« 2007年4月 | トップページ | 2007年6月 »

2007年5月の27件の記事

2007年5月31日 (木)

【読】地名はおもしろい

日曜日の昼は、たいていTBSラジオを聴いている。
ほぼ毎週、家の中か車の中で聴いているのが
「安住紳一郎の日曜天国」 という番組。
http://www.tbs.co.jp/radio/nichiten/
 TBSラジオ 毎週日曜日 10時00分~12時00分
 出演者:安住紳一郎/中澤有美子/外山惠理/佐藤しほ里
(外山惠理アナウンサーが好きだ)

すこし前に、この番組で紹介されていた本が面白そうだったので、買って読んでいる。
著者(今尾恵介さん)がゲスト出演していたのだ。
Chimei_isan『日本の地名遺産 「難読・おもしろ・謎解き」探訪記51』
 今尾恵介 著 講談社α新書 2007.3.20発行
著者は1959年、神奈川県生まれ。
中学生の頃から地図(地形図)を見るのが好きで、「特に、そのなかにびっしりとちりばめられた数々の地名のなかからとびきり珍しいものを見つけては、大学ノートに書き写して悦に入って」いたという人。
カバーを見てもわかるが、日本にはおもしろい地名がたくさんある。
最近の市町村合併で、古い由緒ある地名がどんどん消えていくけれど、まだまだ歴史の長い地名が残っていることを知った。
五章のうちの第一章を読んだところだが、この章だけでもたくさんの興味ぶかい地名がある。

第一章 こんなのあり!? 強烈おもしろ地名を歩く 目次から ――
極楽、長久手、大蟷螂 ―― ある朝、極楽行きのバスに乗って [愛知県]
〆引、伯母様、惣領、庶子 ―― オバサマに地名の由来を聞いてみた [神奈川県]
不魚住、馬鹿川 ―― 岩木川周辺で見つけた強烈地名 [青森県]
万字、鳩山、スウェーデンヒルズ ―― 議会承認ずみの正式地名 [北海道]

北海道の地名では、あえてアイヌ語起源ではない、和名をとりあげている。
その中に、万字、鳩山、集治監沢、月形、鶉がある。
万字は岩見沢の東にある地名で、炭鉱のあったところ。
この鉱区の所有者だった実業家・朝吹英二の家紋の卍にちなんだもの。
鳩山は、鳩山和夫(鳩山由紀夫・邦夫兄弟の曽祖父)が農場経営者だった土地(栗山町)。
月形は、有名な樺戸集治監の典獄(所長)だった月形潔の名前から。
集治監沢は、文字通り樺戸集治監の近くにあった沢。

北海道生まれの私も知らなかったことがたくさん書いてあって、おもしろかった。

それにしても、『日本の軍隊』 の後がこれか?
読書傾向に統一性がなく、おもしろそうな本なら手あたりしだいに読んでいるのだ。
それでいいのだ。

| | コメント (2)

2007年5月30日 (水)

【読】日本の軍隊(続)

Nihon_no_guntai_1『日本の軍隊』 (吉田裕/岩波新書) という本について、もう少し書きたい。
戦争は悪いこと、戦争はいやだ、という素朴な感情を持つ人は多いだろう。
私もそうだ。
だが、なぜ戦争はいけないのか、という問いに答えられるだろうか。
この本を読んで思ったのは、あれは無謀な戦争だったな、ということ。

こんなことが書いてあった。
戦時給養体制の限界(P.172) ―― 欧米諸国の場合、第一次世界大戦をきっかけにして、野戦炊さん車(当初は馬車、その後は自動車)の導入がすすんだ。 一人ひとりの兵士が飯盒などを携行して、各個に炊飯する方式から、前線に出動した炊さん車が温食を提供する方式に変わったのだ。 日本軍は、これを導入しなかった。
機械化の遅れた軍隊(P.199) ――  日中全面戦争が開始された頃、日本軍の招待で上海戦線を視察した、駐日大使館付の駐在武官の報告書。 日本軍の歩兵についてこう述べている。
<これらの歩兵隊の行軍軍紀の奇妙な特徴は、兵士の個人装備を運ぶための手助けとして、ほとんどあらゆる種類の運搬手段を使用していることである。 ・・・(中略)・・・乳母車から、人力車、・・・低い二つの取手の付いた貨車、・・・二輪車・・・。>
日本軍の兵士は、鉄帽、背嚢、雑嚢、小円匙(シャベル)、天幕、小銃、鉄剣、弾薬盒などの全ての装具、武器を身に付け、さらに、長期行軍のための予備弾薬や食糧など、全部で30キロもの重量を一人で背負っていた。
山登りの装備だって、30キロはきつい。 せいぜい20キロぐらいに抑えないと、長距離山行はできない。

