« 2006年11月 | トップページ | 2007年1月 »

2006年12月の28件の記事

2006年12月31日 (日)

【雑】年越しそば

Soba西暦2006年の大晦日。
須藤もんさん・対馬照さんご夫妻からいただいた、檜枝岐の「裁ち蕎麦」を一袋ゆでて、夫婦ふたりで年越し蕎麦を食す。
この蕎麦が、じつに美味いのだ。
八ヶ岳「からまつ亭」の十割蕎麦も美味いが、この乾麺も、ちがった味わいがあり、大好きだ。
今年の5月だったか、東北ライブ・ツアーのお土産にいただき、「おいしかったねー」と感想をのべたところ、この暮に、また一箱持ってきてくださった。
いつも、ありがとうね。 今ごろ、稲生座で飲んでるのかな。

今年は年末にいろいろあってたいへんだったが、なんとか無事に年を越すことができて、うれしい。
日々いろいろあるけれど、人生「晴れときどき曇り」(ときに雨風の日もあるさ)。
来年も、ひとつ、よろしくお願いします。

| | コメント (3)

2006年12月30日 (土)

【雑】「北の零年」を観る

ビデオ録画してあったものを最後まで観たので、書いておこう。
「北の零年」 東映 2005年
 (テレビ朝日放映 2006.12.24)
http://www.kitano-zeronen.jp/index.html

それほどひどい映画とも思わなかったが、もったいないことをしたな、というのが感想。
何がもったいないか。

せっかく、吉永小百合、渡辺謙、豊川悦司、柳葉敏郎、といった俳優を揃えながら、皆、嘘っぽい。
あんなに綺麗な着物を着て、まるでいつも化粧しているようなきれいな(汚れのない)顔の奥方が、開拓生活をしていたとは思えない。

渡辺謙の役柄が、どうにも嘘だ。
いや、ああいう男がいたかもしれないが、その苦悩が伝わってこない。
なにしろ、いっしょに移民した仲間を裏切り、妻子まで裏切った男である。
ごくふつうに考えて、とんでもない冷酷な男だ。
いわば、自分ひとりの身をたすける見返りに、大切なものをすべて捨てる決意をしたのだ。
冷酷になるにも、そうとうな苦悩があったはず。 それが伝わってこない。

豊川悦司が扮するアイヌ青年(じつは、逃亡中の会津藩士)も、いかにもそんな人物がいたかもしれないという気にさせるが、リアリティがない。
彼と行動をともにするアイヌの老人も、嘘っぽい。
豊川扮するアシリカ(アイヌ名)との会話が和人の言葉なのはいいとしても、アイヌ語をひとことも発しない。
イナゴ(アイヌ語でバッタキ)の大群に襲われるシーンで、「バッタキ」という言葉が発せられたが、とってつけたような感じ。

謎の外国人(この映画のサイトの解説によると、アメリカ人エドウィン・ダンだというが)についても、突然あらわれて主人公(吉永小百合扮する志乃)を助けたあと、顔を出さない。 説明のいらないほど有名な人物か? 観る人が、ああ、あの人だとわかるのか?(クラーク博士ならまだしも)

史実を踏まえているストーリーではあるが、結局、何が描きたかったのか。
脚本がいいかげんだ。
あれだけのロケをしたら、多額の制作費がかかっただろうな。
その金も無駄にしたと思う。 もったいない。

淡路島の旧稲田藩が静内に移民し、苦労して開拓をすすめたのは史実。
イナゴの大群が田畑を荒らしたことも史実だ。
先住民のアイヌの人たちとの敵対、友好もあったはず。
和人の視点から描くのもけっこう。
それならそれで、しっかりした視点が必要だったろう。
史実をベースにしているということに甘えていないか?
(それでいて、いざとなると「これはフィクションです」と逃げるのか?)

池澤夏樹さんの小説 『静かな大地』 と同じ時代、同じ場所、同じ境遇の人々を扱った映画だけに、もったいなかったと思う。
北海道人にとって、たいせつなことなんだから、ちゃんと描いてよ。
アイヌの人たちのことを避けて通らずに。

出来そこないの時代劇のような内容は、なんとも中途半端で後味が悪い。
吉永小百合がいっしょうけんめい演じていただけに(その、いっしょうけんめいさも嘘っぽかったが)、もったいない、もったいない・・・と思ったのだった。

つまるところ、「ひどい映画」だったということか。
さいごに、とどめ。
「零」を「ゼロ」というのはおかしい。
明治人が「我々はゼロから出発した」なんて言うか?
「零式艦上戦闘機(零戦)」だって、英語では「ゼロファイター」だが、日本語名は「れいせん」だったんじゃないか?

― 「北の零年」 あらすじ (Wikipediaから) ―
明治4年(1871年)、小松原志乃は稲田家の家臣一同とともに、先遣隊として静内にいる夫・英明のもとへと向かった。静内の地を開墾すれば稲田家の領地となるという政府の言葉を信じ、一同はみな希望に満ちていた。厳しい冬に苦しむ一同に救いの手をさしのべたのは、アイヌのモノクテとアシリカだった。最初の冬を越え、ようやく稲田家当主(殿)が到着するが、廃藩置県によって移住命令が反故になったことだけを告げ、そのまま帰国してしまう。置き去りにされた一同は、それでも英明の檄のもと開拓に夢を託すが、作物はなかなか根付かない。状況を打開するため札幌へと向かった英明は消息を絶ってしまい、残された一同にも過酷な運命が待ち受けていた。

| | コメント (4)

