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2007年9月21日 (金)

【楽】【読】アルバータおばさん

ひさしぶりに胸が熱くなる本だった。
(まだ、最終章が残っているけれど)

Alberta_hunter_book1『人生を三度生きた女
 "魂のブルース" アルバータ・ハンターの生涯』

ALBERTA HUNTER ― A Celebration in Blues
 フランク・C・テイラー (Frank C. TAYLOR) 著
 協力 : ジェラルド・クック (Gerald Cook)
  ヤンソン由実子 訳
 筑摩書房 1993.9.25

1895年生まれだから、私にとって 「おばあちゃん」 といってもいい世代だが、なんとなく 「アルバータおばさん」 と呼びたい雰囲気がある。
20世紀の前半に第一線で活躍したブルーズ・シンガー、レコーディングもたくさんしたらしいが、若い頃の音源は、今では入手困難らしい。

アルバータは、1920年代にニューヨークで大活躍した後、1927年から29年にかけてヨーロッパに渡り、パリ、ロンドン、コペンハーゲンで人気を博した。
彼女は、人種差別のきびしかったアメリカよりもヨーロッパの方が好きだったようだが、第二次世界大戦中、ヨーロッパでの仕事が困難になり、米軍慰問団のリーダーとして戦地をまわった。
1945年5月7日、ドイツが降伏した後も、ヨーロッパにはまだアメリカ兵がたくさん残っていた。

<アルバータの部隊は、その後ドイツとオーストリアに行った。 ウィーンではドイツ語で歌った。 そのときの写真の裏に、このような書き込みがある。 「8月15日、フランツ・リストの家。この日、日本の降伏に、祝杯をあげる」>

1945年11月、ニューヨークに戻ったが、1953年まで米軍慰問団の仕事で、朝鮮半島と日本の駐留軍などを慰問。
 「アメリカ軍隊があたしから制服をはぎ取るまで、あたしは軍隊のために働くつもりだよ」

1954年1月、母親の死がきっかけになって、アルバータは人の役にたちたいと考えるようになり、55年、ハーレムにある病院のボランティア・ワーカーになる。

ここからが彼女のすごいところだが、 「病院で単純な仕事以上のことをしようとしたら、資格が必要だということ」 がわかった彼女は、1955年の暮れ、小学校終了試験を受ける。
若い頃から仕事をしていたので、小学校も卒業していなかったのだ。

<アルバータ60歳のときのことである。 平均点は88点、一番良いのは英語の94点だった。 12月16日、終了証を受け取った。>

この結果に励まされて、彼女は病院の看護婦長に看護学校に入れてもらえないかと頼みこみ、はじめは年齢を理由に断わられたが、どうしても看護の仕事がしたく、粘りに粘ってついに准看護婦の資格を取るコースに入れてもらった。
ハーレムYWCA看護学校の校長 フィリス・アッツという人物は、アルバータの年齢を12歳も偽って入学を認めた。

<入学が認められ、アルバータはさっそく、授業を受け始めた。 クラスメイトはたいてい三十代か四十代で、結婚しているものも、離婚したものもいたが、多くは家族持ちだった。 アルバータの過去を知るものは、ほとんどいなかった。>

1957年4月、インターン・コースを終了、正式の免許許可をもらって、准看護婦の資格を取得。

<ゴールドウォーター病院は、50歳の高齢の看護婦を雇ったつもりでいた。 それ自体、めったにないことだった。 病院関係者のほんのわずかな人だけが、かつての彼女のキャリアを知っていた。 が、彼女の年齢が実際には62歳であるということは、だれも知らなかった。>

なんとも、痛快な話ではないか。
アルバータは、その後20年間、看護婦の仕事をじつに献身的に続けたのである。

<1977年4月1日、実年82歳のアルバータは、70歳の誕生パーティーと引退パーティーを職場の人々に祝ってもらった。>

これが、彼女の 「第二の人生」 だった。

彼女はもう歌う気はなかったのだが、1977年7月、あるパーティーに招待され、そこで音楽活動への復帰を促された。
グリニッチ・ヴィレッジの小さなレストランクラブ 「クッカリー」 で、20年ぶりに音楽活動を再開。
10月10日、オープニングの様子はこうだ。
アルバータが勤務していた病院の看護婦たちも、このショーを見に集まっていた。

<テーブルの上のハンバーガーは、隅のほうに押しやられ、客は静まり返って、アルバータがマイクに向かう姿を見守った。 (中略) スポットライトのなかに入ったアルバータは、ガラスの靴に足を入れた瞬間のシンデレラのようだった。
 アルバータはまず聴衆に、看護婦の仕事を心から愛していたこと、病院の規則で、70歳で辞めさせられたときは本当に悲しかったことを話した。
 「でも、騙されたのは、本当は彼らのほうなのさ。 だって、あたしの本当の年齢は82歳だからね。 あたしが彼らの裏をかいてやったことになるね。 ハッハッハ!」
 アルバータの本当の年齢を知らなかった看護婦たちは、驚きの声を上げた。 この20年間、本当のワルは自分だったことを認め、アルバータは看護婦たちのほうを見てウィンクした。>

