【読】メキシコの物売り少女の話
村上春樹 『辺境・近境』 (新潮社)を読んでいて、いい話にぶつかった。
私は、こういうエピソードに弱い。
「メキシコ大旅行」 と題された、やや長めの旅行記に書かれているエピソード。
サン・アンドレス・ララインサールという小さな村で、村上春樹は 「はっとするくらい綺麗な八歳くらいの女の子」 に出会う。
観光客目あてに土産物を売る少女だ。
<僕はその子から布の袋を買った。 (中略) 最初の向こうの言い値は忘れたけれど、値切ったり抵抗したり妥協したりの末に、取引値段は四千ペソに落ち着いた(八歳でも、こういうことになるとすごくしっかりしていて感心してしまう)。>
ところが、実際にお金を払う段になってポケットを探ると、細かいお金が三千五百ペソしかなかった。
一万ペソ札はあったが、その子がお釣りを持っているはずがない。
(ちなみに、五百ペソは日本円で20円ほどだった)
村上春樹が 「悪いんだけど三千五百ペソにしてくれないかな、これしかないから」 と言うと、その子は、「ものすごく哀しそうな目で、長いあいだじいいいいいっと僕の顔を見ていた。」
<それから何も言わずに僕の三千五百ペソを受け取ってあっちに行ってしまった。 今でもその女の子の目を思い出すたびに、僕は自分がこのララインサールの村で極悪非道な行ないをしてしまったような気がする。>
<今でも、机に向かってこういう文章を書いているときに、ララインサールの村でお金が五百ペソ足りなかっただけで、僕の顔をいつまでもじいいいっと見つめていた綺麗な物売りの女の子の目を思い浮かべてしまう。 そのときの彼女の目の中には、何かしら僕の心を揺さぶるものが存在していたように思う。 誰かとそういう風に真剣に目と目を見合わせたのは、考えてみれば、僕にとってはものすごく久しぶりのことだった。 五百ペソ(二十円)のお金をめぐって、僕らは長い時間、じっと相手の目の奥をのぞきこんでいたのだ。>
じつは、この後も村上春樹の文章は数行続くのだが、それは蛇足のような気がする。
こういうエピソードは、余韻を残すほうがいい。
ひとつまちがえると、キザになるし、説教じみた話になってしまうから。
勢古浩爾という人が指摘していた 「村上がつい調子にのって自分に溺れる」 (『ああ、顔文不一致』) とは、こういうところなのかもしれない、と思った。
とは言っても、この紀行文集はとてもいい。きのう、古本屋(いつもの BOOK OFF)で、『村上朝日堂』 シリーズを何冊か買ってきた。
この人の小説を読む気はまだないけれど、エッセイ・雑文のたぐいは面白いと感じる。
まったく傾向はちがうのだが、ひと頃、椎名誠にはまったことがある。
その時と、なんだか似ている自分がいる、なんちゃって。
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コメント
ますます、絡め取られていく・・
そうして、網にかかってしまった、私でもありました。
投稿: モネ | 2007年10月 9日 (火) 23時55分
やまおじさんが「ノルウェーの森」を読むなんて事は想像もしませんでしたが、そんなに遠い日ではなさそうだな・・。
投稿: 玄柊 | 2007年10月10日 (水) 14時05分
モネさん、玄柊さん
コメント、ありがとうございます。
村上春樹の小説は、古本屋で手にとってパラパラ見てましたが、どうも私には合いそうもありません。
関心はあるのですが、今のところ・・・。
「物語」というか、波瀾万丈のストーリーの小説が好きなんです。
投稿: やまおじさん | 2007年10月10日 (水) 21時09分