。
古い城下町の風情が残っているうえ、景観、建造物をを保存しようという意識が強い。
行政レベル、市民レベルで、まあ、そういうものを観光化している街なのである。

「蔵通り」と名づけられた、わずか数百メートルの街並みは、歩いていて飽きない。
いろいろな商店が軒をつらねる。
和菓子屋、せんべい屋、駄菓子屋、民芸品店、醤油・味噌・漬物の店、豆腐屋、蕎麦屋、うどん屋、金物屋、桶屋、桐たんすの店、呉服屋、縮緬専門の店、・・・。

このメインストリートは環境客でごったがえしているうえ、車も通れる道なので、たいへんな賑わい。
一歩、表通りをはずれると、これまた古い店舗が残っていたりして、なんとも楽しい。

きのうは、川越城址まで歩いてみた。
本丸御殿の建物が博物館になっている。

その帰り道、かわった喫茶店があった。
いかにも古い木造の店で、中に入ると、これは骨董店の風情。
木の戸棚に古そうな瀬戸物がぎっしり展示、というか飾られていた。
外国の民芸品みたいなものや、古時計などもたくさんあり、アラジンの灯油ストーブを使っていたりする。

店の人は、カウンターに若い男性がひとり。
ぼくらのほかにお客はいない。
ここで、チャイとコーヒーを飲む。

店の人となんとなくおしゃべりをして、いろいろ聞かせてもらった。

この建物は、もともと芸者の置屋だったものを、下駄屋さんが引き継いで使っていたものだという。
関東大震災でも壊れなかったという。ただし、すこし歪みがでて、梁がなんとなく曲がっていた。
下駄屋さんが高齢のために店をたたんだ後、そのままになっていたのを、今のオーナーが引き取って喫茶店を開業。

このオーナーは、別のところで骨董店を営んでいて、ほんとうは骨董店にしたいらしい。
(オーナーはインドに旅行中で不在、店にいた人は留守番役だという)
まず、人目につきにくく、観光客も気づかないようなお店だった。
また寄ってみよう。

別の場所だが、繁華街をはずれたところに、ジャズレコードのジャケット写真を大きく壁に飾っている店があった。
ソニー・クラークの「クール・ストラッティン」のジャケット写真だ。
いったい何の店なのか、不思議。

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2006年2月11日 (土)

【遊】小江戸川越

ほんとうにひさしぶりに、川越へ行ってきた。
いつ行っても面白い街並みだ。

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蔵造りの街並み。こういう古い建物が好きだ。
土曜日で人出が多かった。


街並みをはずれたスーパーマーケットの駐車場に車を置いて、きょうはたくさん歩いた。

kawagoe06kawagoe04kawagoe05菓子屋横丁。
なつかしい駄菓子屋が並ぶ。
「よいこのびいる」が地ビールといっしょに売られていた。飲んでみればよかった。
kawagoe08kawagoe07ほんものの地ビール。
原料は地元特産のさつまいも。
昼食に寄ったうなぎ屋で。


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この街は、歩いているだけでいろんな面白いものが発見できる。
川越まつりで曳かれる山車の写真。「川越まつり会館」の入口で。
この会館の中へも、いつか入ってみたい。
右の写真は、ショーウィンドウの雛人形。縮緬専門店の店先で。

そのほか、たくさんの発見。
街中で銭湯ののれんを発見。ひと風呂あびてみたかったが、いつも持ち歩いている温泉セットを車に置いてきたので断念。

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【読】柳田国男

柳田国男 (やなぎた・くにお 1875.7.31 - 1962.8.8)
日本の民俗学を学問として構築した。
農政学を学び、のち民俗学者となった。
近代化の中で忘れられていた民衆(柳田が提唱した語では常民)の世界に目を向け、日本民俗学の祖となった。急速な近代化にさらされて省みられなくなった伝統的な生活を学問の対象に初めてすえた功績は大きい。
各地に民俗学者を育成し、系統的な民俗学研究、郷土研究を行う基礎を築いた。 (Wikipediaから)

