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2008年2月28日 (木)

【読】大江戸 泉光院旅日記

石川英輔さんの 「大江戸」 と題された一冊。
今日から読みはじめたが、すこぶるおもしろい。

Ishikawa_ooedo_senkouin『大江戸 泉光院旅日記』 石川英輔
 講談社文庫 1997.5.15

残念なことに、版元品切れで、どこの新刊書店にも置いていない。
Amazonでは、3000円近い値がついていて、驚いた。
図書館から借りてきたものを読んでいる。
400ページを超える分量で、読み応えがある。

単行本(講談社)は、1994年に発行されている。
その時のタイトルは 『泉光院江戸旅日記 ―山伏が見た江戸期庶民のくらし』 という。
文庫になったときに、加筆、訂正、図版の追加・さしかえがおこなわれている。
単行本は、古本で1000円ぐらいで入手可能。 買わないけど。

江戸時代の文化文政期、日向国(いまの宮崎県)佐土原の山伏寺、安宮寺(あんぐうじ)の住職だった、野田成亮(しげすけ)。 修験者としての院号が泉光院(せんこういん)。
満年齢で五十六歳。 いまの私と同い年だ。

この時代、この年齢は老人の部類だったが、この人は、徒歩で全国を歩き回る旅(回国という)に出た。
供を一人連れての旅だが、文化九年九月(1812年10月)に出発してから、なんと六年二ヵ月ものあいだ、おもに托鉢しながら、南は鹿児島から北は秋田の本庄まで、延べ二万キロにわたって歩きまわったのだ。

しかも、宿泊料を払って木賃宿や旅籠に泊まるのは都市や大きな町だけで、大部分は農家に頼んで泊めてもらった。
あるいは、修験者の家に泊めてもらったりして、一度も野宿をしなかったというから驚きだ。

泉光院は、この旅の詳細な記録として 『日本九峰修行日記』 を残していて、本書はそれをベースに、泉光院の足どりを追っている。
「九峰」 とは、英彦山、羽黒山、湯殿山、富士山、金剛山、熊野山、大峰山、箕面山、石鎚山だが、これは修験宗として定まっていたコースではなく、山を重要な修行の場と考える泉光院が、自分の好みで決めたようだ、と著者は言う。


<登山を表向きの目的とした旅行なのだが、実際は山の部分はごくわずかで、農山村での托鉢がほとんどだった。 その膨大な記録は、四百字詰原稿用紙にして千枚にもなるが、原文は簡潔な文語文だから、全部を現代口語文に訳せば三倍ぐらいになるだろう。>

<泉光院の日記は、一人の知識人が、もの乞い同様の立場で鹿児島から秋田に至る全国を旅しながら書いた記録なので、この時代の庶民にとっての旅がどんなものであったかがよくわかる。 しかも、江戸時代最盛期の中・下層庶民の生活が、いきいきと描写されている……>

 ― 『大江戸 泉光院旅日記』 巻頭 「泉光院野田成亮の旅」 より ―

この泉光院日記の原文は、三一書房 『日本庶民生活資料集成』 に収録されているらしい。

→ 『日本庶民生活史料集成 2』 (三一書房のサイト)
 http://www.san-ichi.co.jp/cgi-db/s_db/kensakutan.cgi?j1=ISBN4-380-69500-X

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泉光院江戸旅日記
目次
泉光院野田成亮の旅
文化九壬申年九月三日出発
文化十癸酉年元日
文化十一甲戌年元日

投稿: 池田大作 | 2009年10月21日 (水) 16時13分

泉光院江戸旅日記
目次
泉光院野田成亮の旅
文化九壬申(じんしん)年九月三日出発
文化十癸酉(きゆう)年元日
文化十一甲戌(こうじゅつ)年元日
文化十二乙亥(いつがい)年元日
文化十三丙子(へいし)年元旦
文化十四丁丑(ていちゅう)年元旦
文化十五戊寅(ぼいん)年元旦

石川英輔『大江戸泉光院旅日記』(講談社文庫)より

投稿: やまおじさん | 2009年10月21日 (水) 20時01分

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