【楽】さとちゃんのアルバム

待ちに待った、さとちゃんのアルバムが出るらしい。
西川郷子 「郷音」 2007.2.21発売予定 \2,999円(税込)

アルバム・タイトルをなんと読むか。
「郷」+「音」=「響」 ともとれる凝ったタイトルだが、ぼくは「さと・おと」と読みたい。
なんとなく郷ちゃんの言葉のセンスだと、こう読ませたいんじゃないかなという、それだけの理由。
(などと勝手な想像をしていたろころ・・・ネット情報によれば、どうやら、「ひびき」と読ませるらしい。意外とすなおなタイトルだ)
http://item.rakuten.co.jp/book/4261662/

西川郷子さんは、いちどだけ、吉祥寺の某ライブハウスの客席で素顔を拝見したことがある。
性格的には、ちょいとひねたところもありそうだが、そこがまたよかったりして。
小柄でチャーミングなのだ。
チャーミング、というのとはちょっとちがうか。
とにかく、年齢を忘れさせる「愛らしさ」があり、音楽の才能もある女性だと思う。
ファンが多いのも、そんな魅力にひかれるからだろう。
ソロ・ライブにも何度か行ったが、上々颱風のさとちゃんとは別の顔を見せるアルバムだろうと、期待している。

(さとちゃんの写真は、掲載すると肖像権などのモンダイがありそうなので、CDリーフレットから転載。 これも著作権のモンダイがあるかなぁ・・・)
さとちゃんの小さい頃の写真と、直筆サイン入りなのだ(エッヘン)。
Satochan_1 

| | コメント (2)

【雑】晦日、ますの寿し

今日も朝からいい天気。
ラジオを聴きながら、のんびりと家の中を掃除する。
お昼は、ひさしぶりに 「富山謹製 ますの寿し」 を食す。

Masunozushi1Masunozushi2これが好きで、デパートの駅弁販売会などがあると、よく買ってくる。
きのう、仕事の帰りがけに駅ビルに入っているスーパーでみつけた。
よく知られた、鱒の押し寿司。
夏場と冬場では、塩加減がちがう。
(夏場は日持ちをよくするために塩分が多め、冬場は薄味)
富山経由で薬師岳(北アルプス)へ行ったことがある。
天候が悪くて、薬師峠のテント場で一泊しただけで敗退したが、帰りみち、富山駅で「ますの寿し」をひとつ買った。
薬師岳から立山へ縦走するつもりで、おおきなザックを背負い、期待に胸をふくらませて夜行列車で出発したのに・・・。 山中一泊しただけで下山してしまった傷心の身に、ますの寿しはしょっぱかった。
そんなことを思いだしながら、きょうは妻とふたりでおいしくいただいている。
ありがたいことだ。 

| | コメント (0)

2006年12月29日 (金)

【読】勢古浩爾さんの二冊目

『風の王国』 という長編小説を読み終えたので(読後感はさわやか、しかし、後味が軽い)、目先のかわったものを読んでみようかな、ということで。

Seko_kouji3勢古浩爾 『こういう男になりたい』 (ちくま新書)
すこし前に読んだ 『思想なんかいらない生活』 (ちくま新書)も面白かったが、この本も痛快。
タイトルは男性論のようだが(実際、そうなのだが)、そこいらの軽薄でなんの役にもたたない駄本とはちがう。
なかなか骨のある人なのだ。
ずばずばと気に入らないものを切っていく文章は小気味がいい。

各章の扉に、なぜか石川啄木の詩歌の一節が引用されていて、啄木もいいな、という気にさせられる。
<男とうまれ男と交り 負けてをり かるがゆゑにや秋が身に沁む>
<誰が見てもとりどころなき男来て 威張りて帰りぬ かなしくもあるか>
<こころよく 人を讃めてみたくなりにけり 利己の心に倦めるさびしさ>
<何となく自分をえらい人のやうに 思ひてゐたりき。 こどもなりしかな。>
<大いなる水晶の玉を ひとつ欲し それにむかひて物を思はむ>
<放たれし女のごときかなしみを よわき男の 感ずる日なり>
<あたらしき心もとめて 名も知らぬ 街など今日もさまよひて来ぬ>

ブックガイドとして読んでも、おもしろい本だ。
ちなみに、啄木歌集については――
 久保田正文編 『新編 啄木歌集』 (岩波文庫)
 啄木に意外と「男」に関する歌が多いのを発見した。
 啄木のひたむきさと卑小さを描いた傑作に関川夏央原作、谷口ジロー漫画
 『「坊ちゃん」の時代』(双葉社)の第三部『かの蒼空に』がある。
と紹介されていたり。

著者の勢古さんは、若い頃(といっても、三十代後半)に、石原吉郎論を書いたというのも、なにやら好感がもてる。
<大学をでて宙ぶらりんの気分の時期に、自分みたいなおもしろくもなんともない男は、一生女から好かれないだろうな、とおもった。 (略) ジャーナリストになる希望もついえた。 どうしようかと途方にくれた。 とにかく仕事がしたいと思った。 ぼちぼち本を読むことを覚え、わら半紙にすこしずつ埒もない文章を書くようになった。 本を出したいという気持ちはこれっぽちもなかった。 夢でさえありえなかった。 三十代後半に四百枚の孤独な「石原吉郎」論を書きおえたとき、世間ではなんの役にも立たない自信らしきものがすこしついただけであった。 もう「夢」がなければ、自分のいまいる「一所」で「懸命」にやることだけが残された。> (P.128~129)