・・・とまあ、こういうふうに紹介されているエライ人物である。
興味はわくが、とっつきにくいのである。
『遠野物語』 などという有名な著作は、読んでみてとても面白かったのだが・・・。

近くの図書館に、膨大な文庫版全集(ちくま文庫・全32巻・各巻700ページ!)という気になるものが置いてあるのだが、いったいどこから手をつけたらいいのか・・・と、途方にくれていたのである。

ところが、さきごろ面白い本を読んだ。

akasaka_yanagita赤坂憲雄 著 『柳田国男の読み方 ―もうひとつの民俗学は可能か』
 ちくま新書 1994.9.20  (カバー表紙のコピーから)
・・・「民俗学」が排除したモノたち、物語という異形の身体、山の神や山人・アイヌの人々、漂白する人々や被差別の民・・・、そのいずれもが稲作・常民・祖霊の周縁ないし外部であることは、いったい何を意味するのか。

この200ページほどの新書を読んで、ぼくの「柳田国男像」が焦点をむすんだ気がする。
著者の赤坂憲雄さんは、20代の終わりに、古本屋で柳田国男全集(全36巻)を手に入れ、読破したという。
国立にある谷川(やがわ)書店という古書店の名前まであげている。
じつは、ぼくもこの店を知っている。
それだけのことで著者が身近に感じられ、なんだかうれしくなった。

「 ・・・『定本柳田国男全集』はそこで買った。たしか四万五千円の値段だった。初版の、固い箱入りのもので、読まれた形跡はまるでなかった。格安だったが、当時のわたしにとってはかなりの勇気がいる買い物だった。段ボール箱に詰め、自転車の荷台にくくりつけて、国分寺のアパートまで運んだ。荷台から伝わってくるずっしりとした重量感が、心地よかった」 (著者あとがき)

このような人の書いた、たんねんな論考だから、ぼくは信用する。

著者は、柳田国男の仕事を「初期」「前期」「後期」に分け、初期(明治30年代)・前期(明治40年代~大正末年)の柳田の関心のありようにスポットをあてる。
そこには、後期の柳田が切り捨てた「非・常民」(山人、漂泊者、被差別民)への、柳田の強い関心と熱い視線が感じられるのだ。

これまで、柳田国男にはなかなか手が出なかったが、この赤坂さんのガイドを道案内に、柳田国男という巨人の森にすこしずつ踏みこんでみようかな、という気になっている。

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2006年2月10日 (金)

【読】日本幻論

五木寛之 『日本幻論』 という本もあった。

ituski_genron1993年 新潮社 (1996年 新潮文庫)

(新潮文庫カバー裏のコピー)
この国には、見えていないもう一つの国がある―。
幻の隠岐共和国、かくれ念仏の神仏習合的なありかた、柳田国男と南方熊楠の違い、蓮如の教えの俗信的な力強さなど、いずれも正統に対する異端、民俗に対する土俗などの位置づけを踏まえてテーマを展開している。 非・常民文化の水脈を探り、隠された日本人の原像と日本文化の基層を探る九編。 五木文学の原点を語った衝撃の幻論集。

この本、しばらく忘れていたが、あらためて広げてみると五木さんの着眼点の鋭さに気づく。
「柳田国男と南方熊楠」の章など、ぼくが感じていたことと一致して、我が意をえたような気がした。

五木さんは、柳田国男よりも南方熊楠が「ひいき」らしい。
ひいき、なんて、へんな言い方かもしれないが、柳田国男の業績は認めながらも、彼がたどった「常民」への退却というか、視点の後退に五木さんは異をとなえる。
五木さんの立場は、終始、「非・常民」である。

