【読】キリスト教的歴史観
友人だった翻訳家・岸本完司の翻訳書に
『コロンブスをペテンにかけた男』
(ジャイルズ・ミルトン著、中央公論新社) という本がある。
http://www.bk1.co.jp/product/9071
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4120029794
副題が「騎士ジョン・マンデヴィルの謎」
ジョン・マンデヴィルは、マルコ・ポーロとほぼ同時代(14世紀)に、聖地エルサレムからインド、スマトラを経て極東にまで旅をし、34年後に帰国したイギリスの旅行家である。
『東方旅行記』(1362年、大場正史訳、平凡社東洋文庫)という旅行記を残した。
岸本完司の 『晴読雨読日記』 に、この『東方旅行記』についての書評がある(P.158)。
いま、同じ岸本の本に紹介されている(P.187)、岡崎勝世著 『聖書VS.世界史』(講談社現代新書)を読んでみている。のっけからカタカナの固有名詞がたくさん出てくる学術的な論文で、ちょっとひるんでしまったが、そこはそれ。
めんどうなところはさっと読み流しながら進んでいくと、これがなかなか興味深い内容なのだ。
「今年は何年か?」と聞かれたら、誰だって「2006年(西暦)」、あるいは「平成18年(和暦)」と答えるはずだが、西洋のキリスト教世界では天地創造から何年という暦をずっと使って来たという。
さまざまな数え方(暦)があるが、例えば、ヘブライ語版聖書(正典)では――
天地(アダム)創造から「大洪水」(ノアの大洪水)までが1656年、「アブラハムの召命」 2023年、「出エジプト」 2453年、・・・「イエス生誕」 3994年ということになっているらしい。
天地創造から現在までは、計算すると約6000年である。
岸本完司 『晴読雨読日記』の、『聖書VS.世界史』書評(P.187)から引用すると――
<我々の歴史はすべて、天地創造からキリストの再臨、そして「神の国」の到来へと至る神の計画によるものだ、というのが聖書に基づいた史観である。この本では「普遍史」と呼ばれている。/そしてこの普遍史が現実との整合性を求めて揺れ動いていたのが、近代までの西欧の知の歩み――おおざっぱに要約すれば、こういうことになろうか。>
「普遍史」とは聞き慣れないことばだが、、『聖書VS.世界史』 エピローグの岡崎氏の記述によれば、英語のユニヴァーサル・ヒストリー(Universal History)の訳語として学会では定着しているらしい。
岡崎氏は、次のように言っている。
<もともと聖書は、人間だけでなく、日月星辰から動植物までを含む「万有」(Universe)全体の歴史の開始から終末までを記述している。 この意味からいえば、「ユニヴァーサル・ヒストリー」に対して、「普遍史」よりはむしろ「万有史」という訳語を当てるほうが正しいとも言える。 筆者もそのように考えたことがあった。>
いずれにしても、西洋キリスト教世界の伝統的な物の考え方とはこういうものか――と思うと、愕然とする。
さらに踏みこんで書いてしまえば、ぼくらはどこまで欧米人の根にあるキリスト教的な世界観・歴史観を理解できるだろうか、と思う。
反対に、欧米人はぼくら日本人の伝統的な物の考え方を、どこまで理解できるだろうか。
考えてみると、なかなか面白い問題なのだ。
ところで、こんな本を BOOK OFF でみつけたので、買ってみた。
『別冊歴史読本 日本の暦と歳時記』 (新人物往来社)
アイヌの自然暦、インディアンの暦、イスラム暦、バビロニア暦、ユダヤ暦、ギリシャ暦、ヒンズー暦・・・といった「暦」のちがいは、そのまま、この地球に住む人類の多様性を思いおこさせる。面白いもんだね。
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