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2006年4月29日 (土)

【読】五木寛之 こころの新書 (6)

きりがないので、このあたりでやめにしたいが、『サンカの民と被差別の世界』 の第二部 「東都の闇に生きた被差別の民」 も、ぼくにとって興味深く、衝撃的な内容だった。

差別の歴史は古く、その根は深い。
「差別はいけないことだよ」 と教えられてきたが、いったいどれほど差別の実態や歴史について知っていたか。
この五木さんの著作から教えられたことは多い。

「私のこころに蠢く下降感覚」 という節で、五木さんはこう言っている。

<永井荷風や樋口一葉など、東京の下町一帯と深い縁のあった作家たちに対して、私はある種の親密感というものを抱いている。 それはなぜだろうか。
 明治、大正、昭和という時代と通じて、田舎から出てきた人間には、東京で一旗揚げて故郷に錦を飾りたいという思いがあった。 いわば上昇志向、上昇感覚といってもいいだろう。 それは個人だけではなく、国家もそうだった。

<それに対して私は、自分のこころのなかに下降志向というか下降感覚が蠢いているいるのを感じるのだ。>

この下降感覚というのが、どうやらぼくにもあるらしい。
漂泊民、被差別民、あるいは北海道のアイヌに強くひかれるのも、そのせいだと思う。

ことわっておきたいが、この「下降」ということばを、「底辺に向かって」、などと置き換えたくない。
「底辺」なんかじゃない。 なぜなら、この世はピラミッド形の単純な構造ではないから。
「底流」、「源流」ということばがふさわしいか。

なにか忘れ去られようとしている、たいせつなものがある。
それが、いまもゆっくりと流れている。 目には見えないけれど。

差別なんて今の時代にはないよ、と言う人がいるかもしれないが、じぶんの胸に手をあてて考えてみれば、差別感覚、差別意識というものが根強く残っていることに気づくのだ。 じぶんの体の中にも、ネ。

ぼくもまた、五木さんのように、とことんこだわって考え続けようと思う。
むやみに悲観的になることはないけれど、それでもやっぱりバラ色の明るい未来はなさそうだ。
薄闇のような時代を、かすかな灯りをたよりに歩き続けたい。

「歌いながら夜を往け」
五木さんのこのことばに励まされる。
ぼちぼち歩いていこうか。

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