【読】『ガダルカナル・ラバウル慰霊行』
古本屋の戦記コーナーでみつけた本。
私の最近のアンテナは、こういう本をキャッチするらしい。
今日、半分ほど読んだ。『ガダルカナル・ラバウル慰霊行』
蔭山次郎 東洋出版 1998.4.10 175ページ
著者 蔭山次郎という人は、「在香港企業社長にして文筆家」 と、著者略歴にある。
43歳の1993年1月15日にガダルカナル島へ行った、とあるので、1949年か50年生まれだろう。
そうすると、私とほぼ同年代である。
親しい友人二人とともに、ガダルカナル島、ニューギニア本島、ラバウルを訪れた記録。
著者が中学生のとき、同級生が図書館で見せてくれた太平洋戦争の写真集に衝撃を受けたことが、この「慰霊行」を思いたった下地になっていたらしい。
五味川純平の長大な戦記 『ガダルカナル』 ではよくわからなかった現地の様子を、たくさんの写真から現実のイメージとしてうかがい知ることができる。
太平洋戦争の写真集によく出てくる、一木支隊の将兵の死体が折り重なっている写真の戦場も、わかった。
この 「一木支隊」 は、旭川の第七師団歩兵第二八連隊を基幹に編成された部隊。
中国戦線から、ミッドウェー攻略の上陸部隊として呼び戻され、ミッドウェー海戦で敗退したために、急遽、ガダルカナルに派遣された。
二千余名、小火器しか持たないこの小部隊は、飛行場奪還の先遣隊として上陸したが、米軍の圧倒的な砲撃の前になすすべもなく全滅。
支隊長の一木清直大佐は自決した。
北海道の第七師団には、私に縁のある人も、もしかしたらいたかもしれない。
― 以下、Wikipediaより ―
鎮台を母体に編成された内地の常設師団とは異なり、第7師団は1885年(明治18年)に北海道の開拓と防衛を兼ねて設置された屯田兵を母体とし1896年(明治29年)5月12日に編成された。補充担任は旭川師管区で、北海道内を旭川連隊区・札幌連隊区・函館連隊区・釧路連隊区と4つに分けて徴募に当たり、北海道の兵士で構成される建前であるが、北海道は人口が希薄であった為1万の兵力は捻出できず、実際には東北地方出身の兵も加えられた。
なお、1940年(昭和15年)に編制が改正され、歩兵第25連隊を樺太混成旅団に転出して3単位師団となった。
1904年(明治37年)日露戦争に出征し、旅順攻略戦・奉天会戦に参加する。1917年(大正6年)から2年間満州に駐屯し、シベリア出兵に参加。1934年(昭和9年)と1936年(昭和11年)にも満州に派遣された。
その後も1938年(昭和13年)2月に関東軍の指揮下に入り満州に派遣、7月に張鼓峰事件が起きて出動、これは師団の交戦前に終結され、1939年(昭和14年)にはノモンハン事件でソ連軍と交戦する。しかし、第7師団は北辺の守りを担う重要師団であり、1942年(昭和17年)に一木支隊を編成しガダルカナル島に派遣したものの、師団本体は1941年(昭和16年)12月に北部軍隷下に置かれ、以後北海道に在り続け第二次世界大戦の終戦を迎えた。
| 固定リンク
「【読】読書日誌」カテゴリの記事
- 【読】朝鮮戦争・朝鮮分断の起源(2019.08.23)
- 【読】ノーマ・フィールド(2019.08.18)
- 【読】ぼちぼちいこうか総集編(2018年・読書編)(2018.12.27)
- 【読】飾りじゃないのよ書棚は――ひさしぶりに本の整理(2018.01.11)
- 【雑】紅梅、ほころぶ(2018.01.10)
「こんな本を手に入れた」カテゴリの記事
- 【雑】紅梅、ほころぶ(2018.01.10)
- 【歩】小春日和、図書館で過ごす(2017.11.29)
- 【読】ようやく読んだ「火花」(2017.03.17)
- 【読】長倉洋海さんと「アフガニスタン山の学校」(2017.02.23)
- 【読】年末にみつけた本(2016.12.31)
「こんな本を読んだ」カテゴリの記事
- 【読】朝鮮戦争・朝鮮分断の起源(2019.08.23)
- 【読】ノーマ・フィールド(2019.08.18)
- 【読】ぼちぼちいこうか総集編(2018年・読書編)(2018.12.27)
- 【読】イザベラ・バード『日本奥地紀行』を読む(2018.01.08)
- 【読】2017年に読んだ本(2017.12.30)
「あの戦争」カテゴリの記事
- 【読】朝鮮戦争・朝鮮分断の起源(2019.08.23)
- 【読】ノーマ・フィールド(2019.08.18)
- 【読】ぼちぼちいこうか総集編(2018年・読書編)(2018.12.27)
- 【読】雨の日、桜満開、通院、読書(2016.04.04)
- 【読】読書再開(2016.03.28)
コメント
蔭山次郎です。お読み頂き、ありがとうございます。一木支隊将兵が砂浜に折り重なって玉砕している写真を見てから、戦争について調べ始めましたが、やはり現地に行くべきと考え、この本の自費出版となった次第です。表紙の写真はラバウル国際空港のそばのジャングルの中で撮りましたが、一式陸攻ではなく、九七重爆ではないかと読者の一人に教わりました。ご父君が同地で搭乗されていたそうです。この機体は今では花吹山の噴火(96年ごろ?)で火山灰に半分ほど埋もれています。
投稿: 蔭山次郎 | 2009年4月30日 (木) 20時39分
>蔭山次郎 さま
私の拙い感想文へ、コメントありがとうございます。
執筆された方から直接コメントをいただき、恐縮しています。
自費出版とは存じあげませんでした。
いろいろなことを教わったご本でした。
投稿: やまおじさん | 2009年4月30日 (木) 21時38分