« 【歩】颱風が去って、秋 | トップページ | 【歩】国分寺界隈 »

2008年9月20日 (土)

【読】「英霊何個」

いい本だな、と思った。

Ishikawa_hitou_toukouki一昨日、このブログで紹介したばかりだが。

『比島投降記 ― ある新聞記者の見た敗戦 ―』
 石川欣一  中公文庫

こんな一節があって、ハッとした。
1945年12月、ルソン島から日本へ引き揚げる船の中でのエピソードだ。

少し長くなるが、その部分をそっくり転載しておこう。
いい文章だと思うから。

― 「英霊何個」 (P.135~) より ―

<いよいよ明日は目的地に着くという晩、僕等のいた第三船艙に臨時に設備した木の階段を、中頃まで下りて来て、大声で注意を与えた男がある。 色々なことをいったあげく、「この中に英霊を持っている人があったら、何個あるか、その数を届けて下さい」 といって立去った。 僕は身体中が震えた。 英霊は荷物か。 僕は立上って、この船艙の小隊長をしている人の所へ行った。 「あの男は何ですか」 「輸送隊長です」。 この若い、恐らく少尉か何かをしていたらしい人物は、僕の権幕にあっけに取られたように答えた。 「名前を知っていますか」 「A大尉といいます」 「あなたはA大尉が、たった今、英霊何個といったのを聞きましたか」 「ああ、そういえば、そんなことをいっていましたね」 ……。>

<僕は甲板に出た。 目の前に、水をへだてて浦賀の火が見える。 眼鏡がこわれてしまったので、灯火はうるんで瞬いていた。 「英霊何個! 英霊何個!」 僕は涙が出て、その涙がいつまでもとまらないので困った。 冬の風は、夏服しか着ていない僕につめたかった。 しかし 「王さん待ってて頂戴な」 という、ダミ声の合唱が聞えて来る船艙に、下りて行く気はしなかった。 いかに不注意とはいえ、英霊を何個と呼ぶ大尉、それを変だとも無礼だとも思わぬ人達。 昭和二十年十二月二十一日、浦賀港の入口で、五十一歳のぼくはさめざめと泣いた。>




この文庫の巻末に、著者のご子息(石川周三氏)が書いた 「著者について」 という小文が載っている。
興味ぶかいことがわかった。

著者、石川欣一は、明治28年東京生まれ。
その父、石川千代松は旗本の家に生まれたが、徳川幕府が崩壊。
明治8年開成学校に進み、同15年東京大学理学部を卒業後、ドイツのフライブルグ大学に学び、帰朝後母校の教授となった。
開成学校時代の恩師 E・S・モース(大森貝塚の発見者)が書いた 『日本その日その日』 のことが、 『比島投降記』 の中で触れられているが、これは、モースと千代松との関係で、石川欣一が翻訳したものだという。



【参考】

日本その日その日 1
(東洋文庫 171)
エドワード・シルベスター・モース=著
石川欣一=訳
定価:2415 円(本体:2300 円)  全書判  1970.09
ISBN978-4-582-80171-2 C0139 NDC分類番号 291

日本その日その日 2
(東洋文庫 172)
エドワード・シルベスター・モース=著
石川欣一=訳
定価:2415 円(本体:2300 円)  全書判  1970.10
ISBN978-4-582-80172-9 C0139 NDC分類番号 291

日本その日その日 3
(東洋文庫 179)
エドワード・シルベスター・モース=著
石川欣一=訳
定価:2310 円(本体:2200 円)  全書判  1971.01
ISBN978-4-582-80179-8 C0139 NDC分類番号 291

|

« 【歩】颱風が去って、秋 | トップページ | 【歩】国分寺界隈 »

【読】読書日誌」カテゴリの記事

あの戦争」カテゴリの記事

こんな本を読んだ」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/139344/42538463

この記事へのトラックバック一覧です: 【読】「英霊何個」:

« 【歩】颱風が去って、秋 | トップページ | 【歩】国分寺界隈 »