【雑】春は もうそこまで
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石川英輔さんの 「大江戸」 と題された一冊。
今日から読みはじめたが、すこぶるおもしろい。
『大江戸 泉光院旅日記』 石川英輔
講談社文庫 1997.5.15
残念なことに、版元品切れで、どこの新刊書店にも置いていない。
Amazonでは、3000円近い値がついていて、驚いた。
図書館から借りてきたものを読んでいる。
400ページを超える分量で、読み応えがある。
単行本(講談社)は、1994年に発行されている。
その時のタイトルは 『泉光院江戸旅日記 ―山伏が見た江戸期庶民のくらし』 という。
文庫になったときに、加筆、訂正、図版の追加・さしかえがおこなわれている。
単行本は、古本で1000円ぐらいで入手可能。 買わないけど。
江戸時代の文化文政期、日向国(いまの宮崎県)佐土原の山伏寺、安宮寺(あんぐうじ)の住職だった、野田成亮(しげすけ)。 修験者としての院号が泉光院(せんこういん)。
満年齢で五十六歳。 いまの私と同い年だ。
この時代、この年齢は老人の部類だったが、この人は、徒歩で全国を歩き回る旅(回国という)に出た。
供を一人連れての旅だが、文化九年九月(1812年10月)に出発してから、なんと六年二ヵ月ものあいだ、おもに托鉢しながら、南は鹿児島から北は秋田の本庄まで、延べ二万キロにわたって歩きまわったのだ。
しかも、宿泊料を払って木賃宿や旅籠に泊まるのは都市や大きな町だけで、大部分は農家に頼んで泊めてもらった。
あるいは、修験者の家に泊めてもらったりして、一度も野宿をしなかったというから驚きだ。
泉光院は、この旅の詳細な記録として 『日本九峰修行日記』 を残していて、本書はそれをベースに、泉光院の足どりを追っている。
「九峰」 とは、英彦山、羽黒山、湯殿山、富士山、金剛山、熊野山、大峰山、箕面山、石鎚山だが、これは修験宗として定まっていたコースではなく、山を重要な修行の場と考える泉光院が、自分の好みで決めたようだ、と著者は言う。
<登山を表向きの目的とした旅行なのだが、実際は山の部分はごくわずかで、農山村での托鉢がほとんどだった。 その膨大な記録は、四百字詰原稿用紙にして千枚にもなるが、原文は簡潔な文語文だから、全部を現代口語文に訳せば三倍ぐらいになるだろう。>
<泉光院の日記は、一人の知識人が、もの乞い同様の立場で鹿児島から秋田に至る全国を旅しながら書いた記録なので、この時代の庶民にとっての旅がどんなものであったかがよくわかる。 しかも、江戸時代最盛期の中・下層庶民の生活が、いきいきと描写されている……>
― 『大江戸 泉光院旅日記』 巻頭 「泉光院野田成亮の旅」 より ―
この泉光院日記の原文は、三一書房 『日本庶民生活資料集成』 に収録されているらしい。
→ 『日本庶民生活史料集成 2』 (三一書房のサイト)
http://www.san-ichi.co.jp/cgi-db/s_db/kensakutan.cgi?j1=ISBN4-380-69500-X
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石川英輔著 『大江戸 えねるぎー事情』 (講談社文庫)を、一週間ほどかけて読了。
文庫で300ページほどだが、活字が小さくて(8ポだろう)、老眼の私にはつらかった。
先週末から、わけあって仕事関係の調べものもしていたので、少しずつしか読めなかった。
そんな言いわけはともかく、とても刺激的な本だった。
巻頭、ミクロコスモスの話がでてくる。
ミクロコスモス(エコスフェア ecosphere 生命地球儀)。
これは何かというと、水と空気、それに砂と小石などを入れたガラスの容器に、小魚と水草とバクテリアを入れて密封し、外部から完全に遮断する。
外から入るのは、ガラスごしに入る光と熱だけという状態にする。
すると、光と熱のエネルギーによって、水草は炭酸同化を始めて酸素を発生し、魚はその水草を食べて生き続け、排泄する。
