【読】五木寛之 こころの新書 (1)
4/17に紹介した、五木さんの本。
http://yamaoji.cocolog-nifty.com/blog/2006/04/post_dcc3.html
「五木寛之 こころの新書」 シリーズ (講談社) を二冊読んだ。
『自力と他力』
五木さんがずっと言い続けている 「他力」 という考え方を、掘り下げている。
「他力本願」 というように、あまりいい意味で使われないことばだが、本来は
(仏教語) 阿弥陀仏がいっさいの人々を救おうとして立てた本願。
また、自己修行の功徳によらず、
阿弥陀仏の本願力にたよって成仏するのを願うこと
・・・ だと紹介しながらも、こういう仏教語(五木さんは「業界用語」と呼んでいる)ではなく、五木さんらしい喩えを書いている。
<私はかつて他力のはたらきを、風にたとえたことがありました。
エンジンのついていないヨットは、風が吹かなければ動きません。 逆風であれ、順風であれ、まったくの無風状態では帆走することは不可能です。
他力という風が吹いてこない限り、ヨットは自力で走ることはできないのです。 しかし、ただひたすら風だけを当てにして、ぼんやりしているだけでも駄目でしょう。 (中略)
やはりそれなりの自力の努力は必要なのです。 とはいえ、走らせようと気持ちだけあせって、手で水をかき回しても、ヨットは前へは進まないでしょう。>
― 他力の風が吹かなければ、ヨットは動かない ―
お坊さんのことばやお説教よりも、よほど説得力がある。
五木さんが、70年の生涯をかけてつかみとった思想だから、とても重みがある。
とりあえず、一冊目の感想はこんなところだ。
五木さんの「他力」思想のエッセンスともいえるが、正直なところ、ちょっと飽きてしまう(と言っては申しわけないが)ところもある。 あくまでも、ぼくの感じ方なので、この本の価値をおとしめるものではない。
次の箇所など、思わず目から鱗がおちる思いをした。
<そもそも宗教というものは、根源のところで現実の法と相反する思想だという部分がある。 仏教では<王法(おうぼう)>と<仏法>という言い方をします。 王法は世間の常識、いわゆる法律であり、仏法はこころの掟です。 蓮如が言う「額に王法、こころに仏法」という考え方が必要なのです。>
― 善と悪は表裏一体である ―
また、火葬場に子どもを連れていかなくなったことに触れ、死の現場に子どもを立ち合わせるのはよくない、という感覚がいまの大人にはあるのではないか、と言う。
そういえばその通りだな、と思う。
ぼくはこれまでに、父方の祖母、父、母方の祖母、妻の母の死にそれぞれ立ち会った。
火葬場で骨も拾ったし、父方の祖母と父の場合は、自宅で、身内の者の手で納棺もした。
妻の母は病院で息を引きとった。
駆けつけたときは、白い布がかけられていた。
そばで看取った肉親も、一時、病室から出されて、病院の人が亡骸の身支度をしたという(納棺は、自宅で身内の者がおこなったし、ぼくも立ち会ったが)。
だんだんと、死というものが、日常生活から遠ざけられている(見えないところに隠されている)ような気がする。
死者を遠ざける傾向があると思う。
「人は死んだら "モノ" になるという認識が、いまは一般的になっています」 と、五木さんは言う。
そして、そういう感じ方、認識は、人体や遺体をまるでモノのように扱う凶悪犯罪を生むのではないのか、と指摘している。
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コメント
いよいよ、こちらへきましたね。私は彼が休筆し、京都で龍谷大学へ行き、聴講していた頃から関心がありました。でも、ここまで来るとは思っても見ませんでした。私の家は父が浄土真宗の寺の次男なのでまさに親鸞、蓮如の思想には触れるチャンスが多かったのですが、なかなかそこへ深入りはしませんでした。それでも、五木の仏教関係の著作には動かされるところが多いです。
投稿: 玄柊 | 2006年4月29日 (土) 07時07分
思いがけなく連続投稿になってしまいました。
五木さんのこの本は、重い内容です。
仏教の考え方が、理屈ではなく、じぶんの体にしみこんでいるような気がします。
唐突に「理屈じゃなか」という『青春の門』のなかの言葉を思い出しました。
主人公「信介」の母親「タエ」の言葉だったかな?
投稿: やまおじさん | 2006年4月29日 (土) 10時10分