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2006年4月29日 (土)

【読】五木寛之 こころの新書 (2)

五木さんの 『自力と他力』 について、もうすこし書きたいことがある。
「正直なところ、ちょっと飽きてしまうところもある本」 なんて書いたが、なかなか・・・じわじわと利いてくるボディーブローのような内容なのだ。

この本の初めのほうに、興味深いエピソードが紹介されている。
(五木さんが聞いた実話である)

キリスト教のカトリック教団で一途な信仰生活を送っていた日本人女性がいた。
その女性が属していたのは、カトリックの宗派のうちでも特に「祈り」を最重要視する教団だった。
修道女だった彼女は、若いころからカトリックの信仰一筋に、「祈り」に生活のすべてを捧げて生きてきた真摯な信仰者だったという。
その女性に不幸な事件がおこった。
なにかのはずみに、頭部をつよく打って、脳の一部に大きなダメージを受けてしまったのだ。
脳の内部の古皮質の場所、俗に海馬といわれるところに影響がおよんだ。
海馬は、記憶や行動などの情報の認知、統合活動に関係する器官らしい。

一応の体調が回復したあと、彼女はふたたび「祈り」の生活にもどろうとした。
ところが、意外なことが起こった。
祈りの言葉を口にしようとすると、思わず知らず「なむあみだぶつ」という念仏がこぼれ出してしまい、どうしてもそれを改めることができなかったというのだ。

一体、これはどういうことだろうか。
五十年間の祈り一筋の信仰生活に嘘はないはずだ。
しかし、思わず知らず念仏が出てしまうというエピソードに、五木さんは深い感慨をおぼえたという。
それは彼女の幼いころの記憶の断片がよみがえってきたのではないか。
彼女は、ひょっとしてキリスト教の家庭ではなく、仏教の家に育った人なのだろう、と書いている。

以下、五木さんの文章を引用する。

<人間の記憶とは不思議なものです。 その個人の一生の記憶だけではなく、ひょっとするとひとりの人間の記憶のなかには、その親、その祖父、そして百年、二百年、いや一千年以上も昔の記憶が混じりあって残っていないとも限らない。 個体のなかには、記憶にとどまらずその生物の進化や連続の遺産がふくまれている、と私は考えています。>
 ― 人は歴史を身体に刻みこんで生きる ―


五木さんは、よく知られているように、敗戦後の朝鮮半島の混乱のなかで、母親を亡くしている。
九州に親子四人(お父さん、五木さん、弟さん、妹さん)で引き揚げてきた後、五木さんが東京の大学に来ていた時期に、父親を亡くした。
さらに、その後、売れっ子作家となってから(はっきり憶えていないが、五十代の頃か)、弟さんを癌で亡くしている。
この弟さんの死が、五木さんにはおおきな転機だったらしく、休筆して京都の龍谷大学の聴講生となって仏教の世界に深く入っていったようだ。
その仏教への傾倒には、五木さんの両親が
 「必ずしも熱心な門徒ではありませんでしたが、浄土真宗の家の出でした」
という事情があったのだと思う。

幼い頃、ときたま仏壇の前で「正信偈」を声を出して唱えている両親を見て、いたずらのつもりで父親の口真似をしているうちに、いつのまにか「正信偈」の一部を暗記してしまった、ということも語られている。


ぼくにも似たような経験がある。
ぼくが生まれた時からずっと同居していた父方の祖母は、初孫のぼくを可愛がってくれたものだが、その祖母がたいせつにしていた小さな仏壇が家にあった。
仏壇には、女手ひとつ、苦労してひとり息子(ぼくの父)を育てあげた祖母が、ずっと守っていた位牌が入っていた。 祖母の両親のものだったらしい。
その祖母が亡くなった後、ぼくの父は、毎日その仏壇の前で「正信偈」を唱えていたらしい。 帰省したときに、そんな父の姿を見たことを、いま思い出している。

それまで、父はそういうことをしなかった人だった。
母親の死が父にもたらした深い悲しみが、いまは理解できるような気がする。
その父もまた、祖母の後を追うように数年後に他界した。


プライベートなことをこのブログには書かないようにしてきたが、五木さんの本を読んでいろんなことを考えた。

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