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2007年9月の29件の記事

2007年9月30日 (日)

【楽】【読】Portrait in Jazz

図書館へアルバータ・ハンターの伝記を返しにいったついでに、こんな本をみつけて借りてきた。

Portrait_in_jazz『Portrait in Jazz』 和田誠 / 村上春樹
  新潮社 1997.12.20
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4103534079
和田誠が描いた26人のジャズ・ミュージシャンのポートレイトと、村上春樹の文章。
それに、村上春樹が選んだと思われる、各々のミュージシャンのアルバム・ジャケット写真が掲載されている。
和田誠の絵が、なんともいえず味があって、いい。


「Portrait in Jazz」
といえば、ビル・エヴァンスの有名なアルバムを思いだす。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000000Y59
このジャケット写真が秀逸。
まるで大学教授のようなビル・エヴァンスの澄ましたポートレイトだ。

Evans_portrait_in_jazzEvans_waltz_for_debbyこの本でとりあげられているエヴァンスのアルバムは、「Waltz for Debby」 で、音楽内容はもちろん素晴らしいのだが、ジャケットがまた洒落ている。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000000YBQ
Debbyというのは、エヴァンスの姪の名前。
その姪に捧げたワルツ曲が、アルバムのタイトル曲である。
そんなエピソードを知っていると、この少女のシルエットがなんとも可愛らしく見えてくる。

ところで、私がこのところ評伝を読んだり、アルバムを聴きなおしているエリック・ドルフィーだが、この本では 「Out There」 という、1960年8月に録音された初期アルバムがとりあげられている。
オリジナルのジャケットは、私が持っている輸入盤LPとちがって、無名画家によって描かれたと思われる、不思議な絵なのだった。
Dolphy_out_there_orgDolphy_out_there左がオリジナル盤、右がその後のジャケット。
ドルフィーの初期アルバムには、こういう例が多い。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000EMGIH8



邦題 「惑星」 と名づけられた、最初のリーダー・アルバム 「Outward Bound」 も、そうだ。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000H0MNNU
左がオリジナル盤、右がその後のジャケット。
私が持っているのは右で、購入当時は、ドルフィーの国内盤がなくて輸入盤ばかりだった。
Dolphy_outward_bound_orgDolphy_outward_bound最近は、オリジナル・ジャケットに人気があるようで、発売される時はオリジナル・ジャケットが使われることが多いようだ。
でも、並べてみると、ドルフィーの写真が使われた再発売盤のジャケットもなかなかだと思うのだ。
ジャズのアルバム・ジャケットは、見ているだけで嬉しくなるものが多いなぁ。

雨の日曜日、ジャズのアルバムを聴きながらすごしている。

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2007年9月29日 (土)

【楽】音楽は虚空に消え

「音楽は虚空に消え、二度ととらえることはできない」 (エリック・ドルフィー)

“When you hear music, after it's over, it's gone in the air.
 You can never capture it again.”

1964年6月29日、滞在先のベルリンで、わずか36歳の若さで亡くなった Eric Dolphy が、『Last Date』 というライブ・アルバムの最後に残した有名な肉声である。

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00008KKTC
Dlophy_last_date_2LAST DATE
 Eric Dolphy with The Misja Mengelberg Trio
 Hilversum, Neitherland, 2 June 1964
Eric Dlophy (as, fl, bcl) / Misja Mengelberg (p)
Jacques Schols (b) / Han Bennink (ds)



Eric_dolphy_bookドルフィーの評伝 『エリック・ドルフィー』 (晶文社)は、こういっちゃなんだが、読みにくかった。
本屋で何度もみかけていたのについに買わなかったのは、この読みにくさが原因だったんだと、今になって思う。

それでも、ドルフィーの短かった演奏生活の詳細が、ぎっしり詰め込まれていて、とても興味ぶかかった。
斜め読みで、前半を読了。
後半は、清水俊彦という人が書いた評伝 「影からきた魔法使い」。
前半よりも小さい活字で(7ポか)、とても読みきれそうにない。

ところで、ドルフィーが、ミンガス(Charles Mingus)よりもコルトレーン(John Coltrane)と親密だったことを知り、意外だった。
コルトレーンといっしょにヨーロッパで演奏旅行もしているし、ライブ録音もたくさん残っているようだ。

今日、ひさしぶりに新宿のタワーレコードを覗いてみたら、ドルフィーが参加しているコルトレーンのアルバムが欲しくなって、購入。
紙ジャケットがなかなかいい感じだ。
ずっと前、アナログ・レコードで持っていたはずなのに、どこかにいってしまって手許にないものだった。

Clotrane_oleColtrane_africa_brassOLE COLTRANE John Coltrane
 ATLANTIC 1373 (WPCR-25107)
 New York City, 25 May 1961
Freddie Hubbard (tp) / John Coltrane (ss,ts) / Eric Dolphy (as,fl) / McCoy Tyner (p) / Art Davis (b) / Reggie Workman (b) / Elvin Jones (ds)
AFRICA / BRASS
 The John Coltrane And His Orchestra

 IMPULS AS-6 (UCCI-9008)
 New York City, 23 May 1961 & 7 June 1961
Booker Little (tp) / Britt Woodman (tb) / Carl Browman (euphonium) / Don Corrado, Bob Northern, Robert Swisshelm, Julius Watkins (frh) / Bill Barber (tu), John Coltrane (ss,ts) / Eric Dolphy (as,fl,arr) / Pat Patrik (bs) / McCoy Tyner (p) / Art Davis, Reggie Workman (b) / Elvin Jones (ds)
 ※ 『エリック・ドルフィー』 (晶文社) のディスコグラフィーを参考にした。

レコードやCDで何度も繰り返し聴けるのは、ありがたいことだが、冒頭の言葉のように、本来、音楽は一度演奏されたら二度と捉えられない、一回こっきりの芸術だと思う。

スタジオ録音は、「編集」という人の手が加えられていてあまり好きではない。
ライブ録音でも、カットしたり、つぎはぎしたりということが、ドルフィーの音源でも多かったらしい。

虚空に消える音楽を、なんとかこの手に捉えようとする。
残された録音を繰り返し聴くのは、そんな行為かもしれない。

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2007年9月28日 (金)

【楽】HONZIさんの死を悼む

HONZI(本地陽子)さんが亡くなったことを聞き、呆然とした。
http://natalie.mu/news/show/id/3558
http://www.bounce.com/news/daily.php/11679

昨夜遅く、なにげなくメールを開くと、訃報が飛び込んでいた。
数日前、このブログに上々颱風のアルバム 『上々颱風9 ~心の花~』 のことを書いたばかりで、なんだか虫の知らせだったような気がしてならない。
バンドのメンバーではないのでジャケット写真には載っていないが、HONZIさんがこのアルバムに参加しているのだ。
(Viloin,Mandolin,Chorus : HONZI)
ライブ会場でCDの盤面にもらったメンバーのサインの中に、HONZIさんのサインもある。

私にとってのHONZIさんは、上々颱風のバイ・プレイヤーとしてすばらしい演奏を聴かせてくれたヴァイオリニストだった。
『上々颱風8』、『パラダイス ライブ!』、『上々颱風9』 で、その演奏が聴ける。
『パラダイス ライブ!』 では、白崎映美さんがメンバー紹介で 「ヴァイオリン HONZI!」 と叫び、ひときわ大きな拍手を浴びている。
現場に居あわせなかったことが悔しく思えるほど、臨場感あふれるライブ録音だ。

ライブで何度かHONZIさんの姿を拝見した。
じつにカッコイイ演奏スタイルだった。

2001年7月、花園神社 七夕ライブ。
夕闇の中での幻想的なライブだった。

同年10月、『上々颱風9』 発売時の、新宿タワー・レコードでのインストア・ライブ。
(サインはこの時にもらったことを、今おもいだした)

そして、遊行寺でのライブ。
これも、上々颱風のライブに行き始めた頃の私にとって、忘れられない印象的なライブだった。
(残念なことに、「上々颱風パラダイス(当初は、上々颱風祭り)」 と題された、毎年恒例の野外ライブは、この年を最後になくなってしまった。
(七夕の新宿花園神社ライブは、いまも続いている)

同年11月には、千葉県野田市のライブ・ハウスで、猪野陽子・渡野辺マント夫妻とHONZIさんが共演したライブを、車に乗って聴きにいった。
『HONZI Two』 というアルバムを入手したのは、そのお店でのライブ終演後だった。
HONZIさんのサインをもらいたかったが、販売には関心がない人なのか、わりとそっけない応対だった。
思いきって話しかけてみればよかった……と、今になって思う。
間近にみるHONZIさんの演奏は、じつに凛としていて、すごい人だなと感じ入ったものだ。

もうひとつ、ライブの様子をおもいだした。
渋谷の小さなライブ・ハウスで、紅龍氏と郷ちゃんのライブがあったのは、それほど前ではなかったと思う。
若手男性ヴァイオリニスト(紅龍氏が発掘したという)と、なぜかHONZIさんも共演していた。
その二人の技術、音楽性のちがいは一目瞭然で、あらためてHONZIさんのすごさに瞠目したのだった。
(このライブの記憶はちょっと怪しい)

