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2006年6月の21件の記事

2006年6月27日 (火)

【読】さくらんぼ

一週間前の6月19日は、太宰治の「桜桃忌」だったらしい。

<39年の生涯で5回の自殺未遂を繰り返し、1948年(昭和23年)に玉川上水における愛人との入水心中により生命を絶つ。 (略) 2人の遺体が発見されたのは、奇しくも太宰の誕生日である6月19日の事であった。
この日は桜桃忌(おうとうき)として知られ、三鷹の禅林寺を多くの愛好家が訪れる。
太宰治の出身地・青森県金木町でも桜桃忌の行事をおこなっていたが、生地金木には生誕を祝う祭りの方が相応しいとして、生誕90周年となる1999年(平成11年)から「太宰治生誕祭」に名称を改めた。>
 ―Wikipedeiaから―

以前にも書いたが、玉川上水はこの近くを流れる用水路で、いまは水量もわずか。
鯉が泳いでいたりするゆるやかな流れだ。

ところで、その桜桃(さくらんぼ)。
きょう、近くに住む友人から、山形産のさくらんぼをたくさんいただいた。
写真を載せたいぐらいの、みごとに熟して甘いさくらんぼだ。
うまい。

さくらんぼの時期になると、なぜか「桜桃忌」を思いだす。
ぼくは太宰治のファンということもないが、数年前にまとめていくつかの小説を読んで、見直した作家である。
そういえば、太宰治の 『桜桃』 という小説があったが、どんな話だったか忘れてしまった。
ただ、さくらんぼを食べながら、「桜桃」ということばを思いだしたのである。

Osabe1Osabe2Inose数年前に読んだ3冊の太宰治の評伝。
『辻音楽師の唄』
 長部日出雄
 文春文庫 2003年5月
 (文藝春秋 1997年)
『桜桃とキリスト』
 
長部日出雄 文藝春秋 2002年3月
『ピカレスク 太宰治伝』
 猪瀬直樹 小学館 2000年11月

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2006年6月23日 (金)

【楽】あったりまえだ。

Attarimaeda_1上々颱風のニュー・アルバム 『あったりまえだ。』
ようやく聴き始めた。
いやぁ、元気がでるなぁ。
こういうアルバム(楽曲)が作れて歌えるのなら、このバンドもまだまだ見捨てたもんじゃない。
(見捨てる気は毛頭なかったけど)

収録曲は11曲。
1. 夜明けの歌が聴こえる
2. 当たり前だ節 (白崎映美 詞/曲)
3. 恋のバカヂカラ
4. 光を背に受けて
5. お天道様はお見通し!
6. 夏
7. ズンドコ天国 Part2
8. 朝の歌
9. アーエアイオア(愛は風に)  (白崎映美,猪野陽子 詞/曲)
10. 二十一世紀急行列車
11. 遠くまで行くのだから

興味のわいた方は、買ってくださいね。

 心に沁みるバラッド、底抜けハッピーなチャンチキ・ロック!
 懐かしい笑顔や希望に出会える。 これぞ名盤!
 上々颱風11枚目のオリジナル・アルバム!!

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2006年6月18日 (日)

【楽】世田谷シアターLIVE

Setagaya060618上々颱風シアターLIVE!
~2006年 『あったりまえだ』 発売記念東京大会~
世田谷パブリックシアター

昨日6/17と今日6/18の二日間公演。
二日目の今日、夕方4時からの公演に行ってきた。
ひさしぶりに「魂の解放」。
いいライブだったなぁ。
同行した家人は、これまで見たシアターライブの中でいちばんよかった、と言っているが、ぼくが見た2002年からの世田谷ライブの中でもいい出来だったと思う。
衣装があたらしくなっていて新鮮だった。
発売されたばかりのアルバムの曲が多かったが、いい歌がたくさんあった。
郷ちゃんの 「鳥の歌」 も聴くことができて、満足。
Attarimaeda会場で、こんどのアルバム 『あったりまえだ。』 を購入。
終演後のサイン会に並んでしまった。
このバンドに関して、ぼくはミーハー・ファンである。
アルバム・ジャケットは、土門拳の写真。
昭和20年代のこどもたちが、紙芝居に見入っているところ。
なにやら懐かしい雰囲気だ。
ブックレットに、バンドのメンバーのこどもの時の写真が挿入されている。
サインは、それぞれの写真の横に書いてもらった。
Setagayapublic