排泄物はバクテリアの栄養になり、バクテリアによって分解されて水草の栄養になる。
それぞれのバランスがうまく保たれていれば、この小さなコスモス(宇宙)は生命活動を続けられる。
ミクロの生態系である。
それぞれの量的バランスが適正に保たれれば魚は繁殖するが、増えすぎてエサや酸素が不足すれば、弱い固体が死ぬ。
死骸はバクテリアが分解して、小さな世界のバランスを回復する。
じつにきわどいバランスの上に成りたっている世界なのだ。
このミクロコスモスの中では、「無から有は生じない」。
生命現象をささえているのは、外からの光と熱の形で供給され続けているエネルギーである。
地球上の世界も、原理的には同じだと著者は言う。
もちろん、上のミクロコスモスよりもずっと複雑ではあるが、机の上に置くことのできるガラス容器よりもサイズが大きくて、生きている生物の種類が多いため、そのバランスの危うさが見えにくいだけである。
「細い糸が、いくらか太いロープに代っただけであって」、地球規模でも本質的には同じことをしている、ということだ。
ちょっと考えてみれば容易に想像がつくが、地球の未来は暗い。
「もう、どうにも止まらない」 状態だから、このまま資源を食いつぶし、生態系のバランスをくずして、これまで考えてもいなかった危機的な状況にいきつくはずだ。
もちろん、私とて、そんなことを願ってはいないのだが、もう、行きつくところまで行くしかないのかもしれない。
それが、「便利さ」 を追求してきた結末である。
巻末で、著者はつぎのように言う。
悲観的な調子ではないのが、救いではある。
(石油、石炭、天然ガスなどの、化石燃料を消費し続けることについて)
<ただ蓄積を消費しているだけであり、いわば親の残した財産を派手に喰いつぶしながら贅沢な生活をしているドラ息子のような状態なのだ。 いずれは、これほど便利な生活ができなくなる日が来ることを覚悟する方が自然だろう。>
<だが、それならそれでもかまわないのではないかと、私は思う。>
<人間の幸福が、本当に便利さの程度に比例している証拠はないし、便利な生活が本当に幸福で、不便な生活が本当に不幸なのか、まだ結論は出ていないからだ。>
<人類は、便利すぎる生活にすでに適応できなくなりかけて、悲鳴をあげているのではなかろうか。>
<便利さという点ではもっとも早くから進歩したアメリカでは、麻薬の使用者が激増している。 ハイティーンの麻薬使用者とアルコール過剰摂取者の数は、1960年以後の四分の一世紀間に何と150倍に増えたという。>
<日常生活が便利であってほしいと願っている私個人の希望とは矛盾するが、人類は本来こういう便利な生活、エネルギー的な借金生活に耐えられない生物ではないかという気がしてならないのも事実なのだ。>
― 『大江戸 えねるぎー事情』 「生きる」 より ―
便利さという、私たちのからだに沁みこんだ 「魔物」 がモンダイなのだろう。
企業は、次から次へと 「便利」 で 「快適な」 生活を押しつける。
新商品のラッシュは、止められない勢いだ。
私とて、その恩恵にあずかっている。
ペットボトルや空き缶のリサイクルを言うまえに、消費を減らさないとどうにもならないだろうに、それはできそうもない。
燃費のいいクルマを作ったり、バイオ燃料を普及させる前に、クルマの総量を減らさなければ、どうにもならない。
考えると、絶望的な気分におちいってしまう。
わずか百数十年前までの日本は、そうではなかった。
エネルギー効率がよく、資源をうまく使っていたのだ。
これからの世代に期待するしかないのか。
それも難しそうだな。
コンビニで、いつでも何でも手に入るのがあたりまえと思っている世代が、このままじゃオシマイだということに、いつ気がつくか・・・。
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石川英輔さんという人の、「大江戸○○事情」 シリーズがおもしろいので、何冊か手に入れた。
中古があればBOOK OFFで、なければ新刊書店、それでもなければ近くの図書館と、探してみた。
残念なことに、版元品切れ重版未定となっているものが多い。
