« 2008年9月 | トップページ | 2008年11月 »

2008年10月の54件の記事

2008年10月31日 (金)

【読】無名の人々の戦争体験

きちんと読みもしないうちから、あれこれとあげつらうのはいけないな、と反省。

Chichi_no_senki『父の戦記』 週刊朝日 編
 朝日文庫 2008.8 700円(税別)

ひとつひとつの手記が、ずっしりと重い。
50編のうち、はじめの11編まで読んだところで、無名の戦士たちの体験の重さに感じるところが多い。

まなじり決して 「戦争の悪」 を非難するよりも、淡々と語られる体験談はこたえる。



■北支(中国北部)、炊事人夫として雇っていた中国人と、捕虜になった日本兵の逸話。
「生きて虜囚の辱めを受けず」 の戦陣訓の教えにしたがって、救出後に手榴弾で自殺した日本兵。
部隊長の 「よく死んでくれた」 という非情なことばに憤慨して、「東洋鬼(トンヤンキー)」 と叫んで出て行った中国人。  ― 戦陣訓は許すことなし (平野正巳 氏) ―

■内モンゴル、共産軍少年兵捕虜の命をなんとか救おうとしながら、反対に、上官命令によって刺殺する役を負わされた陸軍二等兵。  ― 閉ざされた少年の眸 (大越千速 氏) ―

■南支(中国南部)、コレラが大流行した部隊の軍医の体験談。  ― コレラ地帯行軍記 (杉本雄三 氏) ―

■中支(中国中部)、これも中国人俘虜斬殺を命じられて、なんとかその命を救おうとしたが、俘虜は殺されることを察して脱走、その責任を問われた情報将校の話。  ― 暗夜に消えた工作員 (小坂寿亀 氏) ―

■北満(中国東北部)、「挺身奇襲隊」 と呼ばれた特殊部隊(機動三連隊)に所属し、人間気球爆弾の実験に従事、という稀有な体験記。  ― 挺身奇襲隊の風船旅行 (山田敏文 氏) ―

■北支、馬が苦手なのに、輜重兵として馬の世話を命じられ、手のつけられなかった荒馬と、やがて気持ちが通じるようになった二等兵。  ― 「礼栓」とともに (松村楊七郎 氏) ―  ※「礼栓」は馬の名

■東シナ海、輸送船に乗せられ、潜水艦の襲撃を受けて一命をとりとめた体験記。  ― 火柱は海を染めた (下平真市 氏) ―

■南支、中国人老婆一家の家に世話になり、親しくなったものの、最後にそこを去るとき、老婆が大切にしていた牛を殺して略奪する現場にいあわせた兵士。  ― 没法子(メイファーズ)な牛のはなし (田村昌夫 氏) ―
※没法子(メイファーズ)……中国語で表面上は「仕方がない」の意だが、牛を殺された老婆が「メイファーズ」と泣き叫びながら、いつまでも地べたに頭をこすりつけていた。

■満州、兵士ではなかったがソ連兵に捕らわれ、シベリアへ護送される列車から、命からがら脱出した体験記。  ― 護送列車から暁の脱出 (関正信 氏) ―

■北支、吹雪の中を行軍中、中国人の花嫁行列に遭遇した話。  ― 吹雪の中の花嫁行列 (中山正男 氏) ―

■蒙疆(中国北部)、高粱畑で敵部隊に遭遇、タコツボに落ちて一命をとりとめたものの、同じ穴に中国兵も落ちてきて睨みあい、相手が怪我をしていることに気づいて三角巾を渡し、自分は穴から脱出して九死に一生をえたが、後にその中国兵の死体を見た(三角巾をしっかり巻きつけていた)という話。  ―高粱畑で遭った敵 (竹中顕 氏) ―


これまでに読んだ、11の戦記の内容を簡単に書いてみた。

戦場での体験は、当然のことながら、日常生活とはまったく次元のことなる日々の連続である。
ふつうの神経では、たちまち発狂してしまいそうな(現に発狂した兵士もいたという)、過酷な日々のなかでも、人間らしい気持ちを失わなかった兵士もいたのだ。

そのことがわかって、少しだけ救われた気がする。

それにしても、中国大陸での日本軍(旧陸軍)の残虐ぶりには、あらためて驚く。
捕虜を、いとも簡単に殺してしまう。
ひどい戦争犯罪だが、兵士たちは、すすんで残虐行為に加わったわけではなく、上官の命令に従わなければ自らの命が危なかったのだ(軍法会議にかけられて殺されてしまう)。

そんなことも、よくわかる体験記なのだった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年10月30日 (木)

【雑】こんにちは 東京新聞

長年購読していた朝日新聞を、今月いっぱいでやめる。
来月からは、ずっと購読したいと思い続けていた東京新聞だ。

朝日を購読し続けていたことに、特別な理由はない。
なんとなく、である。

しかし、あまりにもゴミが増えるので、いやになってきた。
朝日新聞社の責任ではないのかもしれないが、折込チラシの量がはんぱじゃないのだ。
新聞の本紙と同じぐらいのチラシが、毎朝はさみこまれてくるのには閉口する。
週末は、とくにひどい。

不動産(マンションや戸建住宅)、クルマ、スーパー、ドラッグストアー、家電店、などなど。
不動産のチラシって、どうしてあんなに厚くていい紙を使うのだろう。

不動産やクルマは、当面、購入予定がないし(買えない)、スーパーのチラシを見比べて一円でも安い店で、ということもしない。
唯一、面白がってみるのは家電店(PC関係)のチラシぐらいだ。

新聞の配達店の人に聞くと、あのチラシを好む人もいるらしいが、東京新聞は、ほとんど折り込みチラシがない。
紙面もシンプル、無駄がないという感じ。


11月からの購読なのに、なぜか、今朝は朝日と東京の両方が新聞受けにはいっていた。
ページ数もすくないし鞄にいれやすいので、出勤のときに持っていったが、もともと新聞をほとんど読まない性分なので、今朝の東京新聞もあまり見ていない。


0810300001_208103000030810300002東京新聞 2008年10月30日 朝刊

一面のコラム(筆洗)には、読書週間にちなんで、向田邦子さんのエピソードが書かれていた。
向田さんが小学五年生のとき、お父様の本棚にあった夏目漱石の『吾輩は猫である』を読んで、小説を読む楽しみをおぼえたという。
漱石全集の第一巻である。
小学生が読むには、いい小説に出会ったものだ。

<ほろ苦い味や皮肉。しゃれっけ。男というもの。そして小説。偉そうにいえば文学>を教えてもらった気がするという (『眠る杯』より)
――と、向田さんの文章の一部が引用されている。

三面(最終面)の連載小説は、五木寛之の『親鸞』だ。
今日が、連載58回目。
たぶん、読み続けることはないだろうが(朝日に連載されていた夢枕獏さんの『宿神』も、全部切り抜いていたものの、途中までしか読まずに放ってあるぐらいだから)、なんとなく、五木さんの小説というだけでうれしい。

四コマまんがは、ちびまる子ちゃん。

ローカルな記事が充実している東京新聞が、たのしみだ。


ただひとつ、朝日をやめると残念なことがあって、それは、『アサヒタウンズ』というタウン紙が読めなくなること。
家人が最後まで抵抗していたのも、このタウン紙のことだった。

販売店の人にお願いしてみたが(アサヒタウンズだけは付けてもらえないかと)、やはり、そういうことはルールからはずれるらしく、一人に許すと他の人にも許さなきゃいけなくなるので、おあいにくさまということだった。


さようなら 朝日新聞
こんにちは 東京新聞



まったくの蛇足だが、先日、ラジオ番組(TBSラジオ「久米宏のラジオなんですけど」)で、北海道の富良野に住む倉本聡さんが話していたのを(電話インタビュー)聴いた。
倉本さんは、新聞を購読していないし、テレビもニュースとドキュメンタリー番組ぐらいしか見ないそうだ。
なかなか、そこまで徹底することはできないな。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2008年10月29日 (水)

【読】大東亜共栄圏の図版

われながらタイトルがいまいちだが、あいかわらずこんな本を読んでいる。
(まだ、あとがきと解説を読んだだけだが)

Chichi_no_senki『父の戦記』
 週刊朝日 編  朝日文庫 (し3-13)
 2008.8.30 380ページ 700円(税別)

新聞の書評欄でみつけたのだったか、よく憶えていないが、すこし前に手に入れた。
今日、出かけるときに電車の中で、カバーの図版をつくづく眺めていた。
じつに興味ぶかい。

カバー装幀=長井究衡
カバー図版=中野正治 画
「米英の日本反撃態勢地図」
『少國民新聞』 昭和17年10月25日付 日曜カラー版

当時の少年たちは、こういう図版をみて夢をひろげていたのだろう。
私がその当時少年だったら、きっと同じように大東亜共栄圏の夢に、胸をふくらませていたことだろう。
まちがいなく。

この絵地図は、よくできていると思う。


内容は、週刊朝日が終戦二十年記念として公募した、一般人50人の戦争体験手記をあつめたもの。
(1965年12月に単行本として、1982年8月に朝日選書として、朝日新聞社から刊行されたものの文庫化)

あとがきを読んで、ちょっと首をかしげるところもあって、内容にはあまり期待していないが、読んでみようと思う。
なぜ、首をかしげたか。
ここに書くのは難しいけれど、朝日新聞、週刊朝日の、ちょっと鼻につく 「正義感」 が感じられる。
朝日を目の敵にしているわけではないけれど。

1,716編の応募があったという。
週刊朝日 8月13日増大号(1965年)で、入選作が掲載された。

98編が予選で選ばれ、これを、審査員の臼井吉美、阿川弘之、伊藤桂一の各氏と、当時の足田編集長の間で回読、さらに会合して討議の結果、入選5編、佳作20編が選ばれたという。

この文庫版では、さらに25編が追加されて、合計50編。

中国(北部、南部、東北部)、内モンゴル、東シナ海、朝鮮半島、千島列島、シベリア、ボルネオ、ミンダナオ島、ニューギニア、スマトラ島、セブ島、ニューブリテン島、南太平洋、ルソン島、サイゴン、硫黄島、マレー半島、サイパン島、トラック島、ビルマ、ガダルカナル島、真珠湾、内地、沖縄……。

目次に記載されている、それぞれの手記の舞台となった地名を、ざっとひろいあげてみたのが、これだ。
これだけの広範囲にわたって、日本の陸海軍の将兵が戦うためにでかけていったのだ。
そして、ほとんどが、ひどい体験をして帰ってきたのである。
(1965年に手記を書いた人たちは、なんとか帰国できたのだから)

一枚の絵地図が、いろいろな想像をかきたてる。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

【歩】姫蔓蕎麦

今日、でかけた先の施設の裏庭で、みなれない小さな花がたくさん咲いているのをみた。
おもしろい形の花で、アカツメクサ(ムラサキツメクサ)に似ていると思ったのだが、名前がわからない。
だいいち、シロツメクサのなかまは春の花だ。

とりあえず、デジカメをもっていたので写真におさめてきて、帰ってから図鑑やネットで調べてみた。
ネット検索からヒントをえて、図鑑をみていたら、どうもミゾソバの近縁のような感じ。
しかし、花の形や全体の大きさまで、まるでちがう。

手もとにあった図鑑のうち、ただひとつ、この花が載っているものがあった。
ピッタシカンカン。

ヒメツルソバ Polygonum capitatum
タデ科タデ属 Polygonum
<姫蔓蕎麦>ヒマラヤ原産の多年草。 明治中期に園芸植物として日本に入った。 観賞用の植えられているが、野生状態になっていることが多い。 茎には赤褐色の毛がある。 葉は互生し、長さ1~3センチの卵形で、表面にV字形の黒っぽい模様がある。 秋には赤く紅葉する。 花はほぼ1年中見られる。 枝先に淡紅色の小さな花が卵形~球状に多数集まってつく。
― 山と渓谷社 「山溪ポケット図鑑3 秋の花」 ―


「V字形の黒っぽい模様」 は、実物を見たときには気づいていなかったが、写真にはっきりと写っている。
まだまだ観察が足りない、と反省。

花の形は、千日紅を連想させる。
図鑑の写真は、葉がみごとに紅葉している。
これから紅葉するんだろうな。
よく行く場所なので、楽しみだ。

下の写真は、ちょいとピンボケ。


0810290001081029000508102900060810290002 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年10月28日 (火)

【読】読了 「二十世紀 日本の戦争」

なかなか、ためになる本だった。

Nihon_no_sensou『二十世紀 日本の戦争』
 阿川弘之・猪瀬直樹・中西輝政・秦郁彦・福田和也
 文春新書 112 平成12(2000)/7/20
 205ページ 660円(税別)

読みながら、気になるページに付箋をはっていった。
読み終えてから、なぜ付箋をはったのかわからない個所もあるが。

そんな、気になる部分を、書いておこう。
もとより、読書感想文にもなっていない、私的な読書メモであるが、この記事を読んだ方が、面白そうだな、読んでみようかなと、参考にしていただけるなら、なおうれしい。


満州は「無主の地」だったのか
 (第三章 満州事変 P.73-)

私には、まだ「満州」のイメージがはっきりしない。
なぜ、よその国にあそこまで日本人(陸軍、民間人)がはいっていったのか。
満蒙開拓移民、満鉄、関東軍、軍閥、馬賊、……興味はつきないが、混沌としている。
もっといろんな本を読んでみたいと思う。
船戸与一 『満州国演義』 の続き(第四巻)も、はやく読まなくちゃ。