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【読】もうひとつのエピソード

前回、吉本隆明さんが、ご自身の体験をもとに語ったことがぼくには強く印象に残ったという話を書いた。
五木寛之さんの 『自力と他力』 に、これはご自身の体験ではないが、五木さんの考え方がよく出ている部分がある。

五木さんの知り合いの女性が入院していたときの、同室の若い女性の話。
その若い女性は、20歳そこそこでがんを患い、抗がん剤の副作用のために苦しんでいた。
毎日夜になると、窓から見える東京タワーを見ながら、しくしく泣くので、五木さんの知人の女性も眠れない夜が続いた。

あるとき、五木さんの知人の女性は、その若い女性とはなしをして、こういう言葉を聞く。
「死は怖いのですが、それよりももっと納得できないことがあるのです。」
「どうして自分だけが、こんなにきれいな夜景のなかで、苦しまなければならないのか、その理由がわからないことが苦しく、悲しいのです。」

五木さんは、自分が実際にこの若い女性を前にしたら、言うべき言葉など何もないのかもしれない、と書いている。
以下、原文を引用すると・・・

 私は、求められないかぎり、何も言わないでしょう。 目の前の女性を救うことのできないおのれの無力さにため息をつきながら、そうするしかないと思うのです。 もし、言うべき言葉があったとしても、その人の悲しみを軽くすることなどできないのですから。
 ただできることと言えば、かたわらにいて、ともに泣いているだけのことです。 何も言わない。 じゃまだと言われれば、だまって去るしかない。
  ― 五木寛之 『自力と他力』 「其の13 悲しみを癒すものは、悲しみである」 から ―

吉本さんと五木さん、この二人の先達が、長い人生経験から奇しくも同じようなエピソードを語り、同じような考え方と態度を示しているところに、ぼくは強い力(衝撃)を感じた。

ぼくならどうするだろう。
ぼくも、癌で入院していた血縁を病院に見舞ったことが何度かある。
そのとき、これほど誠実に「死」(他者の死)に向きあうことができたかどうか。
表面的ななぐさめの態度をとっていたのではないか、という苦い思いがある。

夜中に目がさめたので、気になっていたことを書いてみた。

Kokoro12_1

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2006年6月17日 (土)

【読】老いの超え方

吉本隆明さんの 『老いの超え方』 (朝日新聞社)は、いい本だった。
近年の著作で吉本さんが繰り返し語っている思想のエッセンスが、ぎっしり詰まっている。
まだまだ、この「巨人」は健在。

ひとつだけ、とてもいいなと思うエピソードがあったので、そのまま引用したい。
これは、インタビュアーの下の質問に答える形で、吉本さんが語った内容である。

― 例えば若い看護師がターミナル期を迎えた患者さんのそばに行ったときに、たまたまその患者さんに 「おれはもう死ぬだろう。死んだらおれはどうなるんだ」 と質問されたとします。 そのとき、ケアのプロである看護師はどんな答え方が良かろうと、吉本さんはお思いになりますか。

吉本 僕は姪が子宮がんで亡くなったときに、「おじさん、どういうふうに考えたらいいの」と盛んに聞かれました。 今だったら何か言えそうな気もしますが、そのときはこの段階でおれが言うことはみんな切実さに欠けているという感じがして言えませんでした。 「車いすで病院の中でも散歩するか」 と言っただけで、何も言えませんでしたね。 今だったら多少何か言えそうな気もしますが。
 でも、どんなことを言っても、死については野次馬的にしかいえない。 ご本人がどういう状態か、精神状態は了解できるところもありますが、全体としてどうきついのかは全く分からない。 そんなことで何かを言ったら、余計なことを言うな。 死という切実な問題でないときだったらいくらでも意見を言います。 僕ならそうなります。
 ― 『老いの超え方』 「第四部 死」 「第一章 見方」 (P.244) から ―

五木寛之さんが何かの本の中で、他人の悲しみをわかってあげることなどできない、できることは、その人の手をとっていっしょに涙することぐらいだ、という意味のことを書いていた。
吉本さんも、この本の中で同じようなことを言ってる。
ぼくは深くうなずいたのだった。


Yoshimoto_oinokekata_2 【2010/1/10追記】
この本の内容の一部に「差別につながる不適切な表現」があったとして、朝日新聞出版から、内容の一部削除のアナウンスがでている。

詳しくは、下記サイト
http://publications.asahi.com/news/91.shtml

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【山】五竜岳(3)

