【雑】紅白
大晦日、ついつい見てしまう「紅白」。
私には関心のない歌手が多いのだけれど。
美空ひばりと小椋佳の合成デュエットがよかった。
美空ひばり存命中は好きではなかったけれど、やはり偉大な歌い手だったのだな、と思う。
小椋佳も悪くないのだ。
大晦日、ついつい見てしまう「紅白」。
私には関心のない歌手が多いのだけれど。
美空ひばりと小椋佳の合成デュエットがよかった。
美空ひばり存命中は好きではなかったけれど、やはり偉大な歌い手だったのだな、と思う。
小椋佳も悪くないのだ。
用があって街にでたついでに、こんなアルバムを買ってきた。
話題のアルバム。
徳永英明が歌う、女性ヴォーカリスト曲のカバー集だ。
これが、なかなか、いい。
元歌がいいのだろう。
徳永英明のかすれ気味の声も好きだ。徳永英明 『ヴォーカリスト』
2005.9.14 UNIVERSAL SIGMA UMCK-1195
(収録曲) 時代/ハナミズキ/駅/異邦人/シルエット・ロマンス/LOVE LOVE LOVE/秋桜/涙そうそう/オリビアを聴きながら/ダンスはうまく踊れない/ダンスはうまく踊れない/会いたい/翼をください/卒業写真
徳永英明 『ヴォーカリスト2』
2006.8.30 UNIVERSAL SIGMA UMCK-1212
(収録曲) 雪の華/いい日旅立ち/あの日にかえりたい/未来予想図II/かもめはかもめ/セカンド・ラブ/シングル・アゲイン/あなた/恋人よ/なごり雪/M/瞳はダイアモンド/for you・・・
一年前も同じようなことを書いていたが、今年の暮れも同じ心境。
→ 2006年12月29日 (金) 【雑】とりあえず、リセット
http://yamaoji.cocolog-nifty.com/blog/2006/12/post_2f8f.html
年の瀬まで慌しかった。
今日で仕事も終わってほっとしている。
やりかけの仕事もあり、年が明けたらさっそく仕事に追われそうだが、それは忘れよう。
年が替わるって、いいな。
人は、悪いこと、いやなことは、忘ていくものだ。
「思い出はいつもウツクシイ」 ってね。
年齢を重ねていくことに何かいいことがあるのか。
私の考えでは、楽しい思い出が年々増えていくことだと思う。
年の瀬の、なんとなく物悲しい気分も好きだし、正月もうれしい。
とりあえず気分をリセット。
あたらしい年も、なんとかなるさ。
♪ あてなどないけど どうにかなるさ ♪
(山上路夫 作詞/かまやつひろし 作曲 「どうにかなるさ」)
きのう紹介した本、村上春樹・和田誠 『村上ソングズ』 を紙ケースから出すと、こんな顔をしている。
和田誠の絵がいいね。
こういう洒落た本は、通勤鞄の中に入れて持ち運ぶと痛んでしまうから、家で読みたい。
目次を見ているだけで嬉しくなる。
知らない曲が多いけど。
神様しか知らない/幸福とはジョーという名の男/人生のイミテーション/ニューヨークの秋/ムーンライト・ドライブ/・・・中国行きのスロウ・ボート
On A Slow Boat To China 村上春樹訳はこんな感じだ。
「中国行きのスロウ・ボート」
中国行きのスロウ・ボートに
君を乗せられたらな。
そして僕だけのものにできたらな。
<僕がこの曲の存在を知ったのは、言うまでもなくソニー・ロリンズの見事な演奏のせいだった。 「中国行きのスロウ・ボート」 というタイトルを耳にすれば、この曲の歌詞がどうこうという前に、まずロリンズの縦横無尽にして自由自在なソロがすぐ頭に浮かんでくる>
(『村上ソングズ』 P.52 中国行きのスロウ・ボート)
ロリンズの名演は、たぶんこのアルバム。
とつぜんだが、レコードを出して聴いてみた。
いいなぁ、ロリンズ節。
SONNY ROLLINS WITH THE MODERN JAZZ QUARTET
(PRESTIGE LP7029)
SLOW BOAT TO CHINA
Sonny Rollins, tenor sax
Kenny Drew, piano
Percy Heath, bass
Art Blakey, drums
recorded December 17, 1951
途中で投げださなくてよかった。
面白くなってきたぞ。
下巻、第八章 「羊をめぐる冒険 III」 になって、がぜん面白くなってきた。
結末はどうなるのか、まだわからないが。
この舞台のモデルが北海道のどこなのか、興味がわく。
もちろん、架空の場所だということは承知しているが、作者がモデルにした土地があるように思う。
主人公たちは、旭川から北へ、塩狩峠を越えて行く列車に乗り、途中で乗り換えている。
私が中学生の頃、家族が一時期暮らしていた町の方角だ。
(私だけが家から離れて、下宿生活をしていた)
名寄という町から、東に延びる国鉄の支線があったっけ(今は廃止されているが)。
その昔(明治の頃)、内地(道外)から入植した人たちの話が面白かった。
こういうことが、北海道の開拓期にはたくさんあったのだろう、というエピソードだ。
北海道の田舎で生まれ育った私には、この小説の舞台がとても身近に感じられる。
ところで、今日、こんな本を書店でみつけた。
村上春樹 和田誠
『村上ソングズ』 中央公論社 2007.12.10
『ポートレイト・イン・ジャズ』 (新潮社/新潮文庫) の続編のような感じ。
