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2007年1月の21件の記事

2007年1月28日 (日)

【読】茨木のり子詩集

詩歌には縁遠いが、この人の詩は読んでみたかった。
勢古浩爾さんが著書のなかで引用していた詩がある。

 ぱさぱさに乾いてゆく心を
 ひとのせいにはするな
 みずから水やりを怠っておいて
  ― 茨木のり子 「自分の感受性くらい」 から ―

きょう、古本屋で定価1600円の詩集が500円だったので入手。
詩集は高いので、思い切りが必要だが、古本屋はありがたい。

あわただしい日常の時間が流れていく(流されていく)。
でもなぁ・・・。 たまには、詩を読むくらいの余裕をつくろう。
水やりを怠らないようにしよう、と思う。

『自分の感受性くらい』 茨木のり子 (花神社)
もう一冊は、新刊書店で。
『花神ブックス1 増補 茨木のり子』 (花神社)

Ibaragi_noriko1Ibaragi_noriko2 

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2007年1月27日 (土)

【読】新聞連載小説

朝日新聞の連載小説を切り抜いて、ときどきまとめ読みしている。
 夢枕獏 「宿神 (しゅくじん)」 2006年12月22日から朝日新聞朝刊連載
http://book.asahi.com/clip/TKY200612190369.html

新聞をとってはいるが、ふだんはほとんど読まない。
読まないまま、ちり紙交換行きだ。

しかし、この小説は面白い。
夢枕獏さんの小説は、『神々の雪嶺』 と 『上弦の月を喰べる獅子』 の二冊ぐらいしかまともに読んだことがないが、好きな作家だ。 『神々の雪嶺』 には感動し、感想をWEBサイトにも書いたことがある。
http://yamaoji.hp.infoseek.co.jp/b_baku_kamigami.html

そんなこともあって、今回の連載小説には興味があった。
(12月24日、このブログにも書いたが、久米宏のラジオ番組もそのきっかけだった)
http://yamaoji.cocolog-nifty.com/blog/2006/12/post_7bff.html

今日で連載36回目。
舞台は京の都。 平清盛と佐藤義清(のりきよ)が登場している。
ぼくは古典や日本史の知識がなくて知らなかったが、佐藤義清という「北面の武士」は、のちの西行である。
じつに生き生きとした時代小説なのだ。 飯野和好さんという人による、不思議な味わいの挿絵もいい(これは単行本になった時には失われる魅力)。
連載小説をまじめに読むのは、五木寛之さんの 『戒厳令の夜』 (1975年「小説新潮」連載)いらいだ。
この小説は最後まで読んでみようと思う。

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【遊】温泉と十割蕎麦

ひさしぶりに、家人と近くの温泉へ。
07012700010701270002今月2日にはじめて行った、「おふろの王様] 花小金井店。
http://www.tatemono.com/ousama/
二度目の訪問。 前回わからなかった温泉成分表をメモしてきた。
WEBサイト(晴れときどき曇りのち温泉)
http://yamaoji.hp.infoseek.co.jp/
にデータとして掲載するためだ。
泉温が42.8度と、かなり熱い源泉。 pH7.9で弱アルカリ性。 このあたりに多い「黒湯」である。
今日も、壷湯(これも温泉)と珊瑚蒸風呂(ミストサウナ)にゆっくり浸かってきた。
おだやかに晴れて、暖かい一日だった。

070112700030701270005気になっていた館内食堂でお昼をたべる。
カリカリに揚げたごぼうの千切りがトッピングされた大根サラダ(左)。
そして、ぜひとも食べてみたかった十割蕎麦(右)。 いずれも、おいしくて安い。
館内が薄暗かったがストロボを使わなかったため、写真はぶれてしまって、あまりおいしそうに見えないかもしれない。 

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2007年1月25日 (木)

【読】ばかぼん、その他

吉野敬介さんの本(『やっぱりおまえはバカじゃない』 小学館文庫)を読んでいる。
なかなか痛快でおもしろい。
続編もBOOK OFFで入手。
こちらは300円。 印税に貢献しなくて著者には悪いけど。

Yoshino_baka2吉野敬介 『よく聞け! おまえはバカじゃない』
 (小学館文庫 2006.12.1発行)
まだ出たばかりの本だな。
著者は高校卒業後、中古車屋で働いていたが、同棲していた女性から「大学くらい行ってもらいたいな」と言われたことがきっかけで、一念発起、入試の四ヶ月前から受験勉強を自力で開始。 立教、明治、法政に合格したが、古文をやりたくて国学院大学に入ったという。
大学卒業後、代々木ゼミの講師採用試験を受けて予備校の講師に。
ぼくは、大学受験を途中で放棄したのだが、大学受験ってたいへんなんだな、と思う。
なんとなく大学に入りたいと思いながら、努力するのはいやだ、というような軟弱な受験生に読ませたい本だ。
まあ、大学なんて行かなくても屁でもないのだけれど、行きたいならそれなりに努力しなさいね、ということだ。

Kinoinochiもう一冊、きのう紹介した本もみつけた(こちらは新刊書店で)。
西岡常一/小川三夫/塩野米松 著
 『木のいのち 木のこころ <天・地・人>』
  (新潮文庫 2005.8.1発行)
新潮OH!文庫の三分冊を一冊にまとめたもの。
分厚い(562ページ)が、読むのがたのしみな本だ。
いつ読むかわからないけど、品切れになるのもしゃくだから購入。

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2007年1月24日 (水)

【読】ばかぼん

勢古浩爾著 『まれに見るバカ』 (洋泉社文庫 2006.2.20発行)は、おもしろかった。
巻末に 「バカ」によって「バカ」を制すためのブックリスト というのが載っている。
つまり「バカ本」 が紹介されている。
ほんとうに 「バカじゃないのか」 と思うような本から、有益な本まで、この人らしい基準で選ばれた本がずらり。
その中で、読んでみたいと思わせる本が二冊あった。

一冊は、西岡常一著 『木のいのち木のこころ(天)』 (新潮OH!文庫)
これは、こんど古本屋で探してみよう。
著者は宮大工だった人で、こういうことを言う人らしい。
(『まれに見るバカ』 P.254~255から孫引き)