ヴァイオリンのほかに、アコーディオンやキーボードも弾きこなす、才気あふれる人だった。
早すぎる死だったな。 癌かぁ・・・…。

私が持っているHONZIさんのアルバムは、2枚。
左が 『honzi one』、右が 『HONZI Two』、どちらもユニークなジャケットだ。

Honzi_oneHonzi_two_3 合掌、とか、ご冥福をお祈りします、などといった通り一遍の、温かみの感じられない悔やみのことばを、私は嫌う。
千の風になって、というイメージも、いまや手垢のついた言葉だが、この人こそ 「千の風になって」 いつまでも私たちの記憶に残る人だろう。 そう思う。
いつも帽子をかぶっている人だった。 オシャレだったな。




【2007.9.29追記】
HONZIさんのライブ映像が YouTube のサイトにいくつか公開されていた。
Gadi ga Gada
http://www.youtube.com/watch?v=TJTeWq5if1Q
Honzi Solo (みんな夢の中)
http://youtube.com/watch?v=hS0sR-LbzI0
Laï lalilaï
http://youtube.com/watch?v=04Gd5z84r60
福、オスロでやる! "FUKU" in Oslo
http://youtube.com/watch?v=zyQER4WANE8

YouTube内で検索すれば、他にもあるかもしれない。

ネット検索で、いろんな人が書いているHONZIさんのエピソードを読んでいる。
いい話がたくさんあった。
かなり個性の強い人だったと私は思っていたが、こんなに慕われていたのか・・・と。

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2007年9月25日 (火)

【楽】月が居たよ

このタイトルにすぐに反応した人は、上々颱風ファン。
中秋の名月。
ケイタイのカメラで、ちょっとおもしろい幻想的な写真が撮れた。

200709251916_2「月が居たよ」
   作詞・作曲 西川郷子
 『上々颱風9 ~心の花~』  2001.9.19発売
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00005NJPE

♪ 月は勇気 / 遠く 高く 唯ひとつ
君の笑顔も うそも / 僕の ほんとも うそも
風にほどけて / そっと とけるよ ♪

Shangshang9_2Shangshang9アルバムが発売されてすぐ、藤沢市の遊行寺で上々颱風の野外ライブがあった(2001/10/20 遊行寺境内)。
ライブは夕刻に始まり、やがて日が暮れ、月あかりの下で西川郷子さんがこの歌を歌った。
幻想的で、忘れられないライブだった。 寒かったけれど。

この名曲は、西川郷子さんのソロ・アルバム 『郷音 hibiki』 にも収録されている (西川さんのソロ、ミン・ヨンチさんのチャング伴奏)。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000M2EB6K
Nishikawa_hibiki

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2007年9月24日 (月)

【雑】見逃した―22222

どうということはないのだけれど、このブログのアクセスカウンターが、さきほど 22224 を示していた。
惜しかったなぁ、ぞろ目を見逃してしまった。
ブログを始めたのが2年前の9月の今頃。
よく続いたな、と思う。
おかげさまで、アクセスカウンターも2万を超え、あっというまに2万2千。
さまざまな検索サイトからのご訪問あり、ひそかにご覧くださっている方あり、コメントをお寄せくださる方あり。
その積み重ねがアクセスカウンターにあらわれています。
あらためて、ご覧くださっている皆さまにお礼を申しあげます。

2年前の初回の投稿を、ここに再録します。

http://yamaoji.cocolog-nifty.com/blog/2005/09/post_d279.html
2005年9月19日 (月) 18時30分
【雑】始めてみようかなぁ・・・
掲示板の他に、ブログを始めてみました。
その時々に書きたいことを書いてみたいと思っています。
ブログを使うのは初めてなので、いろいろと試行錯誤しながらですが、ひとつヨロシク。

まったく、書きたい放題、勝手きままに書いてきただけですが、いつのまにか病みつきになってしまいました。
おかしな言い方ですが、自分じしんがこのブログの一番の愛読者です。
つまり、まあ、楽しみ、道楽のたぐいです。
何かしらご感想をお寄せいただけるなんて、望外のヨロコビです。

これからも、気が向いたときに覗いてやってください。
一部の方に誤解されているかもしれませんが、コメント嫌いではありませんので、これもお気の向いたときに、どうぞご遠慮なくコメントをお寄せください。

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【楽】【読】エリック・ドルフィーの伝記

アルバータ・ハンターの伝記を読んで、次に読んでみようと思いたったのがこれ。

Eric_dolphy_bookUekusa_jinichi14『エリック・ドルフィー』
ウラジミール・シモスコ / バリー・テッパーマン
間 章 訳  晶文社 1975

『植草甚一スクラップブック 14
 ぼくたちにはミンガスが必要なんだ』

植草甚一  晶文社 1976

ドルフィーの伝記は、発売当時から気になっていて、いつか手に入れようと思っているうちに、絶版になってしまった。
いま、古本市場ではべらぼうな価格がついている。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4794951787
(活字が小さくて読みにくそうな本なので、ずっと敬遠してきた)

植草甚一の本を借りたのも、植草さんのドルフィーに関する文章を読んでみたかったからだ。
この本では、セロニアス・モンク、エリック・ドルフィー、チャーリー・ミンガスの三人を扱った文章が集められている。
はやいもので、植草さんが亡くなってもう27年になる。

まったく関係ないが、いまちょうど、NHK-FMのつのだひろの番組で、ちあきなおみ特集を放送している。
つのだひろ NHK-FM:MUSIC PLAZA 第2部 -ポップス-
http://www.nhk.or.jp/mp2/pc/01mon/index.html

ちあきなおみは、ほんとうに上手な歌手だと思う。
つのだひろも、この人を絶賛している。
ちあきなおみの歌う 「さとうきび畑」 が流れていたが、他の歌手の名演と比べても遜色のない、すばらしい歌唱に驚いた。
「黄昏のビギン」 も、私の好きな歌だ。

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2007年9月23日 (日)

【読】私訳 歎異抄(五木寛之)

朝日新聞にこんな記事があった。

Asahi070922_tannisyou朝日新聞 2007.9.22(土) 朝刊 文化欄
 歎異抄 思いっきり現代語訳
  今に通じる生きるヒント 出版続々

親鸞の思想を伝える「歎異抄」は根強い人気を集める仏教書だ。 数々の現代語訳があり、今月出たばかりの五木寛之氏の 『私訳 歎異抄』 (東京書籍) も12万部突破の勢い。 一方、仏教界からも日常語での思い切った訳が発表された。 読みやすさを目指すだけでなく、現代に通じるメッセージを問い直そうとする試みだ。 それは社会の変容を強く意識したものとなっている。 (磯村健太郎)

朝日新聞の記事(asahi.com)
http://book.asahi.com/clip/TKY200709220113.html

五木さんの 『歎異抄』 現代語訳なら読んでみたいと思い、近くの本屋で購入。
Ituski_tannisyou五木寛之 『私訳 歎異抄』
 東京書籍 2007.9.7  1200円(税別)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4487802059

― 帯より ―
私の 「歎異抄」 五木寛之
 他人を蹴落とし、弱者を押しのけて生きのびてきた自分。 敗戦から引き揚げまでの数年間を、私は人間としてではなく生きていた。 その黒い記憶の闇を照らす光として、私は歎異抄と出会ったのだ。
歎異抄は、私にとってはいまだに謎にみちた存在である。 古めかしい聖典ではなく、いきいきした迫真のドキュメントである。 (「まえがき」より)

私の家は、それほど熱心ではないが、どうやら浄土真宗の門徒らしい。
(お寺は、なぜか浄土宗だけれど)
母方の祖母が、だいぶん前に治るみこみのない病気になって入院していたとき、私はこれが最後と思ってお見舞いにいった。
その時、看病していた伯母が、祖母の枕元で小さな活字の岩波文庫の 『歎異抄』 を、天眼鏡を使って読んでいたことが強く印象に残っている。

ずっと同居していた父方の祖母が亡くなった後、それまで仏壇に向かうことのなかった父が、朝晩、お経をあげるようになった。
その父も私が20代の頃に急逝し、残された母が、朝昼晩、仏壇に向かってお経をあげる姿を、帰省するたびに見ている。

私は、この有名な歎異抄を読んだことがなかったし、読んでみようという気持ちもこれまではなかったが、いま、五木さんの本を手にし、さまざまなことを思いだして感慨ぶかい。


本の内容から離れるが、五木さんの 『大河の一滴』 いらいの一連の著作の装画は、奥様の五木玲子さんによるものだ。 いつも不思議な雰囲気の絵だと思う。

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【楽】メンフィスまで

アルバータ・ハンターの生まれたのが、アメリカ南部のメンフィスという町だったことから、こんなアルバムのあったことを思いだして聴いている。

Hako_memphisHako_memphis2_2山崎ハコ 『メンフィスまで』
 1992.5.21 BMGビクター BVCR-84
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00005MPXW

収録曲
メンフィスまで / ブラック・テトラ / HOLIDAY / LOCO-MOTION, FARMERE / 蛍 / 風来BOY / ミッドナイト・カウボーイ / ブギウギ・ハウス / エイリー・アン / Blue Earth / LONELY ROAD

当時、編曲を担当していた 森一美(Pf & Key & H.Org)、中島みゆきのバック・ミュージシャンという印象の強い島村英二(Drum)、八木のぶお(Harmonica)、吉川忠英(AG,12G)らが共演。

タイトル曲の 「メンフィスまで」、八木のぶおのハーモニカがごきげんな 「ミッドナイト・カウボーイ」 が、殊にいい。
もし、アルバータおばさんが生きていてこのアルバムを聴いたら、なんと言うだろうか。
「なかなかブルージーなお嬢ちゃんじゃないか」 と言ってくれたかもしれないな、なんてのは、私の妄想。