英米のポピュラー・ソングが30曲近くとりあげられ、村上春樹の訳詞(2曲だけ和田誠訳)と、添えられている和田誠の絵が楽しい。
村上春樹小説のファンにはなれそうもないけど(今のところ)、こういう仕事はさすが、と思う。
【追記】 2007.11.25 23:08
夜の11時までかけて、蒲団の中で 『羊をめぐる冒険』 読了。
文庫カバーに 「村上春樹の青春三部作完結編」 とあるが、これはまさに 「青春小説」 だなと思う。
読後感はとてもいい。
最初から一気に読み通せば、きっと、もっと良かったんだろうと思う。
「羊男」 ・・・こういうの、嫌いじゃないですよ。
さあ、寝よう。 明日の朝も早いから。
それほど長い小説でもないのだが、まだ読み終えていない。
文庫本、上下2巻。 あわせて500ページほど。
こういうものは、一気に読み通さないと醍醐味が伝わってこないのかな、と思う。
下巻にかかり、ようやくストーリー展開がおもしろくなってきた。
村上春樹 『羊をめぐる冒険』
講談社文庫 (上・下)
2004.11.15 第1刷発行
「群像」 1982年8月号掲載
同10月 講談社から単行本発売
そうか、純文学雑誌に発表されたんだ。
1982年といえば、25年前かぁ。
小説の内容と直接関係ないが、家で緬羊(めんよう)を飼っていたことがある。
小学校低学年か、もっと小さい頃、学校に入る前だったかもしれない。
当時、私の父は北海道の片田舎で小学校の教員をしていた。
教員住宅の裏に物置小屋があり、そこで緬羊を飼っていたのだ。
羊毛をとるための羊で、きっと内職的に飼っていたのだろう。
バリカンで羊の毛を刈った後、羊の体が小さくなって山羊のように見えたことを、いまでも憶えている。
なにか事情があってその羊を手放すことになったとき、羊が乗せられたトラックを、幼い私は泣きながら走って追いかけたらしい。
羊とわかれるのが辛かったんだろう。
おぼろげな記憶しかないが、今でもときおり、母と、そういえばこんなことがあったねと語りあう昔話だ。
『風の対話』 という五木寛之の対談集に、村上春樹との対談がある。
『羊をめぐる冒険』 が出版された頃の対談。
五木 今度の『羊をめぐる冒険』 は、あなたにとっての第三作になるわけだけど、いかがですか、ご自分では。
村上 あれを書いちゃって、かなり楽になりました。 最初の二作を書いたあとで、実は結構落ち込んじゃったんです。 (中略)というのは、ぼくの最初の二作は、「他人に何かを語りたい」、「でも語れない」というギャップで成立していたようなところがあるんですけど、 (略) で、三作目では、徹底してストーリー・テリングをやりたいと思ったわけなんです。(後略)
これに対して、五木さんが、「ストーリー・テリングっていう、そのへんを少し聞かせてほしいですね。 ストーリー・テリングと物語とは違うっていうふうに、ぼくは思うんだけれども。」 と言っている。
五木寛之の小説は「物語」という感じがするが、村上春樹はちょっとちがうな、というのが私が感じたことだ。
好きか嫌いか、と問われれば、「嫌いではない」としか今のところ言えない・・・かな?
今日、たちよった書店でみつけたもう一冊の本。
この書店は、JR立川駅北口のビルの中にある。
オリオン書房 http://www.orionshobo.com/
駅ビルにも支店(ルミネ店、こちらの方が古い)があり、立川市に住んでいた時はよく利用していたが、駅から徒歩2、3分のところにある、この「ノルテ店」は、1フロアーながらも売場面積は広く、品揃えも充実している。
民俗関係のコーナーをよく見るのだが、欲しい本がたくさん並んでいる。
(アイヌ関係や、民俗学関係の本だが)
八切止夫 『庶民日本史辞典』 作品社
2004.12.25 第一刷発行
A5版、箱入り、魅力的な装幀。
八切止夫という人に関心があったので、手にとって、箱から出して開いてみると、目次にはこんな見出しが並んでいた。
ア行 アイヌモシリ アイヌウタリ アクリ 天ノ原 ・・・ 阿呆 哀号奈良 アテルイ蜂起 ・・・
これはもう、買わずにはいられない。
他の書店ではこれまで見かけたことがなかった(見逃していたのかもしれないが)。
この手の本は、見つけたときが買い時なのだ。
ちょっと値が張ったけれど(税別3800円)、いい本に出会った。
本日の収穫。
デパートの帰り、100円パーキングの並びにあるビル内の大型書店で、こんな本をみつけた。
書店の中にある喫茶室でひと休みしたのだが、さすが、書店内の喫茶室。
壁に正月飾りを展示して、即売。
その下のテーブルに、正月飾りに関連する本が何種類かあった。
その中の一冊。
面白そうなので買い求めてみた。
『家庭で楽しむ 歳時記・日本の行事』
監修 近藤珠實 池田書店 2007.12.28 発行
発行日が先日付だが、出たばかりなのだろう。
この手の本が数種類並んでいたが、表紙のイラストを見て、たぶんこれがいちばんいいだろうと直感。
こういう勘は、けっこうあたる。
イラストが楽しいし、薀蓄をひけらかすようなところがなくて、いい本だと思う(編集者の腕がいいんだろうな、きっと)。
内容は、こんな感じ。
冬至 12月21日頃 【旧暦では11月24日】
春に向かって日が伸び始める日
一年で最も昼が短く夜が長い日で、二十四節季のひとつ。 昔、中国では冬至が暦の始まる日とされ、厳かな儀式が行われていました。(後略)