<弟子も始めは何もわかりません。 そのほうがよろしい。 何も知らんということを自分でわからなならん。 本を読んで予備知識を持って、こんなもんやろと思ってもろても、そうはいかんのです。 頭に記憶はあっても、何もしてこなかったその子の手には何の記憶もありませんのや。 それを身につけにくるのが弟子です。 (中略) なかなか手と頭はつながらんのです。>
<(学者)は体験や経験を信じないんですな。 本に書かれていることや論文のほうを、目の前にあるものより大事にするんですな。 学者たちと長ごうつきあいましたけど、感心せん世界やと思いましたな>

いいなぁ。 こういうことを言う人。
もう一冊は、きょうの昼休み、たまたま近くのBOOK OFFでみつけた。 105円で購入。
吉野敬介著 『やっぱりおまえはバカじゃない』 (小学館文庫 1998.3.1発行)
Yoshino_baka勢古さんに、「この本には感動した」 と言わせた本。
以下、勢古さんによる紹介文を引用。(『まれに見るバカ』 P.51)
<著者は中学・高校時代を徹底的に不良(元暴走族特攻隊長)でとおし、大学受験四ヶ月前の偏差値は英語、国語、社会、三教科あわせて80にも満たなかったという極めつきの劣等生である。 (中略) その極めつきの不良が、副題に「偏差値25からの超大学受験術」とあるように、一念発起して受験をめざし、超人的な努力の末、見事国学院大学に合格する、という体験談である。>
大学卒業後、「代々木ゼミナール人気ナンバーワン古文教師」になったという、これまた魅力的な人物である。
きょうのぞいたBOOK OFFには、この著者の別の文庫(続編)もあったが、そのカバーには、パンチパーマの「いかにも」という風な写真が載っていた。買わなかったけれど。
などと書きながら、この『やっぱりおまえはバカじゃない』のカバー見返しをみると、そこには著者紹介文と、迫力ある顔写真が・・・。
ついせんだって防衛戦に勝った、ふてぶてしいチャンピオンの面構えに似ていなくもないが、ぼくはこういう人は好きだな。

明日から、この本を読んでみよう。

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2007年1月23日 (火)

【読】乗り過ごす

ひさしぶりに、やってしまった。
通勤電車で座席に座って本を読んでいて、乗り過ごしてしまったのだ。
朝の中央線快速電車。 お茶の水で乗り換えるはずが、気がつけば神田駅を発車するところだったので、終点の東京駅まで乗ってしまった。
山手線で秋葉原まで戻り、総武線に乗り換え、遅刻せずに始業時刻にはまにあったが。
やれやれ。

Seko_marebaka原因はこの本。
勢古浩爾 『まれに見るバカ』 (洋泉社)
人をバカよばわりすることは、著者も言っているように 「普段の生活のなかで」「めったにあることではない」。
新明解国語辞典にも 「人をののしる時に最も普通に使うが、公の席で使うと刺激が強すぎることが有る」 と書かれている(と、勢古さんが書いている)。
本の題名をみただけで読むのをためらう人もいるだろうが、ぼくはこういう本が好きなのである。
痛快だし、著者によれば 「本書を通読されたあと、もしかしたらあなたに、なぜだかわからないが、生きる勇気みたいなものが湧いてくるかもしれない。 心もポカポカしたりして。」 という本らしい。
赤坂憲雄さんの、いささかかた苦しい内容の本(『山の精神史』)を読んだあとなので、気楽に読めて、いい。

この本で、勢古さんがとりあげている本。

Kure_bakakusuri呉智英(くれ・ともふさ) 『バカにつける薬』 (双葉文庫)も、ずっと前に読んだことがある。 おもしろかったなぁ。
呉智英さんの本は、一時期、熱心に読んだことがある。
勢古さんによれば、「どの本もほのぼのとしている。文章がくどくないから、読後感がいい。」
たしかにそうかもしれない。
勢古さんは、呉さんに対しては好意的なように思う。
呉さんは中島みゆきの熱心なファンだし、二人には共通点があるのかもしれない。

 

Yoro_bakanokabe評判になった、こんな本もあったっけ。
養老孟司 『バカの壁』 (新潮新書)
こまったことに、この本を読んだかどうか、記憶にない。
読んだ形跡はあるし、パラパラとめくってみると、かすかに読んだおぼえがある。
だが、読後の印象が思いだせないのだ。
それほど感じるところがなかったのか。 いまとなっては不明。
これよりも、同じ養老さんの本では、『からだを読む』 (ちくま新書) がおもしろかった。
これまた、内容をあまり憶えていないけれど、この人の本では、説教くさくない科学的な(解剖学的な)ことを書いたものの方がいいと思う。

 

 

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2007年1月20日 (土)

【読】「山の精神史」あとがき

夜も遅いが、書けるときには書いておこう。
赤坂憲雄 『山の精神史』 (小学館ライブラリー/初版は1991年小学館)の著者あとがきに、とてもいいエピソードが書かれている。

赤坂さんが、琉球大学で「天皇制についての話」(講義だろうか)をしたとき、課題レポートのなかに、「家が代々生業として山師(樵・炭焼き・猟など山のあらゆる仕事にしたがう人たち)をしている」女子学生(本土出身)のレポートがあったという。
彼女が小学校三年のとき、「学校の宿題にかこつけて、渋る祖父から戦争体験の聞き書きをしたのだという」、その内容だ。

すこし長くなるが、赤坂さんの原文を引用する。

<山師の老人は孫娘に問いかける、山師はどうして獣を殺すのか、と。 食べてゆくために必要だからと、少女は祖父の口癖通りに答える。 祖父は獲物のからだをたとえ爪一本たりとも粗末にせず、いやがる子供に解体作業を手伝わせ、生命の重みや尊さを身体で教えこむ人だった。 戦争には、その生産的な必要性がないんだよ、ただやみくもに人を殺す、殺したって食べることすらできないものを、殺すことが目的で殺すんだ、そう、老山師は少女に話す。 彼は戦地では、かならず狙いをはずして銃を撃った。>