もう16年も前の山行だが、山日記と写真が残っているのはありがたい。
当時の喜びが、ほんのすこしだけよみがえってくる。
また登ってみたいものだ。

900707_20八方池
想像していたよりもずっと小さな、かわいらしい池だった。
登りはじめてから3時間、時刻は9:30頃。
池のむこうに白馬連山が見える。
このあたりから、シラネアオイやサンカヨウなどの花々が多くなる。
900707_21900707_26_1900707_33_2900707_24_2     




左から、ミヤマアズマギク、サンカヨウ、キヌガサソウ、シラネアオイ。

八方尾根を登りきって、唐松山荘には13;00頃到着。
夕方までまだ時間があったので、ここに荷物を置いて唐松岳山頂まで往復。

その後、五竜山荘まで足をのばしたのだが、唐松山荘から五竜山荘までの道が予想外にけわしく、五竜山荘に着いたのは17:00頃になってしまった。

山小屋に到着する時刻としては遅いのだが、小屋の人の応対はよかったと思う、
たいてい、到着が遅いだの、山小屋にはもっと早く着かないといけないだの、この時刻だと食事の準備が・・・などと厭味のひとつも言われるものだ。
ぼくは、この日、自炊だったので何も言われなかったのかもしれない。

翌朝、ガスが出て風も強かったが、朝日にかがやく五竜岳がすばらしかった。
朝食をとらずに、4:30に小屋を発ち、五竜岳の頂上まで1時間10分。
山頂ではガスにまかれて展望はあまり得られなかったが、鹿島槍が間近に見えた。

900707_42鹿島槍は、姿のいい山である。
それまでも、遠くから見たことはあったが、これほど間近で見たことがなかった。
この姿に惚れて(?)、なんと二週間後に鹿島槍、爺ヶ岳に登ることになろうとは・・・。
五竜岳の山頂で、ちょうどこの日が51歳の誕生日だという単独行の男性に出会い、記念写真のシャッターを押してあげた。
900707_38900707_45900707_52900707_53   



この方とは、いっしょに下山し松本駅で別れたが、いまだに年賀状のやりとりを続けている。

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【山】五竜岳(2)

9007goryuu1唐松岳・五竜岳
(八方尾根~五竜山荘~遠見尾根)
1990.7.6(金)夜~7.8(日)
立川発0:19の急行アルプスの指定席で白馬駅まで。
土曜日の早朝、天気は曇り。
駅前からタクシーで、黒菱平の登山口6:30。
冬場はスキー場になる八方尾根のリフトも、この時期は運転していないので、徒歩で登る。
岩まじりの急斜面で、なかなかきつい(と、山日記に書いてある)。

900707_04コバイケイソウ、ニッコウキスゲが咲いていた。
早朝、人気のないスキー場の斜面を、寝不足のからだで登るのはつらいものだ。
そんなとき、登山道わきの花々がなぐさめとなる。
すでにこのあたりから、白馬三山が見えてうれしかった。
二週間前に登った山だと思えば、なおさら喜びが増す。

900707_03_1900707_09白馬三山
右から、白馬岳、杓子岳、鑓ヶ岳(白馬鑓)。
どれも山容が大きい。

900707_13900707_18写真の撮影ポイントが不明だが、八方尾根の下部(八方池よりも下)から、五竜岳や鹿島槍、不帰(かえらず)ノ嶮が見えていた。
【写真(左)】鹿島槍の双耳峰と五竜岳。
【写真(右)】不帰ノ嶮と天狗ノ頭(白馬三山の南端にあるピーク)。   

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2006年6月16日 (金)

【山】五竜岳(1)

ひさしぶりに 「ぼくが登った深田百名山」 シリーズ。
3月6日掲載の大雪山
http://yamaoji.cocolog-nifty.com/blog/2006/03/post_65d1.html
に始まって、これで8山目かな?
(カテゴリ 【山】山日誌 に入れている)

後立山連峰(うしろたてやまれんぽう)
北アルプスのうち黒部川の東側に連なる山域の総称。
黒部川を隔てて立山連峰と対峙している。
富山県と、新潟県又は長野県の県境の稜線が主な山域と言える。
後立山連峰の範囲は諸説あるが、南の範囲は針ノ木岳と蓮華岳の間の針ノ木峠までとする定義が一般的である。
なお、狭義では、鹿島槍ヶ岳のみをさすこともある。 ― Wikipediaから ―

今回は、五竜岳(ごりゅうだけ)
標高2814m。 3000メートルに満たないけれど、姿かたちのいい山である。
深田久弥 『日本百名山』 の「五竜岳」の項、冒頭には次のように書かれている。