民間では、冬を乗り切るために、かぼちゃなどの栄養のあるものを食べたり、柚子湯に入ったりする習わしがあります。 また、れんこんなど「ン」のつく食品を7種類食べると運がつくといった地方もありました。
「ン」のつく食品7種 (絵入り)
幸運になるとされた。 なんきん(かぼちゃ)、れんこん、にんじん、ぎんなん、きんかん、かんてん、うどんなど。
大晦日 12月31日 【旧暦では晦日】
年神を寝ないで待つ晦日
昔は、毎月三十番目の日を「晦日」「つごもり」といい、年末の晦日は、大をつけて「大晦日」「大つごもり」と呼びました。 つごもりは「月隠(つきごもり)」ともいい、月が見えなくなる日を意味します。 旧暦では一日が日没から始まるので、大晦日の夜が元旦になり、「年取膳」といって、家族皆で正式な食事をしました。(後略)
正月は、江戸東京たてもの園に行こう。
友の会の会員になったので、こんな案内が今日とどいた。たてもの園 正月遊び
一年の計はたてもの園にあり!
平成20年1月5(土) 6(日)
11:00から15:30まで
http://www.tatemonoen.jp/index.html
◆常盤台写真スタジオ 【5日のみ】
昔の写真館で写真撮影してもらえる(有料)
◆投扇興 (高橋是清邸二階)
◆新春茶会 【6日のみ】 (三井八郎右衛門邸庭)
◆曲独楽 (西川家別邸」)
◆寄席 (西川家別邸)
◆伝統工芸の実演 (植村邸/川野商店)
◆あめ細工 (子宝湯前) 有料
◆甘酒 (八王子千人同心組頭の家) 有料
◆似顔絵 (ビジターセンター展示室前)
◆昔語り (綱島家)
◆昔遊び (外遊び・はらっぱ、室内遊び・天明家)
もう一枚、特別展の案内。
今年は行けそうにないので、これも正月に見てこよう。特別展 移りゆく くらしの歴史
いろりからDK(ダイニングキッチン)へ
平成19年12月8日~平成20年3月9日
江戸東京たてもの園 展示室
展示構成
いろりのある家/茶の間のある家/DKのある家/電化製品の歴史
宮部みゆきの小説が好きで、ずいぶん読んだものだ。
現代小説と時代小説、どちらも好きだ。
ここ数年、新刊を読むことをやめてしまったし、ずっと前に読んだものも本を手放してしまったので、手元には一冊もなかった。
宮部みゆきの時代ものが読みたくなったので、まとめて古本屋(BOOK OFF)で買ってきた。
半分ぐらいは、以前、読んでいるはずだが、記憶があいまい。
読んだのは、だいぶん前だから。
文庫だけでも、これ以外にまだ出ているはずだ。
「霊験お初捕物控」シリーズは、強く印象に残っている。
(『震える岩』 『天狗風』)
現代ものでは、『火車』 『龍は眠る』 『レベル7』 『理由』 『模倣犯』 など、夢中になって読んだっけ。
二・二六事件を舞台にした 『蒲生邸事件』 も面白かったな。
この人の小説には、人間的な温かみがある。
人の情、というのかな。
そこがいい。
なかなか時間がとれないのだけれど、味わいなおしてみようかな、と思っている。
朝日新聞をとっているが、私はほとんど読まない。
読む余裕がないというか、毎日がそういう生活なのだ。
連載小説(夢枕獏「宿神」)をほぼ一年間、切り抜いているので、その作業のついでに一週間ぶんの朝刊をざっと見る。
12/16(日)の書評ページに、ついこのあいだ読んだ新書の紹介が載っていた。
asahi.com http://book.asahi.com/review/TKY200712180224.html
深沢秋男 『旗本夫人が見た江戸のたそがれ』
― 井関隆子のエスプリ日記 ― 文春新書
評者は野口武彦(文芸評論家)という人。
すこしだけ転載してみよう。
<女性の日記文学は必ずしも平安時代の特産ではない。江戸幕府が改革か衰退かの選択を迫られた天保年間、女ざかりの日々の出来事を日記に綴った旗本の妻がいた。
その名は井関隆子。江戸城で納戸組頭を勤めていた井関親興の後妻である。(中略)膨大な日記は、長らく「桜山文庫」に秘蔵されていたが、(中略)『井関隆子日記』と名付けて世に知られるところとなった。そのサワリを紹介したのが本書である。>
もうひとつ、同じ日の書評ページに、池澤夏樹さんの文庫も紹介されていた。
池澤夏樹 『やがてヒトに与えられた時が満ちて……』 (角川文庫)。
これは買ってみようかと思う。
<子どもが生まれなくなった人類から、隔離された者たちが移住した衛星上の植民都市では、追憶は禁じられ、誰もが過去を知らず、進歩と啓蒙を捨てた充足のうちに暮らしていた。 (中略)種としての孤独をえがく表題SFに短編を併録。>
北国生まれだから、こういう天気には敏感なのだ。
家の中がひやっとして、湿気も感じる。
底冷え、というやつだ。
東京でも奥多摩あたりでは雪が降るだろう。
平地では、ちらちら舞う程度かもしれないが。
からっ風の冬はきらいだけれど、雪が降るとうれしくなる。
こどもみたいだな。
いろんなことがあった一年だった。
なんだか疲れた。
ブログやら、mixiやらも、めんどうになってきた。
気が弱くなっているのか。
おみくじで大凶がでたのは去年だったか、今年だったか。
大凶じゃなくて凶だったか。
どっちにしても、ありがたくないおみくじだった。
記憶も、年々あいまいになってくる。
来年はいいことあるかな?
