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2007年8月の28件の記事

2007年8月31日 (金)

【読】アテルイ

あてるい 阿弖流為 ?~802(?~延暦21)
奈良末・平安前期の蝦夷の族長。 (生)陸奥国胆沢(いざわ)。
(名)大墓公阿弖流為(たものきみあてるい)。
奈良末期から平安初期にかけての蝦夷征討の過程で、胆沢を中心とした蝦夷の指導者としてもっとも強力に征討軍に抵抗した。
789(延暦8)征東大将軍紀古佐美の軍勢と戦い、壊滅的な打撃を与えた。
しかし797に征夷大将軍となった坂上田村麻呂が801に征討し、翌年胆沢城が造営されるにおよんで、802年4月 磐具公母礼(いわぐのきみもれ)ら種族500人とともに降った。 田村麻呂はその助命を希望したが、同年8月 河内国杜山で斬刑に処せられた。
  ― 三省堂「コンサイス人名辞典 日本編」 1976 ―

『東北ルネサンス』 という本(小学館文庫)で、赤坂憲雄さんと高橋克彦さん(作家)の対談のなかに登場していた「アテルイ」。
「アテルイの乱」で名高い、蝦夷(えみし)のリーダーだが、なにしろ大昔のことなのでその実体は謎につつまれている。
赤坂さんの本によると、「正史の中ではほんの数行」しか触れられていないそうだ。

この対談相手、高橋克彦さんの興味ぶかい小説があることを知った。
Takahashi_katushiko_aterui1Takahashi_katushiko_aterui2『火怨(かえん) 北の燿星(ようせい)アテルイ』
 高橋克彦 講談社1999年 講談社文庫2002年
上下巻、それぞれ500ページほどの長編。
第34回吉川英治文学賞受賞作。
これは、面白そうだ。


http://shop.kodansha.jp/bc2_bc/search_view.jsp?b=2735288
http://shop.kodansha.jp/bc2_bc/search_view.jsp?b=2735296

赤坂 <『火怨』という小説のなかでは、三、四百年遡ったアテルイの時代が取り上げられますが、正史のなかには数行ですよね。 数行の記述しか残っていない。>
高橋 <アテルイが出てくるのは本当に三行ぐらいしかないわけですよね。>
赤坂 <その三行の記述から上下巻のあの壮大な小説を創り上げてしまう作家の想像力というのは、途方もなくておもしろいですよね。>
高橋 <想像力というと、何だか絵空事みたいになるけれども、あれ結構いろんなことを調べているんですよ。 (略) 僕は、アテルイの場合には、そういう書き方だとアテルイの怒りというのが出てこないと思ったから、ライブの小説というか、主人公たちに生々しく言葉を語らせるという手法をとったわけです。>

ちょっと楽しみな小説だ。
その前に、井上ひさしの 『新釈 遠野物語』 (新潮文庫)も200円(ブックセンターいとう)で手に入れたから、読んでみようかな。
どうでもいいけど、「ブックセンターいとう」という新古書店は、どうして値札を付けず、本に鉛筆書きで値段を入れるのかな?
BOOK OFF の値札シールも、はがしにくくて困るんだな。

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【楽】MARIA MULDAUR

針をおとした瞬間から聴き惚れてしまう音楽に、ひさしぶりに出会った。
すごいなぁ、これは。 いい音楽だなぁ。

Maria_muldaurMARIA MULDAUR
 "Maria Muldaur" 1973 Warner Bros. Records
 (邦題:オールド・タイム・レイディ)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00005HGT2
このアルバムを知ったのは、mixiのある「マイミクさん」(知人)の日記だった。
音楽に造詣の深い方だが、さすがにいいアルバムを推薦してくださる。
この場でお礼を。

ブックレットの解説など読む必要もなく、音楽がすーっと体にはいってくる感じ。
声がいい。 歌い方が好き。
曲調は、わたしの好みのツボにぴったりはまっている。
バックの伴奏が、これまたゴキゲン。
演奏陣もすごい顔ぶれらしい(私が名前を知っているのは、ライ・クーダー、エイモス・ギャレットぐらいだけれど)。

だまされたと思って、とにかく聴いていただきたい一枚。
何も考えずに、ただ聴いているだけでシアワセになる音楽。


【追記】 2007/8/31

蛇足とは知りながら、マリア・マルダーがどういう人か、Wikipediaから引いておこう。
(長い記事なので一部省略して転載、記事内容の精度は保証しかねる)
わたしは、恥ずかしながらこの人を知らなかった。
長い活動歴のシンガーらしい。

― Wikipedia から ―

マリア・マルダーは、1943年9月12日、ニューヨーク市のグリニッジ・ヴィレッジに生まれた。
出生時の名前は、マリア・グラシア・ロサ・ドメニカ・ダマト。
幼い頃からカントリー・ミュージック、R&Bなど様々な音楽を聴いて育ったマリアは、1960年代にグリニッジ・ヴィレッジがフォーク音楽のメッカとなると、ジャム・セッションなどに参加するようになった。
この頃、本名のマリア・ダマト名義でジョン・セバスチャン、デイヴィッド・グリスマン、ステファン・グロスマンの在籍するイーヴン・ダズン・ジャグ・バンドに参加。
1964年には、バンドのデビュー・アルバムがリリースされるものの、間もなくバンドは解散した。

続いてマリアはマサチューセッツ州ケンブリッジに拠点を移し、ジム・クウェスキン・ジャグ・バンドに参加する。
ここでジェフ・マルダーと出会い結婚。1968年にバンドは解散するものの、二人は、ジェフ&マリア・マルダーとして活動を続けた。このデュオ名義では2枚のアルバムを発表している。

1972年、ジェフとマリアはデュオを解消し離婚する。
ジェフは、ポール・バターフィールドとベター・デイズを結成。マリアは、ソロの道を歩んだ。
翌1973年、マリアはソロ・デビュー作Maria Muldaurをリリースした。
ここに収録された"Midnight at the Oasis" (「真夜中のオアシス」)は、ビルボードのポップ・チャートの6位という大ヒットを記録し、マリアの代表曲として知られるようになった。
彼女のヴォーカルもさることながら、ギターのエイモス・ギャレットの個性的で自由奔放なプレイは、彼を名手として広く知らしめることとなった。

1974年には、セカンド・アルバムWaitress in a Donut Shopをリリース。・・・(略)

1970年代末まで、リプリーズに在籍したマリアは、1980年代に入ると、インディ・レーベルより2枚のゴスペルのアルバムをリリースする。・・・(略)

1990年代に入ると、マリアはニューオーリンズのブルース、R&B系レーベル、ブラックトップと契約。・・・(略)

1996年のFanning the Flamesを始めとし、テラークからいくつかのアルバムをリリースしている。・・・(略)

2001年、マリアはストーニー・プレインに戻り、アルバムRichland Woman Bluesをリリースする。これは、マリアが敬愛するメンフィス・ミニーら戦前ブルース・アーティスト達をカバーした作品で、ジョン・セバスチャン、タジ・マハール、ボニー・レイットら豪華ゲストを迎えてレコーディングされた。・・・(略)

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2007年8月30日 (木)

【読】イザベラ・バードと義経神社

赤坂憲雄 『東北ルネサンス』 を、ようやく読み終えた。
最後の、山折哲雄さんとの対談のなかで、赤坂さんがイザベラ・バードの 『日本奥地紀行』 に触れ、バードが日高の義経神社を訪れたときのことが紹介されている。

Isabella_birdイザベラ・バード 『日本奥地紀行』
 高梨健吉 訳 平凡社ライブラリー 2000.2.15発行
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4582763294/

バードは、通訳の青年(伊藤)とともに、アイヌの人たちに案内されて義経神社に行った。
彼女はこころやさしい人ではあったが、すこし意地悪な感想を書いている。

<義経の華々しい戦の手柄のためではなくて、伝説によれば彼がアイヌ人に対して親切であったというだけの理由で、ここに義経の霊をいつまでも絶やさず守っているのを見て、私は何かほろりとしたものを感じた。>
<彼らは、私にも、彼らの神を拝むように、と言ったが私は、天地の神、死者と生者の神である私自身の神だけしか拝むことはできない、と言って断った。 彼らは礼儀正しいから、その要求を無理に強いなかった。 伊藤はどうかといえば、彼にはすでに多くの神々がいるから、今さら一人神様を増したところで何ということもないから、彼は拝んだ。 すなわち征服民族である自分の民族の偉大な英雄の前で喜んで頭を下げたのであった。>
(『日本奥地紀行』 平凡社ライブラリーから)