北安曇から後立山連峰を眺めると、高さは特別ではないが、山容雄偉、岩稜峻厲(しゅんれい)、根張りのどっしりとした山が眼につく。 それこそ大地から生えたようにガッチリしていて、ビクとも動かないと言った感じである。 これが五竜岳だ。
 ― 深田久弥 『日本百名山』 ―

900707_39(写真) 朝日にかがやく五竜岳 1990.7.8
1990年、6月下旬に白馬岳に登ったその二週間後の週末。
例によって金曜夜発夜行一泊二日。
白馬駅から八方尾根経由で唐松岳に登り、五竜山荘に宿泊。
翌日曜日、五竜岳山頂まで往復し、遠見尾根経由で神代駅に下った。

900707_35900707_36花と、白馬三山、鹿島槍の展望を思う存分たのしんだ山行だった。
次回、このとき撮った写真のいくつかを紹介したい。   

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2006年6月15日 (木)

【読】プリクラ

ちかごろ、もの忘れがひどい。
人の名前やモノの名前が、とっさに出てこないことが多い。
年齢のせいだろうな。

吉本隆明さんの 『老いの超え方』 という本をあらためて手にとってみて、カバーの写真の具合が何かににていると思った。
まるで、ほら、あの・・・なんていったっけ?
こどもたちがよくやる写真。 シールになるやつ。 あれだよ、あれ。
という具合に、家人とふたり協力しあって思いだそうとしても、名前が出てこない。
考えること数分。
プ・・・ プラ・・・ プリ・・・ プリクラ!

Yoshimoto_oinokekata_1一枚一枚の写真が、ちょうどプリクラのシールを貼りつけたようなぐあいで、微妙に浮きあがっているのだ。 なにやらほほえましい。
なかなか凝った装丁の本である。
今日から読み始めた。
読みやすいので一日で半分ぐらい(120ページほど)読みすすんだ。
1924年(大正13年)生まれ、82歳かぁ・・・。
そうとうあちこち、お体の具合は悪いようだが、いたって元気な方だ。
ただ、近年の著作(注)にも見られる「同じことを繰り返し言う」ところがあって、ちょっと気になる。
壊れたレコードみたいに・・・というのは言いすぎだけど。
それでも、思想の芯がしっかりしている方だから、学ぶところは多い。
なによりも、ご自身の現在進行系の「老い」について、尽きることなく語っているところが、とても参考になる(身につまされる、と言ってもいいかな)。

ひさびさのヒットである。

(注) 『戦争と平和』 吉本隆明 (文芸社 2004年8月発行)
この中に、1995年の講演録があり、吉本さんの言いたいことはとても明解なのだが、言いまわしにくり返しが多く、苦笑した。
ただし、とても強烈な印象を受ける講演内容だ。
1995年3月10日、吉本さんの母校である都立化学工業高校での講演。
この年は戦後50年であり、阪神・淡路大震災の直後でもある。

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2006年6月13日 (火)

【遊】日曜日の散歩

もう過ぎてしまったので、「今日の散歩」ではないが・・・。
日曜日(6/11)、あきるの市へ墓参に行った帰り、「大悲願寺」という古刹に寄ってきた。

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このお寺の仁王門がいい。
「大悲願寺楼門(仁王門)」
慶長18年(1613)建立後、寛文9年(1669)再建。
現在の建物は安政6年(1859)に建てられたものだというから、かれこれ150年になる。
P6100008P6100007P6100006



この楼門の天井には、これまた古い「天井絵」が描かれていて、おもしろい。
大日如来の梵字を囲んで、草木の花が描かれているそうだ。
このお寺は真言宗で、正式には「金色山 大悲願寺」という。
所在地は、あきるの市横沢。
JR五日市線の「武蔵増子」と「武蔵五日市」の中間、五日市線の線路の北側。
http://www.hananotera.or.jp/daihiganji.htm

国重要文化財の「伝阿弥陀如来三尊像」がおさめられているらしい。
また、萩の名所としても有名だとか。
古い大きな本堂は、現在、改修工事中だった。
工事のためによけてあったと思われる古い仏像があった。
なにやら不思議な像だ。
P6100012

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2006年6月11日 (日)

【読】新聞書評欄

新聞を読まなくなって久しい。
ひとつには、時間がないということもあるが、新聞に目をとおすのも「習慣」だと思う。
この習慣が、いつ頃からかなくなったのである。
生きていくうえで、とくに不便も感じないので、新聞を読まなくてもいいのだ、と、開き直っている。

