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2008年4月29日 (火)

【読】一枝さんの写真集 ルンタ

ちょっと値がはるので、図書館から借りてきた。

Watanabe_ichie_lunta渡辺一枝 (わたなべ・いちえ) 著
 『風の馬 [ルンタ]』 本の雑誌社
 2008.2.20 3000円(税別) (渡辺葉 英訳)

本格的な、モノクロームのチベットの写真集。
人物写真が多い。
この人は人間が好きなんだな、と思わせる、あたたかい写真ばかり。

こういう写真集をみると、写真は技術ではなく、こころで撮るものなんだと痛感する。

(以下、本書巻末より)

<子どもの頃の渾名は、「チベット」だった。 どんな所でどんな人が住むのかのどまるで知らないのに、「チベットに行きたい」と、口ぐせのように言う子どもだった。 いつ、誰に聞いたかも覚えていないが、いつかの日に聞いた「チベット」という響きが、心に根づいてのことだった。
 少し時が経って中学生の時、新聞でチベットの記事を読んだ。 川喜田二郎さんたち研究者のグループがヒマラヤ山中に入り、チベットの植生や人々の暮しぶりについて調査した報告だった。 その記事にあった死者の葬送法に、深く打たれた。
 私は、父を知らない。 生後六ヵ月の私を残して父は戦場に行き、その一ヵ月後に戦争は終った。 それきり父は帰らなかった。
 葬列の中で、子どもは私だけ。 白い布に包まれた箱を抱く母の後に就いて、祖母に手を引かれて歩いたのは四歳の時だ。 "満州"から引き揚げてからの母が、生死不明の父の消息を尋ね尋ねてようやく得た情報は、「湿地帯で沈み、死んだと思われる」の言葉だった。 (後略)>

この後、チベットの人々に寄せる一枝さんの思いが書き連ねられ、最後に、こうしめくくられている。

<そこに生きてきた人たちの自由と尊厳を奪う大国の覇権主義に、私は心の底から怒りを覚える。 そしてその同じ心で、祈る。 願わくば、人の叡智が欲に勝りますように。 チベットが、どうか失われずに残りますように。>


中国政府の支配下にあって、チベットは、いま、大きく変わりつつあるようだ。
次のような記述を読むと、心が痛む。

<大がかりな計画は、順次着工されていった。 採石のために山々は切り崩され、鉱物採取のために幾本もの道が作られ、湖水の水は吸い上げられた。 (中略) 工事関係者たちが仮住まいした周辺は、土に還ることのないプラスチック製のゴミが大量に捨てられ、赤や青、白のビニール袋、発泡スチロールが散って、"花畑"のようになった。 (後略)>

いま、チベットが大きく注目を浴びているが、一時的なブームで終わってほしくない、と思う。


タイトルになっている 「風の馬(ルンタ)」 とはなにか。
チベットの家々の屋上や、庭、牧民のテント、峠や湖畔、川縁などに、経文を印刷した旗(タルチョ)が飾られるが、経文の他に馬の絵が印刷されたものを、「ルンタ(風の馬」 といい、ルンタは小さな四角い紙に印刷されたものもあるという。
チベットの人々は、峠越えや聖地巡礼、正月や祭りの時に、この紙のルンタを空に撒きながら祈るそうだ。

<「神々に勝利あれ」と、天駈ける風の馬に、祈りの心を乗せるのです。>

<風が、チベットの人たちの願いを運びますようにと、私も祈ります。 チベットに通い、通うほどになお魅かれてきた私です。 国は消されても、そこには豊かな自然があり、自然と共に生きる人々の暮しには、古くから受け継がれてきた智恵がありました。 けれどもここ数年のチベットの変化はすさまじく、自然も、人々の生活も大きく変ってきています。 私の見てきた光景も、やがて失われてゆくのだろうかと危惧しています。 チベットの人たちの悲願が届くまで、どうか失われずに残りますようにと、私は祈ります。>  (本書巻頭より)

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