これに続いて、赤坂さんの「性根」がよくあらわれている部分。
<戦友(平地人の末裔だろう)たちが、「天皇のために」と憑かれたように敵を殺しているかたわらで、ひとりの男は生活のなかで培われた「山師としての誇り」をえらんだのだ。少女は結局、宿題の作文を出さずじまいだった。 そんな少女の頭を撫でながら、老山師は苦笑いとともに言った、おまえもやはり木霊(山の娘)だな・・・・・・と。>

<わたしはかの女のレポートを読みながら、ついに柳田国男が到り着くことのできなかった山の精神史の深みに、いつの日か降り立ってみたいものだと、あらためておもった。>

 ― 赤坂憲雄 『山の精神史 柳田国男の発生』
    (小学館ライブラリー/1996年) P.350~351 ―

涙がでそうになるほど、いい話だ。
山人(やまびと)、山民、平地人、常民、など、柳田国男の残した言葉の意味するところを、執拗と思われるほど追い続けている赤坂さんだが、「なぜそこまでこだわるのか」という読者(つまり、ぼく)の思いは、この「あとがき」をよんで、ストンと落ち着いた。

上に引用した部分に続いて。
<わたし自身のなかにも、どうやら東北の山の民の裔(すえ)の血が流れているらしいと気付いたのは、じつは柳田の取材のための旅をつづけるさなかに、亡くなった父の故郷を訪ねたときのことであった。 新鮮な驚きであり、大きな発見でもあった。 柳田の思想を掘ることが、やがてみずからの存在の根っこを掘ることでもあるとしたら、それはなんとも愉悦に充ちた知のいとなみではないか。>

いい本に出会ったな。

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【遊】きょうのおでかけ(立川界隈)

「界隈」なんて、司馬遼太郎の「街道をゆく」みたいだが、なんのことはない。
車を車検に出すために、立川市内のディーラーへ。
車を預け、バスで立川駅前へ出て、ひさしぶりに南口を歩いただけだ。

立川の北口は大きなデパートがひしめいていて人出が多いが、南口はまた違ったふんいきだ。
場外馬券場があり、パチンコ店や飲食店が雑然と並んでいる。
もともと北側は基地の街だった。
古いアーケードも残っているが、基地跡は大きな国営公園になってしまったし、伊勢丹、高島屋といった大規模百貨店ビルが建って、様変わりしている。

南側も、モノレールができてから、駅前は再開発でずいぶん変わったが、駅前をちょっと離れるとおもしろい店がたくさんあった。

07012000090701200008070120000707012000040701200006(左上から)
刀剣店、「回春堂」といういわくありげな薬局、洒落た珈琲屋(最近できたらしい)、地味な外観ながら美味そうな蕎麦屋、くつ下専門らしき店。 その先、繁華街から遠ざかり、市役所や職安のある界隈を歩く。

07012000020701200003ちかごろは路上で煙草を吸うのがきびしく、肩身がせまいのだが、とある一角に大小あわせて五、六個の灰皿を発見。
指定喫煙場所というやつだ。
それにしても、ちょっとした小公園風にベンチなどもあり、なんなんだろうなと思ったら、JT(日本たばこ)のビルの前だった。
JTも、館内は禁煙なんだろうか、などとつまらないことを考えてしまう。
さらに、専売公社(現・JT)の製品チェック係のエピソードを思い出す。
毎日毎日、できあがった煙草のチェックをするために、のべつ煙草の試し吸い(?)を仕事にしている人がいるらしいが、彼も、休憩時には「一服」するのだろうか、という、これまたしょーもない笑い話。

07012000110701200010立川駅北口でみかけた彫像。
駅ビルにあるCDショップをひやかす。
すこし前から気になっているCDを探したのだが、演奏者名を言っても店員は知らないらしく、それらしいコーナー(演奏者名)の棚を案内される。
「輸入盤でしか出ていないんですが・・・」と言ったら、「申しわけありません、当店は輸入盤を置いていないんです」だって。
珍しい店だ。 しかし、この店にはずいぶんお世話になったっけ。
上々颱風を聴きはじめた頃、ここで、どれを買おうか(10種類ほど出ていたので)迷ったあげく、ジャケットのおもしろさだけの理由で「ためごま」を買ったことを思い出す。
あの頃、彼らのアルバムをたくさんみかけた棚に、いまは一枚もなくなっていたのが淋しい。
ちなみに、きょう探していたのはLila Downsという女性シンガーのCDだった。
別の、輸入盤をずらりと並べている店に行ったが、そもそもこのシンガー名が店員に通じなくて、しかも、調べた結果は「お取り寄せ」ということで、やめにした。
実物を手にとって購入したいという、へんな理由からなのだが。
まあ、ネットで購入という手もあるし。

0701200013立川駅から国分寺方面への電車に乗る。
おりよく、青梅特快(特別快速)が来た。 これが、中央線には珍しい新型車両だったので写真に撮った。
山手線などでは一般的になった、ジュラルミン製(?)のかっこいい車両だった。
電車もどんどん変わっていくなぁ。
東京に来たばかりの頃(30年ほど昔)は、冷房車両などなかったものなぁ・・・。
夏は窓を開け放っていたっけ。 初乗りが30円だったといっても、今は誰も信用しないかも。

国分寺駅前でバスを待っていたら、空から白ものがちらちら舞い落ちてきた。
きょうは冷えるなぁ。
本格的に降ることはないと思うが、どうやら初雪らしい。

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【楽】中島みゆきの歌のちから

ひさしぶりに、中島みゆきのベスト・アルバムをひっぱりだして聴いた。
Miyuki_best2中島みゆき 『 Best Selection II 』
 PONY CANYON 1992年 PCCA-00360