ところで、今日、久しぶりに朝日新聞の書評欄を見ていたら、「老いの底力」と題して、吉本さんの『老いの超え方』が紹介されていた。
その記事に、鶴見和子さんの対談の本も紹介されていて、興味をひかれた。

Beijukaidan_1金子兜太・鶴見和子 著
『米寿快談』 藤原書店 2006/5/30出版
藤原書店
http://www.fujiwara-shoten.co.jp/index_2.html

鶴見さんは、1918年(大正7)6月10日のお生まれだから、今年、米寿をむかえられた。
藤原書店のこの本の紹介記事には、つぎのように書かれている。
<反骨をつらぬいてきた俳句の巨星、金子兜太と、脳出血で斃れてのち短歌で思想を切り拓いてきた国際的社会学者、鶴見和子。米寿を目前に初めて出会った二人が旧知のごとく語らい、定型詩の世界に自由闊達に遊ぶなかで、いつしか生きることの色艶がにじみだす円熟の対話。>

ぼくは、鶴見さんの書かれた 『南方熊楠』(講談社学術文庫) で、いっきにファンになった。
→「晴れときどき曇りのち温泉」 この一冊
http://yamaoji.hp.infoseek.co.jp/books.html

鶴見和子さんは、鶴見祐輔を父に、鶴見俊輔を弟にもち、さらに、母親は後藤新平の娘という、いわばサラブレッドの家系。 そんなことはご本人のお仕事に関係ないのだが、立派な仕事をされた方である。
柳田國男の研究から南方熊楠へ関心を向け、熊楠の仕事を丹念に分析、再評価された。
そんなところが、ぼくが鶴見和子さんにひかれる一因なのかもしれない。

この、鶴見さんと金子兜太さんという俳人(ぼくの知らなかった方だが)の対談、いつか読んでみたいと思う。

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2006年6月10日 (土)

【楽】フォーク フェスティバル

杉並公会堂で開かれた 「フォーク フェスティバル IN TOKYO VOL.1」 に行ってきた。
もちろん、須藤もんさんのステージがめあて。

立派な大ホールの座席が、7割方、お客さんで埋まっていて、盛況だった。
こういう催しなので、写真撮影についても規制がなかったようだ。

オーケストラ演奏にも応えられるような音響のホール。
さすがに音の響きがよかった。
明日は、このホールでウィーン少年合唱団のコンサートがあるらしい。

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【読】いくつもの日本

赤坂憲雄  『東西/南北考 ―いくつもの日本へ―』 という新書がおもしろかった。

Akasaka_touzainanboku_1岩波新書 700 (2000/11/20初版) 本文189ページ
赤坂さんの本では
『柳田国男の読み方 ―もうひとつの民俗学は可能か―』
(ちくま新書 007 1994/9/20初版)
を読んだことがあり、感銘をうけた。
http://yamaoji.cocolog-nifty.com/blog/2006/02/post_d63b.html
赤坂憲雄さんは、1953年生まれの気鋭の民俗学者。
東北芸術工科大学の助教授、同東北文化研究センター所長、福島県立博物館館長、という肩書きを持っている。 ぼくと同じ小平市に住んでいらっしゃるらしい。

この 『東西/南北考』 は、五木寛之さんの著作で知った。
図書館から借りて読み始めたが、あまりにおもしろいので、書店で購入。
夢中になって読んでしまった。

― カバー裏の紹介文 ―
東西から南北へ視点を転換することで多様な日本の姿が浮かび上がる。
「ひとつの日本」 という歴史認識のほころびを起点に、縄文以来、北海道・東北から奄美・沖縄へと繋がる南北を軸とした 「いくつもの日本」 の歴史・文化的な重層性をたどる。
新たな列島の民族史を切り拓く、気鋭の民俗学者による意欲的な日本文化論。

この紹介文、いかにも岩波新書らしく「カタイ」が、本文はとても刺激的だ。
ぼくは、しょっちゅう「目から鱗」が落ちる人間だが、このたびも、何枚もの鱗が落ちた思いがする。

