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2008年4月の48件の記事

2008年4月29日 (火)

【読】一枝さんの写真集 ルンタ

ちょっと値がはるので、図書館から借りてきた。

Watanabe_ichie_lunta渡辺一枝 (わたなべ・いちえ) 著
 『風の馬 [ルンタ]』 本の雑誌社
 2008.2.20 3000円(税別) (渡辺葉 英訳)

本格的な、モノクロームのチベットの写真集。
人物写真が多い。
この人は人間が好きなんだな、と思わせる、あたたかい写真ばかり。

こういう写真集をみると、写真は技術ではなく、こころで撮るものなんだと痛感する。

(以下、本書巻末より)

<子どもの頃の渾名は、「チベット」だった。 どんな所でどんな人が住むのかのどまるで知らないのに、「チベットに行きたい」と、口ぐせのように言う子どもだった。 いつ、誰に聞いたかも覚えていないが、いつかの日に聞いた「チベット」という響きが、心に根づいてのことだった。
 少し時が経って中学生の時、新聞でチベットの記事を読んだ。 川喜田二郎さんたち研究者のグループがヒマラヤ山中に入り、チベットの植生や人々の暮しぶりについて調査した報告だった。 その記事にあった死者の葬送法に、深く打たれた。
 私は、父を知らない。 生後六ヵ月の私を残して父は戦場に行き、その一ヵ月後に戦争は終った。 それきり父は帰らなかった。
 葬列の中で、子どもは私だけ。 白い布に包まれた箱を抱く母の後に就いて、祖母に手を引かれて歩いたのは四歳の時だ。 "満州"から引き揚げてからの母が、生死不明の父の消息を尋ね尋ねてようやく得た情報は、「湿地帯で沈み、死んだと思われる」の言葉だった。 (後略)>

この後、チベットの人々に寄せる一枝さんの思いが書き連ねられ、最後に、こうしめくくられている。

<そこに生きてきた人たちの自由と尊厳を奪う大国の覇権主義に、私は心の底から怒りを覚える。 そしてその同じ心で、祈る。 願わくば、人の叡智が欲に勝りますように。 チベットが、どうか失われずに残りますように。>


中国政府の支配下にあって、チベットは、いま、大きく変わりつつあるようだ。
次のような記述を読むと、心が痛む。

<大がかりな計画は、順次着工されていった。 採石のために山々は切り崩され、鉱物採取のために幾本もの道が作られ、湖水の水は吸い上げられた。 (中略) 工事関係者たちが仮住まいした周辺は、土に還ることのないプラスチック製のゴミが大量に捨てられ、赤や青、白のビニール袋、発泡スチロールが散って、"花畑"のようになった。 (後略)>

いま、チベットが大きく注目を浴びているが、一時的なブームで終わってほしくない、と思う。


タイトルになっている 「風の馬(ルンタ)」 とはなにか。
チベットの家々の屋上や、庭、牧民のテント、峠や湖畔、川縁などに、経文を印刷した旗(タルチョ)が飾られるが、経文の他に馬の絵が印刷されたものを、「ルンタ(風の馬」 といい、ルンタは小さな四角い紙に印刷されたものもあるという。
チベットの人々は、峠越えや聖地巡礼、正月や祭りの時に、この紙のルンタを空に撒きながら祈るそうだ。

<「神々に勝利あれ」と、天駈ける風の馬に、祈りの心を乗せるのです。>

<風が、チベットの人たちの願いを運びますようにと、私も祈ります。 チベットに通い、通うほどになお魅かれてきた私です。 国は消されても、そこには豊かな自然があり、自然と共に生きる人々の暮しには、古くから受け継がれてきた智恵がありました。 けれどもここ数年のチベットの変化はすさまじく、自然も、人々の生活も大きく変ってきています。 私の見てきた光景も、やがて失われてゆくのだろうかと危惧しています。 チベットの人たちの悲願が届くまで、どうか失われずに残りますようにと、私は祈ります。>  (本書巻頭より)

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【楽】きょうだい心中

これも思いだしたので、書いておこう。
山崎ハコさんが歌う 「きょうだい心中」 という歌にまつわる話だ。

「はっぽん」のライブでも、この歌の生い立ちを、ハコさんが話していた。

ハコさんが歌った 「きょうだい心中」 は、神代辰巳監督の映画 「地獄」 (1979年、東映)の挿入歌。
神代監督が、カセットでハコさんの歌を聞き、「こんどの映画の主題歌はこの子に作らせる」と、指名してできたのが 「心だけ愛して」 という、もう一曲の挿入歌だったということだ。
(アルバム 『人間まがい』 1979年発売 に収録)


ところで、とつぜんだが、こんな本がある。

Kumagusu_jiten『南方熊楠を知る事典』
 講談社現代新書 1993.4.20 (絶版)

南方 熊楠(みなかた くまぐす)
1867年5月18日(慶応3年4月15日) - 1941年(昭和16年)12月29日)
日本の博物学者、生物学者(とくに菌類学)、民俗学者。
菌類学者としては動物の特徴と植物の特徴を併せ持つ粘菌の研究で知られている。
主著『十二支考』『南方随筆』など。
投稿論文や書簡が主な執筆対象であったため、平凡社編集による全集が刊行された。「歩くエンサイクロペディア(百科事典)」と呼ばれ、彼の言動や性格が奇抜で人並み外れたものであるため、後世に数々の逸話を残している。
(出典:Wikipedia)

この「知る事典」は、なかなか面白い本だが、 「きょうだい心中」 という昔から歌われている歌のことが書かれている。

「南方熊楠主要著作解題――月下氷人」 (本書P.532~、西川照子)

