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2006年10月の23件の記事

2006年10月31日 (火)

【楽】須藤もんさんの11月ライブ

いよいよ11月。
須藤もんさんライブが目白押しです。
関西ライブ・ツアーを終えて、絶好調の彼女の歌を、たくさんの人に聴いてもらえると嬉しいな。

11/3 (祝) 阿佐ヶ谷 「あるぽらん」
 五十一(いそいち)さんとのジョイント 「いそもんライブ」
 出演 五十一(大阪) 須藤もん
 ゲスト あおやぎとしひろ / くみこ
詳細は「あるぽらん」のサイトでご確認ください。
http://homepage3.nifty.com/aruporan/
五十一さんのサイト↓
http://www.alpha-net.ne.jp/users2/isoichi/page01.html

11/15(水)~18(土) 北海道ライブ・ツアー
 11/15(水) 小樽 「一匹長屋」
 11/16(木) 札幌 「も~り~処 才谷屋」
 11/17(金) 札幌 「リブギャラリー」
 11/18(土) 札幌 「bistro DEPOT(でぃ~ぽ)」
詳細は、須藤もんサイト
http://homepage2.nifty.com/sudomon/
および
札幌発・アコースティック音楽情報サイト 「ヴァールハイト」
http://sapporolive.cube-web.net/
をご覧ください。
開演時刻や料金については、お店にご確認ください。

2002年2月10日 「あるぽらん」ライブ風景↓
http://homepage2.nifty.com/sudomon/aruporan.htm
Aruporan2002_1



2003年3月16日 「あるぽらん」ライブ風景↓
http://homepage2.nifty.com/sudomon/aruporan030316.htm

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2006年10月29日 (日)

【読】浅草弾左衛門 (5)

Shiomi_kuruma1大型古書店で、塩見鮮一郎 『車善七 巻の一』 (筑摩書房)をみつけた。
四六判、531ページのハードカバーで、全三巻のうちの一巻目。2004.4.25発行。
http://www.chikumashobo.co.jp/cgi-bin/books_search.cgi?mode=det&keyword=4-480-80375-0
ほとんどまっさらの本が定価の三分の一以下の価格だった。
帯に、五木寛之さんの推薦文がある。
<塩見さんのひさびさの小説 『車善七』 を読むことで日本人の目から二億のウロコが落ちるだろう。 私はそう信じている。 小説の冒険とは文体や形式だけのものではない。 この主題を、この文体で書ける作家は、塩見鮮一郎以外にはいないと私は断言する。 日本と日本人の真実を知りたければこの作品を読むべきだ。>

ちからのはいった推薦文だ。
読みますよ、五木さん。

Shiryou_danzaemon塩見鮮一郎 『資料 浅草弾左衛門』 (批評社/1988.10.10)
 ※ 1996年12月に新装版が出ている。
とりあえず図書館から借りてきた。
小説 『浅草弾左衛門』 を刊行していく過程で、著者が探し出した膨大な資料を集成したもの。「弾左衛門由緒書」「浅草新町時代の制度」「幕末の弾左衛門」「賤称廃止と穢多頭消滅」の4章と、付章「『浅草弾左衛門』に関する小文」から成る。
四六判、438ページ。 図表、写真が豊富で、こういう本は手許に置いておきたいから、ネットで注文してしまった。
本がネットで簡単に手に入る便利な時代になったのは、ありがたい。

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【読】浅草弾左衛門 (4)

Kokoro06_5Kokoro6_2塩見鮮一郎 『浅草弾左衛門』(三部作)をめぐって。
五木寛之さんの「日本人のこころ」シリーズ、左の二冊を読み返してみた。

五木さんは、「浅草は懐かしい街だ」という。
昭和27(1952)年、19歳の春に五木青年は福岡から上京。
「泊まる当てさえないフーテン学生」として早稲田大学文学部地下のアルバイト斡旋窓口で、「どんな仕事でもいい、当分の宿さえあれば文句はない」という思いで、豊島区椎名町の新聞配達店に住み込んで、自転車で業界新聞の配達をすることになる。
そこでの最初の担当地区は中央区(佃島、月島)だったが、しだいにエリアが広がって足立区、荒川区、墨田区、台東区といった東京の下町をペダルをこいで走り回るようになった。 そんな若い頃の思いでを反芻しながら、町屋(荒川区)のあたりを再訪し、次のように書いている (『日本人のこころ 6』)。

<・・・筑豊のボタ山が姿を消しても、やはり筑豊の匂いは残っているように、東京の下半身ともいうべき地域の匂いは、確実に残っているのを感じた。>
「下半身」というのが、いかにも五木さんらしい表現だと思う。 続けて――
<誤解がないように付け加えておくが、私は人間の本質は、下半身にあると考えているのだ。 上半身はその上に乗っかっているにすぎない。 江戸の文化も、東京の繁栄も、中心部から周辺部へと押しやられてゆく地域に根ざしている。・・・>

以下、五木さんの著述を要約する形で、いくつか書いておく。

江戸は大都会だった。
大都会は大量の代謝物をともなう。
ゴミ、犬猫の死体、行き倒れ人、廃物・・・、これらの不浄物を放置しておけば都市は腐臭を発しはじめる。
火事や災害の後始末、江戸中に流れる川や堀の清掃、大量の囚人や病人の管理、犯罪者の追及と処刑の実務。
こういった人のいやがる、いわば汚れた仕事、不浄な仕事を誰がやるのか。
江戸幕府は士農工商以外の階級を制度化し、そこにすべてを押しつけたのである。
非人、エタという身分はそういうものだった。

「非人」とは、仏教で出家した者をさす言葉だった。
さらに古くは、人間にあらざる生類を称し、やがて時代とともに乞食や遊女など、賤視された人々もこう呼ばれるようになった。
それが江戸幕藩体制下で制度化され、「非人」という身分が「法的に」確定されたのだった。

いっぽう、「エタ」(穢多という字が使われていた)身分は武士と切っても切れない関係にあった。
武士は、鎧、馬の鞍、槍の穂先といった武具に大量の皮革を必要とした。
足袋も、もともとは皮革製だった。
(木綿の足袋ができたのは、鎖国によって皮革の輸入がなくなったためである。)
皮革は、牛馬の死骸から皮を剥がし、それをなめすことで生産される。
それが死のケガレ(触穢思想)と結びついて、皮革を生産する人々が賤視されるようになった。
屠畜や食肉業にかかわていた人々が「屠者」と呼ばれ、蔑視されたのと同じ理由。

・・・とまあ、こういったことが、五木さんによってひとつひとつ解きあかされていくのが、上にあげた二冊の本だ。
芸能の起源と差別の関係も興味ぶかい。
エタ頭の弾左衛門、非人頭の車善七らのリーダーは、幕藩体制にがっちりと組み込まれて被差別民支配のための役割を担っていたが、いっぽうでは、被差別民の権利を守るために粉骨砕身した人たちでもあった。

