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2007年5月30日 (水)

【読】日本の軍隊(続)

Nihon_no_guntai_1『日本の軍隊』 (吉田裕/岩波新書) という本について、もう少し書きたい。
戦争は悪いこと、戦争はいやだ、という素朴な感情を持つ人は多いだろう。
私もそうだ。
だが、なぜ戦争はいけないのか、という問いに答えられるだろうか。
この本を読んで思ったのは、あれは無謀な戦争だったな、ということ。

こんなことが書いてあった。
戦時給養体制の限界(P.172) ―― 欧米諸国の場合、第一次世界大戦をきっかけにして、野戦炊さん車(当初は馬車、その後は自動車)の導入がすすんだ。 一人ひとりの兵士が飯盒などを携行して、各個に炊飯する方式から、前線に出動した炊さん車が温食を提供する方式に変わったのだ。 日本軍は、これを導入しなかった。
機械化の遅れた軍隊(P.199) ――  日中全面戦争が開始された頃、日本軍の招待で上海戦線を視察した、駐日大使館付の駐在武官の報告書。 日本軍の歩兵についてこう述べている。
<これらの歩兵隊の行軍軍紀の奇妙な特徴は、兵士の個人装備を運ぶための手助けとして、ほとんどあらゆる種類の運搬手段を使用していることである。 ・・・(中略)・・・乳母車から、人力車、・・・低い二つの取手の付いた貨車、・・・二輪車・・・。>
日本軍の兵士は、鉄帽、背嚢、雑嚢、小円匙(シャベル)、天幕、小銃、鉄剣、弾薬盒などの全ての装具、武器を身に付け、さらに、長期行軍のための予備弾薬や食糧など、全部で30キロもの重量を一人で背負っていた。
山登りの装備だって、30キロはきつい。 せいぜい20キロぐらいに抑えないと、長距離山行はできない。

ひどい戦いをしたものだ。
中国大陸では、40キロ、50キロにもなった個人装備を運ぶことができず、中国人を脅して拉致し、自分たちの荷物を運ばせたという事実。
さらに、飯盒炊さんのための燃料にも事欠き、戦地で民家を壊して木材を調達した。
「皇軍」ではなく、「蝗軍」と呼ばれたゆえんである。(蝗軍=イナゴのような軍隊=略奪の軍隊)

だいぶん前に、猪瀬直樹の 『昭和十六年夏の敗戦』 を読んだことがある。
 → http://skygarden.shogakukan.co.jp/skygarden/owa/solrenew_detail?isbn=4093942382
真珠湾奇襲の年の夏、日本の内閣で密かに対米戦のシミュレーションが行なわれていた。
(「内閣総力戦研究所」に軍部・官庁・民間から選りすぐった将来の指導者たちが集められた)
実に科学的、冷静な分析が行なわれ、その結果、日本はアメリカに勝てないという結論が出ていたというのだ。
すでに、戦う前から国力の差を認識していた人たちがいたのである。

関東軍による満州(中国東北部)占領のあたりから、どんどん泥沼に入っていった日本軍。
これが不思議でならないのだが、「皇軍」という言葉がのさばり、極端な精神主義、短期決戦主義に傾いていったあたりで、すでに日本の敗戦への転落がはじまっていたように思う。
軍部の独走という一面もあるが、それだけではないと思うのだ。

今でも、その頃と同じ精神風土が根強く残っているんじゃないのかな。
どうしようもない日本人・・・そんな気分になってしまう。
みせかけの平和に浮かれてる場合じゃないでしょうが。 ぶつぶつ・・・。

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