「読みたいときに本は無し」
図書館で借りてくるのがいちばん経済的でいいのだが、手元においておきたいものもある。
調べたいとき、すぐに見られるから。
図書館から借りると、二週間という貸出期限に、どうしても心理的に追われる。
(もちろん、次の予約がはいっていなければ延長できるのだが)
じぶんでも驚いたとこに、同一著者とは知らずに、こんな本を読んでいた。
著者名をまったく気にしないで、内容の面白さだけで購入、拾い読みしていた本だった。
こういうことも、ある。
石川英輔 『ニッポンのサイズ』 淡光社 2003.8.31
この本がとてもいい。
冒頭、1メートルの長さをどのように決めたか、などという話があって興味深い。
1790年、フランスで、メートル法の度量衡を決める作業が始まった。
当時のフランスの科学者は、それまでの人間のサイズを基準にした、伝統的な寸、インチ、尺、フィートのような長さをもとにすることをやめて、なんと地球の大きさを基準にしようとしたのだ。
つまり、地球の子午線全周の四千万分の一の長さを1メートルにすると決めた。
北極から赤道までの距離を1万キロメートル、その一千万分の一を1メートルとするという、途方もない基準だ。
※ 子午線 : 地球上の同一経度の地点を結んだ仮想的な線。経線(けいせん)ともいう。
南極点と北極点を結ぶ大円の半円。
子午線という名称は子の方角(北)から午の方角(南)に伸びる線を意味する。
― Wikipediaより ―
子午線の長さといっても、実際に北極から赤道までを測量することはできないので、パリを通る子午線沿いに、フランス最北部のダンケルクと、ほぼ同じ経度にあるスペインのバルセロナまでの間で、精密な三角測量を繰り返し、その結果にもつづいて、1799年、長さ1メートルの白金のものさしを作ったという。
その後、測量技術が進化するにしたがって、地球の正確な大きさがわかってきて、北極から赤道までの長さは、今では1万1.9キロメートルということになっているそうだ。
ばかなことをしたものである。
おかげで、1メートルという長さが、人間の感覚とかけはなれたものになってしまった。
それに比べて、伝統的な長さの単位が、いかに理にかなったものか・・・というようなことが書かれていて、とてもおもしろい本だ。
「大江戸○○事情」 シリーズは、下のようなラインアップだ。
(ここにあげた以外にも、たくさん出版されている)
講談社文庫 http://shop.kodansha.jp/bc/bunko/
『大江戸えねるぎー事情』
『大江戸テクノロジー事情』
『大江戸リサイクル事情』
『大江戸えころじー事情』
『大江戸生活事情』
『大江戸生活体験事情』 (田中優子氏との共著)
『大江戸ボランティア事情』 (田中優子氏との共著)
『大江戸 泉光院旅日記』 は、文化文政の六年間にわたり、日本全国を歩き回った僧・泉光院の見聞記を紹介した力作。
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去年の4月いらい、ひさしぶりに 「サイボク・まきばの湯」 へ。
サイボク(日高市、埼玉種畜牧場)で、野菜や肉類の買い物をしてから、敷地内にある 「まきばの湯」 でのんびりしてきた。
サイボクハム MEATOPIA WEB
http://www.saiboku.co.jp/
「まきばの湯」 館内は広々していて気持ちがいい。
温泉の浴場も、内風呂、露天風呂ともに広い。
「療養泉」 だけあって、よくあたたまるお湯だ。
少々値段が高いのが難点だが、回数券がまだ残っているのでそれを使った。
日帰り圏内では、この 「まきばの湯」 と 「小菅の湯」 がいちばん好きだ。
ロビーに、瓢箪で作った珍しい雛人形が飾られ、浴室入口にも雛人形があった。
雛祭りが近いんだなあ。
帰り道、いつも通る道路沿いに、最近できたらしいパン屋さんを発見。
寄ってみた。
お客さんがたくさん入っていて、繁盛していた。
サービスで無料のコーヒーが置いてあったので、店内でいただいてきた。
おいしそうな窯焼きパンを購入。
風の強い一日だった。
春一番だったとか。
