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2007年11月30日 (金)

【読】雀を生きかえらせなさい

勢古浩爾さんの 『自分様と馬の骨』 からの孫引き。
勢古さんは、この言葉に感銘を受けたようだが、私も同様。

 子供の頃、初めて買った銃で雀を撃ち殺した。 その時、母に、
 「雀を生きかえらせなさい」
 と、叱られた。

  (『マイ・フィールド・オブ・ドリームズ』 井口優子訳・構成、講談社)

以下、勢古さんの 『自分様と馬の骨』 第4章 「終着駅は犯罪だった」 より。

<すごい言葉を読んだ。 近年これほどびっくりした言葉はない。 『シューレス・ジョー』 の著作 (映画 『フィールド・オブ・ドリームズ』 の原作) で知られる W・P・キンセラが書いている文章のひと言だ。>

<完全に虚をつかれてしまった。 このような叱り方がアメリカにはあったのか。 「雀を生きかえらせなさい」だと。 ショックである。 アメリカ人がすごいのか、それともこの母上がすごいのか。 アメリカ人全部がすごいわけではまったくないが、アメリカ人ということはたしかに一要因ではあろう。 (後略)>

勢古さんは、承認論の文脈のなかで、近年日本の凶悪犯罪について書いている。
2001年6月、大阪府池田市の大阪教育大付属池田小学校に乱入、児童8人を刺殺した宅間守。
1999年9月、池袋で2人を刺殺し7人に負傷を負わせた通り魔事件の、造田博。
彼らがどのように生き、どのようにして凶悪な犯罪を犯すに到ったのか。

気の滅入るような犯罪の話のあとで、上の言葉が紹介されている。
「雀を生きかえらせなさい」 ―― この、短い言葉は私にとっても衝撃だった。
人間は、このようにも生きられる。
こういう人もいるのだ、と思えることが救いだ。


勢古さんが何を言いたいのか理解できたつもりだが、私の力ではとても要約できないので、以下、再び引用。

<日本人ならどういうか。 母親なら、せいぜい 「だめでしょ、スズメさんが可哀相でしょ」 くらいのところか。 (中略) 水俣事件のとき、補償なんかいらないから、会社の社長以下幹部たちに水銀を飲んでもらって水俣病と同じ症状になってもらう、それでいい、と被害者の代表が叫んだ(ことを、私は正確ではないかもしれないが記憶している)。 だからこのような言い方が日本にもないわけではない。
 だが、右のような場合と、キンセラの母の言ったことは似て非なることである。 被害者と加害者の対立という憎悪の場面ではなく、親と子の間のことだ。 子どもを承認することと、事の善悪のちがいのことである。 世の中には取り返しのつかないことがある。 どのようにしても、絶対に責任のとりようのないことがある。 死んでお詫びしても、お詫びしきれないことがある。 それを取り返してみよ、責任をとってみよ、とキンセラの母は言ったのである。 しかも自分の子どもに、である。 これほど根源的な言葉はない。>

<キンセラの母の言葉はいったいどこから出てくるのか。 子どもからの承認を一切必要としない場所から出てきていると思われる。 すなわち、「自分」よりも「自己」を上におくことの正しさの場所から来ていると思われる。>  (太字は原文のまま)

引用が長くなったが(いつものことだが)、感銘を受けたので紹介した。

Seko_jibunsama_2勢古浩爾さんが言う 「自分」 と 「自己」 ――
 『自分様と馬の骨』 第3章 「自分様と馬の骨」 より要約 (私の理解)

私たち一人ひとりの人間は、この世界のなかでどのように存在しているのか。
ひとつは 「自己」 という言葉で表わせる存在のしかた。
世界の65億人の中の一つとしての 「塵のような存在」。
その特徴は、無名性(匿名性)と等価性である。
「馬の骨」 というあけすけな言葉に抵抗を感じる人がいるかもしれないが(私もそうだ)、つきつめて考えれば、見ず知らずの他人(世界中の)は、この自分にとってどこかの 「馬の骨」 である。

もうひとつの存在のしかたが 「自分」
世界でひとりしか存在しない、何の何某という名前をもった 「自分」。
その特徴は、唯一性と優越性である。
(「俺が、俺が」、「自分様」、「俺様」 に行きつく)

ひとりの人間は、この無名性と唯一性、等価性と優越性、つまり 「自己」 と 「自分」 の二重性 (単純に社会性と個人性といってもいい) として存在している。 しかも、その矛盾体として、である。 ―― というのが、勢古さんの持論である。

「自分らしく生きたい」 だの、「自分さがし」 だのといった今の流行り言葉を、勢古さんは厳しく批判する。
私も同意。


【参考】
W・P・キンセラ 著 / 井口優子 訳
 『マイ・フィールド・オブ・ドリームス―イチローとアメリカの物語』
 Amazon http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4062111500
W・P・キンセラ 著 / 永井淳 訳
 『シューレス・ジョー』  (文春文庫)
 Amazon http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4167218038

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コメント

映画「フィールド・オブ・ドリームズ」は、若くして亡くなった父と、その年を越えた子の二人が、キャッチボールをするという美しいシーンがありました。農場を野球場にしてしまった子の情熱・・。単なる野球映画ではありませんでした。本も持っていますが、このセリフは覚えていませんでした。

投稿: 玄柊 | 2007年11月30日 (金) 23時26分

>玄柊さん
私は、映画も原作もまったく知りませんでした。
図書館にあったので、読んでみようかと思っています。

このように厳として自分の子どもに言える母親に驚きました。
勢古さんは、親子の間の「承認」がいちばん強いと言っていますが、子を「承認」しながらも善悪のケジメを言う、この母親の強さはちょっと真似のできない立派なものです。

投稿: やまおじさん | 2007年12月 1日 (土) 06時56分

「フィールド・オブ・ドリーズ」は3回くらい見ました。しかしこの言葉は知りませんでした。
いまからでも遅くないでしょうか、、、このような母親になりたいです。「本当の愛」がなければ言えないですね。
善悪のケジメがあまりにも無くなってきている世の中に流されないで生きたいし、子供たちにもそうあってもらいたいです。

投稿: モネ | 2007年12月 1日 (土) 07時33分

>モネさん
この言葉が載っている本がわかりましたので、追記しておきました。
『マイ・フィールド・オブ・ドリームス―イチローとアメリカの物語』

投稿: やまおじさん | 2007年12月 1日 (土) 07時54分

DVDと「シューレス・ジョー」がありました。単行本の方に、2001.9.26の朝日新聞切り抜きがあり、イチローは新人の最多安打記録だった90年前のジョー・ジャクソンの233本にあと6本と迫っているとありました。この記録を破ったことから「マイ・フィールド・オブ・ドリームス」が出たのですね。読んでみます。

投稿: 玄柊 | 2007年12月 1日 (土) 08時36分

>玄柊さん
私は、掲載した2冊を図書館にリクエストしました。
そちらはもう、銀世界でしょうか。
こちら、まだまだ紅葉が続いています。

投稿: やまおじさん | 2007年12月 1日 (土) 09時14分

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