さいごに、五木さんと塩見さんの対談から (『日本人のこころ 6』 講談社)。

塩見 江戸というのは、差別を制度化した社会なのです。ちょっとの違いをきちっと決めて動かないようにして、それで三百年保ったんだと思うんです。だから、ずっと変わらないわけです、はじめに決められたことが。
五木 江戸時代というのは、ある意味では自由であり、ある意味では闊達な面があって素晴らしかったという意見も多いですね。けれども、そうやって細かく制度化されて、着るものから付き合う人まで、あるいは食べ物や住居まで制限されていたというのは、ずいぶん厄介な時代でもあったんですね。

五木 元の吉原遊郭も、いまはほとんどコンクリートのマンションが立ち並んで、掘割も埋められてしまって、どこにもそういう痕跡はなくなっています。しかし、そういう痕跡の上にアスファルトを敷いて覆い隠していくのが、戦後の日本の歴史だという気がしてしかたがないんですよ。それは必ずしも、差別を撤去して平等な社会を実現しようということではなくて、見たくないものには蓋をしてしまえという発想だと思うんです。どんなにそれが辛くても、見るべきものはきちんと見ることによって自分たちの過去をふりかえるということが、本当は大事なことだという気がしますね。
塩見 差別の問題でも、それを取り上げるとおどおどするというのは、ちゃんと見るべきものを見ていないからです。どこかでひるんでしまうんですね。

長々とこだわってきたが、塩見さんの 『浅草弾左衛門』 という、じつにおもしろい大長編小説を読みながら、思うことも多いのだ。

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2006年10月28日 (土)

【読】浅草弾左衛門 (3)

Asakusa_danzaemon2Asakusa_danzaemon3Asakusa_danzaemon2hAsakusa_danzaemon3hToshi_sabetsu



(左から)
塩見鮮一郎 『浅草弾左衛門』
 第二部 幕末躍動篇(軽装版)、第三部 明治苦闘篇(軽装版)
 第二部 幕末躍動篇(ハードカバー)、第三部 明治苦闘篇(ハードカバー)
塩見鮮一郎 『都市社会と差別』 (1984.6.10 批評社)

Kokoro6_1五木寛之 『日本人のこころ 6』 (2002.7.22 講談社)
この中に、五木さんと塩見鮮一郎氏の対談がある。
「取材ノート 8 東京 東京の深淵に下降する旅」
塩見鮮一郎 (しおみ・せんいちろう)
1938年岡山市に生まれる。
河出書房新社をへて、作家・批評家活動に専念。
差別をテーマにした評論に 『弾左衛門の謎』 『作家と差別語』『異形にさらた人たち』などがあり、小説に『浅草弾左衛門』『死の周辺』『西光万吉の浪漫』などがある。

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2006年10月27日 (金)

【読】浅草弾左衛門 (2)

Asakusa_danzaemon1_2塩見鮮一郎 『浅草弾左衛門 第一部 天保青春篇』 を読みおえた。
時代小説というもの、どうも嘘っぽい気がして読むことがすくないのだが、この小説はおもしろい。
五木寛之さんが言っているように、この人物は学校の日本史の授業でとりあげられることもなく、一般的に知られていないと思う。
ぼくも知らなかった。
五木さんの本にも書かれているが、広辞苑で「弾左衛門(だんざえもん)」をひくと――
<江戸時代、関八州およびその周辺にわたって勢威を振った、えたの頭(かしら)。江戸の非人頭車善七(くるまぜんしち)らもその配下。>
という簡単な説明がある。
「えた」とあるが、漢字では「穢多」。
一種の差別用語であるからか、日本語変換では出てこないが、塩見さんのこの小説ではこの漢字が使われている。 再び、広辞苑。
<(「下学集」など中世以降、侮蔑の意味をこめて「穢多」の二字を当てた) 中世・近世の賎民身分の一。 牛馬の死体処理などに従事し、罪人の逮捕・処刑にも使役された。 江戸幕藩体制下では、非人とともに士農工商より下位の身分に固定、一般に居住地や職業を制限され、皮革業に関与する者が多かった。 一八七一年(明治四)太政官布告により平民の籍に編入された後も社会的差別が存続し、現在なお根絶されていない。>
(広辞苑第四版)

この小説は、最後の「弾左衛門(13代目弾直樹)」の数奇な一生を描く。
摂津国(兵庫県)に生れた「小太郎」が、天保11年(1840)、幕命(幕府の命令)によって浅草に呼び寄せられ、12代目弾左衛門(周司)の養子となり、13代目を継ぐ。・・・
大塩平八郎の乱(天保8年/1837)、おかげ参りの流行、渡辺崋山・高野長英らの蕃社の獄(天保10年/1839)、老中水野忠邦による天保の改革、など、世は騒然としている。
明治維新直前の動乱の時代だ。

血わき肉踊る、という表現が妥当かどうか(差別がテーマだから重い内容)。
だが、文句なく面白い長編小説である。
この後、第二部 「幕末躍動篇」、第三部 「明治苦闘篇」 と続く。
幕末から明治にかけての、日本史の裏面。
この三部作は、先日、書店で文庫版(小学館文庫・全6巻)を注文。 入荷の連絡があったのだが、待ちきれないので、図書館から第二部を借りてくるつもり。
また、塩見鮮一郎 『資料浅草弾左衛門』(批評社) という本もあり、これも明日、図書館から借りる。

ネットで調べてみると、興味深いサイト記事があった。
 資料 浅草弾左衛門 − ブログ「国際」
 http://qxs.blcm.net/page/10066.html
<山城新吾が「これを読まずして役者を志すことなかれ」といった、小説浅草弾左衛門の資料集>

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2006年10月24日 (火)

【読】浅草弾左衛門

塩見鮮一郎 『浅草弾左衛門』 という長編小説(三部作)を読み始めた。
船戸与一の小説『蝶舞う館』、ジョン・マンデヴィルの『東方旅行記』をひとまず脇において、この魅力的な小説を読み始めたのは正解だった。
Asakusa_danzaemon1_1五木寛之さんの
『こころの新書 ―日本人のこころ 中国・関東― サンカの民と被差別の世界』 (講談社)
に、次のように紹介されている。
<差別問題などを論じるときに私が驚かされるのは、東京出身の人たちから、よくこんなふうにいわれることだ。/「五木さんは九州出身だから、差別の問題を実感として感じることができるでしょうが、われわれ東京人は、理論としては差別を理解できても実感がないんですよ。なんといっても、関西や西日本と違って、東京にはあまりそういう現実がなかったものですからね」/冗談をいっているのではなく、彼らは真面目な顔でそういうのである。>
<かつて、「弾左衛門」と呼ばれた人物がいた。/いや、これは個人の名前であると同時に、世襲の役職を表す名前でもあった。この弾左衛門こそは、ある意味では江戸時代から幕末、そして明治の初期にかけて、東京の暗部、影の世界の王国に君臨したドンだった。>
<弾左衛門に関して書かれた本はいろいろ出ている。学者の人たちも書いているし、塩見鮮一郎氏が書かれた『浅草弾左衛門』三部作(批評社)などは、じつにおもしろい大長編小説である。>
(五木寛之 上掲書 P.187~188)