<今も熊野等の碇泊地で船頭や船饅頭が唄う、「所は京都の堺の町で、哀れ悲しや兄妹(おととい)心中、兄は二十一、その名は軍平、妹は十八、その名はお清、兄の軍平が妹に×て、それが病の基(もとい)となりて、ある日お清が軍平眼元にもしもし兄上御病気は如何、医者を迎うか薬を取ろうか、医者も薬も介抱も入らぬ、一夜頼みよ、これお清さん、これこれ兄様何言わさんす、人が聞いたら畜生と謂わん、親が聞いたら殺すと言わん、私に一人の夫がごんす、歳は二十一、虚無僧でござる、虚無僧殺して下されますりゃ、一夜二夜でも三八夜でも、妻となります、これ兄上よ。(後略)>

これは、南方熊楠が、1913年に宮武外骨の主宰する 『月刊不二』 三号に載せた文章の一部を、西川照子が引用している部分である。
南方熊楠は、一般に卑猥、淫猥と言われていることにもこだわりを持たない、自由闊達な人だった。
("お硬い"柳田国男とは、そこがちがう)

<「月下氷人」を熊楠は「むすぶのかみ」と読む。 サブタイトルは「系図紛乱の話」。 近親相姦の古話によって論は進むが、熊楠はここでまず神々の物語を語る。 (以下、略)>

面白いのは、筆者の西川照子さんとがこの文章のなかで、山崎ハコの名前をあげているのことだ。
以下、長くなるが、その部分を転載する。

<この「兄妹心中」、京の伝承では、「堺の町」(堺町?)は「西陣町」、兄の名は「モンテン」、妹「オキヨ」の年が十九、妹の男の年も十九、とある。 多少の異同はあるものの京の流行歌(はやりうた)がどうして、熊野の船頭や遊女に歌われたのか。 おそらく、「兄妹心中伝承」 は全国にあったが、都である京のものが、改めて全国へ流布したのであろう。 それにしてもこの話、あまりにも哀れである。 これが「淫行」であろうか。 遊女が海に向かって歌ったというところが、熊楠も語るように哀しい。
 姉と弟、兄と妹――神々の世界なら許されるこの恋愛が、人間世界ではなぜいけないのか。 この 「きょうだい恋愛」 は現在でも生きている。 内藤やす子の流行歌 『弟よ』(橋本淳作詞) は 「弟よ、弟よ」 と呼びかけ、「悪くなるのは もうやめて あなたを捨てたわけじゃない」 とキワドイ科白をいう (ちなみに 『きょうだい心中』 も山崎ハコによって歌われた)。> (本書 P.535~)

この西川さんという人も、面白い人である。
(西川照子 神奈川県生まれ。出版・編集企画制作集団「エディシオン・アルシーヴ」主宰。 岡見正雄に中世学を、梅原猛に哲学を師事。 専攻は民俗学。 著書に『神々の赤い花――人 植物 民俗』―平凡社、論文に「南方熊楠を見立てる」など)


Hako_dear_my_songs_2山崎ハコ
 『ベストコレクション Dear My Songs』
  2001年9月 PONY CANYON 2枚組
  DMCA 40124

このベストアルバムは、山崎ハコ初監修(選曲、曲順、解説)によるもので、過去のアルバムからまんべんなく選曲されている。
上の二曲もはいっている。

このアルバムが出来るという事が、嬉しくてたまりません。 歌は私が作った大切な宝物です。 これは最強のベストアルバムです。 ―― 山崎ハコ
 

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【楽】阿久悠さんのトリビュート・アルバム

山崎ハコさんの公式サイトの掲示板で知った。

BARKSニュース
  阿久悠:阿久悠、初のトリビュート・アルバムに豪華アーティスト参加
 http://www.barks.jp/news/?id=1000039665

昨年亡くなった阿久悠さんのトリビュート・アルバムが、この夏、発売されるそうだ。
山崎ハコさんも参加。

「はっぽん」 ライブでハコさん自身も語っていたが、ハコさんがカバーするのは、北原ミレイが歌った有名な 「ざんげの値打ちもない」 ということだ。

元ちとせ、杏里、工藤静香、森山直太郎などの名前も見える。
今からちょっと楽しみなアルバムだ。

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【楽】山崎ハコさんのこと(続)

いい機会だから、もう少し山崎ハコさんのことを書いておこう。
少しずつ、二十数年前の記憶もよみがえってきた。

はじめてハコさんのLPを買って聴いたのは、たぶん1976年の暮れから1977年にかけての頃だろう。
というのも、ハコさんのファースト・アルバム 「飛・び・ま・す」 は、エレックレコードから1975年10月に発売されているが、私が買ったのは、翌年発売の PONY CANYON 盤だから。

当時住んでいた杉並のアパートで、このアルバムの広告を読んだときのことは、今でも憶えている。
人間、みょうなことを憶えているものだ。

はじめて行ったコンサートは、たぶん、1981年5月11日(月) 新宿厚生年金会館だと思う。
昨日掲載したチケット半券のうち、「年不明」 となっていたコンサートだ。
チケットが二枚あるのは、当時結婚したばかりのカミさんといっしょに行ったからだ。

郵便貯金ホール(9月14日)と、厚生年金(4月22日)の方は、年不明だ。
曜日から調べれば、わかりそうなのだが、そこまではめんどうなので調べていない。

その頃、ハコさんが所属していた事務所のファンクラブの会員になっていた。
会員証が、まだ手元にのこっている。
物持ちがいいのだ。
昭和57年(1982)12月24日迄という期限が書いてあるから、1981年に入会していたのだろう。

このファンクラブからたくさん送られてきた、たくさんのDMはがきも、たいせつにとってある。

Hako_sound_mate_21985年、忘れられないライブがあった。
真夏の暑い日(7月14日)、渋谷駅前にあった 「LIVE-INN」 というライブハウスでのチャリティー・ライブだ。
「アフリカ飢餓救済コンサート」 と銘打って、ハコさんの他に、石黒ケイ、長谷川きよし、野本直美、彩恵津子という面々が出演した。
ゲストに、ハーモニカ奏者の八木のぶおさんも出ていた。
八木さんのハーモニカ伴奏で、「ヨコハマ ホンキートンク ブルース」 を歌ってくれた。
「素敵なハーモニカ吹きの男は・・・八木のぶおさん、でした」 と、ハコさんが紹介したセリフまで、はっきりと憶えているのは、小さなラジカセを持っていって、録音したからだ。
(入場の際に録音機器のチェックはしていなかったし、録音禁止というアナウンスもなかったと思う。 ライブハウスでは、吉祥寺曼荼羅でも、ハコさんの目の前で録音させてもらったこともある)