ひどい戦いをしたものだ。
中国大陸では、40キロ、50キロにもなった個人装備を運ぶことができず、中国人を脅して拉致し、自分たちの荷物を運ばせたという事実。
さらに、飯盒炊さんのための燃料にも事欠き、戦地で民家を壊して木材を調達した。
「皇軍」ではなく、「蝗軍」と呼ばれたゆえんである。(蝗軍=イナゴのような軍隊=略奪の軍隊)

だいぶん前に、猪瀬直樹の 『昭和十六年夏の敗戦』 を読んだことがある。
 → http://skygarden.shogakukan.co.jp/skygarden/owa/solrenew_detail?isbn=4093942382
真珠湾奇襲の年の夏、日本の内閣で密かに対米戦のシミュレーションが行なわれていた。
(「内閣総力戦研究所」に軍部・官庁・民間から選りすぐった将来の指導者たちが集められた)
実に科学的、冷静な分析が行なわれ、その結果、日本はアメリカに勝てないという結論が出ていたというのだ。
すでに、戦う前から国力の差を認識していた人たちがいたのである。

関東軍による満州(中国東北部)占領のあたりから、どんどん泥沼に入っていった日本軍。
これが不思議でならないのだが、「皇軍」という言葉がのさばり、極端な精神主義、短期決戦主義に傾いていったあたりで、すでに日本の敗戦への転落がはじまっていたように思う。
軍部の独走という一面もあるが、それだけではないと思うのだ。

今でも、その頃と同じ精神風土が根強く残っているんじゃないのかな。
どうしようもない日本人・・・そんな気分になってしまう。
みせかけの平和に浮かれてる場合じゃないでしょうが。 ぶつぶつ・・・。

| | コメント (0)

【歩】紫陽花ひらく

もうすぐ6月。
住まいの目の前にあるガクアジサイが開きはじめていた。
うれしいな。

0705300004
















0705300003070530000107053000060705300010






ガクアジサイは、アジサイの母種だという。
花言葉は「自慢家・高慢」「冷たい美しさ」・・・ちょっとかわいそうだ。
ドクダミもこのあたりには多い。
名前が気の毒だが、可憐な花だ。      

| | コメント (5)

2007年5月29日 (火)

【読】日本の軍隊

こんな本を読んでいる。
Nihon_no_guntai『日本の軍隊 ―兵士たちの近代史―』
 吉田 裕 著 岩波新書816 2002.12.20
<1873年の徴兵令制定以来、文明開花の推進力となり、全国に近代秩序を浸透させる役割を果たした日本の軍隊。 それが、十五年戦争期のような反近代的で精神主義的な軍隊になってしまったのは、なぜか。 日本の民衆にとって、軍隊経験とは、どんな意味があったのか。 豊富な資料をもとに「天皇の軍隊」の内実を解明する。>

岩波新書、著者は一橋大学大学院の教授、とくれば、学者っぽい堅苦しい内容かと思っていたが、これがなかなか面白い。
旧日本軍を構成していたのは、階級でいえば、将官(大将、中将、少将)、将校(佐官、尉官)、下士官(曹長、軍曹、伍長)、そして兵(兵長、上等兵、一等兵、二等兵)等であるが、戦場の最前線で実際に戦い、命を落としたのは圧倒的に兵卒(そして下士官)である。
その兵卒の視点から日本の軍隊の姿を考察しているところが、この本の特徴だろう。

旧日本軍といえば、負のイメージが強く、戦後に生まれ育った私には、過去の遺物という思い込みが強かった。 だが、この本を読むと、そんな画一的な見方では捉えきれない面もあったことがよくわかる。

例えば、序章の扉に引用されている加太こうじの次の文章など、はっとするものがあった。

<(前略)私たちの仲間が、ときとして、軍隊生活や戦争の時代をなつかしむのは、ひとつには若い頃の美化された思い出にひたるからだが、その根柢には、軍隊生活より、もっとひどい浮世の苦労や、人前に出られる服装すらない貧乏や、人間を地位や学歴で価値づけて実力では評価しない周囲があるからだと思う。 軍隊にもそれはあるが、生活上の苦労とは結びついていない。 私たちの仲間には、軍隊へいって、はじめて、三度の食事の心配と、寝るところの心配をしないですむようになった者がいるのだ。>
(加太こうじ 『軍歌と日本人』 徳間書店、1965年)

本筋からはずれるが、こんな興味ぶかい話もある。
日本各地から兵を集めた軍隊では、兵士たちに標準化された軍隊教育を受けさせるために、言葉の標準化が必要だった。
そこで生まれたのが、「兵語」(兵隊言葉)で、その中には、戦後の日本語にも定着したものが多いという。
その事例としてあげられている言葉がおもしろい。
「残飯」「点検」「たるんでいる」「ボサッとしている」「処置なし」「ハッパをかける」「気合をかける」「割喰った」「適当にやる」等々。
(大久保忠利 「生きている「兵隊コトバ」」、『思想の科学』 第五巻第一号、1949年)

いやはや、驚いた。
知らないことの、なんと多いことか。

| | コメント (2)