・・・五木さんの本からのまる写し。 「他人のふんどしで相撲」のたとえそのままだが、かんべんしてください。
興味のある方は、五木さんの本にあたっていただきたい。
きょうは時間がないので、ここまで。
Kokoro06_4

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2006年10月22日 (日)

【読】ありがたい図書館

この街は図書館が多く、充実しているのがありがたい。
9館2分室で、一般書だけでも合計73万8500冊を収容(平成18年4月現在)。
この他、児童書34万冊、地域資料5万7000冊、雑誌3万冊など。
この市の図書館の特徴は、「分担収書」といって各館で重複のないように分担して収容している点だ。
インターネットで予約すれば、次の週末までには最寄の図書館に届き、借り出すことができるので便利だ。
http://library.kodaira.ed.jp/index.shtml

Kodaira_toshokan_1今日も夕方、市の中央図書館に寄って
『東方旅行記』 (J.マンデヴィル/東洋文庫)
を借りてきたのだが、もう一冊、気になっていた本もみつけた。






Asakusa_danzaemon1塩見鮮一郎 『浅草弾左衛門 第一部・天保青春編』 (批評社)
以前、この図書館の在庫となっていて書棚に見つからず、諦めた本。
五木寛之さんの
『日本人のこころ 中国・関東/サンカの民と被差別の世界』
という本に紹介されていて、読んでみたいと思っていたのだ。
(古書店で第二部と第三部を見かけた。三冊揃っていれば買おうかと思ったほど、存在感のある本だ)



Kokoro06_3Touhou_ryokoukiさらに、今日は収穫があった。
この街の図書館ではときどき、「ブックリサイクル」ということをする。
正確には、「図書館資料(除籍済)無料配布」。
保存期限の過ぎた雑誌、不要となった図書館資料(一般図書・文学書)を無料で利用者に配布するのである。
図書館の玄関先の棚に、ご自由にお持ち帰りくださいと、たくさんの本が並べられていた。
ブリタニカの大百科事典(1972年頃の日本版/十数冊揃い)などもあったが、さすがに持って帰るのはためらわれた。 どうせ場所ふさぎになるだけなので・・・。

そんな中から2冊、いただいてきた。
Tokyo_kotobaNihon_koten『東京都のことば』 (昭和58年/東京都教育委員会)
200ページほどの小冊子。
東京語を採取したもので、明治生まれの一般の人々の会話や語りが記録されている。 これは貴重な資料だ。
『日本古典文學体系別巻 索引』 岩波書店(1964年)
このシリーズは図書館に常備されているし、古書店などでも手に入るが、索引が一冊あればいろいろと調べることができる。
全集ものの索引は何かと役にたちそうなので、見つけたら手に入れるようにしている。
(柳田國男全集の索引を、BOOK OFFで安く手に入れたことがある)

図書館は、ありがたい。
それにしても、われながら「本オタク」だなぁ・・・。

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【読】キリスト教的歴史観

友人だった翻訳家・岸本完司の翻訳書に
『コロンブスをペテンにかけた男』
(ジャイルズ・ミルトン著、中央公論新社) という本がある。
http://www.bk1.co.jp/product/9071
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4120029794
副題が「騎士ジョン・マンデヴィルの謎」
ジョン・マンデヴィルは、マルコ・ポーロとほぼ同時代(14世紀)に、聖地エルサレムからインド、スマトラを経て極東にまで旅をし、34年後に帰国したイギリスの旅行家である。
『東方旅行記』(1362年、大場正史訳、平凡社東洋文庫)という旅行記を残した。

岸本完司『晴読雨読日記』 に、この『東方旅行記』についての書評がある(P.158)。
いま、同じ岸本の本に紹介されている(P.187)、岡崎勝世著 『聖書VS.世界史』(講談社現代新書)を読んでみている。
Seisho_1のっけからカタカナの固有名詞がたくさん出てくる学術的な論文で、ちょっとひるんでしまったが、そこはそれ。
めんどうなところはさっと読み流しながら進んでいくと、これがなかなか興味深い内容なのだ。
「今年は何年か?」と聞かれたら、誰だって「2006年(西暦)」、あるいは「平成18年(和暦)」と答えるはずだが、西洋のキリスト教世界では天地創造から何年という暦をずっと使って来たという。

さまざまな数え方(暦)があるが、例えば、ヘブライ語版聖書(正典)では――
天地(アダム)創造から「大洪水」(ノアの大洪水)までが1656年、「アブラハムの召命」 2023年、「出エジプト」 2453年、・・・「イエス生誕」 3994年ということになっているらしい。
天地創造から現在までは、計算すると約6000年である。

岸本完司 『晴読雨読日記』の、『聖書VS.世界史』書評(P.187)から引用すると――
<我々の歴史はすべて、天地創造からキリストの再臨、そして「神の国」の到来へと至る神の計画によるものだ、というのが聖書に基づいた史観である。この本では「普遍史」と呼ばれている。/そしてこの普遍史が現実との整合性を求めて揺れ動いていたのが、近代までの西欧の知の歩み――おおざっぱに要約すれば、こういうことになろうか。>

「普遍史」とは聞き慣れないことばだが、、『聖書VS.世界史』 エピローグの岡崎氏の記述によれば、英語のユニヴァーサル・ヒストリー(Universal History)の訳語として学会では定着しているらしい。
岡崎氏は、次のように言っている。
<もともと聖書は、人間だけでなく、日月星辰から動植物までを含む「万有」(Universe)全体の歴史の開始から終末までを記述している。 この意味からいえば、「ユニヴァーサル・ヒストリー」に対して、「普遍史」よりはむしろ「万有史」という訳語を当てるほうが正しいとも言える。 筆者もそのように考えたことがあった。>

いずれにしても、西洋キリスト教世界の伝統的な物の考え方とはこういうものか――と思うと、愕然とする。
さらに踏みこんで書いてしまえば、ぼくらはどこまで欧米人の根にあるキリスト教的な世界観・歴史観を理解できるだろうか、と思う。
反対に、欧米人はぼくら日本人の伝統的な物の考え方を、どこまで理解できるだろうか。
考えてみると、なかなか面白い問題なのだ。

Nihon_koyomiところで、こんな本を BOOK OFF でみつけたので、買ってみた。
『別冊歴史読本 日本の暦と歳時記』 (新人物往来社)
アイヌの自然暦、インディアンの暦、イスラム暦、バビロニア暦、ユダヤ暦、ギリシャ暦、ヒンズー暦・・・といった「暦」のちがいは、そのまま、この地球に住む人類の多様性を思いおこさせる。面白いもんだね。

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2006年10月19日 (木)