長谷川きよしさんも、すばらしかった。
出演者全員で、「黒の舟歌」 を歌った。
ぶっつけ本番だったらしく、歌は揃わなかったが、ライブならではの得がたい体験だった。

野本直美さんのことは、この時は知らなかったが、今思うと、この時に出会っていたのだ。
背が高く、歌いっぷりもよく、印象に残る人だった。
(その後、野本さんの熱心なファンの方と出会って、音源もいただき、聴くようになった)

彩恵津子さんの印象は、あまり残っていない。
いまだにどういう人か、よく知らない。

石黒ケイさんのことは、よく知っていた。
ハコさんと同じ事務所ということもあって、ハコさんとのジョイントコンサートで聴いていたし、アルバムも買っていた。
彼女のアルバムの中では、五木寛之さんがプロデュースした 「アドリブ」 が最高傑作だと思う。

熱気のあるライブだった。
真夏のこととて、実際に店の中も暑かったが。


ハコさんの情報が詳しく掲載されているサイトで、少し調べさせてもらった。
 Hako Yamasaki -  World Wide Web Home Page
  http://www.st.rim.or.jp/~tokunou/hako2.html


国立 「はっぽん」 では、1998年12月3日にライブをしている。
今から10年前、ハコさんが苦しかった時期だ。
一昨日のライブでも、その時のことを詳しく語っていた。

「はっぽん」 とは、俳優の山谷初男さんのニックネーム。
山谷さんがオーナーのライブハウスだ。

 はっぽんコンサート
  http://www.kenta90.com/yamaya.html

10年前、「国立ってどこにあるの?」 というほど、まるで知らないライブハウスに出演要請があったという。
その時、はっぽんさんがいっしょに歌ってくれたのが、「きょうだい心中」「心だけ愛して」 だったという。
思いでの歌を、また歌ってくれたのだ。

阿佐ヶ谷にある 「あるぽらん」 という店でも、ハコさんは1999年1月31日にライブをしている。
この時期、私はハコさんのライブから遠ざかっていたので、まったく知らなかったが、行ってみたかったと今になって思う。
「あるぽらん」 は、私の友人で歌をうたっている 須藤もんさんがライブをしたときに、はじめて入った。
木造二階建ての年季のはいった建物の二階にある。
「足踏み禁止」 という貼紙があるほど、あやうい建物だ。
(お客さんが、演奏にのって足踏みすると、床が抜ける恐れがあるので・・・というのが、お店の説明)

この店には、1999年のハコさんのライブのポスターが、今も貼ってあった。
写真を撮っておけばよかったな。
こういう店で、ハコさんの歌をまた聴いてみたい。

 あるぽらん
  http://homepage3.nifty.com/aruporan/

 ※ この「あるぽらん」のサイトに、ハコさんのライブのポスターも掲載されている。
  アルバム 「メンフィスまで」 のジャケット写真が使われているポスターだ。

Aruporan

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2008年4月28日 (月)

【楽】山崎ハコさんのこと

手元にコンサートの半券が何枚もある。
年代が不明のものもあるが、二枚そろっているのは、家人といっしょに行ったのだろう。

Hako_ticket1Hako_ticket2Hako_ticket3 











※ 2008/5/2 追記(年判明分)

1976年? 9月14日(火) 郵便貯金ホール 山崎ハコ・コンサート
1981年5月11日(月) 厚生年金会館 山崎ハコ コンサート
1981年11月16日(月) 新宿厚生年金会館 1981・秋 山崎ハコ
1982年6月22日(火) 音楽堂 山崎ハコ コンサート '82 幻想旅行II
1982年10月6日 新宿 LOFT
1982年12月17日 新宿 LOFT
1983年4月22日(金) 厚生年金会館 河島英吾VS山崎ハコ
1983年9月17日 新宿 LOFT
1985年2月16日(土) 神奈川県民ホール 山崎ハコ コンサート ゲスト=石黒ケイ
1985年7月14日 渋谷 LIVE-INN
1985年12月5日 FM東京ホール 10周年記念特別公演 時は流れて
1986年9月8日 FM東京ホール ライブ レコーディング コンサート
1986年9月9日 FM東京ホール ライブ レコーディング コンサート
1988年6月7日 関内ホール 横浜在住留学生援助基金チャリティー
1991年11月23日(土) 神奈川県立県民小ホール 流行歌を口ずさんで
1991年12月11日(水) 草月ホール 流行歌を口ずさんで
1992年6月1日(月) シアター・アプル メンフィスまで

もっとたくさん通ったと思っていたが、あんがい少ない。
それでも、この時期(1980年代)は、新しいアルバムが出るたびに買っていた。


はじめて 「山崎ハコ」 というシンガーを知ったのは、1975年かその翌年あたりだと思う。
デビュー・アルバム 「飛・び・ま・す」 の広告を、レコード店が出している小冊子かなにかで見たのだった。
レコードを買って聴いたが、当時、それほど強いショックは受けなかった。
ただ、ハイティーンとは思えない独自の歌の世界は、私をとりこにしたのだろう。
次々と発売されるアルバムを、ほぼリアルタイムで買っていた。

 → 晴れときどき曇りのち温泉 「資料蔵(山崎ハコ ディスコグラフィー)」
   http://yamaoji.hp.infoseek.co.jp/k_hako_disc.html