「ひとつの日本」という幻想を打ち砕こうと、奮闘といっていいほどの熱の入れようで、「この弧状なす列島」の歴史を掘り起こしている。

「弧状なす列島」ということばが、くりかえし使われている。
赤坂さんは、この列島をけっして 「日本列島」 と呼ばない。
世界地図を見れば、この列島がアジア大陸の東端に大きな弧をえがいて連なっていることが一目瞭然だ。
北はサハリン(樺太)、カムチャッカ半島、クリル列島(千島列島)から、南は南西諸島(奄美、沖縄、先島諸島)までを視野に入れれば、この列島のちがう姿、歴史が見えてくる、とぼくも考えていた。

まえがき(はじめに)で、大相撲と異種格闘技をひきあいにだして、東西/南北の「座標軸」を論じているところがおもしろかった。
相撲(という格闘技)の源郷はモンゴルの草原であり、朝鮮半島を経て七世紀に渡来したものだという。
「東は毛人を征すること五十五国、西は衆夷を服すること六十六国」(雄略記)とあるように、ヤマト王権に服属させた異属を「東西」に分けて闘わせたのが、大相撲の起源だった。

だから、いまでも番付を東西に分け、それぞれの力士は「シコナ(四股名、醜名)」として「御国」(出身地)を背負っているのだという。
まるい土俵(東西にわかれ、花道から控えの間へと延びる)の上で闘うのが相撲。
これに対して、四角いリングの上で、東西の区別もなく、そのつどルールを決めて闘うのが異種格闘技。

<いささか乱暴に過ぎる比較ではあるが、これはじつは、わたしが列島の東西/南北をめぐる志向の軸について思いを巡らしはじめたとき、自然と浮かんだ連想であった。 あらためて断るまでもなく、東西の軸が相撲に、南北の軸が異種格闘技に対応している。>

<東西の軸に沿った戦いは、関ヶ原の合戦を思い浮かべるだけでも、ひとつの土俵・ひとつのルールを互いに認め合った戦いであることがあきらかだ。 (略)
それは突き詰めてゆけば、ひとつの種族=文化の内なる領土争いに帰着する。 ところが南北の軸に眼を転じると、様相はたちまちにして一変する。 (略) それは、蝦夷・アイヌ・琉球といった、少なからず種族=文化的な断層を孕んで対峙する相手との、いわば植民地支配のための戦争である。 ・・・>

長くなるのでこれぐらいにしておく。
興味をもたれた方には、図書館か書店で、ぜひ手にとって内容をごらんになることをおすすめしたい。

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2006年6月 9日 (金)

【楽】杉並公会堂こけらおとし

荻窪にある杉並公会堂がリニューアル・オープンする。
杉並公会堂
http://www.suginamikoukaidou.com/

その「こけらおとし」コンサートが、明日開催される。
「フォーク・フェスティバル IN TOKYO Vol.1」
http://folkfesta.s188.xrea.com/

チケットをいただいた。
須藤もんさんも出演するのだ。
楽しみだなぁ・・・。

須藤もんサイト
http://homepage2.nifty.com/sudomon/

Suginamiticket_1 

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2006年6月 6日 (火)

【読】吉本さんの粘り強さ

気になる本なので、買ってしまった。
吉本隆明さんの新刊。

吉本さんって、大正13年うまれだったんだなぁ。
ぼくの父親と同年代だ。
もっと若いと思っていたが、この本の写真を見ると、ご高齢という感じがする。

それにしても、お元気な方だ。
いろんな持病をかかえながらも、「自前の思想」を深め続ける、このパワーはどこからくるのか。
吉本さんの難しい著作はそれほど読んでいないし、吉本ファンでも信奉者でもないが、同じ時代を生きる信頼できる大先輩という感じで、ずっと敬意を払ってきた。
この人の粘り強さ、じぶんの頭で考え続けることを継続する、その生き方に感服する。

Yoshimoto_oinokekata吉本隆明 『老いの超え方』
 朝日新聞社 2006年5月30日 1700円(税別)
― 帯から ―
 ご老人は超人間である
  今年83歳になる戦後思想の巨人は糖尿病を
  かかえ、白内障と腸がんの手術をし、
  歩くことも本を読むこともままならない。
  そんな不自由をどのように自由に生きるのか?
 吉本老体論の決定版、ついに刊行!