勢古浩爾(せこ・こうじ)
1947年大分県生まれ。明治大学政治経済学部卒。
現在、洋書輸入会社に勤務。1988年、第7回毎日21世紀賞受賞。
市井の一般人として「自分」が生きていくということの意味を問い、独自の思考を、まさに「ふつうの人」の立脚点から展開し続けている。
著書に『中島みゆき・あらかじめ喪われた愛』(宝島社)、『自分をつくるための読書術』(ちくま新書)。
  ― 『こういう男になりたい』 (ちくま新書/2000年5月) 著者紹介から転載 ―

| | コメント (2)

【雑】とりあえず、リセット

今日は朝から晴れあがって、夜明けの空も、夕空も、みごとだった。
半月がでている。寒いなぁ。
さて、今日で今年の仕事もおわった。
ひさびさの解放感。
年の瀬のそわそわするような気分は、年々うすれてきているが、歳末はいいものだ。

Calendar2007今年も、どうやら無事に家族(夫婦)そろって正月をむかえることができそうだ。
それだけでも、よしとしたい。
若い頃、ひとりでむかえる正月はさびしいものだった。
納期のせまった仕事に追われ、出向先で徹夜仕事をしながら正月をむかえた年もあったのだ。
それを思えば、御の字である。
世間では、大晦日まで仕事をしている人もたくさんいる。
元日から仕事、という人もいるだろう。
だが、人それぞれ、その時その時、なのだ。

きつい登りがおわって、山頂でほっとひと息。
山登りだとそうなるが、休みがあければ、また登りのはじまるところが、実生活のつらいところ。
まあ、いい。 本を読んだり、テレビをみたり、ちょっとした小旅行にでたりして、勝手きままに過ごそうか。
とりえあず、リセット。

| | コメント (0)

2006年12月28日 (木)

【読】風の王国読了

結局、どこが「改訂新版」なのかよくわからないまま読了。
それでも、ひさしぶりに読み直してみて、グッとくるところもあった。
心の琴線に響く、というやつだな。

Kazeno_oukoku1_1Kazeno_oukoku2_1Kazeno_oukoku3_2





 

さて、あさってから長い休みにはいる。
何を読もうかな。    

| | コメント (2)

2006年12月24日 (日)

【雑】北の零年・・・かぁ

評判になった映画らしい。
http://www.kitano-zeronen.jp/index.html
(れいねん、ではなく、ゼロねんと読ませるところが、どうもなぁ)

吉永小百合は好きだけれど、この映画はどうかなぁ・・・などと思いつつ、とりあえずビデオ録画セット。
題材が、まさに池澤夏樹さんの小説 『静かな大地』 にぴったり重なるので、どんなふうに描かれているのか興味はある。
過大な期待をしないで、時間のあるときにビデオを見てみようかな。

| | コメント (5)

【雑】クリスマスケーキ

今年もまた、クリスマスケーキを持ってたずねてくれた。
すぐ近くに住む、年下の友人夫妻。
たのしいひとときを過ごすことができた。 ありがたいなぁ。

去年は写真を撮りそこねたが、今年はこんなふうに。
写真掲載OKとのことだったので。
そう。 このブログでおなじみの、お二方。

061224000406122400110612240008_10612240007 

| | コメント (2)

【読】獏さんの連載小説

TBSラジオをよく聞いている。
きのうの土曜日、久米宏の番組を車の中で聞いていたら、ゲストが小説家の夢枕獏さんだった。
知らなかったのだが、夢枕獏さんが朝日新聞に連載小説をはじめたという。
わが家では、とくに理由もなく朝日新聞を購読しているので、家に帰って新聞を開いてみると、たしかに22日からこんな連載が。

Baku_asahishinbun『宿神』 朝日新聞朝刊連載 夢枕獏

きのうのラジオ番組(久米宏とのトーク)はおもしろかった。
■TBSラジオ 「久米宏 ラジオなんですけど」
http://www.tbs.co.jp/radio/kume954/

獏さんは、山登り、釣り、カヌー、写真、格闘技、など多彩な趣味の持ち主だが、最近は「書」もはじめたという。
この連載小説の題字は、その獏さんの書の先生(岡本光平さん)によるもの。
獏さんの話によれば、この先生は、絵を描くように書いていいんだよ、という考え方なんだそうだ。 味わいのある題字だ。

夢枕獏さんといえば、『神々の雪嶺(いただき)』 という山岳小説によって、ぼくは圧倒され、ファンになったのだが、評判の 『陰陽師』 も読んでいないし、あいにく格闘技にも縁遠い。
新聞を読むこともほとんどないが、ひとつ、連載小説でも読んでみようかな、なんて思う。
挿絵(飯野和好さん)もいいな。

そういえば、五木寛之さんの 『戒厳令の夜』 は、小説雑誌(小説新潮)に連載された当時、毎月たのしみにしながら読んでいたものだった。
中間小説雑誌も、漫画の週刊誌も、夕刊紙も、ひところはよく読んでいたのに、最近はちっとも読まなくなったなぁ。

| | コメント (0)

【読】流されゆく日々

『風の王国』 (改訂新版) について、五木寛之さんが書いていた記事。
「日刊ゲンダイ」 (夕刊紙) 2006年12月14日

「流されゆく日々」 という、この連載エッセイ(口述筆記らしい)のタイトルは、石川達三「流れゆく日々」のむこうを張ってつけられた、いかにも五木さんらしいへそ曲がりなもの。
7000回を超えて、いまも連載されている超ロング・ランだ。

