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2007年2月の25件の記事

2007年2月28日 (水)

【読】詩人 石原吉郎

今週読んでいる本。
Ishihara_showa多田茂治 著 『石原吉郎 「昭和」の旅』
 作品社 2000.2.5
ずいぶん前に、デパートの古本市でみつけて買ってあったもの。 ようやく読みはじめた。
石原吉郎の詩といえば、すぐに思いうかぶのが、高田渡さんが曲をつけて歌っていた 「さびしいと いま」 だ。
 さびしいと いま / いったろう ひげだらけの
 その土塀にぴったり / おしつけた その背の
 その すぐうしろで
(高田渡 『渡』 1993年 TOKUMA JAPAN)

Ishihara_shibun石原吉郎 (いしはら・よしろう)
 1915.11.11~1977.11.14 詩人
静岡県生まれ。 東京外語卒。
1939年、応召。 翌年、北方情報要員として露語教育隊へ分遣。 41年、関東軍のハルビン特務機関へ配属。 敗戦後、ソ連の収容所に。 49年2月、反ソ・スパイ行為の罪で、重労働25年の判決。 スターリン死去後の特赦で、53年12月、帰国。
(講談社文芸文庫 『石原吉郎詩文集』 より)

ちょっと想像を絶するシベリア抑留、強制収容所体験に、圧倒される。

 海が見たい、と私は切実に思った。 私には、わたるべき海があった。
 そして、その海の最初の渚と私を、三千キロにわたる草原と凍土がへだてていた。
 (石原吉郎 「望郷と海」 より)

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2007年2月27日 (火)

【雑】雲遊天下34号

須藤もんさんが投稿している、ビレッジプレス社の季刊誌 「雲遊天下」(うんゆうてんが)の34号がこれ。
Unyuutenga34編集後記で、次のように紹介されている。

「須藤もんさんの歌を初めて聴いたのは今年の春一番。 記憶の底が微かに揺れ、もう忘れ去ったつもりでいたことや棄てたものなどがぼんやりと浮かび上がってくるような不思議な体験だった。 (略) 静けさの漂う歌の世界とは対照的な話はとても面白く、今回登場してもらった。」

『雲遊天下』 第34号 (2003年10月)  株式会社 ビレッジプレス
 「千字一話 編笠山の歌姫」 須藤もん

編笠山は、八ヶ岳連峰の南端にある、文字通り編笠のようにまるい、姿かたちのいい山(標高2524m)。
その北側の鞍部(標高約2400m)に、山小屋(青年小屋)がある。
彼女の歌の原点のひとつといえる。

Sudomon_7須藤もん ファースト・アルバム 「かえろう」
 2002.7.1発売 (売り切れ)
 ※ジャケット写真は 高円寺「稲生座」で撮影
須藤もん公式サイト
http://homepage2.nifty.com/sudomon/

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【楽】さよなら、泣き暮らした日々

ちょっとタイトルが長いか。
Nishikawa_hibiki_1郷ちゃんのソロ・アルバム 「郷音 hibiki」の一曲目、「傾いた人」 のワン・フレーズ。
♪ さーよーなら なきくーらしーたひーび
これが好きだ。
こころに響くフレーズがひとつでもあれば、そのアルバムがぼくの愛聴盤になる。
このアルバム、西川郷子さんの才能がひかる。
若干、アレンジが凝りすぎという印象もうけるが、よく聴くと意欲的な工夫があちこちに施されているように思う。
なによりも、ぼくは郷ちゃんの澄んだ歌声にうっとりする。
発売元であり、上々颱風の現在の所属事務所でもあるM&Iカンパニーのサイトに、郷ちゃんの大きな写真があった。かわいらしいね。
http://www.mandicompany.co.jp/

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2007年2月26日 (月)

【演】阿国

きのうの朝、民放のテレビを見ていたら、木の実ナナさんが出ていた。
「いつみても波瀾万丈」 という日本テレビの番組。
http://www.ntv.co.jp/haran/

4年前に、木の実ナナさん主演のミュージカル 「阿国」 を見た。
Okuni2003左がそのときのちらし。
原作 皆川博子 『二人阿国』 (新潮社)
歌舞伎のルーツといわれる「かぶき踊り」の創始者、出雲の阿国をえがいた小説だ。
ミュージカルは、その原作の骨格を生かし、上々颱風の音楽を得て、現代風な味つけをしたもので、なかなかみごとな舞台だった。
今年また、このミュージカルが上演される。
http://eplus.jp/sys/main.jsp?prm=U=88:P0=GGWB01:P10=1:P2=006592:P5=0001:P6=001
新橋演舞場で3/3から3/29までの公演。
http://www.shochiku.co.jp/play/enbujyo/
4/3から4/15、京都の南座でも。
前回同様、池畑慎之介が共演し、上條恒彦、上々颱風らも共演する。
行きたいけれど、ちと高いし、どうしようか迷っている。