いつからか、コンサートから私の足が遠のいていた。
ハコさん自身も、所属事務所の問題などがあって、演奏活動がままならない時期だったかもしれない。

レコードやCDは、聴き続けていた。
私がいちばん好きなのは、1980年代はじめの、「歩いて」「茜」「幻想旅行」「幻想旅行II」 あたりのアルバムだ。
ことに、「幻想旅行」の2枚のLPは、いまでも、この人の最高傑作だと思っている。

 → 晴れときどき曇りのち温泉 「この一枚この一曲 山崎ハコ 幻想旅行 幻想旅行II 」
   http://yamaoji.hp.infoseek.co.jp/m_hako_gensou.html



その後、1999年暮れ、メーリングリストに参加したりして、少しずつ、ハコ・ファンの道へ戻っていった。


昨夜の、国立 「はっぽん」 でのライブは、私にとって2004年11月いらい。
もう4年近くもごぶさたしていたのだ。

ハコさんは、やはり小さなライブハウスで聴くのがいちばんだと思う。
新宿のLOFTや、吉祥寺の曼荼羅でのライブが、私には強烈な印象として残っている。
ホールでのコンサートの記憶は、不思議なほど少ない。
大きなホールでは、聴くほうも緊張しきっていたように思う。

きのうのライブでも言っていたが、ホールでは全力をふりしぼって歌っていたから、曲のあいまでは息が切れて喋ることもできなかった。
それに、極度に緊張していて震えている姿を見るのは、こちらもつらかった。

ここ数年、ライブハウスで見るハコさんは、だんだん力強くなっていく。
もう、息が切れて、緊張して、喋れないということはない。
ごく自然に、故郷のこと、子どものときのこと、おばあちゃんのこと・・・など、たくさん話してくれるようになった。
それが嬉しい。

もっともっと、年齢を重ねても、歌い続けてほしいと思う。
この人の歌には、人を力づけるものがあるから。

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2008年4月27日 (日)

【楽】ハコさんのライブ(国立はっぽん)

いいライブだった。
山崎ハコさんのライブ (国立 「はっぽん」)。

何年ぶりだろう、彼女のライブを聴くのは。
CDやレコードは同じ音源を繰りかえし聴く行為だが、ライブはそのたびごと、一回きりの演奏だから、印象がまったくちがう。

安田裕美さんのギター伴奏で、2時間。
安田さんのアレンジ、ギター伴奏を得て、厚みのある演奏ばかりだった。

今夜のライブは、半分くらいは「語り」で、それも素直な感じの話しぶりで、よかったな。
こんなに自然体で喋ることができるようになったんだ、と、うれしくなる。

アンコールも含めて、14曲。
新曲の他に、めったに聴けない曲目もあって、それもうれしかった。
なかでも 「心だけ愛して」 には、震えてしまった。

まったく緊張することなく、いつもは喋らないこともフランクに語っていたように思う。
「はっぽん」 というライブハウス(山谷初男さんのお店)の雰囲気もあったのだろう。
話の流れがとてもスムースだった。

たくさん喋ってくれた内容も書きたいけれど、今夜はもう遅いので、いずれまた。
私はめったにやらないことなのだが、曲目(セットリスト)をメモしてきたので、書いておこう。
こうしておくと、ライブの流れが思い出しやすい。

1. 望郷
2. 織江の歌
3. 白い花
4. 水車の都
5. てっせん子守唄
6. きょうだい心中
7. 心だけ愛して
8. ヨコハマホンキートンクブルース
9. ヨコハマ
10. SODASUI
11. BEETLE
12. 気分を変えて
13. 飛びます
アンコール 会えない時でも

「SODASUI」「BEETLE」が新曲で、シングルCDを開演前に購入。
ライブ後、サインをいただいた。
ちょっとだけ、お話できたのもうれしかった。

ライブの中で、ハコさんが話していたことでもあるが、昔はホールのコンサートばかりで、ステージではほとんど喋ることがなかった。
当時は、ご本人も緊張していたが、聴衆の私たちも、客席で緊張して聴いていたのだ。

「その頃、客席で緊張しながら聴いていたひとりです。レコードも全部持っています・・・」

30年来のファン、ということになるのかあ・・・。
最近のハコさんは、とてもいい。
がんばってほしい。
これからも応援していこう。
そんな気持になる、とても感動的なライブだった。

山崎ハコ 「BEETLE」 (c/w SODASUI)
  映画 「東京ソーダ水」 挿入歌
COLUMBIA MUSIC ENTERTAINMENT, INC.
2008.2.20 発売 1200円(税込)


この先、ライブツアーが次々と予定されているので、多くの人に、ぜひライブで聴いていただきたい、と願う。

Hako_beetle_3

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2008年4月26日 (土)

【雑】木香薔薇

漢字で書くとふしぎな印象だが、モッコウバラ。
いま、あちこちで咲いている。

つる性。 中国原産。
花は八重咲きで直径2cmほど。
花が淡黄色のキモッコウと、白色のシロモッコウがあり、シロモッコウには香りがある。
日本には江戸時代中期に入り、19世紀に欧米へ紹介された。
(山と渓谷社 「山渓ポケット図鑑 春の花」)

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【読】古本の収穫

絶版になっていてネットの古書販売でもいい値段がついている本を、大型古書店で発見。
ちょっとした収穫。
しかも、安い。
こういうことは嬉しい。

Fujimoto_kindaichi藤本英夫 著 『金田一京助』
 新潮選書 1991.8.20

だいぶん前だが、図書館から借りて読んだことがある。
コンビにでところどころコピーまでした本。

金田一京助をとりまく、柳田國男、石川啄木、金成マツ(知里幸恵の叔母にあたる)や知里幸恵・真志保 姉弟らとの人間くさい関係がていねいに描かれている。

知里姉弟については、『銀のしずく降る降る』、『知里真志保の生涯』の二冊が、同じ新潮選書から出版された。
後に、前者は『銀のしずく降る降るまわりに』と改題され、後者は同じ題名で草風館から出版。
さらに、知里幸恵については、『知里幸恵 十七歳のウエペケレ』(草風館)という力作もある。
私が敬愛する著述家だ。

