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2006年3月27日 (月)

【山】谷川岳

谷川岳(たにがわだけ)
群馬県と新潟県の境の三国山脈にある標高1,977mの山。日本百名山の一つ。
もともとは、トマ・オキの二つ耳と呼ばれ、隣の俎品(マナイタグラ)のことを谷川岳と呼んでいた。しかし、国土地理院5万分の1の地図での誤記により、トマ・オキの二つの耳のことを谷川岳と呼ぶようになった。
実際には、近くの一ノ倉沢岳など、周囲の山域を含めて、谷川岳と呼ばれている。トマの耳(標高1,963m)は、薬師岳。オキの耳(標高1,977m)は、谷川富士という別称を持つ。
標高は2,000mにも満たないが、険しい岩壁と複雑な地形、変化の激しい気候であり、一ノ倉沢を始めロック・クライミングのメッカでもある。そのため遭難者の数も群を抜いて多い。
昭和6年(1931年)から統計が開始された谷川岳遭難事故記録によると2005年までに781名もの登山者が遭難死している(エベレストは178人)。 1960年には岩壁での遭難事故で、救助隊が近づけず、災害派遣された陸上自衛隊の狙撃部隊が一斉射撃してザイルを切断。遺体を収容したこともあった。
 ― Wikipediaから ―

tanigawa_ichinokura谷川岳には、1989年の7月末にいちどだけ登った。
土合から天神平ロープウェイを使い、肩の小屋に泊まって、翌日、稜線を北にたどって蓬ヒュッテから西へ、土樽へ下った。

有名な一ノ倉沢は東面にあり、ぼくが歩いたコースからは見えなかったが、稜線から恐る恐るのぞいた東側岸壁は怖かった。
ロッククライミングの真似事ぐらいは、教えてもらってやってみたことがあるが、ぼくには縁遠い世界である。
ただ、谷川の岸壁にひかれるクライマーの気持ちは、よくわかる。

890723tanigawa2左の写真は、谷川の稜線の北にある武能岳あたりから、遠く双耳峰(トマノ耳、オキノ耳)を眺めたもの。
このように、谷川連峰は緑の多いなだらかな山で、高山植物の宝庫でもあった。

この山行には、強い思いでがある。
時期的に花の季節だったから、高山植物をたくさん楽しめたことが一つ。
もう一つは、強烈な雷雨を経験したことだ。

890723tanigawa1989年7月22~23日
谷川岳 (土合~天神平~谷川岳~茂倉岳~蓬峠~土樽)

7/22(土) 10:00 土合駅
10:52 ロープウェイ駅発 11:04 天神平着
11:55 熊穴沢避難小屋(この小屋で休憩後、すぐに雷雨にみまわれて小屋に引き返した)
狭い避難小屋が、人でごったがえしていた。 約40分、雷雨は続いた。
15:45 肩の小屋到着。 この小屋も満員。
さすがに宿泊を断わることはなかったが、小屋番さんは困った顔をしていた。
ぼくが自炊だと言うと、ほっとした顔をしていた(食事も出す小屋だったが、小屋番は一人だけだった)。

山日記には、こう書いてある。
「肩の小屋では、到着がおそい(3時まで?)ということで管理人にしかられる。人は良さそうだが気分屋のようだ。 2階の寝床は超満員で、かろうじて蒲団半分のスペースを見付けてもぐりこむ。 50人はいた。 人が多いのであたたかい」
いま思うと、思わぬ宿泊客の多さに、小屋番さんもパニックになっていたのかもしれない。

翌日、早朝4:25に小屋を出て、谷川岳(トマノ耳)山頂には10分後に着いた。
まさに、肩の小屋で、山頂直下にあったわけだ。
オキノ耳までは、そこから15分ほど。
この頃からガスが出て(上空は晴れだったようだ)、一ノ倉岳あたりでは展望がなかった。
山日記には、「ガスで展望なし。ズボンのひざから下がビショぬれ(朝露、泥)」 とある。
ショートスパッツしか持っていなかったように思う。

高山植物の写真を撮りながら歩き、茂倉岳に8:00頃到着。
武能岳10:10 蓬峠10:50
蓬ヒュッテは、雰囲気のある小屋だった。
谷川岳の稜線には、ドラム缶で作ったような、ほんとうに小さな避難小屋がいくつかあった。

蓬峠から西に下る蓬沢の途中から小雨が降り出し、車道に出た頃には本降りになった。
たたきつけるような豪雨だった。
折りたたみ傘をさして歩いたが、土樽の駅に着く頃にはズボンがびしょ濡れになっていた。

雨にたたられた山行だったが、たくさんの写真とともに、強い印象が今も残っている。
花の写真は、次回、掲載したい。

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