<最初の曲、『マイ・キャッスル・イズ・ロッキング』 が、ゆっくり始まった。 出だしの高い音がすこし不安定ではあったが、半分も歌ったころには、彼女は普通のプロに戻っていた。 プロの舞台だった。 指を鳴らし、太腿をまるでタンブリンのように激しくたたき、きっちりと髪をうしろにまとめた頭をのけ反らせ、聴衆の一人ひとりを、その輝く茶色の目で見据えながら、自分の世界へ誘って行った。>

こうして、彼女の 「第三の人生」 が始まったのだ。
アルバータ・ハンター、82歳の再デビューだった。

1984年10月17日、ニューヨークの自宅で永眠。 89歳。

<アルバータは、戦前イギリスでつきあいがあり、深く尊敬していたレディー・メンデルが1950年に死んだとき、死亡記事に載った遺書を切り抜いて大切にしまっておいた。 死に対する彼女自身の気持ちは、これに近いものだった。
 「葬式も花もなしにして下さい。 そして、どんなに親しい人にも死顔を見せないで下さい。 私という人間が、すこしでもなにかの役に立ったのなら、私が死んだという知らせを聞いた日に、その当時の私を心に浮かべてほしいからです。 アーメン」>

<アルバータは最後の数週間、自宅のベッドの上に起き上がって、この本のために自分の人生を語ってくれた。 古き良き時代のことを思い出しては心から楽しそうに笑い、ゴールドウォーター病院で働くことが、彼女にとってどれほど大切だったかを話すときには涙を流し、神を称え、税務署を罵倒した。>


『人生を三度生きた女』  “魂のブルース” アルバータ・ハンターの生涯
  目 次
序章
第一章 こども時代:チャンスを待って
第二章 ドリームランドへ 16歳
第三章 ニューヨーク! ニューヨーク! 28歳
第四章 ヨーロッパへの飛翔 32歳
第五章 帰国:人種差別との闘い 33歳
第六章 星条旗と共に 45歳
第七章 転身:第二の人生 62歳
第八章 カムバック 82歳
第九章 靴をはいたままで 89歳


私のてもとにある 『世界ジャズ人名辞典』 (スイングジャーナル社/1976年) には、次のように紹介されている。
彼女のカムバック前のそっけない記事である。

アルバータ・ハンター Alberta Hunter <vo> 1897年4月1日
テネシー州メンフィスの生れ。 12才のときシカゴに移住。 15才でクラブにデビューし、ブルース歌手となる。 23年にブロードウェイ・ショウ 「ハウ・カム?」 に出演。 ヨーロッパでも歌って、ヨーロッパの聴衆にブルース・シンギングを紹介した人といわれた。 20年代には多くのジャズメンと録音を行なっている。 第2次大戦後もショウなどで活躍したが、57年にニューヨークの病院の看護婦になってしまった。
<ダウンハーテッド・ブルース>の作者。 サッチモのLP 「アーリー・ポートレイト」 (Mile) で24年録音の <テキサス・モーナー・ブルース> など4曲がきける。

 【註】 彼女の生年は、ながらく1897年といわれていたが、実際には1895年だった。


Amtrak_blues_2AMTRAK BLUES  1980 CBS
共演者に、この本の協力者である ジェラルド・クック(p)のほか、ビック・ディケンソン(tb)、ドク・チーサム(tp)、フランク・ウェス(ts,fl) らが名を連ねている。
82歳でカムバック後、1978年のニューポート・ジャズ祭にも出演。
同年、ジェラルディン・チャップリンとアンソニー・パーキンス主演のコロムビア映画 『リメンバー・マイ・ネーム』 に歌で出演、そのサウンド・トラック・アルバムがカムバック後の第一作となった。
それに続く第二作が、このアルバム。 85歳。
上のジャケット写真は、私が持っているLP。 CD復刻盤あり。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0000025IC

【LPのライナーノーツ(青木啓) 1980.8 より】
アルバータ・ハンター。 現在ニューヨークのジャズ・クラブで歌い、大評判になっているブルース&ジャズ・シンガーである。 彼女の評判はニューヨークだけでなく、全米に、そしてテレビによる報道なども通じて世界にひろまっている。 日本でも一昨年ごろから、クラブで元気に歌い、人々を楽しませ、感動させているアルバータ・ハンターの姿が、しばしばテレビで紹介されたものだ。 そして、“奇跡的なカム・バックに成功したヴェテラン・ブルース歌手” という説明が、必ずつけ加えられていた。 アルバータ・ハンターは今年85歳の高齢。 だが、なんとメリハリのきいたパンチもある確かな声だろう。 そして、なんと楽しく、深い情緒と味わいのある美しい歌唱だろう。 これはオドロキだ。 世界的な大話題になったことは当然というものだ。


他に、こんなアルバムも発売されているようだ(輸入盤)。
ロンドンで歌っていた若い頃の録音だろうか。 聴いてみたい気がする。
The Legendary Alberta Hunter: '34 London Sessions
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000000PF6
61tf6kqpyxl_aa240_

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コメント

ネットのYou Tubeで、アルバータ・ハンターの映像をいくつか見ることができます。
http://www.youtube.com/results?search_query=Alberta+Hunter&search=Search

投稿: やまおじさん | 2007年9月23日 (日) 07時12分

とても魅力的な記事でした。
また遊びに来ます!!

投稿: 履歴書の封筒 | 2014年6月20日 (金) 10時56分

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