Itsuki_nikkangendai_1『風の王国』(改訂新版)についてふれた部分を紹介しよう。

<夜、東京から持ってきた『風の王国』の新装版の見本を拾い読みする。 拾い読みというのは、こんどの新版が全文、横組みの活字だからだ。 最初はぎこちなく、スピードもでなかったが、やがて慣れてくると結構はやく読めるようになってきた。 慣れとはおそろしいものである。>
 ― 日刊ゲンダイ 2006.12.14
  「流されゆく日々」 連載第7635回から ―

| | コメント (0)

2006年12月23日 (土)

【読】五木寛之のインド

五木さんの新しいシリーズ。
すこし前に書店でみかけて、迷ったあげく買ったもの。
Ituski_india1Ituski_india2五木寛之
 『21世紀 仏教への旅』
  インド編 上・下
 2006.11.27 講談社

続編として、「朝鮮半島編」「中国編」「ブータン編」「日本・アメリカ編」が予定されているようだ。
2007年1月7日から11日まで、NHK(BSハイビジョン)で 「五木寛之 21世紀・仏教への旅」という番組(5回シリーズ)が放映される。
http://www.nhk.or.jp/ugoku/newprogram/program_bshi_14.html

| | コメント (2)

2006年12月22日 (金)

【読】風の王国(改訂新版)

待望の一冊がついに出た。
じっさいは三分冊だけれど。

Kazeno_oukoku1Kazeno_oukoku2Kazeno_oukoku3五木寛之 『風の王国』
 改訂新版 幻冬舎 2006.12.20
1 翔ぶ女
2 幻の族
3 浪の魂
最初に出版されたのが1985年1月(新潮社)。 1987年に文庫化された(新潮文庫)。 ぼくは、出版直後にハードカバーで読み、文庫でも二度読んでいる。
奥の深い、よくできた小説だと思う。

今回、全面的に改訂。
20年間に五木さんが得た新しい知識、認識にもとづいて大幅に手をくわえたという。
数日前、夕刊紙 「日刊ゲンダイ」 連載のエッセイ 「流されゆく日々」 に、五木さんがこの本のことを書いていたのを読んで、そろそろ出るかなと思っていた。
ネットで書店のサイトを見たら出ていたので、きょうの帰りに買ってきた。

この本は、小説には珍しい横組み(つまり横書き)。
「流されゆく日々」 にも、五木さんご自身が横組みのこの本の見本版を手にして、横組みが新鮮に感じられる・・・そんなことが書いてあった。 よく憶えていないけれど。

帰宅の通勤電車でさっそく読み始める。
最初、横組みに違和感があったが、活字が大きく、行間もゆったりとってあるので読みやすい。
一冊が200ページほどなので、軽い読みものという感じが強い。
ぼくの好みでは、一冊にまとめて分厚くしてくれたほうがよかったのだが、これはこれでいいのかもしれない。

本のつくりも新鮮だが、読みはじめたその内容もまた、新鮮。

| | コメント (2)

2006年12月21日 (木)

【雑】夏至と冬至

もう、とっくに寝る時間なのだが・・・。
明日は冬至。
半年前は夏至だった(あたりまえだ)。

夏至と冬至は、ぼくの記念日である。
今から半世紀ほど前の夏至の日の昼間、北海道のまんなかでうぶ声をあげた(らしい)。
もちろん憶えていないが、当時は産婆さんを家に呼んでのお産で、たいへんだったことだろう。
いっぽう冬至は、夏至から半年後というだけの理由で記念日。
満○○歳と半年、ということで自分の年齢をことさら意識する日だ。

Simone_weil_3話はかわって・・・。
きょう、ようやくシモーヌ・ヴェイユ 『工場日記』 を読了。
意地になって読み通した本だった。
前半の工場日記は、理解できない内容が多かったが、その後に収録されている 「断片」 と題する小文や、いくつかの手紙は読みやすいものだったし、よく理解できた。
 ♪ 無理して読んじゃいけないと・・・ ♪ (小林幸子)
この本は、最後まで無理して読んでよかったな。

Yoshimoto_kangaeじつは、こういう本も手にいれたのである。
吉本隆明 『ほんとうの考え・うその考え』
 ― 賢治・ヴェイユ・ヨブをめぐって ―

  春秋社 1997年
賢治は宮澤賢治、ヨブは旧約聖書「ヨブ記」のヨブらしい。
聖書をまともに読んだことのないぼくには、???なのだが、宮澤賢治、シモーヌ・ヴェイユ、吉本隆明、ということで興味がわいた。
200ページたらず、活字も大きくて読みやすそうな本だ。

| | コメント (2)

2006年12月17日 (日)

【読】きょうの収穫

大型古書店 「ブックセンターいとう」 で入手。 売価800円(定価1900円・税抜き)。
Ainu_gunzou『アイヌ群像・民族の誇りに生きる』
 1995.1.25 御茶の水書房
1992年1月から94年8月まで、毎日新聞北海道版に連載された 「エテケカンパ」(手と手を結ぶ) で紹介された、26人のアイヌ群像。
以下、目次からこの本に登場する人々。