もう一冊、同じ古書店で少し前に入手した本。
こちらも絶版になって久しい。
古書店の新書コーナーの棚でみつけたときは、まさかこんな店にあるとは思いもしなかったので、びっくりした。

Tsurumi_koukishin鶴見和子 著 『好奇心と日本人』
 講談社現代新書 1972.3.28

発売当時の価格 370円 というのが、時代の古さを物語る。

鶴見和子さんも、私が敬愛する学者さんだ。
1918年生まれだから、まだ五十代前半の頃の著作だ。
鶴見さんは、2006年夏、亡くなった。

藤本さんも、ネットで調べたところでは、すでに故人となられている。
(2005年暮れ、死去)

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【楽】そして待望の・・・

日曜日は、ひさしぶりにライブを聴きにいく予定。
場所は、国立の某ライブハウス。
有名な店だが、私は初めてだ。
誰のライブかは、伏せておきたい。
私にとって何年ぶりかの、ある女性シンガーのライブだ。
今からわくわくしている。

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2008年4月25日 (金)

【雑】39999

今見たら、アクセスカウンターが39999を指していました。
待望の40000台に乗るのは、とても嬉しいことです。
検索サイトから来てくださる方が圧倒的に多いのですが、ご覧くださった皆さんに感謝します。

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【読】リサイクルってなんだ?

もうずっと、「リサイクル」がブームである。
私は、このリサイクル・ブームがきらいだ。
きらい、とは言いすぎかもしれないが、苦々しい思いをいだき続けてきた。
「地球にやさしい」 などという言い回しも、好きではない。

だって、そうでしょう。
これだけペットボトルやら、食品トレイやら、ラップやら、ポリ袋を使い放題使って、それも、一瞬のうちにゴミにしておいて、さて、これをどう「リサイクル」するというのか。

こんなことをあらためて書くのも、いま読んでいる本に触発されて、いろいろ考えたからだ。

Ishikawa_ooedo_recycle石川英輔 『大江戸リサイクル事情』
 講談社文庫 1997.10.15
 (親本 講談社刊 1994.8)

江戸時代こそ、ほんものの「リサイクル」でやっていた時代だということが、よくわかる。
著者が言うところの、「大きなリサイクル」とは、こういうことだ――自然から得たものを利用して、それをまた自然に帰す。

この本の冒頭で、水車を例にとって次のように述べている。

水車はなぜ廻る? ――水の流れがあるから。
水は誰が流している? ――高い所に降った雨が重力にしたがって流れ下る。
なぜ雨が降る? ――太陽の熱で蒸発した水が雲になり、冷えてまた水となって地上へ落ちるから。
こう追っていくと、つまるところ、水車は太陽によって廻されていると言えるだろう。

<江戸時代の日本の社会は、あらゆる部分が水車と同じように、太陽エネルギーだけで廻っていた……というと、現代の社会を動かしている石油、石炭などの化石燃料も、もともとは太陽エネルギーを凝縮したものだと反論されそうだ。 しかし、化石燃料を燃やすと、また何年かのうちに太陽エネルギーによってその炭素が石炭や石油に戻るなどということはありえない。> (序章 「まわる」 より)

そうなのだ。
私が苦々しく思うのも、限られた化石燃料を惜しげもなく使ってできる製品を、使い終わったからリサイクルしましょう、と言ったって、せいぜい形を変えて再利用(それも、おそらく一回限り)するだけのことなのだ。
リサイクルではなく、リユースと控えめに呼ぶのが正しいと思う。

リサイクルとは、循環させて、再び元の状態に戻してこそ、そう呼べるのではないか?

この本には、いろんな例が出ているが、どれも自然界の動植物資源であり、それらを消費しても、いずれ自然に戻り、再生産される。
自然界の大きなリサイクル(循環)の枠を超えないように、つましく暮らしていたのが江戸時代だったんだなあ、と、つくづく思う。


――と、まあ、えらそうに書いたが、私自信も、石油(化石燃料)を、間接的に日々消費し続けているのがつらいところだ。

それにしても、私たちが子どもの頃は、まだこれほどではなかったと思う。
豆腐一丁買うにも、ちゃんと入れ物を持参したものだし、牛乳だって、空き瓶につめてもらっていた(近所の牧場まで毎朝受け取りに通っていた)。
今ほど、容器を使い捨てにしてはいなかった。
これは、ほんの数十年前のことだ。

どこかで、現代のこの消費の勢いにストップをかけないと、いずれ、我々は自分で自分の首をしめることになるだろうな。

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2008年4月23日 (水)

【山】【雑】こんな山小屋があったな

『大江戸テクノロジー事情』(石川英輔、講談社文庫)というを読んでいて、しみじみと思いだした「場所」がある。

Me2プロフィールの画像として使っている、この写真の後ろに見える山小屋のことだ。
これまで、あまり書かなかったのには、ちょっとしたわけがある。
ひと頃、縁あってずいぶん通ったところだが、その後、これまたわけあって、まったく行かなくなってしまった。

冬期は営業していない(左の写真は、冬期閉鎖中の小屋の前)。
だいたい4月から10月の間、約半年の営業。

山小屋にもいろいろあって、北アルプスの大きな山小屋のように、ちょっとした旅館、ホテル並の設備・サービスのところもある。
だが、だいたいどこも、事情は同じだ。

高山の上まで電線など通じていないから、電気は自家発電。
電話線も通じていない。
(無線電話や、最近では携帯電話を使っているようだ。山の上ではけっこう携帯電話が通じる)
暖房や炊事は、プロパンガスか石油。
もちろん水道が引かれているはずもないので、天水(雨水)か流水、湧き水を利用する。
トイレも溜め込み式(水を流しているところもあるが、汚水処理が問題)。