イザベラ・バードも、やはり、一神教(キリスト教)を信じる西洋人の一人だった。
彼らには、山川草木あらゆるものに神を感じる、多神教的な日本人、アイヌ人のこころが、とうてい理解できないのだろう。

赤坂 <バードという人は、この時代のイギリス人としては、たぶん例外的なほどに人種的な偏見が少ない人だったと思います。 けれども、牧師の娘でもありましたし、異邦人の神に対して手を合わせるなんていうことは絶対できないと拒むわけです。>

赤坂 <そこに非常に鮮明にあらわれているのは、ヨーロッパ的な唯一絶対神に対する信仰を持った人たちの神の概念と、日本的あるいはアジア的な、たとえば夕日のなかにも神を見てしまう・・・多神教的な風土とが衝突している姿だと思うんです。>

赤坂 <バードは繰り返し言っています。 「日本人の信仰にしろ、アイヌの信仰にしろ、これは宗教ではない。 ここには教会もなければ、教義もなければ、伝道の仕組みもない」。 一神教を背景にしたバードは、これは宗教ではないと言うんですね。>

『東北ルネサンス』 は、なかなかおもしろく、刺激的だったが、うまく要約できなくて、いつものように引用だらけになってしまった・・・。
とりあえず、おしまいにしよう。 夜も更けたことだし。
Akasaka_touhoku_renaissancehttp://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4094081968

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2007年8月29日 (水)

【読】吉里吉里人

赤坂憲雄 『東北ルネサンス』 を読んでいて、へぇーと思ったのは、巻末にちかい井上ひさしとの対談だ。
対談というのもおもしろいもので、相手によって話が微妙に噛みあわなかったりする。
この本では、高橋富雄さんという、東北大学名誉教授・福島県立博物館名誉館長の肩書きをもつ人との対談が、いまひとつだった。

井上ひさしの 『吉里吉里人』 という愉快な小説は、発売当時、読んだことがある。
Inoue_hisashi_kirikiri_2井上ひさし 『吉里吉里人』 1981年 新潮社刊
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000J7W4F8
たいそう分厚い本だったが、夢中になって読んだことを憶えている。
内容はほとんど忘れてしまったが。
赤坂憲雄さんと井上ひさし氏の対談で、この小説に触れている内容が興味ぶかく、ひさしぶりに読み返してみたくなった。
BOOK OFF にでもいけば安く手に入るので、買ってこようかな、などと思う。 悪い癖だ。
こんなふうに、すぐ読みもしない本がたまっていくのだろうな・・・。

もう一冊、柳田國男の 『遠野物語』 を井上ひさし流に書き直した 『新釈 遠野物語』 も読みたくなった。
Inoue_hisashi_toonohttp://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4101168075

赤坂
 <(前略) 『遠野物語』という作品は、岩手県の遠野出身の佐々木喜善という東北弁のきつい語り部と柳田が出会って、その喜善の語りを柳田が筆記して、それをさらに文語体の文体を自分でつくり出して、いわば翻訳して形をなしたわけです。 つまり、井上さんの『新釈遠野物語』の試みにはいろんな意味合いがあると思うのですが、ひとつは、柳田が方言による語りの生々しさとか、ある場合にはいかがわしさとか、そういうものを消してしまった、殺した、それに対する批判、批評というものが井上さんにはおありになったんだろうなと感じています。>

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2007年8月28日 (火)

【楽】夕立だぁ

せっかくの月のイベント(6年半ぶりの皆既月食)も、この空模様じゃ見られないなぁ。
ひさしぶりのおしめり。 夕立があった。

Yosui_collection♪ 夕立、そこまで来ている
 雷ゴロゴロ、ピカピカ
 情容赦 ないみたいだ
 誰もが 一目散へと
 どこかへ走る
 カエルは うれしなきをしている ・・・♪
 (井上陽水 「夕立」)
『井上陽水シングル・コレクションズ』 polydor H32P20173
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00005FJT0

全14曲
人生が二度あれば / 断絶 / 傘がない / 感謝知らずの女 / 夢の中へ / いつのまにか少女は / 心もよう / 帰れない二人 / 闇夜の国から / いつもと違った春 / 夕立 / ゼンマイじかけのカブト虫 / 御免 / 旅から旅

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2007年8月27日 (月)

【読】東北ルネサンス

この本が予想以上におもしろい。
Akasaka_touhoku_renaissance『東北ルネサンス』 赤坂憲雄 編
 小学館文庫 あ8-1 2007.8.12 600円(税別)
巻頭の五木寛之との対談もおもしろかったが、続く、中沢新一との対談も興味ぶかい内容。
東北の縄文文化(蝦夷=えみしの文化)が、アイヌ民族や、さらにはアラスカの(エスキモー、イヌイットと呼ばれる)先住民、(インディアンと呼ばれる)ネイティヴ・アメリカンともつながっている、という指摘が刺激的だ。
宮澤賢治の童話の世界に垣間見える縄文人の世界にも言及している。
これを読んでいて、ふと思いを馳せたのは、写真家の星野道夫さんが探ろうとしていたアメリカ大陸先住民のルーツである。

中沢 <アメリカ先住民たちが氷結したベーリング海を越えてアメリカ大陸に入っていったのは一万二千年から三千年前です。>
赤坂 <どのあたりが源流になるんですか。>
中沢 <バイカル湖の東方周辺あたりから少し北へ行った人々ですね。 二つに分かれていると思うんです。 一方は黒龍江省の方へ下ってきている人たちがいますね。 もう一方の人たちは、これは物凄く寒いところに適応することに成功した人たちで、(略) これがいまのシベリアのベーリング海峡の近くまで接近していきました。>

赤坂 <千年前に古代の東北の蝦夷たちはヤマトにそういう形で抵抗して敗れた。 それから、百年、二百年前に北海道のアイヌの人たちがやはり国家というものをつくらない部族社会の段階で、強大なヤマトの国家と遭遇して敗北する。 その敗北というのは、ある種の必然かもしれないけれども、思想的にはどちらが優れていたのかはわからないと僕も思いますね。>
中沢 <思想といってしまうと、思想なんか何になるという言い方がありますけれども、ただ人間のディグニティー(尊厳)ということを考えると、東北の縄文の人たち、あるいは平安時代の蝦夷の人たちが選びとった道というのは、人間の尊厳を守ろうとする立派な考え方だったと思います。>

中沢新一には、『森のバロック』 という南方熊楠をテーマにした著作がある。
気になっていた本だ。 こんど、読んでみようと思う。
Nzkazawa_mori_no_baroque_4『森のバロック』 中沢新一
 講談社学術文庫 -1791-  2006.11発行
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4061597914

『チベットのモーツァルト』 (せりか書房)を、だいぶん前に古本屋で手に入れていたが、まだ読んでいない。 おもしろいのかもしれない、と思う。 (講談社学術文庫でもでている)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4061595911

『東北ルネサンス』の中で、中沢氏がこんなことを言っている。
<たとえばチベットなんかですごい荘厳な儀式をやったりしているでしょう。 あれが昔から何かたいへんな根拠をもって行なわれているかのように思うかもしれませんけれども、違うんですよ。 ある時代にやっぱりアイデアマンが出て、この儀式をこういうふうにしたらもっとおもしろいとか・・・>

携帯ストラップのマスコットや、武士の刀の「根付」が、縄文時代の土偶に通じる、という思いがけない指摘にも驚いたのだった。

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2007年8月26日 (日)