民族自立への道を探る (秋辺徳平さん)
畏敬される真のエカシ (山本多助さん)
アイヌの心作品に (床ヌプリさん)
織りの伝承者 (杉村京子さん)
「アイヌ新法」意義を唱える (門別薫さん)
先祖を大事にする人 (川村兼一さん)
アイヌ文様刺繍家 (チカップ美恵子さん)
屈服せぬ民族の血 (小川隆吉さん)
屈辱をバネに炎のアイヌ魂 (山本一昭さん)
父の遺志を受け継いで (貝沢耕一さん)
石狩アイヌの誇り (豊川重雄さん)
民族の課題を背負って (石井由治さん)
揺るがぬ信念 (笹村二朗さん)
ユーカラと語り部 (白沢ナベさん、中本ムツ子さん)
大学の教壇に立つ (清水裕二さん)
アイヌの心を刺す (小川早苗さん)
棟梁の気概 (貝沢輝一さん)
先住権を背に (沢井アクさん)
情熱の化身となって (伊藤稔さん)
異なることの美しさを (豊岡政則(アトイ)さん)
民族衣装に心包んで (北川しま子さん)
同胞の痛み重ねて (多原良子さん)
自由な感性に生きる (砂沢チニタさん)
カムイコヤイライケ(神に感謝する) (葛野辰次郎さん)
ウコチャランケの精神宿る (萱野茂さん)
誌上対談 アイヌ民族の「復権」 (野村義一氏、武者小路公秀氏)

彫刻家・砂沢ビッキのお嬢さんが砂沢チニタさん。
<理解とか、共生と盛んにいわれるけれど、そんなのきれいごとだよ。・・・アイヌ問題にかかわる人って、アイヌは目がきれい、心がきれいなんてよくいうけど、むしずが走る。 だって、そうやって運動してる人って自分が気持ちいいだけ。 贖罪意識を表に出す人に 「それなら、ここで首つってみて」 って言ったことがあるの。 そしたら青ざめて黙りこんじゃった。 被害者・加害者の意識を超えなかったら前へ進めない。 ・・・>
なかなか強い人だ。
アイヌ史の編集を完成させたいという。 興味がわく。

この本のカバー写真(上)にあるアイヌ文様刺繍作品は、チカップ美恵子さんの作。

| | コメント (2)

2006年12月16日 (土)

【楽】国分寺ライブ

国分寺駅は、ここからバスで10分ほどのところ。
駅の北口、繁華街をはずれた路地にあるのが 「giee(ギー)」という名前のライブ・スポットだった。
階段をおりた地下にある、ほどよい広さのお店。

0612160001須藤もん・対馬照 ライブ
ゲスト あおやぎとしひろ・くみこ

 国分寺 「giee」 2006/12/16(土) 19:30~
ひとあし早いクリスマス・プレゼントをもらったように、きもちが暖かくなるライブだった。
演奏順はつぎのとおり。 途中、休憩あり。
敬称略。 曲目は記憶にたよっているため、自信なし。

1. 須藤もんソロ 「逃げる」「キャラバン」「ハモニカ」
2. 須藤もん・対馬照
3. 対馬照ソロ
4. 須藤もん・対馬照
5. 須藤もん・あおやぎとしひろ・くみこ 「冬は厳しく」
6. あおやぎとしひろ・くみこ 「歩いて歩いて」「Santa Claus Is Comin' To Town」
 「甘いかおりの風も吹く」
サンタの歌(演奏のみ)が聴けるとは思わなかった。 クリスマスが近いんだな。
他の2曲は、ぼくの大好きな曲。
くみこさんのすぐ左の席、カウンターのスツールに腰をかけて心地よいアコーディオンの響きを間近に感じていた。

 ※ もう一曲、高田渡さんの歌も歌ったのだけれど・・・曲目を忘れました。
  ごめんなさい。思い出したら書きます。 (12/18追記)
 ※ 思い出しました。 「すかんぽ」 という歌でした。
   須藤さんと対馬さんは、吉田拓郎の歌を歌ってましたが・・・。やはり、曲目が・・・。
    (12/18)

7. 須藤もん・あおやぎとしひろ・くみこ 「隧道」
8. 須藤もん・対馬照・あおやぎとしひろ・くみこ (全員で) 「めし」

0612160031061216004006121600600612160114061216012506121601780612160205   

| | コメント (6)

2006年12月15日 (金)

【山】岩菅山のおもいで

岩菅山(いわすごやま)
長野県下高井郡山ノ内町。 長野電鉄湯田中駅の東13km。
標高2,295m。 志賀高原北東部にある火山。
裏岩菅山と岩菅山の2峰からなる。
(三省堂 「コンサイス日本山名辞典 修訂版」 昭和54年版)

さきほどの投稿(【雑】うれしかったこと)を書いたあとで、風呂に入りながらおもいだした。
穂高で出会った女性(以後Aさんと呼ぶ)と、そのパートナーになられた男性(以後Yさん)と、三人でこの山に登ったことがある。 1992年6月のことだ。
この地味な山のことを、ぼくは知らなかった。

Aさんはもちろん山好きな方だったが、結婚された相手のYさんは、山というよりももっと広い範囲の、自然を愛する方。 そのYさんの誘いで、お二人に連れていってもらう形の、一泊二泊の山行だった。
湯田中駅までは列車。 そこからバスで登山口にはいる。
道々、スミレの名前やらぼくの知らない草花のことを教わりながら(Yさんは歩く植物図鑑のような方)、ゆっくりと登りついたのが、無人の避難小屋。
もちろん自炊である。

ここから、やや尾篭な、個人的なおもいで。
その数日前に、ぼくは胃の検診(バリウムを飲んで撮るレントゲン写真)を受けていた。
あれは後がたいへんで、うまく始末しないと、バニラシェイクのような液体が体内で固まってしまって難儀する。
その時のぼくは、まさにそういう「体内で固まった」ものを抱えての登山だったのだ。

避難小屋の外に簡易便所があったので、そこで頑張ることしばし。 ようやく成果があった。
あまり利用者もいないだろう簡易便所に、大きな置き土産。
その間、なかなか雪隠からでてこないぼくを、お二人はどのように思っていたのかな、などと、今ごろになってつまらないことを思い出し、ひとりで苦笑している。