1986年、一時的に活動を中断したあと、『SA・SU・GA』 (1990年)、『流行歌(はやりうた)が聞こえる』 (1991年)の2作で、イメージチェンジして再登場した感のあるハコさんだが、このアルバム、誰にもマネのできない「ハコ節」であることは確かだ。
ひさしぶりに聴いて、「いい」と思う。

私のサイト 「晴れときどき曇りのち温泉」 に、ハコさんのディスコグラフィーを書いているので、よろしければどうぞ(掲載アルバムが2005年まででとまっているけれど)。
http://yamaoji.hp.infoseek.co.jp/k_hako_disc.html

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【楽】【読】アルバータおばさん(続)

Alberta_hunter_book1この画像を何度も掲載したが、いい本だった。
『人生を三度生きた女
 “魂のブルース” アルバータ・ハンターの生涯』

近いうち、図書館に返さなきゃいけないので、アルバータおばさんの晩年の言葉を書き写しておこうと思う。
この本の終章には、含蓄に富む言葉がたくさんある。
(第九章 靴をはいたままで 89歳)

「アルバータの口癖は、人は年とって死ぬのではなく、生きて、そして死ぬのだということでした。 この二つはたしかに全然ちがいますものね」 (写真家 バーバラ・ボードニック)

年をとりすぎている、ってことはないんだよ。 年をとるってことは、たんに時間が重なることにすぎない。 あんたがしゃんとしてれば、考えることができれば、働く意思があれば、働いて他の人の役に立ったらいいんだ。 それには年とりすぎてるなんてことはない。 それには自分自身の強い意志が必要なだけだよ。 ぜったい働き続けるという強い意思がね」

死ぬときは、靴をはいたまま死にたいもんだ。 靴ひもをすこしゆるめることはあっても、ちゃんと靴をはいて、地面に足を踏んばったままで死にたいよ」

「人が死ぬと、花を贈らなければとみんなが言う。 あたしが死んでも花なんか買わないでおくれよ。 そんな金があったら、人にサンドウィッチでも買ってあげな」

「いい人はたくさんいるのに、あたしのように、あたしのことを考えてくれる人に出会う人はめったにいないからね。 みんな一人ぼっちなんだよ。 だからあたしはときどき、他の人たちのために泣いてるのさ」

(アルバータは人種差別がいまだにあることは悲しいことだと語った)
「まだ差別がなくなってはいない。 いまだってところによっては、黒人が歓迎されないところがある。 言葉遣いや態度ですぐわかる。 まだまだたくさん偏見があるよ。 親が偏見をこどもに教える。 するとそのこどもが友だちに広める。 またその人のこどもが……というように偏見は広がっていくんだよ。 白人のこどもたちの中には、昔、親たちが黒人に対してしたことをいまだにする子がいる。 皮膚の色がちがうものに対する憎しみや軽蔑を表わさずにはいられないんだ。 彼らだってきっとそんなことはしたくないだろう。 親切にしたいだろう。 誰だって人を憎むのはいやなもんさ。 だけど、彼らは自分の考えというものを持っていないのさ。 悪い考えを持っている者の言う通りにするんだよ」

(アルバータはよくショーの最後に、こう言った)
「皆さんの中に、ここに来たときは辛い苦しい思いを胸に抱えていたけれど、あたしの歌を聞いて心が軽くなったという人がいたら、あたしの人生は無駄じゃなかったと思います」


アルバータの最期はこうだった。

<1984年10月17日、ニューヨーク市のペースメーカー研究所のキャロル・ライト=ヴォーンがアルバータに電話をかけた。 一カ月ごとに検診を受けに来ていたアルバータが、その月に限って姿を見せなかったからだ。 何度電話をしても電話は通話中の音を出した。 ライト=ヴォーンはアルバータの緊急連絡所になっていたハリー・ワトキンズに電話をかけた。/ハリーは自分で数回電話をしてみて、通じないためジェラルドに連絡した。 ジェラルドは自分の足でアルバータのアパートに向かった。>
※ ジェラルド・クックはアルバータの伴奏をつとめたピアニスト、晩年のアルバータにつくした。

<アルバータはベッドの向かい側のひじかけ椅子に、病院のパジャマにスリッパ姿で腕に頭をもたれかけて、死んでいた。 アルバータは母親が死んだときに買っておいたニューヨークのハーツデイルにあるフェーンクリフ墓地に埋葬された。>


【参考】
ちかごろは、ネットでさまざまな映像、音源が公開されている。
アルバータ・ハンターのカムバック後のライブ映像が公開されているのを発見した。
若いころの音源も聴くことができる。

YouTube Search Results for “Alberta Hunter”
http://www.youtube.com/results?search_query=Alberta+Hunter&search=Search

上の検索結果から…
1979年12月4日 THE DICK CAVETT SHOW (TV番組)
Alberta Hunter at age eighty-four
 http://www.youtube.com/watch?v=v_1xUmRkzYk
Alberta Hunter at age eighty-four - Part Two
 http://www.youtube.com/watch?v=rXH0XiTl4NQ
共演者はジェラルド・クック(p)とアーロン・ベル(b)だと思う。
Part Two には、ごきげんな演奏 "Sweet Georgia Brown" が収録されている。

カムバック時、アルバータは演奏者にドラムスを入れることを嫌っていた。
「ドラムはただ、バンバンとやかましいばかりで、歌もなにも聞こえやしない。 あたしは言葉を聞いてほしいから、ドラムはなしにしてもらうよ」 そう言って、ピアノとベースだけをバックに歌ったようだ。

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2007年9月21日 (金)

【楽】【読】アルバータおばさん

ひさしぶりに胸が熱くなる本だった。
(まだ、最終章が残っているけれど)

Alberta_hunter_book1『人生を三度生きた女
 "魂のブルース" アルバータ・ハンターの生涯』

ALBERTA HUNTER ― A Celebration in Blues
 フランク・C・テイラー (Frank C. TAYLOR) 著
 協力 : ジェラルド・クック (Gerald Cook)
  ヤンソン由実子 訳
 筑摩書房 1993.9.25

1895年生まれだから、私にとって 「おばあちゃん」 といってもいい世代だが、なんとなく 「アルバータおばさん」 と呼びたい雰囲気がある。
20世紀の前半に第一線で活躍したブルーズ・シンガー、レコーディングもたくさんしたらしいが、若い頃の音源は、今では入手困難らしい。

アルバータは、1920年代にニューヨークで大活躍した後、1927年から29年にかけてヨーロッパに渡り、パリ、ロンドン、コペンハーゲンで人気を博した。
彼女は、人種差別のきびしかったアメリカよりもヨーロッパの方が好きだったようだが、第二次世界大戦中、ヨーロッパでの仕事が困難になり、米軍慰問団のリーダーとして戦地をまわった。
1945年5月7日、ドイツが降伏した後も、ヨーロッパにはまだアメリカ兵がたくさん残っていた。

<アルバータの部隊は、その後ドイツとオーストリアに行った。 ウィーンではドイツ語で歌った。 そのときの写真の裏に、このような書き込みがある。 「8月15日、フランツ・リストの家。この日、日本の降伏に、祝杯をあげる」>

1945年11月、ニューヨークに戻ったが、1953年まで米軍慰問団の仕事で、朝鮮半島と日本の駐留軍などを慰問。
 「アメリカ軍隊があたしから制服をはぎ取るまで、あたしは軍隊のために働くつもりだよ」

1954年1月、母親の死がきっかけになって、アルバータは人の役にたちたいと考えるようになり、55年、ハーレムにある病院のボランティア・ワーカーになる。

ここからが彼女のすごいところだが、 「病院で単純な仕事以上のことをしようとしたら、資格が必要だということ」 がわかった彼女は、1955年の暮れ、小学校終了試験を受ける。
若い頃から仕事をしていたので、小学校も卒業していなかったのだ。

<アルバータ60歳のときのことである。 平均点は88点、一番良いのは英語の94点だった。 12月16日、終了証を受け取った。>

この結果に励まされて、彼女は病院の看護婦長に看護学校に入れてもらえないかと頼みこみ、はじめは年齢を理由に断わられたが、どうしても看護の仕事がしたく、粘りに粘ってついに准看護婦の資格を取るコースに入れてもらった。
ハーレムYWCA看護学校の校長 フィリス・アッツという人物は、アルバータの年齢を12歳も偽って入学を認めた。

<入学が認められ、アルバータはさっそく、授業を受け始めた。 クラスメイトはたいてい三十代か四十代で、結婚しているものも、離婚したものもいたが、多くは家族持ちだった。 アルバータの過去を知るものは、ほとんどいなかった。>

1957年4月、インターン・コースを終了、正式の免許許可をもらって、准看護婦の資格を取得。

<ゴールドウォーター病院は、50歳の高齢の看護婦を雇ったつもりでいた。 それ自体、めったにないことだった。 病院関係者のほんのわずかな人だけが、かつての彼女のキャリアを知っていた。 が、彼女の年齢が実際には62歳であるということは、だれも知らなかった。>

なんとも、痛快な話ではないか。
アルバータは、その後20年間、看護婦の仕事をじつに献身的に続けたのである。

<1977年4月1日、実年82歳のアルバータは、70歳の誕生パーティーと引退パーティーを職場の人々に祝ってもらった。>

これが、彼女の 「第二の人生」 だった。

彼女はもう歌う気はなかったのだが、1977年7月、あるパーティーに招待され、そこで音楽活動への復帰を促された。
グリニッチ・ヴィレッジの小さなレストランクラブ 「クッカリー」 で、20年ぶりに音楽活動を再開。
10月10日、オープニングの様子はこうだ。
アルバータが勤務していた病院の看護婦たちも、このショーを見に集まっていた。

