« 2008年5月 | トップページ | 2008年7月 »

2008年6月の30件の記事

2008年6月30日 (月)

【読】星野道夫と見た風景 (星野直子)

こんな本もあった。
いつ手に入れたのかも覚えていないが、まだ読んでいなかったようだ。

Hoshino_naoko『星野道夫と見た風景』
 星野道夫 星野直子
 新潮社 とんぼの本 2005.1.25

1993年に星野道夫さんと結婚した直子さんが、星野さんのことをこう語る。

― 本書 P.120- ―
 01年の夏には、アラスカの海でクジラを追う道夫さんを長い間サポートしてくれた、リン・スクーラーの船に乗る機会がありました。 私と翔馬(注:星野夫妻の子息)、それに私の両親に、クジラを見せてくれるためです。
 船上でのある夜、リンにも協力してもらってできた 『森と氷河と鯨』 の本を渡したとき、彼がおもむろに、私に尋ねたんです。
「ナオコはクマを許すことができたのか?」
 私は、
「クマを許せないと思ったことはない」
 と答えました。 なぜなら、カムチャッカに迎えに行ったときの道夫さんの表情には、苦痛の影が少しもなかったから……とても静かな顔でまるで眠っているようだったから。
 もし、その表情に苦悶や痛みを見ていたら、クマに対する想いはちがったものになっていたかもしれません。

この本は、いい。
星野直子さんの文章も、好ましい。

フェアバンクス郊外の住宅地の森の一部を購入して、友人の大工に頼んで作った星野さんの家の写真がある。
落ちついた造りのログハウスのまわりに、花がたくさん咲いている。

「もともとは岩がごろごろしているような粘土質の斜面の土地で、どちらかいえばやせた土質」 だったところへ、「業者に頼んで肥えた土を運び込んでもらい、種をどっさり蒔いたのだ」 という。 (本書 P.12)

星野さんは、とてもいい場所で最後の数年を暮らしたのだった。 

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2008年6月29日 (日)

【歩】【読】身近な自然と遠い自然

「……僕らの周りには二つの大切な自然があるような気がします。 一つは身近な自然です。 つまり生活の中で自分の家の近くの森や川や草花が毎日見ることができる、そういう身近な自然が大切なんですね。 もう一つは、遠い自然も大切だと思うんです。 つまりそこには行けないかも知れないけれど、そこにあるというだけでホッとできる。 ……」
(『魔法のことば』 星野道夫 ―1994年6月11日 東京都渋谷区松濤美術館での講演―)

ほんとうに身近なところで、ガクアジサイがきれいに色づいている。
雨に濡れて、とてもいい。
気持がなごむ。

08062900010806290002










星野道夫さんが言う 「遠い自然」 が、私のこころの中にもある。
それは、まだ行ったことのない地球のどこかの雄大な景色だったり、八ヶ岳の深い森だったり、南アルプスの稜線だったり、北海道の原野だったりする。

「少しだけ遠い自然」 と呼びたいような、日本の中のこれまでに訪れた場所のことを、ときどき思い出す。
思い出すことで、ちょっとだけ元気になれる。
いまこの時、あの風景、あの自然が確実にある、と考えることで元気がでる。
 
 

Hoshino_alaska_kaze『アラスカ 風のような物語』
 星野道夫 小学館文庫 1999年
 (1991年刊行本=下記を再構成した文庫版)

ひししぶりにこの本をとりだして、アラスカの遠い自然と、星野さんのことばを、味わっている。

― 巻末解説 より ―
彼の動物の写真を見ると、撮影者と被写体の動物との間に何か会話があるような気がしてならない。 言葉はなくても成り立つ会話がそこにある。 チーズといわせてポーズをとった写真でもなく、やみくもにシャッターを押し続けて偶然の僥倖をねらった写真でもない。 シャッターチャンスを計算したわけでもないのに、これ以外にないという瞬間の表情をフィルムに収めるのは、無言の会話を通じて被写体と一体になったカメラマンの業というしかない。  (大庭みな子)


Hoshino_alaska_kaze_large『Alaska 風のような物語』
 星野道夫 小学館 1991年7月 大型写真文集

― 『星野道夫 永遠のまなざし』 山と渓谷社 より ―
星野道夫には、その土地をより深く知ろうとする姿勢があった。 人が住んでいても住んでいなくても、好きになった場所が自分を受け入れてくれるかどうか、それが判るまでじっとそこに佇むのだそうだ。 そしてその場所と一体になれた時、星野道夫ははじめてカメラを取り出すのだという。 それだけでは終わらない。 今度はカメラで切り取った景色の中に生命を入れることを考えるという。 風景の中に生命があると、空気が引き締まるのだと言った。 (大山卓悠)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年6月28日 (土)

【演】花筏(桂枝雀)

今日は、桂枝雀の音源をいくつか聴いてすごしている。
こんな変ったカセットテープがあった。
枝雀の演ずる 「花筏」(はないかだ)を聴く。

Shijaku_hanaikada1Shijaku_hanaikada2四代目 桂 米団治 三十三回忌追善
●四代目 桂米団治 親子茶屋
●桂 米次郎 かきわり盗人
●桂 枝雀 花筏
●桂 米之助 仔猫
●桂 米朝 代書
昭和58(1983)年4月24日収録
京都府立文化芸術会館
(米団治の演目のみ昭和26年収録)

桂米団治(四代目)は、桂米朝の師匠。
米次郎、米之助も、米団治の弟子。

枝雀の演じる 「花筏」 は、何度聴いてもみごとな出来だと思う。
脂がのっていた時期なのだろう。
枝雀なりに工夫した噺の展開が新鮮だし、随所にちりばめられた「くすぐり」にも、うまいなあと唸らせられる。
この噺には、「人の情」というものがこめられていて、おかしな噺なのに、ほろりとさせられる。
そこが好きだ。

花筏 (相羽秋夫 『現代上方落語便利事典』より)
大関花筏が病気になった。 しかし播州での十日間興行が決まっている。 考えあぐねた親方は、提灯屋の徳さんを花筏に仕立て上げて連れていくことにした。いっても土俵へ上がれぬ病気だと称して、ぶらぶらしておればいいといわれ、多額の報酬に負けて徳さんは行きうけた。 ところが、酒は飲むは飯は食べるはで、土地の人が病気でないと見破ってしまった。 そこで地元の素人相撲千鳥ヶ浜と千秋楽に一番とることになってしまった。……

提灯屋の徳さんが、調子にのって 「宿屋のおなごし」 のところへ夜這いに行ったのが知れて、そんな元気があるならと、相撲をとらされるはめになるところが、おかしくてたまらない。

最後の、千鳥ヶ浜とニセ花筏(徳さん)が土俵のうえで仕切りをするところの両者の心理描写が、圧巻。
詳しくは書かないけれど。
サゲ(オチ)も、すっきりしていていい。


ところで――
このテープにはいっている、米朝演じる 「代書」 は、四代目米団治が作った噺。
「代書屋」 とも呼ばれる。
(昭和13年頃、米之助時代に、自ら代書屋をしていた経験をもとに作ったもの)
この時の口演は、米団治の演じ方を再現したものだと、米朝はいう。

桂枝雀の爆笑版とはずいぶんちがう味わいだが、なるほど、元の噺はこうだったのだなと思う。
主人公の名前も、松本留五郎ではなく、タナカヒコジロウ。

<差別的表現があるとの配慮から、今日では途中で切られる>(相羽秋夫 『現代上方落語便利事典』) という噺だが、この米朝の口演では最後のサゲまで演じられている。
貴重な録音かもしれない。
 

| | コメント (3) | トラックバック (0)

【演】地獄八景(桂枝雀)

ひさしぶりに、レコードを聴きなおしている。

Shijaku_jigoku_bakkei地獄八景亡者戯
 じごくばっけいもうじゃのたわむれ
 桂 枝雀

昭和57(1982)年10月4日~7日
 サンケイホール (大阪)
サンケイホール開館30周年記念
「桂枝雀独演会」 (収録は10月6日か)
東芝EMI TY-60038・39


「地獄」 ということばに抵抗があるかもしれないが、爆笑の連続である。
枝雀も、はじめにことわっている。

「あの世を舞台にいたしましたお噺でございます。 舞台はあの世でございますが、別にこの深刻な噺ではございませんので、きっかけを見つけて笑っていただきたいのでございます。 すべて冗談事でございます。 こんな噺で笑っては不謹慎じゃないかなんて思わないようにしていただきたいのでございます。」

『現代上方落語便利事典』(相羽秋夫)によると、
<「東の旅」シリーズの「軽業」から続く場合は綱の上の軽業師が落ちて死んで地獄へいくという設定である。 戦後桂米朝が今日のように整理し、彼の得意ネタの一つになった。 きっちりやれば一時間はゆうにかかる。>
とある。

