【読】アイヌ ネノアン アイヌ
先日亡くなった萱野茂さんの絵本を、近くの図書館から借りてきた。
『アイヌ ネノアン アイヌ』 萱野茂 文 / 飯島俊一 絵
福音館書店 ―たくさんのふしぎ傑作集― 1989年
題名の「アイヌ ネノアン アイヌ」とは、萱野さんがこどもの頃、お母さんからくりかえし言われたことばだという。
「アイヌ ネノアン アイヌ エネップネナ」
(人間らしい人間、人らしい人になるんだよ)
<私は、北海道のアイヌのコタン(村)に生まれ、そこでそだちました。> という書きだしで、こどもの頃のことを語りはじめる。
真冬でも、夏の着物に冬着をかさね、またのわれたメリヤスのももひきをはいただけで、雪の中であそんだ思い出。
遊びに夢中になり、すっかりこごえて家に走り帰ると、おかあさんがふところに彼の手を入れてあたためてくれた。
そのおかあさんは、ろくに学校にも行かなかったため、読み書きはできない人だったが、幼い萱野さんにたいせつなことを教えてくれた。
それが、この本の題名になったことばだった。
<アイヌのコタンでアイヌという言葉はとてもたいせつな言葉で、おこないのいいアイヌだけをアイヌとよび、病気でもないのに、はたらきもしないで、ぶらぶらしているような者は、アイヌとよばずに、ウェンペ(悪い者)というのです。>
おばあさんが、夕飯の後でウウェペケレ(昔話)を聞かせてくれて、それを聞きながら寝る、そんな幼年時代。
萱野さんのおとうさんは、幼い萱野さんを連れ歩いて、アイヌ民族のお祭りやお葬式などを見せてくれたという。
ある日、巡査が来てお父さんを連れていってしまった。
それは、毎晩、沙流川でサケをとってきて、家族や近所の老人に食べさせてくれたことが、和人の法律では「密漁」となるからだった。
サーベルをさげた巡査にしたがって去っていくおとうさんの流した涙を、萱野さんはいつまでも忘れられないという。
<アイヌにとって、サケはシペ=主食とよんでいたほどたいせつな食べもので、この北海道の川で自由にとっていました。それをあとからやってきた和人(アイヌ民族は日本民族をこうよんだ)がとることをきんじたのです。
/あのときに父がながしたなみだは、アイヌ民族の権利をうばわれたくやしなみだだったと思います。>
この絵本は、小学生中級むきといいながら、おとなが読んでもいいものだ。
かつてのアイヌ民族の衣食住の伝統が、絵をつかって紹介され、アイヌの民話(ウウェペケレ)もいくつか載っている。
「スズメの恩返し」 (小学館 『カムイユカラと昔話』 からの再録)
「二つ頭のクマ」 (すずさわ書店 『炎の馬―アイヌ民話集』 からの再録)
「沙流川のうた」 (カムイ・ユーカラより)<山もまたたいせつな食料保存庫でした。/アイヌは狩猟民族だ、とよくいわれますが、それは明治時代ぐらいまでで、私が子どものころには、もう狩猟で生活していた人はいませんでした。(中略)山では、山菜やキノコ、木の実などがたくさんとれたからです。これらは、野菜がすくなかったころには、たいせつな食料でした。>
左から、プクサ(ギョウジャニンニク)、プクサキナ(フクベラ)、ソロマ(ゼンマイ)、コロコニ(フキ)。<自然のめぐみをうけていたのは食生活についてだけではありません。私が生まれるよりもうすこしまえまでは、すむ家も着るものも、材料は、山でとってきたものをつかいました。>
左は、家(チセ)を作る工程と、家ができたことを神がみに感謝して酒やイナウをささげ、つかった木の霊をしずめるために、屋根うらにヨモギの矢をはなつ様子。
右側は、チセの内部を説明したもの。この絵がとてもわかりやすい。アットゥシ織りの着物と、アイヌ刺繍。
アイヌ模様は、魔よけの意味があるという。
<アイヌの着物も、古いものには、そで口とえりとすそにしか模様がはいっていませんが、もし人間のからだのなかに魔物がはいってくるとすればそこからですから、その部分に魔よけのなわの模様をつけたのです。>
<・・・北海道のことを、そのむかしアイヌたちは、アイヌモシリといっていました。アイヌ=人間、モ=しずか、シリ=大地。アイヌがくらしているしずかな大地という意味です。>
<私のひおじいさんのトッカラムという人は、和人のどれいにされました。・・・12歳のとき、北海の東のはし、厚岸へむりやりつれていかれましたが、けがをすれば家にかえしてもらえるだろうと、家へかえりたい一心で、自分で自分の指をきりおとしてしまいました。こういうつらい話は、いっぱいあるのです。>
<この大きな島を、アイヌ民族は和人にうったおぼえも、かしたおぼえもないのですが、和人に侵入によってアイヌの自由がふみにじられてしまったのです。>
萱野茂さんが残してくれた宝物のような一冊である。
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