楽しみな一冊だ。
巻頭、ダンベルで体を鍛える?吉本さんの写真がほほえましい。
(表紙にもその写真がある)
インタビュー構成で、やさしく読めそうな本だ。

今日、赤坂憲雄さんの 『東西/南北論 ―いくつもの日本へ―』 (岩波新書・700) を、ようやく読了。
こちらも、刺激的な内容だった。 いずれ後ほど、紹介してみたい。

さて、明日からは、吉本さんの 『中学生のための社会科』 にとりかかろうかな。

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2006年6月 4日 (日)

【読】吉本隆明さん

友人が、吉本隆明さんの新刊を教えてくれた。
『老いの超え方』 朝日新聞社出版局
 2006年5月 1785円(税込)
http://opendoors.asahi.com/data/detail/7375.shtml
興味深い本なので、いずれ入手したいと思っている。

吉本隆明さんを、なんと呼べばいいのか。
詩人、思想家、評論家・・・。
大きな人ではあるが、ぼくにとっては「吉本さん」という感じで、身近なおじさんという印象が強い。
難しい著作も何冊か読んだことがあり、それなりに感銘をうけたりもしたが、インテリ臭のない庶民的な人だと、ぼくは感じている。

その吉本さんの著作を2冊、近くの図書館から借りてきた。

Yoshimoto_syakaika_1『中学生のための社会科』 市井文学株式会社 2005年3月1日
ここで「中学生」と呼んでいるのは、吉本さんの前書きによれば―
「生涯のうちでいちばん多感で、好奇心に富み、出会う出来事には敏感に反応する柔らかな精神をもち、そのうえ誰にもわずらわされずによく考え、理解し、そして永く忘れることのない頭脳を持っている時期の比喩」
だという。
だから、「そういう時期を自分でもっていながらそれに気づかず、相当な年齢になってから『しまった!』と後悔したり、反省したりした」 吉本さん自身の 「願望が集約された時期のこと」 でもあるそうだ。

詩、古典、日本語、老齢、意思と行為、自他の違い、社会と国家、民俗、高度管理社会、・・・などというタイトルが並ぶ。
中学生の読者を想定したわかりやすい文章で、吉本さんの思想が語られているようだ。
楽しみな一冊。

Yoshimoto_isho_1『遺書』 角川春樹事務所 1998年1月8日
あとがきによれば―
「おまえ、溺れかかったのだから死んだも同じだ。ひとつ遺書という本を造らないかと、角川春樹事務所から提案があった」ので、「本当の遺書は書くことはないとおもうから、これがほんとの遺書かもしれない」と、書いた本だという。

死について、国家について、教育について、家族について、文学について、わが回想、・・・といったタイトルが並ぶ。
ここでも、吉本さんの大きな思想が語られているようだ。

もう一冊、これは駅前の古本屋で、バスを待つ時間にみつけた本。
Yoshimoto_oyako吉本ばななさんとの対談。
『吉本隆明×吉本ばなな』 株式会社ロッキング・オン 1997年2月15日
内容は父娘の対談だが、ちょっと惹かれたので買ってみた。

いずれもまだ読んでいないが、今読みかけの本(赤坂憲雄『東西/南北考』)を読みおえたら、読んでみようと思う。
そういえば、赤坂憲雄さんと吉本さんの対談構成で
『天皇制の基層』 (講談社学術文庫・2003年10月10日) という本も手元にある。
読むのはまだ先になりそうだが、興味しんしんである。
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【遊】今日の散歩(新緑の小金井公園へ) 3

小金井公園では、フリーマーケットが開催されていた。
園内の道に、ずらーっと並んでいたマーケットをひやかして歩いていたら、あっといまに時間がたってしまった。
売店で、つめたいざる蕎麦とざるうどんを食べた。

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かえり道、鈴木稲荷神社の前を通り、「鈴木遺跡資料館」に初めて寄ってみた。
「鈴木遺跡」は、昭和49年に、現在の小平市鈴木小学校の予定地から発見された旧石器時代の遺跡。
3万年から1万年も前の石器が展示されていた。
いまは畑や学校になっている地面の下、数メートルのところに、こんなに古い時代の人々の生活の跡が埋まっていることに驚いた。
資料館には、他に人もいなくて、管理人が発掘調査の記録ビデオを見せてくれた。
面白い一日だった。

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【遊】今日の散歩(新緑の小金井公園へ) 2

小金井公園は木が多い。
ふた月ほど前、花ざかりだったサクラの木も、実をつけていた。

P6040031P6040029カンヒザクラ
(寒緋桜、緋寒桜、元日桜、薩摩日桜)
ちいさいが、おいしそうなサクランボだ。
ためしに食べてみればよかった。

園内の花壇も、みごとだった。
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ハナモモ(花桃)も実をつけていた。
ウメもヤマザクラも、うっそうと葉をしげらせている。
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【遊】今日の散歩(新緑の小金井公園へ) 1

