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2007年3月17日 (土)

【読】石光真清の手記

石光真清(いしみつ・まきよ)という人がいた。
子息の石光真人(いしみつ・まひと)が次のように書いている。 こういう人だ。
<私の父は明治元年に熊本城下に生れ、稚児髷に朱鞘の刀をさして神風連、西南の役動乱のさなかをとび廻った。長ずるに及び軍人となり、やがて大津事件や日清戦争にあい、またロシア帝国の南下政策におびやかされる弱小国の一人として熱心にロシア研究を志し、ついに身をもって諜報勤務にその一生を捧げる境涯に立ち至ったのである。>
(中公文庫 『城下の人 石光真清の手記』 カバーより)

Ishimitsu1_1Ishimitsu2_1Ishimitsu3Ishimitsu4この四部作の手記の一冊目を読んでいる。 活字が極端にちいさくて目が疲れるのだが、おもしろい。
まだ、幼年期から少年期にかけての部分、明治16年に士官学校幼年生徒隊(のちの陸軍幼年学校)に入校するところまで読んだだけだが、波瀾にとんだ人生の幕開けといったところか。

このブログにしつこく書いた、勢古浩爾さんの 『新・代表的日本人』 (洋泉社 新書y)には、このように紹介されている。
Seko_nihonjin_3<広瀬武夫が生まれた三ヶ月後の明治元年八月、大分県の隣県の熊本市に石光真清は生まれた。幼名は正三。長じて陸軍軍人となる。しかし、そのことが真清を数奇な運命の波に放りこむことになる。生きているあいだには、運命などない。死んでから、運命がきまる。真清は、自分の意思で立ちながら、現在のわたしたちから見るかぎりにおいて、運命に翻弄された、というほかはない。>
(勢古浩爾 『新・代表的日本人』 洋泉社 P.46)

『城下の人』 の冒頭、真清が四歳でジフテリヤに罹り、呼吸困難に陥って危うく命を落としそうになったときのエピソードが感動的だ。
当時、ジフテリヤは「ノドケ」と呼ばれた難病で、もはや手の施しようがなく、あとは臨終を待つだけという状態になった。
添い寝して看病を続けていた真清の母(弟の真臣を身ごもっていた)は、手の届くところにあった硯箱から何を思ったか筆をとりだした。
筆の毛をむしりとり、その竹筒を真清の口の中にさしこんで、それで真清ののどに詰まっていた痰を吸いとった。二昼夜、一睡もせずに吸い続けたおかげで、真清は一命をとりとめた、という話だ。

四冊読みおえるのに、たっぷり時間がかかりそうだが、ひさしぶりに夢中になって読んでいる本だ。

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