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2006年4月30日 (日)

【読】こころの新書 (7)

五木寛之 こころの新書
  『日本人のこころ 金沢・大和
   信仰の共和国・金沢 生と死の結界・大和』 (講談社)

Kokoro08第一部 信仰を絆にした民衆の共和国
 加賀百万石の城下町・金沢が成立する前には、百年近くつづいた「百姓の国」があった。
 この共和国の成立過程と、一向一揆の真実に迫る。
第二部 "風の王国"の世界
 生の世界と死の世界をわける結界・二上山をめぐる謎と、「漆黒の闇」「ぬばたまの闇」と形容される大和の限りなく深い闇を追及する。
 (この本の帯から引用)


明日から読み始めようと思い、パラパラめくっていたら、とてもいい話にぶつかった。
五木さんが、弟さんの邦之さんを亡くした後、斑鳩の法隆寺をみおろす丘の上の一角に、自然石の石碑を置いた話である。

戦後、朝鮮半島から引き揚げてきてから、五木さんと邦之さんは二人三脚のように一緒に生きてきたという。
その弟さんを、1981年に四十代の若さで亡くした五木さんは、それまで墓というものが好きではなかったが、なにかひとつ弟さんをしのぶよすがを形にして残しておこうと思ったそうだ。

墓というより「思い出の碑」という気持ちで、引き揚げのときに持ってきたお母さんの遺髪と、お父さんの遺骨もいっしょに埋めた。
その石に、五木さんが原稿用紙に書いた短い文章を、そのまま銅版におこしてはめこんだ。
いまでは錆びてしまって、ほとんど文字も判読できなくなったが・・・、とことわって、その文章を掲載している。

ここに引用させていただく。
とてもいい文章だ。


<松延邦之は私の七歳年下の弟である。 学校教師であった両親が朝鮮に在任中、京城の地において生まれた。 敗戦後、いくたの困難をへて、九州の郷里に引き揚げ、柳川の商業高校に学んだが、やがて私の後を追って上京、各種の職業を転々としながら、波瀾にとんだ青春時代を過ごした。 その後、作家として自立した私の仕事を手伝うこととなり、遂には私の片腕として昼夜の別なく労苦を共にするなくてはならぬ存在になった。 自らを殺して兄の陰に生きることを選んだ彼によって、私がどれほど支えられたかは言葉にはつくしがたいものがある。 一九八一年、病を得て早逝した彼の思い出のためにこの碑を建て、両親の遺骨とともにここに納めて偲ぶよすがとする。>

なぜ大和の地を選んだのか、その理由を、「あえていうならば、私の父がこの大和というものに対して、深い思慕の情を抱いていた節がある、ということだ」と書いている。

この文章が載っている節のタイトルは、「新しき渡来人としての私」。
かつて「デラシネ」ということばで、ご自分のアイデンティティ(よって来たるところ)を表現した五木さんらしいタイトルだと思う。

別の本で、五木さんは、サルトルよりもカミュに惹かれる、と書いていた。
カミュは、フランスの植民地だったアルジェから祖国フランスに戻ったとき、そこでも自分を<異邦人>と感じざるをえなかった。
五木さんも、生まれてすぐに渡った朝鮮半島を懐かしく思いながら、そこから追われた<植民者>としてのじぶんを常に意識している、という。


この本も、ずっしりと重いものがいっぱい詰まった一冊のようだ。
読む前からわくわくする。

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コメント

弟さんが奈良に埋葬されたのは知っていましたが、そういう存在だったのですね。

投稿: 玄柊 | 2006年5月 1日 (月) 23時28分

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