(猪瀬) 「ネガティブに捉えると軍部の独断専行によってできた満州国ですが、日本人が新たに国を作るという未曾有の体験でもあったわけですね。そこには軍事的ヴィジョンと経済的ヴィジョン、あるいは革新官僚による新しい国家組織のヴィジョンが含まれていたと思うんです。……」


目標なき百年戦争 (第三章 満州事変 P.102-)

かねがね不思議に思っていたことがある。
日米開戦の日(真珠湾攻撃の日)、当時多くの文学者たちが、あれほど高揚したのはなぜなんだろう。

(福田) 「……文学者の日記なんか見ると、真珠湾攻撃の日にみんな気持ちがさっぱりする。アジアの仲間のはずの中国とどうして戦争をしているのかという罪悪感が強かったから、英米との戦いが始まると、これはほんとうの敵だということで一気に解放感を持つことができた。」


「爽快感」の構造 (第四章 太平洋戦争 P.163-)

(猪瀬) 「開戦の日はどこで迎えたんですか。」
(阿川) 「東京の荻窪に下宿していたんですが、朝、まだ寝ていたら、かすかに『軍艦マーチ』が聞える。……ハワイ大空襲、それ聞いた途端に涙がぼろぼろ出てきた。いままでの鬱陶しい感じがすうっと晴れたような感じでした。これで自分も死ぬことになるかもしらんけど、仕方がないと思いましたね。……」

(猪瀬) 「これが不思議です。みんなそうなんですね。何かすっきりした、と。高村高太郎の詩が有名ですが。」
(阿川) 「志賀直哉、武者小路実篤、谷崎潤一郎、斎藤茂吉、みんなそうですよ。」
(福田) 「伊藤整とか、高見順とか、ああいう人たちでさえ日記はもう『万々歳』。やはりペリー以来の近代日本の歴史の中で、やっと米国に一太刀浴びせたという思いがあったのでしょうか。」

(猪瀬) 「……開戦時、国民が感じた爽快感というのはやはりシナ事変の陰々滅々というのが背景にあってのことではないでしょうか。」
(阿川) 「僕の場合、アメリカに対する憎悪とか反感とか、そういうものは全然なかった。むしろチャップリンの映画や西部劇など、米国産の大衆文化に親しみを感じていたくらいです。どちらかというと、ただただ泥沼が続いている中国大陸の戦線へ出されて、死んでしまうのはいやだなあという気持ちの方が強かった。それが急にすっきりした、それは確かにありました。」


原爆のお蔭で終戦にできた? (第四章 太平洋戦争 P.179-)

これも、かねがね引っかかっていることだ。
広島・長崎への原爆投下、無差別殺戮は、アメリカが犯した大きな戦争犯罪ではないか、という気持ちをずっと持っている。
なぜ、原爆を投下した国や指導者を憎まずに、原爆そのものを憎むのだろう。
「原爆許すまじ」という言葉にひっかかる。
原爆を投下したのは、人間である。
原爆そのものが悪だ、という言い方はどこかおかしい。
原爆を考え出して製造し、それを使った人間が悪いのだ。

(猪瀬) 「……広島、長崎に原爆が落とされ、ソ連が参戦してきて、やっと戦争が終わった。……エドウィン・ライシャワー元駐日大使などの知日派アメリカ人も、原爆投下は正しかったと言いますね。国民感情としては、そんなことを言われては困るんだけど、そう言わせてしまう状況が客観的にあったのではないか。」

(福田) 「しかし、言ってもしょうがないことですけど、原爆は富士山に落としても良かったんです。威力がわかればいいのだったら。都市に落として、何もあんなに一般人を殺す必要はない。実際アメリカ国内では、事前にそういう議論がされていたわけですね。日本の島でも山でも無人の場所に落とすべきだ、という。ところが、……ポツダム会議にトルーマン大統領が行って、ある種、スターリンに威圧されて帰ってきてから流れが変わる。目にものみせてやるという、ソ連への牽制の発想で、ああいう非人道的なことをしてしまう。……」


これぐらいでやめておこうかな。
阿川弘之が、軍隊体験者としての実感を淡々と述べていて、好感がもてた。

次のエピソードが、なかなかよかったな。

(阿川) 「僕の仲間で、『一億玉砕と言われますが、一億のなかには天皇陛下は入られるのでありますか、入られないのでありますか』って聞いて、上官に叱られたのがいますよ。聞かれた方も返事に困ったんでしょうね(笑)。」

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年10月27日 (月)

【読】古本酒場コクテイル

東京の高円寺北口に、「コクテイル」 という、いっぷう変わった古本酒場がある。
酒場なのだが、周囲の壁は本棚になっていて、古本屋でもあるのだ。

しばらく行っていないが、まだお店はあると思う。
(お店のサイトが健在だから)

古本酒場コクテイル
http://koenji-cocktail.com/
 このサイトは、凝ったつくりで洒落ている


このお店で、須藤もんさんが何度かライブをしたことがある。
私も、飲めないながら足をはこんだ。
カウンターで酒を飲み、手の込んだ料理をつまみながら、弾き語りの音楽を聴くという、まさに一石二鳥のライブなのだ。

写真 上段:2005年12月10日/下段:2004年7月4日

Cocktail_20051210_1Cocktail_20051210_2Cocktail_20040704_2Cocktail_20040704_1

ところで、ここの店主、狩野 俊(かりの・すぐる)さんが、本を出版されたことを知った。

「日本の古本屋メールマガジン」
 その72・10月27日号

【自著を語る (33) 】
『高円寺 古本酒場ものがたり』 狩野 俊

●書誌●
タイトル : 高円寺古本酒場ものがたり
(コウエンジ フルホン サカバ モノガタリ)
発  行 : 晶文社( http://www.shobunsha.co.jp/
2008年8月
定  価 : 1,995円(本体:1,900円)
判  型 : 四六判
頁  数 : 213頁

●帯より●
東京は中央線、高円寺で降り、少し行くと、古風な風情をかもし出
している店がある。「古本酒場コクテイル」。今夜も、古本と酒とおし
ゃべりが大好きな人で一杯だ。そんな古本酒場を舞台にした人と人
の交流を温かく描く。さあ、いらっしゃい!

●プロフィール●
狩野 俊(Suguru Karino)
1972年福島県生まれ。洋書店勤務を経て、98年国立に「コクテイル
書房」を開業。半年後に店の一部を改装しお酒を出し始める。2000
年高円寺へ移転。「古本酒場コクテイル」を営む。


狩野さんの文章は、軽妙でありながら、哀愁が漂っているというか、私は好きなのだ。
さっそく、ネット注文した。
メールマガジンでは、著者サイン入り本のプレゼントもあったので、これも応募した。


Karino_huruhon_sakaba1Karino_huruhon_sakaba2_2e-hon
http://www.e-hon.ne.jp/bec/SA/Detail?refShinCode=0100000000000032111055&Action_id=121&Sza_id=B0


「みなさま、読まなくていいので、買ってください」
(上記メールマガジン掲載の狩野さんの文章より)

ブログ 古本酒場 店長日記
http://blog.livedoor.jp/suguru34/

2008年8月6日 「本のこと」 に出版事情が書かれている
http://blog.livedoor.jp/suguru34/archives/2008-08.html


【2008.11.8】
購入したので、本の画像を差し替えた。
まだ読んでいない。
晶文社の本は、さすがに装幀がしゃれている。
(ブックデザイン:藤田知子)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年10月26日 (日)

【読】歴史ってなんだろうね (続)

前回、本の紹介だけで終わってしまったので、その続きをすこし。

『二十世紀 日本の戦争』 (文春新書) という五人による討論の本を読んでいる。
明治以後、なぜあれほど戦争をしたのか私などには理解できないことだが、確実に戦争に巻き込まれていった、あるいは、戦争を引き起こしていった、歴史の流れはよくわかる。

どうしようもなかった、と言えば、言える。
後世の人間が思うほど、大きな歴史の流れを止めたり、変えたり、できるものではないのだ。

政治や経済やの動きのほかに、国民大衆の大部分が戦争を望んでいた(支持していた)ようにも思える。
戦況が不利になり、手痛い目にあったのは、ずっと後のことである。
戦争があんな結末になることを予想していた人は、ほとんどいなかったのではないか。

「軍部や指導者の独走に国民がだまされた」 という図式は、あまりにも安直すぎるだろう。
歴史の流れは、それほど単純なものではないのである。


では、二十世紀という戦争の世紀に生きた、ごくふつうの人たちは、どのように暮らしていたのだろうか。

だいぶん前に手に入れ、ずっと本棚にいれっぱなしだったため、すっかり背が日焼けてしまった分厚い本をおもいだした。

とてもユニークな本である。
これだけのデータを集めた労苦に脱帽。


Kateishi_nenpyou_2『昭和・平成 家庭史年表 1926~2000 増補』
 河出書房新社 1997.12発行/2001.4増補改訂発行
 705ページ 4900円(税別)
 下川耿史 家庭総合研究会 編

― まえがき より ―

<昭和の64年間は時間的な長さもさることながら、時代内容が波瀾に富んでいた点でまことにユニークであった。 ごく単純に俯瞰してみても、長い戦争の時代と完膚なきまでの敗戦、そのダメージから立ち直って、経済的に世界一といわれるような社会が一つの時代において実現したのだから、まさに激動といえる。 (中略)
これら昭和という時代の特徴については、すでに多くの人びとが論及しており、年表という形式で発表されたものも少なくない。 しかし、それらはおしなべて政治や経済の動きを中心にしたマクロな社会史であり、家庭生活を中心とした昭和史といえるものではなかった。>

<しかし歴史は日常の蓄積であり、その日常は家庭を基準にして回転している。 とすれば、家庭という視点を抜きにしては生きた歴史は語れないのではないか。>


どのような年表なのか、昭和6年(1931)の項から、ランダムにごく一部を抜粋してみる。
満州事変勃発の年である。

昭和6年(1931) 不況脱出の願いから財テク書が大モテ

衣・食・住

1月 秋田県の調べでは、県下の小学児童17万4,000人中、弁当を持ってこられる者11万7,500人、正午に自宅へ帰って食べられる者や正午までで帰る者2万6,000人。 残る2万8,790人が欠食児童。
2月 東京で建築費、下落。 木造は坪90円から45円に、コンクリート建築は300~400円から120~130円と3分の1以下。 地価が2年前から2割ダウンしたほか諸材料費が大幅ダウンしたため。
この年 報知新聞社が開襟シャツのデザインを懸賞募集。開襟シャツの流行が始まる。/パーマ普及。洋髪(電髪)と呼ばれる。/旭化成が「ベンベルグ」の生産を開始。/はるさめ、日本で製造開始。/納豆ブーム。……

家計・健康・教育
1.4 東京市、極貧者9,000世帯の救済に妊娠調節の実施を計画。
1.16 文部省、全国の学校へ新しい御真影の下賜を始める。
5.10 民間による母の日(第2日曜日)の催し第1号として「母をたたえましょう」街頭行進が東京で行われ、全国に広まる。現在の母の日は昭和23年から。
9.26 愛国婦人会による満州派遣軍への慰問運動盛況、全国から寄せられた慰問袋は120万個。軍人遺族の援助、傷病兵慰問なども行う。
この年 東北・北海道の冷害で農村の不況が深刻化、栄養不良児童続出。山形県のある村では娘457人中、50人が身売り。/学生・生徒(中等学校以上)の左傾思想事件、頂点に(395件、学校処分991人)。/紡績業界での賃金切下げが顕著。……

文化・レジャー
1.10 師範学校・中等学校で、剣術・柔道が必修科目となる。
1月 田河水泡「のらくろ二等兵」が『少年倶楽部』で連載開始。
4.22 東京・上野動物園にシマウマ1頭、初来園。8月にはハナグマ1頭、9月にはマントヒヒ1頭も初来園。
4月 野村胡堂「銭形平次」が『オール読物』で連載開始。
7月 拳闘ファン激増。スター選手の月収は1,000円以上で、帝国・大日本・日本・東洋など拳闘クラブ(ボクシングジム)も10以上、税務署が財源として目をつける。
9月 満州事変が勃発。おもちゃの鉄カブト(アルミニウム製・へら絞り)や発火装置付きの戦争玩具が爆発的に売れる。
9月 『酒は涙か溜息か』(唄・藤山一郎、作詞・高橋掬太郎)が大ヒット。感傷的流行歌の先駆け。
この年 失業楽士のクラリネットを加えた和洋合奏の〝チンドン屋〝が登場。/北陸線の客車に、畳敷きで天井や窓に提灯を飾り、蓄音機や碁・将棋などを備えた「お座敷列車」登場。お座敷列車のはしり。

社会・交通・一般
2月
 デパートから万引きしては東京・浅草の「泥棒市」で売っていた大万引き団が、警視庁に逮捕される。
3.10 戦時色が強まり、静岡市で全国初の防空演習。
5.1 国鉄、小口貨物の運送にコンテナの使用を開始。
8.25 東京・羽田空港が完成。午前7時20分、1番機が大阪へ向けて離陸。
8.30 高島屋、10銭均一ストアを57ヵ所に開設。チェーンストアの始まり。
9.19 満州事変の第一報が臨時ニュースとして放送される。臨時ニュースの第1号。
10月 石川島自動車・東京瓦斯電気・ダット社の3社で国産バスの試作が始まる。/東洋工業(現・マツダ)、初のオート三輪「マツダ号」を発売。482cc、770円。
この年 『週刊朝日』がミスニッポンを募集、山口県徳山市の俵恒子(22歳)が選ばれる。身長159cm、バスト80cm、体重52.5kg。/交通事故で最も多いのは自動車事故1万7,124件、死者147人・負傷者8,890人。第2位は自転車6,205件、死者15人・負傷者4,504人。人力車は34件、負傷者18人。