<テーブルの上のハンバーガーは、隅のほうに押しやられ、客は静まり返って、アルバータがマイクに向かう姿を見守った。 (中略) スポットライトのなかに入ったアルバータは、ガラスの靴に足を入れた瞬間のシンデレラのようだった。
 アルバータはまず聴衆に、看護婦の仕事を心から愛していたこと、病院の規則で、70歳で辞めさせられたときは本当に悲しかったことを話した。
 「でも、騙されたのは、本当は彼らのほうなのさ。 だって、あたしの本当の年齢は82歳だからね。 あたしが彼らの裏をかいてやったことになるね。 ハッハッハ!」
 アルバータの本当の年齢を知らなかった看護婦たちは、驚きの声を上げた。 この20年間、本当のワルは自分だったことを認め、アルバータは看護婦たちのほうを見てウィンクした。>

<最初の曲、『マイ・キャッスル・イズ・ロッキング』 が、ゆっくり始まった。 出だしの高い音がすこし不安定ではあったが、半分も歌ったころには、彼女は普通のプロに戻っていた。 プロの舞台だった。 指を鳴らし、太腿をまるでタンブリンのように激しくたたき、きっちりと髪をうしろにまとめた頭をのけ反らせ、聴衆の一人ひとりを、その輝く茶色の目で見据えながら、自分の世界へ誘って行った。>

こうして、彼女の 「第三の人生」 が始まったのだ。
アルバータ・ハンター、82歳の再デビューだった。

1984年10月17日、ニューヨークの自宅で永眠。 89歳。

<アルバータは、戦前イギリスでつきあいがあり、深く尊敬していたレディー・メンデルが1950年に死んだとき、死亡記事に載った遺書を切り抜いて大切にしまっておいた。 死に対する彼女自身の気持ちは、これに近いものだった。
 「葬式も花もなしにして下さい。 そして、どんなに親しい人にも死顔を見せないで下さい。 私という人間が、すこしでもなにかの役に立ったのなら、私が死んだという知らせを聞いた日に、その当時の私を心に浮かべてほしいからです。 アーメン」>

<アルバータは最後の数週間、自宅のベッドの上に起き上がって、この本のために自分の人生を語ってくれた。 古き良き時代のことを思い出しては心から楽しそうに笑い、ゴールドウォーター病院で働くことが、彼女にとってどれほど大切だったかを話すときには涙を流し、神を称え、税務署を罵倒した。>


『人生を三度生きた女』  “魂のブルース” アルバータ・ハンターの生涯
  目 次
序章
第一章 こども時代:チャンスを待って
第二章 ドリームランドへ 16歳
第三章 ニューヨーク! ニューヨーク! 28歳
第四章 ヨーロッパへの飛翔 32歳
第五章 帰国:人種差別との闘い 33歳
第六章 星条旗と共に 45歳
第七章 転身:第二の人生 62歳
第八章 カムバック 82歳
第九章 靴をはいたままで 89歳


私のてもとにある 『世界ジャズ人名辞典』 (スイングジャーナル社/1976年) には、次のように紹介されている。
彼女のカムバック前のそっけない記事である。

アルバータ・ハンター Alberta Hunter <vo> 1897年4月1日
テネシー州メンフィスの生れ。 12才のときシカゴに移住。 15才でクラブにデビューし、ブルース歌手となる。 23年にブロードウェイ・ショウ 「ハウ・カム?」 に出演。 ヨーロッパでも歌って、ヨーロッパの聴衆にブルース・シンギングを紹介した人といわれた。 20年代には多くのジャズメンと録音を行なっている。 第2次大戦後もショウなどで活躍したが、57年にニューヨークの病院の看護婦になってしまった。
<ダウンハーテッド・ブルース>の作者。 サッチモのLP 「アーリー・ポートレイト」 (Mile) で24年録音の <テキサス・モーナー・ブルース> など4曲がきける。

 【註】 彼女の生年は、ながらく1897年といわれていたが、実際には1895年だった。


Amtrak_blues_2AMTRAK BLUES  1980 CBS
共演者に、この本の協力者である ジェラルド・クック(p)のほか、ビック・ディケンソン(tb)、ドク・チーサム(tp)、フランク・ウェス(ts,fl) らが名を連ねている。
82歳でカムバック後、1978年のニューポート・ジャズ祭にも出演。
同年、ジェラルディン・チャップリンとアンソニー・パーキンス主演のコロムビア映画 『リメンバー・マイ・ネーム』 に歌で出演、そのサウンド・トラック・アルバムがカムバック後の第一作となった。
それに続く第二作が、このアルバム。 85歳。
上のジャケット写真は、私が持っているLP。 CD復刻盤あり。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0000025IC

【LPのライナーノーツ(青木啓) 1980.8 より】
アルバータ・ハンター。 現在ニューヨークのジャズ・クラブで歌い、大評判になっているブルース&ジャズ・シンガーである。 彼女の評判はニューヨークだけでなく、全米に、そしてテレビによる報道なども通じて世界にひろまっている。 日本でも一昨年ごろから、クラブで元気に歌い、人々を楽しませ、感動させているアルバータ・ハンターの姿が、しばしばテレビで紹介されたものだ。 そして、“奇跡的なカム・バックに成功したヴェテラン・ブルース歌手” という説明が、必ずつけ加えられていた。 アルバータ・ハンターは今年85歳の高齢。 だが、なんとメリハリのきいたパンチもある確かな声だろう。 そして、なんと楽しく、深い情緒と味わいのある美しい歌唱だろう。 これはオドロキだ。 世界的な大話題になったことは当然というものだ。


他に、こんなアルバムも発売されているようだ(輸入盤)。
ロンドンで歌っていた若い頃の録音だろうか。 聴いてみたい気がする。
The Legendary Alberta Hunter: '34 London Sessions
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000000PF6
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2007年9月20日 (木)

【楽】須藤もんさん 東北ツアー

9/22(土)~9/26(水) 須藤もんさんの東北ツアー

■9/22(土) 郡山 「OLD SHEP」
 福島県郡山市堂前1-15 カタノビル2F
 TEL 024-938-2203
 http://old.sh/
 出演 対馬照 / 須藤もん
 19:30 開演 ライブ・チャージ 2,000円 (1ドリンク付)

■9/23(日)  山形 「Tarji」
 山形県山形市七日町2-7-28 YT二丁目ビル1F
 TEL 023-623-3944
 http://www17.ocn.ne.jp/~tarji/
 出演 須藤もん / 対馬照 / 少太
 20:00 開演 ライブ・チャージ 1,800円 (ドリンク別)

■9/24(月/祝) 鶴岡 「朴美利 (ほうばり)」
 鶴岡市山王町4-6
 連絡先 090-3362-4232 (長谷川)
 出演 須藤もん (共演 対馬照)
 19:00 開演
 予約 3,500円 / 当日 4,000円 (1プレート付)

■9/26(水) 仙台 「サテンドール2000」
 仙台市青葉区立町17-24 アカサカビル B1F
 TEL/FAX 022-225-1743
 http://satindoll2000.com/
 出演  サンディ-ズ / 須藤もん (共演 対馬照)
 19:30 開演 ライブ・チャージ 2,500円 (1ドリンク付)

須藤もん 公式サイト
 http://homepage2.nifty.com/sudomon/
ケイタイ用(モバイル)サイト
 http://homepage2.nifty.com/sudomon/mobile/

対馬照さんのサイト
 http://members2.jcom.home.ne.jp/teru10/

Zuido須藤もん
 セカンド・アルバム
  『隧道』

好評発売中 (ライブ会場でも入手可能)
Amazon
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000FDF0FW

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2007年9月18日 (火)

【読】いい本

「いい笑顔」の写真が表紙になっているこの本、内容もいい。
きょうから読み始めた。

Alberta_hunter_book1『人生を三度生きた女』
 "魂のブルース"
   アルバータ・ハンターの生涯
ALBERTA HUNTER ― A Celebration in Blues
 フランク・C・テイラー (Frank C. TAYLOR) 著
  ヤンソン由実子 訳
 筑摩書房 1993.9.25

著者 フランク・C・テイラーはジャーナリスト。
アルバータ・ハンターと初めて出会ったのは、1983年、彼女のブラジル・ツアーの中のことだった。
当時彼は、「マグロウヒル・ワールドニューズ」 の南米支局長。
以後、1984年にアルバータが亡くなるまで、本書のための聞き書きを続けた。
(以上、本書の著者紹介から)

アルバータ・ハンターは、1895年生まれ。
メンフィスから汽車に乗ってシカゴへ出たのが16歳のとき。
歌を歌いたくて、クラブにもぐりこんで歌わせてもらえるようになると、みるみる実力をつけ、あっというまに人気者になったという。
同時代のミュージシャンは、ほとんどが私の知らない名前だが、なかにはルイ・アームストロングや、W.C.ハンディといった著名人もいた。
マセオ・ピンカード作曲の 『スウィート・ジョージア・ブラウン』 を最初に歌ったのはアルバータ・ハンターだった。
W.C.ハンディは、『セントルイス・ブルース』 を歌ってくれと、アルバータに頼んだ。
・・・こういう逸話も興味ぶかいが、なんといっても、彼女の人がらに好感がもてる。

