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2006年2月20日 (月)

【読】柳田国男と宮澤賢治

柳田国男全集を借りてきて読み始めている。
なかなか手ごわい。

yanagita_zensyuu『柳田國男全集 11』 ちくま文庫 1990年
(妹の力、巫女考、毛坊主考、ほか)

「巫女考」(大正2~3年「郷土研究」所収)という、文庫で100ページほどの論文から読み始めたのだが、これがまた、小さな文字が(文庫なので)ぎっしりと詰まっているのだ。
つまり、情報量が多い。
まあ、がんばろうと思う。

柳田国男のテクストに難航していたら、別の本でおもしろいものを読んだ。
yanagita
『新文芸読本 柳田國男』 河出書房新社 1992年
執筆陣が、なかなかのもの。
三島由紀夫、鶴見和子、谷川雁、宮本常一、小島美子、松谷みよ子、鶴見俊輔、吉本隆明、大江健三郎、等々。

谷川雁の 「柳田國男と宮澤賢治」 が面白かった。
(1990年8月、遠野常民大学発行 「『遠野物語』の世界―第七回・八常民大学合同研究会記録」所収)
宮澤賢治の作品にみられる、柳田国男的な世界についてふれている。

柳田国男、明治8年生まれ。宮澤賢治、明治29年生まれ。
柳田の『遠野物語』は、明治43年に出版されている。

賢治の童話のなかに、『座敷童子』という、あきらかに『遠野物語』の影響をうけたとみられるものがある。
『遠野物語』を柳田に聞かせた遠野の佐々木喜善(明治19年生まれ)は、しばしば花巻にあらわれて、エスペラント語を習いに来たり、民俗学の話を若者たちに聞かせたりしていたという。

その佐々木喜善が花巻から興奮して帰ってきて、「きょう、花巻ですばらしい青年と出会ったぞ、宮澤賢治というのだ」と、息子さんに語ったという逸話を谷川雁が紹介している。
賢治の『座敷童子』は、この佐々木喜善の影響ではないかという。

他にも、谷川雁は賢治の作品に『遠野物語』的な民潭世界の影をみている。

『水仙月の四日』 ・・・女神が子どもを取ろうとする話。これは、まさしく『遠野物語』の世界である。
『どんぐりと山猫』・・・裁判をする山猫の前にどんぐりたちが群がるのを見て、一郎が「奈良の大仏に参詣するみんなの絵のようだ」と思うところ。
説経節『山椒太夫』お「誓文」(厨子王をかくまった坊さんが、日本国中の大きな神さまを並べて、ここには子どもはいないと誓う)に通じる。誓文に奈良の大仏が出てくる。
また、山猫が陣羽織を着ているあたりも、説経節の影響がみられる、という。

ほかにも山男(赤い顔、金色の目をもつ異人)がでてくる話として
『山男の四月』 『狼森と笊森、盗森』 『紫根染めについて』 『風の又三郎』 『祭りの晩』
などがあるという。
谷川雁の講演の面白さをうまく紹介できないが、刺激的なはなしがたくさんある。

これまでずっと、ぼくには宮澤賢治の童話が不思議でならなかった。
西欧的な要素がありながら、どこか泥くさい感じがあり、そこが魅力なのだが、いったいどういうことなのかという疑問があった。
谷川雁の指摘を要約すると、「賢治は『遠野物語』的な民潭の世界を自ら作った」ということだろう。
なるほど、と思ったのである。

柳田国男の世界も、ぼくにはいよいよ面白くなってきた。
まあ、人物としては南方熊楠の方がより魅力的なのだが・・・。


《参考》 ― Wikipediaから
谷川雁(たにがわがん) 本名 谷川巌(タニガワイワオ)
1923年12月16日 - 1995年2月2日
詩人、評論家、サークル活動家。 熊本県水俣市に六人兄妹の次男として生まれる。
兄は、民俗学者の谷川健一。
1945年、東京大学文学部社会学科卒。
戦後、西日本新聞社に勤務。「九州詩人」「母音」に詩を発表し、安西均、那珂太郎などと交遊。
1947年、日本共産党に入党すると大西巨人、井上光晴らと活動し、新聞社を解雇される。
1960年、安保闘争を機に共産党を離党し、吉本隆明らと「六月行動委員会」を組織して全学連主流派の行動を支援する一方、地元の大正炭鉱を巡る争議では「大正行動隊」を組織して活動した。「多数決を否定する」「連帯を求めて孤立を恐れず」といった、個人の自立性、主体性を重視し既成組織による統制を乗り越えようとした組織原理と行動原理は、その後の全共闘運動にも大きな影響を与えている。
1961年、吉本隆明、村上一郎と思想・文学・運動の雑誌「試行」を創刊したが、8号を最後に脱退(「試行」はその後、吉本の単独編集となる)。評論集「戦闘への招待」を発表。
1963年、評論集「影の越境をめぐって」を刊行。大正鉱業退職者同盟を組織して退職金闘争を展開。
1965年、闘争の終息とともに執筆を含めた一切の活動を停止、上京すると語学教育を展開する「ラボ教育センター」を設立した。組合との対立では、かつての左翼運動家谷川雁の「変節」が話題を呼んだ。
1978年、長野県黒姫山へ移住。
1981年から「十代の会」を主宰し、宮沢賢治を中心に児童文化活動に取り組むなどの活動を再開した。
1991年、作曲家新実徳英と共作で合唱曲「白いうた 青いうた」の制作を開始。全100曲を目指したが、雁の死により53曲で中断。
1995年2月2日、肺がんにより死去。

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コメント

谷川雁という人のことをほとんど知りませんでした。柳田国男の世界と宮沢賢治に関係があったり、佐々木喜善のお話も全く知らないことでした。新文芸読本も幾つか持ってはいますが、柳田国男もあるんですね。そういえば、作品社の五木編集の「祭」を昨日手に入れました。

投稿: 玄柊 | 2006年2月20日 (月) 21時22分

この新文芸読本(柳田国男)はおもしろいですよ。
南方熊楠のものも出ています。

投稿: やまおじさん | 2006年2月21日 (火) 21時21分

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