【読】養生
三週間ほど前に、このブログで紹介した本。
五木寛之 『養生の実技 ―つよいカラダでなく―』 がおもしろかった。
http://yamaoji.cocolog-nifty.com/blog/2006/03/post_68ca.html
『養生の実技 ―つよいカラダでなく―』
五木寛之著 角川書店(角川oneテーマ21)
2004.12.10 初版発行 \686(税別) 新書版 228ページ
帯にある 「つよいカラダが折れるのだ」 という言葉が、五木さんの思想をよく表わしている。
金沢の「雪吊り」が教えてくれたこととして、「よくしなう枝は折れない」、つまり「雪の重さにパキンと折れるのは、屈することのない、つよい丈夫な枝なのだ」 と言って、人間も同じように、いろんな重荷、重圧に屈しないことよりも、屈しやすい、しなやかな心を持っていることが大事だよ、というのだ。
<私たちはときおり、何ともいいようのない鬱な気分におちこむことがある。 昔の人は、そういう状態を、「こころ萎えたり」 と表現した。 萎えるというのは、野菜や、植物や、物がぐたっとなっている様子をいう。 古くは 「しなえる」 といったらしい。
たぶんそれは、心が屈している状態、しなっているときのことだろう。 そして、よくしなうということは、簡単に折れないということだ。>
<現代人は絶えず体の不調を感じながら生きている。 私などしょっちゅう体調を崩しっぱなしだ。 (略) むかしはそれを治そうと考えた。 病的な状態を回復しようと、いろんな工夫をしたものである。
だが、いまはそうは思わない。
それらのできごとは、いま体が萎えているのだ、と考えるようになった。 体の不調は、体が屈しているのである。 曲がって、しなっているのではないか。>
五木さんは洗髪をほとんどしない、という。
医者にもできるだけかからないようにしている、という。
自分の血液型を知ったのも、レーシング・チームを作った時に必要にせまられて血液検査をしたからだ、という。
また、自身はタバコをやめたけれど、無理してやめることはないよ、という。
五木さんの奥さん(むかしは「配偶者」と書いていたが、この本では「つれあい」と書いている)は、お医者さんだったが、ヘビー・スモカーだそうだ。
<タバコも酒も、ときには緊張やストレスから人を解放する。 タールの害と、ストレスの害とをはかりにかけて、「自分はこちらを選んでよかった」と安心すればいい。
ちなみに私はタバコを吸わないが、つれあいはヘビースモーカーである。 かつては医者だった人だけに、覚悟して楽しげに吸っている。 そんなスモーカーは、見ていても気持ちがいいものだ。>
不安と罪悪感をもってタバコを吸わず、気持ちよく一服しなさい。
タバコがやめられないのなら、無理してやめることはない。
やめられないのは、「やめる縁がない」と考えて、おいしく一服するほうがいい。
こういう言葉、ぼくにとっては、ほっとするというか、ありがたい。
五木さんの養生の実技100から。
思わずニヤリとしてしまうようなユーモラスな言葉もあるし、勇気をくれる言葉も多い。
<呼吸は、吐く息が重要だが、吸う息も粗末にしないこと。 吸う息は肺の下部左右を十分に拡げて吸う。 私は一般の腹式呼吸とは逆に、下腹部をへこませて吸う>
<一日に何回か大きなため息をつく。 深く、たっぷりと、「あーあ」と声をだしながら。 深いため息をつく回数が多いほどよい>
<人生五十年というのは正しい。 それ以後はオマケと考えて感謝の日々を送る>
<あまり清潔にこだわっていると、免疫力が落ちる>
<人間は地球という生命体の寄生虫。 その虫にまた沢山の寄生虫が共生している。 そのような寄生生物をすべて殺してしまえば、宿主も死ぬ>
<仏教では「われありて、かれあり」という。 笑うことは心身によいが、泣くことも同じ。 涙は魂を浄化する>
<不安と罪悪感をもってタバコをすわない。 喫煙はそれぞれの天運である。 やめる縁が生ずれば、やめるなと止められてもやめる。 気持ちよく一服することのプラス面を大事に考えよう>
<洗髪はほどほどに。 皮脂や歯垢にもそれなりの役目がある>
<病院は病気の巣である。 できるだけ近づかないほうがよい>
<医師は信頼せよ。 だが依存してはいけない。 医師は神さまではなく、人間である>
<ガン細胞ができたということは、自分の家族のなかにグレた子供がでてきたようなものだ。 憎み、敵視し、叩き、焼き、殺すしか道はないのか。・・・体じゅうを憎しみに満たして闘病することが、全体的な心身にプラスだとは思えない>
<手術によって切断されるのは、リンパ管や神経だけではない。 「気」の流れる「気道」もまた断たれる。・・・>
<転移とは新天地を求めて逃げだした者たちの逃げ場である。 アメリカ大陸へ転移してきたヨーロッパ人は、先住民たちにとってはガン細胞のように恐ろしく、強力な力だった>
<自分を叱咤激励して行なう養生は役に立たない。 気持ちがいいからやる。 これが基本だ>
<やったほうがよい、と思いつつどうしてもできないときは、いまは縁がないのだ、と考える。 そのときがくれば、やらずにいられなくなるのだから>
<人間はフィジカルな存在であると同時に、スピリチュアルな存在である>
<あす死ぬとわかっていてもするのが養生である>
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コメント
五木はあれだけ蓮如、親鸞へ傾いても、説教くさくなくこれだけのことを語れる・・・やはり今までになかった人ですね。彼はここ数年「百寺巡礼」というTV放送をやってきましたが、このDVD(高いのです)を見たいなと思っています。もちろん、この本、早速手に入れます。
投稿: 玄柊 | 2006年4月12日 (水) 08時14分
今日もまた
あーあ と ためいきをつく かえりみち
てな感じで、勤め先から帰ってきました。
投稿: やまおじさん | 2006年4月12日 (水) 20時45分