このレコードでも、二枚組の三面にわたる大ネタだ。

枝雀の落語は早口で、大阪弁になじみがないと聞き取りにくいといわれるが、このテンポのよさがたまらない。

Shijaku_kabukiza19840328このレコードの1982年が桂枝雀の初演だが、二年後の1984年3月28日、歌舞伎座(東京)の舞台でも演じた。
私は、家人とふたりでそれを聞きにいった。
(これは、前にも書いた)

すばらしい高座(舞台)だった。
当時の新聞記事を切り抜いていあったので、掲載しておく。




Shijaku_kabukiza_19840328

| | コメント (2) | トラックバック (0)

【演】さくらんぼ

Sakuranbo_3さくらんぼが手にはいった。
形に難があるのか、手頃な値段。
おいしい。

さくらんぼ、といえば、故 桂枝雀 の演目があったのを思い出す。
たしか音源があったはず。
ビデオ、カセットを探しまわって、ようやく見つけた。




― 相羽秋夫 『現代上方落語便利事典』 少年社 より ―
 桜ん坊 さくらんぼ  改作
 小佐田定雄作、桂枝雀口演

東京では「あたま山」と呼ばれ、ポピュラーな作品。
上方でもこの「あたま山」が存在していたが、最近ではやる人がなかった。
そこで小佐田定雄がはめもののきっかけ帳などをたよりに、昭和54年につくりあげた。
枝雀はこの年の3月28日に三枝との二人会で初演以来、何度か上演し、昭和56年1月15日NHKテレビでも放送した。

Shijaku_sakuranbo_1_21983(昭和58)年7月24日(日) 放映
フジテレビ 花王名人劇場
東京・国立劇場演芸場からの中継録画
(立川談志との初共演)

当時、ビデオデッキというものがわが家になく、このようにカセットテープに録音していたものとみえる。
ひさしぶりに聞いてみると、絶頂期の枝雀の姿が目にうかぶ。
あのアクションが見えないのが残念だが、じゅうぶんに想像できる。
上方落語特有の、はめもの(お囃子)はにぎやかでいい。



【参考サイト】

松本留五郎の部屋
 http://www11.ocn.ne.jp/~tomegoro/
 演目一覧 さ行
  http://www11.ocn.ne.jp/~tomegoro/sa.htm

米朝事務所
 http://www.beicho.co.jp/

Shijaku_cd_video_3Shijaku_dvd_4

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008年6月27日 (金)

【読】星野道夫さんをめぐって (続)

この本のつづき。

Hoshino_eien_no_manazashi『星野道夫 永遠のまなざし』
 小坂洋右、大山卓悠 著
 山と渓谷社 2006年

巻頭に星野さんの人なつっこい笑顔のカラー写真がある。
デナリ国立公園、1984年というキャプションがついている。
ほんとうに、少年のような屈託のない笑顔だ。

そのページに続いて、星野さんが最期をむかえたカムチャッカ半島南端のクリル湖周辺の写真と、星野さんを襲ったとみられるヒグマの写真が掲載されている。
北海道をおもわせる、美しい風景だ。
あの事故さえなければ、ここはここで、すばらしい場所だっただろう。

キャプション 「星野道夫が最後に見た風景」
―― 北緯51度、カムチャッカ半島南端部にあるクリル湖は、周囲45キロほどもある大きなカルデラ湖。 周囲には富士山にそっくりのイリインスカヤ山など、標高1500~2000メートル級の火山が点在している。 (中略) ベニザケを餌とするヒグマも多く棲息し、その密度は世界でも有数。 (後略) ――


ところで、この本の最終章だけは、星野さんと親交のあった 大山卓悠(おおやま・たかひろ)さんが執筆している。
星野さんの人がらが生き生きと描かれていて、好感がもてる文章だ。

その中に、ほほえましいエピソードが書かれてる。
星野さんが結婚する前の話だと思う。

大山さんは家族を連れて、フェアバンクスの星野さんの家に遊びにいった。
星野さんの家は、白樺とアスペンとトウヒの森の中にひっそりと建っていた。


―― 以下、原文から引用 ――

「じゃあ、今夜はぼくのいちばん得意なスパゲッティーを作りますから」
 星野道夫は得意顔で宣言した。 すると四歳になるぼくの長女がすかさず言った。
「パパもスパゲッティー得意だよね。 アルデンテだもんネ」
 子供は正直だというが、残酷でもある。 星野道夫はそのひと言にプレッシャーを感じてしまったのかすっかり緊張し、緬を茹でながらしょっちゅうスパゲッティーをすすっている。 緬の固さを確かめていたのだと思うが、それを見ながら長女が心配そうに言った。
 「星野さん、スパゲッティーをみんな食べちゃうんじゃないの」
(中略)
 結局、長女の予感は的中し、最初に茹でた分では皆の皿に行きわたらなかった。
「すみません。 ちょっと味見しすぎちゃったみたいで……」
 星野道夫は頭をかきながら、新たにスパゲッティーを茹で直した。

  ― 本書 第四章 「星野道夫が残してくれたもの」 より ――


この後、星野さんが大山さんのアンカレジの家を訪ねたときのエピソードが、とてもいい。
星野さんと大山さんのお嬢さんが、ムース(アラスカに住む大型のヘラジカ)の干からびた糞を投げっこして遊びだした。
その時、星野さんは容赦なく四歳の少女に糞をぶつけるのだった。


―― 以下、原文から ――

(前略) 長女も負けじと両手で糞をすくい取り、星野道夫にぶつけ返した。 さあそうなると二人とも、つかんでは投げつかんでは投げの激しい交戦になった。 星野道夫も娘も必死の形相で投げ合っている。 娘はまだ四歳の子供だ。 そんな年端も行かない女の子に、星野道夫は大人に対してするように真顔でぶつけている。 いずれ娘は泣き出すに違いないと、傍ではらはらしながら見ていたが、結局二人は飽きるまでぶつけ合って平気な顔をして息をついた。
「ああ、面白かった。 星野さんまたやろうね」
「ウン、ここはいいね。 フンがたくさんあるもんね」
 二人は息を切らしながら、目をきらきらさせてうれしそうに話している。 そんな二人を見ながら、ぼくは何か未知のものに触れたような気がした。 星野道夫も娘も、ぼくが生きる世界とは別の境界に住む人々のように見えたのだ。 あれほどひどくムースの糞をぶつけられて、なぜ長女は泣き出さなかったのだろう。 とても痛かったはずだ。 星野道夫も星野道夫で、いい大人がたった四歳の子供にああまですることはない。 まるで子供同士の喧嘩のようだった。 そう思った途端、ぼくは二人の関係がすっと理解できた。 そう、二人は子供同士で、それも仲のよい友だち同士なのだ。 (中略) 泣き出さなかったのは、星野道夫が大人でなかったからなんだ。
 星野道夫の人間性にそんな一面があることを心に留めながら、ぼくと彼の付き合いは続いていった。

  ― 同 P.221~ ―

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年6月26日 (木)

【読】星野道夫さんをめぐって

こんな本が私の本棚にあった。
何年前に買ったのかも忘れてしまったが、機が熟したとでもいうのだろうか、読んでみることにした。

Hoshino_eien_no_manazashi『星野道夫 永遠のまなざし』
 小坂洋右(こさか・ようすけ)
 大山卓悠(おおやま・たかひろ) 著
 山と渓谷社 2006.9.30

カバーの写真は、1996年8月4日、クリル湖畔でくつろぐ星野道夫さん。
カムチャッカ半島南端の、すばらしい風景だ。
しかし、これが彼の最後の写真になった。
四日後の8月8日未明、一頭のヒグマが星野さんのテントを襲い、星野さんをくわえて去ってしまった。
悲惨な事故だった。
享年43歳。

この本は、星野さんがなぜヒグマに襲われたのか、その真相を追い求めた話だが、それだけにととまらず、星野さんの生き方と晩年にやろうとしていたことを、友人の立場からていねいにたどっている。

私は、星野さんがクマに襲われたニュースをほとんど憶えていない。
そもそも星野道夫という人を当時は知らなかったから、関心もうすかったのだろう。
そういえば、ひとりの日本人「動物写真家」が、カムチャッカ半島でクマに襲われて死亡したニュースが流れていたような気もする、という程度だ。

この本を読みはじめて知ったことだが、当時、流されたニュースは誤解を招くものだったようだ。
「獰猛な一頭の人食い熊に襲われた」 というニュアンスで、クマはやっぱり怖いものだという誤った風聞がひろまったらしい。

星野さんを襲ったヒグマは、ロシアのある人物がエサを与え続けて 「餌付け」 したことにはじまって、人間の食糧を襲うようになり、しばしば撮影現場の近くに出没していたという。
(星野さんは、日本のテレビ局の撮影に同行していた)