あれは、あじわい深い山だった。
ひたすらピークをめざす山登りではなく、のんびりと道草をくいながら歩く山旅のよさを教えてもらった山行だった。
これまでたくさん山に登ったけれど、不思議と細部まで覚えているものだ。
登りながらかわした会話の断片、岩清水の感触、道端に咲いていた小さな花々の記憶・・・。 ついきのうのことのように、よみがえってくる。

写真も撮ったはずだが、整理が悪く、夜遅くに探しだすのもたいへんなので、とりあえず書いてみた。

| | コメント (0)

【雑】うれしかったこと

生きていくのも、なかなかしんどいな、などと思うちかごろ。
今日は、ひとつ、うれしいことがあった。

このブログをはじめた頃にいちど書いたが、もうずっと昔、穂高の山小屋で出会っていらい、長いおつきあいをさせてもらっている人がいる。
【山】山で出会った人 2005年10月 5日 (水)
http://yamaoji.cocolog-nifty.com/blog/2005/10/post_18aa.html

そのご夫妻が、毎年、この時期になると野鳥の写真のカレンダーを送ってくださる。
それが今日、届いていた。

ひさしぶりに電話して、ぼくにしては珍しく30分近くもお話させていただいた。
お子さんのお話、ご家族で遠出されたお話、そんなよもやま話をしているうちに、気持ちがなごんでくる。

ただ単に、共通の趣味(山登り)という一点ではじまった、淡いおつきあい。
そういう人のいることが、生きていくうえでどれほど貴重なものか。
生きていることも悪くないな、なんて思うのだ。

| | コメント (1)

2006年12月14日 (木)

【読】テーラー・システム

シモーヌ・ヴェイユ 『工場日記』 を読んでいて、わからない記述がある。

 第五週
 二日、水曜 ―― 七時十五分から八時四五分まで、ロベールといっしょに、
 大きいプレスで、長い金属バンドの切断。 〇・三一九パーセントの割で、
 六七七個。 一時間十分のタイムだった。

このての記述が、毎日えんえんと続く日記なのだ。
「削減率」ということばも頻繁にでてくる。
どうもわからん、と思って巻末の解説をひろい読みすると、どうやらこれが「テーラー・システム」という、当時、フランスで採用されていた生産管理技法だったらしい。

<ところで、彼女が女工になった頃、すなわち1930年代初めのフランスの工場労働者の条件は、現在からは予想もつかぬ程ひどいものであった。 彼女が属していた金属工作の未熟練工の場合、平均時間給は、牛肉0.24キロ、馬れい薯1.5キロにしか相当しなかった。・・・(略)・・・
しかも、生産効率をあげるためにテーラー・システムのような科学的管理技法が工場内に導入され、時間測定によって一定時間内にある分量の仕事を果すというスピードと能率が労働者に課せられた。 賃金も従って、出来高払いの能率給であった。・・・>
 (講談社文庫 『工場日記』 巻末解説/田辺保)

そういえば、高校のとき「テーラー・システム」のことを習ったような気もする。
どなたか教えてください。

Simone_weil_2

| | コメント (2)

2006年12月12日 (火)

【読】吉本さんのヴェイユ論(続)

Yoshimoto_weil_1やはり、ちょっと難しかったけれど、読了。
吉本隆明 『甦るヴェイユ』 (洋泉社MC新書)

心に残るフレーズがあったので書いておこうかな。
長い引用になるけど。

<・・・ヴェイユの女生徒への手紙は、とてもいいものだ。 スポーツをして、機敏な身体のこなしや、筋肉の動きや、体力を獲得すべきだ。 若い男女たちよ。 それで健全で明るくなったり、他人を残酷に扱ったり、圧伏したりするためではなく、そんなことはほんとは身体の不器用さや、体力の弱さにくらべて、誇るべきものでも何でもないことを体得するためにだ。 またもし若い男女たちよ。 じぶんが学生だったら、また生涯の生活が学生の延長だとおもっているのなら、知識をあくことなく獲得すべきだ。 それで他人や知的不器用や知的でない大衆を圧伏したり、侮辱したりするためではなく、知識は<富>とおなじようにあっても決して恥ではないが、誇るべきほどのものでもないことを、ほんとに体得するためにだ。>
 (『甦るヴェイユ』 Ⅲ 工場体験論 P.88)

※ 「ヴェイユの女生徒への手紙」 は、『工場日記』(講談社文庫)に収録されている。
ひとりの女子工員として工場に働きに行き、くたくたに疲れる日々のなかで教え子の女生徒に宛てて書いた手紙だ。 その一節。
<・・・手紙をください。 でも返事はときどきしか期待しないでください。 手紙を書くにはひどくつらい努力を払わねばならないのです。 ・・・春をたのしんでください。 空気と陽ざしを(もしそれらに恵まれたら)吸いこんでください。 すてきなものを読んでください。>
 (ヴェイユ 「ある女生徒への手紙」)

また、吉本さんの文章から引用。
いかにも吉本さんらしい正直さがでていると思った箇所。

<ここまできて、ヴェイユの「神」の最後の姿、いわば究極の姿を、さっとひと刷けに素描してみたい。 それといっしょにヴェイユの思想の最後の姿もだ。 むろん神学者は神学的に、信仰者は信仰者的に、イデオロジストはイデオロギー的に、それぞれヴェイユの「神」を位置づけるだろうし、ヴェイユの「思想」の姿をさしだすにちがいない。
 わたしもわたしなりに、これがヴェイユの「神」と「思想」の本性だといってみたいだけだ。 べつにじぶんの妥当さを固執もしないしヴェイユをだしにして自己主張するつもりなどない。 ヴェイユを抱えこむのでもなく、研究するものでもない。 ヴェイユがもうすこし柔軟で怠惰だったら、資質的に好きな思想のひとつだから、ひとめぐりしてみたいだけだ。>
 (『甦るヴェイユ』 Ⅴ 労働・死・神 P.184)

| | コメント (2)