車の中から梅の花を見たが、写真に撮れなかった。
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私は太宰治の熱心な読者ではないが、この人にはとても関心がある。
もし私が同時代に生きていたとしたら、きっと嫌いなタイプだったと思うが、亡くなってから六十年もたった今から見ると、そのむちゃくちゃな生き方に、妙に惹かれたりする。
太宰治が残した作品をそれほど読んでいなくても、評伝のたぐいを読むのは好きだ。
そんな太宰治を特集している記事が、朝日新聞の多摩版に連載されている。
今朝、たまたま、家人がひろげていた新聞を見て知った。
朝日新聞 多摩版 2008.2.19~ 連載中
太宰治を訪ねて 三鷹時代
http://mytown.asahi.com/tama/newslist.php?d_id=1400025
三鷹駅の北口で何年か仕事していたことがある。
あのあたりは太宰治が生活していたところで、なんとなく親しみを感じる土地だ。
あの店、この店、と、思いあたる場所もある。
入水自殺した玉川上水も、いまでは、ちょろちょろと水が流れるだけで、こどもが飛び込んでも溺れることなどなさそうだが、当時は水がたくさんあったのだ。
玉川上水沿いは緑が多く、昔の武蔵野の風情が残っている。
【追記 2008.2.23 夜】
三鷹文学散歩マップ |三鷹市
http://www.city.mitaka.tokyo.jp/a014/p045/t04500011.html


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この本の著者、石井英輔さんという人の経歴がおもしろい。
てっきり学者さんかと思ったら、そうではなかった。
『大江戸ボランティア事情』(1996.10.30 第一刷) の著者略歴によると
1933年、京都生まれ。
国際基督教大学と東京都立大学理学部中退。
ミカ製版株式会社取締役、武蔵野美術大学講師。
著書に 「大江戸神仙伝」「大江戸仙境録」「大江戸遊仙記」「大江戸仙界記」「いな吉江戸暦」「大江戸えねるぎー事情」「大江戸テクノロジー事情」「大江戸リサイクル事情」「泉光院江戸旅日記」 などがある。
別の本(『雑学 大江戸庶民事情』 講談社文庫)には、ご自身の経歴が書いてあった。
それによると、「はじめて意識して江戸と取り組もうと思った」のは、昭和51年(1976)の春頃のことで、製版会社の経営に携わりながら、SFを書いていたという。
そのSF第一作が、『大江戸神仙伝』 という小説。
主人公は化学者で、妻を亡くした四十代の独身男、元製薬会社の研究所員。
彼が、ある時、突然、文政五年(1822)の江戸へタイムスリップするという話、らしい。
雑学スタイルの著書を二冊買ってみたが、雑多な内容なので、正直なところあまり読む気がおきない。
それよりも、『大江戸 ○○事情』 シリーズのような、系統だてられた内容の方がいい、と思う。
それにしても、江戸時代って、知れば知るほどおもしろい時代だ。
多才な人物も多く輩出していた。
この著者の本には、巻末に必ず、参考文献と挿絵の出典がていねいに掲載されていて、これまた、たいへん参考になる。
興味を持たれた方は、だまされたと思って、いちど本屋さんか図書館でご覧になるといい。
小説の方は、おもしろいかどうか保証のかぎりではない。
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「大江戸」 シリーズをもう一冊、読みはじめた。
これが、きのう読みおえた 『大江戸 ボランティア事情』 に輪をかけて、おもしろいのだ。
『大江戸 えねるぎー事情』
石川英輔 著 講談社文庫 1993.7.15
なぜ 「えねるぎー」 とひらがななのか、わからないが。
石川英輔さん単独の著書。
(巻末に、田中優子さんとの対談あり)
田中優子さんも、この石川さんも、ともに大学の先生。
石川センセイは、私の住まいの近くにある武蔵野美術大学の講師。
いっぽうの田中センセイは、法政大学教授。