私が何年かお世話になっていた山小屋も、そんな環境だった。

電気は、必要最小限の自家発電。
その燃料は、春先の小屋開けのときにヘリでまとめて揚げる。
プロパンのボンベも、春先にヘリでまとめて荷揚げする。

電気を使うのは、主に、夜間の照明用。
それと、冷凍冷蔵庫用。
(登山客に出す食事に気を使う小屋だったので、冷凍食材の保存が必要だったためだ)
夜が更ければ、発電機は止めてしまう。
灯油ランプもたくさん置いていて、よく使っていた。

暖房は、基本的に薪ストーブ。
標高2400メートルほどの場所にあったので、真夏でも朝夕は燃やすことが多かった。
薪ストーブは、お湯を沸かす目的にも使われる。
貴重な熱源だ。
薪は、小屋の周囲の林から営林署が許可した範囲で伐採し、乾燥させ、小さく切ったり割ったりして保存していた。
そういえば、秋に「薪出し」といって、木を伐採し、背負子で小屋まで運んで薪切り、薪割りを手伝ったこともあった。

石油ストーブなどは、もったいないのでほとんど使わなかった。
薪ストーブで豆炭をおこして、アンカに入れ、炬燵に使っていた。
お客さんが多いときは、薪ストーブを赤々と燃やして、これがなかなかよかったのだ。
この小屋へ向かって山道を登っていくと、薪ストーブの煙の匂いがして、ああ、もうすぐだなと思ったものだ。

そして飲料水だが、これは天水利用が中心。
屋根から雨樋で水をあつめ、おおきなタンクにためて使っていた。
近くに湧き水(うまい清水)があったので、そこから運んで、やはりタンクにためていた。
近くといっても、歩いて数分のところなので、18リッターのポリタンクにつめ、背負子でかついで運んでいた。
これは重労働である。
だから、汲んできた清水は大切に使った。

日照りが続くと、天水が得られなくなり、いつも心配の種だった。
あれほど、水を貴重に感じたことはなかったな、と懐かしく思いだす。



話はそれるが、この山小屋で何年か働いていた友人と、いまでも親しくしている。
友人といっても、私よりずいぶん年少の女性である。

その人と、つい先日も話したことだが、あの山小屋での生活(彼女は、年の半分はその小屋に住み込んで働いていたから)を思えば、下界(平地)の暮らしは天国だよね、と。
なんたって、水道の蛇口をひねれば、水が使い放題というのだから・・・。
電気、ガスも同様だ。

ちょっとの間でも使えなくなったら、もうお手あげ、という生活に慣れきってしまったけれど、あの山の上の生活を思いおこせば、たいていのことは我慢できそうな気がする。


私は、その山小屋で生活していたわけではないが、毎週のように通っていた時期があった。
お客でもなく、従業員でもない、「お手伝い」のような立場だった。
「居候」という、これまた懐かしい呼ばれ方をしていた人たちが、その小屋にはたくさんいて、私もその一人だった。
ボランティアというのともちょっと違う、好きで通っている人たち。
小屋主さんとの相性もあって、誰でも希望すればなれるというものではなかった。
客として通っているうちに、いつしかなんとなく、居候にしてもらった、という感じか。

繁忙期には、荷揚げ(ボッカ)を手伝ったり、炊事や洗い物、掃除、蒲団のあげおろし、など、もろもろの山小屋の仕事を、楽しみながら手伝っていた。
よく晴れた日には、蒲団干しもしたっけ。
宿泊者用の蒲団だから、半端な数ではなかった。
小屋のまわりは岩場だったので、岩の上や二階の窓から屋根に登って干した。

食事は、お客さんの食事が終わり、後片付けをしてから、小屋のひとたちといっしょにいただいていた。
もちろん、報酬などもらわないし、もらうつもりもなく、まさに「お手伝い」させていただく、という感じだった。
「特権」は、宿泊費がかからないこと。
山好きにはうれしいことだった。


なんとも不思議な場所だったと思う。
夜、お客さんをまじえて、酒を飲み、歌をうたい、ときには外に出て満天の星を見あげる。
翌日も、暗いうちからお客さんの朝食の用意のために早起きはするけれど、登山者が出発してしまえば、あとはのんびりと過すこともできた。
なかば、山小屋とその周辺で遊ばせてもらっていたような、そんな立場でもあった。

「私の大学」 という言葉がぴったりの空間だったなと、よく思う。
そこでは、学校で得られない、いろんなことを学んだ気がする。
めったにできない体験をさせてもらっていたのだ。

いま、懐かしく思いだしたので、書いてみた次第。

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2008年4月22日 (火)

【読】大江戸テクノロジー事情

今週、読みはじめたのが、この本。

Ishikawa_ooedo_technology石川英輔 『大江戸テクノロジー事情』
 講談社文庫 1995.5.15

ひと頃、夢中になって読んだ 「大江戸○○事情」 シリーズの一冊。
電車の中で読むにはうってつけの、軽い読み物だ。
江戸時代って、ほんとうに不思議な時代だった。

<暦、和時計、からくり、錦絵、天文学、花火など江戸時代の様々な創意と工夫を紹介。 江戸の人びとが、科学知識や技術を軍事よりも遊びや楽しみの手段にそそいだ様子を生き生きと伝える。 目先の利益と効率ばかりを追うテクノロジー大国日本に警鐘を鳴らす好個の一冊。 大好評の「大江戸えねるぎー事情」姉妹編。>
(本書カバーのコピーより)


便利なモノや技術に囲まれて生活しながらも、本当にこれでいいんだろうか、と常々疑問を感じている私には、興味ぶかい内容。
「先進国」などと自らえらそうに言っている欧米諸国や日本など、このまま行くと必ず行き詰まるだろう。