出雲の阿国をあつかった小説では、有吉佐和子の 『出雲の阿国』 (中央公論社)もおもしろかった。
皆川博子のものとちがって、こちらはかなり史実を追った内容で、よみごたえがあった。

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2007年2月25日 (日)

【雑】雛人形

男の兄弟だけだったので、こどもの頃から雛人形には縁がなかった。
鯉のぼりは、大きなものがあったけれど。
ちいさな雛人形を飾りたくて、結婚してからかみさんが探してきたのが、これ。
そうえいば、去年は出し忘れてしまった。
今年は、ちゃんと大安の日に飾った。
高さ8センチほどの、かわいらしい陶器の人形。Hina

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【遊】春はもうすぐ

夕方になって冷えてきたけれど、昼間はひざしが暖く、いい休日だった。
二週間ぶりに、「おふろの王様」へ。
ミスト・サウナで汗をかいてきた。

団地の木々も、そろそろ芽吹いてきた。
コブシ(辛夷)の冬芽が大きくふくらんで、ほころびかけていた。
今年の春は、花のあたり年かもしれない。
こんなにたくさんの冬芽をつけている。
0702250007_1 







梅も満開。
070225000307022500020702250001   

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2007年2月24日 (土)

【雑】須藤もんさんのエッセイ(牡丹悼歌)

数日前にも書きましたが、須藤もんさんが執筆したエッセイ
「牡丹悼歌」 が、情報誌 「ぐるり」 2007年2月号 (株式会社 ビレッジプレス/東京 発行) に掲載されました。

Gururi200702さきほど、この雑誌を須藤さんからいただき、編集者から掲載許諾が得られましたので、須藤もん公式サイト
http://homepage2.nifty.com/sudomon/
のニュースリリースのページに、情報掲載しました。

須藤さんの歌 「牡丹悼歌」 誕生にまつわるお話が書かれています。
じーんとくる、いい話でした。

この小冊子は、ぼくの知っているところでは、高円寺の "古本酒場" 「コクテイル」 に置いてありますが、出版社のサイトから通信販売も受けつけています。
シバさんの特集や、コクテイルの狩野さんの連載エッセイ、ライブ情報など、小冊子ながら濃い内容です。
この機会に、ぜひお買い求めください。

株式会社 ビレッジプレス のサイト
http://homepage1.nifty.com/vpress/

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2007年2月22日 (木)

【楽】郷音

西川郷子さんの初ソロ・アルバムが手に入った。 ネット予約販売。
ああ、やっぱりぼくはこの人の歌声が好きなんだな、と納得。
夜も遅いので、PCでひっそりと数曲だけ聴いただけだが・・・いいアルバムだ。
また後日、紹介しよう。

Nishikawa_hibiki西川郷子 『郷音 hibiki』
 ポニーキャニオン/エム アンド アイ カンパニー
 MYCD-30410  2007.2.21発売  3,000円(税込)

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【楽】稲生座

高円寺の北口に「稲生座」というライブハウスがある。
「いなおいざ」と読む。

Inaoiza写真は、6年前に撮ったもの。
須藤もんさんは、1999年からこのお店でときどき歌っている。
その稲生座のマスターが亡くなった。
ここによく出演している方のブログで知ったのが、昨夜のことだ。
今日が告別式だったという。
このマスターとは、ついぞ親しくお話することもなかったが、いつもお店に行ったときは軽く会釈ぐらいはしていた。 ぼくにとっては、そういう淡い関係だったが、ぼくはこの人が好きだった。
須藤もんさんの初アルバム発売記念ライブにも、お店を休んで皆さんで応援にきてくださった。
まだお若かったはずだ。 いろんなことが思い出される。
さびしい・・・。
ひとり自宅で、追悼している。

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2007年2月20日 (火)

【読】人生論

よりによって、こんな気恥ずかしいタイトルをつけることもなかろうに・・・。
いや、ほんと、恥ずかしい。
それでも、中学生の頃にちゃんと読んでおけばよかった、と思う本が多い。
その一方で、中学生の頃ならとうてい理解できなかっただろうな、と思うものも多い。
「人生論」である。

Seko_jinseiron懲りずに、しつこく、勢古浩爾さんの本を読んでいる。
『結論で読む人生論』
 ―トルストイから江原啓之まで―
 (草思社 2006.5.31)
なかなか面白い本なのだ、これが。
「ひとは人生でふたつの台地を登る」 という譬え(たとえ)がいいな。
いかにも「腑に落ちる」表現で、好きだ。
<ひとは人生でふたつの台地を登る。 年齢という台地と、社会的位置という台地だ。 だれもがそのふたつの台地を登り、長い平坦な道を歩いてから、坂を降りてゆく。 台地の高さも傾斜も形状もひとによってちがうだろう。 登るときの人生、歩むときの人生、下降するときの人生は、それぞれ異なるだろう。・・・> (第1章 賢者かく語りき P.15)
わが身に引き寄せてみると、そろそろ下り坂が近いのかもしれない。 見えてきた、と言えばいいのか。
あれこれ悩みながらも、日々を生きていくのだろうな。