「餌付け」 という日本語は誤解を招くかもしれないが、英語では Food Conditions といい、人間の食べ物の味を覚えて人間を恐れなくなったクマを指すという。
つまり、人馴れして、人間のそばに行けば食べ物があることを知っており、それが意外と簡単に手に入ることを学習してしまったクマである。
けっして、「獰猛で人間を食うクマ」 ではなく、本来の野生が人の手によって狂わされた特殊な個体なのだ。

続きは、また後日。


ちなみに、この本の著者のひとり、小坂洋右さんという人は、すこし前に私が手にいれた本の著者と同一人物であることを知った。
不思議な符合である。

Kosaka_ainu_ikiru小坂 洋右 著  写真/林 直光
『アイヌを生きる 文化を継ぐ 母キナフチと娘京子の物語』

 大村書店   1994.4.20

小坂洋右
1961年札幌市生まれ。旭川市で育つ。北海道大学卒。
アイヌ民族博物館勤務などを経て、1989年から北海道新聞記者。
(『星野道夫 永遠のまなざし』 山と渓谷社の著者略歴より、抜粋)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年6月25日 (水)

【読】魔法のことば(星野道夫) 続々

Hoshino_mahou『魔法のことば』 星野道夫 講演集
  スイッチ・パブリッシング 2003.4.25

この本については、感じるところがたくさんあったので、何回も書いてしまった。
あと数ページを残すばかりとなった。

繰りかえし語られるエピソードも多いが、それは何度聞いても飽きることのない昔話、物語に似ている。

巻末、池澤夏樹さんが寄せた文章 「星野道夫の講演」 に、池澤さんらしい鋭い考察がある。
引用ばかりで気が引けるが、いくつかポイントを書いておこう。

<星野道夫が優れた話し手であったことは、その講演を文字で読んでいるだけでもわかる。 彼の話はただの情報ではない。 彼自身が二十年以上をかけて得た知恵を語るものであり、その背後にはアラスカの自然と先住民の暮らしという叡智の体系があった。>

<彼自身それを本などから得たのではなく、時として非常な危険に満ちた体験を通じて体得し、また村々の老人たちの話を聞くことによって集めたのだ。>

星野さんは、アラスカの自然にひかれていたことは確かだが、それ以上に、アラスカに住む人々が好きだったのだと思う。
星野さん自身がこう語っている。

「もしアラスカに人が暮らしていなくて、美しい自然だけだとしたら、僕はアラスカにそれほど魅かれなかったでしょう。」 (本書 P.276 1996年5月12日 八ヶ岳自然ふれあいセンターでの講演)

たしかに、星野さんの撮った雄大なアラスカの風景、動物たちの写真はすばらしく、感銘を受けるものばかりだが、私がそれ以上に好きなのは、エスキモーやインディアンと呼ばれる人々(星野さんは彼らをこう呼んでいる)のじつに魅力的な写真の数々だ。
あるいは、人間の気配が感じられる、朽ち果てたトーテムポールや、クジラの骨の墓標を撮った写真がいい。

星野さんの晩年(突然の事故死だったから、晩年ということばがふさわしくないかもしれないが)、アラスカのインディアンやエスキモーに伝わる伝説(ワタリガラスの伝説)のルーツを追って、シベリアへ足を伸ばそうとしたのも、星野さんが人間を好きだったからだと思う。

池澤さんは、上に引用した文章に続けて、星野さんの講演についてこう書いている。

<本当は公民館や講堂ではなく冬の炉端で、あるいは夏の夜に星空を見ながら、聞くべき話かもしれない。 また、できればあなたは子供であった方がよかったかもしれない。 もちろん、それをこの本で読むのではなく、彼の話を直に聞ければそれがいちばんよかった。 でも贅沢は言うまい。 (後略)>

<これは彼が語ったところを本にまとめるという変則的な成り立ちの本である。 読み手の方もこれを読むのにはちょっとした工夫がいるとぼくは考える。 (中略)>

<まず、ゆっくり読むこと。>

<次に、一度にたくさん読んではいけない。 彼は本当に大事なことしか言わなかった。 そして本当に大事なことは何度でも言った。 先住民の語り手は同じ話をいくどとなくする。 大事なことはそうやって聞き手の心の奥深くにしっかりと刷り込むものなのだ。>

星野さんが、あの事故にあわずに仕事を続けていたなら、今の私とほぼ同じ年齢になるはずだ。
(同期といっていい年齢の人だったから)
今頃どんな写真を撮り、どんな話を聞かせてくれただろうか、と思う。
さびしいことだが、しかたのないことである。



以下、全くの蛇足で、星野さんの本の価値をおとしめるものではないのだが、この本(2003年4月25日 第一刷)には、あきらかな誤植がいくつかある。
まちがったまま受け取る人はいないだろうし、その後訂正されているかもしれないが……。

P.70 「第三章 めぐる季節と暮らす人々」 の講演場所
 北海道十勝市清水町 → 北海道上川郡清水町
※私は、市町村合併でこんな市(十勝市)が誕生しようとしていて、それを先取りしてこう記述したのかと思った。 一瞬だが本当にそう思って、調べたりした。

P.266 「第九章 100年後の風景」 の講演場所
P.286 「第十章 インディアンたちの祈り」 の講演場所
 山形県八ヶ岳自然ふれあいセンター → 山梨県八ヶ岳・・・
※これも、一瞬だが、山形県にも八ヶ岳という地名があるのかと思った。 厭味でも皮肉でもない。

八ヶ岳山麓で星野さんが講演していた頃(1996年5月)、私は、まさにその八ヶ岳連峰の南端にある山小屋へ、足繁く通っていた。
その当時、星野さんのことをまったく知らなかったので、今からおもうと残念なことをした。
しかし、これも人生での巡りあい、「縁」というものなのだろう。

星野さんは、八ヶ岳山麓での講演で、八ヶ岳によく通っていた頃のはなしもしている。
彼にとっても思い入れの深い土地だったようだ。



【参考サイト】

(星野さんの写真が見られるサイト)
写真家 星野道夫 | 富士フィルム ウェブ写真美術館&ショップ
 http://fujifilm.jp/promotion/museum/photographer/hoshino/index.html

(星野さんの事故死の謎を追求した本)
山と渓谷社-商品紹介>星野道夫 永遠のまなざし
 http://www.yamakei.co.jp/products/detail.php?id=340200

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2008年6月24日 (火)

【読】魔法のことば(星野道夫) 続

「switch」 19994年7月号 (Vol.12, No.3) を手に入れることができた。

Switch_100407特集 星野道夫
 狩猟の匂いを我々は嗅ぐことができるか

モノトーンの星野さんの写真が表紙に使われていて、なかなかいい。
先日読んだ
  『終わりのない旅 星野道夫インタヴュー』
 (スイッチ・パブリッシング)
の元のインタビュー記事が掲載されている。

LONG INTERVIEW
 「原野に生命の川が流れる」 (P.49-62)
 文 湯川豊 / 写真 垂見健吾

今読んでいる講演集 『魔法のことば』 (スイッチ・パブリッシング) にも、ちょうどこの時期(1994年)の講演が載っている。
南東アラスカに、星野さんの関心が移っていった時期だ。

星野さんの「魔法のことば」を、ここでまた引用したい。
(1994年4月9日、第4回国際イルカクジラ会議江ノ島フォーラムにて行われた講演。講演タイトルは「南東アラスカとザトウクジラ」)

 エスキモーの考え方、精神世界というものはだんだん消えつつありますけど、一つはイヌアという考えが精神世界の中で非常に大きな意味を占めています。 イヌアというのは、あらゆる生物や、山とか川とか流氷などの無生物も含めて、すべてのものに人間が住んでいる。 つまり万物が人間のように生きているという考え方があります。 (中略) もう一つはシラという考え方で、災害や病気など人間の手に負えない超自然の世界を支配している神の存在をさします。 このイヌアとシラと霊魂が昔から彼らの精神世界を支えている。 (後略)  ― P.199 ―

 生物は気が遠くなるくらいの時間を経てここにあるわけですが、毎年そこに戻ってくるザトウクジラと氷河と原生林、この三つをテーマにそのことをとても分りやすく表現できるんじゃないか、そう思ったわけです。 (中略) そういう長い時間ということを考えたときに、では人間の持っている時間とはどういうものなんだろうか、(後略)  ― P.202 ―

この後、星野さんは面白いことを言っている。
私はちょっと意表をつかれたが、なるほどなと思う。
引用だと長すぎるので、一部を要約して引用する。

 歴史というものは、それほど遠いときに起ったものではない。 ずっと続いているということだ。
 人間の歴史を頭の中で考えるとき、人間の一生を基準にしたスケールで考える。
 例えば、弥生時代を考えたとき、それが1800年とか2000年前の遠い昔の出来事のように思ってしまいがちだが、人間の一生を辿っていくことで見てみる。
 弥生時代がどれくらい前かというと、自分が今ここにいて、その前に親がいて、その前にまた親がいて、そういう人の一生を繋げていくことによって歴史を見ていくと、弥生時代なんていうのは人間が一列に並んだら60人から80人くらいが並んでいるに過ぎないのではないか。