「彼のいう常民というのは、決して都会のルンペンではない。 これはもうはっきりしている。 農村に定住する人々である。 焼畑農業をやって移動しながら生きている人たちではない。 炭焼きをしながら放浪している人たちでもない。 マタギとか、木地師とかいろんな連中がいるけれども、そういうものも、一応、常民の枠の中には入らない」

柳田国男について、ぼくは詳しく知らないのであまり言えないが、彼もはじめは「非・常民」に関心をよせていたのである。 このあたり、とても興味深い。
五木さんも、南方熊楠との往復書簡について引用しながら、柳田国男の変化を指摘している。

『柳田国男 南方熊楠 往復書簡集』 (平凡社ライブラリー、他)が面白かった。
「晴れときどき曇りのち温泉」の資料蔵―南方熊楠の項で、すこしだけふれた。
http://yamaoji.hp.infoseek.co.jp/kura.html#minakata

南方熊楠とともに柳田国男についても、この先いちどはきちんと読んでみたいと思っているのである。

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2006年2月 7日 (火)

【歩】ハズレ

きょうは、天気予報がみごとにハズレ。
ここまでハズレると、小気味いいほど。
肌寒い一日だった。
(最高気温15度、春一番?・・・というのが今朝までの予報)

ゆうべ、雪がふりつもった。
雪景色は、うれしい。

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2006年2月 6日 (月)

【読】歌いながら夜を往け

『歌いながら夜を往け』 五木寛之
 (副題 五木寛之論楽会) 集英社文庫 1985

ituski_rongakukaiこの本については、本編のサイトでもとりあげた。
→ 「晴れときどき曇りのち温泉」 この一冊
http://yamaoji.hp.infoseek.co.jp/books.html

五木寛之は、1979年から(たぶん)「論楽会」と題するライブ・ショー(トーク・ショーでもあり、ライブでもある)を続けている。
クロスオーバーという、今では死語になった言葉があるが、ジャンルにこだわらず五木氏の関心のある有名・無名の人々が多数出演。まさにクロスオーバーな催しだ。
この本は、その初期の熱い雰囲気を伝える内容。

論楽会という催しがどれほど回を重ねたのか、ぼくはよく知らないが、ひょんなことから一昨年の5月に生で見る機会があった。
rongakukai2004「五木寛之 論楽会 '04東京篇」
 日刊ゲンダイ 「流されゆく日々」 7000回記念
 2004.5.7(金) ヤクルトホール(新橋)
 午後6時30分開演

第1部 五木寛之 講演
第2部 トーク&ライブ
ゲスト 米良美一、ソンコ・マージュ、三上寛、月田秀子、山崎ハコ、山之内重美、山下健二、ほか

rongakukai2004_01rongakukai2004_02論楽会とは、じつにうまいタイトルだ。
論と楽。
五木さんの講演、多彩なゲストとのトーク、ゲストの演奏、演技、朗読。
この回のゲストは、米良美一(クラシック歌手)、月田秀子(シャンソン)、山下健二(ロシア語の詩の朗読)、山之内重美(ロシア語の歌)、山崎ハコと三上寛(フォーク)、他にも、名前を憶えていないが、舞踏もあった。
ぼくのおめあては山崎ハコさんだったが、またチャンスがあったらでかけてみたい。 

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2006年2月 5日 (日)

【読】五木寛之を読みかえす

おおげさなタイトルだが、すこしずつ読みかえしてみようかなと思っている・・・という程度のことだ。
五木寛之ブックマガジンという、500円のムックの新刊が出たので、そんな気になった。

ituski_magazine「五木寛之ブックマガジン 冬号」 KKベストセラーズ
 2006.2.6発行 500円
 A5版 399ページ近くでこの価格はお買い得。
すでに夏号(2005.8.8)、秋号(2005.11.8)が出ている。
このあと春号が出るはず(4月25日頃発売予定)。
過去の小説も再録されているが、それよりも、インタビュー記事やエッセイ、写真が興味深い。
本棚を探してみると、古い文庫本がいくつかあった。
いまでは入手困難なものもあり、熱心な読者だったんだなぁ、と我ながら思ったりして。