こんなくだりもある。
幸田露伴の 『努力論』 を引き合いにして――。
<努力が「吾人の未来を善くするもの」ということを、いまの人間たちは信じられなくなってきているのだろう。 努力してもしなくてもどうせ将来がだめなら、努力なんかしても無駄だ、ましてや努力した挙句に会社に捨てられるではないか、というわけだ。 大体、努力しろというのなら、その対価となる保証をよこせ、というのである。 なにがちがうのか。 人生観がちがってきているとしかいいようがない。 自分の力で台地を登っていこうとする人生観と、台地よおまえが低くなれ、ならないなら他に自分だけの気楽な丘を作ればいいんだ、という人生観のちがいである。> (第5章 まじめな人生はつまらないか P.152)

これまで、ぼくは、人生を山登りに譬えて考えることが多かったが、ちがったな。
山登りは、遠大な目標をたてて(とりあえず頂上が目標になる)、そこを目指してゆっくりゆっくり、ペースを乱さないように一歩一歩・・・という感じだが、さて、頂上に着いたら下山ということになり、それが登りとおなじぐらい長い道のりなのだ。
そもそも、人生の目標など立てたこともないし、生きていくうえで、ゆっくりと下り坂ということもないだろう。
いつまでも、頂上でのんびりしていたいものでもあるし。
台地、と考えると、なるほどと思う。
台地の上をうろうろしながら、気がついたら台地の端まできている、後はその台地を下ってゆく。 そう考えることにしようか。

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2007年2月17日 (土)

【読】文庫二冊

今週は、いい本を二冊読んだ。
ほとんど電車やバスの中で読んだのだけれど、活字が大きくて助かったな。

Minami_nobutaka『八重子のハミング』 陽(みなみ)信孝 著
 小学館文庫 2005.7 476円(税別)
  (単行本 2002.5 小学館)
みずから三度の癌手術から生還し、若年性アルツハイマー病に冒された奥様(八重子さん) を最後まで介護した、陽(みなみ)信孝さんの手記。

陽さんは、1939年山口県萩市生まれ。
30年間、教職に携わり、退職後は教育長などを歴任。
萩金谷天満宮の宮司もつとめ、山口県歌人協会理事でもある。
1991年胃癌が発見されたが、全摘手術が成功。
その頃から奥様の様子がおかしくなり、やがて若年性アルツハイマー病に冒されていることがわかる。
この本(2002年5月に単行本)が出版された直後、奥様は亡くなる。
文庫本には、「終章 かあさん、ありがとう」が追加されている。
随所に、陽さんの短歌(三十一文字のラブレター)が挿入されている。
 幼子に 帰りし妻の 手をとりて
   今も変わらじ 若き日のぬくもり
 ぬいぐるみ サンダルくつを 手に持ちて
   歌口ずさみつつ 妻は歩めり
題名の 『八重子のハミング』 は、アルツハイマー病がだんだん重くなっていく八重子さんが、最後まで歌に反応し、ハミングしていたことに由来する。八重子さんは、家庭科と音楽の教員をしていた。信孝さんとは職場結婚だった。

Ooyama_shirou『山谷崖っぷち日記』 大山史朗 著
 角川文庫 2002.8 495円(税別)
  (単行本 2000.7 TBSブリタニカ)
大山史朗さんは、1947年生まれ。
大学の経済学部を卒業しサラリーマンになるが続かず、転職を繰り返したあと工員生活などを経て、77年大阪西成で労務者になる。
87年から東京山谷に移り、ドヤ街のベッドハウスに住み、日雇い労務者として生活しながらこの手記を書いた(2000年、開高健賞受賞)。
この本は、勢古浩爾さんの 『ぶざまな人生』 という著書で知った。

また、上の 『八重子のハミング』 も勢古さんの 『新・代表的日本人』 に陽信孝さんがとりあげられていて、そこで知ったものである。
二冊とも感動的な本だった。

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【読】ぐるり

ぐるり という小冊子(情報誌)が、ビレッジプレス という出版社から出ています。

ビレッジプレス
http://homepage1.nifty.com/vpress/

情報誌 「ぐるり」
●2007/2 月号 (隔月刊) ISBN978-4-89492-121-4 \399

http://homepage1.nifty.com/vpress/indexmagazine.html

この2月号に、須藤もんさんの書いた文章 「牡丹悼歌」  が掲載されています。
ぼくもまだ読んでいませんが、通信販売されています。
ご興味のある方は、お買い求めください。