2006年12月10日 (日)

【遊】つめたい雨の土曜日

きのうの土曜日、つめたい雨が降りつづいた。
車のフロント・ガラス越しに、おもしろい写真が撮れた。
その後、近所の床屋で順番を待っているあいだに、店のガラス越しに撮ってみた。
こんな写真もおもしろいな。

0612090013061209001606120900310612090033

| | コメント (0)

2006年12月 9日 (土)

【楽】【読】歌謡曲

雨の土曜日。 することがたくさんあるのに、こんなブログを書いている。
ま、いいか。

きのうの続き。
なつかしいレコードを引っぱりだしていたら、こんな本をみつけた。

Hiraoka_kayoukyoku_1平岡正明 『歌謡曲みえたっ』
  1982年  (株)ミュージック・マガジン
平岡さんはジャズ評論家その他の肩書きを持つ物書き。
吉本隆明さんとソリが合わない点などもあるが、ぼくは好きだ。
この本は、おもしろい。
1981年の紅白歌合戦、三波春夫、杉良太郎、沢田研二、山下敬二郎、桑田佳祐、ダウン・タウン(ブギウギバンドの方だけど)、ヒカシュー、谷村新司、根本美鶴代(ピンク・レディのミーちゃん)、山崎ハコ、石黒ケイ、・・・そんな名前が目次に見える。
いま気づいたのだが、巻末に歌手人名索引というのがあった。
青江三奈にはじまり、梓みちよ、阿保郁夫(タンゴ)、天池茂、・・・八代亜紀、矢野顕子、山口百恵、山崎ハコ、山下敬二郎、山本譲二、・・・。
平岡さんの守備範囲は、さすがに広い。

「山崎ハコと石黒ケイ ――鍵の二人」 という13ページにわたる音楽評がいい。

別のアルバム評では、ハコさんの 『幻想旅行』 というアルバムを高く評価している。
平岡さんは、どちらかというと石黒ケイがひいきだったらしいが、「山崎ハコ『幻想旅行』 ――ソウルフルってのはこのことだ」 (マラソン・レヴュー1980~1982/初出:週刊漫画ゴラク) という一文で、ベタほめである。
うれしいね。

本のタイトル 『歌謡曲・・・』 がいいな。
八代亜紀の歌はもちろん歌謡曲だが、山口百恵、山崎ハコ石黒ケイ、それに、きのうとりあげた小室等やイルカにしたって、「歌謡曲」 でいいのだ。
「歌謡」 って、悪いことばじゃない。 日本の伝統に根ざした歌なんだな。

Adlib1_2Adlib2_1石黒ケイ 『アドリブ』  1981年
このアルバム、まえにもとりあげたが、ぼくはLPとCDの両方を持っていて、いまでもときどき聴いている。
山崎ハコさんの提供曲が3曲、「暗闇のラブ・ソング」「鍵」「明日はクール」
五木寛之さんが Promotion Adviser という肩書きで参加している。
「ひとり暮しのワルツ」は、イタリア民謡に五木さんが日本語歌詞をのせたもの。
ジャズ畑のバック・ミュージシャン(鈴木宏昌、渋谷毅、前田憲男、北村英治、杉本喜代志)を揃え(編曲も彼ら)、なんと、アート・ペッパー(アルト・サックス)が2曲に参加。
佳曲ばかりの彼女のベスト・アルバムといえる。

これも、いま、聴きかえし気づいたのだが、「暗闇のラブ・ソング」の出だしの歌声は、ハコさんそっくりだ。
石黒ケイさんは、やや線が細い。 歌唱もあまり上手とはいえないが、不思議な色気のある人だった。 ハコさんとは事務所がいっしょだった時期があり、二人のジョイント・ライブに、ぼくも何度か足をはこんだものだ。 25年ぐらい前のことだから、かれこれ四半世紀前かぁ・・・。

| | コメント (0)

2006年12月 8日 (金)

【楽】雨・・・

まえにもこんなタイトルで書いたことがあったっけ。
日ごとに寒くなってくる。
明日は雨。
東京の予想最高気温7℃、最低気温4℃だという。

雨をテーマにした歌が好きだ。

Ame_koyanagiAme_komuroAme_yashiroAme_iruka



 




(左から)
小柳ルミ子 「雨・・・」  中島みゆき作詞・作曲/萩田光雄編曲
小室等 「雨が空から降れば」  別役実作詞/小室等作曲
八代亜紀 「雨の慕情」  阿久悠作詞/浜圭介作曲/竜崎孝路編曲
イルカ 「雨の物語」  伊勢正三作詞・作曲/石川鷹彦・木田高介編曲

どれも古い歌だけれど、たいせつにとってある愛聴盤(シングル・レコード)。   

| | コメント (3)

2006年12月 7日 (木)

【読】吉本さんのヴェイユ論

もう寝る時間だけど、書いておこうかな。
Yoshimoto_weilこんな本をみつけたので、読んでいる。
吉本隆明 『甦るヴェイユ』 洋泉社 MC新書
シモーヌ・ヴェイユについてよく知らないので、『工場日記』を読む前の下調べのつもり。
― 目次より ―
 初期ヴェイユ / 革命と戦争について
 工場体験論 / 病みの神学・心理・病理
 労働・死・神 / 最後のヴェイユ
吉本さんらしい関心のよせ方で、好感の持てる内容。
(読み始めたばかりだけど)

| | コメント (2)