【読】600gの長編小説

昨日ここに書いた読みかけの新書 『江戸語・東京語・標準語』 を、帰宅途中の電車の中で読み終えてしまった。 読むものがないと、通勤の車中ではちょっと困るんだな。
Funado_vietnam_1おあつらえ向きに、鞄の中には昼休みに BOOK OFF で買った長編小説が一冊・・・。
さっそく読み始めた。
船戸与一の小説を手にとるのは、ひさしぶりだ。
『蝶舞う館』 船戸与一 講談社 2005.10.26
むむっ。 新刊書店の娯楽小説コーナーのチェックを怠っていたら、一年前に出ていたんだ。
四六判、494ページ。 ずっしりと重い(600g)。
電車の中、片手で持って読むにはちょいと辛いが、船戸小説はのめり込むと重量を忘れるくらい面白いのだ。 血沸き肉踊る冒険小説。
船戸作品には世界の紛争地帯を舞台にしたものが多いが、これは現代(2004年)のベトナムが舞台。

<< 帯のコピーから >>
大地の精霊たちの声が聴こえる。 戦え、と。
この悲劇の国は、再び焦土と化す――
船戸与一が初めてベトナムを描いた、圧倒的長編小説!
日本人有名歌手の誘拐。 犯行声明で名指しされた元ジャーナリスト。
民族解放戦線に「呼び出された男」が、ベトナム戦争のかつての激戦地で見せつけられる、途轍もない現実!
――おまえは、「行動者」たることを選べるのか?
戦いの傷が癒えないアジアの人々と、戦いを知らない日本人に捧ぐ。
魂を揺るがす大傑作!

船戸与一という同時代の作家が好きだ。
ぼくのWEBサイト「晴れときどき曇りのち温泉」のコーナーも、ぜひご覧ください。

船戸与一 『蝦夷地別件』 の紹介 (「この一冊」のコーナー)
http://yamaoji.hp.infoseek.co.jp/b_hunado_ezoti.html

船戸与一の人物紹介 (「資料蔵」 人名編 船戸与一)
http://yamaoji.hp.infoseek.co.jp/kura.html#funado

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2006年10月18日 (水)

【読】おもしろい新書(続)

きのうの続き。
Edogo_2水原明人 『江戸語・東京語・標準語』 (講談社現代新書)
これが実に面白い。
あっ、我ながら語彙が乏しいなぁ。
どういうふうに面白いのか。

徳川家康が江戸幕府を開いたところから始まるのがいい。
それまでの江戸の地が、ほんとうに辺鄙なところだったことがよくわかった。
そこに人が集まってきて発生した「江戸語」という独特のことば。
武士階級と庶民のことばの違いやら、「江戸っ子と『六方ことば』」と題して、江戸時代初期、下級武士や博徒、遊び人のあいだで流行した乱暴なことばが紹介されている。
「六方ことば」の特徴の一つは、ことばの頭に促音、撥音をともなうことだという。
トッツク、ヒッツク、ブッカケル、ヒッパル、ヒッカク、ヒッタクル、トッチメル、ウッチャル、ツンノメル、ブンマワス、ウッポレル(自惚れる) ・・・今も日常的に使われているものが多い。おもしろいものだ。

明治になって、国定教科書などというものが作られ、標準語化が強引に押しすすめられていったというのも、興味深い。
たとえば、「おかあさん」ということば。
これも、国定教科書ではじめて採用されたもので、一般的なことばではなかったという。
漱石の「坊っちゃん」の中で、下宿の婆さんは「御母さん(おかあさん)」と言うが、坊ちゃんは「御母さん(おっかさん)」と言っている、などということは、この本を読むまで気づかなかった。
「おかあさん」は、当時、西日本の一部でしか使われていなかったのだと。

方言撲滅運動という乱暴なことも、明治の末から大正の初めにかけて行なわれていたらしい。
しかし、その効果もなく、昭和28年の調査でわかったのは、<毎日二回という厳しい発音訓練を受けた生徒達が、四十年後にはまったく他の者と訛の点では区別がつかなくなっているという事実だった>。
どっこい、方言は生きている。 嬉しいね。

「見れる」「食べれる」といった、いわゆる「ら抜きことば」も、関東大震災後の山手(やまのて)ことばの中に突然現れたものだという。 今どきの若いモンのことばの乱れ、などと言っていられないのである。

著者は、日本放送作家協会理事(発行時=1994年現在)の肩書きを持つ脚本家らしい。
「第四章―標準語の普及とラジオ放送」 をいま読んでいるところだが、日本での放送局出現の様子なども詳しく書かれていて、これまた興味深い。

大正14年(1925)3月、東京・芝浦の東京高等工芸学校(現千葉大学工学部)のスタジオで、ラジオの試験放送が開始され、日本で初めてラジオ放送が実用化。
大正9年(1920)、アメリカで世界初のラジオ局、KDKA局が誕生。
前後して、日本でも、東京朝日、報知、東京日日、大阪の時事、毎日、朝日、名古屋の新愛知など新聞各社(!)を中心に、放送の企業化をめざす動きが起こる。
大正11年(1922)頃から、放送事業の出願者が続出。
大正13年(1924)には、放送出願件数は全国で、なんと64件にもなったという。
その後、紆余曲折があって、日本放送協会(NHK)という事実上の国営放送が誕生した・・・知らなかったなぁ。

まさに、「知るは楽しみなり」(ぼくが今作ったことばです)なのだ。
この本には付箋がいっぱい付きそうだ。

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2006年10月17日 (火)

【読】おもしろい新書

本の話ばかりで、まことにご退屈さまです。
岸本完司 著 『晴読雨読日記』 で教えてもらった新書2冊。
EdogoSeisho『江戸語・東京語・標準語』 水原明人
 講談社現代新書 1216 1994年
『聖書VS.世界史』 岡崎勝世
 講談社現代新書 1321 1996年
いずれも、大型古書店でみつけた。
『江戸語・・・』 を、いま読んでいる。
おもしろいです。

Seidoku_udoku_nikki_7岸本完司 『晴読雨読日記』 (書評エッセイ集)
ぼくの知らなかった本について、教わるところが多い。
『江戸語・・・』 については、この本の93ページに、
『聖書・・・』 については、187ページに、それぞれ書評が掲載されている。
※ 『晴読雨読日記』 について興味をもたれた方は、過去の投稿もご覧ください。
http://yamaoji.cocolog-nifty.com/blog/2006/10/post_5f42.html
http://yamaoji.cocolog-nifty.com/blog/2006/09/post_2041.html
http://yamaoji.cocolog-nifty.com/blog/2006/09/post_2969.html
http://yamaoji.cocolog-nifty.com/blog/2006/08/__0ad3.html
 

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2006年10月16日 (月)

【遊】秋の北海道

用事があって、二泊三日で北海道へ行ってきた。
土曜日(10/14)は快晴で、富良野線の列車の窓から、十勝・大雪の山々がよく見えた。
雪をかぶってきれいだったが、写真が撮れず、残念。
下の写真は、10/13、往路の飛行機の窓から美瑛の街。
北海道はいま、ナナカマドが赤い実をつけてみごとだった。
0610130002061014001406101400170610140030

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2006年10月13日 (金)