また、『ぐるり』の編集をされている方のブログ 「ぐるり的生活」 もおすすめです。
http://gururi04.exblog.jp/

須藤もんさんは、同じ出版社から発行されている 「雲遊天下」 (うんゆうてんが) という雑誌にも書いています。
ひとつ、よろしく。
季刊 「雲遊天下」 ●第34号(2003/10) ISBN4-89492-044-1 \840
・千字一話…須藤もん…編笠山の歌姫

もうひとつ、須藤もんさんの文章。
情報誌 「ぐるり」
●2005/4-5月号 ISBN4-89492-084-0 \399
・吉祥寺音楽祭のこと…須藤もん

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2007年2月15日 (木)

【楽】須藤もんさん 最新スケジュール

公式サイトへの掲載は、週末になりそうなので、とり急ぎここに掲載します。
楽しみなライブが続きます。
  * 2/16 須藤もんサイトに掲載しました *
  http://homepage2.nifty.com/sudomon/

●3月3日(土) 国分寺 giee(ギ-)
ロザランド主催 国分寺フォークジャンボリー Vol.6
PM7:30~/CHARGE¥500
出演者 ロザリ- 安田嘉文 紗羅 柿木有加子 須藤もん
国分寺市本町2-3-9 三幸ビルB1 TEL:042-326-0770

●3月15日(木) 国立 地球屋
PM7:30~/CHARGE¥1,000
 (同日出演者あり)
国立市東1-16-13 諸橋ビル地下1階 TEL:042-572-5851

●3月31日(土) 前橋 Cool Fool
PM9:00~/投銭
出演 対馬照 須藤もん 重兵衛 青島三(チンタオスリ-)
前橋市千代田町5-2-10 SATOビル2F TEL:027-237-1655

●4月30日(月・祝) 国分寺 giee(ギ-)
詳細未定 「めおとライブ」
出演 対馬照 須藤もん  ゲスト 五十一(大阪)
国分寺市本町2-3-9 三幸ビルB1 TEL:042-326-0770

●5月6日(日)吉祥寺音楽祭
吉祥寺北口ス-パーステージ

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2007年2月12日 (月)

【遊】温泉と蕎麦

「おふろの王様」 へ。
自宅からの距離をはかってみたら、約3km、車で7~8分だった。
自転車だと20分ぐらいか。
休日の昼間、混雑していた。

07021200040702120003風呂あがりに、館内の食堂で十割蕎麦を食べる。
この食堂もこんでいて順番待ちだった。
今日も、ざるそば(ここには「もりそば」がない)、大根サラダ、そして試みにおぼろ豆腐を注文。
今日気がついたのだが、ここの蕎麦粉は北海道の知床産だという。
北海道はたしかに蕎麦の産地だが、珍しいと思った。 近ごろはそうでもないのか。
おいしかったな。

070212000707021200050702120006    

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【雑】あさのうた

タイトルに深い意味はないけれど。
ひさしぶりに、朝日が昇る光景をおちついた気分でみることができた。

07021200010702120002_1平日なら、この時間帯は通勤の途中、バスか電車の窓からみる光景。 日の出が早くなった。 冷えこみもゆるくなった。
あっというまに明るくなって、今日も快晴。
こんな気分のいい朝に思いだすのが、上々颱風の「朝の歌」という歌。
なんのひねりもない曲名だが、ふつうの言葉で綴られた佳曲。

Shangshang11_1上々颱風 『上々颱風 11』
「朝の歌」 作詞/作曲 紅龍
 あなたの歌が好き どんな歌声より
 たとえば大空飛ぶ朝の鳥の歌 ・・・

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2007年2月11日 (日)

【雑】柑橘類

くだものが好きで、よく買ってくる。
いま美味いのは、ぽんかん。
みかんの時期がそろそろ終わりになると、このぽんかんがおいしくなる。
今日は、スーパーで伊予柑をみつけて買ってきた。
甘みの強い柑橘類だが、水気があっていい。
ぱさぱさの柑橘類ほど淋しいものはないから。

くだものといえば、こどもの頃からりんごが好きなのだが、近ごろ美味しいりんごにあたらない。
木のりんご箱に籾殻といっしょに入っていた、あの美味しいりんごはどこへ行ったのだろう。
皮ごとまるかじりしたくなるような、紅玉。
甘酸っぱいあの味は、こどもの頃の思い出になってしまったようだ。

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2007年2月10日 (土)

【遊】今日のおでかけ

どんよりとした曇り空、ときどき陽ざしもあり、暖かい一日だった。
車であきるの市へ。
あきるの市は、秋川市と五日市町が1995年に合併してできた。
http://www.city.akiruno.tokyo.jp/
多摩川の支流 秋川沿いの町で、五日市街道が通っている。

