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2008年6月22日 (日)

【読】星野道夫さんとクマ(続々)

星野道夫さんの魅力は、なかなか語りつくせないのだが、ちょうど今読んでいるインタビューの本に、探していた言葉がみつかった。

Hoshino_yukawa_interview『終わりのない旅 星野道夫インタヴュー』
 湯川豊  スイッチ・パブリッシング 2006.8

すこし長く引用する (本書 P.114-)。
星野さんの思想の核がよくあらわれていると思うので、彼の語り口をそのまま省略せずに引用してみる。

(湯川) さて、最後にひとつうかがっておきたいことがあります。 星野さんは、いろんなところでたびたび、人間のいない自然、人間のいない世界について書いていますね。(中略)
 人間のいない自然というものがある。 人間が見ない自然、人間を知らない自然。 人間が見れば、その瞬間にすでに見るということで人間が自然に関わるわけだでれど、ときとして、見ながらも、その見たことから、人間の関わらない自然の世界を直観することがある。 星野さんが語ろうとしていることは、そういうことですね。

星野 あのう、自分でもよくわからないんですが、子どもの頃からずっと、ある一つの映像みたいなものがあるんです。 昔、北海道に対して強く憧れていたとき、開拓時代のことを書いた本なんかを読んでいて、北海道にクマがいるということをすごく不思議に思ったことがあった。 思ったことがあったというより、そんなふうに思い続けていた時代があったんです。
 自分が本を読んでいるそのとき、あるいは東京で電車に乗っているとき、同じ時間に、北海道のどこかの山の斜面を、クマが歩いている。 確実に。 当たり前のことですよね。 でも、北海道の遠さとかクマという動物の大きさがごっちゃになって、そういうヘンな感じをもったと思うんですが、今自分が生きている瞬間に、日高なら日高の山のなかで、クマが呼吸していたり、歩いたり、木をとび越えたりしている。 それをすごく不思議なことのように思った時代というのがあるんですよ。 そして、子どもじみた考えなんですけれども、自分がまったくいない、消えた状態で、上からそっとでもいいから、山のなかを歩いているクマを見てみたいなあ、と思った。 今この瞬間、クマは自分とは関係なく、どこか山のなかを歩いている。 それを見たい。 でも自分がそこにいたら、もう出会っちゃっているのだから、自分のいない状態でのクマは見られない。 その自分のいないときのクマの映像を見てみたいという憧れがあって、そんなふうに思うと、なにか現実の世界が漠々としたものに思われてくる。 ……なんだか子どもじみた、それだけの話なんですが。 でも、そんなことが、自分が自然というのは本当に面白いなと思う、最初のきっかけだったんですね。

淡々と語られているが、このような感じ方が星野さんのすごいところだと思う。
星野さんの写真とエッセイの底に、通奏低音のように流れる自然観である。
自然観というよりも、地球観、宇宙観とでも呼びたいような、スケールの大きな感覚。


北海道のヒグマの本からはじまって、こんなところまできてしまった。

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コメント

星野さんとクマとの因縁というか、繋がりというか、とても不思議な符合のようなものを感じます。

自分が見えなくて、クマを見てみたいという感覚、すごく良く分かります。

そのように生き、そのように死ぬ。

北海道への憧れがアラスカへ飛んでいったのですね。

投稿: モネ | 2008年6月22日 (日) 09時29分

>モネさん
星野さんが残したメッセージはとても広くて深いので、人によっていろんな感じ方がありますね。
彼が生きているうちに、生の姿に触れられなかったのが私としては残念です。
北海道や八ヶ岳でも講演していたのですから・・・なにか、不思議な縁を感じます。

投稿: やまおじさん | 2008年6月22日 (日) 10時46分

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