【読】きょうの収穫

たまに新刊書店をのぞいてみると、思いがけない本が出ていたりするので油断できない。
Kokoro10五木寛之/沖浦光和(おきうら・かずてる)
 『辺界の輝き』
 五木寛之 こころの新書 10
 講談社 2006.9.15 \800(税別)
岩波書店から2002年3月に出ていて、ぼくはすでに読んでいたが、新書版に化粧なおししたものも魅力がある。
とうとう出たか。 ・・・同じ内容なのに、ついつい買ってしまうのだ。
「化外(けがい)の民」「夷人雑類(いじんぞうるい)」「屠沽の下類(とこのげるい)」といった、聞きなれない言葉がみえるが、言ってみれば漂泊民・被差別民をテーマにした対談。

Okiura_henkaiこちらが岩波書店版の単行本。
はじめて読んだとき、目から鱗が何枚も落ちる思いをしたものだ。
これはいい本ですよ。





Nhk_orikuchiもう一冊。
こちらは、NHKのTV番組のテキスト。
『知るを楽しむ 私のこだわり人物伝』
 三波春夫 わが愛しの日本人 (森村誠一)
 折口信夫 古代から来た未来人 (中沢新一)
この二人が一冊に同居しているのも面白い。
どちらも、ぼくにとっては興味のつきない人物なので、買ってしまった。
このシリーズ、面白そうなものが他にもある。
TV番組は見ないけれど、パラパラとめくっているだけで楽しめそう。 

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2006年10月 9日 (月)

【山】初冠雪と遭難 (続)

白馬岳の遭難について、「信毎」のサイトに、このガイドと参加者について、詳しいことが載っていたので追加する。
ぼくの予想に反して、ベテランガイドであり、参加者もこのガイドについて何度も歩いているという。
(ガイドの実名をイニシャルに変え、記事内容は要約した)

http://www.shinmai.co.jp/news/20061009/mm061009sha2022.htm
登山経験豊富な参加者「予想外の積雪が原因か」

ガイドのTさんは、日本アルパイン・ガイド協会(東京)の認定ガイド。
ヒマラヤの世界第2の高峰K2(8,611m)に挑んだこともある経験豊かな登山家。
パーティーはTさんが募集したツアーで、参加したサブガイドの女性やほかの女性5人も5年以上の登山歴があり、北アルプス縦走も経験していたという。

Tさんは月に2、3回、福岡市内の登山用品専門店のスタッフとして常連客らに登山に関するアドバイスなどをしていた。同店によると、Tさんは、店内にツアー公告を掲示し、中級者を対象に参加者を募集。応募した6人は、これまでも何度かTさんのツアーに参加したことがあるという。

同店の代表(59)は「Tさんは、夏はほとんど北アルプスに行きっぱなし。経験も豊富で、無理はなかったと思う。予想外の積雪が原因としか考えられない」と話している。・・・

ベテランの登山家らしいことは確かだが、やはり、ガイドとしてはどうかと思う。
「予想外の積雪」というが、当日の判断に問題があったのではないか。
というのは、たとえ積雪がなかったとしても、当日の気象状況からかなり厳しい登山条件であり、コースじたいの設定も妥当かどうかと思われるのだ。

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【山】初冠雪と遭難

富士山が初冠雪 平年より6日遅く
甲府地方気象台は7日、富士山の初冠雪を観測した。
平年より6日遅く、昨年より4日早かった。
 http://www.asahi.com/

この時期、初冠雪のたよりが聞かれる。
そもそも、「初冠雪」とは何か。

初冠雪(はつかんせつ)とは、一年のうち、雪に覆われる時期とそうでない時期がある山岳において、夏を過ぎて(その年の最高気温をすぎた後から)初めて山頂に白く積雪ができること。冬の訪れを推し量る指標として用いられ、日本の気象庁では、気象現象として約80の山を対象に観測している。山に雪が降り、そのような時期になることを「初冠雪を迎える」と表現する。
日本の気象庁では、積雪は普通、「積雪計」を用いて実際に雪が堆積した厚みを計測する。しかし、初冠雪に関しては麓にある気象台や測候所から対象となる山の山頂を望め見て、白く堆積したかを確認する。したがって、例え山頂に降雪したとしても、雲によって山頂が隠れてしまった場合、麓から見ることができず、雲が晴れたあと観測されるというタイムラグが発生する。>  ―Wikipedia―

つまり、麓から目視で確認できた時点で「初冠雪」となるらしい。 面白いものだ。
ところで、一年前にこのブログを始めた頃、「【山】紅葉と雪」(2005年10月4日)と題して、1989年の立山での遭難のことを書いたことがある。
http://yamaoji.cocolog-nifty.com/blog/2005/10/post_7748.html

今年もまた、この時期、山の遭難のニュースを聞いた。
白馬、穂高、北海道の旭岳・・・。
なかでも、白馬岳の遭難は、ガイドがついていながら何故、と思うようなケースだ。

信濃毎日新聞のサイトから
http://www.shinmai.co.jp/
(記事では実名だったがイニシャルにして、内容を要約した)

10月9日(月)
県警は9日朝、北アルプス・白馬岳(2,932m)で遭難した福岡、熊本両県の男女7人のうち3人をヘリコプターで救助。女性4人の遺体を収容。
7人が遭難した7日午後の白馬岳は吹雪。8日も積雪や強風のため捜索が難航した。

大町署は8日、北安曇郡白馬村の登山口から県警山岳遭難救助隊員6人を山頂近くの現場に向かわせたが、吹雪や白馬大雪渓での雪崩発生などのため、大雪渓下部の山小屋で待機。ヘリコプターも悪天候で飛ばせず、同日午後5時にこの日の捜索を打ち切った。

パーティーは、福岡県大牟田市の登山ガイドTさん(48)が、福岡市内の登山用品専門店を通じて募集したツアー登山。
7日に死亡したとみられる2人は、熊本県大津町の女性(53)と熊本市の女性(61)と判明。
稜線では、福岡市在住の66歳と61歳の姉妹がビバークしたままとなっているが、連絡が取れない。
山小屋に収容された3人のうち、パーティーのサブガイドを務めた福岡県春日市の女性(42)と同県宗像市の女性(67)は凍傷などの軽傷。救助要請したガイドのTさんにけがはないという。

大町署がTさんから電話で聞いた話によると、7日は午後2時すぎから吹雪になり、着衣が凍り付いたような状態になった。福岡市の姉妹が、掛けていた眼鏡が曇って足元が見えなくなり遅れ気味に。Tさんがこの姉妹に付き、ほかの4人を先に行かせた。

その後、ビバークするために、姉妹を横たわらせツェルト(簡易テント)をかぶせようとしたが、強風でツェルトが飛ばされた。そこで、3人のザックで姉妹の体を覆い、自らは救助要請へ。稜線に出てから約50メートル登った場所で、先行の4人グループと出会ったが、既に1人が倒れていたという。・・・

