【読】菅江真澄みちのく漂流
ようやく読了。 おもしろかったな。『菅江真澄 みちのく漂流』
簾内敬司 著 岩波書店 2001年
簾内敬司 (すのうち・けいじ)
1951年秋田県に生まれ、県北の白神山麓、二ツ井町に在住。 1975年より88年まで、この地で秋田書房を経営する。 80年代後半より、創作活動を開始。 著書に 『竜のこども』(無明舎出版、1978)、『千年の夜』(影書房、1989)、『東北農山村の戦後改革』(岩波書店、1991)、『宮沢賢治―遠くからの知恵』(影書房、1995)、『日本北緯四十度』(日本経済評論社、1995)、『原生林に風が吹く』(共著、岩波書店、1996)、『涙ぐむ目で踊る』(影書房、1997)がある。
― 「序章 真澄漂泊」 から 引用 ―
二十世紀と二十一世紀とのあいだには裂け目が覗いている。(略) それでは、その裂け目の底の向こうには、見るべき何があるのか。 触れるべき何があるのか。(略) その裂け目の底を歩いた者たちがいる。 芭蕉が歩いた。 蕪村も歩いた。 のちには松蔭も歩いた。 他にも幕府の地図製作や探索方の任務を帯びた者たちも歩いている。 だが、彼らはいずれも帰途につき、江戸や家郷へ帰っていった。 その裂け目の底のもっとも深いところをさまよい歩き、ふるさとへ永遠に帰らなかった者もいる。 菅江真澄である。
・・・とまあ、こんな文章が続くのだが、正直なところ、高邁で持ってまわった言いまわしは好きになれない。
最後まで読み通せたのは、この著者の感性、というか、ものの感じ方に共感できたから(私と同い年というのも何かの縁か)。
それに、何よりも菅江真澄という人がとても魅力的に思えたから。
著者の力量はさすがだ。
天明3年(1783)の春、故郷の三河を離れた真澄(当時、白井秀雄)は、みちのく(東北地方)を旅し、一時期、蝦夷地に渡り、ふたたびみちのくに戻ってからは、死ぬまでずっとみちのく各地を歩きまわった。
もちろん、いつも放浪を続けていたわけではなく、あちこちに長期滞在している。
彼は若い頃に本草の知識を身につけていたので、行く先々で医者のようなことをして、食うのに困らなかった。
「旅」とは、本来こういうものなんだと思う。
さあて、これからは菅江真澄が残した夥しい文章や絵に触れてみようと思う。
といっても、200年以上も前の「古典」だから、なかなか手ごわそうだけれど。
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投稿: BlogPetのやまうさぎくん | 2007年8月13日 (月) 09時23分