2007年5月27日 (日)

【楽】休日、こんなレコードを聴いていた

ひさしぶりに古いジャズのレコードをひっぱりだして聴いていた。
1960年の録音。
ニューポート・ジャズ・フェスティバルに対抗して、チャーリー・ミンガスを中心に集まった気鋭のジャズメンによる演奏、2枚。
活きのいい演奏というのは、こういうのをさすんだろうな。

Newport_lebelsJazz_lifeNEWPORT REBELS
  CNADID SOPC57003 国内盤 CBS・ソニー
JAZZ LIFE !
  CANDID SOPC57012 国内盤 CBS・ソニー
Charles Mingus(b) Max Roach(ds) Eric Dolpy(as,bcl) Roy Eldridge(tp) Jo Jones(ds) Booker Little(tp) Kenny Dorham(tp) Lucky Thompson(tx) Booker Ervin(ts) Jimmy Knepper(tb) Ted Curson(tp) Tommy Flanagan(p) ・・・その他大勢(書ききれないので省略)。
まさに綺羅星のような演奏陣。
Lightnin' Hopkins(g) と Abbey Lincoln(vo) が参加しているのも嬉しい。

英語版ライナー・ノーツは、ナット・ヘントフ。
このアルバムの誕生秘話が日本語版ライナー(児山紀芳)で紹介されている。
興味ぶかいので、引用してみる。

<第7回ニューポート・ジャズ祭が企画されていた当時、ミンガスは、フェスティヴァルが経済的にも大成功を収めているにもかかわらず、その出演料が不当に安いこと、さらに、同フェスティヴァルが回を重ねるごとに当初の主旨から逸脱し、非音楽的で、コマーシャリズムにのったお祭り騒ぎに終始することが不満だとして出演を拒否。自分自身で別個にニューポートでのジャズ・コンサートを企画。ジャズ評論家で親友でもあるナット・ヘントフに協力を求めた。そこでヘントフはミンガスにエレン・ロリラード女史を紹介した。(後略)>

<ミンガスの主旨に賛同したエレン女史は、伝統的なニューポート・フェスティヴァルが行なわれるフリーボディ・パークからわずか数100メートル離れた海岸べりにあるホテル"クリフ・ウォーク荘"の経営者ニック・カノロッチと交渉、ここにクリフ・ウォーク荘でのジャズ・コンサート開催が可能の運びとなった。>

"NEWPORT REBELS" とは、ニューポートの反逆者というほどの意味。
ジャケット写真を見ると、こういうコンサートの場所にいられたら幸せだろうなと、うらやましくなる。

この2枚のアルバムに収録されている曲目は変化にとんでいて、聴きごたえがある。
なかでも "NEWPORT REBELS" 収録のその名も 「Cliff Walk」 という曲での、マックス・ローチとジョー・ジョーンズのツイン・ドラムスが圧巻。
(このアルバムに参加している Jo Jones は、マイルス・デイビスのグループにいた有名な Philly Jo Jones とは別人だ)

ナット・ヘントフ Nat Hentoff
1925年 ボストン生まれ。 ジャズ批評家、小説家、ジャーナリストとして活躍。
黒人公民権運動やベトナム反戦運動にもかかわる。
翻訳されている著書は 『ジャズ・カントリー』 『ボストン・ボーイ――ナット・ヘントフ自伝』 『ペシャンコにされてもへこたれないぞ』 など多数。
Jazz_country_1『ジャズ・カントリー』
ナット・ヘントフ 木島始訳 晶文社

| | コメント (6)

【楽】いそもんツアーへ どうぞ

7月初め、札幌、小樽、芦別の三ヶ所で待望の「いそもんツアー」。
残念ながら私は北海道まで行けないのですが、ぜひ、お運びください。

写真は、4/30 東京国分寺「giee」でのライブ風景。
五十一さんの曲 「さよなら小唄」 を二人で歌ってくれました。

須藤もんさんのアルバム 『隧道』
 
→ 須藤もんアルバム紹介
   http://yamaoji.cocolog-nifty.com/photos/sudomon/index.html
五十一さんのアルバム 『遠くはなれて』 (「さよなら小唄」収録)
 → 五十一さんのサイト
   http://www.alpha-net.ne.jp/users2/isoichi/
   アルバム紹介ページ (試聴可能)
   http://www.geocities.jp/chihirokds/isoindex
おすすめです。

Zuido_4Isoichi4_2







Giee070430_070_1Giee070430_082_1   

    

| | コメント (0)

【楽】須藤もんさん 北海道ライブ(いそもんツアー)

昨年に続いて、今年もまた北海道で、五十一(いそいち)さんとのジョイント・ライブが予定されています。
須藤もんサイト http://homepage2.nifty.com/sudomon/