(以下、原文)
 つまりその一列に人間が並んでいる場合に、ふと自分と血が繋がっている弥生時代の人間というのは、顔の形さえきっと見えるんじゃないかというふうに思ってしまう。 そういふうに考えると、人間の歴史はとても短いような気がしてしょうがないんですね。 つまり地球のスケールや歴史を考えた場合、一億年というタイムスケールはやはり手が届かない。 例えば恐竜が絶滅した何万年前というのはちょっと僕らの感覚では分らないけれども、一万年前だったら人間の歴史を遡ることで本当についこの間のことのように感じられる気がするんです。  ― P.203 ―



Hoshino_moritohyouga『森と氷河と鯨 ワタリガラスの伝説を求めて』
 星野道夫 1996.12.10 世界文化社

月刊「家庭画報」 (世界文化社刊)に、1995年8月号から1996年9月号まで連載されたが、星野さんの急逝(1996年8月8日)によって、未完のままとなった。
星野さん晩年(結果的には、だが)の大きな仕事のとっかかりだった。

Life is what happen to you while you are making other plans.
(人生とは、何かを計画している時起きてしまう別の出来事のこと)
― 星野さんの友人だった シリア・ハンターのことば ―

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年6月23日 (月)

【読】魔法のことば(星野道夫)

通勤途上で何を読むか、じつは難しい選択である。
活字が小さい本は目がつらいし、分厚い単行本は重い。

そうだ、星野道夫さんの講演録があった、ということで、今日から通勤途上で読んでいる。

Hoshino_mahou『魔法のことば』 星野道夫 講演集
  スイッチ・パブリッシング 2003.4.25

タイトルがいい。
星野さんのことばは、ほんとうに魔法のようだ。
語られているのは、いつも同じことが多いが、何度聴いても(読んでも)あたたかい気持になれる。

  彼は本当に大事なことしか言わなかった。
  そして本当に大事なことは何度でも言った。 ――池澤夏樹


 ……人間にとって大切な自然が二つあるような気がします。
 一つは、皆にとっての身近な自然です。 例えば家の近くの森や川、鳥だとか、そういう日常に近い自然の大切さがありますよね。 それは日々の暮らしの中で変わっていく自然ですが、もう一つ、遠い自然も人間にとって大切なのではないかと思うんです。
 そこには一生行けないかもしれないけれども、どこか遠くにそういう自然が残っていればいつか行くことができるかもしれない。 あるいは、一生行けないかもしれないけれども、いつも気持の中にある、そういう遠い自然の大切さがある。
 それはアラスカだけに限らず、アフリカであれ南米であれ、また日本であれ、たとえ自分がそこに行かなくても、日常の暮らしに関わりがなくても、ただそこにあることで人の気持が豊かになる自然があるのだと思います。

(本書 P.98-) 「第三章 めぐる季節と暮らす人々」
 1993年2月6日
 北海道清水町で行われた写真展「アラスカ」に際して行われた講演

 1993年2/6~11 「ALASKA 風のような物語」 北海道清水町文化センター


星野道夫公式サイト
 http://www.michio-hoshino.com/index.html

スイッチ・パブリッシング
 http://www.switch-pub.co.jp/

―上記サイトより―
星野道夫 (ほしのみちお)
写真家、作家。1952年千葉県市川市生まれ。76年慶應義塾大学経済学部卒業後、アラスカ大学野生動物管理学部に留学。以後アラスカに身を置き、厳しい自然に生きる動物や人々を撮り続け、誠実な人柄を表すような透明感あふれる文章も高い評価を受ける。96年8月8日、取材先のカムチャツカ半島クリル湖畔にて、ヒグマに襲われ急逝。享年44歳。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年6月22日 (日)

【読】星野道夫さんとクマ(続々)

星野道夫さんの魅力は、なかなか語りつくせないのだが、ちょうど今読んでいるインタビューの本に、探していた言葉がみつかった。

Hoshino_yukawa_interview『終わりのない旅 星野道夫インタヴュー』
 湯川豊  スイッチ・パブリッシング 2006.8

すこし長く引用する (本書 P.114-)。
星野さんの思想の核がよくあらわれていると思うので、彼の語り口をそのまま省略せずに引用してみる。

(湯川) さて、最後にひとつうかがっておきたいことがあります。 星野さんは、いろんなところでたびたび、人間のいない自然、人間のいない世界について書いていますね。(中略)
 人間のいない自然というものがある。 人間が見ない自然、人間を知らない自然。 人間が見れば、その瞬間にすでに見るということで人間が自然に関わるわけだでれど、ときとして、見ながらも、その見たことから、人間の関わらない自然の世界を直観することがある。 星野さんが語ろうとしていることは、そういうことですね。

星野 あのう、自分でもよくわからないんですが、子どもの頃からずっと、ある一つの映像みたいなものがあるんです。 昔、北海道に対して強く憧れていたとき、開拓時代のことを書いた本なんかを読んでいて、北海道にクマがいるということをすごく不思議に思ったことがあった。 思ったことがあったというより、そんなふうに思い続けていた時代があったんです。
 自分が本を読んでいるそのとき、あるいは東京で電車に乗っているとき、同じ時間に、北海道のどこかの山の斜面を、クマが歩いている。 確実に。 当たり前のことですよね。 でも、北海道の遠さとかクマという動物の大きさがごっちゃになって、そういうヘンな感じをもったと思うんですが、今自分が生きている瞬間に、日高なら日高の山のなかで、クマが呼吸していたり、歩いたり、木をとび越えたりしている。 それをすごく不思議なことのように思った時代というのがあるんですよ。 そして、子どもじみた考えなんですけれども、自分がまったくいない、消えた状態で、上からそっとでもいいから、山のなかを歩いているクマを見てみたいなあ、と思った。 今この瞬間、クマは自分とは関係なく、どこか山のなかを歩いている。 それを見たい。 でも自分がそこにいたら、もう出会っちゃっているのだから、自分のいない状態でのクマは見られない。 その自分のいないときのクマの映像を見てみたいという憧れがあって、そんなふうに思うと、なにか現実の世界が漠々としたものに思われてくる。 ……なんだか子どもじみた、それだけの話なんですが。 でも、そんなことが、自分が自然というのは本当に面白いなと思う、最初のきっかけだったんですね。

淡々と語られているが、このような感じ方が星野さんのすごいところだと思う。
星野さんの写真とエッセイの底に、通奏低音のように流れる自然観である。
自然観というよりも、地球観、宇宙観とでも呼びたいような、スケールの大きな感覚。


北海道のヒグマの本からはじまって、こんなところまできてしまった。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008年6月21日 (土)

【読】星野道夫さんとクマ(続)

Hoshino_coyote_no2「coyote」 №2 2004.10.8
  特集 星野道夫の冒険
 株式会社 スイッチ・パブリッシング

この中に、「星野さんへの質問箱」 というページがある。
星野さんは、このように質問に答えている。

 クマに出合ったらどうすればいいんですか?
 そうですね。 それこそがアラスカにおける永遠のテーマの一つだんだけれども、誰も正しい答えは持っていないんですよ。 でも僕が思うのは、みんな、二つの間違いを犯すケースが多いんです。 一つは怖がりすぎるということ。 クマと出合った時に、やっぱりクマも怖いわけだからとっさに判断するわけですよね。 怖いから襲うか、怖いから逃げるかって。 そういう時にこちらが落ち着いていると、クマにもそういう気持ちが伝わると思うんです。 (後略)

この雑誌はとてもすばらしいのだが、引っ張り出してきたのにはわけがある。
今日、近くの図書館から、星野さんへのインタビューの本を借りて、読んでいるのだ。
ぐいぐい引き付けられる内容で、今日中には読み終えるだろう。

Hoshino_yukawa_interview『終わりのない旅 星野道夫インタヴュー』
  ― 原野に生命の川が流れる ―
 湯川豊 スイッチ・パブリッシング 2006.8.22

このインタビューは、1994年2月、星野さんが帰国していた折に二回にわたって行なわれたもので、「Switch」 同年7月号に掲載され、星野さんの死後、『表現者』 という本に収録されたものだ。
「Switch」 は持っていないが、そういえばこんな雑誌があったな、と思いだしたのが上の 「coyote」 だ。


Hoshino_hyougensha1Hoshino_hyougensha2『表現者 星野道夫』
 株式会社 スイッチ・パブリッシング
 1998.9.10
何年か前、星野さんのことを知った当時、立て続けに読んだ本のなかの一冊。
図書館から借りて読んだのだが、深く感銘をうけ、その後購入。