この本、元の英語の文章もいいのだろうが、訳文がとてもいいのだ。
だから、読みやすい。

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2007年9月17日 (月)

【楽】【読】しぶいアルバム

きょうは、こんなジャズのアルバムを聴いている。
いわゆる名盤紹介などには、まず出てこないだろうな。
なぜ、こんなアルバムを持っているかというと、寺島靖国さんという人の本で紹介されているのを読んで知ったからだ。
Teraoka_jazz1001『辛口! JAZZ名盤1001』 寺島靖国
  講談社+α文庫 1993.9.17
このガイドブックは、とてもいい。

寺島靖国 ―1938年、東京生まれ。
早稲田大学文学部独文科を卒業後、会社勤務を経て、1970年、吉祥寺にジャズ喫茶「メグ」を開店、現在に至る。
http://www.meg-jazz.com/
ジャズファンの立場から「スイング・ジャーナル」「ジャズ批評」他にユニークなジャズ論、エッセイを発表。 著書 『辛口JAZZノート』 『JAZZリクエスト・ノート』 他多数。
寺島さんのレコード評は、一本筋が通っているので、好きだ。
レコードやCDを買うときに、この人の著作にはずいぶんお世話になった。

Harold_land_2Pim_jacobs『Harold in the Land of Jazz』
  Contemporary C7550 1958年
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000000Y9A
 Harold Land (ts) Rolf Ericson (tp)
 Carl Perkins (p) Leroy Vinnegar (b)
 Frank Butler (ds)
『Come fly with me』
  PHILIPS PHCE-10044 1982年 国内盤CD
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000CSUX0C
 Pim Jacobs (p) Peter Ypma (ds) Rudo Jacobs (b)

寺島さんが書いているように、「知らない名前だからといって買い控えると損をする。第一、ジャケットを見てピンとこなくてはいけない。こういうジャケットに駄盤なし」 (ピム・ヤコブスの盤の紹介文) なのだ。

ちなみに、この二枚の寺島さんのおすすめポイントは――
ハロルド・ランドの盤
 「あなたは恋を知らない」はテナーの名曲、とどこかで言った。また一つそれを実証する演奏が現われた。ハロルド・ランド。この人のプレイは、低い。「うめきの集積」といってもいい。低く、沈んだ曲想を持つこの曲にうってつけだ。・・・
ピム・ヤコブスの盤
 ・・・一言で言って「当たり前がベストだ」と納得させるレコード。ヨーロッパ吹込みの一つの特徴で、音質が非常に輝かしく、ピアノの粒立ち、ベースの伸び、シンバルの硬質感など目を見張る。

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2007年9月16日 (日)

【楽】【読】いい笑顔

図書館にリクエストしてあった本をとりにいってきた。
なんていい笑顔なんだろう。
ブルーズ・シンガー アルバータ・ハンター (Alberta Hunter, 1895-1984)。

Alberta_hunter_book1_2Alberta_hunter_book2『人生を三度生きた女』
 "魂のブルース"
   アルバータ・ハンターの生涯

ALBERTA HUNTER ― A Celebration in Blues
 フランク・C・テイラー (Frank C. TAYLOR) 著
  ヤンソン由実子 訳
 筑摩書房 1993.9.25



試みはすべてやぶれ
勝負は負けだと感じたとき
友だちの声が聞きたいなら
あたしの名を思い出して
旅も終わりに近づき
疲れ果てて、心の休まる
ところもないと感じるとき
あなたは一人きりじゃない
いつでもあなたを愛している
あたしの名を思い出して
 ― 『リメンバー・マイネーム』 より ―  (この本のカバー)

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【遊】おいしいジャムに変身

防災訓練にでかけているあいだに、家人が作ってくれたぶどうジャム。
きのう、勝沼の 「大雅園」 でいただいてきたぶどう 「藤稔」を、ぶどう園の方が教えてくださった方法でジャム化に成功。 果皮を捨てずに、すこし残して使ったところがポイント(らしい)。
粒の形のままの自然な感じにできあがった。
ヨーグルトにのせて食べるとよさそうだ。

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【歩】防災訓練

住んでいる団地の自治会主催で、防災訓練があった。
棟の防災委員をおおせつかっているので(当番制)、参加してきたのだった。
炎天下、消防署から消防車も来て、たいへんなことではあった。
人命救助訓練(人工呼吸・心臓マッサージ)、消化訓練(消火器)、起震車体験、煙体験ハウス、など。
普段なかなか経験できないことが多かった。
せっかくの写真なので掲載しておこう。

200709161014200709161052200709160956200709160941_2起震車では、震度7の縦揺れと横揺れを体験。
テーブルの下に跪いてテーブルの足を握って待っていると、列車の揺れを百倍ぐらいにしたような感じの強烈な振動がきた。 1分間、じっとしているのが精一杯だった。
もしほんとうの震度7の地震だったら、まちがいなく家具は転倒、物は壊れて散乱し、建物も無傷ではないだろう。
とにかく怪我をしないように身の安全確保が第一、と痛感。
煙体験ハウスの中は、煙(体に害のない無臭の煙)で何も見えない。
内部は迷路のようになっていて、壁づたいに歩いていくのがようやくだった。
本物の煙だったら、と思うとぞっとする。

いざとなったら、どこまで落ち着いた行動がとれるかまったく自信がないが、日頃から覚悟と準備だけはしておかなければ・・・と思う。   

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【楽】芸能山城組

きょうも朝から暑い。
早起きしたので、古いレコードをひっぱりだして聴いていた。

Yamahirogumi_hibiki『地の響き/芸能山城組 東ヨーロッパを歌う』
 ビクター 1976 invitaion VIH-6011
 プロデューサー 中村とうよう

無伴奏、自然な発声法による合唱が、とてもいい。
(私は、あのクラシック音楽の大げさな発声法がどうしても肌にあわないのだ)
いわゆるブルガリアン・ヴォイスの日本でのブームの火付け役になったアルバムだったように思う。

芸能山城組という特異な音楽集団(芸能集団、と言う方が適切か)について、このアルバムに寄せられた中村とうよう氏の解説を転載しておこう。

自然のままの人間の声の響き
  ―合唱団としての芸能山城組の原点
  (中村とうよう) より
 これは、芸能山城組のセカンド・アルバムである。
 半年ほど前に発売された彼らのデビュー・アルバムは、ロック・バンドとの共演によるダイナミックかつセンセイショナルなサウンド・アート「恐山」をA面にし、バリ島のケチャ(ケチャック)と日本の神楽や歌舞伎などの伝統を融合したような創作芸能 「銅の剣舞(けんばい)」 をB面に収め、芸能山城組の現時点における創造的エネルギーを全面的に発現せしめたアルバムだった。 つづくこの第2作は、それとはかなり趣きを異にしている。
 この第2作では、芸能山城組の合唱団としての側面(それはこの団体の主要な側面であるわけだが)をクローズアップしている。 全曲が無伴奏の合唱であり、合唱団山城組の実力と、その合唱サウンドのユニークさを、世に問うアルバムなのである。
 (中略)
 この合唱サウンドの秘密はひとえに、ふつうの合唱団のようにクラシックふうのトレーニングを受けた発声でなく、われわれふつうの人間がしゃべったり歌ったりする自然の声、ナマな声、つまり地声で歌っているところにある。 地声による合唱という、多くの合唱人たちが不可能と思い込んでいたことを、コロンブスの卵のようにやってのけたところから、こんにちの芸能山城組のユニークな方向性がスタートしたのだった。 (後略)

Yamahirogumi_kenbai_2Yamahirogumi_yamato芸能山城組
 『恐山/銅の剣舞』 1976
『やまと幻唱/芸能山城組』 1977

芸能山城組
http://www.yamashirogumi.gr.jp/

「ケチャまつり」 まだやっていたんだ・・・。
 → http://www.yamashirogumi.gr.jp/event/event.html
一度見に行ったことがあるが、面白いイベントだった。

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2007年9月15日 (土)

【遊】勝沼ぶどう園

いよいよ秋の実りの季節。
今年は梨がおいしい。
これからは、ぶどうや栗が楽しみになる。

0709150004_30709150005_3 








ひと月ぶりに、勝沼の 「大雅園」 へ。
前回、8月にうかがったときは、まだ時期が早く、デラウェアの他にはあまり出ていなかった。
今回は、ぶどうのシーズンまっさかり。
黒ぶどうのピオーネ、マスカット系のピッテロビアンコ(上の写真の左端)、ロザリオビアンコ(同右端)、甲斐路(同中央)が食べごろだ。

先日の颱風9号の影響をうかがったところ、ぶどうの房に影響はなかったという。
ただ、葉が痛んだことで病気になりやすくなり、来年の出来に影響がでるかもしれない・・・などというお話をうかがった。
ぶどう作りもたいへんだと思う。

藤稔(ふじみのり)という黒ぶどうがある。
そろそろ盛りをすぎて、茎から実がポロポロ落ちる状態になっていたもの(商品にはならない)をお土産にいただいたが、完熟していておいしい。 ちょっとワインっぽい味がする。
ジャムにするといいと言われたので、やってみようかな(と、家人が言っている)。