いそもんツアー (五十一・須藤もんジョイントライブ)
■7月6日(金) 札幌 リブギャラリー
PM8:00/\2,500
札幌市中央区盤渓435番地26
TEL 011-622-4392
■7月7日(土) 小樽 キッチンぐるぐる
PM8:00/\2,500
小樽市入船1-6-16
TEL 0134-24-2300
■7月8日(日) 芦別 珈琲貘
PM7:00/\2,500
芦別市北二条西一丁目3番地
TEL 01242-3-0007

五十一さんの北海道ツアーは、この後も続きます。
(五十一さんのサイトでご確認ください)
http://www.alpha-net.ne.jp/users2/isoichi/

| | コメント (2)

2007年5月25日 (金)

【読】満州

とうとう、こんな本まで買ってしまった。
Manshu『【写説】満州』
 太平洋戦争研究会 編  ビジネス社
 2005/10/5
写真の力はすごいものだ。
船戸与一の小説の舞台はこうだったのか、と興味しんしん。

その他、新書を数冊。
『馬賊』 『満州事変』 『日本の参謀本部』 (以上、中公新書)、『日本の軍隊』 (岩波新書)。
もっと面白そうな本も。
『アジア・太平洋戦争史 同時代人はどう見ていたか』 (山中恒 著/岩波書店)
『昭和・平成 家庭史年表』 (下川耿史/家庭総合研究会 編/河出書房新社)

| | コメント (3)

【楽】いいなぁ

すこし前に知ったアルバムを入手。
このブログにも書いた。
(クミコという歌い手 2007/3/28)
http://yamaoji.cocolog-nifty.com/blog/2007/03/post_5707.html

Kumiko_10nen『十年 ~70年代の歌たち~』 クミコ
 2007/2/21 avex io  (IOCD 20202)
一曲目は中島みゆきが作った「十年」という歌。
以下、「闇夜の国から」(陽水)、「時の過ぎゆくままに」(阿久悠作詞・沢田研二)、「北の宿から」(阿久悠作詞・都はるみ)、「喝采」(ちあきなおみ)、「神田川」、「いちご白書をもう一度」、「ざんげの値打ちもない」(阿久悠作詞・北原ミレイ)、「プカプカ」(西岡恭蔵)、「俺たちの旅」(中村雅俊)、「今日までそして明日から」(拓郎)、「チューリップ」、「あの日、桜の下」、と懐かしい歌たちが収録されている。

この人の歌をきちんと聴くのははじめてだが、これがいいのだ。
うまいねぇ。 さすが。
「プカプカ」「今日までそして明日から」なんか、女性歌手が歌うとこうもちがうものかと感心した。

なぜか、阿久悠の作詞した歌が多い。
阿久悠は日曜日朝のNHK-FMの番組を持っているのだが、これを毎週聴いていて、奥行きのある人だなと思っていたので、このアルバムの曲目を見て、フーンと思ったのだった。

Kumiko_cd_2

| | コメント (0)

2007年5月24日 (木)

【読】読了『満州国演義』

船戸与一 『満州国演義』 2巻を読了。
Funado_manshuu_2重量感のある小説だった。
昭和3年(1928年)張作霖爆殺事件から、 昭和6年(1931年)上海事変まで、ほんの数年のあいだのできごとが時代背景。
中国大陸東北部は、謀略がうずまいて混沌としていた。
登場人物の多彩さもあって、めまいを感じた。
こってりした中華料理をいやというほど食べたような、そんな読後感。
あらためて思ったのは、船戸与一の筆さばきは、とても「映像的」だなということだ。
『蝦夷地別件』でも感じたのだが、登場人物が間近にいて、その息づかいが伝わってくるような錯覚にとらわれる。
ひさびさに小説を読む醍醐味を堪能したのだった。

週刊誌(週刊新潮)連載(2005.7.14号~2006.9.14号)をベースに、大幅加筆したもの。
続編(第三部)は満州国建国宣言からはじまる、との予告が巻末にあった。 楽しみにしたい。

― 後記から ―
(前略)筆者は昭和十九年生まれで飢餓体験はあっても戦争の記憶はもちろん中国で九・一八と呼ばれる満州事変前後の事情となるともはや遥かなる過去でしかない。 したがって執筆にあたってはすべて資料に頼った。 小説は歴史の奴隷ではないが、歴史もまた小説の玩具ではない。 これが本稿執筆の筆者の基本姿勢であり、小説のダイナミズムを求めるために歴史的事実を無視したり歪めたりしたことは避けて来たつもりである。 (後略)

なかなかかっこいい宣言なのだ。
巻末にあげられた参考文献一覧も興味ぶかいが、とてもこんなに読めないなというほどのボリューム。
いつもながら、船戸さんのパワーに脱帽。

また、何度もあげるが、新潮社のサイトに載っている著者インタビュー記事がおもしろい。
[船戸与一『満州国演義』刊行記念]
  だれも書いたことのない満州を

http://www.shinchosha.co.jp/shinkan/nami/shoseki/462302.html

| | コメント (0)

2007年5月20日 (日)