湯川豊さんは、文藝春秋社の編集者だった人で、星野さんと親交があったそうだ。
星野さんの 『旅をする木』 (文藝春秋社) は、湯川さんが編集者だったときに、「原稿を書くのにまとまった時間をつくるのがむずかしい、といった彼に、僕(という読者)に宛てた手紙を書くかたちにしたら、と勧め」、「三部に分かれているうちの(I)の部分は、その手紙がそのまま収録されている」 という。
(『終わりのない旅 星野道夫インタヴュー』 はじめに/湯川豊)


ということで、いま読んでいるインタビューは、私には再読のはずだが、胸にしみる会話である。
巻末に、池澤夏樹さんの一文があるが、その中で池澤さんはこう書いている。

<星野道夫が死んでもう十年になると聞かされて、ぼくは驚く。
だってあれはついこの間のことではなかったか。 (中略)
星野道夫はアラスカを自分の領域として選んだ写真家であり、行動的な思索者だった。 死んだ時、彼には写真と文章を通じて伝えるべきメッセージがあった。 その内容は決して単純明快なものではなく、一点の写真、一行の文章によって伝わる部分もあれば、彼のすべてを見てすべてを読んでも掴みきれないものもある。 (後略)>

<彼が遺した写真と文章は福音書によく似ている。 一行だけでも意味が深い一方で、ぜんぶを読んでもまだその全容は理解できないと思わせる。 繰り返しの多い、しかも強烈なエピソードに満ちた、フラクタルな文体。>

 (本書巻末 「星野道夫の十年」 池澤夏樹)


星野さんが遺したたくさんの写真、文章は、汲めども尽きない清冽な泉のようだ。



※ フラクタル fractal
 自己相似図形 小さな部分が全体の図形の縮小である図形
  (三省堂 コンサイス カタカナ語辞典 第2版)
いかにも池澤さんらしい理科系用語だが、星野さんの文体の特徴をよくあらわしていると思う。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2008年6月20日 (金)

【読】星野道夫さんとクマ

めずらしく四日間で読みきった本。
それほど、引き込まれる内容だった。

Anezaki_kuma『クマにあったらどうするか』
  ― アイヌ民族最後の狩人 姉崎等 ―
 聞き書き 片山龍峯 / 語り手 姉崎等
 木楽舎 2002年

最終章(第八章 クマの生きている意味) 、とつぜん星野道夫さん(写真家、故人)の文章が引用されていて、はっとした。

以下、引用と孫引きばかりでちょっと気がひけるが。
(原文の漢数字はアラビア数字に置き換えた)

<本書 315ページより>
 姉崎さんは、2001年6月に、長い間持っていた銃を手放した。 (中略)
 12歳から77歳まで65年間にわたって狩人として生きてきた姉崎さんは、鉄砲を手放した今、ヒグマをどのように思っているのだろうか。 そして、ヒグマが生きている意味をどう考えるのだろうか。 アラスカでクマをはじめ野生動物と自然を撮ってきた写真家の故星野道夫氏は、クマの生きている意味について次のように述べている。
「もしもアラスカ中にクマが一頭もいなかったら、ぼくは安心して山を歩き回ることができる。 何の心配もなく野営できる。 でもそうなったら、アラスカは何てつまらないところになるだろう」
「人間は常に自然を飼いならし、支配しようと考えてきた。 けれども、クマが自由に歩きまわるわずかに残った野性の地を訪れると、ぼくたちは本能的な恐怖をいまだに感じることができる。 それはなんと貴重な感覚だろう。 これらの場所、これらのクマはなんと貴重なものたちだろう」
(『ベア・アタックス』) と。 この文章を読んだとき、姉崎さんならば、クマが生きている意味をどのように考えるのだろうか、無性に聞いてみたくなった。


星野道夫さんが書いたか、語ったものの中で、私の記憶に強く残っているエピソードがある。
正確ではないかもしれないが、星野さんが高校生の頃、電車のつり革につかまって、ぼんやりと北海道のヒグマのことを思っていたという、そのような話だ。
都会の電車の中で、じぶんは今こうしているけれど、同じときに、北海道の広大な山中をヒグマがゆっくりと自由に歩きまわっている……。

このイメージが、私には鮮烈だった。
星野さんはそういう少年だったから、アラスカの広大な自然を、じぶんのフィールドに決めたのだと思う。

姉崎等さんという、和人を父に、アイヌ女性を母にもった根っからの猟師は、生き方こそちがっているが、星野道夫さんの考え方に通じるものをもっている。


もう一箇所、この本のあとがきで、星野道夫さんの文章が引用されている。


<本書 338ページより>
 私たちヒトは望むと望まざるにかかわらず、これからも野生の生きものたちの性格を変えてしまうほどの重大な影響を及ぼしながら進化の道を歩むことになる。 そのことを考えると、私たちヒトは、他の生きものたちから生き方を問われているのだと思い知るのである。
 一方、私たちヒトもクマがこの世界に存在することで大きな影響を受けている。 写真家の星野道夫は、
「アラスカの自然を旅していると、たとえ出合わなくても、いつもどこかにクマの存在を意識する。 (中略) クマの存在が、人間が忘れている生物としての緊張感を呼び起こしてくれる」 (『星野道夫の仕事 第3巻』) と延べている。


思わぬところで、星野道夫さんの世界とつながった本だった。
ひさしぶりに、星野さんが残した美しい文章に触れたくなった。

Hosihino_books1_3Hosihino_books2
 

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008年6月19日 (木)

【読】待ちきれずに買った本

フトコロがいちばんさびしい時期なのに、給料日まで待ちきれずに買ってしまった。
船戸与一の待望の一冊と、思いがけない新訳本。

Funado_manshu4船戸与一 『満州国演義4 炎の回廊』
 新潮社 2008.6.20

週刊新潮連載の歴史長編、第四部。
これで終わりではなく、まだ続編があるようだ。

「刊行するたび中毒者続出! 未曾有のスケールで紡ぐ満州全史、怒濤の書き下ろし830枚」 と、帯にある。
敷島家四兄弟が主人公。
長男 太郎は外交官、次郎は馬賊、三郎は憲兵大尉、四郎は武装移民。
彼らは作者が創造した架空の人物だが、背景は実録である。

ずっと前に読んだ 『蝦夷地別件』 も、血沸き肉踊る力作だったが、この小説もすごい。


Isabella_bird_nihon1Isabella_bird_nihon2『イザベラ・バードの日本紀行』 上・下
  イザベラ・バード 時岡敬子 訳
 講談社学術文庫
 2008/4/10・2008/6/10

このての本は、油断していると書店から姿を消すので、いまのうちに手に入れた。
『日本奥地紀行』 (平凡社東洋文庫/平凡社ライブラリー) の原典の完全版。
これまで翻訳されていなかった関西旅行記も読める(下巻)。

― 本書の帯より ―
イザベラ・バードが日本について記したことのすべて
 原典初版本に基づく、新訳による完全版 挿画も全点収録 (上巻)
北海道内巡行から一転、バード、関西へ! (下巻)

イザベラ・バード (イザベラ・ビショップ) Isabella L. Bird (Isabella L. Bishop)
1831-1904 イギリスの女流旅行作家。 イギリス王立地理学会特別会員。 1881年、結婚によりビショップと改姓。 世界の広範な地域を旅行し、その旅行記はどれも高い評価を得ている。 『朝鮮紀行』 をはじめ著書多数。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2008年6月17日 (火)

【読】クマにあったらどうするか(続)

昨日、この本のタイトルをまちがえて書いてしまった。
クエスチョンマークは、いらなかった。

Anezaki_kuma『クマにあったらどうするか』
 ― アイヌ民族最後の狩人 姉崎等 ―
 木楽舎 2002年

今日から読みはじめたのだが、とても面白い本だ。
「クマに会ったら……」 というのは、この本の章題のひとつだが、内容はもっと幅広い。
根っからの狩人が、インタビューに答えるかたちで、山歩きのこと、クマや山の動物たちのことを語る。

こういう生き方もあるのだな、と感心する。
猟のための山歩きを長年続けた人だが、学ぶところが多い。

姉崎さんは、山を歩くときに余分なものを持たない。
米、塩、飯盒、ナイフ、ナタ、ノコギリ、細引き、かんじき、マッチ、小さなリュック、それに 「エキムネクワ」 という木の杖、それぐらいだ。
衣類も、いたって素朴なものだ。
着更えも持たないというし、手袋は軍手一足だけ。

とうぜん、山の中では簡単な小屋がけをするか、野宿。
マッチだけで火をおこし、山の中でとったものを食べる。
焚き火のやり方だけでも、そのあたりのヤワな 「サバイバル書」 より、よほど役に立つノウハウが満載。
山は、本来、こういうふうに歩くものなのだな。

毎日、都会の喧騒の中で生活していると、この人のような素朴な山歩きが懐かしくおもわれる。
読んでいて、元気がでてくる本だ。


第一章 こうしてクマ撃ちになった
第二章 狩人の知恵、クマの知恵
第三章 本当のクマの姿
第四章 アイヌ民族とクマ
第五章 クマに会ったらどうするか
第六章 クマは人を見てタマげてる
第七章 クマと共存するために
第八章 クマの生きている意味


