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2006年6月18日 (日)

【読】もうひとつのエピソード

前回、吉本隆明さんが、ご自身の体験をもとに語ったことがぼくには強く印象に残ったという話を書いた。
五木寛之さんの 『自力と他力』 に、これはご自身の体験ではないが、五木さんの考え方がよく出ている部分がある。

五木さんの知り合いの女性が入院していたときの、同室の若い女性の話。
その若い女性は、20歳そこそこでがんを患い、抗がん剤の副作用のために苦しんでいた。
毎日夜になると、窓から見える東京タワーを見ながら、しくしく泣くので、五木さんの知人の女性も眠れない夜が続いた。

あるとき、五木さんの知人の女性は、その若い女性とはなしをして、こういう言葉を聞く。
「死は怖いのですが、それよりももっと納得できないことがあるのです。」
「どうして自分だけが、こんなにきれいな夜景のなかで、苦しまなければならないのか、その理由がわからないことが苦しく、悲しいのです。」

五木さんは、自分が実際にこの若い女性を前にしたら、言うべき言葉など何もないのかもしれない、と書いている。
以下、原文を引用すると・・・

 私は、求められないかぎり、何も言わないでしょう。 目の前の女性を救うことのできないおのれの無力さにため息をつきながら、そうするしかないと思うのです。 もし、言うべき言葉があったとしても、その人の悲しみを軽くすることなどできないのですから。
 ただできることと言えば、かたわらにいて、ともに泣いているだけのことです。 何も言わない。 じゃまだと言われれば、だまって去るしかない。
  ― 五木寛之 『自力と他力』 「其の13 悲しみを癒すものは、悲しみである」 から ―

吉本さんと五木さん、この二人の先達が、長い人生経験から奇しくも同じようなエピソードを語り、同じような考え方と態度を示しているところに、ぼくは強い力(衝撃)を感じた。

ぼくならどうするだろう。
ぼくも、癌で入院していた血縁を病院に見舞ったことが何度かある。
そのとき、これほど誠実に「死」(他者の死)に向きあうことができたかどうか。
表面的ななぐさめの態度をとっていたのではないか、という苦い思いがある。

夜中に目がさめたので、気になっていたことを書いてみた。

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コメント

いつか、吉本を教祖化している人に五木のことを語ったら一蹴されたことをお伝えしました。彼らもその後、30年を経て此処まで来て、多少の違いはあれ結論は近いんだということがわかりました。

投稿: 玄柊 | 2006年6月18日 (日) 10時00分

吉本さんを「教祖」と仰ぐ人たちが、ぼくには理解できません。
今はそういう人も少ないでしょうが、ひと頃はいましたねぇ。

投稿: やまおじさん | 2006年6月19日 (月) 20時48分

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