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これらの本をひっくりかえしながら、これから、少しずつ書いてみたい。

※五木寛之作品BLOGというのがみつかった。管理人は山川健一氏。
 http://ameblo.jp/itsukihiroyuki/   

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【楽】うたさー

日曜昼のFMラジオ番組「日曜喫茶室」(NHK-FM)をよく聴く。
きょうのゲストは、夏川りみ。

同時進行で書いているのだが、沖縄(琉球)には「うたしゃ」ということばがあるという。
ネットで調べてみると
 唄(歌)者(うたさー)
 歌三線(うたさんしん)を心得た者。
 現在は、名人の意味で使われることがあるが、
 かつては舞踊家らに対し低くみる時の言葉でもあった。
とあった。

歌手と呼ばれるより、うたしゃ(うたさー)と呼ばれる方がうれしい、と夏川りみが言っている。
沖縄民謡(音楽・芸能)の裾野のひろさを感じさせる言葉。
いい響きだ。

もうひとつ、「ぬちぐすい」という言葉もある。
「命の薬」というほどの意味だ。
これも響きが好きだ。

じつは、ぼくがじぶんのサイト「晴れときどき曇りのち温泉」を作るとき、サイトの名前を「ぬちぐすい」としたかった。その頃、沖縄の歌にはまっていたピークだったということもある。
あいにく、すでにそういう名前のサイトがあったことから、やめにした。

夏川りみは、わりと好きである。
「わりと」という限定の理由には、いろいろあって、ここには書かない。
元ちとせ、古謝美佐子、我如古より子、おおたか静流、RIKKI、・・・数えあげるときりがないほど、好きな女性歌手がいる。
男性では、登川誠仁、大工哲弘、新良幸人、大島保克、安里勇、平安隆、ビギン、等々。
もっとたくさんの名手がいるはずだ。
民謡の世界、あたらしい音楽の世界、ジャンルをとわず「うたさー」の宝庫が沖縄だ。

okinawa_musicnuchigusui 『沖縄音楽ディスクガイド』
 TOKYO FM出版 2003年

『Okinawan Slow Music ぬちぐすい』
 UNIVERSAL 2003年

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2006年2月 4日 (土)

【読】優柔不断と貧乏性(続々)

自慢じゃないが自分でも貧乏性だと思う。
赤瀬川原平さんの 『優柔不断術』 を読んで、あらためてそう思った。

「たとえば小包が送られてくる。 それを喜んで、紐を鋏でぷつんと切って、包み紙をばりばりっと破いて開けたりしては絶対にいけない。 紐と紙が駄目になってしまうからだ。 まずはやる気持を抑えながら、紐は指で結び目をほどく。 そして最後まで焦らずにほどいていって、伸ばしたあときちんと丸める。・・・」

引用はこれぐらいにしておくが、まさに貧乏性の姿である。
ぼくもこれに近い。
紐や包装紙を、もったいない、何かに使えると思ってとっておく。
いつのまにか、いっぱいになってしまう。

本屋で本を買うと、「カバーをつけますか?」と聞かれるが、これは「いりません」と言いながら、袋には入れてもらう(文庫本なんかだと袋ももらわないけど)。
ビニール袋というのかポリ袋というのか、そういう袋がたくさんたまっていく。
デパートの手提げ袋なんかも、かならずとっておく。
スーパーのレジ袋は(買物袋、いわゆるトートバックを持参して)できるだけもらわないようにしているが、それでももらった袋はたいせつにとっておく。

裏が白い広告紙なんかも、捨てがたい(メモ用紙に使える、と考えてしまう)。
袋、紐、紙がたくさんたまってしまうけれど、なかなか捨てられない。
再利用の限度を超えて、ただただ、ためこんでしまうのが貧乏性である。