聴きなれた歌ばかりだが、あらためてその歌詞に感心した。
中島みゆきは詩人だと思う。
曲も歌唱も好きだが、ちょっとやそっとで真似のできない、どきっとするような歌詞がいったいどこから生まれるのか。
「黄砂に吹かれて」 という歌が収録されている。
1989年、工藤静香に提供した歌である。
(工藤静香という歌い手も、ぼくはきらいではない。いつも淋しそうだったが、キムタクと結婚してよかったと思う。いま、幸せかどうかは知らないが。)

きょう、中島みゆきが歌うこの歌を聴いてすごいなと思ったのは、つぎのような部分だ。
 ♪ あなたよりやさしい男も 砂の数ほどいるのにね ・・・
どこがすごいのかって?
ありきたりの歌詞じゃないか、というご意見もあるだろうが、ぼくは 「星の数」ではなく「砂の数」ということばを紡ぎだすところが、凡庸じゃないと思うのだ。
まあ、「黄砂」だから、「砂」なんだろうけど、こんな歌の世界はなかなか作れるものではない。

平凡なことばを使って、非凡な世界をイメージさせる歌が、ぼくは優れた歌だと思う。
ムズカシイことばを無闇につかった歌詞を、ぼくは好まない。
こどもでも知っていることばを組み合わせて、大人の想像力をかきたてる歌がいい。

前川清に提供した 「涙 -Made in tears-」 という歌もいい。
 ♪ メッキだらけの けばい茶店の隅っこは
  雨やどりの女のための ・・・
「けばいサテン」 なんて若者ことばを、こんなに効果的に使えることに驚く。
前川清による歌唱も聴いたが、やはりいいのだ。
前川清という才能に、中島みゆきの楽曲のちからが加わった相乗効果だろうか。

あまり引用すると、著作権法に触れるのだが(もうじゅうぶん触れてるかなぁ・・・)。
ちなみに、著作権法を遵守するなら、こういう場合はJASRACというところに届けて、お金を払わなければいけない(らしい)のだ。

「with」 という歌のなかの、つぎの部分にもどきっとした。
 ♪ 誰だって旅くらい ・・・
  でも、ひとりきり泣けても
  ひとりきり笑うことはできない ・・・

このベスト・アルバムのなかで、ぼくがいちばん好きなのが 「歌姫」 だ。
曲調もアレンジもいい。
 ♪ 歌姫 スカートの裾を
  歌姫 潮風になげて
  夢も 哀しみも 欲望も 歌い流してくれ
ここでも、「洗い流す」ではなく「歌い流す」という、ちょっとだけひねったことばの使い方がみごとだ。
「歌姫」 は中島みゆきという歌い手にオーバーラップする。
ちょうど、山崎ハコの「歌いたいの」という歌が、山崎ハコの姿と重なるように。

中島みゆきは、まさに「歌姫」と呼ぶにふさわしい、同時代のありがたい歌い手だ。
ぼくに勇気をくれる・・・。


【収録曲】
時代 / トーキョー迷子 / 涙 -Made in tears- / 春なのに / 黄砂に吹かれて / まつりばやし / シュガー / やまねこ / with / Maybe / あした / 歌姫 / 世情

「世情」 というカタイ内容の歌以外は、どれも好きだ。

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2007年1月19日 (金)

【読】性根

勢古浩爾さんという人が「根性」ということばを使っていたが、ぼくは「性根(しょうね)」ということばを使いたい。
「性根のすわった」人である。
なんのことか。
Akasaka_yanagita_yama_1『山の精神史』 (小学館ライブラリー) を書いた、赤坂憲雄さんという人のことだ。
これまで、このブログで何冊かとりあげたが、この学者さんは信頼できる。
― 『山の精神史』 1996年刊 著者紹介 ―
赤坂憲雄(あかさか のりお)
1953年東京生まれ。東京大学文学部卒業。現在、東北芸術工科大学・教授。日本思想史専攻。 ここ10年近くは、柳田国男が構想した日本の民俗学の固有の領土を検証する旅を続ける一方、最近は山形に拠点を求め、"東北学"をめざして、民俗の発見の野辺歩きを始めている。
主な著作に『異人論序説』(ちくま学芸文庫) 『境界の発生』(砂子屋書房) 『漂泊の精神史』(小学館) 『結社と王権』(作品社) 『遠野物語』(宝島社)など多数。

あと20ページほどで読了する。
ぼくの柳田国男への関心は、もとはといえば南方熊楠への関心からシフトしてきたもの。
柳田国男の著作(原テキスト)は、ほとんど読んでいないにひとしい。
それなのに、赤坂さんの柳田国男論がこれほどおもしろいのは、赤坂さんの「性根のすわった」取り組み方というか、執念といっていいほどのこだわり方、熱い思いが、ぼくに訴えてくるからだろう。

たとえば、今日読んだこんな部分だ。
<柳田国男の、ことに昭和にはいってからの思想の核に置かれたものが、常民をめぐる理念であったことについては、たぶん異論のさしはさまれる余地があるまい。 だからこそ、常民とは何かという問いは、柳田の思想を根柢から了解するためのキー・コンセプトとして、飽かずくりかえし問われてきたのだ。 さまざまな角度からの、さまざまな答えが提示された。 その多くは、柳田のテクストのそこかしこに散らばっている常民をめぐる記述の断片と、解釈者の側の過剰な/過小な思い入れや期待とがない交ぜにされたもので、柳田の思想を発生的に了解したいという、わたし自身の欲望を満足させてはくれない。>
(『山の精神史』 小学館ライブラリー 第七章/平地人と常民 P.325)

この引用だけだと、かた苦しい本と思われそうだが、そうではない。
写真、図版が豊富。 著者がじぶんの足でたどった柳田国男の足跡、赤坂さん自身の旅先でのエピソードなどは人間味あふれるものだ。

それにしても、と思う。
柳田国男という、とらえどころのない巨人。
書店にいけば、数十巻もある分厚い「柳田國男全集」(一冊6,000~8,000円もする!)がぼくを威圧する。
もちろん文庫も出ていて、読み物としておもしろいものもあるが、とにかくその全貌がとらえにくい。
また、柳田門下生や後続の学者連中が、妙にもちあげたり、けなしたりして、おかしな虚像ができあがっている。