さて、三連休は年賀状の宛名書きでもしようか。
明日、あさっては、天気も悪そうだ。
冬はいやだな。
「冬は厳しく」 須藤もん 作詞/作曲/歌
アルバム 『隧道 zuido』 収録
♪ 壊れた心のカケラを拾う
あんたの横顔を見ていたら
涙がポロポロこぼれてきて
凍えたその指を握りしめた
寒い冬など こんな寒い冬など
早く隣りの国へ行ってしまえ ・・・
難しい字を使ってしまった(手書きじゃ、ぜったい書けない)。
今風に言えば宝くじ。
この季節になると思いだし、これまで何度も書いたことが、上方落語の演目 「高津の富」 (江戸落語では 「宿屋の富」)。桂枝雀の名演には、聴くたびに笑わされ、ホロリとさせられる。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00005GK4A
ふところのさびしいオヤジが、金持ちのふりをして宿屋に泊まり、宿屋のあるじから富くじを買わされる。
宿屋のあるじが、富札の販売もしていたようだ。
一番(一等)の賞金が千両。
富札一枚の値段は一分(いちぶ)だった。
この金額が、現代の貨幣価値でどれくらいに相当するのか、ずっと謎だった。
(それほどのことでもないのだが、どう調べればいいのかわからなかった)今読んでいる(まだ読みおえていない)この本で、疑問が解消。
― 金森敦子 『伊勢詣と江戸の旅』 (文春新書) P.33 ―
<お金の単位と相場>
1両=4分=16朱
1両=変動するが、おおよそ6貫500文前後
(1貫=1000文)
<文政2年の柏崎の大工・左官などの日当>
12日=1分=4朱
3日=1朱
1両=6830文 1朱=427文
なかなか難しいのだが、1両は現代の6万円に相当するという(金森さんは米の値段から換算)。
そうすると、千両はいまの6000万円ほどか。
高津の富籤は、ジャンボ宝くじのようなものだったのだな、と納得。
富札一枚が一分(1万5000円)もしたというのは、ちょっと驚きだ。
― 桂枝雀 「高津の富」 (こうづのとみ) から ―
「アハン、うん、なンじゃちいなさんのじゃえ」
「富札でござりますが、富でございます」
「ハーハ、富というのは、どのようなものじゃえ」
「旦さん、富ご存知やござりませんので。 いえ、エー、なんでござります、明日、突きますのでございます。高津神社、高津のお宮さんに、これと同じ番号を書いた札がございまして、明日、それを突きますのでございます。今も申しましたように、一番に当たりましたら千両、二番なら五百両、また三番なら三百両という、こうゆうことになっておりますのでございます」
「ハー、おもしろいことしますのじゃね、アー、そうかえ。な、なにかいな、その一番ちゅうやつに、ヒョッと当たっても、千両さえ出しゃ、それで堪忍してもらえるのかえ」
「アハハハハハ、何をおっしゃいます。偉いことが間違うとおります。千両というのは向こうからくれますのでございま」
(中略)
「旦さん方にとりましては、目くされ金かも存じませんが、手前ども生涯かかって、見ることの出来ン大金でございます。エー、どうでございまっしゃろ、旦さん、一つお遊びにでもお買いになり」
「なンじゃちなさった。エー、おもしろいこと言いなさったじゃないかエ。遊びに買いますかい。運だめし、てんごに。ダハハハおもしろかろう、なンぼあげたらええのじゃ」
「一分でござります。手前ども一分と申しますと、もう大金でござりまするが、旦さん方、一分なぞ」
「ア、なンじゃちいなさる。一分、ちゃなどんなもんじゃエ、エ、どのような、わたしゃ、小判より他、使こたことがありませんでな。ア、アーア、アノ、なにかい、ちょいちょい乞食にやったりなんぞする、あんなんかエー。小さな額が、ア、そう。いや、賽銭にしなされちゅうてな、ハア番頭どんが持たしてくれた、あの余り、一つや二つ残ってたのと違うかえ。エヘヘヘヘ、アー、こんなもンと違うかえ」
・・・とまあ、こんなふうに、このおやっさんは、なけなしの一分を富札に替えてしまって、後悔するのだった。
たしかに、一分は大きな金額だったのだ。
以下、宿屋のあるじが退出したあと、このオヤジの独り言。
<・・・ハァ、いてしもた。ハァ、こわ、イヤー、やまこもええかげんにはっとかないかん。あの親爺、何言うても本気にするもんやさかい、あたしゃ調子に乗ってしゃべってた。大事にしてた虎の子の一分をば、ハァ取られてしもた。・・・>
レコードに付いていた口演録から書き写したので、ほんらいの語りのおもしろさが十分に伝わらないかもしれないが、とにかくおもしろいので、興味をもたれた方は、ぜひ実際の音源でおたのしみいただきたい。