あきるの市の霊園で月例の墓参をしてから、西へ。
JR五日市線の終点 武蔵五日市駅の前を過ぎて檜原村へ。
http://www.vill.hinohara.tokyo.jp/
ここには、仏沢(ほっさわ)の滝があるが、その滝の入口にあるのが「檜原とうふ ちとせ屋」。
0702100001人気のある豆腐屋さんだ。
http://www.hinohara-tofu.com/
ここで、油揚げとざる豆腐、それに、冷凍の豆腐ハンバーグなどを買う。
ここの「うの花ドーナツ」もおいしいが、今日は試食のみ。

五日市に戻り、「一穂(いっすい)」という蒟蒻屋さんへ。
この店は、場所がわかりにくく、知る人が少ないかもしれないが、いい店だ。
0702100007「十里木(じゅうりぎ)」という交差点から北へ入り、秋川にかかる橋を渡ってから枝道に入ったところだ。看板も出ていないが、写真のように風情のある店。
ところてんや蒟蒻そばがおいしい。 干し蒟蒻という珍味もある。
今日はこんにゃくと柚子味噌を買った。

五日市街道から北へ。 峠を越えて奥多摩の吉野街道へ。
吉野梅郷近くにあるのが、「獅子口屋」という店。
ずっと以前、川苔山の中腹に獅子口小屋という山小屋があった。
一度だけ、この山小屋でひと休みしてわさび漬けとお茶をいただいたことがある。
0702100009_1その獅子口小屋を復元した売店がこの店。
わさび漬け、きゃら蕗の佃煮など、特産品が並ぶ。
ここで「食べる唐辛子」というふりかけ状の唐辛子のパックを買う。
この唐辛子ふりかけは、味噌汁やそば・うどん・ラーメンにかけたり、カレーに入れたり、炒めものに入れたり、と、重宝している。
http://www.bekkoame.ne.jp/~kabutoya/present/start.html

こんな感じで、今日は多摩名物買い物の小ツアー、といったところ。
梅の花があちこちで見られた。 梅のさかりはこれからだな。 

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2007年2月 9日 (金)

【読】飽きずに勢古本

最近、あきれるほど【読】(読書日誌)ばかりだが、やむをえない。
【遊】(おでかけ日誌)に書くネタもないし、【楽】(音楽日誌)に書くほど音楽も聴いていないので。 【山】(山日誌)も、思い出ばなしになってしまうのが、淋しい。

Seko_ganbun_2性懲りもなく勢古浩爾である。
『ああ、顔文不一致』 (洋泉社新書y 144 / 2005.12発行)
意図がよくわからない本ではあったが、それなりに面白かったな。
<人間は「かんばせ」で生きることができるのである。>
なんて、なかなかいいセリフもある。
この人の本は、ちょっと悪ふざけが過ぎるんじゃないか、と心配しながら読んでいると、最後の落しどころというのか、胸にズシンとくるものがあって、それが魅力なのかもしれない。
五木寛之ファンでもある(そんなこと公言していいのかどうかわからないが)ぼくにとっては、嬉しい一言も。
<五木寛之の覚悟はほんものか。 (略) それでも五木の覚悟はほんものである、といっていいはずである。彼の顔が担保だ。>
これだけだと、なんのことかわからないが、上の「(略)」の部分はこうだ。
<小説よりも、現在の作物のほうにこそ、五木の「文」はあるという気がする。 ほんものだといっていいはずである。 もしこの「文」がほんものでなかったら、他にほんものはないだろう。 だって『大河の一滴』『人生の目的』『運命の足音』『他力』『元気』『不安の力』『天命』『百寺巡礼』 だよ。 『蓮如』もある。 たまったもんじゃない。 いや、伊達や酔狂でこれだけほんもの的、覚悟的なものが書けるはずがないのである。>

あとがきで、なぜか沢木耕太郎の『天涯』という著作にふれている。
勢古さんは、写真を撮られるのも、著作に顔写真を載せるのも嫌いだという。
そういえば、ちくま新書にぼやけた写真があるだけで、この洋泉社の新書やPHP新書には写真を載せていない。 ちょっと立川志の輔似の顔だと思うが。
写真を撮られるのが苦手なので、自分で小さなカメラを買って「撮る側に回ることにした」という。
そんな話の後で、『天涯』にふれ、あれほどの写真は撮れないと言っている。
カメラを買った「遠い理由」が、「沢木耕太郎氏の『天涯』に影響を受けたこと」だという。

とまあ、こんなことを電車の中で読んだので、昼休みに近くのBOOK OFFで『天涯』(三分冊)の一巻目を入手。
単行本ではなく文庫(集英社文庫)で、写真の小さいのが物足りないが。
いい写真ばかりである。 勢古さんでなくても、こういう写真が撮れるといいな、と思う。