【楽】【読】きょうの一枚、一冊

暑いなぁ。
まだまだ夏は続くのか。

LPからダビングしてあるMDで、山崎ハコの 『幻想旅行』 を聴いている。
ライブに行けないのがつらいな。
Hako_genso1aHako_genso1b山崎ハコ 『幻想旅行』
 1981.11 キャニオン・レコード
なぜ、こんないいアルバムがCDで再発売されないんだろう。


収録曲(全10曲)
A面) 幻想旅行 / 北北東 / 終点まで満員 / 東北・都 / 雪の道
B面) サンクチュアリーへ / 港の歌 / さくら / 歌は旅 / 旅路

「サンクチュアリーへ」という歌が好きだ。
工藤順子作詞/山崎ハコ補作詞/石黒ケイ作曲/井上鑑編曲
工藤順子の詞が秀逸。 石黒ケイの曲もいい。
ちょっといつものハコさんとちがうぞ、といった感じの、「ほんのりと明るい」曲調なのだ。

♪ 積み上げすぎた世の中は / 生きてることが見えないよ / 知らぬふりして歩くには / 道が長くてたまらない / まぶしく続くハイウェイ / きっとあそこへ続く道 / ほこりまみれのハイウェイ / 夢がころがるあの国へ / ヘイヘイストップ北へ北へ行くんだ / ヘイヘイストップ背中に見る苫小牧 / 忘れた歌が私を呼ぶんだ / そこはそうよサンクチュアリー ♪

一番の歌詞をぜんぶ書き写してしまった・・・。
著作権をうんぬんするのなら、誰でも聴けるように、復刻してくれい!
中古レコード市場にも出ていないじゃないか――と、レコード会社に文句を言いたくなる。

Akasaka_touhoku_renaissance_2『東北ルネサンス』 赤坂憲雄 編
  ― 日本を開くための七つの対話 ―
小学館文庫 2007.8.12発行

 ※ 『日本再考――東北ルネッサンスへの序章』
  (2002.3 創童舎 発行) の文庫化

赤坂憲雄氏と下にあげた各氏との対談集。括弧内は章題。
2002年3月~9月、東北電力創立50周年記念の公演イベントとして行なわれた対談がベースになっている。

五木寛之 (東北の可能性)
中沢新一 (縄文の記憶を求めて)
谷川健一 (精神史の古層へ)
高橋克彦 (蝦夷とはだれか)
高橋富雄 (はじまりの東北)
井上ひさし (ふたたび吉里吉里へ)
山折哲雄 (生と死の風景から)

五木さんとの対談を読みはじめているが、刺激的な内容だ。
五木さんの近作 『日本人のこころ』 シリーズ (講談社)をベースに、「日本史の闇」を掘り起こす対談。
赤坂氏から、イザベラ・バードの旅や菅江真澄についての発言もある。

赤坂 <五木さんは最近、『日本人のこころ』 と題したシリーズを出されていて、たいへん刺激的な内容なんですね。 (略) このシリーズのなかで、五木さんは 「私たちは本当の日本を知らない。 日本人の心を知らない」 と繰り返し指摘されていたかと思います。>
五木 <赤坂さんがおっしゃった「私どもは日本を知らない」というのは、実は私の実感なんですね。私は生後間もなく当時の朝鮮半島に両親とともに渡りまして、十三歳で敗戦、十四歳で引き揚げたんです。(略)その後に、金沢に住み、そして京都を訪れというふうにしているうちに、何だこりゃという感じが非常に強くなってまいりまして、海外へ行って海外のことなどを得々と喋っているけれども、自分は肝心の日本のことを何も知らないじゃないか、日本というのはいったいどういう国なんだと、自信喪失とともに、非常に強い好奇心が湧き起こってまいりました。>

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2007年8月25日 (土)

【読】笹森儀助と石光真清

Miyamoto_tsuneichi_henkyou宮本常一 『辺境を歩いた人々』 (河出書房新社) のおしまいのほうを読んでいたら、笹森儀助と石光真清が、満州で出会っていたことが書かれていた。
石光真清の手記 『曠野の花』 に、このときのことが書かれているという。
『曠野の花』 は、すこし前に読んでいた。
http://yamaoji.cocolog-nifty.com/blog/2007/03/post_bd47.html
どうりで、笹森儀助という名前になんとなくおぼえがあるような気がして、ひっかかっていたのだ。 なるほど、合点。

『辺境を歩いた人々』 の目次には、四人の名前しか出ていない。
近藤富蔵、松浦武四郎、菅江真澄、笹森儀助。
しかし、宮本さんの文章には、その時代に彼らをとりまいていた魅力あふれる人々がたくさん紹介されている。
笹森儀助の章では、田代安定(あんてい)と伊能嘉矩(よしのり)の二人にかなりのページが割かれていて興味ぶかかった。
彼らは、明治18年頃(日清戦争の年)から、沖縄や台湾を歩いて調査した人たちだ。
笹森儀助にとって、沖縄探検の先輩にあたる。
笹森儀助の琉球列島探検は徹底していて、明治26年、沖縄本島の那覇に着いたあと、宮古、石垣、西表、鳩間、さらには与那国島まで足をのばし、沖縄本島に戻り、奄美大島をみて鹿児島に戻る、四か月以上の旅をしている。
現在のように、交通が発達していない時代のこと、船とじぶんの足だけが頼りの旅。
マラリアにも苦しめられ、野宿もいとわない旅だったらしい。
すごいな。

ところで、この本の巻末年表も興味ぶかい。
その一部を抜粋してみよう。

1754(宝暦四) 菅江真澄、三河国に生まれる
  最上徳内、羽前に生まれる
1771(明和八) 近藤重蔵、江戸に生まれる
1778(安永七) ロシア人、クナシリ島に来る
1780(安永七) 間宮林蔵、生まれる
1782(天明二) 伊勢国の光太夫ら、ロシアに漂着
1783(天明三) 東北地方大飢饉(翌天明四年まで、天明の大飢饉)
1784(天明四) 菅江真澄、信濃から越後、奥羽、津軽、南部への旅
1785(天明五) 徳内、幕府の調査隊に加わり、千島列島の旅へ
1788(天明八) 真澄、津軽から松前へ、寛政四年(1792)まで松前地方の旅
  古川古松軒、幕府の巡見使に加わり東北地方へ
1792(寛政四) ロシア使節ラクスマン、伊勢の光太夫らを送って松前に来る
1798(寛政十) 徳内、第六次蝦夷探検でエトロフへ
  重蔵も同行、モヨロ湾に「大日本恵土呂府」の標柱を立てる
1799(寛政十一) 重蔵、第二回の蝦夷地探検
  間宮林蔵と松田伝十郎、蝦夷地探検、冬をすごす
  東蝦夷地が幕府の直轄支配地になる
1800(寛政十二) 重蔵、高田屋嘉平とともにエトロフへ
  伊能忠敬、初めて北陸と蝦夷地の測量
1805(文化二) 近藤富蔵、生まれる
1807(文化四) 近藤重蔵、利尻島を探検
  西蝦夷地が幕府の直轄支配地となる
1808(文化五) 間宮林蔵、カラフトから黒竜江方面の探検
  間宮海峡を発見
1811(文化八) ロシア艦長ゴロウニン、捕われる
  外国船打ち払い令
1814(文化十一) 伊能忠敬、『沿海実測全図』完成、ロシアとの国境を決める
1818(文政元) 松浦武四郎、伊勢国に生まれる
1821(文政四) 幕府、蝦夷地を松前氏に返す
1823(文政六) シーボルト、長崎に来る
1826(文政九) 近藤富蔵、人を殺める(翌年、八丈島へ流刑)
1829(文政十二) 真澄、秋田の角舘で死去 重蔵、江州で死去
1836(天保七) 最上徳内、死去
1840(天保十一) 清国でアヘン戦争
1841(天保十二) 天保の改革始まる
1844(弘化元) 松浦武四郎、蝦夷、カラフトの探検を志して旅に出る
1845(弘化二) 武四郎、蝦夷地探検
  笹森儀助、陸奥国弘前に生まれる
1846(弘化三) 武四郎、第二回の蝦夷地探検
1847(弘化四) 近藤富蔵、流刑先の八丈島で『八丈実記』を書き始める
1849(嘉永二) 武四郎、第三回の蝦夷地探検(おもに千島列島)
  最初の北海道地図『蝦夷大概図』を描く
1851(嘉永四) 武四郎、『三航蝦夷日誌』35冊を書き上げる
1853(嘉永六) ペリーが浦賀に、ロシアのプチャーチンが長崎に来る
1856(安政三) 田代安定、鹿児島に生まれる
1860(万延元) 井伊大老、桜田門外で暗殺
1867(慶応三) 明治天皇、皇位につく
1868(明治元) 伊能嘉矩、岩手県遠野に生まれる
1869(明治二) 松浦武四郎、北海道の道名、国名、郡名を選定
1880(明治十三) 近藤富蔵、罪を許される
1887(明治二十) 富蔵、八丈島で死去
1888(明治二十一) 松浦武四郎、死去
1889(明治二十二) 帝国憲法発布
1890(明治二十三) 教育勅語発布、帝国議会召集
1893(明治二十六) 笹森儀助、南島探検をし、『南島探検』をあらわす
1894(明治二十七) 日清戦争勃発
1895(明治二十八) 日清戦争勝利、台湾を譲り受け、台湾征伐を行なう
1902(明治三十五) 笹森儀助、第二代青森市長に 日英同盟
1904(明治三十六) 日露戦争勃発
1905(明治三十七) 日露戦争勝利、カラフトの北緯50度より南側が日本領土に
1914(大正三) 第一次世界大戦に参戦
1915(大正四) 笹森儀助、死去
1925(大正十四) 伊能嘉矩、死去
1928(昭和三) 田代安定、死去