著者は、まえがきにあたる 「部分的には正しいが・・・」 の章で、次のように言っている。

<アメリカのある学者は、地球の環境に影響を与えずに現在の平均的なアメリカ人の生活を維持しようとすれば、地球の人口は二億人が限度だという試算を発表した。 この説によれば、アメリカ人だけで、すでに地球は定員過剰だということになる。 進んだ科学技術は便利さ、快適さと引換えに、環境破壊によってわれわれの首をじりじりと締めつけているのだ。>

<なぜこんなことになるかというと、ある時点では文句のつけようもないほど便利で無害だと思われた技術が、便利であればあるほど、ある時間を経てからとんでもない結果をもたらす危険性があるからだ。 (後略) >


最近、問題になっているフレオン(フロン)も、1965年の『岩波理化学辞典』には、
「無色無臭のガス……不燃性不爆発性で無毒、化学的には非常に安定で、普通の金属を腐食しないから、理想的な冷凍剤として近時殊に小型の冷蔵庫に使われ始めた」
―― と書かれていたという。

悲観的すぎると言われるかもしれないが、すでに 「手遅れ」 の感が強い。
「洞爺湖サミット」 などというイベントにも、私はまったく期待していない。
はっきり言って、ああいう茶番劇はやめたほうがいい。


著者が言うように、江戸時代の知恵を今から学びなおしてもいいと思う。
次から次へと企業が出してくる 「新製品」 に飛びつくのも、もうやめにしたい。
高度消費社会の濁流から、抜け出さなくちゃ・・・と、つくづく思う。

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2008年4月20日 (日)

【遊】今朝の散歩―花ざかり 4/20

五日市街道・玉川上水沿いの遊歩道では、ニリンソウが可憐だ。
ソメイヨシノの若葉を背景に、ヤエザクラがきれいだ。
ハナズオウの紅花、白花が満開。
サツキも咲いている。
足もとには、シャガ、春咲きのクリスマスローズ、野草のムラサキケマン。

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【遊】今朝の散歩-サクラからハナミズキへ

季節はゆっくりと移ろう。
ヤエザクラからハナミズキへ。

団地の中を散歩していたら、りっぱなハナミズキの樹があった。
白花と紅花が混じりあったような、珍しいものを見つけた。

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2008年4月19日 (土)

【読】NATIONAL GEOGRAPHIC 日本版

今日、立ち寄った BOOK OFF で、思わぬ収穫があった。

Geograhic_199512_2NATIONAL GEOGRAPHIC 日本版 1995年12月号
わずか105円。
ジェーン・グドールの特集が掲載されている。
「ジェンーン・グドール チンパンジーに捧げた35年の記録」
28ページもの特集だ。
(文=ピーター・ミラー、写真=マイケル・ニコルズ)







この女性のことは、星野道夫さんの本 『アフリカ旅日記 ゴンベの森へ』 で、だいぶん前に知っていた。
星野さんの本は、とてもよかった。
(図書館から借りて読んだが、その後購入した)

Hoshino_gombeジェーン・グドール (出典:Wikipedia)
ジェーン・グドール(Jane Goodall,1934年4月3日 - )は、イギリスの動物行動学者、霊長類学者、人類学者、国連平和大使。
ロンドンで生まれ、幼い頃より動物が好きだっため23歳の時にアフリカへ渡る。そこで人類学者ルイス・リーキーに師事し、ルイスの薦めで1960年7月、26歳の時よりタンザニア・ゴンベのジャングルにてチンパンジーの研究を始める。 世界で初めて、草の茎を使ってアリを捕る行動の報告などで、人類固有とされてきた道具使用などの行為や能力がチンパンジーにも存在すること、チンパンジーの性格にも大きな個人差があることを確認するなど、目覚しい研究成果をあげ、チンパンジー研究の世界的な権威となる。1977年には、野生動物研究・教育・保護団体ジェーン・グドール・インスティテュート(JGI)を設立。1990年に京都賞受賞。2002年から国連平和大使を務める。2007年に京都大学は名誉博士号を授与することを決めた。現在、執筆のかたわら、ほとんど休みなく世界中をめぐり、講演や教育活動をおこなっている。



NATIONAL GEOGRAPHIC 日本版のバックナンバーは、BOOK OFF にたくさん置いてあり、一冊105円という廉価。

以前、エベレストの特集が載っている号を手に入れたことがあった。
(2003年5月号)
夢枕獏さんの山岳小説 『神々の山嶺』 で、「マロリーのカメラ」 の謎が物語の中心になっている。
「マロリーのカメラ」 と言っても何のことだかわからないかもしれない。
1924年、英国第三次エベレスト遠征隊のアタック隊の二人、ジョージ・マロリーとアンドリュー・アービンが頂上付近で消息を断つという事故があった。
その時、マロリーが持って行った、コダック社のインスタントカメラだ。
マロリーの遺品がいくつかみつかったものの、カメラは見つかっていない。
そのカメラが残っていて、フィルムの現像ができれば、彼ら二人がエベレストの初登頂に成功していたことが証明されるのだ。

Geograhic_200305_2Geograhic_200305_p52この遭難事故のことは、私のWEBサイトに詳しく書いたことがある。
マロリーのことを、ずいぶん詳しく調べたものだった。
 → 晴れときどき曇りのち温泉
  この一冊 「夢枕獏 神々の山嶺」
 http://yamaoji.hp.infoseek.co.jp/b_baku_kamigami.html

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【読】この本がほしい

ネットで調べると、古書でたくさんでまわっている。
けれど、高くて手がでない。
手元に置きたい本だ。

図書館から借りてきて、拾い読みしてみる。
いつか手に入れたいな。

Chiri_mashio_ainugo『知里真志保著作集』 平凡社 1975-76
 別巻 Ⅰ 分類アイヌ語辞典  植物編・動物編
 別巻 Ⅱ 分類アイヌ語辞典  人間編