赤坂さんが若い頃から続けている作業は、そういった虚像からできるだけ遠ざかった地点で、柳田国男の思想を原点から検証するもの、といったらいいのか。
ぼくは、学者でもなく学究の徒でもないから、いたって気軽なきもちで読んでいるが、おもしろい。 おもしろいとともに、得るところも多いのだ。

ところで、どうでもいいことだが、ぼくはやはり柳田国男よりも南方熊楠の人間味にひかれる。
うーん、今夜も理屈っぽくなってしまったな。 いやはや。

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2007年1月14日 (日)

【読】赤坂憲雄さんの柳田国男論

先日、地域図書館から借りてきて読みはじめた本。
読みはじめるまでは、ちょっと腰が引けたのだけれど、これがおもしろい。
勢古浩爾さんの言葉を借りれば、「根性」が入っているのである。
Akasaka_yanagita_yamaAkasaka_yanagita_hyohaku赤坂憲雄
『山の精神史 柳田国男の発生』 1996年
『漂泊の精神史 柳田国男の発生』 1997年
(共に小学館ライブラリー)

もう一冊
『海の精神史 柳田国男の発生』 2000年
http://skygarden.shogakukan.co.jp/skygarden/owa/solrenew_detail?isbn=4093873283
をあわせて、三部作ということらしい。
(この本も図書館にあったが、さすがに読みきれない)
以前から気になっていた本なので、とりあえず2冊借りてきた。
二週間じゃ読めないので、たぶん貸出延長だなぁ。

重要なことではないが、赤坂さんは小平市在住らしく、図書館の「市内在住者コーナー」という書棚にその著作があった。そういえば、椎名誠氏も小平在住だったっけ。

【ちょいと註釈】
「根性」という言葉が誤解されるといけないので、勢古さんがこの言葉をどういう文脈で使っているか書いておこう。
<・・・論理がその力をもつためには、論理に根性が入っていなければならない(わたしは以前はこの「根性」という言葉がきらいであったが、いまでは相当偏愛している)。それが思想である。その論理の根性を知るための好個の例として、ここで二冊の本を紹介しておきたい。>
その二冊目の紹介。
<もう一冊は、シモーヌ・ヴェイユの『重力と恩寵』(ちくま学芸文庫)である。この本は本書で引用した本や推薦書のなかではもっとも難解(後出の『「正法眼蔵を読む』と双璧か)であるかもしれない。カントやヘーゲルのようにチンプンカンプンというのではなく、ヴェイユがなぜそのように考えるにいたったかという思考の基盤とその道筋がひどく辿りにくいのである(論理が徹底的に隠され、根性だけが残っている)。・・・>
 ― 勢古浩爾 『自分をつくるための読書術』 ちくま新書 P.97~99 ―
ぼくはこの部分を読んで、いつかヴェイユの『重力と恩寵』にもトライしてみよう、などと無謀にも考えてしまった。

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【楽】しみるなぁ・・・

風もなくおだやかに晴れた日曜日。
Hako_utaitaino_1こんなCDを聴いている。
歌いたいの 山崎ハコ
 TOKUMA JAPAN TKCA-73029 2006.5.24

山崎ハコさんの歌のちからに、励まされている。
「サヨナラの鐘」にふるえる。胸にしみてくる。
"歌のちから"というものが、たしかにあるのだ。

そういえば、勢古浩爾さんも、胸がふるえるような歌に出会った体験を、どこかに書いていたっけ。
(たぶん、中島みゆきの歌だと想像するのだが)

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2007年1月13日 (土)

【読】勢古浩爾さんの三冊目

ひさびさの読書日誌。
長ったらしいので、興味のない方は読み流していただきたい。

年があけて最初に読みおえた本がこれ。
Seko_kouji2_1勢古浩爾 『自分をつくるための読書術』
 ちくま新書 134 1997.11 \680(税別)
― カバーから ―
<「自分」をつくるということは、割合しんどいことである。 そんな思いまでして、しかもどんな保証もないのに、なぜ「自分」をつくらなければならないのか。 いったいなんの得があるのか。 理由は簡単だ。 「自分」をつくらないで生きていくことは、もっとしんどいからである。>

このての読書案内が好きなので、おもしろそうだなと思って読みはじめた。
なかなか刺激的な内容である。
冒頭、<はじめに ――「自分」をつくるとはどういうことか>から、意表をつくようなことが書いてあり、うなってしまった。
<人間の気質や性格(人間性)は、そのほとんどが三歳までにできあがってしまうから、それ以降どんなに変えようとしても無駄である、という考えがある。 悪あがきはやめなさい、というわけでもあるまいが、この三歳決定論に関しては、わたしも基本的には信じるほかないという気がする。 しかし、だから自己形成へのあらゆる意思や試みは無効であるという諦観にわたしは同意しない。 もしも自分で「自分」をつくることができないのなら、そんな「自分」にひとは責任をとる必然性がまったくないからである。
(太字は原文のまま)

全6章のタイトルをあげておく。
この章題に勢古さんの考え方がよくあらわれていると思うのだ。
各章の末尾に、ブックリストがあり、勢古さんの推薦書があげられている。
そのなかで、ぼくが興味をもった本も書いておこう。
(読んだことのある本も、いくらかあるが、もういちど読んでみようかと思う)

第1章 「世間」を生きぬくための読書 ~あらゆる形式を疑え~
阿部謹也さんの「世間」論からはじまるところが、ぼくにはうれしかった。
■ブックリストから■
『無名人名語録』(永六輔/講談社文庫)
『アイルトン・セナ日本伝説』(松本洋二/新潮文庫)
『この国のかたち(四)』(司馬遼太郎/文春文庫)