田中優子さんが、どちらかというと熱血的な感じがするのに対し、石川さんは冷静な学者タイプで、理論的という印象を受ける。
本書は、かつて世界一の規模を誇った江戸という都市が、いかに省エネ型だったかを、次のような項目ごとに詳しく説明している。
―― あかり、水、米、魚、野菜、着物、住まい、涼む、暖まる、湯、紙、本、薬、医者、酒、塩、鉄、花、遊山、流す、捨てる、生きる
江戸時代と現代を比較するのに、エネルギー消費をカロリー換算しているところが、じつに興味ぶかい。
例えば、米を生産するのに要するエネルギーの計算。
江戸時代は、人力と牛馬だけで米を作っていた。
一町歩(1ヘクタール)あたりの田からの収穫量を四十俵(2.4トン)として、これに要した投入エネルギーは、ほとんど人力だけで、三人の人が半年間、毎日かかりっきりだったとする。
一人一日の労働エネルギーを1000キロカロリーとすれば、年間54万キロカロリー(1000×180日×3人)。
米の食品としての熱量が、1キログラムあたり約3400キロカロリー。
2.4トンでは、820万キロカロリー。
ここから、1キロカロリーの人力で、ほぼ15キロカロリー相当の米が収穫できたという。
(投入エネルギーの15倍の収穫)
いっぽう、現代。
科学技術庁の昭和55年(1890)の資料では、米1キログラムを作るために、2266キロカロリーのエネルギーが必要だという。
つまり、3400キロカロリーぶんの米を生産するのに、2266キロカロリー(これには、農機具の償却値や光熱・動力に要する1072キロカロリーが含まれる)を消費している計算だ。
現代の米作りでは、投入エネルギーの1.5倍の収穫(生産)量しかない、ということだ。
生産効率が、江戸時代の十分の一。
計算がきらいな人には、おもしろくも何ともない話かもしれないが、私にはとてもおもしろい。
江戸時代が、いかに省エネルギーの生活だったか、こんな調子で、綿密に比較されていて、いちいち納得できる。
読みはじめたばかりだが、しばらく楽しめそうだ。
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二冊並行して読んでいたので時間がかかったが、きょう、読了。
(もう一冊は、岩波新書の硬い本 『シリーズ日本近現代史① 幕末・維新』 というやつ)
『大江戸 ボランティア事情』
石川英輔・田中優子 著 講談社(単行本、文庫)
途中から、Amazonで手に入れた文庫本で読んだ。
写真の単行本(図書館から借りている)が重く、大きくて、満員電車の中では読みにくいからだ。
文庫も版元品切れだったため、中古を安く手に入れた。
例によって、送料の方が高くついてしまった。
(定価590円→中古価格159円+送料340円)
文庫で360ページ。 読み応えがあった。
左が文庫版。
他にも似たような趣向の本を、この著者は何冊か書いている。
『大江戸 えねるぎー事情』、『大江戸 テクノロジー事情』、『大江戸 リサイクル事情』、などなど。
やれリサイクルだ、エコロジーだ、ボランティアだと、カタカナ語が氾濫している現代。
江戸時代は、もっと普通に、意識することなく、助けあい(ボランティア)、資源をうまく使う生活(リサイクル)をして、結果的に自然環境がたいせつにされていた(エコロジー)ことが、よくわかった。
やっぱり、現代の日本はちょっとおかしいぞ、と思う。
この時代に生まれてきたから、しょうがないのだが。
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わずか2分半ほどの短い歌だけれど。
春を待つ気分にぴったりだ。
オムニバス・アルバム 『うたになれ』
制作:ギャラリーよしたけ・石井明夫
演奏:石井明夫、須藤もん、ヤマザキヤマト、他
2003年11月発売 1500円(税込)
「夢よ夢よ」
作詞:よしたけ和真 作曲・編曲:須藤もん 歌/演奏:須藤もん
♪ 雨が雪をとかし
梢は黒くうるむ
春を待つ木の芽はひかりはじめる ♪
♪ 夢よ夢よ 眠りからさめて もうアクビはしたかい?
夢よ夢よ 眠りからさめて おはようは言ったかい?