ピオーネもおいしいし、甲斐路の時期になってきたのがうれしい。
10月のはじめ頃に、また訪ねてみようかな、と思う。

0709150010_30709150008_20709150006_2     




この 「大雅園」 では、ワインも多数販売している。
私は下戸なのでよくわからないが、お奨めのワイン(このぶどう園の葡萄を使った契約ワイン)を、親しい友人へのお土産に購入。 辛口で、人気のワインだという。

0709150011_30709150013_2写真(右)は、「大雅園} で飼っている鴨。
名前がついていたが、忘れた。
いっしょうけんめい毛づくろいをしている様子が可愛らしかった。      

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2007年9月13日 (木)

【読】「悪所」の民俗誌

Okiura_akusyo沖浦和光 『「悪所」の民俗誌』 文春新書
290ページのやや分厚い新書。
半分ほど読んだ。
とても刺激的な内容で、付箋がたくさんついた。
文章力がないので上手に紹介できないのだが、面白いと思った箇所をランダムに書いてみたい。

第一章 わが人生の三つの磁場
沖浦さんの「生存の根っこに横たわる<人生の磁場>」。
(この表現が、ちょっと学者っぽくてカタイ気がするが・・・)
第一は、幼少年期を過した「まだ近世の面影が残っている旧摂津国(現・大阪府北部)の農村」。
その街道筋で昭和初期の民俗(トボトボと街道を旅する遊芸民、遊行者)を見聞した。
第二は、小学校低学年時代に生活した、大阪市南部の釜ヶ崎(日本最大のスラム)。
第三は、青春前期、敗戦直後に上京して住んだ、隅田川の東岸地域。
永井荷風の『濹東奇譚』に出てくる地帯だ。 下町の職人の小さな家に下宿していた。

「悪所」を構成する三条件
江戸時代から「悪所」と呼ばれていた地域には、三つの条件があった、と沖浦さんは言う。
色里・遊里、芝居町、被差別民の集落、の三つ。
大阪では、釜ヶ崎、飛田、天王寺、西浜周辺。
東京なら、浅草、吉原、山谷と深川あたりが渾然一体となったような感じの「社会的トポス(場)」。

<私は今でも高尚を自称する「貴族趣味」や、もったいぶった「ブルジョア気取り」には違和感を感じる。 それはほとんど本能的といってもよい。その逆に、「周縁や辺界」あるいは「底辺や悪所」と呼ばれていたものには、どういうわけか自然にそこへ吸引されていく。 体内で先天的な共鳴感が生じるのだ。> P.15

第二章 「悪所」は「盛り場」の源流
「盛り場」は、江戸期では「栄り場」とも表記されていた。
「盛り場」の原義は、人出で賑わう繁華街だった。
今日の大都市の「盛り場」の源流は、近世初期まで遡ることができる。
浅草、新宿、品川、深川など、大東京の盛り場の大半は、近世の「悪所」を核として形成された。
大阪、京都もほぼ同じ。
東京の銀座のように、維新後の都市計画に基づいて新しく造成された繁華街は、例外。

「阿国歌舞伎」
天正末から慶長初年にかけて、加賀国や出雲国の出身と名乗る「ややこ踊」の座が出てきた。
その中のひとつ、「阿国歌舞伎」が評判になり、「かぶき踊」と呼ばれるようになった。
「かぶき者」に扮した女性が、きらびやかな衣装で登場する「茶屋遊びのまね」が、大人気となった演目。
(まさに、ミュージカル「阿国」の世界だ)

興味ぶかい「註」がある。
<覆面にヘルメット、右手にゲバ棒を持った70年代の全共闘も、この「ばさら」→「かぶき者」の系譜の末裔になる。 いずれ乱世が極まるであろうが、また新しい「ばさら」が現れるか。 ただし、今の「かぶき者」風の若者から、何か新しいものが産まれる気配はまだない。> P.50

もうひとつ面白い「註」が。
<そもそも「役者」は、寺社の祭祀儀礼の際に特定の「役」を持つ者の呼称だった。 それがしだいに例えば能役者のように、芸能をもって祭事に奉仕する者を指すようになった。> P.63

第三章 遊女に潜む霊妙なパワー
いくつかキーワードを。
後白河法皇、『梁塵秘抄』、大江匡房(まさふさ)、『遊女記』、『傀儡子記(かいらいしのき)』。
この後白河院というのが、なかなか魅力的な人物に思える。
もうひとり、後鳥羽院も。

<後白河院は、いろんな意味で、院政史上だけではなく、天皇制の歴の中でも特筆すべき異能の王であった。> P.82
その第一は、政治家としての力量。 平安末期から鎌倉幕府創設期に至る「武者(むさ)の世」の始まりを告げる大激動期に、権謀術数と果敢な行動力で、なんとか未曾有の難局を切り抜けた。
第二は、行真という法名を名乗って、旺盛な政治活動のかたわら、仏道に精進した。
33回とみられる熊野御幸を始め、生涯を通じて深く仏教を信仰した。
第三は、芸能の分野における功績。
院が愛好したのは、貴人にもてはやされていた芸能ではなく、下層の民衆の間で流行した俗謡、「はやりうた」だった。
<院は卑賤の女たちの「声わざ」を心から愛して、ついに『梁塵秘抄』の編纂を決意したのである。> P.84

第四章 「制外者」と呼ばれた遊女と役者
<「制外者」は「にんがい者」とも読まれていた。 その意は「人外」であって、人倫の理に背いていること、儒教的に言えば、人と人とのあるべき社会秩序から外れていることを意味した。> P.124
ここで、浅草弾左衛門が登場する。
この章の節題をあげておく。
 戦国期からの「河原者」の進出
 江戸幕府と近世賤民制
 三都を中心とした近世都市の成立
 都市設計の思想と「遊廓」の位置


第五章 特異な都市空間としての「悪所」
いま読んでいるところ。

この後、
第六章 <悪>の美学と「色道」ルネサンス
第七章 文明開化と芸能興業
 (巻末あたりでは、夏目漱石、永井荷風、徳富蘆花らも登場するようだ)
と続く。

いったんは、途中で投げ出そうかとも思ったが、だんだん面白くなり、はまってしまった。
なかなか人間味あふれる内容なのだ。
ちょっと難しいところもあるけれど。

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2007年9月12日 (水)

【歩】夕焼け

200709121810_22007.9.12 夕刻
錦糸町駅前の歩道橋から

西の空が、茜色にそまっていた。

 

 

♪ 山の風にゆられながら  融けきれなかった雪を見てる
 地球の持ち物が  少しずつ姿を変えてゆく
 歩いた分だけ足音が残る  まっすぐ歩いて行くこともないさ ・・・

 夕焼け小焼けで日は暮れる  流した汗の分だけ酒を飲もう ♪

  「夕焼け」 (対馬照 作詞/作曲 須藤もん/歌)
  須藤もん 『隧道』 に収録

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2007年9月11日 (火)

【読】アイヌ神謡集

昨日、思いがけず、このブログに寄せられたコメントへの応答で、知里幸惠の 『アイヌ神謡集』 について長々と書いてしまった。

Ainu_shinyou 『アイヌ神謡集』 知里幸惠 編訳
 岩波文庫 赤80-1
 1978年8月16日 初版  ※ 以下、「幸惠」を「幸恵」と表記する
私が持っているのは、2004年2月5日の第35刷である。
岩波文庫の分類では「赤」は外国文学。
アイヌ語は外国語なのか?
たしかに、左ページに(幸恵さんによる)アイヌ語のローマ字表記、右ページに幸恵さんの日本語訳、という構成は外国文学の翻訳のようではあるが。

この本については、別のウェブサイト 「晴れときどき曇り」 に、書きたいことを書きつくした気がする。
 「資料蔵」 ― 「アイヌ資料編」
http://yamaoji.hp.infoseek.co.jp/k_ainu.html

ひさしぶりにこの本を開いてみて思ったのは、ローマ字表記のアイヌ語を 「読む」 のが、かなりたいへんだということ。
どうにしかして耳で聞いてみたいと、誰しも思うのではないだろうか。

これもウェブサイトに書いたことだが、とてもいいCDが出ているのだ。
『アイヌ神謡集 をうたう』 中本ムツ子
 草風館 (2003/07)  3枚組、3150円(税込)
このようにアイヌの「神謡」は謡いつがれてきたのか、ということがよくわかる。
なによりもメロディー(節)にのせて謡われるカムイユカラが魅力的だ。
このCDでは、知里幸恵さんのアイヌ語表記で省力されている(と思われる)、「サケヘ」(リフレイン)を付けて謡われている。
「サケヘ」 が、ちょうど「あいのて」のようにリズミカルな効果をもたらすのだ。

たとえば、有名な 『梟の神の自ら歌った謡 「銀の滴降る降るまわりに」』 は、下のように謡われている。
改行は、知里幸恵 『アイヌ神謡集』 のテキストのまま。
丸括弧内に補ったのが、幸恵さんが表記を省略したと思われる「サケヘ」(リフレイン)。

Kamuichikap kamui yaieyukara,
 "Shirokanipe ranran pishkan"

"Shirokanipe ranran pishkan, konkanipe
ranran pishkan." arian repko (pishkan) chiki kane (pishkan)
petesoro (pishkan) sapash aine (pishkan), ainukotan (pishkan) enkashike (pishkan) ・・・

『アイヌ神謡集』 のローマ字テキストを注意ぶかく読むとわかるが、ほんらい「サケヘ」が入るべき部分は、やや幅広く空白がとられている。 その部分に「サケヘ」を入れると、上のようになるはずだ。
私が思うに、幸恵さんにとって 「サケヘ」 が入ることはあたりまえすぎたので、あえて書かなかったのではないだろうか。