第2章 「弱さ」を鍛えるための読書 ~一冊の本は決定的に発火する~
<学生時代、『共同幻想論』という本が薄暗い生協の本棚に平積みにされていたのを思い出す。ベストセラーだという噂は知っていたが、なにがキョードーゲンソーロンだとわたしは無視した。吉本隆明氏が何者かはまったく知らなかった。自慢じゃないが相当無知であった。・・・大学卒業後のある日、友人のNが「おまえなんか吉本があうんじゃないかなぁ」といった。かれの真意はわからなかったが、わたしはその日、はじめて吉本氏の本を買った。> という、勢古さんが出会った「衝撃的かつ決定的な一冊」は、吉本隆明さんの『情況』(河出書房新社)。
■ブックリストから■
『共同幻想論』(吉本隆明/河出書房新社、角川文庫)
『犠牲』(柳田邦男/文藝春秋)
『夜と霧』(V・E・フランクル/みすず書房)

第3章 「論理」の力をつけるための読書 ~読むなら考えよ考えぬなら読むな~
論理(論理的な考え方)はたいせつである。しかし、論理の限界点には<理不尽>がある。・・・と勢古さんは言う。
<「自分」をつくるうえで論理の重要性はいくら強調してもしすぎることはない。だが論理だけでひとを感動させることはできない、というのもまた事実である。論理がその力をもつためには、論理に根性がはいっていなければならない。>
この章で引用されている、吉本隆明さんの次のことば(『カール・マルクス』から)は、ぼくも好きだ。
<市井の片隅に生まれ、そだち、子を生み、生活し、老いて死ぬといった生涯をくりかえした無数の人物は、千年に一度しかあらわれない人物(註:カール・マルクスのこと)の価値とまったくおなじである。>
■ブックリストから■
『重力と恩寵』(シモーヌ・ヴェイユ/ちくま学芸文庫)
『敗北の構造』(吉本隆明/弓立社)
『ぼくならこう考える』(吉本隆明/青春出版社)

第4章 「理不尽」を生きるための読書 ~すべての本を軽蔑せよ~
■ブックリストから■
『悲しみの家族』(宮城賢/春秋社)
『岸辺のアルバム』(山田太一/角川文庫)
『冷い夏、熱い夏』(吉村昭/新潮文庫)
『人間の土地』『夜間飛行』(サン=テグジュペリ/新潮文庫)

第5章 「覚悟」を決めるための読書 ~わたしがルールブックである~
この本を通して、<自分さがし>などするな、ということが繰り返し言われている。
同様に<自分らしさ><人間らしさ>などという、口あたりのいい、それでいて何の意味もない言葉を痛烈に批判する。読んでいて爽快。
■ブックリストから■
『単純な生活』(阿部昭/講談社文芸文庫)
『神聖喜劇(全5冊)』(大西巨人/ちくま文庫)
『鹽壷(しおつぼ)の匙』(車谷長吉/新潮文庫)

第6章 「自分」をゆさぶるための読書 ~自分に関係のない本などない~
著者・勢古浩爾さんは、若い頃(およそ30年前)、ほぼ一年をかけてヨーロッパ、中近東、アジアを旅し、そのときに持っていた本は、サリンジャーの『キャッチャー・イン・ザ・ライ』(ペーパーバックの原書)一冊だけだったという。
■ブックリストから■
『昭和精神史』(桶谷秀昭/文春文庫)
『ねむれ巴里』(金子光晴/中公文庫)
『東南アジアを知る』(鶴見良行/岩波新書)
『深夜特急(全6冊)』(沢木耕太郎/新潮文庫)
『望郷と海』(石原吉郎/ちくま学芸文庫)
『広島第二県女二年西組』(関千枝子/ちくま文庫)
『泥まみれの死 「沢田教一写真集」』(沢田サタ編/講談社文庫)
『大地の子(全4冊)』(山崎豊子/文春文庫)
『城下の人』『曠谷の花』『望郷の歌』『誰のために』(石光真清/中公文庫)
『生きることの意味』(高史明/ちくま文庫)

以上です。 ああ、しんど。
もちろん、ぼくには、こんなにたくさん読めやしないが、何冊かは手に入れて読んでみたい、あるいは再読したいと思ったのである。
この新書は、良質のブックガイドであり、骨のある自前の「思想」が語られている一冊。

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2007年1月 8日 (月)

【楽】成人の日、ますの寿し、NANCI

すこし離れたところにある地域図書館へ行く。
車で市民ホールの前を通ったら、晴れ着姿の若者たちでごったがえしていた。
きょうは成人式だったな。
ああいう儀式は、もうやめにすればいいのに、などと思いながら通る。
ぼくは、じぶんの成人式というものに出なかった。
(高校の卒業式にも出なかった・・・関係ないけど)

成人式 ―Wikipediaより―
成人を祝う儀礼は古くからあり、男子には元服・褌祝い、女子には裳着・結髪などがあった。
文化人類学や民俗学では、こうしたものを通過儀礼(イニシエーション)の1つとして扱う。
日本における今日の成人式は、終戦間もない1946年11月22日、埼玉県北足立郡蕨町において実施された「青年祭」がルーツとなっている。
敗戦により虚脱の状態にあった当時、次代を担う青年達には明るい希望を持たせ励ましてやりたいと、当時の埼玉県蕨町青年団長の高橋庄次郎氏が主唱者となり青年祭を企画した。会場となった蕨第一学校でテントを張り、青年祭のプログラムとして行われた「成年式」が現在の成人式の原型となった。
蕨市の「青年祭」に影響を受けた国は、1948年に公布・施行された祝日法により、「おとなになったことを自覚し、みずから生きぬこうとする青年を祝いはげます」の趣旨のもと、翌年から1月15日を成人の日として制定した。
それ以降、ほとんどの地方で成人式はこの日に行われるようになった。
その後、1998年の祝日法改正(通称:ハッピーマンデー法)に伴って、2000年より成人の日は1月第2月曜日へ移動している。

成人の日とはまったく関係なく、昼ごはんにますの寿しを食べる。
きのう、駅ビルへ買い物に行ったときに買ったものだ。
箱をあけて、竹と輪ゴムで押さえられた円盤状の押し寿司を開くところから、このますの寿しの楽しみがある。

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そして、ますの寿しとはこれまた無関係に、ナンシー・グリフィスのアルバムを聴く。

