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2006年3月22日 (水)

【山】尾瀬「長蔵小屋」

尾瀬沼のほとりに、「長蔵小屋」という古い山小屋がある。

900601oze平野長蔵という人が、いまから百年も前に作った、とても雰囲気のいい小屋だ。
ぼくも、1991年の6月に泊めてもらったことがある。
→ 【山】はるかな尾瀬 (3月18日の投稿)
http://yamaoji.cocolog-nifty.com/blog/2006/03/post_4e5d.html


oze_sandaiki平野長蔵、長英、長靖の山小屋三代については、岩波新書『尾瀬―山小屋三代の記』(後藤允)が詳しい。
すこし長くなるが、wikipediaの「尾瀬沼」の項から引用し、その歴史を紹介したい。

1889年に木暮理太郎が尾瀬を通過。
同年、平野長蔵らが当時処女峰の燧ケ岳の登頂に成功したというのが、比較的古い記録である。
渡邉千吉郎が1894年に残した記録によれば、尾瀬の南にある戸倉村(現在の片品村戸倉)と、北にある檜枝岐村は、江戸時代から尾瀬沼の東岸で交易を行っていた。
小さな小屋を立て、そこに村の特産物を置き、かわりに向かいの村の産物をもって帰ったという。
1890年、平野が尾瀬沼西端の沼尻(ぬじり)に小屋を建てる。
1903年、水力発電所建設計画が明らかになると、平野は沼尻の小屋に定住を始める。
1908年(1910年説あり)には平野が尾瀬沼西端の沼尻(ぬじり)に尾瀬で最初の山小屋、長蔵小屋を建設。その後平野は尾瀬沼の漁業権を取得し、ヒメマスなどの養殖を試みるが失敗した。なお、長蔵小屋は1915年に尾瀬沼東岸に移動した。
1922年に関東水電(現在の東京電力)が水利権を取得。水力発電所建設が計画される。
1934年、日光とともに日光国立公園に指定。1938年、国立公園特別地域に指定。
1944年、取水工事開始。1949年、竣工。尾瀬沼から片品側の三平峠に向けて、水力発電用の水を通すトンネルが完成する。
1949年、NHKが、江間章子作詞・中田喜直作曲の尾瀬を扱った曲『夏の思い出』を放送。この曲により尾瀬は一躍有名になり、多くの観光客が訪れるようになる。
1952年、福島県側で木道の整備が始まる。
1953年、国立公園特別保護地区に指定。
1956年、天然記念物に指定。
1967年、尾瀬沼でのボート、釣りが禁止される。
1970年、尾瀬沼東岸を通り、片品村から桧枝岐村を結ぶ道路(国道401号及び群馬県道・福島県道1号沼田桧枝岐線)の建設が開始されるが、自然保護運動により翌年、計画は中断される。
1971年、尾瀬周辺を通過する奥鬼怒スーパー林道が着工される。なおこの林道は、のちに尾瀬周辺を通らないよう設計変更されて竣工した。
1972年、ゴミ持ち帰り運動開始。翌年までに尾瀬のゴミ箱がすべて撤去される。撤去されたゴミ箱の数は、東京電力関連会社の尾瀬林業が管理していたものだけで1400個。
1989年、尾瀬西端の至仏山登山道のうちの1つが、自然保護を理由に閉鎖される。なおこの登山道は、1997年に供用が再開された。
1999年、福島県側の沼山峠側で乗り合い自動車以外の自動車の乗り入れが禁止され、翌年には群馬県側の鳩待峠でも規制が開始された。


尾瀬の自然保護に命をかけた三代目の長靖(ちょうせい)さんは、昭和46年(1971)12月1日、豪雪の三平峠で遭難死。36歳という若さだった。

これはぼくの意見だが、尾瀬が置かれている立場はアラスカに似ているとに思う。
日本の自然保護の考え方が問われている典型的な地域、という意味で。
この自然を後世に残せるかどうか、それがたいせつなことだ。

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