知里真志保の未完の遺作だ。
1953-54年に刊行されたものの復刻。



― 出典:Wikipedia―

知里 真志保(ちり ましほ、1909年2月24日 - 1961年6月9日)は、北海道幌別町字登別町(現在の登別市)出身の、アイヌの言語学者。専攻はアイヌ語学。姉は、『アイヌ神謡集』の著者・知里幸恵。大学での指導教授は、金田一京助。

アイヌ民族の視点からアイヌ語を理論的に研究し、『分類アイヌ語辞典』で朝日文化賞を受賞。その他にも、アイヌ語地名研究者の山田秀三とも共同しながら、アイヌ語学的に厳密な解釈を徹底させたアイヌ語地名の研究を進め、数々の論文や『地名アイヌ語小辞典』などを刊行し、北海道の地名研究を深化させた。また、言語学者・服部四郎との共同で北海道・樺太各地のアイヌ語諸方言の研究を行いアイヌ語の方言学の基礎を築いた。その業績はもはや「アイヌ学」という一つの学問を築き上げている。

真志保は京助を敬愛していたが、アイヌとしての自意識もあり、感情的な部分も含めて、学問的な批判は京助に対しても容赦しなかった。 また、先駆者であったジョン・バチェラーはもとより、研究仲間だった河野広道や更科源蔵、高倉新一郎らの著述における問題についても辛辣な批判を繰り広げた。

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2008年4月18日 (金)

【読】今年読んだ本のベストワンかも

日数がかかったけれど、昨日、ようやく読み終えた。
いい本だった。
さわやかな読後感を味わったのはひさしぶりだ。

今年にはいってから、手帳に、読んだ本のタイトルをメモしてきた。
この本が20冊目。
読書量として、けっして多いほうではないだろう。

Watanae_ichie_sakura_2渡辺一枝 『桜を恋う人 ―二つの祖国に生きて―』
 集英社文庫 1995.9.25
 (単行本 情報センター出版局 1990.10)

著者の渡辺一枝(いちえ)さんは、椎名誠夫人として知られているが、エッセイストとしてすばらしい仕事をなさっている。
若い頃から「チベット」というあだ名で呼ばれ、モンゴルやチベットを何度も旅し、写真集も出版している。
椎名誠氏の著作に彼女の性格が描かれていたことを思いだすのだが、激情家であり、心やさしい女性というイメージを、私はもっている。
こういう女性が好きだ。

今から20年近く前に出版された本。
いつか読んでみようと思いつづけていた。
読んでよかった、と思う。

一枝さんは、1945年、ハルビン生まれ。
彼女の父親は、彼の地で行方不明のままだという。
そんな背景を知ると、主人公の岩間典夫さん(中国名 莫宝清)に寄せる、彼女の思いがよくわかる。

本の内容については、不親切かもしれないが、ここに詳しく書かない。
興味を持たれた方は、図書館などでご覧いただきたいと思う。

わずか20冊の中からだが、私にとって、今年読んだ本の現時点での 「ベストワン」 と言える。

ところで、今日から読みはじめたのが、この本。
図書館にあったので借りてみた。

Umi_no_wajinden大友幸男 『海の倭人伝 ―海路史で解く邪馬台国―』
 三一書房 1998.6.15

特別、邪馬台国に関心があるわけではない。
この著者の本(*)をすこし前に読んで、どういう人か知りたくなったのだ。

(*)大友幸男 『日本のアイヌ語地名 ―東北から沖縄まで―』
関連記事
 → http://yamaoji.cocolog-nifty.com/blog/2008/04/post_2b8e.html
 → http://yamaoji.cocolog-nifty.com/blog/2008/04/post_7f23.html


<従来の倭人伝論の空白が、主として「海路史」の部分にみられるという発想から、とくに「短里法」という問題を切り口として、新しい視点に立った謎解きに挑戦してみました> (はじめに)
というのが、この本のテーマらしい。

『魏志倭人伝』 に出てくる、「水行・陸行」 何里、というあのモンダイである。
著者は、古代の航海者が用いていたはずの、独特の「海里」をキーにして、倭人伝の謎に挑戦しているようだ。

読みはじめたばかりだが、最後まで読み通せるかな?
あまり興味のない分野なので。
まあ、ゆっくり楽しんでみようか、と思っている。

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2008年4月16日 (水)

【遊】今朝の散歩 4/16

家をはやめに出て、国分寺駅のほうまでバス通りを歩いてみた。
写真を撮りながら、30分ほど。
距離にすると、1キロちょっとというところか。
あいにくの曇り空、写真の写りはいまひとつ。

畑地が残っていて、園芸用にハナミズキを植えているところがある。
なぜか白花のハナミズキが多い。
街路樹の紅花のハナミズキは、まだ樹がちいさくてかわいらしい。

そういえば、こんな歌があったっけ。

♪ 空を押し上げて 手を伸ばす君 五月のこと
  どうか来てほしい
  水際まで来てほしい
  つぼみをあげよう
  庭のハナミズキ

  薄紅色の可愛い君のね
  果てない夢がちゃんと終わりますように ・・・

   (ハナミズキ 作詞:一青窈)

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2008年4月15日 (火)

【遊】新緑

いい季節になった。
新緑がまぶしい。

今日は、申しわけないほど、いい陽気だったな。

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【遊】ウコンザクラ

都立武蔵国分寺公園で、一本だけ見かけた。
会いたいと思って、待ちわびていた桜だ。

ウコンザクラ
鬱金 花弁数:8~20枚 花径:3.8~4.6cm 花期:晩春
サトザクラの栽培品種。
「鬱金」の名前は江戸中期から記録があるが、「黄桜」や「黄金桜」「浅黄桜」などの名前も記録されている。
これらは同じ栽培品種に分類されると思われる。
開いた花弁の色は淡い黄緑色で、ショウガ科のウコンの根を使って染めた鬱金色に似る。
しかし、つぼみは淡紅色であるし散る間際の花弁の中心部は紅色に変わる。
色が珍しいことから全国でよく栽培されている。
― Gakken フィールドベスト図鑑 「日本の桜」 より ―

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