Nanci_griffith_1NANCI GRIFFITH
 Other Voices, Too
 (A Trip Back To Bountiful) 1998年
曲目
WALL OF DEATH / WHO KNOWS WHERE THE TIME GOES / YOU WERE ON MY MIND / WALK RIGHT BACK / CANADIAN WHISKEY / DESPERADOES FOR A TRAIN / WINGS OF A DOVE / DRESS OF LACES / SUMMER WAGES / HE WAS A FRIEND OF MINE / HARD TIMES COME AGAIN NO MORE / WASN'T THAT A MIGHTY STORM / DEPORTEE / YARRINGTON TOWN / I STILL MISS SOMEONE / TRY THE LOVE / THE STREETS OF BALTIMORE / DARCY FARROW / IF I HAD A HAMMER
1993年の、「OTHER VOICES, OTHER ROOMS」 (カポーティの小説の題名からとられたアルバム・タイトル)の続編ともいえるアルバム。
ボリュームをおとして静かに聴くのがいい。

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2007年1月 7日 (日)

【遊】正月にみつけたもの

こういうものが好き。
この正月にみつけたもの、ふたつ。

小さな獅子の玩具
元日、大國魂神社の境内で購入。

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かんたんなつくりだが、よくできている。 バネの部分をにぎると、獅子の口が開く仕掛け。
これで1,000円。
もっと大きなものもあった。
http://yamaoji.cocolog-nifty.com/blog/2007/01/post_4474.html

宮醤油店
千葉県富津市を車で走っていて発見(1月4日)。
 有限会社 宮醤油店
 http://www.miyashoyu.co.jp/

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天保5年(1834年)創業。
写真の釜には160年とあるが、今年で創業173年をむかえる。
店舗の中も老舗の雰囲気で、とてもよかった。 お店の人の感じもよかった。
うす塩醤油の小瓶を購入。
機会があれば、また寄ってみたい。

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2007年1月 6日 (土)

【遊】房総半島暴走旅行

生まれてはじめて房総半島というところへ行った。
一泊二日の小旅行。 暴走というより「迷走旅行」かな?
例によって高速道路の分岐をまちがえること、二度。
初日と二日目は天候にめぐまれて、いいドライブができた。
最終日の今日は、雨の中を迷走・・・。

0701040040東京湾アクアラインという、便利だが高い有料道路を利用して、あっというまに房総半島の木更津へ上陸。
写真は「海ほたる」パーキング・エリア。
川崎から東京湾アクアトンネルに入ってしばらく走ると、海上のパーキング・エリアに出る。
その先、千葉県までは海上の道。

0701040016行きがけ、川崎大師に寄る。
ここも生まれてはじめて行った。
参道の飴売りが名物らしく、おもしろかった。
大きな名刹だが、あまり感動しなかった。

金剛山平間寺(川崎大師) ―Wikipediaから―
平間寺 (へいけんじ) は神奈川県川崎市にある寺院である。川崎大師の通称で知られ、真言宗智山派の大本山である。山号は金剛山。院号は金乗院。高尾山薬王院有喜寺、成田山新勝寺とともに関東三本山のひとつである。尊賢(そんけん)を開山、平間兼乗(ひらま かねのり)を開基とする。
西新井大師(總持寺)、佐野厄除け大師(惣宗寺)とともに「関東三大師」の筆頭に数えられ、毎年の正月には初詣の参拝客で大変な賑わいとなる。2006年初詣客は272万人で全国3位、神奈川県1位。


0701050142071050133二日目に寄った、小湊の「誕生寺」。
日蓮聖人誕生の地に建つ古いお寺。
これがいいお寺だった。
http://www.tanjoh-ji.jp/
「日蓮は東海道・十五箇国の内・第十二に相当る安房の国長狭の郡・東条の郷・片海の海人が子なり」(本尊問答抄)
「日蓮は日本国安房の国と申す国に生れて候しが、民の家より出でて頭をそり袈裟をきたり」(妙法比丘尼御返事)
「日蓮は中国・都の者にもあらず・辺国の将軍等の子息にもあらず・遠国の者・民が子にて候いし」(中興入道消息)
・・・いくつかネット検索で調べてみた。
五木寛之さんもどこかでふれていたが、日蓮上人は漁民の子だったようだ。
その強烈な生き方や教えは別としても、なんとなく親しみをおぼえるのだ。

小湊山誕生寺  ―Wikipediaから―
1276年(建治2年)10月、日蓮の弟子の日家が日蓮の生家跡に、高光山日蓮誕生寺として建立。しかし、その後、1498年(明応7年)、1703年(元禄16年)の2度の大地震、大津波に遭い、現在地に移転された。

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2007年1月 2日 (火)

【雑】チベット、列車の旅

ネット・サーフィンをしながら、横目でNHKのTV番組を見ている。
「青海チベット鉄道~世界の屋根2000キロをゆく~」
http://www.nhk.or.jp/winter/gtv/gtv_61.html

― 「月刊TVnavi」の紹介文から ―
「世界の尾根」を貫く青海チベット鉄道が今年(2006年)7月に開通、青海省の西寧からチベット自治区のラサまで、およそ2000キロが鉄路で結ばれた。 凍土の上を走るなど厳しい自然環境にも対応するべく、列車には完全気密状態を保ち、常に新鮮な酸素を供給できるなどの最新技術が投入されている。 番組では世界に先駆けてこの鉄道を取材、雲上の大パノラマをたっぷり紹介する。

いいなぁ。
雄大な自然と、素朴な表情の人たち。
外国に行くとしたら、こういうところへ行ってみたい。

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【遊】きょうのおでかけ(おふろの王様)

近所にあたらしい日帰り温泉ができたよ、と教えられて行ってみた。
名前がふるっている。
「おふろの王様」 (花小金井店)
http://www.tatemono.com/ousama/

最近、このての日帰り温泉が増えている。
「おふろの王様」チェーンは、「スーパー銭湯」と銘打っているが、今日行ったところは天然温泉(浴槽の一部は水道水)。
深く掘れば、このあたり、「黒湯」の出るところはたくさんあるようだ。

