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2008年9月14日 (日)

【読】読了 『ガダルカナル』

どうしても読みおえてしまわなければ、気になってしかたがない本だった。
今夜、最期の数十ページをいっきに読んだ。

Gomikawa_guadalcanal五味川純平 『ガダルカナル』
 文藝春秋 1980年11月1日発行
(初出 「文藝春秋」 昭和54年8月号~55年8月号)

ガダルカナルの戦いと同じ頃、ニューギニア戦線にいた飯田進という人が、その著書 『地獄の日本兵 ―ニューギニア戦線の真相―』 (新潮選書)で、こう書いていた。

<何度パソコンのキーボードを打つ手を置いて、嘔吐(へど)の出そうな思いを抑えたことでしょう。>

私も、この 『ガダルカナル』 のおしまいの方で、(言葉は悪いが)「反吐の出そうな思い」 を味わった。
「戦争のはらわた」 と言うが、まさに、醜いはらわたを見た思いだ。

感じたこと、想ったことは、たくさんあるが、今は、この島で起きた事実に圧倒されて何も言えない。


ガダルカナルについて書かれた書物や、ネット記事で、よく紹介されていることがある。
この本でも、引用されているので(P.283)転載しておく。

<歩一二四連隊旗手小尾少尉の日記によると、このころアウステン山を死守していた日本兵の間では不思議な生命判断が流行したという。
 立つことの出来る人間は     寿命三十日間
 身体を起して坐れる人間は   三週間
 寝たきり起きられない人間は  一週間
 寝たまま小便をするものは   三日間
 もの言わなくなったものは    二日間
 またたきしなくなったものは   明日
(小尾靖夫 『人間の限界』 十二月二十七日の項)>



著者 五味川純平は、この長大な戦記を次のように結んでいる。

<死地にあった身を生きながらえた者が語りつがねば、米も食わずに戦ってぼろぼろになって死んだ男たちの死は、その理不尽とむごたらしさを、みずから語ることはない。 (中略)
 ガダルカナルに限らない、どれだけ夥しい青春がむざむざ使い捨てにされたか。 けれども、時が経ち、人は遂に知る必要を覚えないかのようである。
 過去のことは過去の人間がしたことでしかない。 所詮は見知らぬ他人事なのである。 昔、青春がいくら使い捨てにされようが、いまの自分には関係はない。 そう思っているかのようである。
 過去が現在に関係がなければ、歴史も戦史も、その醜いはらわたを暴く必要はないのである。>



本書の記述によれば(第十七軍参謀長の昭和18年2月22日発電)、三次にわたって決行された、ガダルカナル島撤収人員は次の通り。

第一次  4935 (含海軍 441)
第二次  3921 (含海軍 332)
第三次  1796 (含海軍 75)
計 1万652 (含海軍 848)

いっぽう、昭和17年8月以降、第十七軍のガ島上陸総人員は、3万1404名。
交戦中に後送した患者は740名。
ガ島における損耗は2万800名(上陸人員の66%)。
(ただし、海軍や設営隊や船員を含まない、不完全な数字)

戦死は、5000ないし6000と推定され、内輪にみても1万5000前後が戦病で斃れたと思われる。
死因は、栄養失調、マラリア、下痢、脚気等によるが、そのほとんどは補給の甚だしい不足に責を帰すべきである。
 (以上、本書 P.304)


昭和18年(1943)2月、日本軍は、ほとんど奇跡的と言ってもいい、ガ島からの撤退を「完了」させたたが、その陰には、残置され、自決を強要された傷病兵も、また、数えきれないほどいたことを忘れてはいけないだろう。

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