Seko_nihonjin_2『新・代表的日本人』 (洋泉社新書y 165 / 2006.12発行)
今日から読みはじめたのだが、これはいいな。
先の本の、くだけた語り口とは打って変わって、真面目な文章である。
「内村鑑三の名著『代表的日本人』を念頭においている」のだそうだが、しかも「いうまでもなく」と断っているのだが、いかんせん、ぼくは内村鑑三など名前しか知らない。
・・・そんなことはともかく、8人の気骨ある日本人を紹介している本なのだ。
広瀬武夫(日露戦争の旅順口封鎖作戦で命を落とした軍人、司馬遼太郎『坂の上の雲』にも登場していた)、次に、石光真清(広瀬武夫と同じ、明治元年生まれ)が登場する。
(今日読んだのがこのあたり)
石光真清は、四分冊(中央公論文庫)の手記で馴染みがふかい。
ただし、この四冊、たぶん、ちゃんと読んでいなかったのだ。
勢古さんのこの本で、あらためて石光真清の生涯のアウトラインを知り、すごいもんだと感心した。
石光真清の「手記」も、ちょっと前から読み始めたのだが、いまは中断。
一度にいろんな本を読めるほど器用じゃないので、あらためて、ということにしてある。

・・・なんだか、いっぱい書いたな。
明日は、ひさしぶりの「おでかけ日誌」が書けるとおもう。
車で、月例の墓参(あきる野市)の後、こんにゃく屋(一穂)、豆腐屋(桧原村のちとせ屋)へ、というコースを予定している。

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2007年2月 6日 (火)

【楽】上々颱風シアターLIVE

今年も、こんな時期になったんだなぁ。
上々颱風の、恒例「世田谷パブリックシアター」劇場ライブ。
きょう、M&Iカンパニーから案内メールが届いた。
5/xx(土)、xx(日)の2日間、計4回の公演
 ※公式サイト未発表なので、日付はまだ伏せておこう。 ↓追記

ここ数年、このシアターライブと、七夕の花園神社(新宿)ライブぐらいしか行かなくなったが、いつも元気になるライブである・・・さあ、「魂の解放」。

上々颱風official website
http://www.mandicompany.co.jp/sst/sst_top_.html
(この公式サイトのライブ発表は、いつもおそいが、そのうち掲載されると思う)

あっ、さとちゃん(西川郷子さん)のアルバム発売記念ライブも、4月にあるぞ。
これは公式サイトに載っている。 行きたいなぁ。

【2007/2/8追記】
公式サイトを見直したら、発表されていたので、公演日を書いておこう。
4回公演じゃなくて、2回だった。ぼくの単純な思いちがいでした。失礼。
 5月12日(土)開場18:30/開演19:00
 5月13日(日)開場15:30/開演16:00
先行予約受付中なのだが、これがなかなかいい席にあたらなかったりして。
ここ数年は、一般発売を待って買っていたため、2階席。
2階席から見おろすのもまた一興かも。
なかなか面白い劇場です。 ここでのライブは見ものです。

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【雑】シクラメン、ゴメン

われながらしつこい性格なのである。
しかも、しょうもない駄洒落まで口にして(タイトル)・・・まったく、もう。

2007年2月4日(日) 【雑】シクラメン(続) に関して、
信頼する友人が、Wikipediaの引用について指摘してくれた。 ありがとう。
うーん。 たしかに、あの「食用」というくだりは、ぼくも眉唾ものだとは思ったが、無造作に引き写してしまった。

こういうことは気になるタチなので、書店でしっかりした植物事典を探した。
図書館で時間をかけて調べてみたいことではあるが、とりあえず。
『図説 花と樹の事典』 木村陽二郎 監修 / 植物文化研究会 編
 (柏書房 2005.5.10)
シクラメンの項を見ると、【歴史・文化】として次のように書かれていた。

<古代ギリシア・ローマ以来ヨーロッパでは、塊茎を薬用にする植物として知られていた。 ギリシアのディオスコリデスは『薬物誌』に通径の薬として、ローマのプリニウスは『博物誌』にあらゆるヘビの毒に効き、魔除けになると記している。 中世には耳の疾病の治療ほか、媚薬としても使われ、薬種店で塊茎が売られていた。>

食用うんぬんは、どこにも記載がない。
友人が教えてくれた『日本大百科全書』の記述も、これを裏づける内容だ。 要するに薬草として用いられたらしい。

ネット検索は便利で、よく利用するが、記事の引き写しはよくなかったなぁ・・・と、反省。
ことに、Wikipediaは「一般人が共同で執筆・編集して作り上げる百科事典」というサイトだから、その内容・精度にもとうぜんバラツキがあるし、まちがいもあるのだろう。
気をつけよう。

ということで、シクラメンでごめんなさい。 くどいか。

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2007年2月 4日 (日)

【雑】シクラメン(続)

シクラメンについて、Wikipedia で調べてみたら、こんなことがでていた。

【シクラメンの歴史】 ― Wikipedia ―
シクラメンは元々地中海沿岸、トルコからイスラエルにかけて原種が自生している。名前は花茎がはじめ丸まった状態で発生することから「サイクル(Cycle)」から命名された。 古来は花ではなく、塊茎の澱粉を注目され、サポニン配糖体を含む有毒にもかかわらず「アルプスのスミレ」などの美称があり、食用とされていた。大航海時代以後ジャガイモがもたらされると、シクラメンを食用にする習慣はなくなった。