こんなディテールの総体が、歴史というものなのかもしれない。
読んでいると、時間がたつのを忘れるほどおもしろい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【読】歴史ってなんだろうね

「歴史ってなんだろう」 というほど、たいそうな話でもないのだが、ちょっと思ったことを書いておこう。

「あの戦争」 をめぐって、いろんな本を読んでいる。
いま読んでいるこの本も、興味ぶかい内容だ。

Nihon_no_sensou『二十世紀 日本の戦争』
 阿川弘之 猪瀬直樹 中西輝政
 秦郁彦 福田和也
文春新書 112 2000.7.20 660円(税別)

猪瀬直樹が進行役の形の討論である。

二十世紀、日本がかかわった日露戦争、第一次世界大戦、シベリア出兵、満州事変に端を発する日中戦争、太平洋戦争、その後の朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争まで、ちいさな書物ではあるが、よく語られていて勉強になる。

― 猪瀬直樹 あとがき より ―
<愉しい討論だった。 知的に愉しいという意味である。/しかし、テーマは限りなく切ない。黒船の来航とともに日本は弱肉強食の世界に放り出された。 戦争は仕掛けなければ、仕掛けられるのだ。 そういう強迫観念をふりほどこうと苦闘した先輩たちの成功と失敗について論じるのだから。 夥しい数の死者たちの屍の上に築かれた歴史について語るのだから。/後世のぼくたちは、あたかも神の視座にいるごとく世紀という時間と空間を縦横無尽に勝手気儘に歩いた。 日本人が命を賭して二十世紀をどう生きたのか、真摯に問い直そうとする試みならばお許し願えるだろうか。>

阿川弘之、猪瀬直樹をのぞく三人について、私はよく知らないが、カバー裏の紹介文から略歴を転載しておく。

阿川弘之 (あがわ ひろゆき)
 作家。 1920(大正9)年生まれ。
 東京大学文学部卒業後、海軍予備学生。 元海軍大尉。
 著書に『雲の墓標』『暗い波濤』『山本五十六』『井上成美』など。

猪瀬直樹 (いのせ なおき)
 作家。 1946(昭和21)年生まれ。
 著書に『ミカドの肖像』(大宅壮一賞、ジャポニズム研究学会特別賞)『日本国の研究』(文藝春秋読者賞)『黒船の世紀』『ペルソナ 三島由紀夫伝』など。

中西輝政 (なかにし てるまさ)
 京都大学教授。 1947(昭和22)年生まれ。 京都大学法学部卒業。
 ケンブリッジ大学歴史学部大学院卒業。
 著書に『大英帝国衰亡史』『優雅なる推定の世紀』(共著)など。

秦郁彦 (はた いくひこ)
 日本大学教授。 1932(昭和7)年生まれ。 東京大学法学部卒業。
 著書に『軍ファシズム運動史』『昭和史の謎を追う』『現代史の争点』『慰安婦と戦場の性』など。

福田和也 (ふくだ かずや)
 慶應義塾大学助教授。 文芸評論家。 1960(昭和35)年生まれ。
 慶應義塾大学文学部卒業。
 著書に『日本の家郷』『近代の拘束 日本の宿命』『魂の昭和史』など。


(続く)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【歩】ささやかな休日のぜいたく

どんより曇って、雨もようの日曜日。
毎週のように通っている、近くの日帰り温泉へ。

これまでは土曜か日曜の、午後か夕方に行くことが多かったが、今日は午前中の早い時間帯に行ってみた。
いつもなら満車になっている立体駐車場の一階にも、空きがあった。
(それでも午前10時前だというのに、かなりの車が駐めてあったが)

なによりもありがたかったのは、温泉のお湯がきれいだったこと。
入浴客もさほど多くないから、のんびりとお湯につかって、露天風呂から曇り空を見上げたりしてみる。

日々いろいろあるけれど、浮世の憂さを垢といっしょに洗い流す、しあわせなひとときである。

家に帰れば、ちょうどお昼どき。
友人の須藤もん・対馬照夫妻からいただいた、檜枝岐の蕎麦をゆでて食べる。
ライブツアーのお土産として、よく頂戴する、おいしい蕎麦だ。

秘境 檜枝岐の 裁ちそば
 會津御蔵入 奈良屋特製
 株式会社 奈良屋
 福島県南会津郡南会津町田島字田島島柳6番地1

株式会社 奈良屋
http://www.chuokai-fukushima.or.jp/shinturu/naraya/

Hinoemata_soba1Hinoemata_soba2Ohurono_oosama_hanakoganei

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年10月25日 (土)

【遊】リトルアジア 国分寺店

前から気になっていた国分寺南口のカレー屋に行ってみたら閉まっていたので、もう一軒の気になる店にはいってみた。

「リトルアジア」 というアジア料理の店。
 東京都国分寺市南町3-18-4

リトルアジア/国分寺/タイ料理、インドネシア料理、ベトナム料理、[食べログ]
http://r.tabelog.com/tokyo/A1325/A132502/13024935/

スパイスの効いた(言いかえればクセの強い)カレーと、サラダを食べた。
ちょっと面白い店だった。

0810250007カレーは、チキンのグリーンカレーと、トムヤムクンカレーを食べてみた。
トムヤムクンはカレーという感じがしなかったが、チキンのグリーンカレーは気に入った。

スパイスがピリピリする感じで刺激が強く、そうそうしょっちゅう食べたいとも思わないが、このての料理がきらいではないから、また行ってみてもいいな。
今日はカレーが食べたかったので、カレー料理にしか目がいかなかったが、食べてみたいと思うメニューは多かった。

店内のつくりがいい。
一階はカウンターだけのようで、二階に椅子席がある。
二階にあがる階段がびっくりするほど急で、こういう階段も好きなのだ。

ドリンクメニューが豊富なのだが、アルコールを飲まない私には何がなんだかよくわからなかった。
同行の家人は小瓶のビールを飲んでいた。


写真 (下段左) チキンのグリーンカレー
    (下段右) トムヤムクンカレー

0810250001081025000408102500050810250006 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【遊】国立 「三芳野」 多摩蘭どーら

すこし前、このブログで紹介した国立の和菓子屋さん 「三芳野」。

2008年 10月 7日 【遊】四市横断サイクリング (5)
http://yamaoji.cocolog-nifty.com/blog/2008/10/5-c8f8.html


今日、車で寄って、団子と栗きんとん、それにどら焼きを買ってきた。

携帯カメラしか持っていなかったが、商品棚の写真も撮ってきた。

いろいろおもしろい和菓子がたくさんあって、また行ってみたくなるお店だ。

「多摩蘭どーら」 と名付けられたどら焼き、大きな栗が一個はいっていて厚みがある。
やや小ぶりのどら焼き。
おいしかった。

Miyoshino_2Miyoshino1Miyoshino2Miyoshino3Miyoshino4Tamarandora1Tamarandora3

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年10月24日 (金)

【読】うれしい復刻 宮本常一「私の日本地図」

十日ほど前のこと。
立川の駅ビルにはいっている大きな新刊書店(オリオン書房)で、こんな本をみつけた。

宮本常一の、ながいこと絶版になっていたシリーズだ。
私は図書館から借りて何冊か読んだが、最近、復刻刊行されはじめたことを知った。

二冊発売されていたので、思いきって買った。
こういう本は、みつけたときに買っておかないと後悔するのが、これまでの私の常だから。


Miyamoto_nihonchizu9_2Miyamoto_nihonchizu10宮本常一 『私の日本地図』 全15巻
 未來社 定価2200円(税別)

第一回配本 2008.3.31発行
 9 瀬戸内海 III 周防大島
第二回配本 2008.7.31発行
 10 武蔵野・青梅

「武蔵野・青梅」 は、以前、図書館から借りたときに、がんばって全ページをコピー(それも、じぶんの持っているスキャナーを使って)したほど欲しかった本。
手に入れることができて、とてもうれしい。

たまには新刊書店をのぞいてみるものだ、と思った。
ただし、衝動買いをするおそれが、私の場合は多分にあるが。


未來社 のサイトより
http://www.miraisha.co.jp/

私の日本地図10 武蔵野・青梅

「私はこの書を書きつつ、この書が武蔵野の挽歌のようになるのをどうしようもなかった。」

原書は昭和46年(1971年)11月刊。昭和36年、宮本常一は東京都府中市に家をもとめ、三田の渋沢敬三邸から居を移した。以後ほぼ20年、生涯を終えるまでの住処となったが、旅から戻りこの家にいるあいだに、時間があれば周辺を見てまわっている。一鍬一鍬おこして田畑にし、上水をつくり、道をひらき、ケヤキを植え、ほとんど人の住むことのなかった野を拓いて住み着いた人々がつくりだした武蔵野の風景の中をあるきながら、市に祭に集い寺社に詣でた人々のこころに思いをよせる。景観に映る往時の武蔵野の秩序とその後の変容の姿を写真308枚とともに語りつつ、宮本は言う「武蔵野人の心はいま失われようとしている」。




【2008/10/25追記】

「未来社」と書いたが、正しくは「未來社」なので訂正した。
また、宮本常一の略歴を書いておく。
平凡社 「別冊太陽」 2007年8月刊行
 『宮本常一 「忘れられた日本人」 を訪ねて』 巻末の略年譜 による。

生きていらっしゃるときにお目にかかりたかった方である。

宮本常一 (みやもと・つねいち)

1907(明治40)年 8月1日
 山口県大島郡家室西方村大字西方に生まれる。
1922(大正11)年
 西方尋常小学校卒業。
 同級生13人のうちただひとり村に残り、家で農業に従事。
1924(大正13)年
 大阪逓信講習所卒業。
 大阪高麗橋郵便局に勤務。
1926(大正14)年
 天王寺師範学校二部を受験し合格。4月、入学。
1927(昭和2)年
 天王寺師範学校卒業。
 3月、大阪府泉南郡有真香村修斉尋常小学校に訓導として赴任。
 4月、大阪第八連隊に短期現役兵として入隊。
  同窓の有松佐一郎より柳田國男の名を知る。

この調子で引き写していくのはへんなので、Wikipediaより転載。

<山口県周防大島に生まれる。大阪府立天王寺師範学校(現大阪教育大学)専攻科卒業。渋沢敬三に見込まれて民俗学の道に入り、戦前から高度成長期まで日本各地をフィールドワークし続け(1200軒以上の民家に宿泊したと言われる)、膨大な記録を残した。宮本が所属したアチックミューゼアムは、後に日本常民文化研究所となり、神奈川大学に吸収されて網野善彦の活動の場となった。>

1981(昭和56)年
 1月、府中病院へ再入院。
 1月30日早朝、胃癌のために死去。

『私の日本地図』 全15冊は、1967年から76年にかけて、同友館から刊行された。
どのページにも、宮本常一が撮ったモノクロ写真が満載されている。
生涯、旅先・取材先で厖大な写真を撮った人であるが、周防市の「周防大島文化交流センター」が写真の著作権をもっているという。

参考サイト
 宮本常一データベース

 http://www.towatown.jp/database/

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008年10月23日 (木)

【読】読了 「零式戦闘機」

ようやく読みおえた。
それほど長い小説ではないのだけれど(文庫で300ページほど)、少しずつしか読めなかったので、一週間ほどつきあってしまった。

Yoshimura_zerosen吉村昭 『零式戦闘機』
 新潮文庫 476円(税別)

『戦艦武蔵』 もおもしろかったが、それに輪をかけた小説の醍醐味を感じた。

書き出しがうまい。
昭和14年3月、名古屋市の海岸埋立地にある三菱重工名古屋航空機製作所の門から、シートにおおわれた大きな荷を積んだ二台の牛車が出てくるところから、この物語は始まる。

『戦艦武蔵』 では、昭和12年、九州一円で海苔の養殖に使う棕櫚(しゅろ)の繊維が買い占められる謎から始まった。

どちらも読む者の意表をつく書き出しである。
うまいなあ、と思う。

棕櫚の繊維は、巨大な戦艦の建造現場を隠すための棕櫚縄に使われ、牛車は、できあがった戦闘機を名古屋から岐阜県各務原の飛行場まで運ぶためのものだった。
この牛車は、のちに馬車に替わったのだが、敗戦の年まで、戦闘機の主要な輸送手段として使われたというから、驚く。

小説 『零式戦闘機』 は、昭和12年に設計がはじまった零式艦上戦闘機、いわゆるゼロ戦の誕生(昭和14年)から、その後の改造、実戦での活躍、そして敗戦までの8年間の物語だ。

いろいろ噂は聞いていたが、これほど高性能な戦闘機とは知らなかった。
欧米の戦闘機をよせつけない、無敵の強さをもっていた。
それゆえ、敗戦のその時まで作り続けられていたのだった。


<八月十五日――
空は、うつろに晴れていた。 その下で鈴鹿工場の工員、徴用工、学徒、女子挺身隊員たちは、整列したまま粛然と顔を伏せて、雑音のまじったラジオから流れ出る天皇の声を聞いていた。
(中略)
かれらは、自分たちの作業の結果が全く無に帰したことを知った。 それは想像もしていなかったことだが、ただ一つの慰めは、体力のかぎりをつくして働いたのだという感慨だけであった。>