この記事や、同じ「信毎」の別の記事からわかることは・・・
1.登山用品専門店を通じて募集したツアー登山(7人パーティー)だったこと。
2.参加者の年齢が60歳代後半を含む高齢者だったこと。
3.このパーティーが遭難した7日は、日本の東海上を発達した低気圧が進み
 中国大陸から寒気が入り込む冬型の気圧配置だったこと。
4.登山計画書によると、7日朝、富山県側の祖母谷温泉を出発し、尾根を登って
 稜線に至り、同日夜は白馬山荘に宿泊する予定だったこと。
 (かなり難しい10時間前後のコース)
5.ガイドとサブガイドがついていて、ツェルトは持っていたこと。
 (ただし、そのツェルトが強風で飛ばされた)
6.吹雪の中、遅れ気味になった(かけていた眼鏡が曇って足もとが見えなくなった)
 人たちにガイドがつきそって、他の人たちを先に行かせたこと。
 (サブガイドがつきそったかどうかは、この記事では不明)
 つまり、パーティーを分断して行動させた。

さらに、こんな記事も。

6日にパーティーが泊まった富山県側の山小屋の従業員は、出発前、ガイドのTさんに「雨ですけど大丈夫ですか」と声をかけている。その際、Tさんは2年前の同じ時期にも、雨の中、同じルートをツアーで登った経験を挙げ、「大丈夫」と答えて出掛けたという。・・・

どうにも、やりきれない事故だ。
このツアーの企画じたいに問題があるし、悪天が予想される中、登山を強行したガイドの責任は免れないと思う。
山岳ガイドには、信頼できる人と、そうでない人がいる。
そもそも日本の山岳ガイドの制度じたいに問題があるようで、こういうガイドに引率されて遭難した方々が気の毒でならない。

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【読】星野道夫という生きかた

きのう、HNKのBSハイビジョンで、星野道夫さんをしのぶドキュメンタリー番組を見た。
ハイビジョン特集 「アラスカ 星のような物語
  ~写真家・星野道夫 大地との対話~」

  http://cgi4.nhk.or.jp/hensei/program/p.cgi?area=001&date=2006-10-08&ch=10&eid=6380
 アラスカを撮り続けた写真家・星野道夫、享年43。
 彼の残した写真と文章は、亡くなって10年がたつ今でも、人々の心をとらえる。
 星野はいかにして、作品をつくっていたのだろうか。
 それを探るために、10か月におよぶアラスカロケを行い、作品の舞台を
 ハイビジョン映像で収めた。
 クマの親子、カリブーの大群、クジラ、氷河、花、荒野に降る雪、四季折々の大地・・・。
 残された文章と日記から、星野道夫の足跡をひも解いていく。

ハイビジョン映像の威力は、さすが。
星野さんの写真で見ていたアラスカの風景が、動く映像でみごとに捉えられていた。

星野さんの珠玉のような言葉の数々に、勇気づけられる。
たぶん、これから先も、生きていくのがつらくなったとき、励まされることだろうな。

 彼は本当に大事なことしか言わなかった。
 そして本当に大事なことは何度でも言った。
  
 ―池澤夏樹 『魔法のことば』 の帯

星野道夫さんの生きかたそのものが、ぼくに勇気をくれる、と言っていい。

Hoshino_mahouHoshino_tabi星野道夫 (ほしの・みちお)
1952年千葉県生まれ。慶応大学経済学部卒業。アラスカ大学野生動物管理学部に留学。86年アニマ賞、90年木村伊兵衛賞受賞。96年、カムチャッカにて逝去。著書に、『星野道夫の仕事』、『ノーザンライツ』などがある。

『魔法のことば』 星野道夫 講演集 2003年
『旅をした人 星野道夫の生と死』 池澤夏樹 2000年




Hoshino_nagaitabi_2Hoshino_tabiwosuruki_1『長い旅の途上』 (遺稿集)
 1999年 文藝春秋社 / 2002年 文春文庫
『旅をする木』
 1995年 文藝春秋社 / 1999年 文春文庫





図書館から、5冊ほど借りてきた。
「たくさんのふしぎ傑作集」 という、こども向けの写文集がある(福音館)。
『アラスカたんけん記』 1986年
『森へ』 1993年
『クマよ』 1998年(没後に作られた本)

Hosihino_books1Hosihino_books2星野道夫公式サイト
http://www.michio-hoshino.com/
清里で写真展がひらかれているようだ。
こんど訪ねてみたい。 

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2006年10月 8日 (日)

【遊】蕎麦と葡萄

きょうは朝から秋晴れ。
風がつめたく、きもちがいい。 朝夕、半袖だと肌寒い季節になった。

きのうは、一日、遊んだなぁ。
八ヶ岳の「からまつ亭」でお蕎麦をいただき、帰り道、勝沼の「大雅園」でぶどうをいただき、大菩薩の温泉「大菩薩の湯」につかり、十六夜の月を見ながら夜道を運転して帰ってきた。

八ヶ岳 「からまつ亭」 仔猫のジローくんが玄関先でおでむかえ。
二週間前とくらべて、ずいぶん大きくなった。 成長がはやい。
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「からまつ亭」 のごちそう。
きのこの刺身、揚げそばがき、もりそば。
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「からまつ亭」 店主、ジミー矢島さんの自家制作アルバム。
Jimmie_yajima_cd『三つ指ついて30日 フィンガーピック集』
「からまつ亭」 で販売中。
帰り道の車の中で、さっそく聴いた。
矢島さんのギター演奏で、小曲が30曲。
いいアルバムです。
ジミー矢島の八ヶ岳日記 (ブログ)
http://www.doblog.com/weblog/myblog/50972

国道141号線、「からまつ亭」にむかう小道の入口角にあった野菜直売所。
0610070018同行した家人が、ここで大根、なす、きゅうり、トマト、ハバネロ(激辛唐辛子)など、新鮮な野菜を購入。
珍しいオート三輪(懐かしや)が停めてあった。
現役のようだ。
時間が遅くなったので、中央高速 「須玉IC」から「勝沼IC」へ。
06100700230610070027今年何度目かの、「大雅園」(ぶどう園)。
甲斐路、ベリA、ロザリオビアンコ、甲州といったぶどうが、食べごろ。
すっかり遅くなったが、勝沼からの帰り道は、柳沢峠超えの国道411号線(青梅街道)を、十六夜の月に照らされてのんびり走る。
途中、「大菩薩の湯」に寄り道。 いい湯だったな。

0610080032_1甲進社 大雅園
http://www.eps4.comlink.ne.jp/~taiga/
 

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2006年10月 6日 (金)

【読】本、じゅずつなぎ

岡崎武志さんの 『古本でお散歩』 (ちくま文庫)は、刺激的で、かつ楽しい本だった。
古本の好きな方には、おすすめ。

週末の仕事帰りというのは気持ちに余裕ができるのか、書店に寄ってしまったりする。
Huruhon_doujou国分寺の駅ビルにある紀伊国屋書店。
岡崎さんの単行本を見つけて、買ってしまった。
『古本道場』 角田光代・岡崎武志 (ポプラ社)
もう、表紙を見ただけで欲しくなるような本。
角田さんという女性がどんな方か、噂でしか知らないが、なぜか魅力的な気がする。 この本では、岡崎さんを師匠として、いっしょに古本屋めぐりをしている(らしい)。
巻頭の数ページにわたって、古本屋のカラー写真が掲載されていて、たまらない。

