【読】世間 (4)
さらに続くのである。 興味のない方は、読み飛ばしてください。
(引用も多いので、読みにくいと思う)『日本人の歴史意識』 という本の中で、阿部謹也さんは、「日本人にとって歴史とは何か」 というテーマを「世間」という視角から考えている。
『「世間」とは何か』(講談社現代新書)では、もっぱら日本の歴代の文学を題材に論じていたが、この本では、専門の西洋史(中世史)にも触れながら、西欧社会と比較して、日本の「世間」の特殊性をとことん論じている。
阿部さんの著作にぼくが好感を持つのは、学者が研究テーマとしてとりあげるという通りいっぺんの関心ではなく、自分自身の(生活を含めての)モンダイとして、学者らしい緻密で論理的な考察をしているところである。
<「世間」の中で閉塞させられてきた個人を解き放たなければならない。 しかしそれは西欧の個人の歴史をなぞるようのものであってはならない。 ・・・西欧の個人は人間を世界の覇者として位置づけ、他の動植物を人間に奉仕するものと見なしてきた。 このようなキリスト教的な人間理解を私たちは共有できない。 私たちにはそれとは違った「世間」の歴史があるからである。・・・> (第9章 日本人にとって歴史とは何か)
阿部さんは、さらに、
「世間」の中で個人を解放してゆくのは極めて困難な道ではあるが、「世間」の中にありながら、歴史を自分自身の体験として身近に引き寄せるためにはどうしたらよいか?
と問う。
その答えに、ぼくは勇気づけられたのだが・・・
<多くの人が「世間」の中で安住し、歴史を「世間」の外で演じられているドラマとしか見ていないときに、自ら直接歴史と出会い、歴史を描くためにはまず「世間」と闘わなければならないのである。・・・> (第9章 P.201)
うーん。 あんまり闘いたくはないな。
できることなら、世間と折り合いをつけながらケンカせずに生きていきたい、というのが怠惰なぼくの考え方なので、どうなるかと思っていたら・・・次のことば。
<しかし「世間」との闘いは単純な闘いではない。 「世間」の中で自分の道を切り開いてゆくための闘いだから、「世間」と正面からぶつかる必要はない。 笑顔で「世間」の人々と付き合いながら、自分の道に関しては徹底的に闘う姿勢を静かな態度で示さなければならない。・・・> (第9章 P.202)
ぼくは、吉本隆明さんの生き方を思いだした。
心に銘じよう。
長くなったが、ひとまずこれでオシマイ。
下の2冊も、これから読んでみようと思う。『学問と「世間」』 岩波新書 735
2001.6.20 第1刷 / 2003.7.25 第5刷
本日入手。 読み始めたところ。
『西洋中世の愛と人格 「世間」論序説』
朝日新聞社 1992.12.10
本棚で眠っていた本。内容がやや専門的だが、今なら読み通すことができそうだ。
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