終戦日までの8月中に三菱で生産された零式戦闘機の機数は6機だったという。
作者は 「わずか六機」 と書いているが、私には、物資がほとんど底をついていたこの時期に、まだこれだけの戦闘機を作っていたことが驚きだ。


昭和20年6月、B29による激しい無差別爆撃を受けていた頃、「日本の国力は、ほとんど無に近いもの」 だった作者は言い、具体的な数字をあげている。

「軍部の施策によって日本の国力はすべてが軍需工業に協力に集中されていた」 にもかかわらず、戦時中の最高生産期と比べた数字は、信じられないほど小さい。

鉄鋼 35パーセント
非鉄金属 35パーセント
液体燃料 24パーセント
造船 27パーセント

生活必需品(昭和12年の生産量との比較)
綿織物 2パーセント
毛織物 1パーセント
石鹸 4パーセント
革靴 0パーセント
食油、砂糖は皆無

「物のない時代」 だったと頭では理解していたつもりだが、こういう数字を見せられると、当時の様子が目にうかんでくる。

「いささかの感傷も論評性もさしはさまない」 (解説 鶴岡冬一) 吉村昭の作風がよくでていると思うし、この小説の魅力かなとも思う。


昭和19年のラバウル陥落から、昭和20年の壮烈な沖縄戦まで、詳しく描かれていて私にはとても勉強になったし、最後まで小説の醍醐味を感じさせてくれる一冊だった。



さて、次は何を読もうか ―― 考えているときがいちばん楽しい。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008年10月21日 (火)

【遊】第33回小平市民まつり (8) 最終回

大人みこしの長い行列の流れが停止して、路上ではじまった女性グループの太鼓演奏。
毎年、たのしみにしている。

なかなかの腕前なのだ。
また、来年を楽しみにして待とう。

08101902130810190210081019022908101902340810190235081019024608101902490810190217      

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【遊】第33回小平市民まつり (7)

小平神明宮の神輿と大太鼓。

081019018908101901840810190190081019019508101901850810190187











鈴木稲荷神社の神輿。
小ぶりながら、太鼓も。

0810190204_20810190207_20810190206_20810190209











最後尾。
鈴木ばやしの山車(だし)。
なかなか立派だ。

08101902630810190258 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【遊】第33回小平市民まつり (6)

小平市民まつりのメイン・イベント。

午後1時出発 大人みこし
まつりの心・みこしの魂
 市内のみこしが、この日だけあかしあ通りに集まります。
 小平市民まつりだからこそ味わえる雰囲気をご堪能ください。
 みこしの最後尾には鈴木ばやしの山車が続きます。
 また、多摩信用金庫学園東支店わきでは、小川よ組はやし連による居ばやしも披露されます。

 http://www.city.kodaira.tokyo.jp/oshirase/008/008099.html より


先頭は、熊野宮の大太鼓(じつに大きい)と神輿(みこし)。
大太鼓は、バットほどもある大きなバチ(こん棒?)でたたく。
ずどーんと腹に響く大音響だ。


081019015808101901640810190166081019017008101901730810190181

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年10月19日 (日)

【遊】第33回小平市民まつり (5)

小平市民まつりのパレードは、まだまだ続く。

おながかすいたので、お好み焼きを買って食べる。

0810190139081019014008101901420810190144081019014608101901470810190149081019015108101901520810190155

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【遊】第33回小平市民まつり (4)

パレードには、さまざまな団体が出て、そのほとんどはぞろぞろと行進するだけなので、ちょっと退屈する。

「喜平橋」 の団体には度肝を抜かれた。
消防車のパレードは、さすがに迫力がある。

0810190120081019012108101901230810190122081019012808101901310810190133081019013408101901350810190136

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【遊】第33回小平市民まつり (3)

正午出発 パレード
澄んだ秋空に行進曲が響き渡る
 錦城高校吹奏楽部の鼓笛隊を先頭に、様々な団体が行進します。
 姉妹都市の小平町の皆さんや交通安全・防犯パレードを予定しています

08101900940810190097 











コリアン・スチューデント In 小平


昨年も、このグループの演奏と踊りには胸をおどらせた。
韓半島のチャングやケンガリなどの民族楽器を踊りながら演奏する姿が、私にはこれまた上々颱風を思いおこさせる。
うれしい。

写真は手ブレが多いが、衣装の華やかさがすばらしい。

081019010008101901010810190104081019010608101901070810190108

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【遊】第33回小平市民まつり (2)

小平市民まつりで、華やかなのが 「小平よさこい」 だ。

第33回 小平市民まつり スケジュール
http://www.city.kodaira.tokyo.jp/oshirase/008/008099.html より

午前10時出発 子どもみこし
 自慢の手作りみこし
 市内の子ども会、サークル、保育園、福祉団体などの子どもたちが、
 手作りみこしや山車などで元気よく練り歩きます。
午前10時30分出発 ダンスパレード
 Hop Step Dancing!
 市内で活躍するダンスチームがあかしあ通りいっぱいに踊ります。
 小平よさこい…市内各小学校から、鳴子を持ってロック調の小平音頭などを
 約1,000名の大迫力で披露します。

小平市では、これが盛んで、市内の各小学校がチームを作って日頃から熱心に練習している。
「小平よさこいの会」 というのがあるらしい。

【参考サイト】
新しい地域文化の創造へ 「小平よさこい」の実現 
(小平市立小平第六小学校 教頭 長津 芳)
http://www.asahi-net.or.jp/~ma8m-ngt/2002/nisshi/yosakoi/mihon.htm


私は、この 「よさこいソーラン」 系の踊りが好きだ。
衣装の派手さと踊りの躍動感は、私の好きな上々颱風に通じるところがある。

こどもたちが中心だから、動きが揃っていなかったりするが、楽しそうに踊っているのを見ていると、こちらもうきうきしてくる。


081019002108101900290810190036_20810190037081019004208101900470810190060_2081019006408101900660810190055_20810190062_20810190078 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【遊】第33回小平市民まつり (1)

今年もまた、小平市民まつりであそんできた。

第33回 小平市民まつり
 祝 小平町姉妹都市提携30周年記念

平成20年10月19日 (日)
午前9時30分~午後4時30分
あかしあ通り (仲町交差点~小平団地西交差点)

08101900950810190096











東京都小平市ホームページ
http://www.city.kodaira.tokyo.jp/

北海道留萌郡小平町
http://www.obira.on.arena.ne.jp/


小平町(おびらちょう)の物産特売場には、朝から長蛇の列。

こども神輿から始まった。

081019000608101900090810190011081019002008101900160810190019

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年10月18日 (土)

【遊】公園ガイドブック

今日、小金井公園の 「コスモスまつり」 会場で、こんな小冊子と地図を手に入れた。
(小冊子は250円、地図の方は募金を求められた)

このての小冊子や地図が、私は好きで、駅に置いてあったりするとよくもらってくる。
ながめているだけで楽しくなる。


Kouen_guide首都圏公園ガイド
 花と緑と水に遊ぶ 公園への小さな旅
 首都圏 One Day 散歩

発行/首都圏みどりのネットワーク事務局
平成19年7月改訂発行 定価250円

首都圏1都3県4市(千葉県、埼玉県、東京都、神奈川県と、千葉市、さいたま市、川崎市、横浜市)の公園が多数紹介されている。

東京都の公園(都立)では、旧岩崎邸庭園、旧芝離宮恩賜公園、……からはじまる19個所。
この近辺では、殿ヶ谷戸庭園、小金井公園がある。

それぞれ、楽しめる花(小金井公園なら、ウメ・サクラ)、紅葉が楽しめる公園、プールがある、サイクリングができる、釣りができる、バーベキューができる、等々、目次にマークが付いていて、これは便利。

小金井公園でもバーベキューができるのは意外だった。
(禁止だと思いこんでいたが)




Kouen_guide_koganei内容はこんな感じ。

小金井公園
 伝統を受け継ぐサクラの名所

昭和15年の紀元2600年記念に計画された小金井大緑地が前身。
戦後、東宮御所にも使用され、農地改革により4割を減じたが、昭和29年に都立公園として開園された。
―― というぐあいに、要領よく紹介されていて、しっかりした内容。


話はそれるが、昭和15年(紀元2600年)は、十二試艦上戦闘機が、旧日本海軍制式戦闘機として採用され、「零式艦上戦闘機一一型」と命名された年。
紀元2600年というのは、神武天皇即位から数えた神話の世界だから、多分に眉唾ものだが、零式戦闘機(ゼロ戦)の「零」はこの末尾数字からとられている。










Kouen_guide_tama公園ガイドマップ 多摩丘陵編
 発行:財団法人東京都公園協会
 平成17.4.1 初版
 平成19.4.1 第二版

開くと、大きな五万分の一カラー地図に、公園や緑地がマークされている。
西は桧原村(東京都)から、北は瑞穂町(東京都)、東は武蔵野市(東京都)、南は相模原市(神奈川県)あたりまでがカバーされている。

地形がよくわかるカラー地図で、楽しい。
この近隣では、武蔵野公園、野川公園など、いつか訪ねてみたい大きな公園が載っている。

地図の裏面には、多摩地区の代表的な公園が8個所、詳しく紹介されている。

都立滝山公園(八王子市)、都立小宮公園(八王子市)、都立長沼公園(八王子市)、都立平山城址公園(八王子市)、多摩動物公園(多摩市)、都立小山内裏公園(町田市)、都立小山田緑地(町田市)、都立桜ヶ丘公園(多摩市)。

ほとんどが行ったことのない場所だが、眺めているだけで楽しくなる。
サイクリングでまわると、いいだろうな。

【参考サイト】
公園へ行こう! (財団法人東京都公園協会)
http://www.tokyo-park.or.jp/index.html

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【遊】小金井公園 コスモス満開

先週につづいて、今日もまた自転車に乗って都立小金井公園へ行った。
今日は、家人も同行。

今日から 「コスモスまつり」 が開催されていて、おおぜいの人でにぎわっていた。
フリーマーケットや出店もたくさん出ていた。

駐車場は満車。
自転車で行ってよかった。

コスモス畑のある 「こどもの広場」 では、ブラスバンドの演奏をしていた。
秋空の下、ブラスバンドの響きが心地よかった。


0810180013081018001508101800260810180027081018002308101800660810180068081018006708101800240810180049         

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【読】知里幸恵をめぐる四冊

テレビ番組の影響は、すごいものだと思った。
一昨日の夜(2008/10/15)、NHK総合テレビ 「その時歴史が動いた」 という番組で、知里幸恵が紹介された。
私も、番組のことを教えていただいて、ビデオにも録り、放送もみた。

Asahi_shinbun_20081016ためしに、ネット検索で 「知里幸恵」 を探してみると、この番組に関する記事がたくさんヒットした。
私のこのブログでも、たちまち検索フレーズランキングの第一位(ここ一週間の集計、10/17現在)になっている。

このブログの別の記事のコメントに書いたことだが、私は、この番組をそれほどいいとは思わなかった。

理由はいろいろあるが、ドラマ仕立ての番組のつくり(それがこの番組のコンセプトのようだが)に、違和感をおぼえたのが一番の理由。

番組に登場した知里幸恵役、金田一京助役の俳優の演技が、私の中のイメージと大きくちがうし、いかにも芝居がかっていたのが、とてもひっかかった。

ただし、貴重な映像(知里幸恵の肉筆ノート)もあったし、幸恵さんの縁続きになる横山むつみさん(旧姓:知里むつみさん)も登場して、それはそれで収穫だったのだが。


知里幸恵さんのことを私が知ったのは、それほど古いことではない。
有名な 『アイヌ神謡集』 (現在でも岩波文庫で販売されている) のことは知っていたのだが、読んでみようという気にはならなかった。
私には遠い世界で、縁がなかったのだ。

Ainu_shinyouそれが、ある時期、何かのきっかけでアイヌの人たちのこと(歴史、風俗、文化、生き方)に関心が向いてから、さまざまな本を夢中になって読んだり、調べたりした。

このあたりの事情は、手前味噌になるが、私のウェッブサイトに三年ほど前に書いた。
「晴れときどき曇りのち温泉」 ― 資料蔵(アイヌ資料編)
 http://yamaoji.hp.infoseek.co.jp/k_ainu.html
 http://yamaoji.web.fc2.com/k_ainu.html

ウェッブサイトで、私が感銘をうけた本を何冊か紹介しているが、それをここに載せておこうと思う。
検索でこのブログに来られた方々へ、情報提供したい気持ちからだ。


以下、いずれも、藤本英夫さんという人の著書。

藤本英夫 (ふじもと・ひでお)
1927年 北海道天塩町生。 北海道大学卒。
静内高校、札幌星園高校、北海道教育委員会、北海道埋蔵文化財センターを経て、現在、北海道文化財研究所に勤務。
日本民族学会会員、日本口承文芸学会会員、主著に 「アイヌの墓」(日経新書)、「銀のしずく降る降る」「知里真志保の生涯」(新潮選書)、「北の墓」(学生社)、「アイヌの国から」(草風館)、「じゅうたんの上の馬」(北海道新聞社)ほか。
― 新潮選書 『金田一京助』 藤本英夫 (1991年) の著者略歴より ―

※藤本氏は、2005年暮れに故人になられたようだ。


Fujimoto_ginnoshizuku_2『銀のしずく降る降るまわりに』
 ― 知里幸恵の生涯 ―
藤本英夫 著  草風館 1991年 2000円(税別)
※ 基版は新潮選書 1973年刊