春はもうすぐ 春はもうすぐ・・・ ♪
(よしたけ和真 作詞)
ギャラリーよしたけ
埼玉県飯能市原市場20-1
詳細地図は下記サイト(須藤もん公式サイト内)
http://homepage2.nifty.com/sudomon/yoshitakemap.htm
アルバム詳細、ご購入は下記サイト
須藤もん公式サイト
http://homepage2.nifty.com/sudomon/
Ishii Akio WEB (石井明夫さんのサイト)
http://aiworks.net/menu/
ジャンベ ジェンベ ワークショップ =<<楽屋>>= (ヤマザキヤマトさんのサイト)
http://www.gakuya.net/
そろそろ、あちらこちらで梅まつりが開かれる。
吉野梅郷 梅まつり
平成20年2月20日(水)~3月31日(月)
青梅市観光協会
http://www.omekanko.gr.jp/
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もう、ずいぶん長いことごぶさたしていた、小菅の湯(山梨県北都留郡小菅村)へ。
自宅から片道70kmほど。
国道411号線(青梅街道)を西へ。
青梅、奥多摩を通り、139号線を大月方面へ向かった山の中腹にある。
途中、青梅街道沿いにある、小澤酒造「澤乃井園」に寄る。
澤乃井 Web http://www.sawanoi-sake.com/
多摩川の左岸、青梅街道の下に、ちょっとした庭園がある。
酒蔵見学の入口もここにあり、青梅街道下の地下道をくぐって小澤酒造の酒蔵に入ることができる。






しばらく行っていなかったあいだに、様子がかわっていた。
「ままごと屋」 という食事処の他に、「豆らく」 という豆腐料理の店ができていた。
今日は小菅の湯で昼食をとる予定だったので入らなかったが、1500円ぐらいの懐石風豆腐料理があるようで、いつか入ってみようと思う。
(澤乃井 Webにメニューが載っている)
一本だけ花を咲かせた梅の樹があった。
小菅の湯も、ほんとうにひさしぶりだ。
山奥なので、あちこちに雪が残っていた。
途中の奥多摩湖(小河内ダム)あたりも、雪があった。
小菅の湯の館内には、雛人形が。
もうすぐ雛祭りだなぁ。
小菅の湯 http://www.vill.kosuge.yamanashi.jp/kosugenoyu/




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こんなシリーズが出ている。
岩波新書 「シリーズ日本近現代史」 全10巻 (新赤版 1042~1049)
岩波書店>岩波新書
http://www.iwanami.co.jp/hensyu/sin/
※ 興味をもたれた方は、このサイトで内容がよくわかるのでご覧いただきたい。
『⑤満州事変から日中戦争へ』 加藤陽子
『⑥アジア・太平洋戦争』 吉田 裕
この二冊が、私の関心対象と重なるので、すこし前に買っていたが(まだ読んでいない)、今日、もう一冊手に入れた。

『①幕末・維新』 井上勝生
まえがきとあとがきだけでも目を通しておこうかなと思い、 帰りの電車の中でパラパラ見ていたら、ついつい本文を20ページほど読んでしまった。
読みかけの本が二冊になることは、たまにあるが、さてどうしようかな。
この本は、幕末の 「黒船来航」 からはじまるが、これまで私の知らなかったことが書かれていて、じつに面白い。
<黒船来航から、明治維新へ――激しく揺れ動いた幕末・維新とはどういう時代だったのか。 東アジア世界に視点をすえ、開国から西南戦争までを最新の研究成果をとりいれて描く新しい通史。 従来から「屈服」したといわれてきた幕末の外交を再評価し、それが成熟した電灯社会に基づくものであることを明らかにする。 維新史を書き直す意欲作。> (本書 カバー)
たしかに、私などが学校で教わってきた幕末・維新のイメージとは、ずいぶんちがう。
著者によると、「1980年代頃から、日本でも江戸時代後期の見方が新しく変わってきた」という。
「かつて日本は、欧米の文明に対して、半未開と位置づけられ、日本の側でも維新政府以後は、そうした評価をすすんで受け容れてきたのであったが、それから、ようやく解き放たれたのである。」 (本書 「はじめに」)
