【読】元気のでる本
ひさしぶりに、勢古浩爾さんの新書を読んでいる。
PHP新書から出ている3冊をまだ読んでいなかったが、その中の一冊。勢古浩爾 『「自分の力」を信じる思想』
PHP新書 2001.9.28発行
これまで読んだ何冊かの同系統の著作と、内容がかぶっているようにも思うが、説得力があるのだ。
カバー裏のキャッチコピーから転載。
<「勝ち組」に入ることだけを目指す生き方。競争ゲームから降りて、「自分らしい楽で自由な人生」を目指す生き方。いま私たちにこれ以外の「ふつう」の生き方は残っていないのか?
生きる上で最強かつ最後に必要なのは、知力・体力・経済力でもなく「自分の力」。・・・勝敗の思想を解体せよ。自分で「考え」「まじめ」に努力する者だけにその力は与えられ、人生をまっとうすることができるのだ。・・・>
200ページの新書を、今日、三分の二ほど読んだところ。
内容を紹介するだけの元気が今はないが、このところ疲れ気味、ちょっと自信をなくしたりしていたので、ひさびさに読んだ「勢古節」に勇気づけられたのだった。
ひとつだけ、とてもいいエピソードが書かれていたので、紹介したい。
1998年夏、和歌山市でおきた「毒入りカレー事件」。
当時、中学3年生(15歳)だった三好万季さんという女の子は、その事件の一報が「食中毒」とあったことに疑問を感じたという。彼女はもともと、テレビの救急医療番組に感動して医者を目指す少女だった。
新聞記事を何度も読んだ後、自分の感じた疑問を解くために、さまざまなネット記事、データベースを検索、さらに中毒に関する専門書を買って徹底的に調べ、新聞報道(事件当初)の内容を自力で検証した。
その結果、事件担当の医療関係者たちは、もっと早い段階で「砒素」中毒ということに気づくことができたはずだ、と結論づけたのだ――というエピソードだ。
<三好万季さんは最後にこのように書いている。 「私は、今回の毒入りカレー事件は、犯人の犯罪意図もさることながら、社会的医療体制の種々の不備や欠陥の中で、人の命にかかわる各分野の専門家たちの複合過失によって拡大された社会的医療事故、すなわち『業務上過失致死傷』ではないかとの疑問を呈せざるをえない」(以上、『四人はなぜ死んだのか』文春文庫版による)>
(第4章 「二階」に上がることは必要か――「感応する力」)
勢古さんの持論―― 「一階」(普通の人たちの生活、ふだんの生活、世間)、「二階」(観念的な世界、ふだんの生活と離れたところの世界、例えば学者連中)という譬えを使い、「一階」でまじめに生活することが大事なんだ ―― という文脈の中で、このエピソードを紹介し、さらにこう続けている。
<こういう子がいるんだなあ、と驚いた。 調査の経過と結論もさることながら、その二階への上がり方の軽さと徹底ぶりが、である。 ひとつのニュースに感応して、それを「自分の力」にまで高めたことが、である。 (略) 本来の二階の特権的住人たちが、一階から上がってきた少女に、偉そうに二階に住んでいるがそこであなたたちはなにをしているのか、と言われたのである。 彼女は一階と二階の旧態依然としたありかたをあっさりと乗り越えたのだ。>
『四人はなぜ死んだのか』 三好万季 著
文春文庫 2001.6.10発行
三好 万季 (みよし・まき) 1983年生まれ。都立戸山高校1年在学中。中学3年だった98年夏、和歌山市園部で起きた「毒入りカレー事件」を夏休みの宿題に取り上げ、それまでの報道の盲点を突くレポートで反響を呼ぶ。
http://www.bunshun.co.jp/book_db/7/65/60/9784167656089.shtml
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