【知里幸恵 日本語訳】
「銀の滴降る降るまわりに, 金の滴
降る降るまわりに.」 という歌を私は歌いながら
流れに沿って下り, 人間の村の上を ・・・

幸恵さんの日本語訳もみごとに詩的ではあるが、やはり、アイヌ語ほんらいの響きやリズムを体験したいという向きに、このCDをおすすめしたい。

いい画像がないので(スキャニングすればいいのだが、今夜はその時間がない)、私のウェブサイトに載せている画像をここに掲載しておこう。
このCDの内容に対応する形の解説本も出ている。
著者の片山氏は、上のCDの「謡い」を復元した人で、アイヌ語に関する著作もある。
『アイヌ神謡集 を読みとく』 片山龍峯 著 草風館 2003年 2800円(税別)

 草風館 http://www.sofukan.co.jp/index.html

Ainu_shinyou_utauAinu_shinyou_yomitoku【2007.9.12追記】
(画像をすべてきれいなものに差し替えた)
このCDには、イントロ及びエンディング曲として、浜田隆史氏(ギター)、黒川和弘氏(バス)、黒川かほる氏(フィドル)の三人の演奏による 「シーベグ・シーモア」という曲が使われている。 素朴な味の、いい演奏だ。
浜田隆史氏は、『アイヌ神謡集 をよみとく』 の編集にも深くかかわられた方である。
浜田隆史/オタルナイ・レコード
http://www.geocities.jp/otarunay/index.html

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2007年9月 9日 (日)

【楽】【歩】暑い午後の音楽

P9090003P9090006_2ムクゲの花 (左)
トチの実 (右)  2007.9.9 午後
ムクゲの花は一日でしぼんで枯れてしまう。
つぼみがたくさんついていた。
トチの実、今年は少ない。
このあいだの颱風で、たくさん落ちてしまったのか。

きょうも朝から残暑。 レコードと本の整理をしていた。
本が8冊もだぶっていた。 文庫本と新書ばかり。
たぶん、BOOK OFFでよく考えずに衝動買いしたものだろう。
柳田国男 『遠野物語・山の人生』 (岩波文庫)
船戸与一 『流沙の塔(上)』 (新潮文庫)
司馬遼太郎 『街道をゆく 6』 『同 41』 (朝日文庫)
夢枕獏・佐藤秀明(写真) 『西蔵回廊』 (光文社知恵の森文庫)
阿部謹也 『物語 ドイツの歴史』 (中公新書)
中沢新一 『僕の叔父さん 網野善彦』 (集英社新書)
五木寛之 『蓮如』 (岩波新書)
書き並べてみてもしょうがないが・・・。 いやはや、あきれてしまう。

レコードは、さすがに「だぶり」がなかった。
ビニールの外袋がどれも、ぼろぼろになっていたので、ほぼ総とっかえ。
DISK UNION で買ってきた100枚入り×2セットを全部使っても足りなかった。

なかば忘れていたアルバムも何枚かあった。
そんな懐かしいレコードを聴いてみた。

Amtrak_bluesALBERTA HUNTER アルバータ・ハンター
『AMTRAK BLUES』
 CBS/SONY 1980年 25AP 1914
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0000025IC
ごきげんなブルーズ。 こころがやすまる。
どんなきっかけで買ったのか憶えていないが、なかなか興味ぶかい、数奇な人生をおくった女性なのだ。
こんな伝記が出ているらしい。
『人生を三度生きた女―"魂のブルース"アルバータ・ハンターの生涯』
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4480872280
<12歳から歌い始め、スターダムのトップに登りつめた後、60歳で看護婦に転身。82歳で退職後再び舞台にカムバック、"アメリカの国宝"と絶賛されたブルースシンガー、アルバータ・ハンター。勇気と励ましに満ちた生涯の記録>

YupanquiATHAUALPA YUPANQUI ユパンキ
『巨匠 アタワルパ・ユパンキ傑作大全集 第一巻』
 東芝EMI EOS-60031
なぜか第一巻しか持っていない。
今となっては、全五巻を買っておかなかったことが悔やまれる。
アルゼンチンの大草原にいるような気分になって、暑さも忘れる。

アタウアルパ・ユパンキ 1908-1992
アルゼンチンの歌手兼ギタリストおよび作詞・作曲家で、フォルクローレ界の最高峰。
1908年1月30日ブエノスアイレス州カンポ・デ・ラ・クルスの生まれ。 父はインディオの血をひき、母はスペインのバスク系。 本名はエクトル・ロベルト・チャペロ。
6歳の時ヴァイオリンの手ほどきを受け、ついでギターをバウティスタ・アルミロンに学ぶ。
9歳の時、一家はトゥクマンに移住し、以降ここが第二の故郷となった。
16歳のころから各地を放浪、牛追い、きこり、製パン所の小僧、新聞記者などの職を転々とし、その間、郷土音楽の形を使って農民の心を歌に作った。
1929年、「インディオの道」を発表して有名になり、'35年からレコードを録音。
'37年にはコルドバ州民謡祭のリーダーをつとめ、'41年にはトゥクマン州の文学賞を受け、'50年にはヨーロッパへ渡って演奏および講演を行なうなど、アルゼンチンを代表する民族音楽家として活躍。
1964年以降たびたび来日。
― 誠文堂新光社刊 『世界の名曲とレコード ラテン・フォルクローレ・タンゴ』 1977年 から ―

ユパンキについてネットで調べていたら、興味ぶかいサイトがあった。
「南米の風の色」
http://moscar.hp.infoseek.co.jp/
アタワルパ・ユパンキ
http://moscar.hp.infoseek.co.jp/yupanki-soza.htm

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2007年9月 7日 (金)

【楽】【読】夢見昼顔

沖浦和光さんの 『旅芸人のいた風景』 は面白かった。
Okiura_tabigeinin1_2論文臭さがなくて、好感のもてる文章。
沖浦さんの体験がたくさん書かれていて興味ぶかかったし、わたし自身のこどもの頃のことも思いだした。
遊芸者、旅芸人を、こどもの頃に見かけたおぼえがある。
お祭りにはサーカスの一座が来ていたし、啖呵売(たんかばい)をする「テキヤ」も、まだいたのだ。

<少年の頃、私は摂津の箕面村(現・箕面市)に住んでいた。 (中略) 西国三十三所めぐりの「巡礼」をはじめ、「虚無僧」「六部」「山伏」などの旅姿をよく見かけた。 (中略) 初春には「万歳」「大黒舞」などの祝福芸人がやってきた。>
(沖浦和光 『旅芸人のいた風景』 文春新書 P.20-21)

この本を読んで、こどもの頃の記憶をよみがえらせたりしているうちに、ふと、ある歌の一節をおもいうかべていた。

Kaerou「夢見昼顔」 作詞/作曲/歌 須藤もん
  ファースト・アルバム 『かえろう』 (2002年) に収録
http://homepage2.nifty.com/sudomon/album.htm
このアルバムの中で、いちばん好きな歌がこれだ。

 

 
♪ きのうの 寝苦しい 夜がおいていった
  朝もやにたちくらむような気はしても
  どこからともなく はじまるあの賑わい
  子どもみたいに 胸はざわざわしてる
  そしてあなたは 旅芸人のように
  待ちわびたこころを ひととき照らした ・・・ ♪

「旅芸人」 ―― こういうことばを紡いで歌をつくりあげる もんさんのセンスは、並大抵ではないと思う。

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【歩】颱風一過

今回の颱風、関東圏に住む者にとっては、ひさびさの直撃颱風だった。
今朝、団地の中は木の枝やら、古い幹やら、葉っぱやらが散乱していた。

200709070608朝6時過ぎ。
バス停にむかう途中、ケータイのカメラで。
正面の灯りは、24時間営業のスーパー。
日が短くなって、朝の6時頃だとまだ薄暗い。
大きなケヤキの木の根元に、枝葉がたくさん落ちていて、かわいそうだった。
それでも、びくともしない大木のたくましさを感じた朝だった。

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2007年9月 6日 (木)

【読】インドネシアの寅さん

沖浦和光さんの著作に 『インドネシアの寅さん』 がある。
私はまだ読んでいないが。

フーテンの寅さんは 「テキヤ」 だが、古くは 「香具師(ヤシ)」 と呼ばれた大道行商人である。
日本にはもう、現役の本格的な 「香具師」 はいなくなったという。
(縁日などの露天商はいるけれど)
インドネシアにも、フーテンの寅さんのような人たちがいるらしい。
(ここ数年のあいだに、ほとんどいなくなったというが)

<映画で寅さんが演じるテキヤは、もちろんフィクションであるから実状そのままではない。 柴又がオモテに出て、浅草はカゲに隠されている。 / 寅さんの姓の車は、浅草の非人頭だった車善七の家名からとったのであろうか。 香具師の歴史性に、脚本をてがけた山田洋次監督も配慮されたのであろう。 / テキヤの古老に寅さん映画の感想をきいたことがあった。 (中略) 「あれはロマンやね」 と付言された。>
(沖浦和光 『旅芸人のいた風景』 文春新書 P.203)

沖浦和光さんの著作
『インドネシアの寅さん』 http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4000027883
『日本民衆文化の原郷』 http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4167679752
『「芸能と差別」の深層』 http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4480420894
『天皇の国・賤民の国』 http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4309408613
『陰陽師の原像』 http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4000223798