ちなみに、インタビュアーの片山龍峯さんは、3枚組CD 『アイヌ神謡集をうたう』 の監修者。

【参考】
 2007年9月11日の記事
 【読】アイヌ神謡集
  http://yamaoji.cocolog-nifty.com/blog/2007/09/post_3d54.html

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年6月16日 (月)

【読】クマにあったらどうするか

タイトルは、これから読んでみようとしている本の題名。

Anezaki_kuma『クマにあったらどうするか』
  ― アイヌ民族最後の狩人 姉崎 等 ―
   語り手 姉崎 等
   聞き書き 片山龍峯
 木楽舎(きらくしゃ)
 2002年4月5日 初版第一刷
 2002年5月8日 第二刷

 ジュンク堂書店のサイトより
  http://www.junkudo.co.jp/detail2.jsp?ID=0102301307

だいぶんまえに BOOK OFF でみつけて、面白そうだと思い、買ってあった本だ。

砂沢クラさんの 『ク スクッ オルシペ』 (徳間文庫)を、長い日数をかけてようやく読みおえた。
クラさんの伴侶、砂沢友太郎さんは、生涯に百数十頭のクマを獲ったという。
友太郎さんは昭和42年(1967年)に亡くなっているから、私が子どもだった頃、まだ熊猟がおこなわれていたのだ。
ちょっと驚きである。
山中で、きちんとクマ送りをしていたことにも驚いた。

これから読もうとしている本の、姉崎等さんは、こういう人らしい。
(本書巻末より)

語り手 姉崎 等 (あねざき・ひとし)
1923年(大正12年)北海道生まれ。
アイヌ民族最後のクマ撃ち猟師。 3歳のときに鵡川から千歳に移り、母方のアイヌ民族の集落で暮らしながら猟を覚える。 12歳から村田銃で狩猟を始める。 22歳からクマ撃ちを単独で始め、25年間で40頭、集団猟を入れると60頭を獲る。 1990年、春グマの狩猟禁止とともにクマ猟をやめ、以後、ヒグマ防除隊の相談役、ついで副隊長を務める。 その間、北海道によるヒグマのテレメトリー調査に協力。 2001年6月、銃を手放し、65年間に及ぶ狩猟人生に区切りをつける。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008年6月15日 (日)

【読】気になる本

ほとんど新聞というものを読まないが、今日の朝日新聞読書欄で発見。

これは手に入れたい。
いつ読めるかわからないけれど。

Isabella_bird_nihonkikou_1Isabella_bird_nihonkikou_2イザベラ・バードの日本紀行(上)
イザベラ・バードの日本紀行(下)


著者: イザベラ・バード
翻訳者: 時岡敬子
発行年月日:2008/04/10,2008/06/10
講談社学術文庫


【講談社のサイト記事】
http://shop.kodansha.jp/bc2_bc/search_view.jsp?b=1598716
http://shop.kodansha.jp/bc2_bc/search_view.jsp?b=1598724

イザベラ・バードが日本について記したことのすべて
原典初版本に基づく、新訳による完全版
挿絵も全点収録


【朝日新聞 2008.6.15 書評欄より】
1878(明治11)年、二本に来た英国人女性イザベラ・バードが内陸ルートで北海道へ、続いて関西へ、旅をした紀行文の新訳・完全版。……


『日本奥地紀行』 (高梨健吉訳/平凡社ライブラリー) として出版されている旅行記の完全版である。
これは気になる。

Isabella_bird
日本奥地紀行
平凡社ライブラリー 329
イザベラ・バード/著 高梨健吉/訳 
出版社名 平凡社
出版年月 2000年2月

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年6月14日 (土)

【楽】ふしぎなことば れるびい

♪ いつでもかみさまが みつめているよ
 だからなかないで れるびい
  そうさ かみさまが きっとわらっているよ
 なみだをおふきよ れるびい …… ♪
         (上々颱風 Let it be)

上々颱風 シアターLIVE! 2008
  シャンシャンと行く スチャラカ世界音楽紀行
 6/14(土) ―火の国―
  開場 18:30 開演 19:00
 6/15(日) ―風の国―
  開場 15:30 開演 16:00
 世田谷パブリックシアター (三軒茶屋)


Shangshang_setagaya_20080614

初日の今日、行ってきた。

上々颱風版 「Let it be」 (れるびい)の歌詞にならって言えば、「不思議なバンド、上々颱風」。
いつも、満ちたりた幸せな気分になって、ライブから帰ってくる。

今回の二日間公演は、日替わりで曲目を変えるという。
明日も楽しみではあるが、さすがに二日続けて行けない。
私の個人的なフトコロ事情からだが……。

宣伝の一助になるかもしれないので、せめてチラシを載せておこう。
七夕ライブ(7/5 花園神社)と、9/20のおもしろそうなライブのチラシも入手。
花園神社は、いまから楽しみだ。

Shangshang_setagaya_2008Shangshang_tanabata_2008Shangshang_katsushika_2008

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008年6月13日 (金)

【楽】「上々颱風8」と「闇を掘る」

明日は恒例の世田谷ライブ(上々颱風)なので、気分がもりあがっている。
きょうは、思い出話を書く。

ひさしぶりに、「上々颱風8」という8年前のアルバムを聴いた。

Shangshang8_1Shangshang8_2上々颱風8
 2000.6.21 発売 YW-S001

いいアルバムだと、あらためて思う。
退団前の後藤まさるさんと、吉田よしみさん、それに、今は亡きHONZIさんが参加している。

収録曲
しびれMambo/夏のバチ当り(罪とバチ '69)/ハラホロの涙―GREAT JOURNEY 2001―/GHETTO BLASTER/海鳴りの丘/FANTASY/恋の卍固め/平和が戦車でやって来る/紺碧の空/ものみな歌に始まる

硬軟とりまぜて、絶妙な配曲。
「硬」――ハラホロの涙、GHETTO BLASTER、平和が戦車で…、ものみな歌に始まる、あたりか。
「軟」――しびれMambo、夏のバチ当り、FANTASY、恋の卍固め、あたり。
その他の曲(西川郷子さんが歌う、海鳴りの丘、紺碧の空)は、「柔」という感じ。

「ものみな歌に始まる」 の詞は、じつにリリカル、すばらしく詩的である。

♪ Ahh すべては歌に 歌に始まる
  Ohh はやく降りて来い 祭りの風よ … ♪
                    (作詞・作曲:紅龍)


上々颱風を聴きはじめたのは、2001年の春頃だった。
当時、このアルバム「8」と、2000年9月に藤沢市(神奈川県)の遊行寺境内でおこなわれたライブを収録した 「上々颱風パラダイス ライブ!」 を含めて、9枚のアルバムが出ていた。

一枚ずつ、CD店で買い求め、夢中になって聴き続けた。
アルバムごとに、感動・発見があった。

そして、この年(2001年)、7月の新宿花園神社 「七夕ライブ」、8月の真鶴海岸、10月のインストア・ライブ(新宿 タワー・レコード)、10月20日の遊行寺ライブと、立て続けにライブに行った。
なつかしい思い出である。


ところで、「闇を掘る」 という16ミリ映画があった。
2001年11月3日、東中野の小さなホールで自主上映を見た。
チラシをたいせつにとってあるので、載せておこう。

「ものみな歌に始まる」 という歌は、この映画の舞台でもある炭鉱町で生まれた。

こういう映画である。

― 朝日新聞 2001年11月11日 記事より ―
北海道の炭鉱に生きた人々を追ったドキュメンタリー映画 「闇を掘る」 (藤本幸久監督) =写真=が、東京都内で上映中だ。 事故で仲間を亡くし、閉山で仕事を失っても、消えることのない 「ヤマ」 への愛着を、5年がかりで記録した。 /映画は、閉山後の炭鉱マンたちの暮らしを見つめ、それぞれの心の中に生きる炭鉱の姿を描く。 (中略) 太平洋炭鉱(釧路市)の採掘現場や、戦前に日本が開発し朝鮮人労働者が強制連行されたロシア・サハリン州の炭鉱も取材した。 ……


【参考サイト】
goo映画 闇を掘る
 http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD32724/
上々颱風official website
 http://www.mandicompany.co.jp/sst/sst_top_.html
Beats21 上々颱風(紅龍、白崎映美)
 2001.3.22 インタビュー記事
 http://www.beats21.com/ar/A01032203.html


Yami_wo_horu_asahi20011111_2Yami_wo_horu_1Yami_wo_horu_2 
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年6月11日 (水)