草風館のサイトより (この本の紹介)
http://www.sofukan.co.jp/books/75.html

知里幸恵さんのことを深く知りたい方に、おすすすめ。



Fujimoto_uepeker_2『知里幸恵 十七歳のウエペケレ』
藤本英夫 著  草風館 2002年 2500円(税別)

草風館のサイトより (この本の紹介)
http://www.sofukan.co.jp/books/128.html

上の本の続編といえる。
知里幸恵については、必要以上に美化したり、まちがった像(イメージ)が伝えられているように思う。

著者の藤本氏も、あとがきでこう書いている。
<(前略) 私が、もう一度、彼女の生涯に挑戦したくなったのは、そのような彼女に対する誤伝、誤った理解を正しておきたかったことと、私自身にもあった、知里幸恵理解の不足を整理したからだった。>


Fujimoto_chiri_mashiho『知里真志保の生涯』
 ― アイヌ学復権の闘い ―
藤本英夫 著  草風館 1994年 2200円(税別)
※ 基版は新潮選書 1982年刊

草風館のサイトより (この本の紹介)
http://www.sofukan.co.jp/books/68.html

知里幸恵の末弟で、アイヌ語学者の知里真志保の伝記。
この人も、差別のなかで、強烈な人生をおくった。
金田一京助の援助で一高(旧制第一高等学校)から東京大学にすすんだが、金田一博士との確執もあったようだ。


Fujimoto_kindaichi『金田一京助』
藤本英夫 著  新潮選書 1991年 971円(税別)

※ 絶版

e-honのサイトより
http://www.e-hon.ne.jp/bec/SA/Detail?refShinCode=0100000000000018478003&Action_id=121&Sza_id=F4   

金田一京助の伝記だが、知里幸恵・真志保姉弟との関わりについても、もちろん触れている。
著者は、金田一京助を評して、「これほど天衣無縫で無防備な人はいないのでは」 という。



知里幸恵 『アイヌ神謡集』 に文字として記録されたカムイユカラは、彼女が伯母(金成マツ)や祖母(モナシノウク)など、身のまわりの人たちから伝承したものであったはず。
そのカムイユカラ(神謡)を、いわばオリジナルの姿(謡い)に復元したCDがある。

「アイヌ神謡集」 をうたう
 うた:中本ムツ子  復元:片山龍峯
 草風館 3枚組CD 2003年 3000円(税別)

上にあげたNHKのテレビ番組 「その時歴史が動いた」 で使われていた音源がこれ。

Kamuy_yukar_utau01_2Kamuy_yukar_utau02










【おすすめサイト記事】
美瑛町360日 http://www.biei.info/blog/
「知里幸恵」
http://www.biei.info/blog/?p=390
   

| | コメント (0)

2008年10月15日 (水)

【演】【読】なぜか葛根湯

カテゴリーがむちゃくちゃだけれど、メインは演芸日誌ということにしておこう。

ここ二週間ほど、いや、もっと長くなるか。
ずっと風邪気味。
なんとなく、風邪をひきそうな、でも風邪ともいえないような状態が続いている。
勤め先でも、周囲は風邪ひきさんばかりだから、無理もない。

私は、めったに風邪薬を飲まないが、この葛根湯はよく飲む。
効き目のゆるい漢方薬だから、いくら飲んでも平気な気がして。

葛根湯といえば、もう何度も書いたことだが、私は桂枝雀の落語のくすぐりをおもいだす。
江戸時代の医者は、免許もいらないので、誰でも勝手に名乗ることができた。

こういう医者がたくさんいた。
やぶ医者、すずめ医者、たけのこ医者。
すずめ医者は、これからやぶへ飛んでいこうとしている医者。
たけのこ医者は、これからやぶ(竹やぶ)になろうとしている医者。

やぶ医者は、藪医者と書くが、語源は「野巫医者」だという説がある。
医師免許などない時代、呪術でもって病気を治す(という医術)があったのだ。

西洋医学の薬は、私にはどうも信用できない。
漢方がいいのだ。

Kakkontou今日の収穫。
(葛根湯は除く)

勤め先近くのBOOK OFFで、昼休みに購入。








『流れる星は生きている』

 藤原てい 中公文庫 定価648円(税別)
『日中戦争見聞記 1939年のアジア』
 コリン・ロス 金森誠也/安藤勉 訳
 講談社学術文庫 定価1050円(税別)

いずれも、読まれた形跡なし。
BOOK OFFでの中古価格は、定価の5~6割程度。
中公文庫や講談社学術文庫は、古本でもやや高め。

このところ、このての本が目についてしかたがない。
なかなか読めないことがわかっていながら、ついつい買ってしまうのだ。

(こんな “病気” に効く薬はないものか)

| | コメント (4) | トラックバック (0)

【読】読了 「戦艦武蔵」

吉村昭 『戦艦武蔵』 をようやく読了。
この勢いで、『零式戦闘機』 を読んでみようと思う。

Yoshimura_musashiYoshimura_zerosen_2吉村 昭

『戦艦武蔵』 新潮文庫 438円(税別)
 単行本 新潮社 1967年

『零式戦闘機』 新潮文庫 476円(税別)
 単行本 新潮社 1968年





『戦艦武蔵』 (新潮文庫) の作者あとがきが、いい。
私も、あの戦争はこういうふうに捉えるべきだと思っている。

<私は、戦争を解明するのには、戦時中に人間たちが示したエネルギーを大胆に直視することからはじめるべきだという考えを抱いていた。 そして、それらのエネルギーが大量の人命と物を浪費したことに、戦争というもの本質があるように思っていた。 戦争は、一部のものがたしかに煽動してひき起したものかも知れないが、戦争を根強く持続させたのは、やはり無数の人間たちであったにちがいない。 あれほど厖大な人命と物を消費した巨大なエネルギーが、終戦後言われているような極く一部のものだけでは到底維持できるものではない。 (後略)>


戦艦大和と同型、同時期につくられたこの巨大な戦艦は、ほとんど戦闘に参加しないまま、1944年(昭和19)10月、フィリピン島沖(レイテ)海戦で撃沈された。

当時、世界最大級の戦艦として、四年以上の歳月をかけて建造された、艦底から艦橋頂上までの高さ50メートル(国会議事堂と同じ高さ)の巨大軍艦である。

この化け物のような軍艦にはある種の魅力があるが、それを造りあげた厖大なエネルギーと、戦闘のためだけに造られたということに思い至ると、いっそ不気味である。



文庫の巻末解説に、磯田光一氏のこんな記述があって、うなずかせる。

吉村昭の、太宰治賞を受賞した出世作 『星への旅』 が、少年たちの集団自殺を描いたものであることに触れたあと――
<『戦艦武蔵』 は、極端ないい方をすれば、一つの巨大な軍艦をめぐる日本人の “集団自殺” の物語である。>  

| | コメント (9) | トラックバック (0)

2008年10月14日 (火)

【歩】紫芋の杏仁豆腐(杏's cafe)

立川まで電車ででかける用があったので、「杏's cafe」 のサイト(ブログのイベント情報)で知った伊勢丹立川店へ。
地下食料品売場の一角に、出店されていた(今日まで)。

秋限定の 「紫芋の杏仁豆腐」 を購入。
さっそくいただいてみた。
紫芋のかすかな風味が、杏仁豆腐にマッチして、おいしい。


杏’s cafe のサイト
東京限定スイーツ 取寄せもできる東京都小平市にあるこだわり杏仁豆腐のお店
  杏's cafe[アンズカフェ]
http://www.ans-cafe.com/

ブログ イベント情報
http://www.ans-cafe.com/contents/index.php?cID=4


Murasaki_imo_annin

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年10月13日 (月)

【楽】工藤静香 MY PRECIOUS

工藤静香が全曲中島みゆきを歌う
 2008年 カバーアルバム本命盤! ――と書いたシールが貼ってあった。

Kudou_shizuka_my_preciousKudou_shizuka_my_precious2_4











工藤静香
 MY PRECIOUS
 ― Shizuka sings songs of Miyuki ―
PONY CANYON  2008.8.20  3,255円(税込)

少し前、発売を知って気になっていたアルバム。
値は張るが、思いきって買ってみた。

なかなか、いいのだ。
工藤静香という歌い手が好きだから、私にとっては好感のもてるアルバムだ。


いつの頃からか、中島みゆきの新作アルバムを買わなくなったのだが、次々と出るヒット曲は気になっていた。
「銀の龍の背に乗って」「命の別名」「宙船(そらふね)」などは、中島みゆき本人の歌唱の前に、このアルバムではじめて聴くことになる。


― 収録曲 (全14曲) ―
空と君のあいだに/銀の龍の背に乗って/見返り美人/やまねこ/涙 ― Made in tears ―/カム・フラージュ/浅い眠り/土用波/命の別名/宇船(そらふね)/すずめ
(以下、Bonus -original-)
激情/雪・月・花/Clavis ― 鍵 ―

 ※ボーナストラックを除く全11曲新録音


カバーアルバムの難しさで、ついついオリジナルの歌唱(中島みゆき本人以外の、楽曲を提供された歌手を含め) と比較してしまう。
あっちの方がいいな、と思う曲もあるが、このアルバムでの工藤静香の歌唱もいいと思ったものが何曲かあった。

「空と君のあいだに」 「浅い眠り」 「すずめ」 などは、工藤静香のいいところがでていると思う。
「すずめ」 は、増田けい子(元 ピンクレディーのケイ)への提供曲だが、私は、この工藤静香の歌唱の方が好きだ。

ケイちゃんも、悪くないのだけれど。

Masuda_keiko_suzume増田けい子 「すずめ」
 中島みゆき 作詞・作曲/青木 望 編曲
 C/W 「前夜祭」
  (サガン綾 作詞/堀江 淳 作曲/青木 望 編曲)
 1981年 ワーナー・パイオニア






この先、繰りかえし聴くことになるだろう。
聴くたびに、あたらしい発見がありそうなアルバムだ。

――と、書きながら、二度目に聴く 「涙 ― Made in tears ―」 (前川清への提供曲)に、ぐっと来てしまった。
工藤静香は、底力のある歌い手だと思う。

楽曲のよさに助けられているのはたしかだが、買ってよかったなと思うアルバム。

| | コメント (6) | トラックバック (0)

【遊】小金井公園 コスモス

秋空。
気持ちがよさそうだったので、午後になってから自転車で小金井公園まで行ってみた。
片道15分ほどの近くだ。

体育の日のせいか、人がたくさんいた。
コスモス園まで足をのばしてみた。
満開。

たくさんの種類があることに驚く。


08101301290810130045081013008708101301020810130046081013006008101300560810130062081013005708101300730810130082_2081013008308101300940810130096_2               

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年10月12日 (日)

【遊】江戸東京たてもの園 ガイドブック

江戸東京たてもの園のガイドブックを紹介しておこう。
ミュージアムショップで手にはいる。
なかなかいいものである。

値段が書かれていないので忘れてしまったが、安価。


江戸東京たてもの園のサイト
http://www.tatemonoen.jp/index.html


子ども向け ガイドブック  A5版/50ページ

Tatemonoen_guide2Tatemonoen_guide02











一般向け 解説本  A4版/65ページ

Tatemonoen_guide1Tatemonoen_guide01











江戸東京たてもの園だより (無料)

Tatemonoen_dayori32

| | コメント (2) | トラックバック (0)

【遊】ひさしぶりの江戸東京たてもの園 (8) 最終回

今日は秋晴れの日曜日。
窓を開け放ち、パソコンに向かっていても気持ちがいい。


0810110177ひまにまかせて8回の連載になってしまった。
きのう、三時間かけて歩いた、江戸東京たてもの園の様子。
きりがないので、これで最終回としよう。

西ゾーンからセンターゾーンに戻る。







旧自証院霊屋

徳川幕府三代将軍 徳川家光の側室であったお振りの方の霊廟。
霊廟とは、大きな仏壇のようなもので、死者の霊を祀ってあるらしい。

08101101780810110179











高橋是清邸
 旧所在地 : 港区赤坂七丁目
 建築年代 : 1902年(明治35)

二・二六事件の時、当時大蔵大臣だった高橋是清は、この家の二階の部屋で殺害された。
内部は公開されていて、その部屋も見ることができる。
一階は、休憩所・飲食施設になっていて、蕎麦やうどんがおいしい。

今回は、高橋是清邸の庭をまわって、臨時出入口の伊達家の門へ向かった。

0810110181081011018308101101840810110185











伊達家の門
 旧所在地 : 港区白金三丁目
 建築年代 : 大正期

宇和島藩(今の愛媛県)の大名であった伊達家が大正時代に東京に住むためにたてた屋敷の表門
すべてケヤキで作られていて、扉の板にも、天井の板にも継ぎ目がない。
門の隣りには番所(門番の詰所)があり、臨時の入園受付所となっていた。
本来のエントランスである、ビジターセンター(旧光華殿)が工事中のためである。

0810110190園の外にでると、小金井公園は秋の気配がただよっていた。

春先には花盛りとなり、晩秋には紅葉がみごとな園内の樹木も、いまはまだ色づきはじめたばかりだ。








081011019108101101980810110199081011019608101102000810110205      
   

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【遊】ひさしぶりの江戸東京たてもの園 (7)

小雨のち晴れの、江戸東京たてもの園訪問記。
西ゾーンの続き。


三井八郎右衛門邸
 旧所在地 : 港区麻布三丁目
 建築年代 : 1952年(昭和27)