ところで、年末ジャンボ宝くじ、今年はどうしようかなぁ・・・。
写真がなにもなくてさびしいのだけれど。
ここ数日、急に寒くなってきた。
毎年のことなのに何もおぼえていないのが不思議だけれど、冬はとつぜんのように来るんだな・・・。
あと2週間で今年も終わる。
きのうは年賀状づくり(パソコンで簡単に)。
あとは大量に印刷して(といっても、100枚にも満たないが)、一枚一枚、宛名と、なにか一言書かなくちゃ。
やめよう、やめよう、と毎年思いながら続けている年賀状。
昨夜(12/15) 国分寺 「giee」 (ギー)でのライブ風景をアップしました。
来年のライブ予定など、わかりましたら掲載します。
今年も、須藤もんさんを応援してくださった方々へ、この場からお礼申しあげます。
須藤もん公式サイト
http://homepage2.nifty.com/sudomon/
2007/11/15 国分寺 「giee」 ライブ風景
http://homepage2.nifty.com/sudomon/giee071215repo.htm
アルバム 『隧道 zuido』 も、よろしくお願いします。
Amazonからも購入できます。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000FDF0FW/
今日は、国分寺で須藤もんさん・対馬照さんのライブ。
バスで国分寺まで出るのは、いつもの通勤経路だから、近い。
国分寺駅北口から歩いてすぐの店だ。
ひさしぶりに、須藤さんのライブに行ってみよう。
私にとっては、11/11の阿佐ヶ谷 「あるぽらん」 いらいのライブだ。
「須藤もん・対馬照 PRESENTS めおとアワー VOL.3」
2007/12/15 (土) 19:30 開演
国分寺 giee (ギー)
JR中央線 国分寺駅北口 徒歩3分
(東京都国分寺市本町2-3-9 三幸ビルB1)
TEL 042-326-0770
出演 須藤もん 対馬照
ゲスト みのわよしとも (札幌)
ライブ・チャージ 1,500円 (ドリンク別)
giee http://giee.jp/
須藤もん公式サイト http://homepage2.nifty.com/sudomon/
2007/4/30 giee 「めおとアワー」 のライブ風景 (下の写真)
http://homepage2.nifty.com/sudomon/giee070430repo.htm
江戸時代、ことにその末期がおもしろい。『伊勢詣と江戸の旅』 道中日記に見る旅の値段
金森敦子 著 文春新書 375 \700(税別)
江戸時代というと、庶民の生活、とくに農村の生活は窮屈だったと思いがちだが、そうでもなかったのだ。
この本を読みはじめて、じぶんの思い込みに気づかされた。
<江戸時代、全国に流行した伊勢詣。 人々は伊勢講を組織して貯金し、餞別をもらい、農閑期を選んで団体で出発した。 道中では旅籠代を倹約したり、渡し船の船頭に酒手を強要されたりしつつ伊勢に到着。 すると緋毛氈の駕籠に迎えられ、御師の大邸宅では御馳走づくめに絹の蒲団が出る。 神楽の奉納に名所・遊女屋の見物、土産の購入と、旅の全てを拾い、その経費を現代の円に換算して庶民の旅の実態を描き出す。 弥次・喜多になって旅する気分になれる一冊。>
江戸から京都まで、126里6丁といわれる(「五駅便覧」による)。
伊勢までの距離もおなじぐらいか。
この距離を、当時の人びとは、とうぜんのことだが歩いて旅したのだ。
一日の平均歩行距離は、成人男子で10里。
10里といえば約40km。
いまの私たちは、こんなに歩けるだろうか。
当時、江戸から京都までは、12泊13日で行くのが基準にされていたそうだ。
武士ならもっと早足で、一日11里か12里は歩いた。
もっとも、これは途中で川留めや事故にあわずに、順調に歩き通した場合だ。
旅の費用もかさんだことだろう。
江戸と伊勢の往復の旅費だけで、1両2分という。
1両=4分=12朱。
大工・左官・木挽き・桶屋の日当が、一人12日働いて金1分。
つまり、1両は単純計算で48日分の労賃に相当する。
農民の場合、現金を手に入れる機会はすくなかったから、これだけの旅費を貯めるだけでもたいへんなことだっただろう。
そのうえ、伊勢に着くと、30両、50両という金額を奉納したというのだ。
現代の円に換算すると、180万円、300万円になるだろう、と著者はいう。