【読】胸にしみる本

数日前にこのブログで紹介した本を読み続けている。

Sunazawa_kura砂沢クラ 『ク スクッ オルシペ』
  ― 私の一代の話  ―
 福武文庫 1990.2

明治30年(1897)、北海道旭川市近文のコタンに生まれた砂沢クラさんが、みずからの生い立ちを綴ったもの。
明治末から大正にかけて、北の大地で生活していたアイヌの人々の暮らしぶりがよくわかる。
写真・図版(クラさん自身の手になるスケッチ)が多数収録されていて、とてもいい本だ。

クラさんの文章が自然体で、ひとつひとつのエピソード(苦労話が多い)が胸にしみる。

目次から抜粋。

第1部 神々と共に
 初めて山のクマを見た/山で生まれ、山で育つ/……アイヌ語で賛美歌を歌う……
 和人の小学校に入学/日露戦争、ウタリの苦しみ/和人に土地を追われる
第2部 旧土人と呼ばれて
 マサ小屋で次々死ぬ/父、士別の山で死ぬ/……アイヌ学校へ通う……
 精華女学校で裁縫を習う/金成マツさんとユーカラ/知里幸恵さんのこと……
第3部 伏古コタンの日々
 ウェンモシリの伝説/オクスツウンクルの血統/……草小屋で長男生まれる……
 コタン消滅する
第4部 安らぎのトチを求めて
 奈井江の山に入る/夫呪われ、クマ送りする/チャランケの血統と言われる……
 真志保さんにアイヌ語を教える……添牛内から安住の地、芦別へ
第5部 文化伝承の日々
 家を建て、孫を呼ぶ/川岸・四季の暮らし/……白金温泉でユーカラ演ずる……
 幸せな暮らしに涙

本文 348ページ。
巻末に、年譜(クラさんの暮らしと同時代史)、系図(記録に登場する親族の系図)、クラさんの歩いた道(北海道の絵地図)、あとがき(北海道新聞社社会部 深尾勝子)、文庫のためのあとがき(同左)、がある。

親本(単行本)は、昭和58年(1983) 北海道新聞社から刊行されている。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2008年6月10日 (火)

【歩】杏’s cafe

一昨日の続き。
地元の小平市にある、杏仁豆腐専門店のはなし。

0806090001杏仁豆腐専門店
   杏’s cafe (アンズカフェ)

 小平市花小金井南町2-17-5
  (花小金井駅南口せいぶ通り)
 http://www.ans-cafe.com/

本格的な杏仁豆腐を、実際に食べることができた。
じつに美味しい。

いわゆる杏仁豆腐は、牛乳をベースにアーモンドエッセンスで香りをつけたものが多いらしいのだが、ここでは、杏仁――アンズの種を割って出てくるナッツのような部分、漢方薬「キョウニン」の原料――を使い、手間ひまかけて作っている。

この店は、中国料理店の料理人を7年つとめた店主(31歳と、まだ若い)が、2006年11月にオープンしたそうだ。

12種類の杏仁豆腐を販売しているが、なかでも 「極(きわみ) 杏仁豆腐」 (やわらかめと、かための2種類がある) は絶品。

店主のお話をうかがったが、一日にそれほどたくさんは作れないらしい。
電話予約、電話注文可。
配達もしてもらえるようだ。

店内で食事もできる。
一階はカウンターだけでさほど広くないが、二階が貸切もできるスペースになっていて、予算に応じて料理を考えてもらえるという。

ランチメニュー(550円)は、何種類かあって、これも美味しかった。
各種中国茶もあり。
とても感じのいい店だった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年6月 8日 (日)

【遊】杏仁豆腐専門店「アンズカフェ」

今日の朝日新聞・多摩版で、また家人がみつけた記事。

朝日新聞 多摩版 2008.6.9(日) ぐるたま
 上品で優しい甘みがほろり
  杏’s cafe 「極 杏仁豆腐」

 【参考】 asahi.com:マイタウン多摩
  http://mytown.asahi.com/tama/

Asahi_shibun_080608杏’s cafe (アンズカフェ)
 小平市花小金井南町2-17-5

本格的な杏仁豆腐の専門店。
こういう店が近くにあることを知らなかった。

小平には、おもしろい店が多い。

昼過ぎに行ってみたら、この新聞記事のせいか、完売していた。

こんど、はやめに行って買ってみたいと思う。
おいしそうな杏仁豆腐だ。



0806080001_20806080002_2Anzu_cafe_20806090003

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年6月 7日 (土)

【遊】とうふ・ゆば「お鷹の道」

近くの 「新小金井街道」 (五日市街道と交差して南北に通る) 沿いに、この店がある。

とうふ ゆば 専門店 お鷹の道
 小金井市貫井南町 2-7-10

以前から気になっていたので、先日はじめて立ち寄ってみたところ、とてもいい店だった。
知人に宣伝してまわっている。
今日も車ででかける用があったので、ここに寄ってみた。

ビルの一階にあるこぢんまりした店。
店番は、男性か女性が一人。
感じのいい人だ。
豆腐は店舗の奥で作っているようだ。

手盛り豆腐、油揚げ(一味入り手揚げ油揚げ)が気に入っている。
豆腐ハンバーグもおいしい。
きょうは、油揚げ、厚揚げ、豆乳入りパウンドケーキを買った。

08060700030806070005_2Tofu_otkanomichi店の裏手に、大澤神社というのがあった。
アジサイが咲いていた。

08060700110806070007     

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【読】いよいよ第4巻発売

船戸与一 『満州国演義』 第4巻が、近日発売らしい。

新潮社のサイトより
炎の回廊―満州国演義4―
http://www.shinchosha.co.jp/book/462305/


Funado_manshu1Funado_manshu2Funado_manshu3











【以下、リンク先はいずれも新潮社のサイト】

風の払暁―満州国演義1―

 http://www.shinchosha.co.jp/book/462302/
事変の夜―満州国演義2―
 http://www.shinchosha.co.jp/book/462303/
群狼の舞―満州国演義3―
 http://www.shinchosha.co.jp/book/462304/


あるていど大きな図書館には置いていると思う。
私は、この著者の 『蝦夷地別件』 がいちばん好きだが、『満州国演義』 も、ちからの入った大作だ。


『蝦夷地別件』 (新潮文庫 3冊)
蝦夷地別件〔上〕
 http://www.shinchosha.co.jp/book/134313/
蝦夷地別件〔中〕
 http://www.shinchosha.co.jp/book/134314/
蝦夷地別件〔下〕
 http://www.shinchosha.co.jp/book/134315/

下の画像は、ハードカバー版
(1995年 新潮社 上下2巻)

Funado_ezochi_bekken1Funado_ezochi_bekken2

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年6月 5日 (木)

【読】ク スクップ オルシペ

アイヌ語の発音にできるだけ近いカナ表記では、ク スク オルペ。
本の表題もこれに近い。

萱野茂 『アイヌ語辞典』 によると、ku(私) sukup(成長する、育つ、若い) or-us-pe(噂話) というほどの意味らしい。

「私の一代の話」 という日本語の副題がついている。

Sunazawa_kura砂沢クラ 『ク スクッ オルシペ 私の一代の話』
 福武文庫 1990.2.20  365ページ
 (親本 1983.10 北海道新聞社)

砂沢クラさん(明治30年/1897~平成3年/1990)が、87歳のときに、それまで二冊のノートに書きためてあった文章が北海道新聞に連載され、その後、本になったもの。

今日から読みはじめた。
一話一話がほどよい長さで、読みやすい。
クラさんの描いたたくさんの挿絵も、親しみやすくて、いい。
明治末の北海道のアイヌの人々の生活ぶりがよくわかって、私には、ひとつひとつのエピソードがとても興味深い。

この本の中に 「知里幸恵さんのこと」 という文章がある。
知里幸恵さんは、クラさんより五つ、六つ年少で、「小柄でしたが、お父さんの高吉さんに似て、とてもかわいい顔をしていました。 頭がよく勉強家で、本をたくさん持っていて、小説を読むのが上手」 だったという。

当時、知里幸恵さんは、伯母の金成マツさんの養女として、旭川(近文)で暮らしていた。
のちに、幸恵さんの弟の真志保さんも、同居することになる。

「真志保さんにアイヌ語を教える」 という文章もある。
そういった興味ぶかいはなしが、この本にはぎっしりつまっていて、先が楽しみだ。

ちなみに、絶版。
私はネット販売で古本を購入した。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2008年6月 4日 (水)

【読】読了

このごろ、本を読む速度がでないので、一週間以上かかってようやく読了。

Kitamichi_ainugo_chimei北道邦彦 著 『アイヌ語地名で旅する北海道』
 朝日新書 103  2008.3.20

いつか、北海道をゆっくり旅すること日が来たなら、その時は、この本と地図を片手にまわろうと思う。
新書サイズながら、驚くほど中身は濃い。
アイヌ語地名研究者は数多いが、知里真志保や山田秀三らの業績を引き継いで、綿密な考察を続ける、この本の著者はすごいと思う。
この人が編集した知里幸恵さんの遺稿が手もとにあるので、いつか読んでみたい。
(ずいぶん前に書店でみつけて、衝動的に買ったものだ)