【楽】西やんのアルバム

上々颱風のベーシスト 西村直樹のアルバム。
先週の世田谷ライブの会場で入手。
Pomjohn_1Pomjohn∑ 西村直樹(b)、永田雅代(p)
 M&I Company MYP0016
なかなか面白いアルバムだ。

西村直樹(西やん) プロフィール
1967年生まれ 千葉県出身
17歳からベースを弾き始め様々なスタイルのバンドを経験し、1996年上々颱風に参加、現在に至る。 上々颱風の活動を精力的に行う。 一方、ライフワークとして即興演奏の拡張をめざす。 ベースソロから大人数の集団即興まで様々な形態に挑戦し続ける。 ギタリスト小沢あきのバイファル、渋さ知らズのチューバ高岡大祐とのユニット、サックス奏者バッキーとのトリオ、パーカッショニスト山口ともとのデュオ、そして即興ソロベースを現在活発に活動。 サポートでもヴァイオリニストHONZI、ジャズボーカル英珠のアルバム参加など多数。(CD帯から)

西やんブログ 「西やんの低音一発人生」
http://mandi.blog.ocn.ne.jp/nishiyan/

ゲストで参加している、永田雅代という人も、いいのだ。
■■鍵盤弾き■ 永田雅代 official site
http://www.k3.dion.ne.jp/~maatin/

もう一人。
西村直樹、渡野辺マント、永田雅代がバックをつとめる英珠というシンガーがいる。
ファーストアルバムを聴いて、すっかり好きになったのだが、その後、2枚のアルバムが出ているようだ。
こんど聴いてみなくちゃ。
EISHU Official Web Site
http://www.h3.dion.ne.jp/~toera/Eishu_top.html

| | コメント (2)

【読】船戸与一『満州国演義 2』

「演義」――史実を脚色しておもしろく述べること。また、その通俗的な史書。
(大修館書店 明鏡国語辞典)

Funado_manshu2_1船戸与一 『事変の夜 満州国演義 2』 (新潮社)
一巻目を読み終えて、二巻目にはいった。
西暦1930年、昭和5年、皇紀2590年、民国19年――扉にこう書かれている。
この暦の併記は、同じ著者の『砂のクロニクル』や『蝦夷地別件』を思いおこさせる。
『砂のクロニクル』(1991年)ではペルシャ暦(ジャラリ暦)が、『蝦夷地別件』(1995年)ではアイヌの暦が、西暦(グレゴリオ暦)や和暦に併記されている。
いかにも船戸与一らしい、歴史をとらえる自由な視点が感じられる。

物語は、いよいよ面白くなってきた。
敷島家の四兄弟のうち、ひとりだけ東京に残っていた末っ子の四郎も満州に呼び寄せられ、激動する歴史の渦のなかに巻き込まれていく。

季節はずれの風邪をひいてしまい、天気がいいのにどこにも出かけられず、家で本を読んでいた。
なぜだか、一年に一度、きっちり風邪をひく。
去年の今ごろも、熱をだしてうなっていたっけ。
今回も、市販の風邪薬と熱冷ましシート(ひたいに貼るやつ)でなんとか熱がさがり、ほっとしている。

| | コメント (4)

2007年5月18日 (金)

【雑】病院、医者

病気自慢のようになるので、あまり書かないようにしてきたが、実は持病があって、ほぼ隔月で某大学病院に通院している。
検査と医師の診察だけなのだが、月に二度ということもある。
大学病院が特別に好きなわけではなく、土曜日に診療している大きな病院が少ないのだ。
大学病院は、よくないな。 医師に誠意が感じられない。
流れ作業のように、マニュアル通りに患者をこなしているんじゃないか、とまで思ってしまう。
あるいは、自分の研究のための材料、学生のための練習台・・・言いすぎかもしれないが、そんな気分になってくる。
明日は、その大学病院へ行く日。
予約制とはいいながら、一時間近く待って、診察は5分かそこらなんだろうな。

こんなことを書いたのは、先日読んだ本の内容が頭に残っていたからだ。
Miyoshi_maki2ちょっと前にも、このブログで紹介した。
【読】元気のでる本 (2007.5.11)
http://yamaoji.cocolog-nifty.com/blog/2007/05/post_2384.html
『四人はなぜ死んだのか』 三好万季 著
例の、和歌山「毒入りカレー事件」の報道に疑問をもった中学3年の少女が、インターネットや書籍を調べて、食中毒でも青酸中毒でもなく、砒素による症状ではないかという結論に達した。
驚くべき少女である。
ただ・・・読んでいてちょっと引っかかったことがある。
文章がうますぎる、というか、非の打ちどころのない文章なのだ。
こちらが劣等感をおぼえるほどだった。
いくら医者を目指す少女とはいえ、こんな文章が書けるのかな?――と思っていたら、あれは父親が書いたものである、などという悪質なネット記事(噂の真相という雑誌記事らしい)が見つかって、ちょっといやな気分になった。
これはわたしの推測だが、たぶんこの子は、お父さんにきっちり添削してもらったのではないか。
(この本の中で、経営コンサルタントをしているお父さんから文章の書き方を教わったことは書かれている)
それはそれで、悪いことではないと思うのだ。
ともあれ、この本(初出は文藝春秋という月刊誌、文藝春秋読者賞を受賞している)が出版されたことで、マスコミ攻勢にあったらしい。
この本にもURLが書かれている、三好万季さんのサイトがある(更新が止まっていて、休眠中かもしれないが)。
Maki's Room http://www.platz.or.jp/~yoroz/
このサイトを見ると、若い普通の女の子という感じもする(現在は24歳)。