うす曇りの一日。
午前10時頃から午後3時頃まで、距離にして6、7キロほど、のんびり散歩してきた。

五日市街道を東へ、都立小金井公園へ。
公園の中をひとまわりして、新小金井街道を北へ。
花小金井の方をひとまわりして帰ってきた。
新緑の中、いろんな花を見てきた。

P6040001P6040006アジサイが咲きはじめている。
梅雨空はうっとうしいけれど、これからの季節、雨に濡れたアジサイを見るのは好きだ。
五日市街道の玉川上水ぞいに、遊歩道を歩く。
いまは、どくだみの花が盛りだ。
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いつもは門前を素通りしていた、禅宗のお寺の敷地にはいってみた。
「瑞雲山海岸禅寺」というお寺だ。
茅葺の山門は、天明3年(1783年)に建てられたものだという。
P6040017P6040015このお寺の境内に、ちいさな池があった。
人ひとりいない境内に、ひっそりと咲いていた。
睡蓮の花を見るのは、ひさしぶりだ。 
   
   

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2006年6月 2日 (金)

【読】こころの新書 (10)

五木寛之 「こころの新書」 シリーズ(講談社)。

『情の力』 (2005.10.24) を、先日読み終えた。

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この本は、100編の短いエッセイから成る。
シリーズのエッセンスを集めたような内容で、読みやすい。
このシリーズを読んでいない方に、おすすめしたい。
興味ぶかかったのは、敗戦のときに朝鮮半島でおかあさんを亡くした体験を、すこしだけ踏みこんで書いていることだ。
おかあさんの死について、これまで具体的に書くことをしなかった五木さんにしては珍しいと思う。

<亡くなった母の体を、借りてきたタライのなかで洗って浄めたときに、こんなに枯れ木のように細かったかと愕然としました。>

<母はあの敗戦と混乱の犠牲者として死んでいったのです。/あえていいますが、旧植民地だった朝鮮の地で、植民支配者である私たち日本人はいろいろな形で罪や責任を担ってきました。 ただ、そういうものに対して、私は身内でいちばん大事な人をそこで亡くし、置いてきた。 その母の犠牲によって、その罪を少しだけ贖ったという感覚が私にはある。・・・>

ところで、このシリーズの新刊 『日本人のこころ 博多・沖縄』 をみつけ、入手した。
「大陸へのロマンと慟哭の港 博多・日本の原郷 沖縄への旅」 というタイトル。
第一部では五木さんの引き揚げ体験が、第二部では沖縄への関心の深さが、綴られているようだ。
例によって、巻末の「主要参考文献」の数がすごい。
いよいよ面白くなってきた。

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2006年6月 1日 (木)

【読】出会ったときが買いどき

本屋で思いがけない本に出会うことがある。
きのう、新宿にある大型書店(ジュンク堂書店)へ行った。
http://www.junkudo.co.jp/

ほしかったのは、赤坂憲雄さんの 『東西/南北考』 (岩波新書)だった。

Akasaka_touzainanboku五木寛之さんの著書で知った。
五木さん推薦の本だ。
いま、読みすすめているので、また改めて紹介しよう。

<東西から南北へ視点を転換することで多様な日本の姿が浮かび上がる。「ひとつの日本」という歴史認識のほころびを起点に、北海道・東北から奄美・沖縄へと繋がる南北を軸に、縄文以来の「いくつもの日本」の歴史・文化的な重層性をたどる。新たな列島の民族史を切り拓く、気鋭の民俗学者による意欲的な日本文化論>

この書店の「地方史」コーナーは、アイヌ関係の書籍の品揃えが充実している。
地方出版社の本がたくさんあるので、よく立ちどまって書棚を見る。 きのうは、ここで、分厚い一冊の本をみつけた。

Asahikawa_ainu『旭川・アイヌ民族の近現代史』 金倉義慧(かなくら・ぎけい)著
 高文研 2006.4.15 \3800
http://www.koubunken.co.jp/
http://www.koubunken.co.jp/0375/0362.html

値がはるので、どうしようか迷ったあげく、買った。
あたらしい本に出会ったとき、買おうかどうしようかと迷った場合、ぼくは無理をしてでも買うことにしている。
というのも、そのときを逃したために、後から入手しにくくなって歯噛みしたことが何度もあったからだ。
「出会ったときが買いどき」 ・・・これも何かの縁だろう、と考えることにしている。

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