そうか。 食べられるんだ。
この近く(東京都西多摩郡瑞穂町)には、シクラメン街道という場所もある。
http://www.town.mizuho.tokyo.jp/midokoro/sikuramen/sikuramen.htm

以前は、あまり好きな花ではなかった。 その理由は、じぶんでもわからない。
ちかごろ、好きになってきた。 家のなかに小さな鉢植えの花があるのはいいことだなぁ。

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【雑】シクラメン

けっして水やりを怠っていたわけではないのに、出窓に置いてあるシクラメンがすっかりしおれていた。
原因は、受け皿から水を吸い上げるフェルトに、苔がたくさんついていたためらしい。
上から水をやって、生き返った。 フェルトもきれいに掃除したから、これからは受け皿から水を吸い上げるだろう。 ・・・ごめんね、おざなりな世話をしていて。
07020400060702040007ところで、このシクラメン
原語は cyclamen (サイクラメン)。
さらに英名は sowbread、これを明治初期にブタノマンジュウと直訳したことがあるという。 breadを饅頭と訳したわけだ。
これではあんまりだ、ということで、牧野富太郎がカガリビバナ(篝火花)と命名した。 なかなか詩的な名前ではないか。

【コンサイス カタナナ語辞典 第2版 (三省堂)から】
シクラメン cyclamen ← ギリシャ語 kyklaminos ← kyokos(円)
サクラソウ科の多年草。西アジア原産。ハート形の葉で、春、赤・白・紫色などの炎のような花をつける。観賞用。和名ブタノマンジュウ(豚の饅頭)、カガリビバナ(篝火花)。 花ことば「はにかみ」「過ぎ去ったよろこび)。・・・語源は、結実すると花柄がくるくると巻き込むことから。 ブタノマンジュウは明治17年(1884)東大助教授大久保三郎が英名 [sowbread]を直訳して命名。 その後明治末期に牧野富太郎がカガリビバナと命名。

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2007年2月 3日 (土)

【読】勢古さん三冊

勢古浩爾さんのPHP新書三冊。
『「自分の力」を信じる思想』 (PHP新書 169) 2001/9
『おやじ論』 (PHP新書 242) 2003/3
『ああ、自己嫌悪』 (PHP新書 370) 2005/10
Seko_jibunSeko_oyajironSeko_jikokeno他にもまだ出版されている著作があるかもしれないが、ぼくがみつけたものはこれだけ。
新書ばかりである。
この人は、ハードカバーの大げさなつくりの本を好まないのかもしれない。ペーパーバックが似合っている。
この人は信頼できるな。
たとえば、次のような言葉が、(ぼくにとって)その裏づけだ。

<現在、最も真摯に人生の意味を問いつづけている作家は、五木寛之を措いてほかにはいない。 顔が美形だから、作家の余技と見られがちだがかれの人生論は信用ができる。 特徴は「暗さ」である。 そこがまたいい。>
<波乱万丈とか人生は楽しまなきゃ損だ、とか言っているやつらの考えに対置するには、この「みっともなくても生きる。苦しくても生きる」というのは有効である。 「人間の人生」を受け入れよ。 そのなかで翻弄される「自分の人生」もまた受け入れよ、と五木は言っている。 受け入れて、とにかく「生きる」ことだ、と。>
  ― 『ぶざまな人生』 洋泉社新書y 第六章 P.211~ ―

「人間の人生」「自分の人生」とは、こういうことだ。
(おなじ『ぶざまな人生』 第一章から)

<ひとは「人生」というものがどこかにある運命のように語る。 なんでも生じ、なんでも入る器のように。 「それが人生」だ、というように。 そのような「人生」はあるのか。 ある。 それが「人間の人生」だ。 自分のちっぽけな意思など翻弄してしまう「人生」である・・・(中略)。
そのような「人間の人生」に抗いながら、なおも自分の意思で生きようとするのが「自分の人生」である。 その必死さが、健気ともぶざまともなる。 これ以外にあるほかない人生は、この「ぶざま」以外に生きることのできなかった人生である。>

部分的な引用なので、わかりにくいかもしれないが、ぼくは大きくうなずくことができる。
吉本隆明さんについて、こんなことばも書いている。

<若くして胸に刻んだ言葉は、ひとつである。 日々の生活は平凡で退屈でくそおもしろくもない、という考えはよくありがちな根本的な錯誤で、そのような生活のなかにこそ波瀾も万丈も修羅もあるのだ、という吉本隆明の言葉である。 (中略) もし真に平凡な人生というものがありうるなら、それは理想の人生と言っていいのではないか。 わたしは「平凡」も「ふつう」も軽蔑しない。>