<(前略) 多くの庶民の伊勢までの道中は、実につましいものであった。 宿泊も二流か三流どころの旅籠屋多かったようだ。 道中手控に各地の名物が記されていることは少ないから、おそらく食べ歩きといったこととも無縁だったのだろう。 馬や駕籠に乗ることも滅多にない。 (後略)>
<いくら貨幣経済が発達したとはいっても、一般庶民がこれだけの金額を貯えるのは容易ではなかったはずだ。 伊勢に着いた途端に一転して大金を散在し、散在したことに十分満足して、嬉々として伊勢両宮の有難さを記しているのだから、旅はまさに魔物であった。>
現代のわれわれにとっても、「物見遊山」 の旅は、ひとつの楽しみである。
今の私たちと変わらないと思うと、なんだか親しみを感じるな。
著者の金森敦子さんは、1946年新潟県生れ。
写真をみると、和服姿の上品な女性。
なかなか読ませる本だ。
明日のネタにとっておこうかと思ったが、おもしろい本を読みはじめたので紹介しておこう。
本屋ですこし前にみつけたもの。
『旗本夫人が見た江戸のたそがれ』
井関隆子のエスプリ日記
深沢秋男 著 文春新書 606
2007.11.20 \730(税別)
幕末期、江戸城に近い、九段坂下に住んでいた旗本夫人が残した日記を紹介する新書。
著者は、昭和女子大学の教授を勤めた人。
この旗本夫人 井関隆子 (1785/天明5年~1844/天保15) が残した日記は、鹿島神宮の大宮司だった鹿島則文のコレクション 「桜山文庫」 から、昭和女子大学図書館に譲渡された。
江戸時代のこの時期は、天保の改革があったり、飢饉が続いたり、蝦夷地の探検がすすんだり、菅江真澄が旅をしたり、ロシアが接近したり(順不同だが)・・・私にとって興味ぶかい時代なのだ。
日記には、天保の改革が行われた天保11年(1840)1月1日から、天保15年(1844)10月11日までの江戸の様子が、生き生きと伝えられている。
井関隆子は、「大変な読書家であり、絵も描き歌も詠み創作もしていた」 という女性。
酒も好きだった。
日記の実物写真が載っているが、この人の筆跡はとても美しい。
昔の人は、みんなこうだったんだろうな。
本人が描いた絵も載っている。 これまたすばらしい。
今日一日で、220ページの新書の半分ちかくまで読みすすんだ。
こういう本なら、通勤の電車・バスの中で二日もあれば読んでしまえるので、ありがたい。
私は家でほとんど本を読まない。
なぜか、乗物の中や病院の待合室のようなところで読むことが多い。
だから、それほどたくさんの本を読むことができず、読みたい本がたまるいっぽうだが、こういう本に出会うと、うれしい。
どうしても思いだせないのだが、「秋も、もう終りさ」 という歌のフレーズがあったはず。
と書きながら、いま、思いだした。
わたしの好きな歌だ。
♪ ほんの少しばかり 遠出したくなった
今夜のおれは 何処へ行くのだろうか
車の揺れるのに 身を任せながら
想い出さずには いられなかった ・・・
♪ このまま このおれは 帰らないかも知れない
あの女はやっぱり 待つのだろうか
波止場にたたずめば 秋ももう終りさ
想い出さずには いられなかった ・・・
(浅川マキ 作詞 / かまやつひろし 作曲 「にぎわい」)
そうか、かまやつひろしの作曲だったんだ、と、いま気づく。朝の団地の風景。
ケヤキの葉がすっかり落ちていた。
帰り道、イチョウ並木を見たら、やはり葉が落ちていた。
あっというまに、冬だ。
さびしくなるな。
12月7日 『昔はよかったね』 の続き。
赤瀬川原平
『戦後腹ぺこ時代のシャッター音』
岩波写真文庫再発見
岩波書店 2007.11.5 第2刷 \1600(税別)
(初出 『世界』 2004年1月号~2006年12月号)
これが予想以上におもしろい。
戦後、1950年から刊行されはじめた岩波写真文庫。
モノクロ写真である。
懐かしいことこのうえない。
赤瀬川さんの文章が、なかなかいいのだ。
<昔はみんな貧乏だった。 昔というのは日本が戦争に負けてしばらくのころ、水泳の古橋、橋爪という名前が、貧乏の中で輝いていた。 (中略) / 自分の年齢的には、中学、高校、そして上京してからの時間帯、コーヒーを飲めない年齢から、やっと自分でコーヒーを飲む年齢になっていくころだ。> (「アメリカ人の生活を見る」)
「日本列島の同時多発フォト」 で紹介されているのは、1956年4月25日発行の岩波写真文庫 183 『日本―1955年10月8日―』 。
