« 【読】優柔不断と貧乏性 | トップページ | 【読】優柔不断と貧乏性(続々) »

2006年2月 3日 (金)

【読】優柔不断と貧乏性(続)

きのうのつづき。
赤瀬川原平といえば、「千円札事件」が有名だ。
ためしに「ウィキペディア Wikipedia」という、ネット上の百科辞典のようなサイト
http://ja.wikipedia.org/wiki/
で引いてみると、次のように紹介されている。

本名 赤瀬川克彦。 1937年3月27日 横浜生まれ。
1963年に発表した千円札の模写作品が通貨及証券模造取締法違反に問われ起訴、1970年に有罪が確定。

この裁判のようすが『優柔不断術』にも書かれていて、興味深い。
まあ、この人なりの動機があって、千円札(肖像が聖徳太子の時代)の模写を作った(印刷所で印刷した)事件である。
ただし、片面だけ、それも一色刷りだ。
もちろん、偽札として使うためではない。
六法全書を調べたそうである。
「偽札に関する項目・・・お金として使う目的で紙幣を偽造したものは厳罰うんぬん」と書いてあったという。
印刷所を説得し、片面一色刷りの「偽」千円札の印刷にこぎつけたのだが、つかまってしまったのである。

なぜか。
「模造罪」、はじめに書いた「通貨及証券模造取締法違反」容疑である。
その裁判の様子など、とても面白いのだが、ここでは省く。
興味をもたれた方は、この本を読んでほしい。 なんて、ちょっと無責任だけど。

今夜書きたかったのは、おねしょのはなし。
赤瀬川さんは、中学生まで夜尿症が治らず、悩んだそうである。
そのあたりのことも、詳しく書かれていて面白いのだが、省略。
ぼくが、いい話だなと思ったのは、この夜尿症で、永山則夫と接点があったというはなし。

永山則夫は、1968年から69年にかけて、東京、京都、函館、名古屋で4人を射殺し、いわゆる「連続ピストル射殺事件」の犯人として死刑判決を受けた人物。
新藤兼人監督の『裸の十九歳』という映画のモデルになったし、獄中結婚したり、『無知の涙』という獄中手記や小説も書いたりして、いろんな意味で注目された。
赤瀬川さんは、この『無知の涙』という本の装丁の仕事を依頼された。
そのとき、永山則夫についてはほとんど知らなかったが、彼のクラス写真を見せてもらったとき、すぐに「この子でしょう」と当てることができたという。
それは、永山則夫もやはり少年のときに夜尿症だったからではないか、というのだ。

「・・・ぼくも驚いた。正にその子だった。やっぱり夜尿症だという。ぼくには忘れられないまなざしである。そして忘れられない頬の感触、体の縮こまり方、衣服の着心地。その住んでいたという家の写真も、ぼくが後に住んだ名古屋の市営住宅にぴたりと重なった。ぼくは知識の組立てではだめだったけど、その写真の寂し気な感触に、一瞬通じた。」

長い引用になったが、その後、赤瀬川さんがこの話を何かのエッセイに書き、獄中の永山則夫がまた、それに共感した話をなにかに書いていた・・・という。

ぼくは、永山則夫のことをよく知らないし、彼を非難したり弁護する立場にもないけれど(おっと、こういう言い方はちょっといやらしいな)、書いておきたかったのだ。

なかなか、「貧乏性」の話題にたどりつけないが、今夜はこれで。

※永山則夫についても、「ウィキペディア」で引いてみた。
「獄中で、読み書きも困難な状態から独学で執筆活動を開始し・・・。自らの罪を認め、創作活動を通して自己の行動をふりかえるという、死刑囚としては稀有な存在であった。・・・1997年8月1日に東京拘置所において死刑執行。享年48」とある。

|

« 【読】優柔不断と貧乏性 | トップページ | 【読】優柔不断と貧乏性(続々) »

【読】読書日誌」カテゴリの記事

こんな本を読んだ」カテゴリの記事

コメント

興味深い話でしたね。永山則夫・・気になりますがなかなか出会えなかった人です。1997年、そうですね、死刑執行されましたね。なぜか。

投稿: 玄柊 | 2006年2月 3日 (金) 23時14分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 【読】優柔不断と貧乏性 | トップページ | 【読】優柔不断と貧乏性(続々) »