赤瀬川さんによると、貧乏性は優柔不断につながるという。
宅配便がきたら、包装紙はばりばりと破き、丸めて捨ててしまうのがなんとなくかっこいい、決断力のある行為である。
(ブッシュのアメリカを、決断力の代表選手にあげている)
いっぽう、それができないのは優柔不断であるが、けっして悪いことではない。

赤瀬川さんのはなしは、ここで突然、「捕鯨」に飛ぶ。

「日本はむかしは優秀な捕鯨国で、鯨をたくさん捕って生活していた。 捕った鯨は皮から肉から骨から内臓から脂から、全部利用していた。・・・優秀な板前の包丁さばきのように、鯨一頭を全部きれいにさばいて、そのすべてをムダなく使いきり、その恩恵をこうむっていた」

「その捕鯨が禁止されたのは近代の趨勢なのだが、それを決議したのはほとんど鯨と接したことのない国々である。 過去に捕鯨をしても、脂だけ取って工業製品に使い、あとはすべて投棄していたような粗雑な付き合いの人々がちょっとだけ混じっている」

「とにかくそういう鯨のさばき方も知らないような粗雑な人々の文化が、いまは日本に浸透して小包ばりばりにまで及んでしまった。 それで鯨が可哀相だというのはどういう神経なんだろう」

ながーい引用でゴメンナサイ。
でも、こういう発言、まったく同感。 拍手喝采。

赤瀬川さんのこの本、文明論としてもなかなか奥が深く、面白かったなぁ。
おしまい。

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2006年2月 3日 (金)

【読】優柔不断と貧乏性(続)

きのうのつづき。
赤瀬川原平といえば、「千円札事件」が有名だ。
ためしに「ウィキペディア Wikipedia」という、ネット上の百科辞典のようなサイト
http://ja.wikipedia.org/wiki/
で引いてみると、次のように紹介されている。

本名 赤瀬川克彦。 1937年3月27日 横浜生まれ。
1963年に発表した千円札の模写作品が通貨及証券模造取締法違反に問われ起訴、1970年に有罪が確定。

この裁判のようすが『優柔不断術』にも書かれていて、興味深い。
まあ、この人なりの動機があって、千円札(肖像が聖徳太子の時代)の模写を作った(印刷所で印刷した)事件である。
ただし、片面だけ、それも一色刷りだ。
もちろん、偽札として使うためではない。
六法全書を調べたそうである。
「偽札に関する項目・・・お金として使う目的で紙幣を偽造したものは厳罰うんぬん」と書いてあったという。
印刷所を説得し、片面一色刷りの「偽」千円札の印刷にこぎつけたのだが、つかまってしまったのである。

なぜか。
「模造罪」、はじめに書いた「通貨及証券模造取締法違反」容疑である。
その裁判の様子など、とても面白いのだが、ここでは省く。
興味をもたれた方は、この本を読んでほしい。 なんて、ちょっと無責任だけど。

今夜書きたかったのは、おねしょのはなし。
赤瀬川さんは、中学生まで夜尿症が治らず、悩んだそうである。
そのあたりのことも、詳しく書かれていて面白いのだが、省略。
ぼくが、いい話だなと思ったのは、この夜尿症で、永山則夫と接点があったというはなし。

永山則夫は、1968年から69年にかけて、東京、京都、函館、名古屋で4人を射殺し、いわゆる「連続ピストル射殺事件」の犯人として死刑判決を受けた人物。
新藤兼人監督の『裸の十九歳』という映画のモデルになったし、獄中結婚したり、『無知の涙』という獄中手記や小説も書いたりして、いろんな意味で注目された。
赤瀬川さんは、この『無知の涙』という本の装丁の仕事を依頼された。
そのとき、永山則夫についてはほとんど知らなかったが、彼のクラス写真を見せてもらったとき、すぐに「この子でしょう」と当てることができたという。
それは、永山則夫もやはり少年のときに夜尿症だったからではないか、というのだ。

