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2006年12月12日 (火)

【読】吉本さんのヴェイユ論(続)

Yoshimoto_weil_1やはり、ちょっと難しかったけれど、読了。
吉本隆明 『甦るヴェイユ』 (洋泉社MC新書)

心に残るフレーズがあったので書いておこうかな。
長い引用になるけど。

<・・・ヴェイユの女生徒への手紙は、とてもいいものだ。 スポーツをして、機敏な身体のこなしや、筋肉の動きや、体力を獲得すべきだ。 若い男女たちよ。 それで健全で明るくなったり、他人を残酷に扱ったり、圧伏したりするためではなく、そんなことはほんとは身体の不器用さや、体力の弱さにくらべて、誇るべきものでも何でもないことを体得するためにだ。 またもし若い男女たちよ。 じぶんが学生だったら、また生涯の生活が学生の延長だとおもっているのなら、知識をあくことなく獲得すべきだ。 それで他人や知的不器用や知的でない大衆を圧伏したり、侮辱したりするためではなく、知識は<富>とおなじようにあっても決して恥ではないが、誇るべきほどのものでもないことを、ほんとに体得するためにだ。>
 (『甦るヴェイユ』 Ⅲ 工場体験論 P.88)

※ 「ヴェイユの女生徒への手紙」 は、『工場日記』(講談社文庫)に収録されている。
ひとりの女子工員として工場に働きに行き、くたくたに疲れる日々のなかで教え子の女生徒に宛てて書いた手紙だ。 その一節。
<・・・手紙をください。 でも返事はときどきしか期待しないでください。 手紙を書くにはひどくつらい努力を払わねばならないのです。 ・・・春をたのしんでください。 空気と陽ざしを(もしそれらに恵まれたら)吸いこんでください。 すてきなものを読んでください。>
 (ヴェイユ 「ある女生徒への手紙」)

また、吉本さんの文章から引用。
いかにも吉本さんらしい正直さがでていると思った箇所。

<ここまできて、ヴェイユの「神」の最後の姿、いわば究極の姿を、さっとひと刷けに素描してみたい。 それといっしょにヴェイユの思想の最後の姿もだ。 むろん神学者は神学的に、信仰者は信仰者的に、イデオロジストはイデオロギー的に、それぞれヴェイユの「神」を位置づけるだろうし、ヴェイユの「思想」の姿をさしだすにちがいない。
 わたしもわたしなりに、これがヴェイユの「神」と「思想」の本性だといってみたいだけだ。 べつにじぶんの妥当さを固執もしないしヴェイユをだしにして自己主張するつもりなどない。 ヴェイユを抱えこむのでもなく、研究するものでもない。 ヴェイユがもうすこし柔軟で怠惰だったら、資質的に好きな思想のひとつだから、ひとめぐりしてみたいだけだ。>
 (『甦るヴェイユ』 Ⅴ 労働・死・神 P.184)

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コメント

なるほど、吉本のヴェイユへの対し方がよくわかりました。なかなか、ヴァイユを再読するチャンスはありませんでしたが、良い切っ掛けをありがとう。もちろん、吉本の本も読んでみます。

投稿: 玄柊 | 2006年12月12日 (火) 23時09分

>玄柊さん
理解するのに難しい文章でも、琴線にふれるものがあるのが吉本さんの著作。
南方熊楠も、ぼくにとってはそういうものかな。
ヴェイユの『工場日記』を読み始めました。
当時(1930年代)のフランスの工場事情を知らないので、わかりにくいところもありますが、胸に響く本です。

投稿: やまおじさん | 2006年12月13日 (水) 21時48分

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