【読】乗り過ごす
ひさしぶりに、やってしまった。
通勤電車で座席に座って本を読んでいて、乗り過ごしてしまったのだ。
朝の中央線快速電車。 お茶の水で乗り換えるはずが、気がつけば神田駅を発車するところだったので、終点の東京駅まで乗ってしまった。
山手線で秋葉原まで戻り、総武線に乗り換え、遅刻せずに始業時刻にはまにあったが。
やれやれ。
原因はこの本。
勢古浩爾 『まれに見るバカ』 (洋泉社)
人をバカよばわりすることは、著者も言っているように 「普段の生活のなかで」「めったにあることではない」。
新明解国語辞典にも 「人をののしる時に最も普通に使うが、公の席で使うと刺激が強すぎることが有る」 と書かれている(と、勢古さんが書いている)。
本の題名をみただけで読むのをためらう人もいるだろうが、ぼくはこういう本が好きなのである。
痛快だし、著者によれば 「本書を通読されたあと、もしかしたらあなたに、なぜだかわからないが、生きる勇気みたいなものが湧いてくるかもしれない。 心もポカポカしたりして。」 という本らしい。
赤坂憲雄さんの、いささかかた苦しい内容の本(『山の精神史』)を読んだあとなので、気楽に読めて、いい。
この本で、勢古さんがとりあげている本。呉智英(くれ・ともふさ) 『バカにつける薬』 (双葉文庫)も、ずっと前に読んだことがある。 おもしろかったなぁ。
呉智英さんの本は、一時期、熱心に読んだことがある。
勢古さんによれば、「どの本もほのぼのとしている。文章がくどくないから、読後感がいい。」
たしかにそうかもしれない。
勢古さんは、呉さんに対しては好意的なように思う。
呉さんは中島みゆきの熱心なファンだし、二人には共通点があるのかもしれない。
評判になった、こんな本もあったっけ。
養老孟司 『バカの壁』 (新潮新書)
こまったことに、この本を読んだかどうか、記憶にない。
読んだ形跡はあるし、パラパラとめくってみると、かすかに読んだおぼえがある。
だが、読後の印象が思いだせないのだ。
それほど感じるところがなかったのか。 いまとなっては不明。
これよりも、同じ養老さんの本では、『からだを読む』 (ちくま新書) がおもしろかった。
これまた、内容をあまり憶えていないけれど、この人の本では、説教くさくない科学的な(解剖学的な)ことを書いたものの方がいいと思う。
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コメント
酔って乗り越したことはありますが、本で乗り越したことはあったでしょうか?私は。最近の読書日記を読んでいるとつくづく、読書傾向は、私も含めて人の魂の構造をあらわしていますね。
投稿: 玄柊 | 2007年1月24日 (水) 13時55分
>玄柊さん
魂の構造とは、またおおきく出ましたね。
精神構造といったところでしょう。
じぶんの精神構造はよくわかりません。
ただ興味のおもむくままに、何でも読んでやろうという感じでしょうか。
電車は、座ってしまうとあぶないです。
これまでに何度か乗り過ごしています。
投稿: やまおじさん | 2007年1月24日 (水) 22時35分