こういう家を豪邸というのだろう。
大財閥 三井家の本邸。
戦後に建てられたものだが、明治時代の華族の住まいの雰囲気を伝える。
家の内部も、お金のかかった造作がみられ、見学者が多い。
庭も開放されていて、歩くことができる。

08101101380810110137081011014008101101280810110121081011012908101101340810110130











八王子千人同心組頭の家
 旧所在地 : 八王子市追分町
 建築年代 : 江戸後期

<この家は、農業をしながら、将軍の命令によりいざというときには武士としての役目をはたしていた 「八王子千人同心」 と呼ばれる人が住んでいました。> (江戸東京たてもの園 ガイドブック)

08101101410810110160











吉野家 (よしのけ)
 旧所在地 : 三鷹市野崎二丁目
 建築年代 : 江戸後期

三鷹市野崎は、いま友人夫妻が住んでいるので、何度か行ったことがある。
たてもの園のガイドブック(一般向け) 「江戸東京たてもの園 解説本」 には、次の説明がある。

<吉野家は、江戸時代後期に建てられた農家である。 旧所在地は三鷹市野崎で、江戸時代は武蔵国多摩郡野崎村であった。 このあたりは、幕府および尾張徳川家の鷹場になており、江戸時代中頃から開発が進められた地域である。/江戸時代後期の野崎村は、周辺の村と同様に水利があまりよくなかったことなどから、水田はなかった。 畑では大麦・小麦・粟・稗などが作られていた。……>


こういう縁側のある茅葺き家もいいな。

0810110145_20810110146_20810110147_20810110148_20810110149_20810110152











奄美の高倉
 旧所在地 : 鹿児島県奄美大島郡宇検村
 建築年代 : 江戸末期頃

0810110156<米や麦などをしまっておくための倉庫です。 気温や湿度から穀物を守るために風通しをよくしたり、ネズミが入らないように床を高くしたり、いろいろな工夫がされています。 この倉庫は木を組み合わせてつくられていて、クギが1本も使われていません。>
(江戸東京たてもの園 ガイドブック)    

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【遊】ひさしぶりの江戸東京たてもの園 (6)

ゆうべは月がでていたから、小金井公園の 「お月見のつどい」 に集まった人たちにはよかったことだろう。
北風の強い夜だったな。

今日は、朝から秋晴れ。


さて、昨日おとずれた江戸東京たてもの園の続編。

通常の入口であるビジターセンターから園内にはいったところに、エントランス広場がある。
広場から西へ、「山の手通り」 という気持ちのいい通りがある。
通りに面して、北側に三軒の瀟洒な洋館が並ぶ。


西ゾーン

田園調布の家(大川邸)、前川國男邸、小出邸。
西ゾーンにある建築物は、いつでも内部を公開している。
家の中も、当時のままの状態を復元していて、見学するとおもしろい。


08101101060810110111











田園調布の家 (大川邸)
 旧所在地 : 大田区田園調布四丁目
 建築年代 : 1925年(大正14)

大正末期のモダンな洋館。
そのころの日本家屋は畳の大部屋が多かったが、この家では現代のように個室にわかれている。

08101101690810110170











前川國男邸
 旧所在地 : 品川区上大崎三丁目
 建築年代 : 1942年(昭和17)

建築家 前田國男がじぶんで住むために作った家。
戦中に作られたもので、質素ななかにも建築家らしい斬新なアイディアがみられる。
家の内部も住みやすく、工夫されている。
当時としてはすぐれた暖房器具だったラジエーターが使われている。
こういう家なら、住んでみたいと思う。

前川國男(1905~86)
東京文化会館(1961)、東京海上ビルディング本館(1974)、東京都美術館(1975)はじめ、多くの建築物を設計し、日本の近代建築の発展におおきな役割をはたした。

08101101680810110167











小出邸 (こいでてい)
  旧所在地 : 文京区西片二丁目
 建築年代 : 1925年(大正14)

<大正時代から昭和のはじめにかけて、静養の考え方を取り入れて、今までの日本の建物の形や、住み方を見直そうという動きが起こります。 この建物も当時ヨーロッパで流行した形を取り入れてつくられています。 とんがり屋根の中身はどうなっているのでしょう。 この家では、小出さん夫妻が暮らしていました。>
 (江戸東京たてもの園 ガイドブック)

庭に、大きな金木犀の木があり、たくさん花をつけていた。
和洋折衷の、住みやすそうな家。

0810110164081011011308101101390810110162_3
 

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年10月11日 (土)

【遊】ひさしぶりの江戸東京たてもの園 (5)

思いがけず、連載になってしまった。
都立小金井公園の中にある、江戸東京たてもの園の訪問記。

いつのまにか小雨もあがって、晴れ間がでてきた。
今日はなぜか、団体のお客さんが多い。

東ゾーン 「東の広場」 には、りっぱな桜の木がある。
万世橋交番の並び。

万世橋交番
 旧所在地 : 千代田区神田須田町一丁目
 建築年代 : 明治期

081011007408101100790810110071081011007208101100760810110078











この広場には、都電(製造年月日:昭和37年12月4日)とボンネットバスが展示されている。

東ゾーンを後にして、ビジターセンターへむかう。

右下の写真は、旧自証院霊屋(きゅうじしょういんおたまや)。
江戸時代に徳川家が建てた霊廟である。

旧自証院霊屋
 旧所在地 : 新宿区富久町
 建築年代 : 1652年(慶安5)

08101100810810110084








 


ビジターセンターの展示室では、特別展 「日本の建築博物館」 が開催されていた。
建築模型が、たくさんガラスケースに展示されていて、こういうミニチュアが好きな私にはうれしい。
二段目の写真は、東京駅の復元模型

08101101040810110086081011008908101100900810110087081011009308101100960810110099    

      

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【遊】ひさしぶりの江戸東京たてもの園 (4)

江戸東京たてもの園の東ゾーンにある、大きな農家の建物。

天明家 (てんみょうけ)
 旧所在地 : 大田区鵜の木一丁目
 建築年代 : 江戸後期

この一角も好きで、よく立ち寄る。
立派な長屋門を持つ。
長屋門の中には部屋があり、この中でじゅうぶんに生活できそうだ。

天明(てんみょう)さんは、村の年寄役の一人で、村長もつとめていた人。
畑を貸して、その代わりに年末に荷車いっぱいの麦・豆・野菜を納めさせていたということだ。
 (子ども向けの「江戸東京たてもの園 ガイドブック」による)


裏の畑に、秋の花が咲いていた。

0810110070081011005208101100640810110066081011006108101100540810110055081011006008101100630810110065

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【遊】ひさしぶりの江戸東京たてもの園 (3)

ひさしぶりの、江戸東京たてもの園。

武蔵野うどんで腹がおちついたので、銭湯で汗を流そう。

子宝湯
 旧所在地 : 足立区千住元町
 建築年代 : 1929年(昭和4)

残念ながら営業はしていない(あたりまえだ)。
何度か入ったことがあるが、最近は建物の中に入らないで園内をただ散歩することが多かった。
なつかしい銭湯だ。

081011003008101100480810110034081011004408101100350810110037











入浴者心得、よく読むとおもしろい。

「全身とくに下の方をよく洗うこと」
「流し場にぺたりと座らないこと」
「浴槽(ゆぶね)の湯で顔や髪を洗わないこと」
「手ぬぐい、タオルなどを浴槽内に持ちこまないこと」

これらの注意書きは、裏返せば、このようなことをする人が多かったということだろう。


今でも、もちろん銭湯はあるが、すっかり雰囲気がかわってしまった。
銭湯に通っていた頃(つまり、内風呂のないところに住んでいた頃)、風呂にはいるのは週に一、二度だったとおもう。
毎日、シャワーや風呂が使える今の生活の、なんと贅沢なことよ。

08101100320810110044_208101100460810110047











子宝湯の隣りには、おあつらえむきに、一杯飲み屋がある。

0810110049鍵屋(かぎや)
 旧所在地 : 台東区下谷二丁目
 建築年代 : 1856年(安政3)

<ここは居酒屋さんです。 お父さんが酔っぱらってごきげんで帰ってくるときは、きっとこういうところによっているのかもしれません。 店のなかは今から30年くらい前の様子です。……>

(江戸東京たてもの園 ガイドブック)          

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【遊】ひさしぶりの江戸東京たてもの園 (2)

小金井公園の江戸東京たてもの園前広場。

「第41回 小金井お月見のつどい」 というイベントが、今日明日、催されている。
これは予定外だった。

拡声器をとおした草笛の合奏が聴こえてくる。
たてもの園のエントランス、ビジターセンター前の特設ステージでこんなことをしていたが、あいにくの雨で聴衆はまばら。

0810110003081011000208101100070810110008











ビジターセンター(旧光華殿)の建物は補強工事中で、ふだん閉鎖されている 「伊達家の門」 の前が臨時の出入口になっていた。

08101100100810110017











お昼どきで、おなかがすいていたので、いつもの園内のうどん屋へ直行。
「子宝湯」 のある東ゾーン。

ミュージアムショップも、ここで臨時営業していた。
今日は、小雨で肌寒かったこともあって、あたたかい力うどんを食べる。

0810110025081011002608101100270810110028











私がはいったときは、お客はだれもいなかったのに、うどんができあがる頃には、団体さんが十数名はいってきて、たちまち満席となる。
ここの武蔵野うどんは、おいしい。

私は、友の会のパスを持っているため、入園料は無料、食堂や売店も割引となる。
(書籍は割引にならないが)
力うどん700円が、100円引き。         

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【遊】ひさしぶりの江戸東京たてもの園 (1)

今日は、小雨のち晴れのち曇りという、みょうな天気だった。
都心にでかける家人を駅まで送り、その足で(車で)小金井公園内の江戸東京たてもの園へ。
じつにひさしぶりだ。

天気がよければ自転車で、と思っていたのがあいにくの雨。
公園内の駐車場(有料)に車を停めて、たてもの園前の広場にでると、出店がたくさん並んでいて賑やかだった。
どうやら、今日はイベントがあるらしい。

「お月見のつどい」
月はでるのだろうか。

Tatemonoen_200810_otusukimiTatemonoen_200810 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【読】吉村昭 「戦艦武蔵」

ひさしぶにに、本のことを書く。
三日ほど前から読み始めたこの本がおもしろい。


Yoshimura_musashi吉村昭 『戦艦武蔵』
 新潮社文庫 438円(税別)

この本は、猪瀬直樹 『作家の誕生』(朝日新書/2007年6月)の中で紹介されていたのを読んで、気になっていたもの。

昭和13年(1938年)から三年近くかけて、戦艦大和と同時に建造された巨大な戦艦の、誕生から沈没までの物語だ。

吉村昭の書いたものを読むのは、これがはじめてだが、徹底した調査・取材に裏づけられた物語は、読み応えじゅうぶん。

いくつか文庫本で、この作家の書いたものを手に入れた。
全部読めるかどうか、わからないけれど……。


Yoshimura_shijitsu吉村昭 『史実を歩く』
 文春新書 003 1998/10 680円(税別)

<「戦艦武蔵」「深海の使者」などの戦史小説、「長英逃亡」「桜田門外ノ変」「天狗争乱」「生麦事件」など幕末に材をとった歴史小説を精力的に発表してきた著者は、その綿密な取材と細部へのこだわりでも知られる。 作家はどのようにして素材と出会うのか、執筆にあたってはどのように調査を進め、いかにして歴史の〝真実〟に肉薄するのか――作家の史実への姿勢を、失敗も含めて率直につづった、とっておきの「取材ノート」。>
(本書カバーより)


とりあえず、『零式戦闘機』 『破獄』 『羆嵐(くまあらし)』 『間宮林蔵』 『赤い人』 『星への旅』 など、読んでみたいと思い、文庫で手に入れた。

いつものように、大型古書店で買い集めた。
このようにして、本がたまっていく……。



猪瀬直樹 『作家の誕生』 については、7月25日に紹介した記事がある。

【読】この本もおもしろい
http://yamaoji.cocolog-nifty.com/blog/2008/07/post_8a85.html

Inose_sakka_tanjou_2吉村昭 『戦艦武蔵』 については、第9章のコラムで5ページにわたって紹介されている(P.227-232)。
この章(「自己演出の極限を目指す」)は、三島由紀夫を論じたものだが、三島由紀夫とはまったくちがうタイプの吉村昭のような作家の方が、私は好きだ。

<産業社会が高度化した結果、国家とか巨大なシステムなど、身体的な実感ではとらえられにくいブラックボックスが生活空間を支配しはじめる。>

<吉村昭は三島由紀夫より二歳下、1927年(昭和2年)の下町生まれ、繊維関係の工場を営む商家であり官僚エリートでもなければ教育や文学とも無縁の家系であった。 地味な短編作家としてスタートした吉村昭は、三島由紀夫が自衛隊へ体験入隊しようと考えはじめるころ、過去の戦争の姿を社会の一面として描くことに成功した。 1966年に新潮社より刊行さらた 『戦艦武蔵』 である。>

<『戦艦武蔵』『零式戦闘機』など戦史シリーズは、巧みな短編小説の書き手であった吉村昭の仕事を新しい方向へと大きく旋回させた。 七十年代から始まるノンフィクションの時代の幕開けを決定づけた。>

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年10月10日 (金)