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なかなかいい温泉だった。
露天に壷湯あり。
「珊瑚蒸風呂」というミスト・サウナがよかった。
露天(屋外)にミスト・サウナのあるところは多いが、扉が二重になっていないと、人が出入りするたびに温度がさがってしまう。 ここは、ちゃんと二重扉になっていた。
ちょっとした構造上の気づかいだが、これだけあちこちに似たような施設がふえると、こういう細かい気づかいで入場者数に差が出るのではないのか。

これまで、いちばん近い日帰り温泉が小平市の「テルメ小川」だったが(車で30ほど)、この「おふろの王様」は、ここから車で10分、自転車でも30分はかからないだろう。
開店してまもないらしいが、いいところを教えてもらった。

ただ・・・、今日は正月二日とあって、たいへんな混雑。
ひさしぶりに日帰り温泉で入場制限を受けた。

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【楽】フォーク・・・ねぇ

元日の深夜から三夜連続で、「フォークの達人」というTV番組が放映されている。
http://www.nhk.or.jp/folk/

こんな内容の再放送。
■西岡たかし 1月2日(火)午前0:00~
■加川良 1月2日(火)午前1:30~
■山崎ハコ 1月3日(水)午前0:00~
■三上寛 1月3日(水)午前1:30~
■友部正人 1月4日(木)午前0:05~
■杉田二郎 1月4日(木)午前1:35~

山崎ハコさんと三上寛さん以外、ぼくには馴染みの少ない人たちばかりだが、ビデオに録っている。
いま、昨夜の西岡たかしさんの映像を観ている。

若い頃、ぼくはこのての音楽を聴いていなかった。
懐かしいとも思わないし、ずいぶんお歳をめした姿を見ても、なんの感慨もわかない。

井上陽水、吉田拓郎、加川良、五つの赤い風船・・・懐かしい名前だが、リアルタイムでのめりこむような体験をしていなかった。
同時代の人たちではあったけれど(世代も近いけれど)、そういえば流行っていたなぁ・・・というだけで。

1970年代、何を聴いていたのか。
モダン・ジャズに夢中になっていたっけ。
和製では、浅川マキを聴いていたか。
山崎ハコさんは、デビュー当時から聴いていた。

それにしても、フォークって言葉、やっぱり気持ちわるい。
などと言いながら、けっこう楽しみながらビデオを観ている。
知ってる曲も多いしね。
不思議なことに、新鮮に感じる。
これも、「いま」の音楽なんだろうな。

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2007年1月 1日 (月)

【遊】きょうのおでかけ(初詣)

年に一度しか詣でなくても、「初詣」なのか。
神社仏閣にはとんと縁がないのだが、正月はやっぱりね。
それにしても、あんなに人が多いとは思わなかった。

07010100010701010003大國魂神社 おおくにたまじんじゃ
(東京都府中市)
http://www.ookunitamajinja.or.jp/index2.html

旧甲州街道沿いにある大鳥居まで、けやき並木の広い道が続く。
きょうは、団地から国分寺駅までバスに乗り、そこで別系統のバスに乗り換えて府中駅(京王線)まで。 府中駅から大鳥居まで歩いてすぐ。
例大祭「暗闇祭り(くらやみ祭り)」で有名な、歴史のある神社だ。

0701010005大鳥居。
昼過ぎだったが、それほど混雑しているように見えなかった。
それが・・・。
大鳥居をくぐって参道にむかうと、突然、群集の最後尾にぶつかって先に進めない。
ああ、行列ができている。 おそらく距離にして100mほど先の拝殿まで続く長い行列が。

0701010009参道の様子。
両側には、びっしりと出店が並ぶ。
食べ物(たこやき、やきとり、お好み焼き、バナナチョコ?、綿菓子、etc)、飲み物、こども向けのくじの店)、など、数知れず。
拝殿は、はるか先。
ときどき、数メートル進むが、すぐに止まってしまう。
07010100150701010013ようやく、拝殿前の山門に到着。
一時間ほど、行列の中にいただろうか。
古くて、落ちつきのある山門だ。
「随神門」「中雀門」の奥に拝殿があり、その奥が本殿。山門の菊の紋が木彫りで、珍しかった。

07010100240701010025拝殿と鼓楼。
「鼓楼」は、その昔、時刻や緊急事態を知らせるための太鼓を置いた建物だという(上記URL=大國魂神社公式サイトの説明)。
川越にある「時の鐘」の建物に形が似ていると思った。

0701010007_10701010026参道の提灯がすごい。
電気の配線が見えたから、夜は灯りがともってきれいだろうと思う。
地元の商店や会社の名前を読みながら、行列の渋滞に耐えた。
中雀門わきの狛犬。苔むして、いい感じだったな。


07010100290701010027参道の出店。
中国風おやきともいうべき「シャーピン」はおいしかった。
直径10cmぐらいのおやきで、間には餃子の具と同じようなものが挟んである。鉄板の上で油で焼く。
高崎から来ていた、だるま屋。
ここで、だるまではなく、ちいさな獅子頭(1000円)を買った。
時間はかかったけれど、今日は、おもしろかったなぁ。

この神社、徳川家康の時代に、例の浅草弾左衛門とも縁があったようだ。
府中は、馬の産地だった(だから、東京競馬場も近い)。
牛馬の皮革を扱う人々が、このあたりに住んでいたらしい。
すぐ前を、甲州街道がのびて、ここは交通の要衝だった。
また、遊びに行こう。

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【楽】元日の音楽

朝から晴れて、いい天気だ。
風もなく、おだやかな元日。
雑煮もたべたし、ビールでちょっとだけ乾杯したし、これからバスで府中の大国魂神社へいってみよう。

Mozart_mutter元日に聴いている。
いまから230年ほど昔、19歳の青年が残した音楽。
Wolfgang Amadeus Mozart  1756-1791
Concerto No.2 in D for voiolin and orchestra, K.211
Concerto No.4 in D for voiolin and orchestra, K.218
Annne-Sophie Mutter
Riccardo Muti, Philharmonia Orchestra
(EMI RECORDS, 1982) 

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