「喝!」

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【読】勢古さん四冊

とうぶん、はまりそうだなぁ。
勢古浩爾 『ぶざまな人生』 (洋泉社新書y076 2002/12)を読み始めている。
おもしろく、ためになる。身に沁みる。

その他、洋泉社から数冊出ている。
画像は省略するが、PHP新書からも数冊。
じつは、すべて手元にある。 読んでみようと思う。

だいたいの内容は、帯の文句で想像がつくと思うが、『新・代表的日本人』 がとくに興味深い。
広瀬武夫、石光真清、中江丑吉、小倉遊亀、笠智衆、須賀敦子、白川義員、陽信孝、の八人がとりあげられている。勢古さんが選んだ、「世界に誇るべき日本人」だという。
(石光真清、笠智衆、白川義員の三人以外、ぼくはよく知らないが)

Seko_buzamaSeko_ganbun_1Seko_shirasu_1Seko_nihonjin_1   

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2007年2月 2日 (金)

【読】勢古さん二冊

どうも、この「さん」という呼び方が、じぶんでも落ち着かないのだが、「氏」と呼ぶのもなんだし、呼び捨てにもしにくいので・・・。

この一週間で、勢古浩爾さんの新書を二冊読んだ。
Seko_zokubutsuSeko_mitomeyo勢古浩爾
『この俗物が!』
 (洋泉社新書y 100) 2003/12
『わたしを認めよ!』
  (洋泉社新書y 018) 2000/11
タイトルこそきついが、じっくり読ませる本。

『この俗物が!』
<俗ニ生キ俗ニ死ス人間が、それでも生きる覚悟において非俗でありたいと願う人々に贈る、おもしろくて切ない「当世俗物図鑑」>
これでも、まだ胡散臭い気がしたが、読み始めるとうなずくことばかり。
終章、「非俗の人」(第五章)で、沢木耕太郎の『無名』にえがかれた、沢木耕太郎の父親のことをとりあげている。
この『無名』をぼくは読んでいないが、勢古さんはここで次のように書いている。
<沢木耕太郎は父親を八十九歳で失ったが、その死(と生)を書いた『無名』(幻冬舎)は佳品である。 前もっていっておくと、その父親が非俗の人である。 この親にしてこの子あり、というほどにはわたしは沢木自身を知らないが(本だけは多少読んでいるが)、たぶん父親はその徹底した非俗性においてはるかに沢木以上である。 余計なお世話だが、『無名』というタイトルよりも、「非俗の人」のほうがよりふさわしいと思えてくる。 このような人がいるのである。 そして、このような人がいるということは、ほかにもいるということだ。>
これに続けて、『無名』から引用して、沢木耕太郎の父親がどういう人だったかを紹介している。
沢木さんの父親のような存在は、ショックだった。
『無名』を読んでみようと思う(BOOK OFFで購入)。

もう一冊、『わたしを認めよ!』は、承認論といえばいいのか。
章立てが、まるで『共同幻想論』(吉本隆明)のようだ。
「孤独論」「自己証明論」「家族承認論」「性的・社会承認論」「反承認論」「普通論」「最終承認論」。
もちろん、吉本さんほど難しくはないが、この著者の他の本と比べると語り口が静かで重い。

承認とはなにか。 著者によるとこういうことだ。
<「承認」とは、他人によって、最終的には自分じしんによって、自分という存在が認められ、受け入れられることである。 「認める」とは、より多く、行為や態度に関わるものであり、「承認」とは、それらを包摂してなお、存在そのもにに関わるものである。>
<ひとは承認なしでは生きられない。 この低能が、という一言によって、あるいは最低の男ね、という面罵によって、わたしたちはいとも簡単に傷つく。 自分という存在がその瞬間に転覆しそうになるのだ。 傷ついたあとで、猛然と反発する。・・・>

第三章「家族承認論」で、「無条件の承認は存在の引き受けである」という。
<おまえは「生きていても、いいんだよ」。/わたしたちは自分という存在への、この根源的な承認を必要としている。 そしてこの根源的という意味において、原則的にそれが可能なのは家族による承認をおいてほかにはない、とわたしは考える。 (中略) それは自分という存在が、たしかにこの世の中に受け入れられている心的安心であり、すべての承認のなかで最も基本的かつ重要な承認である。>

引用ばかりになったが、このように硬いことばかりが書かれているわけではなく、さまざまな本をとりあげて、それを題材に勢古さんの持論を展開している。

<本書は軽くて単純だが、すこしだけ深いのである。>
と書いているが、まったくその通りだと思う。
「軽い」かどうかはわからないが、書いていることはいたってシンプルなことかもしれない。
終章「最終承認論」で、どう生きればいいのか、ということが(もちろん著者の持論だが)理解しやくす書かれている。
五木寛之さんの『他力』が引用されているのが(いい意味で)意外だったが、ぼくは勢古さんの持論に同意できる。
この本には感動した。

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