【楽】すどもん珍報 第2号と近々のライブ

須藤もんさんから、手づくり新聞 「すどもん珍報」 第2号が届いた。
近々のライブのちらしも2枚。

須藤もん 公式サイト  SudoMon's World
http://homepage2.nifty.com/sudomon/


Sudomon_08101210/12 (日)
 西荻窪 CLOP CLOP

 ACOUSTIC LIVE
   ~ 飲秋歌宴 ~

出演 
須藤もん&対馬照
 まつだなお
 タクロー (from 豊橋)
 日念暮 ひねくれ (from 豊橋)

19:00 開演
チャージ 1,500円+オーダー





Acovo_200810/13 (祝)
 上野水上音楽堂

 ACOUSTIC VOICE vol.21

12:00 開演
全席自由 再入場可 カンパ制


http://acovo.fc2web.com/

出演 井上ともやす/さとうもとき/MINAMI/たがみひろやす/The ワレンキャ/須藤もんwith対馬照/高田リオン/皐月/根本延浩with神永大輔&幸海/たかよし/ねるず/ゆっぴ


Sudomon_news_vol2

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【歩】十月の朝

今日、十月十日は、すこし前までの「体育の日」で、晴れの特異日といわれている。
今年のこの日も、秋晴れだった。

日の出の時分と、30分後の東の空。
秋の雲だなあ。

08101000010810100003

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年10月 9日 (木)

【遊】四市横断サイクリング (8) 最終回

夜も更けたけれど、今週も仕事は明日一日なので、多少の夜更かしはいいだろう。
今夜中に書いてしまおう。


国立から国分寺、そして小平へ

国立駅(南口)から南東へのびる旭通りは、狭いけれど両側に面白い店が多い。
私は、こういう通りが好きだ。

通りから高い煙突が目についた。
裏に入ってみると、なんと銭湯らしい建物。
ただし、入口がみつからなかった。

左下の写真は、「音楽茶屋 奏」 が入っているビル。
(「奏」は地階)
一階に 「谷川(やがわ)書店」 という古本屋がある。
かつて、赤坂憲雄さんという人が、この店で 『定本柳田国男集』 全巻を、破格の安値で購入したという。


― 赤坂憲雄 『柳田国男の読み方』 (ちくま新書) より ―

二十代も終わりに近い、ある夏の午後であった。 高校生の頃から、暇さえあれば通った古本屋さんが国立にあった。 国立スカラ座という映画館の近くの谷川書店である。 スカラ座は跡形もなく消えたが、谷川書店はいまも旭通りに健在だ。 『定本柳田国男集』 はそこで買った。 たしか四万五千円の値段だった。 初版の、固い箱入りのもので、読まれた形跡はまるでなかった。 格安だったが、当時のわたしにはかなりの勇気がいる買い物だった。 段ボール箱に詰め、自転車の荷台にくくりつけて、国分寺のアパートまで運んだ。 荷台から伝わってくるずっしりとした重量感が、心地よかった。 (あとがき P.218-219)


0810050151081005015208100501530810050154











たまらん坂を、立ちこぎでようやく登り、国分寺市へ戻る。
武蔵野線の跨線橋を、やはり立ちこぎで登り、府中街道を横切ったところに、気になる蕎麦屋が二軒。

その先には、「都立武蔵国分寺公園」 がある。
道路の左(北)側。
南側も公園になっていて、往路に立ち寄った「お鷹の道」「武蔵国分寺跡」などが広がっている。
このあたり、広々としていて気持ちがいい。

08100501640810050165081005016208100501660810050169081005017208100501730810050177











この先、国分寺駅までのあいだに、もうひとつ急坂がある。
ぐっと下ってから(自転車のブレーキをかけないと危ない)、登りきったところが、もう国分寺駅前の一角だ。

先日見つけて、このブログでも紹介した例の飲み屋(ハナクラ)を探し、写真を撮った。
「心を込めて準備中」 という木札、ホッピーの看板、サッポロビールのポスターが、いい。

08100501780810050179











国分寺駅前、中山ラビさん経営という 「ほんやら洞」と、北口に出て国分寺街道沿い、早稲田実業の敷地内にあるモニュメント。

王貞治氏のホームラン世界記録の記念碑 (左)
「日本の宇宙開発発祥の地」 記念碑 (右)


0810050180081005018308100501820810050185











この先、団地に近づいてきたところで小雨が降りだしたが、たいして濡れずに帰宅できた。
いいサイクリングだった。                

| | コメント (4) | トラックバック (0)

【遊】四市横断サイクリング (7)

しつこく続くのである。

国立駅界隈

立川市錦町からの帰路は、学園通りを東へ戻り、大学通り(国立のメインストリート)に出て国立駅に向かった。

JR南武線の踏切近くにある、例の蕎麦屋の写真も、まぢかで撮ることができた。
(帰路の歩道側の店なので)

08100501360810050138











大学通り

JR中央線 国立駅南口から、まっすぐ南へのびる広い通り。
JR南武線の谷保駅まで続く。
桜並木がみごと。

この通りをはさんで、両側(東西)に一橋大学のキャンパスがある。

081005013908100501400810050141081005014308100501440810050145











国立駅前には、しゃれた面白い店が多い。
この街のシンボルだった、三角屋根の駅舎は、だいぶん前に取り壊されてしまった。
壊される前に、しっかり写真をとっておけばよかったと、今になって悔やむ。

現在、あたらしい駅舎を建設中(右下の写真)。

0810050147_20810050146_30810050148_30810050149











駅前の古本屋に立ち寄った。
小さい店ながら、品揃えがいい。
収穫あり。

0810050150この後、旭通りから往路に戻って、国分寺へ。

途中、これまた面白いものをいくつか発見したので、もう一回ぐらいこの連載(?)は続く。


(いよいよ最終回へ?)     
      
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年10月 8日 (水)

【遊】四市横断サイクリング (6)

日曜日のサイクリングの続き。

国立市を走る。
桐朋学園のある 「学園通り」 を西へ、立川市錦町方面へむかう。

郵便局(国立東局)の先に、風変わりな店がある。
いつか写真に撮りたいと思っていた。

たぶん大衆食堂なのだろう。
「六六食房」 の看板が出ている。
ちょうど店の人が来て、掃除をしていた。

08100501010810050102











この道、「学園通り」 は、一橋大学のある国立駅前通り 「大学通り」 と交わる。
大学通りは広々としていて、気持ちがいい。
車道は片側二車線だが、脇の遊歩道が広く、別に自転車専用路線まである。
春は桜並木が満開でにぎわう。

0810050104081005010508100501070810050109











交差点の先が、桐朋学園。
小、中、高が入っている広い敷地。
ちょうど、小等部の運動会がひらかれているようだった。

08100501120810050113











この先にも、いくつか気になっていた店や建物がある。
しゃれた喫茶店、「緊急通報犬育成協会」。
トウカエデの並木が続き、右手の広大な敷地は、地図をみると 「郵政大学校」 とある。

0810050114081005011508100501180810050119











いよいよ、立川市。
目的地は近い。

よくお世話になっている 「ブックセンターいとう」 の建物が大きく見える。
この店舗で、すこし前に痛ましい事故があった。

ニュースにもなったので、ここに書いてもいいと思う。

店のシャッターの下に寝ていた人に気づかず、店員がシャッターを降ろしてしまい、はさまれた人が死亡たという事故だ。
ついこのあいだまで、花が供えられていた。


<古書店シャッターにはさまれ男性死亡 東京・立川  - MSN産経ニュース>
http://sankei.jp.msn.com/affairs/disaster/080802/dst0808021126005-n1.htm



JR南武線 西国立駅近くの踏切を渡る。
電車の本数は少ないが、車だと、待たされる場所だ。

線路の手前、右側に、やはり気になる蕎麦屋がある。
ここは、帰路、じっくり観察してきた。

081005012108100501220810050124
今回の目的地は、この踏切を渡ったすぐ先だった。
途中、寄り道をしたり、写真を撮ったりしたので、自宅を出てから二時間半かかった。








帰路は、国立駅前をまわって、ほぼ同じ経路。
途中、面白いものもあったので、次回もこの続きを書こう。   

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008年10月 7日 (火)

【遊】四市横断サイクリング (5)

日曜日のサイクリングの続き。
国立界隈。

謎の 「桜の園」

「たまらん坂」 を下りきったところに、これまたずっと気になっていた場所がある。
道路の南側、かなり広い敷地だが、春先、ここの桜がみごとなのだ。
今回、ゆっくり観察してみたが、謎の空地である。

どこかの家の庭という感じでも、公園でもなさそうだが、正体不明。
こんど行ったら、裏手までぐるっとまわってみよう。

08100500880810050089











「桜の園」 を過ぎると、国立駅方面へむかう 「旭通り」 (右下の写真)とわかれる交差点。
旭通りには、「はっぽん」と「奏」(いずれもライブの店) がある。

私の目的地へは、ここを左折する。

08100500900810050091 











左折してすぐ、右手に、これも気になっていた和菓子屋さんがある。
念願かなって、じっくり観察することができた。


国立の団子

店の名前は 「三芳野」(みよしの) という。
(国立市東2-12-2 三小通り沿い)

店先をのぞくと、この店独自(オリジナル)の品々が並んでいる。
「勘助だんご」「ぱりっと最中」「めでたい最中」「多摩蘭どーら」(どらやき) 等々。

鯛の形の 「めでたい最中」 に惹かれたので買い求めようとしたら、これは予約制とのこと。
栗おこわと勘助団子を買う。

勘助団子は、団子の生地(?)に、ごまをまぶしたものと、くるみをまぶしたものが二種類。
あんことか、しょうゆとか、それぞれ四種類あったので、2×4=8本購入。
これがとても美味しかった。

(下の写真で6本なのは、2本食べてしまった後の写真だから)

団子は、注文を受けてから作る、というていねいなお店で、感じがよかった。
この店は、ぜひまた訪ねてみたい。

081005009208100500940810050095_3081005009608100501290810050187











(以下、次回へ続く)         

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008年10月 5日 (日)

【遊】四市横断サイクリング (4)

すっかり遅くなってしまったので、今日は、ここまで。
残りは、明日以後にしよう。

武蔵国分寺跡から府中街道に出た。
少し北へ、やはり坂道を登っていくと、いつも車で通る 「泉町交差点」 がある。

歩道橋が十文字にかかっている、大きな交差点だ。
まっすぐ北へ行けば、JR中央線の西国分寺駅。

この交差点を西に折れると、JR武蔵野線をまたぐ跨線橋がある。
これまた急坂で、自転車を押していくか、立ちこぎでないときびしい。
歩道がまた狭いのだ。

081005007508100500760810050077081005007808100500790810050080











跨線橋を下ると、道路が異常に広くなる。
このあたりは、まだ国分寺市。
都立府中病院がある。

病院の手前、道路の北側に、いつも気になっている建物がある。
一見、普通の民家なのだが、宝石店の看板がある。
店の裏側だろうか。
それにしても、宝石店に似あわない風情である。

0810050081081005008208100500830810050085











府中病院の先に、大きな個人病院 「根岸病院」 があり、その角が大きな交差点。
左折すれば、最近になってできた広い道路に出る。
その先は、東八道路(これまた広い)と合流して、甲州街道(国道20号)と交差し、鎌倉街道につながる。
(左下の写真)

いつも、神奈川方面へ行くときは、この道路を車で走る。
今日は直進して国立方面へ。

081005008408100500860810050087上の写真の場所は、「たまらん坂」。
多摩蘭坂という字らしいが、こんな坂道は「たまらん」。

いつも車でここを通るたびに気になっていたのだが、このコープ東京には、駐車場がないようだ。
お客さんは皆、歩きか自転車で買い物に来るのだろうか。

ここから先は、国立市。

(続きは明日以後に……)



【追記】
まいどWikipediaばかりで恐縮だが、こんな記事をみつけた。
車で通るたびに、家人に冗談で言っていた 「たまらん」 は本当だったのか……?
確かに、この坂を毎日上り下りするのはいやだな。

たまらん坂(たまらんざか)は、東京都国立市東3丁目から国分寺市内藤2丁目に抜ける通り(東京都道145号立川国分寺線、通称:多喜窪通り)にある坂。
当時、自転車で通う東京商科大学(現在の一橋大学)の学生が、あまりの急坂で『この坂きつくてタマランタマラン』と口走ったことから付けられたとされている。当時は現在の中央線は国分寺止まりであり、東京商科大学の学生は国分寺からの通学を余儀なくされたが、坂は舗装されてなく雨になるとつるつると滑り、大変だったという。坂の上からは一橋大学の象徴である時計台が、今もよく見える。
また、RCサクセションの忌野清志郎がこの坂の界隈に下宿していた頃があり、当て字で「多摩蘭坂」というタイトルを作曲したことでこの坂が有名になり、多くのファンが訪れるようになった。
以前、坂の途中にあった住宅の石垣にファンの書き込みを見かけたが、現在はマンションとなり石垣は希望者に配られ、姿を消している。
坂を通る路線バス(国03 国立駅南口←(府中病院経由)→府中駅<京王電鉄バス>)は、停留所名を『多摩蘭坂』としている。

― Wikipedia より ―
         

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【遊】四市横断サイクリング (3)

Kokubunji_map武蔵国分寺跡へ。

「お鷹の道」 から、「国分寺」 (寺)へ。
その南には、広大な 「武蔵国分寺跡」 がある。
かつてそこにあった建物は、とうの昔に消失していて、現在は公園のようになっている。