ところで、『古本でお散歩』 の中に、ぼくを嬉しくさせた部分が三ヶ所ある。
ひとつは、高円寺の 「古本酒場 コクテイル」 が紹介されているところ(P.352)。
(きのう書いたばかりだが、何度でも書いてしまうぞ)
もうひとつ、「戦場のメリークリスマス」 と題した文章の中、金子光晴にふれたところ(P.242「なぜか上海」)。
金子光晴が昭和3年11月に、長崎から上海に渡ったときのエピソードだ。
そして、三つ目。
Shijaku_eigo「『そいなみ本』とは何か」 という文章の中で、なんとなんと、ぼくの好きな桂枝雀の本、『枝雀のアクション英語講座』 (祥伝社/ノンブック・昭和63年) が紹介されていたのだ。
ちなみに、「そいなみ本」とは、「ういえばざとなるとかなかつからない本」(岡崎さんの造語)。
エッヘン。 持ってますよ、この本、自慢じゃないが。
じつはまだ読んでないけど、本棚に眠ってました。
たしかに、古本屋でもなければ見かけなくなった本かもしれないな。
買ったときは、読もうと思ったのに、ずっと読まずにとってあった本だ。
枝雀の英語落語は、とてつもなく面白い。
岡崎さんの紹介文によれば、
<故人となった上方落語の人気者、桂枝雀が熱を入れていたのが英語による落語であった。 あまりに日本的な世界、日本的な表現を英語に移し替えるというのは大変な作業で、その試行錯誤の過程を語ることで、英語表現の特徴と、日本語表現の違いを語ったもの。 枝雀の本はたくさん出ているが、この本はめったに見ない。>
まさに、「そいなみ本」ということらしい。 読まなくちゃ。

ぼくはやっぱり本が好きらしく、読める分量以上の本を買ってしまう病気をもっている。
しかし、内心では 「一生読まないかもしれないのに、こんなに買っていいのかなぁ・・・」 と不安に思う、「読まなくちゃ症候群」にかかっていたらしい。
岡崎さんは、「本は読まなくてもいい、手許にあるだけで幸せになる本もある」 ということを教えてくれた。
ぼくは、岡崎さんの言葉にほっとしたのである。

<古本のこと、わかってねえなあと一発でわかるリトマス試験紙のようなせりふがある。 それは「買った本、全部読むんですか?」 というものだ。 いったい、これまで何十回、この言葉を浴びせられてきたか。/もういい加減慣れっこにはなっているが、それでも、瞬間的にうんざりして、心の中で 「おめえさん、トウシロ(素人)だな」 と賭場のやくざみたいな心境になる。 それは、風俗嬢に向かって、「あなたはお客さん全員に愛を感じて相手をしているんですか」 というようなものだからだ。/(略)読むわけないだろう、全部なんて。>
 (『古本でお散歩』 ちくま文庫 P.11 「だからもう、あなたはそう言ってはいけない」)

きょうは、ひさびさにいっぱい書いてしまったなぁ。
最後に、きょうの収穫。
金子光晴のエッセイ集シリーズ(ちくま文庫)。
表紙につられて買ってしまったようなものだが・・・ちくま文庫は、少々値がはるが、装幀がしゃれていて、ぼくは好きだ。
Mitsuharu1Mitsuharu2Mitsuharu3どうです。
この表紙だけでも価値のある本だと思いませんか?
『金子光晴 エッセイ・コレクション』
大庭萱朗 編 ちくま文庫

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2006年10月 4日 (水)

【読】きょうの掘り出し物

岡崎武志さんの 『古本でお散歩』 (ちくま文庫) を読んでいる。

Okazaki1これが、めっぽう面白い。
文章がじつにうまい。
文庫書き下ろしだが、短いエッセイを集めたものなので、電車の中で読むのにちょうどいいのだ。
ひとつひとつのタイトルが、また、ふるっている。
「青年は荒野をめざす」 「柔らかい肌」 「愛撫」 「大いなる幻影」 「岸辺のアルバム」 「コートにすみれを」 ・・・ことわっておくが、スケベな内容でも、映画や本や音楽のことでもなく、すべて古本、あるいは古本屋にまつわる話。
そんな中に、「ジャズ喫茶のマスターとしての村上春樹」 という一文があった。
国分寺でジャズ喫茶兼酒場をやっていた頃の村上春樹のエピソードで、とても興味ぶかい内容だった。

自慢じゃないが(自慢にもならないが)、ぼくはこれまで、村上春樹の本を読んだことがなかった。
いまや、ノーベル文学賞の候補にもなっている世界的な作家だが、なぜか敬遠ぎみだったのだ。

先のブログの投稿でも紹介した、岸本完司 『晴読雨読日記』 を読んで、著者の岸本が村上春樹をよく読んでいたことを知った。
やつがそれほど入れ込んでいた村上春樹を、読んでみようかと思っていたところへ、この岡崎さんの一文。

縁とは不思議なもので、きょうの昼休み、勤め先の並びにある「BOOK OFF」をのぞいてみたら、気を引く装幀の本が目についたので棚から抜き出して手にとってみた。
もっと有名な小説も並んでいて、いずれ読んでみたいと思うのだが、なぜかこの2冊にひかれたのである。
岡崎武志さんも言っているが、古本は出会ったときに買うべきだと思い、瞬時の迷いをたちきって購入。 2冊で1000円。

Murakami_haruki1Murakami_haruki2_1 どちらも、安西水丸さんの絵がふんだんに入っていて、楽しい。
左は、ケース入りの洒落た装幀だ。

村上春樹
『村上朝日堂超短編小説 夜のくもざる』

 平凡社 1995.6.10 初版1刷
『辺境・近境』 新潮社 1998.4.23発行 1998.5.15 2刷

※ 岡崎武志さんの 『古本でお散歩』 に、高円寺の古本酒場 「コクテイル」 が紹介されていて、おもわずニンマリ。
前にも書いたが、須藤もんさんがこの小さなお店でライブをしたことが二度ある。
店主の狩野さんは、「料理のほとんどが、まだ若き狩野さん(男前!)の手のよる」 と紹介されている御仁。
この狩野さんの文章も、ぼくは好きだ。
 古本酒場コクテイル (このサイトがまた洒落ている)
   http://koenji-cocktail.com/
 古本酒場コクテイル 店長日記 (公開ブログ)
   http://blog.livedoor.jp/suguru34/ 

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【読】うれしい書評(道新)