この日は特に何かの日というわけではなく、「あえてたまたまの一日を選んで、その日の光景を日本中の人々にカメラで撮ってもらって、それをずらりと見てみようというアイデアである」。
<じつはこのシリーズはこの巻にはじまり、翌1956年8月15日、さらに1957年4月7日、そして1958年正月と、一年ごとに同じ方法で公募して出版している。 (中略) 年を追って見てくと、やはり少しずつ世の中は豊かになって、少しずつ大人っぽくなって、環境が整えられていく様子がわかる。>
<でも通して感じられるのは、このころの日本人は、とくに子供たちは、じつに素朴だったなあということ。 実直だったなあということ。 もちろん写真だから、それは表面のことだと、いまからはいうだろうが、そのころの人間はいまみたいに、裏の裏までは考えていなかった。 もっと単純だった。>
<1956年8月15日の巻で、お宮の木陰でゴザを敷いて、机を持ち出して、子供たちだけでの勉強会の写真がある。 みんな正座して机に向かっているのが、無理なく自然な形になっている。 いまでは考えられない光景だ。 昔はよくこういうことをしていたと、何だかじーんとくる。 いまの世の中では真面目がむしろ軽蔑される。 もちろん内容はいまも真面目な人が大勢いるとは思うが、それを表に出せない。 むしろ不真面目に振舞うことが風潮となっているから、こんな光景にはとても出会えない。> (太字は引用者)
こういう柔軟なものの見方ができる人だから、私は赤瀬川さんが好きだ。
ほんとにそうだよなあ、と思う。
これはいい本ですよ。
ブログのアクセスログを見ていたら、門屋光昭さんの名前で検索して私のブログにたどりついた記録があった。
つい先日、この人が書いた本を読んだばかりだった。
http://yamaoji.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/post_36b6.html
今月5日に亡くなったそうだ。
岩手日報 訃報
http://www.iwate-np.co.jp/fuho/fuho.htm
門屋 光昭氏(かどや・みつあき=盛岡大名誉教授)
5日午前6時25分、膵臓(すいぞう)がんのため盛岡市内の病院で死去、62歳。山口県下関市出身。
私と10歳もはなれていない。
なにか人ごととは思えない。
今年は、いただく喪中のはがきが多い。
そういう年齢になったということか。
昨日 12月8日は、1941年 「真珠湾攻撃」 の日だった。
最近は話題にもならないが、私はなぜか毎年、この日がくると思いうかべる。
ラジオでは、ジョン・レノンの命日だと言っていた。
ショッキングな事件で、どこかの駅前で号外が配られていたことが記憶に残っている。
1980年のことだった。
※ この殺害事件については、Wikipedia(ジョン・レノンの項)に詳しく書かれていて興味ぶかい。
Wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/
すぐ近くに図書館があるのは、うれしいことだ。
借りていた本を返し、リクエストしてあった本と、書棚でみつけた本を借りてきた。
『and Other Stories』
とっておきのアメリカ小説12篇
村上春樹・柴田元幸・畑中佳樹・斎藤英治
川本三郎 訳 / 文藝春秋 1988.9.20
『The Catcher in the Rye』
キャッチャー・イン・ザ・ライ
J.D.サリンジャー 村上春樹 訳
白水社 2003.4.20 / 2003.4.25(第二刷)
サリンジャーの 『ライ麦畑でつかまえて』 (邦題がヘンだ)は、野崎孝訳のものを、ずっと前に読んだことがある。
村上春樹の訳で読んでみようと思って、借りた。
『ライ麦畑でつかまえて』 という邦題にしなかったのは、村上さんのこだわりだろうか。
巻末に 「本書には訳者の解説が加えられる予定でしたが、原著者の要請により、また契約の条項に基づき、それが不可能になりました。 残念ですが、ご理解いただければ幸甚です。 訳者」 とある。
サリンジャー(原著者)との間で、いったい何があったのだろう。
ところで、『and Other Stories』 の巻頭、村上春樹の一文に、ちょっとひっかかる部分が――。
<たとえそれがどのような種類のアンソロジーであれ、アンソロジーというものはすべからくその寄って立つべきコンセプトを有している。>
あっ、村上春樹さんともあろう人が・・・。
世界的な作家に対して失礼ではあるが、「すべからく」 って、こんなふうに使うんだっけ?