もう一冊、宮本常一さんの同じシリーズで、こんな本も出ていたので入手。
Miyamoto_tsuneichi_minaminoshima宮本常一 『南の島を開拓した人々』
  河出書房新社 2006.1.20発行
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4309224458
この本の目次に登場するのは、次の七人。
中川虎之助を除いて、私の知らない人ばかりだが。
藤井富伝(諏訪之瀬島を開拓)
中川虎之助(石垣島・台湾で精糖事業を興した)
村岡伊平治(南洋で出稼ぎ女性に尽くした)
菅沼貞風(南方交易史を研究)
太田恭三郎(タバオで麻園を経営)
原耕・捨思 兄弟(南方漁場を開拓した兄弟)


石光真清 『曠野の花』 中央公論社(中公文庫)
Ishimitsu2― 「異郷の同胞たち」 (P.57) より ―
三等客車の中には露支韓人の下層階級のものばかりがそれぞれ自国語で語り合っていたが、私はただ一人窓際に坐って前途をぼんやり考えていた。 そのうちにうとうと眠ってしまった。 汽車が停ってふと眼を覚すと、六十歳を少し越えたと思われる日本人が乗込んで来た。 私はその風体を見て思わず微笑した。 ところどころ破れて色のさめたフロックコートに、凸凹の崩れかかった山高帽をかぶり、腰にはズダ袋をぶらさげ、今一つ大きな袋を肩から斜めに下げていた。 しかも縞のズボンにはカーキ色のゲートルを巻き、袋の重みを杖にささえて入って来たのである。 (略) 「わしは青森の者でナ、笹森儀助と申しますじゃ。 老人の冷水と笑われながら、笑う奴等には笑わせておいてナ、飛び出して来ましたじゃ。 これもお国へのご奉公ですよ」 (後略)

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2007年8月21日 (火)

【読】この本がおもしろい

きのうから読み始めたこの本がおもしろい。
Miyamoto_tsuneichi_henkyou『辺境を歩いた人々』 宮本常一
 河出書房新社 2005.12.20
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4309224458

読み始めてわかったのだが、この本は少年少女向けに書かれている。
(さ・え・ら伝記ライブラリー14 『辺境を歩いた人々』 1966年を底本としている)
かつて日本の辺境を歩いた四人が、伝記ふうに紹介されている。
近藤富蔵・・・近藤重蔵の息子。人を殺めて八丈島に流され、『八丈実記』を遺した人。
松浦武四郎・・・「北海道」の名付け親。蝦夷地の奥地をくまなく歩いた人。
菅江真澄・・・故郷を離れて、みちのく(東北地方)を歩きまわった人。
笹森儀助・・・千島列島、沖縄、奄美大島、台湾、朝鮮と、一生旅をした人。

いずれも、江戸時代末期から明治にかけて生きた魅力的な人物である。

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2007年8月19日 (日)

【楽】【読】きょうの一枚、一冊

ひさしぶりに近所の BOOK OFFをのぞいて、こんなCDと本を買ってきた。

Ry_cooder_buena_vistaライ・クーダー&キューバン・ミュージシャンズ
 『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』
   BUENA VISTA SOCIAL CLUB
  ワーナー・ミュージック・ジャパン
  NONE SUCH WPCR-5594
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00005HGVA


心がおだやかになる、いい音楽だ。
ライ・クーダーのこんな文章が載っているので、紹介しておこう。
すこし長いけれど。
<とても洗練されていて本質的にファンキーなこの音楽を、過度に組織化された騒々しい世界からは隔絶された空気の中で育んできたのは、「キューバのソン」の演奏家と歌い手たちである。 およそ150年の時間をかけて、彼らは美しいアンサンブルというとてつもない効果を持つコンセプトを発展させてきた。 このアルバムでは現代キューバの最高のミュージシャンが顔をそろえている。 彼らの音楽に対する献身とお互いのつながりの深さは、これまでに見たこともないようなものだった。 その意味でこのプロジェクトに参加したことはかけがえのない体験であり、大きな喜びだった。
ここにあるのはキューバの生きて動いている音楽であって、たまたま入った博物館に陳列してあった何かのかけらなどではない。 自分がさんざん練習を重ねてきたのはすべてこのためだったのだと感じた。(後略)>

Itsuki_hiroyuki_09五木寛之の古い全集のなかの一巻。
解説が内村剛介だったので、読み返してみようと思ったのだ。
この全集、以前、手元に揃えていたのに、手放してしまった。
今はすこし後悔している。
五木寛之作品集9 文藝春秋 1973年発行
 『モルダウの重き流れに』 解説 内村剛介
(収録作品) モルダウの重き流れに / 星のバザール / 残酷な五月の朝に / 白夜の終り / 幻の女 / バルカンの星の下に / ボンジョールノ野郎 / スペインの墓標

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2007年8月17日 (金)

【雑】サイドバーのご案内

このブログの右側、サイドバーで、私のおすすめの本や音楽を紹介しています。
最近になって、たくさん追加しました。
これからも追加していきます。

「この一枚、この一曲」 私の推薦音楽(アルバム)
「この一冊」 私の推薦図書

いずれも、できるだけ現在入手可能なものを掲載していきます。
リンクをクリックすると、amazonの情報サイトへジャンプします。

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2007年8月16日 (木)

【雑】1.5の倍数

夏休みのひらがな日記はおしまい。
読んでくださった方、読みにくくてすみません。
小学生の頃の気分に戻ってみたかったので・・・。

きのうだったか、ラジオであるお医者さんが言っていたこと。
睡眠時間は、1.5時間の倍数でとるといいらしい。
例の、レム睡眠とノン・レム睡眠の関係で、ヒトの睡眠の深さには一定の周期があるため、中途半端な状態で目ざめると、その日はずっと体調が悪くなるという。

私の場合、通勤の事情で毎朝5時が起床時刻。
1.5時間の倍数というと、4.5時間(ラジオのお医者の睡眠時間はこれ)、6時間、7.5時間、9時間・・・。
そうすると、夜9時半に眠れば7.5時間の睡眠、次は、11時に眠りにはいって6時間。
このあたりが適切なのかも。

そういえば、これまでの経験で思いあたるふしもある。
いくらたくさん眠っても寝起きが悪い日と、6時間ぐらいの睡眠でも気分よく目ざめて、仕事に行っても快調だったりするのだ。

そろそろ寝る時間か。
それとも、11時まで起きていようか。
とりあえず、明日一日がんばれば、また二日間の休み。

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【遊】なつやすみのにっき (9)