塩見鮮一郎 『車善七』 (全3巻)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4480803750
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4480803769
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4480803777

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2007年9月 5日 (水)

【歩】颱風・・・のせいなのか

颱風が近づいているらしい。
(「台風」よりも「颱風」の方が感じがでるので、この字を使う)

きょうの昼休み、食事にでたときは日がさしていたので安心して傘を持たなかった。
ところが、いつもの居酒屋で昼定食のあと、表にでると土砂降り。
わずか20分かそこいらのあいだに、天気が急変していたのだ。
なんてこった。 太陽にだまされた。
濡れてもいいから走って帰ろうかと思ったが、店の軒先で数分待つあいだに雨はあがり、太陽がでた。

それにしても、たった一日のあいだに、こんなにめまぐるしく天気が変わったのはひさしぶり。
あ、そうだった。 ケータイのカメラで、あの土砂降りの雨を写しておけばよかった・・・。
今日の記事は、写真なし。

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2007年9月 4日 (火)

【読】沖浦さんの新刊(続)

沖浦和光さんの、こんな本も出版されていたのだった。
Okiura_akusyo_2沖浦和光
 『「悪所」の民俗誌 色町・芝居町のトポロジー』
 文春新書 497 2006.3.20
トポロジー(topology)とは、位相数学(幾何学)、地勢学、という意味の言葉らしい。

いま読んでいる 『旅芸人のいた風景』 には、浅草弾左衛門とその配下の「非人」、「乞胸(ごうむね)」らの芸能民も登場し、私にとって、このうえなくおもしろい。
私の幼児の頃のかすかな記憶をたどってみると、流しの遊芸民がまだ身近にいたような気がする。

川端康成の 『伊豆の踊り子』 も、旅芸人一座とのふれあいの話だ。
そういえば、この有名な小説をきちんと読んでいない。
「物乞い、旅芸人、村に入るべからず」 と書かれた立札が、伊豆の村の入口にあったと、『伊豆の踊り子』 に書かれているという。

『「悪所」の民俗誌』 の帯の惹句もおもしろい。
 そうだったのか、ひとの世は!
 天に「星」あり、地に「悪所」あり
 賤視された「制外者(にんがいもの)」の聖なる世界

帯の裏には――
 中世の遊女は<聖性>を帯びていた
 出雲阿国はアルキ巫女だった
 悪所は、遊女町・芝居町とワンセット
 河原は、あの世とこの世をつなぐ
 などなど、<色><惡><遊>から読み解く日本文化

『旅芸人のいた風景』  目次から
遊行する渡世人 / 乞食巡礼と御詠歌 / 「辻芸能」としての大道芸 / 川端康成の『伊豆の踊り子』 / 宝塚歌劇、温泉、箕面の滝 / 修験道の行場と西国三十三所巡礼 / 芝居小屋と活動写真 / 最後の役者村・播州高室 / 村に旅の一座がやってきた / 一晩で出現する祝祭空間 / 舌先三寸の啖呵売 / 大道芸の王者「ガマの膏売り」 / ひとり旅の「フーテンの寅さん」 / 香具師の本義は愛敬芸術 / 市川団十郎のお家芸「外郎売り」 / 大江戸の辻芸――非人・乞胸・願人坊主・香具師 / 近世の身分制と芸人 / 香具師からテキヤへの「渡世替え」 / ヤブ医者・渡医者・辻医者

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2007年9月 3日 (月)

【読】沖浦さんの新刊

沖浦和光(おきうら・かずてる)さんの新刊が出たことを新聞広告で知って、さっそく購入。
Okiura_tabigeinin1_2Okiura_tabigeinin2沖浦和光
 『旅芸人のいた風景 遍歴・流浪・渡世』
 文春新書 587 2007.8.20発行

9月2日(日)朝日新聞の書評欄にも簡単に紹介されていた。
<新春に訪れる門づけ芸人、疳の虫を封じる祈祷師、村ぐるみで旅興業を行う「役者村」・・・。<アルキ筋>といわれるこうした人々は、明治政府により圧迫され、戦争を境に姿を消した。街道筋に育ち、彼らの姿を実際に見た最後の世代である著者が、記憶を裏づけながら由来と現況をたどる。> (朝日新聞 2007.9.2)

「彼らの姿を実際に見た」 というところが、沖浦さんの強み。
「定めなき浮世、道に生き、道に死す」 ――本の帯の惹句がいい。

沖浦和光 (おきうら かずてる)
1927年、大阪府生まれ。東京大学文学部卒。桃山学院大学名誉教授。比較文化論・社会思想史専攻。国内外の辺境、都市、島嶼を歩き、日本文化の深層をさぐる研究・調査を続けている。 (文春新書 著者略歴)

沖浦さんといえば、五木寛之さんとの対談がいい。
『日本人のこころ 6』 の帯写真で、五木さんと話している人物が沖浦さん。

Kokoro6_2Okiura_henkaiOkura_sanka_2Okiura_takeOkiura_setouchi_5       

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2007年9月 2日 (日)

【楽】【読】大衆音楽の真実

たいそうなタイトルだが、これは中村とうようさんが書いた本の題名。
1986年1月初版で、発売後間もなく手に入れて読んだと記憶している。
この本と同時期に発売されたレコード(2枚組み、正続2セット)も手に入れて何度も聴いていたのだが、長らく友人に預けていて、手元になかった。
ひさしぶりに戻ってきたので、写真を掲載し簡単に紹介しよう。
この本とレコードは、たくさんのことを私におしえてくれた。
スープ・レコードというレーベル、今はないのかもしれないが、おもしろいレコードがたくさん出ていた。
中古レコード店かネット・オークションでしか手に入らないのかなぁ・・・さびしいな。

ネット検索でみつけた、このスープ・レコードの紹介記事をいくつか。
■ひらげ日記■ http://hirage.cocolog-nifty.com/diary/
http://hirage.cocolog-nifty.com/diary/cat2744668/
■ダメな音盤収集家♪■
http://plaza.rakuten.co.jp/finemusic/
■diskunionお茶の水ソウル/ブルース館 ストアブログ■
(このブログは情報満載でうれしい)
http://blog1.musicfield.jp/du_do10/archives/2006/12/index.html

The_peoples_music_2『大衆音楽の真実』 中村とうよう
 ミュージック・マガジン社 1986.1.10 505ページ
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4943959067/
― ポピュラー音楽って何なのか。 いつ、誰が作ったのか。 それは、どんな価値を持っているのか。 "大衆"の捉えなおしが必要となっている今、あらゆる常識をくつがえす新しい角度でアジア、アフリカ、中南米とグローバルに目をくばり、わかっているようでわからなかった大衆音楽の本質を豊富な資料を駆使して解き明かした初めての本。 ―

【目次】
ポピュラー音楽の源泉 / ラテン・アメリカ音楽の形成 / 混血音楽の国際性 / 白人にポップ音楽はあるか / ジャズ ―― メタ音楽の苦悩 / 40~50年代の大転換 / 第三世界に還る大衆音楽

『THE PEOPLE'S MUSIC ― The Global Re-view Of Pop ―』
『THE PEOPLE'S MUSIC ― The Global Re-view Of Pop II ―』
 SOUP RECORDS (JAPAN) TW1, TW3
 中村とうよう 企画・選曲・解説

【収録内容】 曲目は省略、[ ]内は演奏者
第1集 全32曲
ブラジル(ショーロ) / キューバ(ソン) / ガーナ(ダゴンバ) / インドネシア(クロンチョン) / アルゼンチン(タンゴ) / エジプト / ブラジル(サンバ) / アメリカ [ダイナ・ワシントン] / ハワイ / スペイン(カンシオーン) / ブラジル(サンバ) / アメリカ [ビリー・エクスタインとサラ・ヴォーン] / インド / パキスタン(ガザル) / マレイシア / インドネシア(ダンドゥット) / キューバ(ハバネラ) / キューバ(ダンソーン) / ペルー(ウァイノ) / アメリカ(ケイジャン) / アルゼンチン(タンゴ) / キューバ(ソン・モントゥーノ) / アメリカ(ゴスペル・ソング) / 南アフリカ(ジャイヴ) / 日本(阿呆陀羅経) / イギリス  / ドイツ / トリニダード(カリプソ) / アメリカ [キャブ・キャロウェイ] / キューバ(マンボ・バティリ) / アメリカ [スリム・ゲイラード] / 沖縄 [喜納昌吉]
第2集 全30曲
アメリカ(バンジョー・ソロ) / ハワイ(スティール・ソロ) / インドネシア(クロンチョン) / ブラジル(サンバ) / キューバ(ソン) / プエルトリコ(ボレーロ) / 南アフリカ(カウェラ) / ルーマニア / インド(映画主題歌) / パキスタン(ガザル) / エジプト / トルコ(ヒジャーズ) / ギリシャ(レペレーティカ) / インド(バジャン) / ネパール / 中国(歌謡曲) / スペイン(フラメンコ) / ポルトガル(ファド) / スリランカ(バイラ) / マダガスカル / メキソコ(ソン・ハローチョ) / アルゼンチン(チャカレーラ) [アタウァルパ・ユパンキ] / ブラジル(サンバ) / トリニダード(カリプソ) / アメリカ [ビリー・コステロ] / ガーナ(ハイライフ) / コロンビア(クンビア) / インドネシア(レゲエ・ジャワ) / ザイール(リンガラ・ミュージック)

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