そうそう。
わたしは図書館から単行本(文藝春秋社刊)を借りて読んだのだが、文春文庫からも出ていたので、書店に注文しておいた。 明日、受け取ってくる予定。
http://www.bunshun.co.jp/book_db/7/65/60/9784167656089.shtml
文庫には、著者の「その後」を描く書下ろしも収録されているようだ。
解説が渡辺淳一というのが、ちょっと・・・だけれど。

| | コメント (3)

2007年5月16日 (水)

【読】船戸与一『満州国演義 1』

Funado_manshu1_1船戸与一著 『風の払暁 満州国演義 1』 (新潮社)
読み始めた。
期待を裏切らない、面白い小説だ。
以前、このブログで紹介した際
http://yamaoji.cocolog-nifty.com/blog/2007/04/post_a737.html
(4/27 【読】船戸与一と満洲)
新潮社のサイトへのリンクを載せたが、その中の「書評/対談」のページで著者自身によって、この小説の主人公たち(敷島四兄弟)について述べられている。
もちろん、この四兄弟は、船戸与一によってつくられた架空の人物ではある。

100ページほど読んだところで、次郎(馬賊の頭目)、四郎(無政府主義に傾倒する早大生)、太郎(奉天総領事館駐在の外交官)の三人が登場。 残る三男の三郎(陸軍将校)も、ちらっと顔を出した。

興味深いのは、石光真清の手記に登場していた実在の人物である、花田仲之助(陸軍少佐、浄土真宗の僧侶姿で諜報活動に従事)について触れていることだ。
また、これは実在の人物をモデルにしただけかもしれないが、馬賊の女頭目として男勝りの活躍をするお菊(山本菊子)、お静(古賀静子)など、登場人物それぞれが人間的な魅力にあふれている。

船戸与一らしい、血沸き肉踊る冒険小説であり、綿密な調査にもとづく雄大な歴史小説。

| | コメント (2)

2007年5月13日 (日)

【楽】世田谷シアター・ライブ

ここ数年、この世田谷パブリック・シアター・ライブと、花園神社の七夕ライブぐらいしか行かなくなった。
ひさびさの上々颱風ライブ。
今回、なんと一階最前列の席。 喜んだのもつかのま、ステージに据えた大きなスピーカーのまん前だったものだから、大音響におびえてしまった。
最前列というのも考えものだ(中央ならいいのだろうが)。
それでも、かぶりつきというのはいいもので、至近距離で歌姫たちの姿を満喫できた。
(ステージにむかって左端、エミちゃんサイド)

Shang_setagaya












ランダムハウス講談社から、上々颱風の絵本が出た。
絵:渡野辺マント 文:白崎映美 『ハラホロの涙』
七夕ライブのちらしも配られた。
Shang_harahoroShang_tanabata   

| | コメント (2)

【読】石光真人

石光真清のご子息で、真清の手記(四部作)を編集した石光真人の編著作。
Ishimitsu_shba_gorou『ある明治人の記録 会津人柴五郎の遺書』
 石光真人 編著 中公新書 1971.5.25発行
柴五郎は、安政6年(1859)、会津若松の上級武士の五男として生まれた。 幕末・維新の会津戦争で祖母、母、姉妹を失い(自刃)、落城後、俘虜として江戸に収容、後に下北半島の火山灰地に移封されて、悲惨な飢餓生活を続けた。
脱走、下僕、流浪の生活を経て軍界に入り、藩閥の外にありながら陸軍大将にまでなった、という数奇な生涯を送った人物である。

石光真人は、この著作の「第二部 柴五郎翁とその時代」の冒頭で、次のように書いている。
<柴五郎翁の遺文に初めて接したとき、おそらく誰もが受ける強いショックを、私も同じように強く受けて呆然とした。 呆然としたというより、襟を正したというほうが適切かもしれない。 このショックから立ちなおって、「いったい、歴史というものは誰が演じ、誰が作ったものであろうか」と答えの与えられない疑問を持ったことも、私ひとりではないであろう。>