きょうで、いつかかんのなつやすみがおわります。
きのうから、しんしゅう おくたでしなの「しぶおんせん」のりょかんに、いっぱくふつかでいってきました。

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こうそくどうろ(ちゅうおうどう)は、ほんとうはすいていたのですが、ちょうどうんわるく「じこ」があってじゅうたいしていました。
こういうしゃしんは、はしりながらとれるものではありません。
ほとんどうごかないくるまのかなからとりました。
「けんおうどう」と「ちゅうおうどう」が、さいきんつながって、そのふきん(じゃんくしょん)のしゃしんがみぎです。

「すだま」いんたーちぇんじで、こうそくをおりて、やつがたけさんろく(きよさと)にある、「からまつてい」というおそばやさんにいきました。
じみー・やじまさんという、おんがくをするひとがけいえいしている、ほんかくてきな「いしうすびき・てうち」のじゅうわりそば。 てんかいっぴんです。
はじめていくひとは、まず、みつからないだろうという、おくまったところ(べっそうちのなか)にあります。
ふつうのべっそう(にかいだて)をかいそうしたおみせは、こんなかんじです。
かいてんじこくのまえにつきましたが、やじまさんがおでむかえくださって、おみせのなかへ。

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「からまつごぜん」せっと(せんごひゃくえん)
とてもおいしかったです。
いっしょにいったかみさんは、「やつがたけ」というもりそば(ななひゃくえん)をたべていました。
「じょうもん」という、めずらしいそばをつかったもりそばもあります。
とうきょうからはとおいので、なかなかいけないのですが、やつがたけのほうにいったときは、またよりたいとおもいます。

http://karamatu.or.tv/index.html
やじまさんの「ぶろぐ」も、ごらんください。
http://karamatutei.blog49.fc2.com/

「からまつてい」をあとにして、やつがたけのすそのをまわり、おくたでしなにむかいました。
あのあたりの、いっぱんどうがふくざつでした。
「しぶ たつのかん」には、さんじまえにとうちゃく。
「しんげんのやくとう」という、しろくにごったおんせんにはいり、ごうかなゆうごはんをいただきました。

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http://www.sib-tatu.com/

うえのさいとをみていただくとわかりますが、ずいぶんふるくからあるやどです。
かんないには、「あさおかるりこ」や「ゆきさおり」がわかいころ、えいがのろけで、このやどにきたときのふるいしゃしんがてんじされていました。
そのとうじのたてものは、いまは、しゅくはくにはつかっていませんが、まだのこっています。

きょうは、はやばやとやどをでて、しらかばこあたりをまわろうとおもっていたのですが、ほうがくをまちがえてしまって、むぎくさとうげのほうへむかってしまいました。
けっきょく、やちほこうげんから、こうみ(やつがたけのひがしがわ)にでてしまい、きよさとをとおって「すだま」いんたーから、ちゅうおうどうにはいりました。

ちょうど、「すだま」をきてんにして、やつがたけれんぽうのすそのを、ふつかかんでぐるっとまわったことになります。
そうこうきょりは、ふつかかんで、よんひゃくきろでした。

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【遊】なつやすみのにっき (8)

おくたでしなのしぶおんせんから。さすがに、ひょうこうせんななひゃくめーとるのこうげんのあさはすずしく、きおん、じゅうはちど。せみがないています。まどから、きたやつがたけがおおきくみえます。あついとうきょうにもどるのがおっくうです。

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2007年8月15日 (水)

【遊】なつやすみのにっき (7)

たびさきから、けいたいで。おくたでしなの「しぶおんせん」です。さすがにこうげんだけあって、すずしく、にじゅうどだいぜんはんのきおん。ひさしぶりにねったいやからかいほうされそう。やまのさちをふんだんにつかったゆうごはんもおいしかったのでした。おしまい。

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2007年8月14日 (火)

【楽】なつやすみのにっき (6)

もうしょがつづいています。
きょうは、こんなれこーどをきいていました。
はつばいとうじ、この、ぴあのなしのとりおえんそうというのが、わだいになったようです。
このひとにはたくさんの「めいばん」があるけれど、このいちまいがすきです。
じゃけっとしゃしん、ちゃめっけがあっていいなぁ。

Way_out_westSonny Rollins  Way Out West
 Contemporary LAX 3010 1957.3.7
  SONNY ROLLINS tenor sax
  RAY BROWN bass
  SHELLY MANNE drums
I'M AN OLD COWHAND / SOLITUDE / COME, GONE / WAGON WHEELS / THERE IS NO GREATER LOVE / WAY OUT WEST

http://www.amazon.co.jp/Way-Out-West-Sonny-Rollins/dp/B000000YIQ/ref=sr_1_4/249-5324258-9849937?ie=UTF8&s=music&qid=1187085634&sr=8-4

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【読】なつやすみのにっき (5)

としょかんにりくえすとしてあったほんがとどいたので、とりにいってきました。
Sugae_masumi_tabitonikkiじゅうろくねんまえにしゅっぱんされたほんですが、まだだれもよんでいなような、きれいなじょうたいです。
ほんやさんではてにはいらないようなので、がんばってよんでみようとおもいます。
やすみでいえにいても、ほんはほとんどよめません。
つうきんでんしゃやばすのなかのほうが、よくよめるのがふしぎです。

あすから、いっぱくふつかのみじかいりょこうにでます。
ゆきさきは、おくたでしなのしぶおんせんです。
あすは、すわこではなびたいかいがあるので、どうろがこんざつしそうです。
http://www.suwako-hanabi.com/kojyou/


『菅江真澄の旅と日記』 内田武志 著

 未來社 1970.5.30 初版 1991.3.10 新装版

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【読】なつやすみのにっき (4)

きょうは、かぞくのかいものにつきあって、たちかわのはんかがいへ。
ひさしぶりに、おおきなしんかんしょてんをのぞいて、なんさつかしゅうかくがありました。

さいきんこっている、すがえますみかんけいと、あいぬかんけいの、きょうみぶかいほんをみつけました。
たまには、しんかんしょてんをのぞいてみるものだ、とおもいました。
よていがいのしゅっぴでしたが、ほんにはおかねをかけてもいいとつねづねおもっているので、これでいいのです。

Ainu_minzoku_no_rekishi_2Chiri_yukie_sonomawari『アイヌ民族の歴史』 榎森進
 草風館 2007.7.1
 600ページを超える分厚い本
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4309224385
『異郷の死 知里幸恵、そのまわり』
 西 成彦/崎山政毅 編
 人文書院 2007.7.20
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4409160907
津島佑子のエッセイ 「越境の女性作家として」が載っている




Miyamoto_tsuneichi_henkyouEdo_no_tabinikkiShibaryou_kaidou29『辺境を歩いた人々』
 宮本常
 河出書房新社 2005.12.20
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4409160907



『江戸の旅日記』

 ヘルベルト・プルチョワ
 集英社新書 2005.8.22
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4409160907
『街道をゆく 29』
 司馬遼太郎 朝日文庫
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4409160907
「菅江真澄のこと」という10ページほどの短い文章で、菅江真澄にふれている

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2007年8月13日 (月)

【楽】なつやすみのにっき (3)

そとからきこえてくるせみしぐれをききながら、こんなれこーどをきいていました。
これも、ひところよくでていた、れんかばんのせんごひゃくえんのしりーずです。
ふとじのえんそうが、とくにすきですが、どのきょくもごきげん。

Allnight_sessionHampton Hwawes Quartet
  All Night Session, Vol.1-3

 CONTEMPORARY RECORDS 1958

 HAMPTON WAWES piano
 JIM HALL guitar
 RED MITCHELL bass
 BRUZ FREEMAN drums

(Vol.1) JORDU / GROOVIN' HEIGH / TAKIN' CARE / BROADWAY / HAMPTON'S PULPIT
(Vol.2) I'LL REMEMBER APRIL / I SHOULD CARE / WOODY'N YOU / TWO BASS HIT / WILL YOU STILL BE MINE / APRIL IN PARIS / BLUE'N BOOGIE
(Vol.3) DO NOTHIN' TILL YOU HEAR FROM ME / BLUES #3 / BETWEEN THE DEVIL AND THE DEEP BLUE SEA / BLUES #4

http://www.amazon.co.jp/All-Night-Session-Vols-1-3/dp/B000M2E8S6/ref=sr_1_4/249-5324258-9849937?ie=UTF8&s=music&qid=1186985466&sr=8-4

