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2006年6月17日 (土)

【読】老いの超え方

吉本隆明さんの 『老いの超え方』 (朝日新聞社)は、いい本だった。
近年の著作で吉本さんが繰り返し語っている思想のエッセンスが、ぎっしり詰まっている。
まだまだ、この「巨人」は健在。

ひとつだけ、とてもいいなと思うエピソードがあったので、そのまま引用したい。
これは、インタビュアーの下の質問に答える形で、吉本さんが語った内容である。

― 例えば若い看護師がターミナル期を迎えた患者さんのそばに行ったときに、たまたまその患者さんに 「おれはもう死ぬだろう。死んだらおれはどうなるんだ」 と質問されたとします。 そのとき、ケアのプロである看護師はどんな答え方が良かろうと、吉本さんはお思いになりますか。

吉本 僕は姪が子宮がんで亡くなったときに、「おじさん、どういうふうに考えたらいいの」と盛んに聞かれました。 今だったら何か言えそうな気もしますが、そのときはこの段階でおれが言うことはみんな切実さに欠けているという感じがして言えませんでした。 「車いすで病院の中でも散歩するか」 と言っただけで、何も言えませんでしたね。 今だったら多少何か言えそうな気もしますが。
 でも、どんなことを言っても、死については野次馬的にしかいえない。 ご本人がどういう状態か、精神状態は了解できるところもありますが、全体としてどうきついのかは全く分からない。 そんなことで何かを言ったら、余計なことを言うな。 死という切実な問題でないときだったらいくらでも意見を言います。 僕ならそうなります。
 ― 『老いの超え方』 「第四部 死」 「第一章 見方」 (P.244) から ―

五木寛之さんが何かの本の中で、他人の悲しみをわかってあげることなどできない、できることは、その人の手をとっていっしょに涙することぐらいだ、という意味のことを書いていた。
吉本さんも、この本の中で同じようなことを言ってる。
ぼくは深くうなずいたのだった。


Yoshimoto_oinokekata_2 【2010/1/10追記】
この本の内容の一部に「差別につながる不適切な表現」があったとして、朝日新聞出版から、内容の一部削除のアナウンスがでている。

詳しくは、下記サイト
http://publications.asahi.com/news/91.shtml

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コメント

なるほど、このあたりにやまおじさんは印象を留めたのですね。五木の言い方も納得しました。人間、せっぱ詰まったときには何も言えませんね。

投稿: 玄柊 | 2006年6月17日 (土) 21時39分

>玄柊さん
コメントを読んで思うところがあり、もう一つ別の記事を投稿してみました。

投稿: やまおじさん | 2006年6月18日 (日) 00時48分

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