ずっと本棚に眠っていた本だったが、このたび読んでみて、強い衝撃を受けた。

ところで、船戸与一の新作 『満州国演義 1 風の払暁』 (新潮社)
 → http://yamaoji.cocolog-nifty.com/blog/2007/04/post_a737.html
を手に入れた。 昨夜、その冒頭部を拾い読みしていたら、この鶴ヶ城落城の悲劇が描かれていた。
とうぶん、この傾向の読書が続きそうな予感。
Funado_manshuu_1 

| | コメント (0)

2007年5月11日 (金)

【雑】一枚の写真

先週、帰省した折に、こんな写真をみつけた。
個人的な写真なので、ここに掲載することをためらったのだが、いい写真だと思うのであえて掲載。
祖母(母方)とその妹の若い頃の写真だというから、昭和の前、大正時代か。
いまから100年も前だ。
母に聞くと、撮影場所は、たぶん樺太(サハリン)だろうという。
わたしはもちろんのこと、母もまだ生まれていない時代。
なぜ、二人とも花束を持っているんだろう?
謎である。
じっと見ていると、いろんな思いにかられる、セピア色に変色した古い写真なのだった。

0705050053

| | コメント (3)

【読】元気のでる本

ひさしぶりに、勢古浩爾さんの新書を読んでいる。
PHP新書から出ている3冊をまだ読んでいなかったが、その中の一冊。
Seko_jibun_1勢古浩爾 『「自分の力」を信じる思想』
 PHP新書 2001.9.28発行
これまで読んだ何冊かの同系統の著作と、内容がかぶっているようにも思うが、説得力があるのだ。
カバー裏のキャッチコピーから転載。
<「勝ち組」に入ることだけを目指す生き方。競争ゲームから降りて、「自分らしい楽で自由な人生」を目指す生き方。いま私たちにこれ以外の「ふつう」の生き方は残っていないのか?
生きる上で最強かつ最後に必要なのは、知力・体力・経済力でもなく「自分の力」。・・・勝敗の思想を解体せよ。自分で「考え」「まじめ」に努力する者だけにその力は与えられ、人生をまっとうすることができるのだ。・・・>

200ページの新書を、今日、三分の二ほど読んだところ。
内容を紹介するだけの元気が今はないが、このところ疲れ気味、ちょっと自信をなくしたりしていたので、ひさびさに読んだ「勢古節」に勇気づけられたのだった。

ひとつだけ、とてもいいエピソードが書かれていたので、紹介したい。
1998年夏、和歌山市でおきた「毒入りカレー事件」。
当時、中学3年生(15歳)だった三好万季さんという女の子は、その事件の一報が「食中毒」とあったことに疑問を感じたという。彼女はもともと、テレビの救急医療番組に感動して医者を目指す少女だった。
新聞記事を何度も読んだ後、自分の感じた疑問を解くために、さまざまなネット記事、データベースを検索、さらに中毒に関する専門書を買って徹底的に調べ、新聞報道(事件当初)の内容を自力で検証した。
その結果、事件担当の医療関係者たちは、もっと早い段階で「砒素」中毒ということに気づくことができたはずだ、と結論づけたのだ――というエピソードだ。

<三好万季さんは最後にこのように書いている。 「私は、今回の毒入りカレー事件は、犯人の犯罪意図もさることながら、社会的医療体制の種々の不備や欠陥の中で、人の命にかかわる各分野の専門家たちの複合過失によって拡大された社会的医療事故、すなわち『業務上過失致死傷』ではないかとの疑問を呈せざるをえない」(以上、『四人はなぜ死んだのか』文春文庫版による)>
 (第4章 「二階」に上がることは必要か――「感応する力」)

勢古さんの持論―― 「一階」(普通の人たちの生活、ふだんの生活、世間)、「二階」(観念的な世界、ふだんの生活と離れたところの世界、例えば学者連中)という譬えを使い、「一階」でまじめに生活することが大事なんだ ―― という文脈の中で、このエピソードを紹介し、さらにこう続けている。

<こういう子がいるんだなあ、と驚いた。 調査の経過と結論もさることながら、その二階への上がり方の軽さと徹底ぶりが、である。 ひとつのニュースに感応して、それを「自分の力」にまで高めたことが、である。 (略) 本来の二階の特権的住人たちが、一階から上がってきた少女に、偉そうに二階に住んでいるがそこであなたたちはなにをしているのか、と言われたのである。 彼女は一階と二階の旧態依然としたありかたをあっさりと乗り越えたのだ。>

『四人はなぜ死んだのか』 三好万季 著
 文春文庫 2001.6.10発行
 三好 万季 (みよし・まき) 1983年生まれ。都立戸山高校1年在学中。中学3年だった98年夏、和歌山市園部で起きた「毒入りカレー事件」を夏休みの宿題に取り上げ、それまでの報道の盲点を突くレポートで反響を呼ぶ。

http://www.bunshun.co.jp/book_db/7/65/60/9784167656089.shtml
Miyoshi_maki

| | コメント (0)

2007年5月10日 (木)

【遊】丘のくら(パンフ)