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【読】なつやすみのにっき (2)

Sugae_masumi_minzokuezu1きょうも、あさからあつくてたまりません。
せんぷうきをまわして、なんとかがんばっています。
すぐちかくのとしょかんから、ほんをかりてきました。

すがえますみ、というえどじだいのひとがのこした「えにっき」のようなものです。
すがえますみは、みかわのくに(いまのあいちけん)にうまれ、さんじゅっさいのころから、こきょうをはなれて、とうほくちほう(みちのく、といいました)や、ほっかいどう(えぞち、といいました)をたびして、いっしょうをおえたひとです。

このひとがのこした「え」は、とてもじょうずです。
わかいころに、えのべんきょうもしたようです。
いまとなっては、とうじのひとびとのくらしぶりがよくわかる、きちょうなしりょうになっています。
どこかにいってしまって、なくなったものもおおいようです。

このほんは、さんさつで、さんまんきゅうせんえんもする、こうかなものです。
としょかんには、なぜだか、じょう、ちゅう、げ、のさんかんのうち、にさつしかありませんでした。
Sugae_masumi_minzokuezu3Sugae_masumi_minzokuezu2_2Sugae_masumi_minzokuezu4







旅に生きる ――菅江真澄の記録――
 (須藤 功)
   『日本に生きる 17 東北編 I 』 国土社 P.92- から

 いまからおよそ二百年ほど前、正確には天明四年(1784年)の九月、ひとりの旅人が越後国から出羽国にはいりました。 旅人は菅江真澄という人です。

 菅江真澄は宝暦四年(1754年)に三河国(愛知県)に生まれたのはたしかですが、三河国のどこの村で大きく育ったのかははっきりしません。 また、どういう動機で旅にでるようになったのかもわかりません。 とにかく、天明四年に出羽国に足をふみいれたあとは、文政十二年(1829年)に七十六歳で世を去るまで旅の身空でした。 その間に故郷には一度も帰っていないようです。 菅江真澄は旅日記や地誌、また絵画など数多くの記録を残しているのですが、それらの中にも生まれたところや旅の動機についてはまったくといってよいほど、ふれられていないのです。 (略)

 菅江真澄の数多くの記録は、福島県をのぞく東北五県と北海道南部を旅したときのものです。 そのころの旅ですから真澄のような者には足以外にのりものはなく、その記録も真澄自身が足で歩き、肌にふれるようにして見て聞いてしたためたものです。 道ぞいの風景、人びとの話しことば、家ごとに行われる行事・祭り、その土地に伝わるむかし話など、その内容はいずれも支配階級ではないごくふつうの人びとのくらしぶりが書かれています。 そこから江戸時代後半の東北や北海道南部の人びとの生活のようすを読みとることができます。
 その中で、真澄の陸奥の旅は大きく二度にわけられます。 はじめは天明五年(1785年)から同八年(1788年)にかけて、真澄が三十二歳から三十五歳のときのものです。 そのときの記録にはつぎのようなものがあります。
 『けふのせば布』、『かすむ駒形』、『はしわの若葉』、*『月の松島』、『雪の胆沢辺』、『凡国異器』、*『雪の松島』、『花の松島』、『岩手の山』、『外が浜づたい』

 *印のものは書名はわかっていながらその記録がまだ見つかっていないものです。 しまいの『外が浜づたい』は北海道に渡るために津軽半島東岸を行ったときの旅で、天明八年(1788年)七月なかば、真澄はかねてからのぞんでいた北海道に渡ります。

 二度目の陸奥の旅は、その北海道から帰ってきたときのものです。 寛政四年(1792年)十月、真澄は四年ほどいた北海道をあとにして、下北半島の奥戸(おこつぺ・青森県大間町)というところに帰りつきました。 そしてそれから三年ばかり、真澄は下北半島をあちこちと歩いています。 そのときの記録にはつぎのようなものがあります。
 『牧の冬枯』、『奥の浦うら』、『牧の朝露』、『尾駁(おぶち)の牧』、『奥の手ぶり』、*『千引の石』、『牧の夏草』、『奥の冬ごもり』
 しまいの『奥の冬ごもり』のあとは津軽へまわり、ついでに秋田にはいるのですが、それは第18巻・東北編 II  にゆずります。 (以下、略)

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2007年8月12日 (日)

【遊】なつやすみのにっき (1)

0708130024きょうも、あさからあついいちにちでした。
ひさしぶりに、くるまにのって、やまなしけんのかつぬまへいきました。
こうそくどうろは、こみそうなので、おくたまからやなぎさわとうげをこえて、えんざんにぬけるどうろをはしりました。 おうめかいどうです。

いつもいく、ぶどうえんの「たいがえん」は、まだぶどうのじきにははやいようでした。
http://www.eps4.comlink.ne.jp/~taiga/
おきゃくさんは、ほとんどいませんでした。
「でらうぇあ」しか、おみせにはでていませんでしたが、はやかわさんにぶどうばたけをあんないしていただいて、いくつかぶどうのふさをつんできました。
「でらうぇあ」もおいしかった。
ことしは、てんこうがふじゅんなので、ぶどうのできぐあいはびみょうだそうです。
しゅるいによって、あまくなったものもあるし、「きょほう」なんかはまだすっぱいそうです。
くがつになったら、またいこうとおもいます。
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そのかえりみち、「わいんぐらすかん」によって、おちゃをのみ、ふるーつけーきをたべました。
http://www.tanzawa-net.co.jp/
ここには、がらすせいひんがたくさんありますが、きょうはなにもかいませんでした。
そうそう。となりのおみせで、ぱんとじゃむをかいました。
ここのぱんは、おいしいのです。
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やなぎさわとうげからおくたまにもどるとちゅうのたばやまむらで、おんせんにはいってきました。
「のめこいゆ」というおんせんです。 こんでいました。
http://www.vill.tabayama.yamanashi.jp/
さるすべりがさいていました。
ことしのなつやすみは、あとよっかしかありません。
ちょっとさびしいな。
おしまい。
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【一番上の写真の解説(皿に盛った葡萄の品種名)】
写真の左から、アジロン、デラウェア、藤稔(右手前)、サニールージュ(右奥)         

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2007年8月11日 (土)

【読】菅江真澄みちのく漂流

ようやく読了。 おもしろかったな。
Sugae_masumi_michinoku『菅江真澄 みちのく漂流』
 簾内敬司 著 岩波書店 2001年
簾内敬司 (すのうち・けいじ)
 1951年秋田県に生まれ、県北の白神山麓、二ツ井町に在住。 1975年より88年まで、この地で秋田書房を経営する。 80年代後半より、創作活動を開始。 著書に 『竜のこども』(無明舎出版、1978)、『千年の夜』(影書房、1989)、『東北農山村の戦後改革』(岩波書店、1991)、『宮沢賢治―遠くからの知恵』(影書房、1995)、『日本北緯四十度』(日本経済評論社、1995)、『原生林に風が吹く』(共著、岩波書店、1996)、『涙ぐむ目で踊る』(影書房、1997)がある。

― 「序章 真澄漂泊」 から 引用 ―
二十世紀と二十一世紀とのあいだには裂け目が覗いている。(略) それでは、その裂け目の底の向こうには、見るべき何があるのか。 触れるべき何があるのか。(略) その裂け目の底を歩いた者たちがいる。 芭蕉が歩いた。 蕪村も歩いた。 のちには松蔭も歩いた。 他にも幕府の地図製作や探索方の任務を帯びた者たちも歩いている。 だが、彼らはいずれも帰途につき、江戸や家郷へ帰っていった。 その裂け目の底のもっとも深いところをさまよい歩き、ふるさとへ永遠に帰らなかった者もいる。 菅江真澄である。