Kokubunji_map2 ― Wikipedia より ―
武蔵国分寺跡(むさしこくぶんじあと)は、東京都国分寺市西元町・東元町に所在する、武蔵国の国分寺が置かれていた遺跡である。国の史跡に指定されている。
現在は旧武蔵国分寺の寺域の中心部分と、旧武蔵国分尼寺跡の一部が史跡公園として整備されている。史跡指定範囲は時代が下るごとに広がり、現在は11ヘクタールにおよんでいる。なお、推定される寺域は僧寺金堂を中心に東西1,500メートル、南北1,000メートルに範囲におよぶとみられる。


お鷹の道
湧き水があり、水を汲みにきている人もいた。
気持ちのいい、遊歩道。
アジサイの花がまだ残っていて、驚いた。

国分寺には、本多姓が多く、地名にもなっている。
下の写真の蔵は、本多さんの家のもの。
野菜を売っていた。


0810050041081005004208100500430810050044











医王山最勝院国分寺

古代の武蔵国分寺を受け継ぐ寺院である。
境内には、万葉植物園(入場自由)があり、二年前に入ってみたことがある。
立派な楼門は、明治維新後に廃寺となった寺から移築したものだという。
江戸時代の建築で、なかなか立派。
他に薬師堂があり、ここも二年前に訪れたが、今回は寄らなかった。

このあたり、五月のお祭りの時期には人出で賑わうというが、ふだんはひっそりとしている。
今日も、境内を掃除している女性が一人。
通行人もまばらだった。


0810050056081005005208100500550810050058   











武蔵国分寺跡 (国指定史跡)


こんな感じで、がらんとしている。
復元計画があるらしい。

(まだまだ続く)

08100500590810050060081005007308100500640810050062081005006808100500670810050066       

   

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【遊】四市横断サイクリング (2)

小平~国分寺~国立~立川というコースの、小サイクリングの続き。
国分寺駅前の繁華街に出る。

0810050018国分寺は坂が多い。
「ハケ」 と呼ばれる、多摩川河岸段丘の「崖線」(国分寺崖線)のためである。
南口の坂道。
左側に都立庭園(殿ヶ谷戸庭園)がある。
右奥が駅ビル(丸井が入っている)。

道路が狭く、路地が入り組んでいるが、あんがい車が少ないので、私はこの駅前の雰囲気が好きだ。
写真に見える街路樹は、トウカエデ。
これからだんだんと色づいてくる。

081005002008100500210810050023国分寺駅南口。
クレジットの丸井が駅ビルに入っている。
南口と北口を結ぶコンコースは広く、人出は多いものの、ごみごみした感じがないのがいい。
立川駅あたりとは、ずいぶん雰囲気がちがう。







ここから先、駅前ロータリーから南西へむかう狭い通りを走る。
道が狭く、歩行者や車が多い。
「多喜窪街道」 というらしいが、西国分寺駅の南で、府中街道と交わる。
途中、都立武蔵国分寺公園、武蔵国分寺跡地の間を通る道路で、立川(南口)へ行くときに利用している。
坂道が多い。

今日は、「お鷹の道」から武蔵国分寺跡地へ寄ってみた。
二年前の冬に歩いたことがあるが、それいらい、久しぶりだ。

08100500320810050033081005003408100500380810050037081005003608100500400810050039











この後、武蔵国分寺跡でしばらく遊んでいた。
その様子は、次の記事で。

(続く)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【遊】四市横断サイクリング (1)

というほど大げさなものではないが……いつもは車で30分ぐらいの道を、自転車でゆっくり走ってみることにした。
距離にすれば、たいしたことはないと思う。
せいぜい8kmぐらいか。
しかしながら、街中の道なので時間はかかる。

(出発地) 小平市喜平町 → 国分寺市 → 国立市 → (目的地) 立川市錦町
というわけで、四つの市をまたがるサイクリング。

ふだん車で走っていて、気になっていた店や場所がたくさんあったのだが、自転車なので寄り道のし放題。
写真も180枚ほど撮った。

0810050001朝、8時半頃、団地を出発。
自転車のサドルがずいぶん汚れていたので、念入りに掃除。
ふだん乗っていないので、タイヤの空気もなくなっていた。

ナップザックに、財布、道路地図(念のために)、ペットボトルに麦茶をいれたもの、タオルハンカチ、などを入れ、前のカゴに入れる。

天気、うす曇。暑くなりそうな予感。




0810050007最初の寄り道。
団地からすぐ、喜平橋交差点から五日市街道を西へ数十メートル行ったところ。
ここに、「喜平館」というお屋敷(冗談です)が建っていたのだ。
住人は私の友人夫妻だったが、道路拡張のために立ち退きになった。
その後、しばらく無人の家が残っていたのだが、ある日、喜平橋交差点からちらっと見ると、きれいさっぱり更地になっていた。
それがずっと気になっていたので、今日はしっかり写真におさめてきた。
こうなると、何とはなしに、淋しいものだ。
うっそうと茂った木も、ここに何本かあったのに……。


0810050010「喜平館」跡地の横から、裏道を国分寺駅にむかう。
バス通り(国分寺街道)の裏手、住宅地の道。
犬の散歩に人ぐらいしか通らず、たまに車が通るくらいなので、自転車で走りやすい。
途中(写真の左の家)から、双子と思われる男の子二人が出てきたので、おはよう、と挨拶をする。
私のデジカメを見て、「カメラ屋さんだぁ」などと言いながら、どこかへ行った。
こういう路地はいいな。

この先で、面白いものを発見。
「国分寺市民俗資料室」 の建物と、土建屋らしき看板。
民俗資料室は、今度訪ねてみよう。
土建屋の看板は、手づくりの味があって、なかなかいいと思った。
かなり詳細な商品説明が、手書きで書かれていて、訴えるものがあった。

0810050011_20810050012_20810050014_2この先から、バス通りの歩道を走る。
駅の近くまでくると、ハンカチ王子で話題になった 「早稲田実業」の校舎が左にある。
日曜日だというのに、制服姿の高校生を見かけた。

この、バス停、以前は学校名ではなくて地名だったのだが、早実優勝の後から、こんな名前に変わった。
いつも通勤で使っている路線バスが、ここを通る。




0810050016国分寺駅東側、JR中央線のガード。
拡幅工事が、もう何年も続いている。
北口から南口に自転車で抜けるには、左側のガードの歩道を行くしかない。
(駅のコンコースを、自転車を押して通っている人もみかけるが)
北口には、大きな有料駐輪場があるが、南口にはない。
私がいつも利用している路線バスは、この先、ガードをくぐって右手の南口に停留所がある。

この後、国分寺駅界隈から先は、次の記事で。

(続く)    
 





 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年10月 4日 (土)

【歩】秋を感じる

午前中、用があってでかけた立川の、とある施設の構内で。
ここは桜の古木が多く、春にはみごとに花が咲く。

桜の葉が、きれいに色づいてきた。
枯れかけた彼岸花。
その他、名前を知らない花。


0810040001081004000208100400120810040003081004000508100400070810040010 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【雑】韃靼蕎麦を食べる

この夏、美瑛で買ってきた韃靼蕎麦をゆでて、昼に食べた。
蕎麦とはいっても、いわゆる日本蕎麦とは、ずいぶん風味がちがう。

ルチンという成分が豊富に含まれているせいだと思うが、ゆでると湯が真っ黄色になる。
まるでカレー粉を溶かしたように。

たまにはこういう蕎麦もいいものだ。


ルチン 【rutin】
ソバ・エンジュの新鮮なつぼみなどに含まれる配糖体。 淡黄色の結晶で無味。 毛細血管の透過性を抑制しもろくなるのを防ぐ。 出血性の病気の予防薬。
(三省堂「新明解百科語辞典」)


0810040014081004001508100400170810040019











― Wikipediaより ―

ダッタンソバ(韃靼蕎麦、学名:Fagopyrum tataricum)は、タデ科ソバ属の一年草。ソバと同属であるが、自殖性である。韃靼はタタールという中央アジアの民族の名であり、英語からの直訳であるが、中国では韃靼は差別表現であり、苦蕎麦と呼ばれている。

分布及び生産状況
ダッタンソバを含むソバ属植物は中国甘粛省からパキスタン北部まで分布するが、ダッタンソバは四川省、雲南省、東チベットの境界付近で栽培化されたと考えられる。また、ネパールやチベット、中国南部、東北部などで食用や飼料用として栽培されている。日本では近年機能性物質ルチン含有量が多いことが注目され、だったんそば茶等の消費量が増加し、国産需要もあり栽培面積も増加傾向にある。

成分及び利用
種子の成分は普通ソバとほとんど違いがみられないが、ルチン含有量はソバの約100倍で非常に多い。ルチンは、フラボノイドの一種であり、毛細血管強化作用を持ち、血圧低下に関係するとされる機能性成分である。しかし、ダッタンソバ子実にはルチン分解酵素も多く、粉への加水で急速に分解して苦み成分のケルセチンが生成する。この独特の苦みのために、ニガソバとも呼ばれている。ソバ同様に実を原料にして、ルチンを豊富に含む健康食品のだったんそば茶あるいは麺類として加工、販売されている。   

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年10月 3日 (金)

【楽】泣くかもしれない

カセットテープの音源なので、画像はない。

ずいぶん前に知人からもらったテープを聴いている。
もう販売されていないアルバムなので、中古で手にはいらないものかとネットで調べてみたら、4000円を超える値がついていた。
とても手がでない。

私にとって、ちょっといわくつきのテープではある。
テープには曲名しか記載がないので、演奏陣などは不明。

ジャケット写真は、下記の公式サイトに掲載されているが、録音データの記載はなかった。

下田逸郎:ひとひらconnection
http://www.t-chest.jp/shimoda/


下田逸郎 『泣くかもしれない』

天まで昇ろ/セクシィ/ほろびる/1999年のラブソング/夜の火/ウーバンブー/泣くかもしれない/失くした恋から/踊り子/早く抱いて


「セクシィ」 は、石川セリへの提供歌。
「早く抱いて」 は、山崎ハコが映画 「皆月」 (原作:花村萬月) の挿入歌として歌っている。
どちらも、魅力的な歌唱。


下田逸郎は、あの甘ったるい歌い方がどうも……という声をよく聞くけれど、私は好きである。
歌い方はともかく、この人の楽曲は潤いがあって、いい。



【参考】
下田逸郎の提供楽曲 (Wikipediaより)


ほう、こんな歌い手にまで……という発見があった。

浅川マキ「眠るのがこわい」(作詞)
石川セリ「SEXY」(作詞・作曲/下田と同曲),「TABACOはやめるわ」(作詞・作曲)
太田裕美「ロンリィ・ピーポーⅡ」(作詞)
桑名晴子「夜の海」(作詞)
桑名正博「月のあかり」(作詞),「そこからがパラダイス」(作詞)
小柳ルミ子「冷たい水」(作詞)
ジョー山中「時は過ぎて」(作詞・作曲)
高倉健「1999年のラブソング」(作詞・作曲/下田と同曲) 未発表
中原理恵「さみしさ裏返し」(作詞)
BOW WOW「さびしさは知らない」(作詞)
松原みき「ハレーション」(作詞)
松山千春「踊り子」(作詞・作曲/下田と同曲)
南こうせつ「ゆらめく景色」(作詞)
みのや雅彦「哀しいつばさ」(作詞)
泰葉「下町スウイング」(作詞)
山崎ハコ「早く抱いて」(作詞・作曲/下田と同曲)
山下久美子「時代遅れの恋心」(作詞),「EASY TO CHANGE MY LIFE」(作詞)

| | コメント (2) | トラックバック (0)

【歩】通勤途上の彼岸花

今週は、なんだかとても長く感じられた。
火曜日、私にはめずらしく遅くまで仕事をしていたので(といっても午後10時前には会社を出たのだが)、調子が狂ったのかもしれない。

それはともかく、今日もまた爽やかな秋晴れの一日だった。
朝、すこし早めに家を出て、途中で写真を撮った。

御茶ノ水駅のホームから彼岸花が見えるのを数日前に発見して、写真に撮っておきたかったのだ。
上から三枚の写真がそれ。
ホームから神田川の堀をはさんだ対岸なので、ちょっと距離があって、ちいさな写真になったが。

残り二枚は、勤務先のすぐ近く、首都高速道路の下に、なぜか咲いていたもの。
これも、先日、気づいた。

彼岸花も、そろそろ終わるなあ。


08100300670810030066081003006308100300710810030068

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008年10月 2日 (木)

【歩】【山】秋風ぞ吹く

さわやかな秋晴れの一日だった。
朝から、風がここちよい。

秋風に吹かれて歩いていると、なぜか、秋の山を思いだす。
からだが山の風をおぼえているのだ。

思いだすのは、高校三年のときに、北海道 大雪山の避難小屋に泊まった山行のこと。
今はもうこの世にいない、Kという友人と二人で、赤岳の方から南へ縦走して忠別岳の非難小屋に泊まり、天人峡に下る山歩きをしたことがあった。

忠別岳避難小屋は、当時、ほとんど壊れていて、木組みのちいさなビニールハウスだった。
とうぜん自炊だったわけだが、こぼれたごはん粒を求めて、エゾリスがちょろちょろ動きまわっていたっけ。
あれは九月だったろうか。
北海道の山は、もう晩秋の気配だったように思う。

あの時も、こんな風が吹いていたなあ、と、ときおり、からだで思いだすのだ。


今朝、あんまり気持ちがよかったので、ケータイカメラで写真を撮った。
写りはきわめて悪いけれど、これも日記だから記録として掲載しておこう。

200810020636200810020637 

| | コメント (2) | トラックバック (0)

« 2008年9月 | トップページ | 2008年11月 »