道の駅 びえい 「丘のくら」
北海道上川郡美瑛町本町1丁目9-21
JR富良野線 美瑛駅から 徒歩2分

詳細は下記サイトで
http://www.hkd.mlit.go.jp/zigyoka/z_doro/station/biei/index.html

Okanokura1Okanokura2Okanokura3   

| | コメント (0)

2007年5月 9日 (水)

【遊】美瑛、街

このシリーズ、最後に美瑛の街の写真を。

0705050071070506019607050601940705060195070506019707050601980705060149070506019907050602010705050075 

| | コメント (0)

【遊】美瑛、丘のくら

今回も、「丘のくら」を訪ねた。
驚いたことに、いつのまにやら「道の駅」になっていた。
連休のせいか、にぎわっていた。
この石造りの建物、裏側には昔の倉庫の名前が残っていることに気づいた。
そういえば、子どもの頃、美瑛駅からこの倉庫の裏手の道を歩いて、母方の祖母の家までよく歩いたものだ。
この建物の中のレストランで、黒豆茶というめずらしい飲み物をいただいた。

0705040039070505006907050500730705040041   

| | コメント (1)

【遊】美瑛、山の風景

美瑛の街の中からでも、郊外からでも、残雪の十勝・大雪連峰がよく見えた。
この時期の山は、きれいだったな。

【写真】 (左上から順に)
十勝連峰全景
美瑛富士と美瑛岳 (十勝連峰)
オプタテシケ山 (十勝連峰)
富良野岳 (十勝連峰)
オプタテシケ山 (白金温泉から)
大雪連峰 (右端が旭岳)

0705050109_20705060170_10705060123_10705060174_10705060183_10705060202_1      





      

| | コメント (2)

2007年5月 8日 (火)

【遊】美瑛、丘の風景

この3日から6日まで、北海道の美瑛に行っていた。
美瑛は母親の生まれ育った町。
わたし自身は、中学一年のときに一年間だけ住んだことがある。
年に一度か二度、帰省するのだが、訪れるたびにいい風景だと感じるようになった。
今回、天候にめぐまれて写真をたくさん撮ることができた。
何回かにわけて掲載してみたい。

070504001407050400040705050078070505008407050500910705050103      

| | コメント (0)

2007年5月 7日 (月)

【遊】美瑛、五月

070504001107050400150705050115  

| | コメント (4)

2007年5月 2日 (水)

【楽】Burton Crane

数日前、五十一さんから面白い音源を聴かせていただいた。
オムニバス・アルバムらしいが、情報がまるでなく、演奏者などいっさいわからない。
そのアルバムの最初に、妙な日本語で唄う外人が。
その場の一同、腹をかかえて笑ってしまった。

帰宅後、ネットで検索してみたら、たぶんこの人だろう、というのがみつかった。
詳しい方がいらしたら、教えてください。
こういうの、好きだなぁ。

「バートン・クレーン作品集:今甦るコミック・ソングの元祖」
http://www.towerrecords.co.jp/sitemap/CSfCardMain.jsp?GOODS_NO=927698&GOODS_SORT_CD=104
Burton_crane昭和初期の日本にこんなおかしな外国人がいた!
おかしな日本語で歌う外人歌手1号!
わずか4~5年の間に30数曲の録音物を残し、日本歌謡史に素晴らしい足跡を刻みつけた、愛すべきヘンな外人 バートン・クレーン。コミックソングの元祖ともされる楽曲のなかから、珠玉の25曲を収録した初復刻盤。
Neach Records NEACH-0123

| | コメント (2)

【楽】国分寺gieeライブ(続々)

Giee0704300010Giee0704300030Giee0704300068Giee0704300121Giee0704300047_2     

| | コメント (0)

【楽】国分寺gieeライブ(続)

たくさん写真を撮ったのだけれど、ストロボを使わないために難しかった。
須藤もんさんのソロ演奏で始まり、対馬照さんとの共演で数曲、続いて対馬さんのステージ、再び二人の共演。
休憩をはさんで、五十一さんのステージ。
須藤さんを呼んで、「さよなら小唄」。
五十一さんの後で、対馬照&須藤もん。 「めし」他。
アンコールで、五十一さんの「縁」を三人で。
♪ 縁があったら 会いましょう この東京で 会いましょう ♪ と。
例によって、セットリスト(演奏曲目)をメモっていないので、思いだすには写真が手がかり。
あたたかく、いいライブだったなぁ。

五十一さんは、5/1に早稲田のライブハウスに出演してから、帰阪。
5/5に大阪でライブの後、また西の方へツアーにでかけられる。
http://www.alpha-net.ne.jp/users2/isoichi/
須藤もんさんは、5/3に大阪「春一番」というビッグ・コンサートに出演。 5/5には、「吉祥寺音楽祭」出演と、連休中も忙しい。
http://homepage2.nifty.com/sudomon/

Giee0704300019Giee0704300013 

| | コメント (0)

« 2007年4月 | トップページ | 2007年6月 »