さて、明日からどんな本を読もうかな。

(左から)
『注解 アイヌ神謡集』
 知里幸惠 著訳 / 北道邦彦 編注
『知里幸惠の神謡 ケソラの神・丹頂鶴の神』
 北道邦彦 編訳
『知里幸惠の ウウェペケ(昔話)』
 知里幸惠 著訳 / 北道邦彦 編注・補訳
いずれも、北海道出版企画センター

Kitamichi_ainu_shinyou_2Kitamichi_kesorappuKitamichi_uwepekere

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008年6月 3日 (火)

【楽】ライブのご案内

こんどの日曜日、西荻窪の 「CLOP CLOP」 というライブハウスで、須藤もんさんと対馬照さんも出演するライブがあります。

Nishiogi_20080608_32008年6月8日 (日)
 「初夏の中央線 西荻でパァ-ン!?」


(西荻窪)  「CLOP CLOP」
JR西荻窪駅 南口 3分
(杉並区松庵3-39-11-B1)
TEL 03-5370-2381
19:00~  1,500円 (ドリンク別)
出演  ル・オ-ドム-ゲ  チャールズ・アルマン
     LIGHT HEAZ  須藤もん with 対馬照



CLOP CLOP

 http://www.clopclop.jp/

以上が、須藤もん公式サイト
 http://homepage2.nifty.com/sudomon/
での告知内容。

私も行きたいのはやまやまだけれど、ちょっと都合がつかないかもしれない。
玉井さんがいよいよバンドを結成したようです。
たくさんの方のお越しをお待ちします。

以下、玉井まさじさん からのご案内。
安田尚哉って、あの「やっさん」か?

===============================================================
6/8(日)西荻窪ClopClop(クラップ)
開場18:30 開演19:00
西荻でパァ~ン!Vol,1
出演
LE EAUDEMUGE (ル・オードムーゲ)
 玉井(Vo,AG,Acc)
 秋山(B)
 梅地(EG)
 矢島(AG,EG,mandlinn)
 赤坂(Dr,Cho)
 マイナス吉川(Vo,Percc,Harp)
チャールズ・アルマン(アメリカ人です)
ライトヘッド(EX,レイジーヒップ、沢田研二&エキゾチックスの安田尚哉のBand)
須藤もん&対馬照
===============================================================


【2008.6.4追記】
ライブチャージについては、微妙に金額の情報がちがっているので、詳細確認中です。
わかり次第、このブログでお知らせします。

【2008.6.4夜追記】
ライブチャージについては、須藤もんサイトに掲載している内容が正しいようですが、お店のサイトも含めて、内容がまちまちですので確認中です。
よく確認せずに引用しましたことを、お詫びします。


【2008.6.6追記】
ライブチャージは、この記事の冒頭にあるとおりです。
須藤もん公式サイトに掲載している内容で間違いない、という確認がとれました。
(このブログ記事の下部で引用していた部分の料金記載は、削除しました)

| | コメント (4) | トラックバック (0)

【楽】チケット到着

7月19日、新宿花園神社での山崎ハコさんのライブ。
前売りチケットが届いた。
うれしい。

山崎ハコ LIVE in 花園神社
●2008年7月19日 (土) 午後3時開演
●木戸銭:3000円  ●新宿花園神社・椿組テント
主催:椿組

この日はライブだけだが、椿組の芝居 「新宿番外地」 もおもしろそうだ。

椿組のサイト 「椿のこや」
http://homepage2.nifty.com/tubakigumi/

Hako_live_080719_ticket








Shinjuku_bangaichi_1Shinjuku_bangaichi_2   

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年6月 1日 (日)

【楽】よなは徹

「よなはとおる」 という人のCDがほしい、と家人が言う。
ラジオで紹介されていたのを聴いて、CDでぜひ聴いてみたいというのだ。

私は、あいにくこの人を知らなかったが、ネット検索してどういう人かわかった。

今日、ちょうど有楽町のJALプラザに用があったので、その帰りに、二人で銀座1丁目にある 「わしたショップ」 (沖縄県物産公社) に寄った。
ここは一階が食品関係、地下に三線や酒類、衣類、置物などの沖縄物産とともに、CDや書籍もたくさん置いている店だ。

わしたショップ |沖縄県物産公社
http://www.washita.co.jp/index.html

この店でCDを二枚購入。
(家人が一枚、私がもう一枚)
他に、家人は気に入った 「かりゆしウェア」 (琉球ブラウスというのか)を、そして、二人共通の買物として、琉球の布地を買った。 テーブルクロスとして使うために。

帰ってきて、さっそくテーブルに広げてみたら、部屋の中がぱっと明るくなった。
よなは徹さんのアルバム 『宴~Party』 も、いま聴いている。
すごいな、やっぱり沖縄音楽の層の厚さは。
はじめて聴く歌ばかりだが、ごきげんだ。
抵抗なく沁みこんでくる、なつかしい響きの音楽。
いつのまにかからだが踊る躍動感。
これが、たまらない。

今日もまた、いい音楽に出会った。

08060100260806010029Washita_shop_2













Yonaha_tooru_partyよなは徹 『宴~Party』
 2007.12.19 ismusic QACI-30009
発売元:株式会社イズム
販売元:コロンビアミュージックエンタテインメント株式会社

収録曲
涙そうそう/夜明け/二十九の春/元気でいますか?/桜東風/誇らさよ/赤ゆら/エイサーシンカ/北谷遊びジマ/夢ぬ如に/誇らさよ~島うたmix

よなは徹 (CDの帯より)
琉球古典・島うた界において、数々の資格と受賞歴を持ちながらも、自由な感性で独自のスタイルを追求し続ける唄者・よなは徹。 脈々と受け継がれてきた沖縄の歌を斬新なアレンジで表現し、乾いた三線(さんしん)の音色にのせて力強くも切々と歌い上げる。
伝統と現代の究極の融合、ぜひお聞きください。


こんなライブも予定されているらしい。
「わしたショップ」 にチラシがあった。
私は行けないけれど。

Yonaha_flier1Yonaha_flier27月16日(水)
代官山 「晴れたら空に豆まいて」
http://www.mameromantic.com

コザ・ミュージックタウン一周年記念
「コザの入り口」
前川守賢、よなは徹

このチラシにも紹介文があるので、上と多少重複するが、引用しておく。
よなは徹
1976年、沖縄本島・北谷町生まれ。 唄者(うたしゃ)である父の影響を受け、3歳から三線と琉球舞踊を始める。/琉球古典音楽野村流教師(三線)、国指定重要無形文化財 「組踊」 伝承者など様々な資格やjy章歴を持つ一方で、津軽三味線やポップスなど他分野のアーチストとの共演にも積極的に取り組み、唄三線の新しい世界を切り拓いている。 地元・北谷ではエイサーの地方としても活動。/2007年12月、スピッツやモンゴル800といったメンバーも参加し、Jポップ・フィールドへのアプローチを見せた意欲作 『宴』 を発表。……


琉球・沖縄圏からは、これからもこういう若者が次々とでてくると思う。
日々の暮らしのなかに音楽が根づいているから、子どものころから三線や唄に慣れ親しんだ若い世代がたくさんいるのだろう。
まさに、音楽の宝庫なのだ。


私が、これはいいに違いないと購入したもう一枚のアルバムも、なかなかいい。
優れたアルバムは、ジャケットが内容を物語るものだ――これが私の持論だが、こんども期待を裏切らなかった。


Yonaha_uchna_warabeutaよなは徹プレゼンツ 『ウチナーわらべうた』
 2005.9.21 RESPECT RECORD RES-101
収録曲
いったーあんまーまーかいが/花ぬ風車/赤田首里殿内/ウーマクマデー/三村節/いろはうた/大村御殿(別名 耳切り坊主)/ちんぬく じゅうしい/あがろーざ/わったちねー/童神(天の子守唄)/てぃんさぐぬ花/永良部の子守唄

よなは徹(三線・笛・島太鼓)
玉栄政昭(ピアノ)
内里美香・仲村奈月・上間綾乃(歌・三線)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【遊】さわやかな六月の朝

ひさしぶりに晴れたような気がする。
そろそろ梅雨のけはいが感じられるので、今日は貴重な晴れの一日。

雨あがりの澄んだ空気を吸いこみながら、自転車で近所のお茶屋さんまで行ってみた。
昨日、送付をお願いした商品の内容確認。

近所にある丸ポストの実物写真も撮ってきた。

新緑が目にあざやかだ。
いい季節になった。

0806010009_2 0806010010_2










08060100050806010012_20806010015080601002108060100160806010018

| | コメント (2) | トラックバック (0)

« 2008年5月 | トップページ | 2008年7月 »