・・・とまあ、こんな文章が続くのだが、正直なところ、高邁で持ってまわった言いまわしは好きになれない。
最後まで読み通せたのは、この著者の感性、というか、ものの感じ方に共感できたから(私と同い年というのも何かの縁か)。
それに、何よりも菅江真澄という人がとても魅力的に思えたから。
著者の力量はさすがだ。

天明3年(1783)の春、故郷の三河を離れた真澄(当時、白井秀雄)は、みちのく(東北地方)を旅し、一時期、蝦夷地に渡り、ふたたびみちのくに戻ってからは、死ぬまでずっとみちのく各地を歩きまわった。
もちろん、いつも放浪を続けていたわけではなく、あちこちに長期滞在している。
彼は若い頃に本草の知識を身につけていたので、行く先々で医者のようなことをして、食うのに困らなかった。
「旅」とは、本来こういうものなんだと思う。

さあて、これからは菅江真澄が残した夥しい文章や絵に触れてみようと思う。
といっても、200年以上も前の「古典」だから、なかなか手ごわそうだけれど。

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2007年8月10日 (金)

【楽】ACOUSTIC VOICE

宣伝です。 須藤もんさんも出演します。

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井上ともやす&四谷天窓プレゼンツ
『ACOUSTIC VOICE vol.20』~アコボ20回記念~ 

2007年9月1日(土)
@上野恩賜公園野外ステージ(水上音楽堂)
11:30open / 12:00start
入場無料(カンパ制) 
※雨天決行(屋根あり)、出入り自由

<http://acovo.fc2web.com>

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★出演アーティスト
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①0:00~0:20 天窓オリンピック優勝者
②0:30~0:50 ナミゴコチ
③1:00~1:20 さとうもとき
④1:30~1:50 いいくぼさおり
⑤2:00~2:20 塩川 昇
⑥2:30~2:50 ★飛び入りコーナー
⑦3:00~3:20 成底ゆう子
⑧3:30~3:50 MINAMI
⑨4:00~4:20 きんばらしげゆき
⑩4:30~4:50 須藤もん
⑪5:00~5:20 たがみ☆とよだ
⑫5:30~5:50 石井明夫
⑬6:00~6:20 Tag
⑭6:30~6:50 ホイドーズ
⑮7:00~フィナーレ 井上ともやすバンド
<http://acovo.fc2web.com/schedule07.html>

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★夏恒例・歌の祭典『ACOUSTIC VOICE』とは?
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
シンガー井上ともやす主催で開催されているイベントに
「四谷天窓」が2005年度から参戦。
会場は上野水上音楽堂という1000人規模の野外ステージ!
1992年から続くこのイベントも今年で20回目を迎えます。
今年も豪華出演陣が集結して夏休みの大トリを盛り上げます!
今回はサブステージにて「100人ライブ」も開催。
<http://acovo.fc2web.com/about.htm>

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
★サブステージ出演者募集!
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「サブステージにて100人のアーティストが歌います!」
それに伴い、出演者を広く募集します!真夏の炎天下の下、
一緒にアコボを盛り上げてくれる熱いハートをもった方なら
誰でも参加可能です。(ユニット不可。ギター、エレピ有り)
※自身のホームページなどでアコボの宣伝をしてくれることが
条件です。(※音源は必要ありません)

出演希望の方は四谷天窓・斉藤まで。
MAIL: saito@otonami.com TEL:03-5338-6241

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
★「アコボ」は屋台も充実!フリマも出店!
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
生ビールはもちろん、各種ドリンク、おつまみ各種ご用意。
フリーマーケットもあり!(※詳しくは公式サイトを♪)

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
★この夏も上野でお会いしましょう!!
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
とにかく入場無料なんでお気軽に遊びに来て下さい!
一緒に「夏祭り」、「音楽祭」を楽しみましょう!
9/1(土)はお友達を誘ってぜひ上野公園へ♪

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
【アコボ公式サイト】
URL: http://acovo.fc2web.com ※携帯からも見れます。

「掲示板にも遊びに来て下さい!」
最新情報はここでチェック。ご意見、ご希望、質問やら
なんでもどんどん書き込んで行って下さい。
<http://8405.teacup.com/acovo/bbs>

■お問い合わせ
井上ともやす(主催者)
MAIL: water-i@mx10.ttcn.ne.jp

四谷天窓(共同企画)
〒169-0075東京都新宿区高田馬場3-4-11BaBa hatch 3F
03-5338-6241
URL: http://www.otonami.com
MAIL: tenmado@otonami.com

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2007年8月 5日 (日)

【楽】蝉しぐれとレコード

部屋の寒暖計は30度を超えている。
0708050013_2ベランダ側のガラス戸を開けて、網戸だけにしていても風が入ってこない。
まさに、August Heatだ。
蝉しぐれとはよく言ったもので、時雨のようにざわめきがやまない。

何枚かのレコード盤をとりだして、聴いていた。
どれも懐かしいレコード。 ひさしぶりに聴いたものばかり。

0708050001WES MONTGOMERY (写真右)
 "ROAD SONG"
The Great Jazz Trio (写真左)
 "At The Village Vanguard"
 HANK JONES (Piano)
 RON CARTER (Bass)
 TONY WILLIAMS
ボッケリーニ チェロ協奏曲 (写真上)
 モーリス・ジャンドロン(チェロ)
 パブロ・カザルス(指揮) コンセール・ラムルー管弦楽団

3枚ともジャケットが洒落てるなぁ。
1枚目 ウェス・モンゴメリーの、この軽い音楽(ドン・セベスキーのアレンジ、オーケストラをバックのギター演奏)、評論家の評判はさんざんだったものだが、悪くないのだ。
2枚目 ピアノ・トリオ演奏のライブ盤。 トニー・ウィリアムスのドラムスが、すごい。
3枚目 カザルスの愛弟子 ジャンドロンは、若い頃の梅宮辰夫に似ている、なんてつまらないことを思う。 このジャケットだけで、聴いてみたくなる一枚。 その昔、fontanaという廉価レーベルで、こういういい演奏のレコードがたくさん出ていたのだ。

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【楽】今日の一枚(パラグアイ・ハープ)

暑い真夏の昼間。 こんなCDを持っていたので、引っぱりだして聴いている。

Cecilia_mitsuko1『パラグアイ・ハープの女王/セシリア光子』
KING RECORD KICP 245 1992年
セシリア光子(パラグアイ・ハープ)
オズワルド・ガオーナ(ギター)
録音 1989~1991年 アスシオン、サンパウロ

Cecilia_mitsuko2_2ハープ(スペイン語でアルパ)の歴史は、古代エジプトから始まり、中南米には16から7世紀の植民地時代にイエズス会の修道士たちによってインディオ教化のためにスペインから持ち込まれた。
ハープは、各国で独自の発展を遂げたが、パラグアイのものが最も完成度が高く、形もヨーロッパのものに近い。
音色は華麗で力強い。
セシリア光子 パラグアイ・ハープの巨匠オズワルド・ガオーナ唯一の後継者。
もともとピアニストだった。 1976年から南米各国で生活するようになり、サルサ、メレンゲ等多くのリズムを体得し、パラグアイ・ハプに出会った。
1985年、ブラジルのサンパウロでガオーナに師事。 彼女は急速にその才能を開花させ、間もなくブラジルを中心にテレビ出演やコンサート、作曲家、指導者として活発な活動を開始した。
1990年、本場パラグアイでの世界ハープ・フェスティヴァルに招かれ、大絶賛を受け、一躍 "パラグアイ・ハープの女王" と報道され、その地位を確固たるものにした。  ― アルバム解説から ―

西洋クラシック音楽のハープの音色に慣れた人の耳には、新鮮な響きだろう。
躍動感あふれる中南米音楽。 いいなぁ。

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2007年8月 4日 (土)

【読】小説・菅江真澄(続)

