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2007年8月30日 (木)

【読】イザベラ・バードと義経神社

赤坂憲雄 『東北ルネサンス』 を、ようやく読み終えた。
最後の、山折哲雄さんとの対談のなかで、赤坂さんがイザベラ・バードの 『日本奥地紀行』 に触れ、バードが日高の義経神社を訪れたときのことが紹介されている。

Isabella_birdイザベラ・バード 『日本奥地紀行』
 高梨健吉 訳 平凡社ライブラリー 2000.2.15発行
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4582763294/

バードは、通訳の青年(伊藤)とともに、アイヌの人たちに案内されて義経神社に行った。
彼女はこころやさしい人ではあったが、すこし意地悪な感想を書いている。

<義経の華々しい戦の手柄のためではなくて、伝説によれば彼がアイヌ人に対して親切であったというだけの理由で、ここに義経の霊をいつまでも絶やさず守っているのを見て、私は何かほろりとしたものを感じた。>
<彼らは、私にも、彼らの神を拝むように、と言ったが私は、天地の神、死者と生者の神である私自身の神だけしか拝むことはできない、と言って断った。 彼らは礼儀正しいから、その要求を無理に強いなかった。 伊藤はどうかといえば、彼にはすでに多くの神々がいるから、今さら一人神様を増したところで何ということもないから、彼は拝んだ。 すなわち征服民族である自分の民族の偉大な英雄の前で喜んで頭を下げたのであった。>
(『日本奥地紀行』 平凡社ライブラリーから)

イザベラ・バードも、やはり、一神教(キリスト教)を信じる西洋人の一人だった。
彼らには、山川草木あらゆるものに神を感じる、多神教的な日本人、アイヌ人のこころが、とうてい理解できないのだろう。

赤坂 <バードという人は、この時代のイギリス人としては、たぶん例外的なほどに人種的な偏見が少ない人だったと思います。 けれども、牧師の娘でもありましたし、異邦人の神に対して手を合わせるなんていうことは絶対できないと拒むわけです。>

赤坂 <そこに非常に鮮明にあらわれているのは、ヨーロッパ的な唯一絶対神に対する信仰を持った人たちの神の概念と、日本的あるいはアジア的な、たとえば夕日のなかにも神を見てしまう・・・多神教的な風土とが衝突している姿だと思うんです。>

赤坂 <バードは繰り返し言っています。 「日本人の信仰にしろ、アイヌの信仰にしろ、これは宗教ではない。 ここには教会もなければ、教義もなければ、伝道の仕組みもない」。 一神教を背景にしたバードは、これは宗教ではないと言うんですね。>

『東北ルネサンス』 は、なかなかおもしろく、刺激的だったが、うまく要約できなくて、いつものように引用だらけになってしまった・・・。
とりあえず、おしまいにしよう。 夜も更けたことだし。
Akasaka_touhoku_renaissancehttp://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4094081968

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コメント

ご紹介、ご苦労様でした、バード、やはり自分の育った殻からは抜け出ていないのですね。その部分を読み直してみます。私は、朝日や夕陽に神を見ます。教義も教会もない自然に神を感じますから、多神教的なんでしょうね。

投稿: 玄柊 | 2007年8月31日 (金) 08時20分

>玄柊さん
わたしも、もう一度読み返したい本です。
イザベラ・バードは正直な人ですね。わたしは好きです。
西洋の文化と、東洋の文化のあいだには、大きな溝があるのでしょう。
理解しあえないことはないのでしょうが、神の名による「聖戦」ということ言っているアメリカ大統領が健在な現状では・・・。イスラムもその点は同じ。
赤坂さんのこの対談集では、そんな西洋至上主義や一神教的な考え方に対して、異議を唱えています。
面白い本でした。

投稿: やまおじさん | 2007年8月31日 (金) 19時59分

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