また一枚、私の目からウロコが落ちそうだ。
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一昨日から読んでいるこの本が、とても面白い。
『大江戸ボランティア事情』
石川英輔・田中優子 著 (講談社 1996年)
目次はこんな感じ。
序章 ボランティアのいない社会
長屋暮らし/お師匠さまの学校/火消しと町の暮らし/旅はなさけ/村の民主主義/大家さんは大忙し/連は楽しいからみ合い/ご隠居さんの活躍/終章とあとがきをかねた対談
どのページにも、江戸時代の書籍から転載された挿絵があって、たのしい。
この本で引用されている、二冊の書物が興味ぶかい。
『日本その日その日 Japan Day by Day』 平凡社 東洋文庫
エドワード・S・モース (大森貝塚の発見者として有名、明治10年来日)
『九峰修行日記』 三一書房 「日本庶民生活資料集成 第二巻」
野田泉光院 (日向佐土原=現・宮崎県佐土原町=の安宮寺という山伏寺の住職、全国を旅した)
※ 石川英輔 著 『泉光院江戸旅日記 -山伏が見た江戸期庶民のくらし-』 講談社 1994年
江戸時代の都市民、農民の生活像がだんだん見えてきた。
そういえば、以前読んだ、『浅草弾左衛門』 (塩見鮮一郎) という長大な小説にも、当時の人々の生活が生き生きと描かれていた。
江戸時代は面白い。
『浅草弾左衛門』 塩見鮮一郎 批評社
文庫も出ている。
小学館文庫 全6冊。
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「江戸」がブームらしい。
江戸落語もひそかなブームだという。
「江戸文化歴史検定」 などというものもあるらしい。
http://edoken.shopro.co.jp/
なんとなく、誰もが行き詰まりを感じている現代。
江戸時代を見直そうという、その気持は、わからないでもない。
きのう、近くの図書館でみつけて借りてきた本がこれ。
『大江戸ボランティア事情』
石川英輔・田中優子 著 講談社 1996.10.30
宮部みゆきの時代小説を読んでみても、そこに描かれている江戸時代の都市生活は、わるくなかったと思う。
現代の日本は、高度消費社会である。
お金がすべてとは言わないが、ほとんどのことは金でどうにかなる。
逆に、金がないと、たちまち立ち行かなくなる。
私も、定年後の生活を考えると、暗澹たる気持になる。
稼いで、使って、という繰り返しから抜けだせないものか。
江戸時代は、そんなに悪い時代ではなく、現代の我々が学ぶべき点も多いと、著者は言う。
<江戸時代の先祖たちは、経済成長率が一パーセント以下の状態で生きていたから、現代的発想では、非常に貧しい生活だった。 ところが、当時の庶民生活を具体的に調べてみると、たいしてお金を持っていないのに、われわれが想像するほど生活に困っていたとは思えない。
むしろ、普通の生活を常識の目で見る限り、貧しいはずの江戸時代の人々が、あまり貧しそうに見えないのは、不思議なほどである。 どんな世の中にも不幸が絶えることはないから、皆が皆とはいわないが、普通の生活は、そこそこ幸福そうで生き生きして見えるのだ。>
― 『大江戸ボランティア事情』 序章 ボランティアのいない社会 ―
私たちは子どもの頃から、なんとなく 「江戸時代はよくなかった」 と教えられてきたように思う。
「封建制」「鎖国」は、そのまま悪の代名詞だった。
どうも、そうではなかったようなのだ。
この本の「序章」から、もう少し引いてみる。
<・・・現代よりはるかにバランス感覚に優れた社会や人間関係や価値観は、すでに過去にあった。 江戸時代の社会に濃厚にあったのはもちろん、ほんの三十年前までは、私たちの身近な生活の中にも息づいていたのである。>
<・・・ついこの間まで、江戸時代の日本だけが、世界でもっとも不幸な封建社会で、みじめな鎖国日本から一歩でも出れば、そこには平和と民主主義の花が咲き乱れた、素晴らしい<外国>が広がっていたかのような誤解を与えそうな論調がはびこっていた・・・>
欧米の、いわゆる 「先進国」 も、これからの日本のお手本にはならない。