フィクションではあるが、ほとんど史実をベースにしていて、興味ぶかかった。
以下、個人的な覚え書きとして残しておこう(後になると忘れてしまうから)。

Sugae_masumi_novel中津文彦  『天明の密偵 小説・菅江真澄』 (文藝春秋)
菅江真澄(1754?~1829/宝暦4?~文政12) が、まだ白井秀雄という本名で旅をしていた前半生の話。
題名からうかがわれるように、白井秀雄が蝦夷地を目指したのは、政治的な密命を受けてのことだったのではないか、という作者の推理がベースになっている。
天明の密偵(中津文彦) ―文藝春秋のサイト―
http://www.bunshun.co.jp/book_db/3/23/26/9784163232607.shtml

船戸与一 『蝦夷地別件』 と重なって(まさに同時代)、なじみのある名前がいくつも出てきた。
Funado_ezochi_bekken1Funado_ezochi_bekken2白井秀雄(のちの菅江真澄)が松前に渡ったのは、天明8年(1788)の7月半ば。 翌年の寛政元年(天明9年改元、1789)、江差の南にある上ノ国の川岸で、モロラン(室蘭)の番所から松前へ「夷人」の反乱を告げに走る松前藩の侍から、「クナシリ・メナシ」のアイヌ蜂起を聞いた ――と、この小説では描かれている。
『蝦夷地別件』に描かれた事件であり、反乱に関わりのあったアイヌ長老(乙名=オトナ)の名前も出ている。 実在の人物なのだろう。
クナシリのツキノエ、サンキチ、セツハヤフ(蜂起のリーダー)、イコトイらだ。
『蝦夷地別件』 の登場人物一覧では、次のようになっている。
ツキノエ・・・国後の脇長人(ワキオトナ)
サンキチ・・・国後の惣長人(ソウオトナ)
セツハヤフ・・・国後の長人(オトナ)、ツキノエの息子
イコトイ・・・厚岸の惣長人(ソウオトナ)、ツキノエの甥
このイコトイだけが、『小説・菅江真澄』では、ツキノエの息子、セツハヤフの兄弟となっているところがちがっているが、あとは同じ。
リーダーのセツハヤフはじめ37人はノッカマップ(根室)で処刑され、蜂起に参加せず鎮圧する側にまわったイコトイが、鎮圧後、松前で藩主の松前道弘に謁見し、褒美をもらう。 これは史実。

Yamakawa_libretto50その折、蠣崎波響(広年=松前道弘の異母弟)によって描かれた「蝦酋列像」の中の一枚が左。 描かれているのはイコトイである。
わたしはこの絵を見ると気分が悪くなる。
三白眼というのか、アイヌをこういう目つきの異形に描いた画家の悪意を感じるのだ。
それはさておき、この絵のイコトイが着ているのが、「蝦夷錦」と呼ばれた豪華な衣装。
アイヌ語では、サンタンチミップと呼ばれていたという(『蝦夷地別件』による)。
アイヌの人々が「山丹交易」で入手したものが和人の手に渡ったもので、元々は清朝の礼服だともいわれている。
『小説・菅江真澄』では、この衣装は、蠣崎広年が松前藩の宝物庫に納められていたものを貸し与えた、ということになっているが、『蝦夷地別件』では、イコトイも所有していたように描かれていた。
このあたりは、どこまでが史実かわからない。 船戸与一の創作かもしれない。

Minpaku_ezonishiki_2このサンタンチミップの実物は、大阪の国立民族学博物館で見たことがある。 左は、私が撮影したその写真。
民博の館内では、一部例外はあったが写真撮影を許されていた。(2001.5.4 撮影)
国立民族学博物館 (大阪府吹田市千里万博公園10-1)
http://www.minpaku.ac.jp/

Japan_chronik755_2白井秀雄は、蝦夷地でこの事件に遭遇した後、不自然な形で松前から逃げるように下北半島に戻る。
菅江真澄を名乗るようになったのは、48歳で津軽を離れ、出羽から秋田(久保田)に落ち着いた五十代なかばを過ぎた頃らしい。
それまでに書きためていた日記類や画帳を整理して、膨大な旅日記を残している。
頭巾をかぶった晩年の風雅な相貌からは想像できない、波瀾にみちた半生だったことが、この小説を読んでみてよくわかった。

(左:講談社『日本全史』 P.755 1785/天明5年の項から)



次に読んでみようと思っているのが、この本。
Sugae_masumi_michinoku_2 『菅江真澄 みちのく漂流』
簾内敬司(すのうち・けいじ) 著
岩波書店 2001年
こちらは小説ではなく、少し硬そうな内容だ。   

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2007年8月 2日 (木)

【読】小説・菅江真澄

Sugae_masumi_novelこれが、じつに面白い。
中津文彦 『天明の密偵 小説・菅江真澄』 (文藝春秋 2004年)
半分ほど読んだが、はたと膝を打つことが多いのだ。
実在の人物・菅江真澄をモデルにしたフィクションではあるが、当時の時代背景がていねいに描かれている。
老中 田沼意次が専横をきわめた時代、浅間山の大噴火(天明3年・1783)、天明の大飢饉(天明3~8年)、青嶋俊蔵、最上徳内らによる蝦夷地探索、・・・そうか、菅江真澄が生きたのはそういう時代だったのか。
蝦夷地の「お試し交易(試み交易)」といえば、1789年(寛政元年)には「クナシリ・メナシ」の反乱が起きている。
弾左衛門も登場する。 夷人(アイヌ)のイコトイも出てくる。
『蝦夷地別件』(船戸与一)や『浅草弾左衛門』(塩見鮮一郎)の時代と、ぴったり符号するのだ。
これまで関心をよせてきたいろいろなものが、この小説でいっきに繋がり、200年以上前の江戸時代のダイナミックなうねりが、目の前にひろがってくる。

― 作者あとがきから抜粋 ―
菅江真澄の名は、江戸後期の民俗学者としてつとに有名である。 生涯を旅にすごし、各地の風俗、民俗などを日記体で詳細に書き残した。・・・
真澄は、三十歳ぐらいのときに郷里を後にして生涯の旅に出るのだが、プライベートなことは何一つ明かさずに旅を続けており、日記にも綴っていない。・・・
この旅に出た目的を「日本中の古い神社を拝んで回りたいと思ったからだ」と真澄は述べている。 だが、どうやら蝦夷地(北海道)に渡ろうと決意していたふしが窺われる。 旅に出た当時は、折悪しく天明の大飢饉の最中だったし、信濃路を辿っていたときには浅間山の大爆発が起きたりした。 このため、ひどく困難な旅を強いられたのだが、それでも蝦夷地に渡る決意に揺るぎは見られない。・・・
当時の蝦夷地に、何かあったのだろうか。 そう思って調べてみると、意外な史実が浮かび上がってきた。 田沼意次が老中として絶大な権勢を誇っていた時代で、蝦夷地に巨大な陰謀を巡らしていたことがわかったのだ。 このことは、次の松平定信による政権下で抹殺され、歴史書にも登場しない。・・・

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2007年8月 1日 (水)

【読】菅江真澄

菅江真澄にずっと関心があって、何か読んでみようと思い続けていながら、なかなか手が出なかった。
Sugae_masumi_novelこの小説は、とてつもなく面白い。
『天明の密偵 小説・菅江真澄』
中津文彦 著 文藝春秋
2004年08月発行 ページ 331P
サイズ 四六判  1,800円(1,714円+税)
ISBN 978-4-16-323260-7 (4-16-323260-5)
C-CODE 0093 NDC 913.6

菅江真澄(すがえ ますみ)
宝暦4年(1754年) - 文政12年7月19日(1829年8月18日)
江戸時代後期の旅行家、博物学者。
生まれは、三河国渥美郡吉田付近と伝えられる。
本名は白井秀雄、幼名は英二といった。 ―Wikipedia―

『菅江真澄遊覧記 1~5』
平凡社ライブラリー す 2-1~5
菅江真澄 著 内田武志・宮本常一 編訳 平凡社
2000年04月 発行 ページ 411P サイズ 文庫  1,365円(1,300円+税)
ISBN 978-4-582-76335-5 (4-582-76335-9) C-CODE 0395 NDC 915.5
Sugae_masumi_yuuran1Sugae_masumi_yuuran2Sugae_masumi_yuuran3Sugae_masumi_yuuran4Sugae_masumi_yuuran5

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