北海道で、たぶんいちばん読まれている新聞 「道新」(北海道新聞)。
その10月1日(日)読書欄に、ぼくにとってうれしい書評が載った。

岸本完司 著 『晴読雨読日記』 (自費出版) \1575
Seidoku_udoku_nikki_6このブログで、もう何度も紹介したが、著者はぼくの旧友だった。
この本は、彼が地元の新聞に連載していた書評エッセイをあつめたもの。
「道新」の書評によると
「一昨年の十二月、悪性リンパ腫のため五十三歳で亡くなった旭川在住の翻訳家が、地元紙に連載してきた書評コラムを一冊にまとめたものである。 旭川在住の父親が発行人となり、旧友たちが編集協力して出版された」

中学一年から高校卒業後まで、長いつきあいだった。
こんなふうに、本人がいなくなってから、書き遺した文章を読むことになり、ブログで紹介するとは思ってもいなかった。 早すぎる死だった。

この「道新」の書評記事の切抜きが、今日、お父さんから送られてきたので、掲載する。
こういうとき、人はよく 「冥福をいのる」 だの「合掌」 だのと書くが、ぼくは書かない。
そんな言葉では言いあらわせないほどの、深い喪失感が、今になってじわじわと押し寄せてくる。
それほど深いつきあいがあったとも思わないが、一時期、いっしょにアパートを借りたり、土方のアルバイトをしたり、山に登ったり、ジャズ喫茶や浅川マキのコンサートにいったり、・・・いろんなおもいでがある。
淋しいな・・・。
Doushin20061001

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2006年10月 1日 (日)

【楽】いよいよ、須藤もんさんライブ・ツアー

今週水曜日から、須藤もんさんの関西方面でのライブ・ツアーがはじまります。
Zuido_jacket 『隧道』 須藤もん
 2006年6月7日 発売
 (収録曲) 7曲  \2000(税込)

 めし / 雪よ、葬って / 逃げる / この川を
 / 冬は厳しく / 夕焼け / 隧道

詳細は、須藤もんサイトのライブ情報でご確認いただきたいのですが、ここでも紹介しておきます。
http://homepage2.nifty.com/sudomon/live2006.htm
開演時刻、料金については、それぞれのお店のサイトや電話でご確認ください。

●10/4 (水) 京都 「まほろば」
 京都市左京区高野西開町15 錦マンション1階
 (まほろば/観光-じゃらんnet)
  http://www.jalan.net/kanko/SPT_166949.html
 (京都グルメサーチ 手づくり料理と酒 まほろば【川端北大路】)
  http://www.leafkyoto.net/s_search/shop.php?sId=713
 TEL 075-712-4191
 共演 オクノ修
  http://www5e.biglobe.ne.jp/~o-kom/
 19:30 開演  ライブ・チャージ 1,500円

●10/5 (木) 広島 「楽座」
 http://www13.ocn.ne.jp/~rakuza/
 広島市中区立町6-1 立町ウィング BF1-A
 TEL 082-246-1019
 共演 Ko-ko-ro / 門傳 将道
 20:00 開演  ライブ・チャージ 2,000円

●10/6 (金) 岡山県笠岡市 「カフェ・ド・萌」
 http://ckcom.cool.ne.jp/moehilyousi.htm
 岡山県笠岡市中央町18番地の7
 TEL 0865-63-0511
 共演 あおやぎとしひろ
  http://homepage2.nifty.com/cheap_cheapers/
 20:00 開演  ライブ・チャージ 2,000円

●10/8 (日) 大阪 「Heaven Hill」
 http://heavenhill.hp.infoseek.co.jp/
 大阪市北区堂山町7-18 伊勢屋ビル201
 TEL 06-6315-7776
 共演 あおやぎとしひろ
  http://homepage2.nifty.com/cheap_cheapers/
 19:00 開演  ライブ・チャージ 2,000円

●10/9 (祝) 飛騨高山 「摩訶舎」
 http://makasha.zashiki.com/indexmenu.htm
 高山市西之一色町3丁目 飛騨の里内
 TEL 0577-34-6286
 共演 あおやぎとしひろ
  http://homepage2.nifty.com/cheap_cheapers/
     サイバイズ
 19:30 開演  ライブ・チャージ 2,000円

お近くの方、ぜひお運びくださいますよう、ご案内申しあげます。

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【楽】彼岸花・曼珠沙華

Maki2浅川マキ 『浅川マキ II』  1971.9.5
 「港の彼岸花」
 浅川マキ 作詞 / なかにし礼 補作詞 / 鈴木薫 作曲

♪ 白い花なら 百合の花  黄色い花なら 菊の花
  悲しい恋なら 何の花  真っ赤な 港の 彼岸花 ・・・



Momoe_densetsu山口百恵 『百恵伝説』 1980年 (5枚組LP)
 「曼珠沙華」 (マンジューシャカ)
 阿木燿子 作詞 / 宇崎竜童 作曲
 萩田光雄 編曲


♪ マンジューシャカ 恋する女は  マンジューシャカ 罪作り
  白い花さえ 真紅(まっか)に染める ・・・

ひさしぶりに聴いてみたけど、どっちも、いいなぁ・・・。

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【遊】巾着田 (続)

きのう行ってきた、高麗「巾着田(きんちゃくだ)」一帯の案内図。
高麗川が大きく蛇行して、巾着の形で囲んでいるのがわかる。

Kinchakuda_pamphlet2JR高麗駅(八王子と高崎を結ぶ八高線)は、この図の左の方。
きのう歩いたコース。
出発点
 国道299号線沿い(高麗駅近く)「台」集落の自治会館駐車場
巾着田入口に豆腐屋さんがあった。
「高麗豆腐」 ここで豆乳を飲み、帰りには豆腐を購入。
「鹿台橋」(県道15号線)の下に架かっている仮設橋を渡る。

「高麗豆腐」の店頭
0609300001Koma_toufu





巾着田入口(高麗駅から国道299号を渡ったところ)と、仮設橋のある河原
 ※下右 : 高麗川に架かる鹿台橋、その奥に日和田山(標高305m)が見える
06093000020609300135



高麗川の蛇行に沿って、園内西側を南へ。
「ふれあい広場」で休憩。 だんご、焼鳥を食べる。
コスモス群生地がこのあたりにあり、水車小屋もある。
「高麗錦の万葉歌碑」 というのがあった。
ムラサキシキブが実をつけていた。
0609300066060930006206093000680609300069060930006706093000510609300117_10609300065_1 



このあと、東側の群生地をまわって「あいあい橋」へ。 橋を渡って道路に出たが、車をとめた駐車場まで距離のあることがわかったので、往路を引き返した。 ずいぶん歩いたなぁ。
06093001030609300115春には、この巾着田が、一面の菜の花畑になるという。
また行ってみたい場所だ。
歴史のあるところらしく、興味ぶかい。
(園内の立て看板から)
巾着田周辺は、今から約1200年ほど前に高句麗から渡って高句麗人が住みつき、大陸文化を取り入れた高度な生活を営んでいた場所である。 当時、水田を作ることは大変な事業であったが、高句麗人は高麗川が蛇行していることを巧みに利用し、川をせき止め、その内側にあふれた水を導き、水田とした。
その形が山の上から見ると、巾着の形をしていることから、巾着田と呼ばれるようになった。 

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