「・・・ぼくも驚いた。正にその子だった。やっぱり夜尿症だという。ぼくには忘れられないまなざしである。そして忘れられない頬の感触、体の縮こまり方、衣服の着心地。その住んでいたという家の写真も、ぼくが後に住んだ名古屋の市営住宅にぴたりと重なった。ぼくは知識の組立てではだめだったけど、その写真の寂し気な感触に、一瞬通じた。」

長い引用になったが、その後、赤瀬川さんがこの話を何かのエッセイに書き、獄中の永山則夫がまた、それに共感した話をなにかに書いていた・・・という。

ぼくは、永山則夫のことをよく知らないし、彼を非難したり弁護する立場にもないけれど(おっと、こういう言い方はちょっといやらしいな)、書いておきたかったのだ。

なかなか、「貧乏性」の話題にたどりつけないが、今夜はこれで。

※永山則夫についても、「ウィキペディア」で引いてみた。
「獄中で、読み書きも困難な状態から独学で執筆活動を開始し・・・。自らの罪を認め、創作活動を通して自己の行動をふりかえるという、死刑囚としては稀有な存在であった。・・・1997年8月1日に東京拘置所において死刑執行。享年48」とある。

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2006年2月 2日 (木)

【読】優柔不断と貧乏性

いつまでもへこんだままではいられないので、肩のこらない本を読んでいる。
日曜日に近くの図書館から借りてきた。

yujyuhudan赤瀬川原平 『優柔不断術』 ちくま文庫 2005年3月
(カバー裏のコピーから)
何かものごとを始めようとする時、ああしようか、こうしようかと一つ一つ丁寧に考えていると「ぐず」だと言われる。 いきなり「こうだ!」と決めると「男らしい」と言われたりする。 本当にそうなのか?決断こそが素晴らしいのか?
優柔不断でいじゃないか!
優柔不断万歳!!

赤瀬川さんお得意の「どーでもいいようなこと」を、しつこく追求する本である。面白い。
「とりあえずビール二本ぐらい・・・」問題。
飲み屋で聞かれるこのセリフ。
なぜ「とりあえず」なのか、「二本ぐらい」の「ぐらい」が持つ深い意味は? から始まって、優柔不断というモンダイにアプローチしてゆき、あとはもう痛快・赤瀬川原平ワールド。

「チャウンチャウ」というのが、おかしい。
大阪、関西の言葉で、「○○とちゃうか?」「○○ちゃう?」というのがある。
さらに発展?すると、「ちゃうんちゃう?」(違うのと違うか?)と、まことに婉曲というか面白い表現になる。
このあたりの考察が、もう、腹をかかえるほど面白い。

「迷い箸」
「まあそのことについては、いずれまた日を改めて」
「またお会いする機会もあることですから、おいおい・・・」
「それはここで速断せずに、もう少し煮詰めて」
・・・といった、ふだんよく目にする優柔不断さをプラス評価する。
例の「老人力」と同じ考え方である。

この本の後半、「ぼくの優柔不断は天然だった」では、「貧乏性」にはなしが広がって、いろいろ面白いことが書いてあり、貧乏性のぼくとしては、身につまされるというか、そうそうその通りとうなずくことが多いのだが、それはいずれまた日を改めて・・・。

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2006年2月 1日 (水)

【楽】へこんだボール

山崎ハコに、「希望」という歌がある。
この歌のことは、本家のサイトに書いているのでご覧いただけるとうれしい。

→「晴れときどき曇りのち温泉」 資料編 山崎ハコ ディスコグラフィー
http://yamaoji.hp.infoseek.co.jp/k_hako_disc.html#sonota

♪ 淋しい夜には あなたと話がしたい
 今日は こんなことがあって へこんだボールなんだ ・・・

♪ みんなといても 淋しい時があるよね
 急に 独りだけの気がして 早く帰りたくなる ・・・

きょうは、いろいろあって、まさにこういう気分。
外は雨。
冬の雨は、いやだ。

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