2006年12月 4日 (月)

【雑】アホなスパム

毎日、家に帰ってパソコンの電源を入れ、メールソフトを動かして、まっさきにしなければいけないのがスパム・メールの整理。 というか、差出人を迷惑メールに指定して、削除、というばかばかしい作業。
40通ぐらいは毎日あたりまえのように来るからなぁ。
あぶないのは、機械的に処理していて、たまにだいじなメールまで削除してしまいそうになること。
いまさらメール・アドレスを変える気もないし、まぁ、しょうがないか。

こんなメールが毎日きます。

<32歳の主婦です。土日とかに、割り切りでお付き合いをしませんか?
主人が平日休みなんで、週末は暇なことが多くて。。。
年齢や既婚・未婚は問いません。休日の彼氏になってくれるという方募集します。
ちなみに容姿、体系は悪くないと思いますっ☆メール待ってますね★> 加奈さんから

アホやな。
体系」は悪くない、か。 どんな「体系」だろうな。
漢字ぐらい確かめてね。

| | コメント (4)

2006年12月 3日 (日)

【遊】落葉の絨毯

この団地の敷地には、みごとなイチョウ並木のほか、トウカエデ、モミジ、サクラ、ケヤキなど、たくさんの樹木が植えられている。
いま、イチョウの葉の色づきがいちばん鮮やか。
トウカエデの葉はあまり赤くならないうちに、落ちてしまう。
ケヤキは地味だが、遠くから見ると堂々とした枯れ姿(というのもヘンかな)。

地面や道路は落葉でいっぱい。
毎日、清掃事業の方が枯葉を集めて片づけているが、掃いても掃いても、次から次へと落ちてきて、いたちごっこがしばらくは続く。

秋だなぁ。
このイチョウの葉がぜんぶ落ちてしまうと、本格的な冬だ。

0612030001061203001206120300190612030023


0612030017061203000806120300110612030007


06120300030612030020         

| | コメント (2)

2006年12月 2日 (土)

【遊】秋なのか冬なのか

師走。街路樹の紅葉。
晩秋なのか初冬なのか。 判断に苦しむのである。
まいにち天気はめまぐるしく変わる。
きょうは晴れ。あたたかな一日。 明日は冷えこむという。

0612020013061202001906120200230612020050


0612020020061202003706120200360612020025       

| | コメント (2)

2006年12月 1日 (金)

【雑】だいじなもの

きのうの続き。
勢古浩爾さんの 『思想なんかいらない生活』 (ちくま新書)の巻末ちかく、こんな言葉があって、ずっしりと響いた。
きわめてまっとうな、ごくふつうの考え方。
でも、つきつめて自分に問いかけてみると、このシンプルな言葉こそ、人が生きることの真実かもしれない。

<思想なんかなくてもきちんと生きていける。 あたりまえのことだ。 ほとんどのひとが、思想などと関係なくきちんと生きているのだから。 しかし、だからといって無知であっていいはずはない。 世界の「問題」をいささかも必要としなくても、関心はもったほうがいいにきまっている。 そして人々は実際に関心をもち、知識を吸収しようとしている。 しかし、それも自分の「ふつう」の生活を維持していくためであり、本来からいうと、それは余剰なことなのだ。>

<俗なことをいうが、思想なんかはいらなくても、衣食住を支えるためにある程度の金は必要である。 いまだに人生の基本は、そのような原始的な条件に規定されている。 つねに金のことばかり考えているのは卑しいが、金それ自体を卑しむのは間違っている。 金が逼迫すれば心が逼迫するからだ。>

このあと、著者がほんとうに言いたかったと思われる言葉が続く。

多少余裕のある金と、健康と、できればひとりの愛する者。 それがあれば、過剰な富も、名声も、権力もなんの必要があろうか。 だれにも見られず、だれにも知られない人生であって、なんの不服があろうか。>

これを読んで、三十年前に亡くなった祖母のことを思いだした。
ぼくら家族と同居して、生まれたときからぼくら(孫)を可愛がってくれた、父方の祖母。
寡黙で、働きもので、愚痴ひとつもらしたことのない明治生まれのひとりの女性。
祖母から、もっともっとたくさんの、人生の知恵を学んでおけばよかった・・・。
後悔先に立たず。

この年齢になって、ようやく、ほんとうにだいじなものがわかってきた(ような気がする)。
小難しい本を読んだり、たくさんの金を求めたり、不平不満をもらしたり、会社に嫌気がさしたり、人をどなりつけたり、満員電車の中で他人をうっとうしく思ったり、夜遅くまでパソコンに向かってキーボードをたたいたり、翌朝になって早く寝なかったことを後悔したり・・・そんな自分も、ありのままの自分ではあるが、なにもかも余計な気がする。

こころ穏やかに、飄々と生きていけるといいな。
(今夜は、ちょっと沈みがちだが、こんなこともあるさ)

2006/12/2 写真追加
勢古浩爾 著 『思想なんかいらない生活』 (ちくま新書 479)
 『自分をつくるための読書術』 (ちくま新書 134)
 『こういう男になりたい』 (ちくま新書 247)
Seko_kouji_3Seko_kouji2_6Seko_kouji3_1   

| | コメント (3)

« 2006年11月 | トップページ | 2007年1月 »