【読】リサイクルってなんだ?
もうずっと、「リサイクル」がブームである。
私は、このリサイクル・ブームがきらいだ。
きらい、とは言いすぎかもしれないが、苦々しい思いをいだき続けてきた。
「地球にやさしい」 などという言い回しも、好きではない。
だって、そうでしょう。
これだけペットボトルやら、食品トレイやら、ラップやら、ポリ袋を使い放題使って、それも、一瞬のうちにゴミにしておいて、さて、これをどう「リサイクル」するというのか。
こんなことをあらためて書くのも、いま読んでいる本に触発されて、いろいろ考えたからだ。石川英輔 『大江戸リサイクル事情』
講談社文庫 1997.10.15
(親本 講談社刊 1994.8)
江戸時代こそ、ほんものの「リサイクル」でやっていた時代だということが、よくわかる。
著者が言うところの、「大きなリサイクル」とは、こういうことだ――自然から得たものを利用して、それをまた自然に帰す。
この本の冒頭で、水車を例にとって次のように述べている。
水車はなぜ廻る? ――水の流れがあるから。
水は誰が流している? ――高い所に降った雨が重力にしたがって流れ下る。
なぜ雨が降る? ――太陽の熱で蒸発した水が雲になり、冷えてまた水となって地上へ落ちるから。
こう追っていくと、つまるところ、水車は太陽によって廻されていると言えるだろう。
<江戸時代の日本の社会は、あらゆる部分が水車と同じように、太陽エネルギーだけで廻っていた……というと、現代の社会を動かしている石油、石炭などの化石燃料も、もともとは太陽エネルギーを凝縮したものだと反論されそうだ。 しかし、化石燃料を燃やすと、また何年かのうちに太陽エネルギーによってその炭素が石炭や石油に戻るなどということはありえない。> (序章 「まわる」 より)
そうなのだ。
私が苦々しく思うのも、限られた化石燃料を惜しげもなく使ってできる製品を、使い終わったからリサイクルしましょう、と言ったって、せいぜい形を変えて再利用(それも、おそらく一回限り)するだけのことなのだ。
リサイクルではなく、リユースと控えめに呼ぶのが正しいと思う。
リサイクルとは、循環させて、再び元の状態に戻してこそ、そう呼べるのではないか?
この本には、いろんな例が出ているが、どれも自然界の動植物資源であり、それらを消費しても、いずれ自然に戻り、再生産される。
自然界の大きなリサイクル(循環)の枠を超えないように、つましく暮らしていたのが江戸時代だったんだなあ、と、つくづく思う。
――と、まあ、えらそうに書いたが、私自信も、石油(化石燃料)を、間接的に日々消費し続けているのがつらいところだ。
それにしても、私たちが子どもの頃は、まだこれほどではなかったと思う。
豆腐一丁買うにも、ちゃんと入れ物を持参したものだし、牛乳だって、空き瓶につめてもらっていた(近所の牧場まで毎朝受け取りに通っていた)。
今ほど、容器を使い捨てにしてはいなかった。
これは、ほんの数十年前のことだ。
どこかで、現代のこの消費の勢いにストップをかけないと、いずれ、我々は自分で自分の首をしめることになるだろうな。
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コメント
ペットボトルのリサイクル、新品のボトルを作るよりも余分に石油が必要、という話もあります。リサイクルを推し進めるとおいしい思いをする利権みたいなのがあるのでは?と勘ぐってしまいます。
>「地球にやさしい」
私もこの言葉、二重の意味で嫌いです。
人間が地球に優しくないのなら、
どんどん石油を燃やして、環境を悪くすれば、人間が絶滅して、一番地球に優しくなるのでは?
と思ってしまいます。
いや、地球の長い歴史からすれば、ちっぽけな人間の活動なんか大したことないよ、ともいえるし、そうならば、地球を過少評価している人間の傲慢さを感じます。
投稿: こまっちゃん | 2008年4月26日 (土) 00時17分
>こまっちゃん
おひさしぶりです。
ペットボトル、私も利用しているので、つらいところです。
とりあえず分別して指定場所へ(ゴミ箱や集積所)持っていきますが、そこから先どうなるのか考えると罪悪感をおぼえます。
申し訳ないと思うことが大切かも。
「地球にやさしい」などといばるなよ、ということですね。
投稿: やまおじさん | 2008年4月26日 (土) 08時38分