ようやく、皆がそのことに気づきだしたようだ。
<・・・江戸時代に相当する時期の世界には、どこにも極楽や天国が存在しなかたことも、あの時代のヨーロッパ人たちが、われわれの祖先よりはるかに大がかりでハタ迷惑な愚行をかさねていたことも知っている。
十六世紀のヨーロッパが、アジア、アフリカの住民の犠牲の上に栄えていたことと、ヨーロッパ人がそれをほとんど反省していないことは、ようやく常識になりかけている。 また、江戸時代に相当するヨーロッパは、平和と自由と民主主義どころか、ヨーロッパ内部でさえ戦争ばかりしていた。
日本では長い平和な時代が始まっていた十七世紀初期、一六一八年から四八年にかけての三十年戦争では、ドイツの人口が半分とも三分の一ともいわれるほどに減ってしまい・・・>
いちいち、もっともである。
多少、理屈っぽい記述も多いが、江戸時代の生活が、具体的に生き生きと描かれている本だ。
いまさら江戸時代に戻ることはできないし、戻りたいとも思わないが、過去、それも自分の国の先祖たちがやってきたことを、よく知り、なにかしら手がかりを得ることはできると思う。
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購入してからひと月ほどたったアルバム。
何度もくりかえし聴いている。
きょうも、買物に出て店が開くまでのあいだ、駐車場にとめた車の中でひとり聴いていた。
車の中は、音楽をじっくり聴くことのできるオーディオ・ルームなのだ。
藤井貴子 『welcome to the garden』
藤井貴子 vocal, acoustic guitar, etc
あおやぎとしひろ resophonic guitar, etc
自主制作盤(試聴・購入は下記サイトで)
The Swimming Song 藤井貴子
http://swimsong.exblog.jp/
静かなところでじっくり聴くのがいい。
聴くほどに、胸にしみる。
藤井さんの、おだやかでのびやかな歌声がいい。
あおやぎさんの伴奏がいい。
私は、4曲目がとくに好きだ。
録音が自然な感じで、好ましいアルバム。
収録曲(全6曲)
ようこそ/朝のおはなし/くじらの子守唄/Flowing Down To China/夕日の街/エデン(at Asa-Kawa)
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毎週日曜日に聞いている、TBSラジオの番組。
安住紳一郎の日曜天国
http://www.tbs.co.jp/radio/nichiten/
この番組のゲストコーナーが、いつもおもしろい。
今日のゲスト、宇佐美伸さんという人は、
『どさんこソウルフード 君は甘納豆赤飯を愛せるか!』 亜璃西社 (2007/12/12)
という本を書いた人らしい。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4900541745
(Amazonの紹介から)
<甘納豆が入った赤飯、豚肉のすき焼き、塩辛をのせて食べる茹でジャガイモ、冷した魚の煮物、味付け鳥肉を揚げたザンギなどなど―。知られざる北海道人の偏愛食=ソウルフードのすべてを、北海道・釧路生まれの著者が独断と偏見で書き倒し! 道産子が舌で覚えているあの味この味を軽妙につづる、こだわりの“極私的フード記”>
話を聞いていると、おかしかった。
「甘納豆赤飯」・・・なつかしい。
あの、甘納豆の入った赤飯は、北海道ではあたりまえだった。
今でも、そういう赤飯を作ることが、北海道では多いはず。
東京に来てから、あの小豆の入った(甘くない)赤飯に慣れるまで、違和感があった。
他にも、トマトをスライスして砂糖をかけたものが、ご飯のおかずだったり、納豆に砂糖を入れたりすることがあたりまえだった。
だった、というのは、さすがに今はそういうことをすることが少なくなったから。
北海道は砂糖の食文化なのか、などと思ってしまう。
そういえば、ソースよりも醤油を多用するのも(カツやフライ、コロッケに、私も醤油をかける)、北海道に特有の食文化かもしれない。
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