手元の国語辞典から。
すべからく 【須く】 〔副詞〕当然なすべきこととして。ぜひとも。「学生は―勉学に励むべきだ」 漢文訓読から出た語。多く下に「べし」や「べきだ」を伴う。 語法 「落ちた武者たちは―討ち死にした」など、「すべて」の意に解するのは誤り。 (大修館書店 明鏡国語辞典)
揚げ足とりみたいで、申しわけないけれど。
この場合の「すべからく」は、「その寄ってたつべき」の「べき」にかかるのか。
そんなわけないだろうな。
「すべからく」 なんて難しい言葉を使わず、「すべて」 でよかったんじゃないだろうか。
好意的に解釈すれば、言いたいことはこういうことか。 すなわち――
「アンソロジーというものはすべからくその寄って立つべきコンセプトを持つべきだ。」
村上春樹さんにしてはめずらしく、ちょっと座りの悪い文章ではある。
先日、本屋でこんな本をみつけた。
新聞記事で見て、気になっていたものだ。朝日新聞 2007/11/4 (日)
著者に会いたい
写真だからこそ、伝わる歴史
『戦後腹ぺこ時代のシャッター音
岩波写真文庫再発見』
赤瀬川原平さん (70)
文 三ツ木勝巳
写真 鎌田正平
赤瀬川原平 著
『戦後腹ぺこ時代のシャッター音』
岩波写真文庫再発見
岩波書店 2007.9.27 第1刷 / 11.5 第2刷
岩波写真文庫は好きで、何冊か持っているが、この本とセットのような形で復刻版が出ていたので、2冊購入。
岩波写眞文庫 21 汽車
岩波写眞文庫 94 自動車の話
あまり言いたくないが、やっぱり昔はよかった。
よく言われるように、貧しかったけれどあたたかい時代だった。
岩波写真文庫の創刊は、1950年。
私が生まれる一年前だ。
どこかに書いてあったな、と探して、ようやくみつかった言葉。
五木寛之 『風の対話』 (河出文庫)
― 高橋源一郎との対談から ―
五木寛之が51歳の頃だから、1983年頃の発言
(休筆後) 「ぼくはとにかく、たった三年半ですけれども、文学みたいなものと遠ざかっていて、そして戻ってきてみると、何もかもが新鮮に見えるわけ」
「ぼくはいま、奥付まで新鮮に見えるんです。 (中略) ドライブのきいた読み方ができる。 十代のころはそうだったですよ。 ところがやっぱり、三十代から四十代にかけて、読むスピードがすごく落ちていたし、スピードが落ちたぶんだけ、精読しているなんていうのは言いわけで、実際には読み方がダイナミックじゃなかったと思うんです。 (後略)」
こんな言葉を引用したのは、今読んでいる本、ようやく 「ドライブのきいた読み方」 ができるようになったからだ。
じつは、この小説、はじめの60ページぐらいまで電車やバスの中で読み継いだところで、めんどうになって投げだそうかと思ったのだった。
何故かといえば、ボリュームがありすぎるし、作者が使う比喩がむずかしいというか、集中して読まないと頭に入ってこないので、細切れ読みがつらくなったのだ。
しかし、途中で投げだすのもシャクだったので、なんとか読み進めていくうちに、ようやく乗ってきた。
J.D.サリンジャーが登場してきたあたりから、それこそ、ドライブがきいてきたのだ。
サリンジャーは、『ライ麦畑でつかまえて』 で有名な作家。
この 『シューレス・ジョー』 はフィクションだから、サリンジャーの登場も、もちろん架空の話だが、面白くなってきた。
単行本370ページのうち、半分ちかくまできた。
小説は、こうでなくっちゃ。
日曜日(2007/12/2)に訪ねた、江戸東京博物館の続き。
東京ゾーンでいつも感心している模型。
新宿 ―夜のヤミ市―
(復元年代) 1947年(昭和22)秋
(縮尺) 1/10
以下、『模型でみる江戸・東京の世界』 (平成16.3.31改訂) より。
<1945年(昭和20)9月のはじめ、新聞に「光は新宿より―」をキャッチフレーズにした新宿マーケットの広告が載った。 敗戦直後、空襲で焼け野原となっていた駅前に誕生したヤミ市は、最初は焼土の上にゴザや新聞紙をしいたり、戸板の上に鍋・包丁・茶碗・下駄などの生活用品を並べたりしていた。・・・>
写真の写りが悪いのは、ガラス越しであることと、きわめて暗いため。
(その薄暗さが当時の雰囲気をよくあらわしているのだが)
見るたびにいつも笑ってしまうのは、入口(ゲート)の右側で、手をついて嘔吐しているらしい男。
そうとう飲みすぎたらしい・・・。
今読んでいる 『マイ・フィールド・オブ・ドリームス』 (W.P.キンセラ/井口優子訳・構成/講談社) に、いい言葉があった。
STEELY EYES 鋼(はがね)のような目
著者が、イチローの目を評して言ったことばだ。
<イチローの魔力とは、何なのだろう。
私がイチローを初めて見たのは、春季キャンプの時だった。 (中略)
私は、シーズンが始まる前から、野球にはほとんど興味がない女房を、イチローがテレビに出るたびに呼んで、
「この新人は有望かもしれないぞ」
と、言っていた。 マリナーズ活躍の原動力になりそうな雰囲気が、イチローにはあったのだ。
ことに目がいい。
英語では 「スティーリー・アイズ (STEELY EYES)」 という。 直訳すれば、「鋼のような目」。>
<ギラギラしているのではない。 澄みきっている。 集中している。 打席にいる時の彼の目には、向かってくるボール以外は何も入らない。
しかし、ファンに笑いかけると一転して涼やかな目になる。
その落差が、ファンを惹きつける。>
私も、イチローという選手が好きだ。
愛想がない、という声もあるけれど、キンセラも言っているように、メディアの過剰な取材を避けているところがイチローにはあると思う。
ふと洩らす笑みが、彼の素顔ではないだろうか。
「鋼のような目」。
これを言い換えると、「白眼」 に対する 「青眼(正眼)」 か。
邪心なく、まっすぐに物事を見つめる目。
人に媚びない。
けっして冷たい視線ではないが、かといって過剰な感情を込めない。
「涼やかな」 という日本語がぴったりだ。
私がイチローの目を見て感じていたことも、キンセラが感じたことと同じだったことに気づいた。W.P.キンセラ
『マイ・フィールド・オブ・ドリームス』
イチローとアメリカの物語
爽やかな本だ。
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