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2007年8月27日 (月)

【読】東北ルネサンス

この本が予想以上におもしろい。
Akasaka_touhoku_renaissance『東北ルネサンス』 赤坂憲雄 編
 小学館文庫 あ8-1 2007.8.12 600円(税別)
巻頭の五木寛之との対談もおもしろかったが、続く、中沢新一との対談も興味ぶかい内容。
東北の縄文文化(蝦夷=えみしの文化)が、アイヌ民族や、さらにはアラスカの(エスキモー、イヌイットと呼ばれる)先住民、(インディアンと呼ばれる)ネイティヴ・アメリカンともつながっている、という指摘が刺激的だ。
宮澤賢治の童話の世界に垣間見える縄文人の世界にも言及している。
これを読んでいて、ふと思いを馳せたのは、写真家の星野道夫さんが探ろうとしていたアメリカ大陸先住民のルーツである。

中沢 <アメリカ先住民たちが氷結したベーリング海を越えてアメリカ大陸に入っていったのは一万二千年から三千年前です。>
赤坂 <どのあたりが源流になるんですか。>
中沢 <バイカル湖の東方周辺あたりから少し北へ行った人々ですね。 二つに分かれていると思うんです。 一方は黒龍江省の方へ下ってきている人たちがいますね。 もう一方の人たちは、これは物凄く寒いところに適応することに成功した人たちで、(略) これがいまのシベリアのベーリング海峡の近くまで接近していきました。>

赤坂 <千年前に古代の東北の蝦夷たちはヤマトにそういう形で抵抗して敗れた。 それから、百年、二百年前に北海道のアイヌの人たちがやはり国家というものをつくらない部族社会の段階で、強大なヤマトの国家と遭遇して敗北する。 その敗北というのは、ある種の必然かもしれないけれども、思想的にはどちらが優れていたのかはわからないと僕も思いますね。>
中沢 <思想といってしまうと、思想なんか何になるという言い方がありますけれども、ただ人間のディグニティー(尊厳)ということを考えると、東北の縄文の人たち、あるいは平安時代の蝦夷の人たちが選びとった道というのは、人間の尊厳を守ろうとする立派な考え方だったと思います。>

中沢新一には、『森のバロック』 という南方熊楠をテーマにした著作がある。
気になっていた本だ。 こんど、読んでみようと思う。
Nzkazawa_mori_no_baroque_4『森のバロック』 中沢新一
 講談社学術文庫 -1791-  2006.11発行
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4061597914

『チベットのモーツァルト』 (せりか書房)を、だいぶん前に古本屋で手に入れていたが、まだ読んでいない。 おもしろいのかもしれない、と思う。 (講談社学術文庫でもでている)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4061595911

『東北ルネサンス』の中で、中沢氏がこんなことを言っている。
<たとえばチベットなんかですごい荘厳な儀式をやったりしているでしょう。 あれが昔から何かたいへんな根拠をもって行なわれているかのように思うかもしれませんけれども、違うんですよ。 ある時代にやっぱりアイデアマンが出て、この儀式をこういうふうにしたらもっとおもしろいとか・・・>

携帯ストラップのマスコットや、武士の刀の「根付」が、縄文時代の土偶に通じる、という思いがけない指摘にも驚いたのだった。

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